「今日から一週間、雑用役に任命されました!東の海、第87支部兵長ベルメールといいます!よろしくお願いします!!」

そう明るく、しかしハスキーな声で言いきっちりと礼をした長身の女性。仕事の手を止めてサカズキがきちんと応対しているのが珍しく、はクマのヌイグルミの耳を引っ張るのを止めてじぃっと、入室してきた女性海兵を見上げる。年のころならば18,9というくらいか。兵長というのがどの程度の階級であるのかはわからぬけれど、詩篇調査、それとちょっとした面倒な要件により暫くグランドラインを離れこの東の海の支部に滞在せねばならなくなった中将の側に配属されるくらいである。この支部では有能、また信頼のある海兵なのだろうと、その程度はわかった。基本的にデスクワークに限り、サカズキ中将の傍仕えになる海兵に武術の実力がある必要はない。何かあればサカズキが自身でケリを付ける以上、それならば傍にいる海兵に求められるのは事務量力や頭脳だ。そういう意味でこの女性が選ばれたということは確実。

それにしても、どう見ても普通の女性がするには奇抜すぎる髪型にはいささかの興味を覚える。なんというか、理髪師がこんな髪型をしてきたら自分だったら手足を縛って海に突き落とすだろう、というほど、すさまじい髪型ではないか。しかし彼女には良く似合っていて、それがまた面白い。

ふぅん、と、は上から下までじっくりとその女海兵、ベルメールとなのった人物を眺め、この女性は何日持つだろうかと、そんな物騒な予想をする。

「海軍本部中将どのにお会いできるなんて光栄です。精一杯がんばらせていただきますので」
「人手は足りている」

びしっ、と敬礼をしてそう勢い込むベルメールをサカズキ中将は容赦なくばっさり、切り捨てた。ずばっと、それはもう見事に。

「はい、有能な中将どのと伺っております。私のような一卒がお役に立てることなど殆どないでしょうが、この支部のことやこの海のことはよく存じておりますので、必ずお手伝いできることがあるかと」

おぉ、とは思わず関心して口をぽかん、と開けてしまった。いや、彼女の言い分に、ではない。あのサカズキに対して一歩も怯まぬその構えに対して、だ。普通支部の海兵なら本部中将には殆ど目もあわせられぬ。そして何より、サカズキ中将、の存在を知らぬ海兵などまずいない。絶対的正義、っていうかやりすぎだよね?と、どっ引かれるほどおっかないお人だ。はサカズキと共に今までいくつかの支部に滞在したことがあるが、准将クラスの海兵でさえ、サカズキが何か一言言うたびに、上に重しでも乗せられるかのような苦しい顔をしていたのを見ている。しかしこの女性、ひまわりのような笑顔を絶やさぬ。階級の低い海兵であるから鈍いのかとも思うが、しかし、サカズキの強さがわからぬわけでもないだろう。さてどうなるのだろうかと、はぬいぐるみを腕に抱え込んでこの珍しい展開の成り行きを見守る。

サカズキは秘書官を持っていない。本来、将官クラスであれば、実戦任務の他に膨大なオフィスワークもあるわけで、通常は3人から5人程度の秘書官を持っている。スケジュールや書類管理、そのほか中将たちとの連絡のやりとりまで全て任される文官のエリート集団、ともいえる。センゴクの秘書団など武功こそないが、その有能さは海軍内でも広く知れ渡っているものだ。しかし、サカズキはが知る限り、その秘書官をおいたことがこれまで一度もない。あれこれ人に小言を言われるのが嫌だという、あのクザン中将でさえ最低人数である3人の秘書を抱えているというのに。

どうも聞くところによると、少将に上がったときに配属された秘書が一週間で辞めたとか、サカズキの下で働く以上家族には二度と会えぬと思えとか、そういう伝説があるらしい。その真偽は知らぬけれど、がサカズキのもとへ保護(…これを保護というのかは疑問だが)されてから何度か、人事異動のおりにサカズキに秘書が付けられることになったけれど、みな三日と持たず辞めていく。いや、別にサカズキに人を使う能力がないとかそういうわけではないのだろうが、その辺、にはまぁ、よくわからない。

「必要ない。下がってくれ。仕事の邪魔だ」

あれこれ考えているの耳に、全く持って容赦ないサカズキのぴしゃり、とした声が届いた。うわ、女性相手に容赦ない、とが顔を引きつらせていると、女性海兵、きっちり、と礼をして、やはり笑顔のままのたまうのだ。

「わかりました!何か御用があったらお申し付けください!扉の前におりますので!!」
「うわ、すっごい前向き!!」

何そのめげなささ!!と思わずは突っ込みを入れてしまい、サカズキにインク瓶を投げつけられた。






アーロンパーク







「痛いよ!!?」

がばっと、は体を起こし、額を押さえて叫んだ。

そして、きょとん、と首を傾げる。あたりは真っ青な海に白い雲、青いお空のステキ風景。おや、と思うと同時に状況を把握した。デッキブラシの上で軽い居眠りをしてしまったよう。いや、デッキブラシの上で寝るとか普通できないから、とそういう突っ込みは不可である。別に跨っている状態、というわけではない。詳しく語るのは面倒なので省略するが、デッキブラシでの飛行、というのは実のところ見た目にはそう見えるだけで、長椅子のようなものに腰掛けている、という方が表現的には近い。まぁ、油断していると普通に落ちるが。

おや、まぁ、とは目を擦り、ぼうっとする頭を軽く振った。

「そうそう、懐かしい夢だねぇ。もう何年前だったかねぇ」

本来あまりグランドラインを離れることのない自分とサカズキが、この海に来たことがあった。あのころはまだ詩人もいなかったため、詩篇の回収、あるいは封印を自身が行っていたのだ。東の海の支部で過ごした一ヶ月を思い浮かべながら、は口の端を緩める。

ベルメール。とても素敵な海兵だった。とことん一人で何もかもやろうとするサカズキにめげず、諦めず、まるで怯まず遠慮もせず、日々笑顔を向けてきた数少ない人物だ。料理も上手く、サカズキが人の作るものを褒めたのは彼女の作ったものだけだったと思う。

彼女はにもよくしてくれた。一緒に遊んでくれたし、がちょっとばかり悪質なこと(的にはそんな風には欠片も思わないのだが)をすると、真剣になって起こった。何度か本気で拳骨を当てられたこともある。その度に本部から一緒に来た海兵らは大慌てをしたのだけれど、サカズキは何も言わなかった。ベルメールが叱れば、サカズキは自分が叱ることはないと思っていたらしく、そういえばあの一ヶ月でサカズキがに何かしてきたのは、その出会いのときのインク瓶を投げる行為一度きりだ。

「ふふ、ベルメール、元気にしているかなぁ」

もう会うことはできないと、以前サカズキに言い含められたのでも態々あの支部をたずねたことはない。ドレークの件でわかっている。自分は、将官クラス以下の海兵に接触するべきではない。それが彼女のためでもあるのだと、わかっているから、は思い出の中の彼女を何度も、瞼に映す。

彼女の面白いエピソードはいくつかあるが、中でもの気に入りなのは、サカズキの眉間にぐいっと、指を当てて「そんなに眉間に皺寄せてると、アトつきますよー」事件である。も常々あの眉間の皺にはコインがはさめるんじゃなかろうかと思ったので、ベルメールが実行した瞬間、腹を抱えて笑った。

「まぁ、それはさておき。今はナミを追わないとねぇ」

昔のことを思い出すのは年寄りらしくてよいと思うが、しかしそういう場合、というわけでもないだろう。は自分やってきた方向を振り返り、目を細める。今頃ルフィがドン・クリークとかいう小物をフルボッコにしているのか、それとも逆にフルボッコにされているのか。できれば観客希望、というところだけれどそうもいかない。

ルフィが船長を務める海賊船が航海士役のナミによって盗まれたと、現在そういう展開だ。

もちろんルフィの仲間であるウソップやゾロもナミを追うためヨサクとジョニーの船に乗って移動中である。しかしは空が飛べる。海軍本部にいるときはあまり重宝せぬ能力だが、冷静に考えればデッキブラシでどこまでもいける、というのは随分と「ずるい」能力なのではないか。

そういうわけで、は一足先にナミの向かったであろう場所へ行こうとそういうわけである。

輝く海面を眺めやや速度を上げながら、は鮮やかな赤毛を指で梳く。

ナミが向かった場所の見当は、なんとなく付く。放っておいてあげてもいいのではないかと思わなくもないけれど、それを決定するのは自分ではない。人が過ちを繰り返すのをただ黙ってみている。それが魔女の悪意というもの。ルフィがナミと船を取り戻したい、とそういうのだから、己はそれを一等席で眺められる場所に手早く行こうと、結局はそういうつもりなのかもしれなかった。



+++




暫く真っ直ぐに進路をゆくと島が見えてきた。コンパスと記憶にある地図で位置を確認すれば東の海の北西部といったところ。目当ての島なのかと少し考え、視界に入った、堂々とした旗にはあきれる。真っ黒い布地に描かれた“海賊の誇り”は鮫のモチーフ。やはり己の予想は外れていなかったと満足する反面、なぜナミがこんな面倒な連中のご関係者になんぞなっているのかと興味もわいた。

「それにしても、アーロンくんってセンスないよね。あれ見ようによってはイルカだと思う。あれ?鮫ってイルカのお友達?ご親戚?」

当人が聞いていたらブチきれそうな感想を抱きつつ、は旗から視線を外し、島の海岸沿いに陣取る巨大な建物の全体像を眺める。何度か作り直されてはいるものの、建築されて十年程度というところか。高さはそれほどない。上空から観察してみてその建物の最大の特徴は海と直結した巨大プールがあるというところだろう。魚人の海賊の旗にこの建物。間違いない。以前ちらりと小耳にはさんだ、これがアーロンパークというやつらしい。

さて、ナミはどこにいるのだろうか。このアーロンパークか、それとも島のどこかの村だろうか。ゴーイングメリー号を探すのが先だとは思うが、それはウソップたちがするだろう。はとりあえずナミに会いたかった。しかし島は随分と広い。さてさて自分がデッキブラシで飛んで島を周るのもいいが、それは少々面倒くさい。

ひょいっと、はアーロンパークの入り口らしいものを見つけ、そこに降りてみる。海に面した大きな門は正面玄関だとは思うが見張りも何もなく不用心だ。しかし、自分の力に絶対の自信を持っている男が主をしている館である。まぁ、人の趣味はそれぞれで、とは割り切って、門を叩いた。海に落ちぬようデッキブラシにまたがっているのでバランスを取るのが難しい。

「魚人のアーローンくーんー、あーそーぼー」

飛び越えても構わないが、一応こちらが「お願い」があって尋ねるのであるか礼義は忘れてはいけないと、は妙なところで常識がある。コンコン、と叩くが反応はない。だから門番くらい置いておけよ、とは突っ込みを入れ、首を傾げる。中に魚人がいたのは上空から確認済みだ。もっと大声を出さなければならないのだろうか。しかし、あまり大声を出すのもはしたない。やっぱり上空から突撃か?とそれははしたなくないのかと突っ込みを入れられそうなことを思っていると、門が開いた。波が中のプールに押し寄せる余波で海がざわめく、は「おっと」とバランスを取りつつ、門から出てきた妙なものに首を傾げた。

「たこつぼ?」
「チチチ、なんだ、この子供は」
「にゅ〜、、そこにいられると邪魔なんだな」

と、まぁ三者三様に口を開く。最初は、次はたこつぼにしか見えないものに入っている海軍の海兵のように見える、妙な顔の男、そして最後はも顔見知りのタコの魚人ハチのものだ。

「ハチくん、十二年ぶりに会うのにそれはないよ。久しぶりー、とか驚いてくれないとつまんないねぇ」

とりあえずは目を細めてころころ笑い、ハチに道を譲るためひょいっとデッキブラシの位置を変えた。簡単に状況を把握すれば、ハチが海兵をタコツボで送っているということだろう。

「すまねぇなァ。アーロンさんに用か?今丁度お客を送ってくとこなんだな」
「そうかい。邪魔をして悪かったねぇ」

海軍の海兵は黙っている。どう見てもただの子供、というわけではなさそうなこちらの正体を探ろうとしているのだろう。しかし少女+デッキブラシをみて即座に見当つかぬ海兵は本部の人間ではあるまい。は捨て置いて構わぬと判断し、ハチを見送り、自分はアーロンーパークの中に進んだ。

少し行けばすぐに中央の巨大プールにたどりつく。そのサイドで寝椅子に横たわっている派手な色のシャツ姿に、は軽く声をかけた。

「アーロンくん。久しぶり」
「よォ、ノアじゃねぇか。はるばるグランドラインからこんな辺鄙なところまで何しに来た?」

青白い鮫らしい肌に特徴的な鼻。ノコギリ鮫の魚人アーロンは十二年ぶりに会うというのにさして驚いた顔もせずそう迎えた。は不満そうに鼻を鳴らし、アーロンの傍にいる二人を不躾にならぬ程度に眺める。記憶にはないが、まぁ魚人海賊団の仲間ということだろう。

「ノアじゃなくてだよ。うん、ちょっとヤボ用で。多少は小耳にはさんでいるのに聞くのは性格悪いと思わない?」
「シャハハハ、すまねぇな。あの過保護な海兵がお前を一人で東の海までやるなんてこの目で見るまで信じちゃいなかった」
「あのさ、君ってひょっとしてぼくがひとりで遠足の準備もできない子供だと思ってるの?」

ゼフといい、こちらの事情を知っている人間はなぜこうもサカズキ=過保護という認識をしているのだろうか。は呆れたように溜息を吐き、ひょいっとデッキブラシを振って地面に足を下ろした。

魚人、魚人、魚人のアーロン。別にアーロンと個人的に交友があるわけでもない。ただ顔見知り、という程度だが、魚人そのものと、正確には現在使用しているノアの体は縁深い。何しろ半分は魚人の血が流れているのだ。海に嫌われた魚人、というのも中々因果なものとは思うが。

「そういえば今海兵っぽいネズミ顔のオッサン見たけど、帽子にフードってサカズキの中将時代のコスプレ?」
「それはねぇ。ありゃうちのお得意さんだ。支部の大佐だからな。お前が知らねェのも無理はねぇ」

耳があったし、やっぱりサカズキのコスプレではないのか。少々残念に思いながら、は首を傾げる。

「アーロンくん海賊辞めて海兵とお付き合い始めたの?」
「シャハハハ!!俺様が海賊を辞めるわきゃァねぇだろ。ビジネスの相手だ。人間は嫌いだが、話のわかるヤツは別だからな」
「ふぅん?」

いまいちよくわからぬが、まぁこの男の言うビジネスだ。ロクなことはないだろうとは思う。しかしドフラミンゴのビジネスとどちらがより「悪党」らしいかと考えれば即座に鳥だという確信もあるのではさほど興味が引かれなかった。

「おれはなァ、。このアーロンパークを足がかりに魚人帝国を作るのさ」
「うん、それは激しくどうでもいいんだけどね。ぼく人を探してるんだよ。君の支配してるこの土地の人間っぽいからどこにいるか心当たりないかなぁって」

放っておけば魚人がいかに優れているかという演説を始めそうなのでは容赦なく遮って自分も目的を切り出した。長い歴史を見てきて魚人が各所権勢を握ったころがなかったわけではない。しかしながら、この800年ばかり、世界政府が樹立してから魚人がその存在を最高とできたことは数度しかなかったではないか。その能力はも理解している。確かに強い。生まれながらに腕力が人の倍以上ある、海を自由に生きることができる、と、それは優れた能力だ。だがしかし、彼らは不運なことに海の中だけで生きられるのではない。陸でも呼吸のできる生物である、ということが魚人が敗北しなければならなかった理由だとは思っている。

魚人は海底だけではなく、陸上でも生きていける。しかし人間はそうではない。海の中では呼吸ができぬ。だからこそ、彼らは地上を守るのだ。必死に、必死に守る。そこしかないから、その必死さは「海がある」という魚人たちとは異なる。

ほかにもいろんな理由はあると思うが、のような者からすれば、そのように映る。そういうわけで、はアーロンが何を企もうと、成功するとは欠片も思わなかった。

第一、サカズキを殺せるような人間がいたら見てみたい。人類最後の砦、とまでは言わないが、今の正義の体現者であるあのおっかなすぎるひとを打ち滅ぼさない限り、魚人支配の世界は来ないだろう。

「探してる?人間か?」

アーロンは話を遮断されたことをさほど不快と思う様子もなく、首をひねる。その左右の魚人がこちらを睨んでいるが、アーロンが気にしたそぶりを見せない以上騒ぐわけにはいかぬと判断したらしい。おそらく部下というよりは同志という立場だろうが信頼関係があるようで、さすがは魚人とは感心したくなる。このあたりを人間も見習うべきだ。が知る限り、魚人同士はけして裏切ったりはしない。お互いを尊重し、信頼し合っているその姿はほかの種族には中々お目にかかれぬもの。

「うん、そう。ナミっていうオレンジ色の頭の女の人なんだけど。探してるんだ。知ってる?」
「シャハハハ、なんだ、お前あいつを知ってんのか」
「おや、アーロンくんの知り合い?」

この島はわりと広そうだ。だからアーロンなら支配している人間の名簿くらい作っているだろうとそう見当付けてのことだったが、知人なのか?膝を叩いて笑うアーロンを見上げながら、はきょとん、と貌を幼くする。

「知人も何も、あいつは俺たちの同志さ。なァ、クロオビ」
「…あの女の測量の腕は中々ありませんからね」

声をかけられて初めて右側の魚人が口を開いた。に対して警戒心を消してはいないが、会話への参加はするらしい。

測量、と聞いては目を細める。ナミの航海術は優れている。それは目の当たりにしているも知っていた。経験での話をすればグランドラインの海を知らぬ航海士など魚人には不要だろうが、天武の才というのか、ナミには海に対する抜群のセンスがあった。はナミを海軍本部の一等航海士に負けぬ才能があると見込んでいるが、それは現時点での技術ではなく、そのセンスを考慮してのものだ。

そして優れた航海士は測量の目も優れている。

「本気みたいだね。アーロン帝国を作って?」
「シャハハ、今度は本気にしたな」

先ほど自分から切った話題をは再度口にする。ナミがなぜここで測量士をしているのかと、それはそれで興味もあるが、魚人が正確な海図を手に入れたら、という可能性を提示され、は声を低くする。

魚人にとって海のデータを取るなどさほど難しいことではない。だが問題は、それを海図に起こせる能力があることだ。

海軍本部がその権勢を誇れる理由の一つに、海の情報を把握している、という点がある。海流を操り司法の塔やインペルダウン、海軍本部の間のタライ海流を作り出した。そして戦争時、海上での戦闘ではいかに足場となる海の情報を知っているかで結果が違う。

は、もちろんサカズキの強さを信じている。だがしかし、海上戦になり足場の海の主導権を握られたらどうなるか、というものを考えないわけではない。

「ま、でもぼくは、長く生きてきて魚人が政府を作れたためしがないのは見てきたからねぇ」

だがしかし、案じる心はない。そもそも自分には関係のないこと。そういうこともあり得るだろう、と、だからどうしたというのか。は軽く首を振り、握りしめていた己の手をとく。

「で?ぼくはナミに会いたいんだけど。それじゃあここにいるのかい?」
「あいにくまだ戻ってねぇな。あいつは俺とのビジネスがある。時々ふらっと海に出ちまうのさ」
「ふぅん。でもこっちに向かってるみたいだったから。ぼく追い越しちゃったのかな?」
「中で待ってりゃいい。このプールの水は海水だからな。お前が落ちたら俺はアーロンパーク帝国を完成させる前にバスターコールを受けちまう」

冗談めかしてはいるものの、中々本気ともとれるアーロンの言葉に、だから、サカズキはそんなに過保護じゃない、といいかけ、は面倒臭くなって口を噤んだ。というか、ゼフにしろアーロンにしろ、サカズキへの認識が間違っていないだろうか。



+++



宛がわれたのは客室というに相応しい一室である。金を集めるのが好きだと豪語するアーロン、使い方もケチではない。客を持て成すに金を惜しまず、贅を散らした室内は下品な派手さはなくセンスもよく過ごしやすかった。人間の客を迎えることを想定しているのかしっかりとベッドもあり、はやわらかな寝台の上で横たわりうとうととしていた。そうして暫く頭の中を真っ白にしていると、表のほうが騒がしくなる。

ぱちり、とは青い目を開いて、で、自分は今どこにいるのだったか、と思い出してみる。格子付きの窓をのぞいてみれば、見知ったオレンジの頭が見えた。

「あ、ナミだー」

はっきりしない頭を振りながら間延びした声を上げ、はあくび一つしてから部屋から出る。デッキブラシにまたがってそのまま表の騒ぎ、何やらうたげのようなものをしている場所まで飛んで行った。

先ほどはアーロンと二人の魚人しかいなかったが、今は魚人があふれかえっているその場所。その中にナミのような人間のお嬢さんがひとりいる、というのは中々興味深い。それでいて下にも置かれぬ状況であるのだ。おや、とは目を細め、そしてひょいっと、デッキブラシから飛び降りた。

「ナミ!」
「!!!!!アンタ…!!!なんで…!!」

騒ぎの中でも一人静かにしていたナミの前に飛び降りる。ナミの細い腰に抱きつけば、振り払いはしないものの、以前のように抱きしめ返しはせぬようで、ナミが一歩反射的に後ろに下がった。

「アンタ…なんで、なんでここにいるの」
「なんでって、そりゃあナミを追ってに決まってるしー。ぼくはデッキブラシで快適無敵空の旅だったから、ナミより早く着いてしまったんだねぇ。早いのもよしあし?」

困ったねぇという顔をしてナミから離れ顔を上げれば、ぐいっと肩を掴まれた。

「アンタ…!!!!アンタここがどこだかわかってんの!!!?あいつらみたいな能天気な海賊団とは違うのよ!!ここは、ここは本物の海賊のいる場所なの!!!あんたみたいな子供が来るとこじゃないのよ!!」

あいつら、というのはルフィたちのことだろう。ゴーイングメリー号をかっぱらったからどういうつもりなのかとは思っていたが、こうしてまだ心にとどめておいているあたり、はルフィの言うとおり迎えに来たのが正しいのではないか、とそんなことを考える。

「おいナミ。何を怒鳴ってんのか知らねェが、村じゃ魔女なんて呼ばれてるお前が本物の魔女と知り合いだってのは初耳だ。たぶらかしたか、それともたぶらかされたか同志と賭けしてんだよ。どっちだ?」

剣呑な様子をさほど気にもせず、アーロンが会話に割って入る。それでナミははっと我に返り、をその背にかばうようにしてアーロンに向き直った。

「魔女って何のこと?この子はあたしがカモにした海賊に浚われてたただの子供よ。少し一緒にいたから懐いたみたいだけど」
「カモにしたってルフィくんたちを?」
「あー、ちょっと待て、。お前が口をはさむと話が進まねェ。なんだ、ナミはお前が魔女だってのは知らねェのか?」

ちょっと黙れ、と手で制されては素直に口を噤んだ。確かに自分は状況をひっかきまわすのは得意でも前後順序だてて話をするのは苦手である、できなくはないが面倒臭いし、思ったままを口にしてもあまり文句は言われたことがないのでそうしてきた。

黙っているとアーロンがナミとをじっくり眺め、頬杖を突く。

「なるほどな。はるばるグランドラインから東の海まで来たお前が面白半分で乗ったか捕らわれたか知らねェ海賊をナミが獲物にしたってわけか」
「さっきからそう言ってるじゃない。アーロン、それで、アンタはこの子と知り合いってどういうこと?」
「知らねェんなら知る必要はねェことだ。いずれ知るにしてもお前にゃ早い」

別にとしては正直に「海軍の赤犬にフルボッコされてるのが日課の魔女です」と自己紹介してもいいのだが、ナミはアーロンの関係者のようだし、アーロン帝国建設が進むにつれてグランドラインへも進出してくるだろうから、その時に知るだろうと、そしてアーロンが今は知る必要はないと切り捨てた以上自分からどうこうという気もなかった。

素直に黙っていると、ナミが目を細め、の腕を取って歩き出す。

「そう。ならはあたしのお客よ。アンタたちは手を出さないで」
「言われなくとも手出しはしねェさ」

何を考えているのか双方わからぬ表情。ふぅん、とは目を細めてそんなやりとをを眺める。同志、同志というわりにはアーロンはナミに対して魚人仲間と同じ顔をしていない。いや、人間を目の当たりにしているときの敵意、侮蔑、嫌悪はないようだが、しかし、どちらかといえば獲物でも眺める顔をしている。

対等な立場、には思えない。それならはほんの少しだけ、ナミはルフィたちのところへ帰る、あるいは戻るべきではないのか、とそんなことを思う。

そういうわけで、ナミに腕を引かれるままスタスタと歩き表の騒音から離されていった。

暫く歩いたところ、階段を上がって二つ目の角を行けば、そこはナミの部屋のようだった。ベッドと服やかばん、靴などがある部屋に入り、はベッドに腰掛けさせられる。

「なぁに?」
「何、じゃないわよ!!!アンタ…こんなところまであたしを追いかけるなんて何考えてんの!!?」
「だって、」
「だってじゃない!!!ここがどんなに危険な場所かアンタはわかってないのよ!!!」

今理由聞いたのになぜ黙らせられたのか…。は「理不尽な!」と突っ込みを入れたかったが懸命にも黙り、むっと眉を寄せてナミを見上げる。

「何よ。その顔」
「…お腹すいた」

ぐぅっと、その時の腹が鳴る。味覚はないし普通よりも食事の回数・量は少なくて構わないにしても、腹は減る。つん、とナミのキャミソールの端を引っ張って訴えると、ナミが溜息を吐いた。

「ずっと例のレストランにいればよかったじゃない。あそこなら食べ放題だったでしょう」
「ぼくはおいしそうに食べるナミと一緒がいい。それにきっと今頃戦場だと思う」
「戦場?何かあったの」

そういえばナミはクリークがレストランにやってきた時もメリー号の中にいて知らなかったのか、と思い出す。そしてあれよこれよとしているうちに鷹の目のガレオン船真っ二つ事件が起きた、ということか。

うんうん、と一人うなり、は簡単に説明をしてみる。

「うん、下っ端のギンくんが小物を連れてきて船寄こせってバカなこと言ってて、それでミホークが来て船壊して、ゾロくんがざっぱーんして大変だったの」
「……とにかく何かあったのね。まぁ、あの連中がいるんだもの。何が起きてもおかしくないか」

ここにかつてのの教育係(という名のおもちゃ)であったドレークがいれば胃を押さえながら「お前はもう少し人にわかるように言葉を話せ」と進言してきただろう。だがナミは額を押さえなんとか事情を把握してくれたらしく、二度目の溜息を吐いていろんなものを呑みこんだ。

「お腹すいたのね。何か持ってきてあげるからアンタはここにいて」
「ナミと一緒にいる」

部屋を出て行こうとするナミの腕を掴み、は首を振った。別にここが不安とかそういうことはない。しかしナミを一人きりにしてしまうのはあんまりよろしくないのではないかと、そんなことを思った。

「バカ言わないで。アンタは本当ならこんなところにいちゃいけないのよ。ルフィたちも化け物じみてたけど、ここにいるのは正真正銘、本物の化け物なの。そんなところに、アンタみたいな女の子がいるのはよくないわ」

アーロンと知り合い、それに魔女、と呼ばれているのを聞いていたにも関わらず、ナミはいまだにこちらをただの女の子、とそう扱う。ナミにとって、があどけない、ただの少女であるという、彼女にとっての「事実」が重要なのだと、それはにも分かっている。ナミにはおそらく、十分な少女時代がなかった。強制的に終了させられたナミは繭の中から不完全な状態で目を覚まし、今の、奇妙な生き物になっている。それであるから、の、ナミの目にはあどけない小さな少女に見えるが、誰かに庇護され大事にされ、いつまでもけがれない状況である、という事実が、ナミの、気づかぬ部分での慰めとなっているのだろう。

それはわかるが、しかし、はその傾倒の相手に自分ほどふさわしからぬ生き物はいないとも、分かっている。

「ぼくがいるのがよくないっていうのなら、ナミがいるのもよくないよ。ナミだって女の子なんだから」
「アタシはいいの。あたしは、アーロン一味の幹部なのよ」



+++



そう言って腕の入れ墨を見せると、の青い目を驚きに見開かれた。それを目の当たりにして、ナミはそっと腕を隠す。いつまでも物分かりが悪くわがままを言うをうっとうしいと思う心がないわけではない。どうしておとなしく引きさがってくれないのかと苛立ちもある。しかし、それでもただの子供というのはこう、一生懸命自分の意見を主張するのだ、とそのことを思い出せば、かつての自分もこうだったのか、とそんなことを考える。

アーロン一味の入れ墨。それが何を意味するのか、おそらくは知っている。そうナミには確信があった。数日前にをシャワーに入れた時にの体にも入れ墨が刻まれていたのは見ている。自分の意思ではなく誰かに体に刻まれることがどういうことなのか、は知っているのだろう。そんな予感があり、ナミはこれを見せた。予想通りは沈黙し、眉を寄せている。

それで何も言いださぬので、ナミは息を吐いて部屋を出る。空腹を訴えたに何か食事できるものを持ってきてやらなければ、と、そう自分に言い聞かせ、肩の震えを押さえこんだ。

もう8年以上暮らすアーロンパークは目を閉じていても歩き回ることができるほど慣れ親しんだ場所だった。育ったココヤシ村でも8年ほど生活したが物心ついて記憶しているのは5歳からだ。であるから、実質ナミはアーロンパークでの生活のほうが長く感じられる。

廊下を歩いていると、皿を持ったアーロンが目の前からやってきた。いまだに表のプールではバカ騒ぎが続いてるようだが、何をしているのか。

「よォ、ナミ。の様子はどうだ?」
「別に。普通よ。ちょっと話をしたけど、お腹がすいてるみたいだから何か持っていこうと思って」
「そりゃ丁度いい。そうじゃねぇかと思って用意させた」

そう言ってアーロンが持った皿をナミに差し出してきた。魚人が食べるようなものではなく、人間の、それも子供が好みそうな焼き菓子だ。お茶の用意はナミの部屋でもできるのでこれだけで十分な軽食になる。だがしかし、アーロンが、わざわざ持ってこようとしたことにナミは驚く。

「アンタは人間が嫌いなんじゃなかった?アーロン」
「人間は嫌いだが、魔女は別だ。アイツの体には半分俺たちと同じ血が流れてるからな」

は魚人のハーフだったのか?だが、確かは海水ではおぼれていた。能力者ではないという証拠に風呂の中では大丈夫だったが、海水には嫌われているとか、そんなことを言っていたのを覚えている。だが、海に嫌われた魚人があるだろうか。そういぶかしむナミの顔が面白いのか、アーロンが例の特徴のある笑い声を響かせる。

「何も知らねェのか。お前が魔女だっていうやつもいるがな、俺からすりゃ、ナミ、お前は小生意気な子猫程度だ。本物の魔女ってのはのことを言うんだろうよ。俺以上に警戒しろよ。あぁいう生き物が、お前のような女にとっては最も毒になる」

ナミは脳裏にの顔を思い浮かべる。アーロンがの何を知っているのか。ナミは例の島でがどれほど血を流して自分を助けようとしてれたのか知っている。そしてベッドで眠る顔、穏やかだったものが突如として深い苦しみに変わっているのを知っている。ナミは、をただの少女、と完全には信じていない。何かしらの事情を持っている子供である、とは分かっていた。しかし、それでもその根底にあるのがあどけない小さな、稚い少女であるように思えるのだ。

自分がとうに捨ててしまった、捨てなければならなかった、幼さをは持っている。ナミは、がどんな生き物、どんな事情のもとに生きているのか知らずとも、そのその、幼さを守ってやりたかった。自分を守ってくれる人がいなくなってしまってから、ナミはひとりきりだった。けれどには今現在、守ってくれる人がいない。ナミはを守ってやりたいのだ。

アーロンが言う魔女がどういう意味なのか、それを考えないわけではない。だが、自分が周囲から魔女、と呼ばれるように、も、当人の本心とは別の評価を得ているのではないか、そんなことを考えるのだ。

ぐいっと、ナミは自分の髪を掴むアーロンから離れ、皿を受け取り目を細める。

「ご忠告どうも。覚えておくわ、アンタほどの男があんな子を怖がってるってこと」

挑発するというにはいささか危険を含む言い回しになったが、ナミは真っ直ぐにアーロンを見詰めた。この数年間、アーロンがナミに手を挙げたことはない。幼少期には海図を描かぬ度に壁に頭を打ちつけられたが、ここ数年は、ナミはこういう男とどう渡り合うべきかを学んでいる。そのギリギリの境界を崩しかねない言動をしたというのに、しかし、アーロンはただ面白そうに口元を釣り上げただけだった。

「シャハハ、まぁ、信じるも信じねぇもお前の自由だ。もしかすると、お前も魔女になるのかもしれねぇからな」
「あたしが村でなんて呼ばれているか忘れたの?」
「あぁ。故郷を見捨てた冷酷な魔女って話だろう。人間を裏切る女は歓迎するぜ」

裏切るように仕向けたのは誰だ。

ナミは叫びだしたくなるのを寸前のところで押さえ、ぐっと、唇を噛んだ。



 

Fin





(2010/06/06 20:01)