白雪姫の呪いが、確実に己の臓腑に浸み渡っているのをパンドラ・は静かに感じていた。己がつかされた「眠り姫」のその糸錘の鋭さとはまた違う。緩やかに毒を食み千年の孤独をもたらすような、真綿でゆっくりと首を絞めるような、そのような残酷さはまるでなく、ただ、瑞々しい果実を口にしてさわやかな、木陰でうたたねをしているような、そんな、鮮やかさ。涼しげ、どちらがどちらという女の意識の争いを離れた、涼しげな場所で静かに瞼を閉じて寝息を立てている時のような、そんな、穏やかさが己の心を満たしていく。

あの子を失った悲しみを忘れてはいない。あの男、マグマの男への憎悪を失ったわけではない。それなのに、パンドラは己の意識下の「狂気」が容赦なく、いっそ暴力的ともいえるほど理不尽に、浄化されていくのを感じていた。

思えば、白雪姫の眠りにてこの己がそう長いこと眠りにつくわけはないとリリスは分かっていたはずだ。それであるのに、いくらあの夜の女王を喜ばせぬためとはいえその命をかけて己に「白雪姫の呪い」をかけ一時の眠りをもたらした、その狙いは何だったのか。

答えは、一つしかないではないか。

鷹のように鋭い目をした男を真っ直ぐに睨み返し、パンドラはその掴まれた手首を引いた。

「わたくしの正気の所在など、どうでもいいのです」
「そうか。が“純粋さ”を原点としたように、あのトカゲが“尊大さ”を原点としたように、貴様にも何か元となるものがあってこその、その自信と思ったが。そうか、俺の思い違いか。狂気を失えば貴様はただの女となる。暴かれぬようにとのその道化の仮面、剥いで貴様の厚化粧の下を覗こうなどとは思わんが、そうか、俺の思い違いか」

言いたいことがあるのならはっきりと言えばいい。この、分かりにくい言い回しばかりをする男には苛立った。柳眉を釣り上げて目を細める。しかし、これ以上言葉を続けさせるのは、己にとって良い状況ではない。それを理解してのこの男の言い分であれば、は不本意ながらも感謝せねばならぬだろう。じっとその赤い眼で金の目を見つめ、男の真意を探るが、しかし、鋭い目は表面的な言葉以上の理解を求めはしない。目は口よりも物を言うというのに、この男の寡黙なこと。

戦場に、は再び意識を向けた。赤い髪の燃えるような男、その言葉が正確に戦場に響き渡る。終戦を、とその要求。

己の猊下の選択はどのようなものか、考えるまでもない。観た限り、あの赤い髪の男の戦力と、黒ひげ海賊団の戦力、差がはっきりとしている。たとえ己がいるとて、根底では黒ひげティーチ、己の力などまるであてにしていないのが本当のところだ。

「……参りますよ、ラフィット。これ以上、わたくしは猊下のお傍を離れるわけにはまいりません」
「おや?よろしいのですか。大変興味深いお話でしたけどね」

くるり、とパンドラは踵を返す。そして黒ひげティーチから己への当面の「護衛」と付けられた、やけに顔色の悪い男を一瞥する。護衛と言いながら、さてそれならあのヴァン・オーガが適任であろうにこの男を選ばれた理由、それがわからぬではない。いや、ティーチの差し金ではない。己を「監視」するようにと、的確な指示を出したのは、あの地獄の看守長に他ならぬ。

インペルダウンで、あの看守長が黒ひげ海賊団に入るまでは誰もがティーチの傍らに侍るのを咎めはしなかったし、疑問視もしなかった。だが、あの看守長、魔女の瞳に隠れた狂気と正気の境を見極めようと始終目を光らせてきた。この場所に来るまでに直接「魔女がひとりの男に従うわけがねぇ」とさえ言ってきたのだ。

パンドラはうろんな目をラフィットに向け、首を傾げる。

「わたくしは「参りましょう」と言ったのですよ。二度、同じことを言わせないで」

敵が多いのは、慣れている。




 

 


あなたはいつも

 

 

 

 





「この場は全員、おれの顔を立ててもらおう」

はっきりと、そう告げ己の全ての力を正確に把握した男の言葉。その一言、一言の言葉の重みをトカゲは感じた。この場にはまだ三大将が健在、元帥もおり、本部の主だった戦力が損なわれているというわけではない。しかし、それでもこれ以上この「戦争」を続けることがどういうことになるか、誰もかれもが招致いているのだろう。

低い声とともに、戦場に完ぺきな静寂が訪れた。トカゲは赤犬に視線を向ける。この場で唯一「納得していない」ものがいるとすれば、それは赤犬に他ならぬ。マグマの拳を振り上げ続けることしかできぬ苛烈な海兵。その傍らに薔薇のような魔女でもあれば、あるいは考慮したやもしれぬのに、今はその姿はない。

この戦争が終わることに対し、ぐっと拳を握り悔しそうにしている、その顔がトカゲには憐れに思えた。

振り上げた拳の納めどころを誰もわからずにいて、そこにこの赤髪の登場。センゴクやおつるは内心では「助かった」と、ほんのわずかでも思っているのではないかとそんな意地の悪いことをトカゲは考えた。正義ゆえに、彼らはその振り上げる槌を下すことが難しい。だからこそ、ここで第三者の「力での訴え」が必要だった。赤髪はその適任者。これは、戦争としてはこの上ない、終わり方だ。

それであるのに、あの赤犬の、大将どのの悔しそうなこと。

(赤髪の登場が今少し早ければ、エースや、は死なずに済んだんじゃないのか)

と、トカゲはそのように考え、首を振る。もう済んだことだ。

「白ひげ、エース。二人の弔いはおれたちに任せて貰う。戦いの映像は世に発信されていたんだ…!これ以上、そいつらの死を晒すようなマネはさせない」

戦場は暫くの沈黙、誰もかれもがそれぞれの思考に沈みつつある中に、再度赤髪の朗々とした声が響いた。
赤髪の要求、その旨ははて、海軍としては承諾しかねることではないかとトカゲは思うたが、案外あっさりとセンゴクは認めた。

「構わん」

二人の首を晒してこそ、海軍本部はその「正義」を明らかにできるのだというのが、おそらくは「海兵」の考え。しかし、周囲の海兵たちが怒声を上げる中、センゴクは静かに承諾した。

「お前ならいい。赤髪、責任は私が取る」
「すまん」

この状況でその判断。明らかに「正しく」はなかろうと、それはトカゲにもわかった。自然系の能力者エースの死体。Dの系譜。それにエドワード・ニューゲートのその死体など、黒ひげにより能力を奪われている。さて、その仕掛けはどうなのかと、研究者たちからすればよだれをたらさんばかりの遊び道具だろうに、それでどれほど、研究が進むか知れぬというに、センゴクはここで「独断」という形を取り、赤髪に許した。

くるり、とセンゴクが体を反転させ、周囲の海兵たちに向かい、そして海兵だけではなくこの島にいる全ての人間に「宣言」するため声を張り上げる。

「負傷者の手当てを急げ…!!!戦争は、終わりだ!!!!!!」

かくして、大海賊時代開幕以来最大の戦い“マリンフォード頂上戦争”はここに幕を閉じ、歴史に深く刻まれた。

 

(さて、で、おれは誰にひっついて行こうか)

 

 





Fin