部屋に戻ればがソファに身を倒して小さな寝息を立てていた。あまり部屋を開けたつもりはなかったが、ここへ飛んでくるまでの疲れを思い出したのだろう。ナミは軽く溜息を吐き、アーロンに渡された皿をテーブルの上に置く。カタンと小さな音がした。その寝顔はまだいとけなく、ナミは彼女の今後を考えさせられた。このまま、この子をここへ置いておくことはできない。しかし、といってココヤシ村に連れて行くのか?ナミは自問した。ノジコに、姉に事情を話せばきっと置いてくれるということはわかる。しかし村の人たちに嫌われている自分が連れてきた子、ということでまで肩身の狭い思いをしはしないか。
(この子は何も関係ないのよ)
はグランドラインに戻りたがっている。ルフィたちといれば、あるいはグランドラインに戻れたかもしれないのに自分なんかを追ってきた。アーロンたちに頼んでみるか?いや、そんなことはしたくない。アーロンたち魚人はグランドラインに戻ることなど容易いだろう。の戻りたがっている「水の都」にもきっと無事に届けてくれる。だが、アーロンが、あの男が何の利益にもならない頼みごとを聞いてくれるとは思えないし、なによりも、いくらのためとはいえあの男に借りは作れない。
「アーロンくんにいじめられたの?ナミ」
「…なぁに、起きてたの?」
思考に沈むナミの耳にの少しかすれた声がかかった。はっとして顔を上げればソファに体を横たえたまま、うっつら青い目をこちらに向けているあどけない顔と合う。起きていたというよりも今起きたのだろう。寝ぼけたような眼と声にナミは苦笑してソファに膝をつき、の前髪を撫でる。
「アンタはあたしが守るわ。大丈夫、何も心配しないで」
アーロンを見る限り、魚人はに手出しはしないだろう。けれど油断はできない。自分とてアーロンとビジネスを組み、協力者となっているにも関わらず時折アーロンの目の届かぬところで魚人たちに嫌がらせを受けてきた。アーロンは人間嫌い、いや、いっそ憎悪していると言ってもいいくらいだが話がわからぬ男ではない。しかし他の連中はそうではないことをナミはよく知っていた。なぜ魚人ほど力のある彼らが取るに足らぬ非力な人間をあそこまで憎悪するのか、それはナミにはわからない。しかし彼らは可能な限り人間を害することで一定の安定を、何かしらの不安を払しょくしようとしているように、時折ナミは思えるのだ。そういう彼らにはのように小さな少女など、かっこうの嗜虐の対象になる。そんな可能性を考え、ナミはを守ろうと決意を固めた。
ノジコのところへ連れていくべきだとも考えた。だが、少なくともここに、自分の部屋に置いておけばある程度は安全だ。ココヤシ村の住民と魚人たちに認識されたら、も月に一度、自分の命を買わねばならなくなる。目を伏せて決意すると、がふわりと笑った音がする。目を開けば、髪を撫でられ気持ちよさそうに目を細めているがいた。ふわり、ふわりと笑う様子が、何か見当違いのことを言われたような、そんな表情に見える。
「へんなの。ぼくは魔女だから誰にも守られなくていいんだよ」
「アーロンの言ったことを気にしてるの?あんたみたいな子が魔女だなんて、ただの言いがかりでしょう」
誰かに一方的にそうと決めつけられたに違いない。こんなに幼い子供、他人から強く「そう」だと言い続けられれば次第に、本当に「そう」なのだと思い込んでしまう。環境が人を育てる、とナミは以前ベルメールに教えられたことがあった。だからこそ曲がらぬ心を真っ直ぐに持つようにと、あの人は言っていた。
それを思い出し、ナミはの頬に手を添える。ふっくらとした少女特有のやわらかさは図らずともナミの心も穏やかにした。
「アタシも故郷の村じゃ魔女なんて呼ばれてるのよ。アーロンパークの魔女。村を裏切った冷酷な女ってね」
「それこそへんだよね。ナミは魔女じゃなくてお姫様なのにねぇ」
おや、とが上半身を起こし憤慨したような口調になる。頬を膨らませ、眉間を寄せる仕草は怒っているというよりも愛らしく思えてナミは笑った。
「そうよねぇ、アタシみたいな美少女はお姫さまよね」
「そうそう。ナミはきれいで強くて賢いお姫さまなんだよ!だから王子さまが助けてくれるよ!」
「王子さま?」
ナミが賛同すればが途端に機嫌を直して声を上げる。ひょいっとソファから跳ね起きて部屋の中をくるくると回った。まぁるくスカートが広がり、ナミはお姫様というのなら自分よりものほうがふさわしいのではないか、とそんなことを思う。苦笑しながら物を倒されてもかなわぬのでナミはの腕を引き、ソファに腰掛けた自分の膝の上に乗せる。
「王子さま、そうね、お金持ちの王子さまがいいわ。わがままいっぱい聞いてくれて、なんでもしてくれるそんな人がいいわね」
「髪の毛は金髪がいいよね。で、目はブルーが王道なんだけどぼくは緑でもいいと思うんだ」
の声が弾んだ。やはりまだ小さな少女だ。こういう話をとても楽しそうにする。自分にはこういう話を楽しめる時代があっただろうか?思い出しながら、ナミはの頭を撫でた。
「やっぱりアンタは子供ねぇ。男は顔じゃないのよ、財力よ!」
「すっごいいい顔で言いきるね!!」
「当然じゃない。ま、顔が良いことに問題はないけどね。やっぱりお金持ちが第一条件でしょう?」
「お金持っててもバカ鳥は嫌だなぁ、ぼく」
「は?鳥…?」
鳥がどうしたの、と聞けばは顔を上げて「なんでもないよー」とあっさり言う。ナミはお金持ちの鳥ってどんな鳥なのかそれは少し気になったが、浮かんでくるのはクジャクとかそういう派手な鳥だった。のような子供から見れば豪奢なクジャクはお金持ちに見えるのだろうか。そんななぞなぞじみたことを考えつつ、ナミはテーブルの上の皿をさす。
「お腹すいてたんでしょう?あれ食べていいわよ」
「ナミはいいの?」
「アタシは今お茶を、」
言いかけてナミはぴくり、と体を強張らせた。アーロンたちのいる正面プールの方が騒がしい。何か騒動があった、のではない。そういう喧騒ではないが、と言って宴というわけでもないだろう。をソファに座らせたまま、ナミは窓の外を窺い顔を顰める。
「、ちょっと一人でお留守番できる?」
「なぁに?」
「良い子で待ってて、いいわね?」
の返事も聞かず、ナミはそのまま部屋を飛び出した。
+++
バタン、と乱暴に閉まる音に顔を顰め、はナミがそうしたように自分も窓の外を眺めてみた。用意してくれたお茶菓子を片手に立ち食いというのはあまり礼儀がよいこととも思えぬが、時にはこういうのも悪くない。手間のかかっているだろう焼菓子はさくっと噛みごたえがある。味覚がないのが残念だ、と思うのはこういう時だ。サクサクと口に運びつつ、は「おや」と面白そうに眼を細めた。
ここからかすかに見えるのはアーロンパークの正面入り口にあるプールの様子。そこにはアーロンを含めた魚人の多くが集っている。それは別にどうでもいいのだけれど、それより今現在興味深く、またナミが出ていっただろう原因がの目にも明らかになった。
「ゾロくん。へぇ、ミホークにやられてすぐに意識を取り戻すなんてすごいねぇ。強いんだねぇ」
ひょいっと、は小さくなったクッキーの残りを口の中に放り込んだ。そうして腕を振って紅茶を取り出すともごもごとした口内を落ち着かせるために喉の中に流し込む。香りを楽しむ、ということは今はせず、それなら水でもよかろうに、とは思った。
アーロンパークの正面プールに緑の頭、芝生のような頭の包帯ぐるぐる巻きになった青年が縄でふん縛られてアーロンの面前にいる。
ウソップとジョニーの姿はないが一緒ではないのか?
「ふふ、ゾロくんはアーロンくん相手にいきなり半魚人とか言っちゃいそうだから面白そう」
ナミは血相を変えて出て云った。別にゾロを助ける気があるとかそういうことではないだろうが、彼女は優しすぎるところがある。自分の知った顔が自分の知る範囲でアーロンに殺されることが嫌なのだろう。昔何かあったのか、それはにはあまり興味がない。しかし、ナミが「魔女」などと呼ばれていること、それは少々気にかかる。
この世界には自分を含め複数人の魔女がいるがナミがその類ということはない。だが魔女とまで呼ばれる彼女が一体アーロンとどんなビジネスをするのか、それが気になる。いや、しかし他人がなにをどうしようと、それはあまり自分には関係ない。だがナミのことは特別だった。
「ナミはお姫さまだよ。それなのに魔女でいるなんてもったいないねぇ」
ひょいっとは腕を振ってデッキブラシを取り出す。ここから出る分にはこれで十分。だがまだもう少し、ここにいて様子を見るのもよかろう。ナミが自分を守ってくれると、その申し出は面白い。はアーロンが自分を傷つける可能性を見出してはいなかった。当人の言葉通り、こちらに手を出せばどうなるかわかっている。こんなグランドラインを遠く離れた場所であっても、もし自分に何かあればサカズキは感じ取るだろう。そうなれば自分も即刻連れ戻される。そういう展開はごめんだ。アーロンが紳士的かどうかはさておいて、双方に不利になるとわかっていること。アーロンももそれならばと一定の礼儀をわきまえたふりをしつつの、暗黙の「協定」のようなものを結ぶつもりだった。
ここでなにをしようと何があろうと、は何もしない。だからこちらに構うなと、そういう協定だ。それを崩すバカな男ではない。もしも何かあるとすれば、それは自分からだとはわかっている。それはナミになにかあるときか、ともぼんやり思うが、見る限りナミは、自分の決めたことをもうすぐ達成しようとしているような、そんな顔をしている。それならこちらが手出しすることでもないし、もしも無残になったとしても、それはナミ当人の問題。魔女があえて関わるとロクなことがないのはよくわかっている。
それならもう少しここにいても、いなくとも、それはそれで変わりないような気がした。
は窓の外からゾロと、そして到着したらしいナミの姿を眺める。声は当然のことながら聞こえない。む、とは眉を寄せ、窓を開けてデッキブラシにまたがった。隠れてこっそり見て、ナミがこちらに戻ってくる前に戻ればよかろうとそういう心。そうっとアーロンたちの方へ近づき、屋根の上からその様子を眺める。
「おれは最初っからてめぇがこういうロクでもねェ女だと見切ってた」
「そう。だったら話が早いわ。騙されてたと理解できたら宝も航海術もあきらめて消えてくれる?目ざわりだから」
ふん縛られているというのになぜゾロはこうも偉そうに見えるのだろうか。は屋根の上からこっそりと様子を窺い、ナミがアーロン一味だったと知っても眉ひとつ動かさぬゾロを見て首を傾げる。何というか、傲慢というか尊大というか。頭の中でサカズキとてふん縛られていても偉そうにしているだろうとそんなことを考える。それを思えばゾロは無謀というより大物なのか?いや、サカズキが縛られる姿など20年一緒にいてみたことはないが。
その傲慢さに負けぬ尊大なナミの態度。は感心して、なるほど魔女っぽい、と思いつつ、次の瞬間ゾロが真後ろ、つまりはプールに向かって飛び込んだのを見て目を見開く。
「何だァ!!!?」
「なんでアイツ急に飛び込んだんだ!!?」
逃げた、というわけでもなかろう。は乱れる水面をじぃっと眺め、目を細める。両手を塞がれた人間が海中で何ができるのか。ぶくぶくと泡がか細くなっていく。このまま放置すれば死ぬだろうというのは誰の目にも明らかだった。
「放っておけ」
自殺か、と興醒めしたアーロンの声に一同も納得する。このままゾロが溺死という展開はミホーク的にはどうなのだろうかと、そんなことをは考え、屋根の上でごろん、と横たわる。海水が傷によくないだろう。激痛で死ねるかおぼれ死ぬかどちらがマシか。
(ゾロくんって性格悪い)
この自分に言われるなんぞ嫌だろうが、は心底思った。
沈黙しじっと海面を見ていたナミが歯を食いしばり、海に飛び込む。少し時間が経ったが、海流がないプールの中ならそう迷わずにゾロを発見できるだろう。周囲がどよめく声がには面白い。なぜナミまでプールに飛び込まねばならぬのかと、どういう意味があるのかと、魚人らが考えているのがよくわかる。そんななかアーロンだけはじぃっと、そのナミが脱いだサンダルを見詰めていた。
アーロンがナミをどう思っているのか、それが少しには気になる。いや、男女のうんぬんなどといったことはまずあるまいが、しかし、アーロンほど人間を嫌悪している男が、いくらグランドラインの人間ではないとはいえ、非力な女とはいえ、それでも人間を傍に置いている、ということがには少々、興味があった。
「あ、出てきたァ」
アーロンの顔が動いたのでも再びプールに目を向ける。するとゾロを抱えたナミが上がってきた。双方呼吸を乱れさせぐっだりとプールサイドに座りこむ。
「何のつもりよ…」
海水を呑んだのか咽るゾロを見下ろしてナミが小さく問いかける。ナミの目から見ても今のゾロの行動は自殺以外の何物でもなかろう。しかしゾロはそんな波を見下すように、見上げて(本当にこの男はどんな状況でも偉そうだ!)目を細めた。
「てめェこそなんのつもりだ」
助けてもらってこの態度はなんだろう。海水をしたたかに飲んで咽せ、相変わらず手を縛られどうしようもない状況になっているゾロ。というのにこの強気な姿。は頬杖をつき、ころころの喉を震わせる。
「人一人も見殺しにできねェような小物が、粋がってんじゃねェぞ」
見殺しにすればよかったのに!
は自分だったらそうする、とうなづきナミの顔が真っ青になったのを気の毒そうに眺めた。小物とかそういう問題でもなかろうに、これだから男の子は嫌なのだと眉を寄せる。
「ナミは優しいだけなのにー。小物はここで意地になって見捨てるようなヤツを言うのにー」
ふん、とは頬を膨らませた。怒りはナミも同じか、あるいはそれ以上か、咽ながら今も軽口を叩くゾロの背を踏み首を掴む。
「これ以上アタシに関わると死ぬわよ」
その言葉が本心のようにには聞こえた。おや、と首をひねる。ナミは自分が殺す、のではなく己のその環境が、と承知のことのような言い回しだ。当人に自覚があるのかないのか。ふぅん、とは目を細めて身を起こした。
これは、ナミはアーロンを恐れている。いや、自分がアーロンと対等、ではないと理解しているのではないか?
見た限りは強気なナミ。その言動やら持つ能力でうまくやりあっているように見えた。だがしかし、ナミは自分がアーロンと何かしらの「約束」があるにせよ、その圧倒的な力が、単純な暴力がいつ己を食い破るか知れぬと、それをわかっているように思えた。
「ふぅ、ん」
屋根の上でうつ伏せになりながら、は足をばたつかせてリズムを取る。
傲慢さは必死の鎧。強気な態度の置くには臆病者の姿。いつだって泣き出しそうなのを必死に必死に耐えている。そういう生き物を、自分はよく知っている。
(ふぅん)
ナミがゾロの腹を殴った。ミホークに切られた箇所だ。それだけで酷いダメージになる。一度低く呻き、もう声も出ぬのか体を震わせてゾロが沈んだ。その体をナミは足蹴にして踏み越え、スタスタと建物の中へ進む。おや、部屋に戻るのか、とはあわてた。それなら自分も戻らねばならぬ。アーロンがその背に声をかけゾロの処遇を問うたが、ナミは己で始末すると言って聞かぬ。それを大人しくアーロンが聞き入れたのを聞き、はデッキブラシにまたがった。
「アーロンさん!!!」
さて飛ぶか、というところ、慌てた様子の魚人が駆け込んでくる。おや、とは飛び上がりかけたまま振り返った。
「どうした、同胞よ」
「もう一人の鼻の長ぇヤツを取り逃がしちまいまして…!!!」
ウソップくんか、とは頷く。やはりゾロと一緒だったらしい。もう一人、といわれているところから仲間であるのはバレているようだ。ゾロの顔が歪む。心配しているのか痛みなのかには判断がつかない。それよりもナミが憎々しげな顔をしている方がわかりやすい。余計なことを、という顔だ。自分を追いかけて、連れ戻そうとしている人間に向ける顔ではない。
なぜナミはゾロたちの迎えを煩うのだろう。お金を稼ぎたいのなら海賊をする、というのは一つの手っ取り早い手段だ。もうすでにナミはアーロン一味の海賊なのだから、今更海賊になることに抵抗があるのか?
(でもそもそもナミは海賊嫌いって言ってたような)
はて、とそこでは話の矛盾に首をひねる。ナミが好きなのはお金とみかん。嫌いなものは海賊。あれが嘘だというのなら、好きなもの二つも嘘になろう。だが前者は事実。なら後者も事実というほうが道理に思う。だがナミは海賊、それもシャンクスや白ひげなどとは違う種類の海賊アーロン一味だ。
アーロンたちはココヤシ村というところへ向かうらしい。その言葉を聞きながらはデッキブラシにまたがってナミの部屋へと戻ることにした。
+++
「ねぇナミ、アーロンくんはここで何してるの?」
戻ってきたナミには問うてみた。いや、アーロンがこの島でアーロン帝国(仮)を作っているのは分かっている。だが一度しっかりと把握しておいた方が面倒臭いことがない気がした。
「アンタは気にしなくていいのよ」
「そこをなんとか」
「聞いてどうするの」
ゾロのことがあったからか、いささかナミの口調が剣呑だ。しかしこちらに対して優しさを忘れぬようにと葛藤しているのがわかる。ナミは短気なところがあるし今までもルフィやゾロに当たり散らしたことがないわけではなかったけれど、自分に対しては理性的であろうとしているようだ。そういうのがわかっているのに強く聞く、自分もやはり性格が悪いとはしみじみ思いながら、首を傾げる。
「だってアーロンくん偉そうだしぃ。この島で何してるのかなぁって」
「…簡単に言えば支配よ」
「支配?」
「そう。アーロンはこの島にある20あまりの農村を支配して月に一度奉貢…お金を納めさせているの」
んなことしてるのかあのオッサン。
いや、ある意味正しい政治ではあるとは思い直すことにした。この島の領主がアーロンとして決まった年貢を納めさせる。どこの島でもやっていることだ。あの男のことだから人間を奴隷扱いしているのかと思いきや、以外に人道的ではないかとは見直したくなる。
「ふぅん?」
「毎月毎月、大人も子供も関係ない。村のみんなはお金で自分たちの命を買ってるの。一人でも払えないやつが出たら、見せしめに村が潰されるわ」
「皆殺し?」
「逆らえばね。殺されるのは払えなかった人間。あとの人間は他の村に逃れて、同じようにお金を払い続ける」
確かアーロンのような魚人を「種族主義」と称する言い方があったような。思い出しながらはあの男にしては随分と生ぬるいことをしていると思った。
グランドライン、魚人島で起きたことをアーロンは体験している魚人だろう。アーロンが人間を憎んでいるのか、はっきりとしたことはにはわからない。けれどもあそこまで虐げられた魚人がある種の開き直りをするのは歴史の中で多くあった。「自分たちは人とは違うから」と、虐げられた理由を優勢化して己らの誇りを守る。自分たちが下等だからではなく優れているから恐れられて迫害された、というほうが心にはいい。それが事実かどうかというのはさておいて、そういう、泥水を啜らされたようなアーロンが、この島の人間に対して随分と寛大な処置をしているようにには、魔女の目には映った。
どこぞの貴族のように人間に車を引かせるわけでもなし、暇つぶしに鞭打つわけでもない。気分が悪いからと袋に詰めて海に蹴り飛ばしてみたりもしない。
いや、違う。それはアーロンの優しさなどではないし、この処置が生ぬるいという基準で判じられるものでもないと、はナミの表情を見て思い直した。
「あいつらは、人間を殺すことをなんとも思っちゃいないのよ」
いつだったか、ある人魚が言っていた。人間というのは魚や魚人、人魚を殺すのにまるでためらいがないと。も魚は食べる。活造りを見たこともあるし、自分でそうしたこともある。あれを人間に置き換えたら「芸術品・創作料理」というよりは「残虐シーン」となろう。
それと同じことをアーロンがしている、というのは何も非道であるとは思えぬだけで、ナミたち人間のがわから見れば、この支配はどう考えても非道ということ。それをどうこう判じて「どちらがどちら」などと魔女が思うのは傲慢だ。
そして、アーロンのこの支配はアーロンにとっては己のプライドをかけていること、とは思い当たった。残酷なふるまいをしようと思えば、アーロンは海賊だ。どこまでもできるだろう。だがしない。すればアーロンは、魚人を奴隷とする連中と同類になる。自分以外の生き物を粗末に扱う下等な振る舞いをした瞬間、アーロンは自身の「優勢論」につばを吐くこととなる。
ただの傲慢さで人間を扱うのではなくて、理性のある支配者になること、それがアーロンにとっての矜持なのだろう。
ふぅん、とは面倒臭そうに頭をかいて、ナミを見上げる。
「じゃあナミは悪い魚人に囚われたお姫さま?」
「そういう御伽噺なら素敵ね。でもアタシはそうじゃなくて、皆を裏切って悪い魚人の仲間になった魔女なのよ」
「裏切ったってナミが?」
「そう。アタシはアーロンに毎月お金を払わないで生きていける。この島の村で育ったのに、アタシだけが特別なの」
にこっとナミが笑う。は顔をしかめた。ナミが笑うとベルメールを思い出すのに今の笑顔はどう見ても、よろしくない部類のものだ。そういう顔を見たくない。むっと眉間に皺を寄せ、はナミの濡れた服を掴んだ。
「じゃあなんで泣きそうなの?」
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