エニエス・ロビーの司法の塔。なるべく静かに、穏便にいろんなことを済ませてしまおうと思ったのがいけなかったんだと、は息を吐いた。体中が痛んで仕方ない、つながれた長い透明な管からは濃い赤がこちらにやってくるのがよく見える、点滴。さまざまな器具は、何百年だって生きていられる自分の体にも有効だったのかと、はさめざめと感心したくなった。

(酷い、酷い、血、の臭い)






明くる朝、とうに泣き止んでいるのさ





ルッチの身体が容赦なく壁に叩きつけられた。受身は確かにとったはずなのに、そういった抵抗すら無意味なほどの、威力。喉から反射的に、胃の空気が漏れて、鉄臭い。むせる事もできぬまま、第二の、容赦のない足がルッチの顎を蹴り上げ、その足は再び地に下ろされることなくルッチの肩を壁に押さえつけるために宛がわれた。

随分と長身のその男。海軍本部大将赤犬。いかめしい顔をさらに険しくさせる。深く被った帽子の間から見える眼は煉獄のように揺らめいていた。

「誰が怪我ァさせろっちゅうた」

覇気、ではなく純粋な殺意を向けられ、ルッチはただ「申し訳ありません」と、掠れた声で答える。口に出した瞬間、サカズキは押さえつけていた足をぐいっとまげて、ルッチの首を掴んだ。

「クザンや貴様らの長官がどう言ったのかは知らんがのう、あれにゃァ一切の傷を付けるな。その身体にも、心にも、なに一つの悲しみを与えることは許さん」
「って、おいおい、かなりの無理言ってるって自覚してる?サカズキ」

入り口の壁際に背を預けて傍観していた青雉クザンが、溜息を吐いてサカズキを留めた。多少冗談めかして言わなければこの緊迫した空気をやわらげられないと、そういう、必死の道化。しかし、サカズキは同僚を冷たく一瞥しただけで、ルッチへの殺意を収めようとはしなかった。

「避けようのない不測の事態だったんだよ、きっと」
「そんな程度で許されてたまるか」

本気で、CP9の一員を殺してしまうかもしれない、そうクザンは案じて、けれど別に構わないのだろうとも、思った。

ロブ・ルッチは確かに政府にとって強力な戦力ではあるが、それでも、いなければ困る、わけではない。強さは劣るが、それでも強いメンバーの変えなど実際、どうにでもなる。ならなければ、一人の兵士に重点を置いてしまうようでは組織としては機能できないと、そういうことをよくよく承知しているからこそ、クザンは冷静に今の今までルッチを蹴り飛ばすサカズキを眺めていた。

気持ちは、わからなくもない。

本人の表現方法、うんぬんはどうであれ、サカズキはを愛しているのだ。けれどどういうわけかもサカズキもお互いがそれを悟れるようにはなくて、ぎこちなく、微妙な関係だけが続いている。

それでもサカズキは、この世界のありとあらゆる敵意からを守りたいと、本気でそう、思っているのだ。クザンからみれば、ならお前がへの態度をまず第一に改めろとそう、助言をしたくなる想いだが、それでも、サカズキはを愛している。

そのが、いずれは一人で海へ出なければならなくなる。

確かに彼女には、「魔法」という不確かではあるがとても強力で、絶対的な能力がある。けれども、それでも危険はあるものだからと、をCPナンバーの受ける訓練場へ暫く預けて身体能力の向上を計った。確かに、当然の判断だとクザンはサカズキも同意していたのを覚えている。

、己一人の身は手品程度の魔法で守れる。しかし、の身体能力は普通の子供と同じ程度だ。まず、海兵程度には、という意味だろう。

訓練、は気をつけていれさえすれば怪我など酷くても骨折程度だ。赤犬の名を出してCP9の長官に挨拶でもさせておけば、の身は権力と背後の赤犬の力で守られ、それで、は体術を会得し、危険が少なく海へ出ることができると、そういう、考えがあったのだろう。

「申し訳ありません、大将赤犬、全て私の責任です」
「なぜ裁判中に暴れた海賊をすぐさま殺さなかった。なぜが近付いてきている事を察知せんかった。なぜ通りがかっておきながら、貴様があれの盾にならなかった。答えてもらおうか、ロブ・ルッチ。わしがほしいのは謝罪ではない、明確な回答じゃァ」

やるならば徹底的に、のこの男。ロブ・ルッチといえども、サカズキには抵抗できない。大将の肩書きはもとより、純粋な実力でさえも、サカズキは圧倒できる。クザンは凍りついたようにその場を動けずにいるほかのCP9メンバーを見た。ルッチを死なせたくはないのだろうが、サカズキの実力にヘタに動けずにいる。なまじ、実力があるだけに、彼らは皆、強者への服従心がある。

やれやれ、と、もう一度溜息を吐いて、クザンはサカズキの肩を掴んだ。凍らせるほどではないが、それなりに温度を下げて触れて、少しでも頭を冷やしてくれと暗に含ませると、サカズキはやっと、ルッチから手、足を離した。

「子守一つ満足にできんとは、役に立たんのぅ」
「そう言わないの。サカズキだって知ってるでしょーが。ロブ・ルッチたちは暫くしたらウォーターセブンへの潜入任務があって、の前に姿を見せられないんだからさ」

言って、自分でも虚しい説得だとクザンは苦笑した。守る方法ならそれこそ腐るほどあって、ただ姿を見せられないという、それだけに固執するようではとうてい諜報部員など勤まるわけもない。

クザンは酷い怪我をしているが、それでも表情は平然としてきっちり居住まいを正しているルッチを振り返った。

「まぁ、できなかったんなら、もうしょうがないじゃない」
「申し訳ありません」

それしか言えない人形のように淡々とルッチは繰り返す、サカズキはクザンを見上げて黙った。

「何?」
「わしよりも、貴様の方が酷いことを言う」

理不尽な暴力やら、感情やらをぶつけられているよりは、ルッチは自尊心を傷つけられる方がこたえる。仮にも大将、の肩書きを持つクザンに「求められた能力がなかっただけだ」と、キッパリ切り捨てられたことほど、CP9最強を自負していたルッチにこたえることはないのだ。

少しは気分が晴れたのか、サカズキはルッチにもクザンにも目をくれることなく部屋を出て行く。
当然それを追いかけて、クザンは退室間際、ルッチに言葉を投げた。

「わかってると思うけどさ。ウォーターセブン潜入時でも、に傷一つつけたらおっかないことになるよ」

もちろん、心得ております、とルッチが神妙に頷いたのを確認する事もなく、クザンはサカズキが向かったであろう、の病室に自分も足を向けた。










てっきり意識不明で眠り込んでいると思っていたけが人は、意外なほどケロっとした顔で、クザンとサカズキを迎えた。怪我は大したことがなかったのか、とクザンは安心したくなるが、そんなわけがないとすぐに思い当たる。報告を受けた限りでは、は暴れだした海賊に素手で立ち向かい、肩、腕、左足、腹など器用にいろんな場所を刺されたり、斬られたりしたそうだ。魔法を使わなかったのは、の扱う攻撃魔法は広範囲のものが多く、海兵や政府の役人たちを巻き添えにしてしまう危険があったのだと、ぼんやりとした意識の中で、赤犬たちにこの事件が報告されると聞いたが弁明した言葉だ。

「大丈夫?
「おや、クザンくん。お土産はメロンだって聞いたけど」
「急いでたからね。手配はしたけど、届くのは夕方だよ」

先ほどCP9たちの前であれほど執着心をあらわにしていたはずのサカズキは、じっと黙ってクザンとの会話を聞いている。はクザンとあれこれ短い会話をして、その声は、目は、口はちゃんと笑うのに、全身の神経がサカズキを気にしているのがクザンにはわかった。

「サカズキも、心配してたんだよ」
「クザン、」
「ほら、ちゃんと顔見てやれよ」

クザンは自分を睨んでくるサカズキの腕を引いて、の傍につれてきた。

「……」
「……」

二人とも、とたん表情を消して無言になる。

サカズキはを見下ろして、眉を顰めた。それほどに、酷い怪我なのだ。は、確かに魔法という強力な戦力を持っている。その頭脳もけして悪くはない。しかし、基本的な身体能力は見かけそのものの少女という、ひ弱さだ。殴れば頬は腫れる、刺せば血も出る。

「サカズキ」

ぼんやりと、が包帯の巻きついた手をサカズキに向けた。その手は弱々しい仕草でサカズキの顔に触れ、は目を細める。

「血のにおいが、しているよ。ひどいことなんて、していないだろうね?」

目を細めて、は痛々しい笑顔を浮かべた。サカズキは「下らんことを訊くな」と一蹴して、それをはどう受け取ったのか「そう」と黙る。クザンは、サカズキがルッチにしたことを知られればどれほどが悲しむのか、この男は考えたことがあるのかと、ぼんやり思う。全ての悲しみからを遮りたいのなら、サカズキがと隠居でもして常に傍らにいればいいのだ、そう、思えば何だか怒りもこみ上げてくる。

はゆっくりと息を吐いて、サカズキから手を離した。そのままぼんやりとうつろな眼でサカズキを見つめたまま、掠れた声で続ける。

「ぼくは、正義ではないんだよ。だから、ぼくを守る必要はないんだ。誰にもね」

はまだ一度もロブ・ルッチに会ったことはないはずだし、自分が海賊と戦っているときに、偶然ルッチが通りかかったことなど知らない。だからその言葉は、きっとサカズキはあの場にいた海兵全員に殺意を抱いているのだろうと、そういう判断で言った言葉だ。クザンは、確かにルッチさえ通りかかっていなければその怒りはその他大勢の海兵に向けられたのだと感心し、なら、ルッチは偶然、人柱にでもされたのだということかと、思い当たってきた。

「それでも、お前は誰からも傷つけられるべきではない」
「パンドラは世界の敵、政府が正義である証、ぼくを傷つけていいのは、ぼくに印をつけた君だけ。そうだね、そうだったね、ごめん」

珍しく、必死にサカズキが僅かな本心を漏らしたのに、は気付かずに笑って流した。其の上に、中々に辛辣な言葉を続けて、サカズキから距離を置こうとする。

そういうことばかりしているから、二人はこうなのだと、目の当たりにしながらクザンは、いい加減二人がくっついてくれれば世界は平和になるんじゃないの?と、そういう、まともな突っ込みをしようか暫く考え込んだ。




Fin


さんのイメージは、追放されたカインです。うろ覚えですが、確か、アベルを殺したカインは追放されて、けれど「ここを出れば、罪人となった私を多くの生き物が殺そうとするでしょう」と怖がるカインに神様が「ならば印を与えよう。この印のあるお前を傷つけたものは私が罰しよう」とか、そういうお話でしたよね?あれ、違ったっけか。

(2010 04 12 訂正/再録)