アラバスタ王国は興味深い国であると、港に着くなり上機嫌にロジャーがいうものでは灼熱の土地であることもすっかり忘れ「へぇ、そういうものかい」と、過去何百回も訪れたことがあるくせに初心者のような顔で周囲を見渡した。
ひとというものは水のある場所に集落を作る。泉であったり川であったり海であったり。そうしてそれが町や都市になって、国になる。それは別にどうでもいいのだけれど、の目には雨季に乏しいこんな場所に好んで住む連中はマゾなのかとそう見えていた。
「けれど、ロジャー、ぼくの船長殿が面白いというのなら、中々どうして面白そうに見えてくるね」
「おれの魔女はこんな面白い場所を放って置いて世界を知り尽くしただなんだと抜かしやがるのか」
揶揄るに同じような口調でロジャーが返した。笑うと幼くみえる男である。軽口を返されこれがどこぞの海賊であればは無礼者と思う。しかしロジャーにはそうは感じず、むしろ親愛を感じてにこりとした。が笑うとロジャーはそのままくしゃり、と頭を撫でる。は相手の手の重さを感じ、そしてそれが少し、ほんの少し、自分の記憶にある重さよりも軽くなっていることに恐怖心を掻き立てる。その恐怖心がの全身に毒のように回る前に、ロジャーがついっと自然な仕草で手を離した。そうしてロジャーはトントンとステップを降りてきた副船長を振り返り、くいっと手を動かす仕草をして豪快に笑いかける。
「相棒、どうだ、久しぶりに今夜はアラバスタの酒でも飲もうじゃねぇか」
「それはいいがな、ロジャー。一応俺たちはお尋ね者なんだ。目立つような振る舞いはなるべく自重してくれ」
「あぁ、わかってる」
気安く請合うロジャーであるが、わかってないだろう。絶対騒ぎを起こすね。とレイリーとは顔を見合わせてため息を吐いた。そういう副船長と魔女の反応をそ知らぬ顔で、あれこれ独り言のように「あの店はまだやってるか」「そういやあの店の店主にゃ世話になった」「あの角のジジィはくたばってねぇか」などとつぶやいていたロジャーであるが、ふと荷を下ろす海賊見習いたちに目を留めて、とレイリーを振り返る。
「そうだ、シャンクスやバギーの奴はアラバスタが始めてだろう。ここの酒はきついからな、どうせあいつらぐでんぐでんに酔うぞ、おい、、お前ついていてやれよ?」
アルコールが体温を上げるための生活必需品である北国ほどではないが、暑い地方の酒も度数はかなり高い。長い海上生活で体が出来上がってきている二人であれどアルコールは内部からくるもので、普段ラム酒を浴びるように飲める二人であっても中々堪えるだろうと、そういう配慮。
「なんでぼくが」
態々ご指名されては顔を顰めるけれど船長殿に「やれ」といわれれば拒否権はない。ぶつくさと悪態を吐きながらひょいっと腕を振ってデッキブラシを取り出すとそのまま腰掛けて海賊見習い二人のもとへ飛んでいった。
「長い付き合いだ。ロジャー、あぁやってを遠ざけたところで意味はないぞ」
離れていく魔女の後姿を眺め、しかし最後まで見送ることもせず踵を返した船長の、その背にレイリーは親友としての忠告を投げる。
ごほりと咳をし、一瞬口元を押さえ何かを脱ぐう海賊船の船長はそれには答えなかった。
アラバスタ王国の王様と海賊見習い二人と魔女が色々やらかす話
この海賊時代にあってもアラバスタ王国は比較的平和であると言えた。それは灼熱の大地、水がなければどれだけ財があろうが力があろうが生きていけぬ非常な地、国民の精神力を常に鍛えている地であり、また外はグランドラインの魔海、砂漠で守られており、海賊・盗賊連中が好き勝手するには聊か難易度が高い立地であることも起因している。
水のある街・村で無礼を働けば必ずしっぺ返しを食らう。そういうわけでこの国を訪れる海賊連中もどちらかといえば礼儀正しく滞在するので「外部から」の被害は少ない。しかし「治安が安全」かといえばそういうわけでもなく、夕暮れ時を過ぎた時間、路地裏で柄の悪い連中に(そういうやからはどこにでもいるもので)お忍び中のアラバスタ王国の若き国王、ネフェルタリ・コブラはしっかりきっぱりと絡まれていた。
「よぉにぃちゃん、人にものを尋ねといて礼もなしなんて、そんな酷ぇことはよくねぇよなァ」
「何を言う、私が尋ねたことをお前たちは知らぬのだろう。見合った答えも返せず礼だけ要求するとはそれこそ不当ではないか」
一目でわかるならず者。吐く息もくさく、髪も日に焼けっぱなしで縮れ放題。衣服はいつ洗ったのか、元の柄もわからぬほど汚れ悪臭を放っているという風体の大男が二人コブラを壁に追い込んでいた。アラバスタ王国の国民であるならず者二人だが国王の顔は知らぬ、というわけではなく、一週間前にとある事情で城を抜け出したコブラ、人に正体を悟られぬよう髭を切り落とし髪型も変えている。普段の衣より粗末なものを纏えば人の目にはそう簡単に王族であるとは悟られぬものだ。
しかしどんなに粗末なナリをしていても後の世に「賢王」の一人と上げられるコブラ、しっかりと意思の強い目で自分の身の丈の倍はある男二人に向かうさまはどうしたって一般人とは程遠く、王族の格というものを備えていた。
「お前たちはいつもこうしたことをしているのか。まっとうに働けば労働に見合った報酬は支払われるもの。しかしそうではないことで不釣合いな報酬を一度でも手にすれば何度でも繰り返すだろう。私は自分の財布が惜しいのではない。お前たちにこういうことが許されるという前例を作りたくないのだ」
「煩ぇ、道理も条理も知るもんか。こっちは出すもん出せって言ってんだ。ゴチャゴチャ言ってねぇで金を出しゃァいいんだ。それで何もかも解決するんだからよぉ」
真っ直ぐに道理を吐くコブラに右側の、スキンヘッドの男がしびれを切らし苛立たしげに吐き捨てそのままコブラの胸倉を掴んだ。無論その程度で怯むコブラではない。相手を見つめ返し殴られようとも心を変えるつもりはないと無言で訴えると、男はそのまま力いっぱいにコブラを殴った。王宮で兵士たちと訓練をすることはあっても真正面から顔面を殴られたことは過去一度もない。がぎっ、とかみ合わせ損ねた歯が折れ、ぐわぁんと頭が揺れる。
「…ぐっ」
そのまま地面に放り投げられ、スキンヘッドの男がコブラの腹を蹴り飛ばす。
「お高く止まってんじゃねぇ。命は惜しいだろ。オラ、考えてみろよにぃちゃん。食えもしねぇ理想やら何やらなんか吠えて今この場でこの俺をどうにかできんのか?」
「理想ではない。これは道理だ。今この場で私が財布を渡せば、お前たちは「成功した」という事実を持って別の人間にもまた同じことを強要するだろう。自分の命を惜しんで他の人間を害する可能性を作るなど、私は絶対にしない」
ガッガッ、と石を蹴るような気安さで男はコブラを蹴り続ける。早い話、ここでコブラの体を押さえつけて懐を探ればよい。しかし男はそうしなかった。それには男にもプライドというものがあり、追いはぎの美学があった。彼らは相手を痛めつけても「盗む」ということはしない。彼らにとって人の懐をあさる、というのは卑しい行為であり、被害者が自主的に「力に屈しおのれらに金品を献上する」というその過程が重要であるのだ。つまりならず者たちにとって「自分たちが強い」から人々は畏怖し、その結果に金を手に入れられる、ということは自身を認めさせるという意味でもあった。スラムに打ち捨てられて周囲からゴミだクズだといわれて育った彼らにとって自己顕示といえばそういう手段しかなかったのである。
そしてコブラも、彼らのその哀れな自己主張を見抜いている。こういう連中に同情する心も確かにあった。だが、だからこそ、彼は「認める」ことができなかった。その双方の意地がぶつかり合い、コブラは蹴られ続け、男は財布を手に入れられずにいる。
「おい!その辺にしておけよ!!そいつ、もう死んじまうぞ!」
そうして蹴り続けられて数分、いよいよ意識が遠のいてきたコブラの耳に声変わりを終えたか終えないか、という頃合の青年の声がかかった。
「あ?なんだ、てめぇ、見かけねぇ面だが…」
スキンヘッドの男は動きを止め、声のするほうを振り返る。満月を背負って路地に飛び込んできたのは月明かりに燃える赤髪と日に焼けた麦藁帽子、汗を吸った野暮ったいシャツ姿の、しかし逞しい青年である。
「なんだァ、小僧。正義の味方でも気取ろうってのか」
「まさか!そうじゃねぇさ。ただ弱いものいじめってのは我慢ならねぇ性分なんだ。なァ、バギー」
「知るかハデバカヤロウ!俺を巻き込むんじゃねぇよバカシャンクス!!!だぁあああ!俺ァ知らねェぞ!!なんだって他所の土地で一々面倒ごとに首突っ込むんだよテメェは!!」
子供相手だろうと容赦はせぬと睨むならず者を相手に赤髪の少年は好戦的な顔をすると、自分から少し離れた物陰に声をかけた。その影には道化師のような奇妙なナリの、やはり同じ位の歳の子供がこっそりとこちらを窺っており、存在をバラされたことを迷惑そうに喚いて、そして無駄と知りつつ再び物陰に隠れる。
「おい坊主、大人の世界に首を突っ込むってんなら覚悟は出来てんだろうなァ」
「当たり前だ。こっちとら海賊やってんだ。歳は関係ねぇ」
「なんだ、海賊か。砂の国の厳しさも知らねぇひよっ子が笑わせやがる」
一触即発。赤髪の少年は腰に刺した剣を抜き、スキンヘッドの男もスラリとヒンジャルを引き抜く。そうして睨み合い、どちらが動くかと思われた矢先、バシャリ、と男の頭上から頭に向かって水、いや、何かぬめっとしたものがぶっ掛けられた。
「!?」
ぶわっぷ、と、突然の出来事に男は慌てた。口の中に入るそれは水ではない。どこかかぐわしい香りのする、つまりは香油であるとすぐに気付くが、いったいなぜ頭上からそんなものが降ってくるのかは見当がつかない。目の前の海賊小僧ではないし、ましてや物陰に隠れているもう一人の海賊の仕業でもない。では男の背後にいる先ほど蹴っていた男かといえばそうでもない。いったいなんだとならず者は辺りを見渡し、そして頭上から「あー、もう、このおばか」と、やけに甲高い少女の声がかかってきたことに驚いた。
「な、なんだ!?」
「こ、子供…?」
ならず者の声と、そしてコブラの声が重なる。なぜ海賊が自分を助けるのかとコブラが呆気に取られて暫く、今度はさらに信じられないものが目の前に現れた。ぼろぼろと擦り切れたショールを巻いた老婆のような装い、ぼろ布の塊のようなものがデッキブラシに乗って浮いている。その「妙なもの」はどうやら子供のようで、「あぁ嫌だ。面倒くさい。全くなんだってこのぼくが!」などとぶつくさと悪態をついている。
「!手出ししないでくれ!」
その妙なもの。赤い髪の青年の知人らしく、彼は困ったような、そんな声を出すがボロ布の塊は取り合わずふわふわとデッキブラシに乗ったままならず者を見下ろした。布の間からのぞく瞳は霜を下ろしたように冷たく青く輝き、ならず者の背筋を凍らせた。だが聞こえる声は少女のもの、小柄であるということがならず者の心を奮い立たせ、相手は子供であると見当づけ、ぐいっとその太い腕を伸ばしてボロ布を引き摺り下ろす。
「なんだ、てめぇは。ナメたマネしやがって、」
「砂漠の夜はとても寒いねぇ。ぼくは寒いのが嫌いなんだ。きみはとても臭いから燃やしたらもっと酷くなりそうだけど、まぁ、寒いよりかはマシかな」
男が力に任せてボロ布を引き摺り下ろし、そのまま地面に叩きつけようとすると、パシン、と軽く、ボロ布の中から伸びた白い小さな手がそれを払い、そのままするりと男の側から離れた。しかしその途端に被っていたショールがずれ、ボロ布の、老婆の装いの面が明らかになる。声の通り、正体は子供だ。まだ幼い、あどけなさを残した顔。しかし世に愛らしい、という顔は多くあれど、美しい、と称すに値する「子供」の顔はそうはない。その稀有な対象にまさにまさしく相応しいといえる、整った顔が月明かりに照らされた。
「!ちょっと待て!」
顔を明らかにされたためか、少女の顔にはっきりとした「不快感」が浮かんでおり、赤い髪の青年が焦った声を出す。制止しようと身を乗り出し、少女が掲げたランプを奪う。
「シャンクス、このぼくの邪魔をするんじゃァないよ」
「待てって!何も燃やすことねぇだろ!相手はただの物取りじゃねぇか!」
燃やす、などという物騒な言葉にならず者ははっとした。少女がかけた香油にまみれた自身を見下ろす。この状態にランプを投げつけられたら砂漠の夜の乾いた空気も手伝ってものの見事に己は焼け死ぬだろうと思い当たった。
そして見る見る顔を赤くし、屈辱に大声を張り上げる。
「この…クソガキども…!!!」
男は手を伸ばし赤い髪の青年と少女に掴みかかった。だが青年が身を挺して少女を庇い、ひらり、と男の追撃をかわす。
「!頼むからアンタは手出しをしないでくれよ!こいつは俺が、」
「臭いのだから動かないでおくれよね、髪や布はにおいを吸収しやすいんだ。ぼくにきみの悪臭がうつったらどう落とし前つけてくれるっていうのさ」
ならず者が暴れれば、少女が袖で鼻を覆い顔を顰めて見せた。逆上させることが目的ではなく、本心からのその動作に男はますます怒りを燃え上がらせる。配慮というものをまるでしない。あぁ!と赤い髪の青年が額を押さえた。しかしそれでもあいた手で男の攻撃を防いでいるのだから、すでにこの勝負の優劣ははっきりとしている。
「……いったい、これは…」
呆気に取られ続けているのはすっかり蚊帳の外になってしまったコブラである。妙な子供たちが現れたと思えば、一人は堂々とならず者の神経を逆なでする発言を繰り返し、もう一人はらくらくと男の攻撃を防いでいる。
いったい自分はどうすればいいのか、とそう考えあぐねいていると、いい加減に面倒くさくなったといわんばかりに、ボロ布姿の少女がどさり、と、ならず者の足元にパンパンに膨れた財布を放り投げた。
「海や砂漠に出て一旗上げようという志も冒険心もなく、ただ安全な街中でくすぶるだけの小物がいつまでもぼくを煩わせるんじゃァないよ。恵んでやるからさっさと消えておくれ」
あまりにも容赦のなさ過ぎる、外道きわまりない発言にコブラは一瞬どちらが悪役かわからなくなった。
+++
「……助けられた…のか?とにかく、礼を言う」
ならず者たちが泣きながら退散し、それをなんだか気の毒に思って見送ったコブラは、未だ感情の整理がつかぬままでありながらも一応の礼を口にしてみた。
とりあえず自分は絡まれていて、そしてこの二人(と物陰の一人?)によって状況を改善されたのだと理解することにする。コブラが衣服の汚れを払いながら立ち上がろうとすると、赤い髪の青年が人好きのする笑みを浮かべ手を差し伸べてきた。
「悪かったな、怪我する前に助けてやれりゃよかったんだが。歩けそうか?」
言われてコブラは体の痛みを思い出しよろける。したたかに殴られ蹴られたのだ。思った以上にダメージがあるらしい。赤い髪の青年の手を掴み2,3歩よろけてコブラは地面にへたりこんだ。
「思ったより酷いな。バギー、おい、いつまでそうしてんだよ。お前、応急処置の道具とか持ってないか?」
「派手にバカな野郎だな。俺様にはそんなもん必要ねぇから持ってるわけねぇだろ」
「まぁそうだよな。お前斬ったりしても意味ねぇもんな」
と、コブラには意味のわからぬことを言い、赤い髪の青年は困ったように頬をかく。もちろんコブラは城に帰れば十分な手当てを受けることができる。だが城を出て一週間。もうあと一週間しか残された時間はない。折角首都から離れたこの町までやっと移動できたのだ。今戻ってはこれまでの全てが無駄になってしまう。
だが怪我をしたまま目的が果たせるとも思わない。コブラが黙っていると、赤い髪の青年はやや不本意ではあるが仕方ない、という、妙な決意を秘めた顔で、先ほどならず者を罵倒して気分をすっきりさせてからは枝毛のチェックをしていた少女を振り返り「なぁ、」と伺いを立てるよう声をかけた。
「うん?なんだい、シャンクス坊や」
「坊やはよしてくれって。頼みたいんだが、こいつの怪我を見てやってくれねぇか」
「きみがこのぼくに頼みごとなんて珍しい。死ぬわけじゃないっていうのにねぇ」
「俺がもっと早くに助けてりゃしないで済んだ怪我なんだ。なんとかできるならなんとかしてやりてぇ」
頼む、と青年が頭を下げると少女が面白そうに目を細めた。ころころと喉を震わせ猫のように笑うと、そのまましゅるしゅると布すれの音をさせてコブラに近づく。
「まぁ、滅多におねだりをしない坊やたっての頼みごとだ。それに今回は珍しくバギーを巻きこまなかったところも評価できる。助けてあげるよ」
妙に恩着せがましい物言いをして、ぐいっと、少女が乱暴にコブラの首を掴んだ。
「なっ、に、を」
「じっとおしよ、何も取って食おうってわけじゃァない。このぼくの目をよぅく見てごらん」
言われずとも間近に迫った顔であれば自然瞳を覗き込むことになる。コブラはこれまで后とてこれほど近くに寄せたことがない。相手が自分の半分もない子供であったけれどやや赤面し、その真っ青な目に映った自分の顔を確認した。いや、少女の目に映っているのは確かに自分である。だが、その顔、どこか違う。今の、若さと精力に溢れた若い王の姿ではなく、髪に白いものの混じった、老いを得た男の顔が、その、青い目の中に一瞬見えたような、いや、まさか、とそう否定して見れば、いや、そうだ,写っているのは今の自分の姿。見間違いであるとそう決め付けた途端、ズドン、と目の前が真っ暗になり、しかし意識はそのままに、コブラは目が見えなくなったのかと慌て、そして数秒後には再び少女の顔が間近にあった。
「……私は、いったい」
困惑すると、視界の中の少女の赤い唇が小さく動く。何か聞きなれない言葉が2,3言つぶやかれたような気がするがうまく聞き取れなかった。何を言ったのか、と聞き返そうとして、そこでコブラは先ほどまであった体の痛みが消えていることに気付いた。
「……まさか……」
気のせい、ではない。見下ろしてみれば先ほどまでうっ血していた腕や足、切れていた唇までもが元通り。何もかも健康状態に戻っている。コブラはそれがこの少女の仕業であると素直に受け入れ、そして同時にこの一週間の自分の苦難が報われた、一つの希望を見出せたと歓喜して、離れようとする少女の手を掴んだ。
「イブリーズ!君を探していたんだ!!彼女を、王妃を助けてくれ!!」
+++
アラバスタ王国の若き国王のお后さまは、それは美しい空色の長い髪の持ち主で、その美しさは国中の女性の憧れであった。流れる水のようにさらさらとして、光り輝き、それでいて暖かさのある髪の色。アラバスタ王国で女性はベールを被るのが主流であるがお后さまはその美しい髪を長く垂らし、その様子がまた一層美しかった。
そのお后さまの腰元の一人が、ある朝いつものようにお后さまの髪を梳かして整え、その櫛についた髪を捨てていると、窓の外の木に一羽の大きな鳥が止まった。尾の長い孔雀に似た鳥であるが孔雀はそれほど飛行能力があるわけでなく、バサバサと飛ぶことはない。ということはやはり孔雀ではない。色もずんぐりとした茶色でみすぼらしかった。腰元は気味悪がって視線をそらしたが、その鳥がふと口を利いた。
「ねぇ、あんた。その髪はきれいだね。噂のお后さまのものだろう?なんて美しいんだろうね。私の巣にもそんな色があればとても豪華になる。ものは相談だけれど、その櫛についた髪をひとふさ私におくれ」
鳥が口を利くことにもちろん腰元は驚いたけれど、世に不思議が詰まっていることはグランドラインに位置する島で生きていれば日常茶飯事。すぐに落ち着いて腰元はそういうこともあるだろうとし、鳥までもがお后さまの美しさを知っていることに満足した。だがだからといって卑しい鳥の要求を呑むという心にはならない。
「お黙りなさい。あつかましいにも程がある。お前のような化け物がお后さまの髪を欲しがるですって?その上お前の粗末な巣に使うなど恐れ多いことです。殺されたくなければさっさと出ておいきなさい」
ぴしゃり、と腰元は言い切ってそのまま鳥を追い立てるようシッシと乱暴に手を振った。そのつれない態度に鳥はしわがれた声でおかしそうに笑い、ばさばさと羽を広げて枝を揺する。揺すると若い葉が落ちて、あっという間に枯れ葉のみの残る枯れ木になった。
「なんて心の狭い女だ。心まで美しいと評判のお后さまの腰元だから私の願いくらい聞いてくれるだろうと思ったよ。どうせ捨てる櫛に絡まった髪くらいいいだろうに。ふん、まぁいい。それなら私の言葉をようく聞くが言い」
グエグエと奇怪な声を立てながら、その鳥は言葉を続けた。
「この木の枯れ葉が一枚一枚落ちるようにお后さまの髪も抜けてゆく。葉がすっかり落ちて頭も冬の山のように枯れたあと、たとえ春が来て木に若葉がつき始めても、どうかな?お后さまの頭はもとにもどるかな?」
不気味な声で不吉なのろいの言葉を吐く。その鳥の様子に腰元の顔から血の気が引き、悲鳴を上げて衛兵を呼んだのだけれど、その彼女の声を聞きつけて若い兵士イガラムが駆けつけたときには鳥の姿はなく、ただ震える腰元が片手にブラシを持ったまま立ち尽くしていた。
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「なるほどねぇ、それで、その後はその鳥の言ったとおりお后さまの髪からだんだんと髪が抜けていってしまって、今では禿山みたいにまっつるてん、とそういうわけなんだねぇ」
うんうん、とひとしきり話を聞いては頷き、そして首を捻った。
シャンクスが助けたこの青年。名前を「コブ」と名乗ったがの目にはこの国の若い国王ネフェルタリ・コブラであるとはっきりわかる。当人が王族であることを隠したがっているので突っ込む気はない。面倒ごとには首を突っ込みたくないゆえのことである。
「コブ」が話したのはまず腰元が鳥の気分を害してお后さまに呪いをかけさせてしまったということ。そしてお后さまの髪が抜け落ち、お后さまはショックで寝込んでしまった、とそういうことだった。
「っけ、髪が抜けたくれぇでなんだってんだ。鬘でも被りゃァいいじゃねぇか」
同じように話を聞き終えたバギーの感想はそっけないものだが、まぁそういう意見もあるだろうとは放置する。シャンクスはそのデリカシーのない意見に噛み付き「女の人ならショックで寝込んじまうに決まってんだろ!だからお前はモテねぇんだ」とケンカに発展しそうだった。
「それで、えぇっとコブくん。君は王宮の庭師の息子で、日に日に弱っていくお后さまを見ていられずにどうにかこうにかしてその鳥を探し出して呪いを解いてもらいたくお城を飛び出したってそういうことかい」
ファイッ、とクロスカウンターを繰り出したシャンクスとバギーをシカトしてはコブに顔を向ける。
髪が抜けてショックで寝込む、というのは一般的にわかるようでわからない。心弱いんじゃなかろうかと突っ込みを受けそうだが、の、魔女の知識で診てみるに、なるほど中々に深刻な事態であるといえる。
髪は女の命とはよく言ったものだ。女性の髪には一種の生命力のようなものがあって、それが不当な手段で(当人の意思や断髪という常識的な手段ではなく)奪われるということは命を脅かされることとなる。まず心が病み、だんだんと生命力が失われていく。
コブは自分が城を抜け出せるのは二週間が限界で(まぁ、王様がそう簡単に不在にはなれない)そして医者の見立てでは王妃様の衰弱具合から見てもあと二週間持つか持たないか、とそういうことらしかった。
「それで、どうしてこのぼくがイブリーズなんて呼ばれたんだい?」
鳥を探すというのはわかるが、さきほど「コブ」は己をイブリーズと呼んだ。そのイブリーズがお后さまを救えると、そう思っているらしい。
しかしは数多くの名前で呼ばれてきてもイブリーズ、砂の国の魔女と呼ばれる覚えはない。どういうつもりかと問えば、コブは神妙な顔つきで口を開いた。
「言葉を話す鳥がどこにいるのか見当もつかない。最初はあちこち人を使って探したが…あ、いや、それはもちろん国王が、だ。国王が探しても鳥を知っている者はいなかった。だが王宮に仕えている老人が、砂漠に住む魔女、イブリーズなら魔物にも詳しいだろう、と。そう助言を」
誰だそんな適当なこと言ったのは。とは突っ込みたかった。
確かに世に魔女は多くいる。は悪意の魔女を筆頭に現存している魔女の名と階級をある程度把握しているけれど、砂の国の魔女、なんて者は未だかつて存在したことがなく、未来永劫そんなものは存在しないだろうと断言できる。
「イブリーズって、それ御伽噺にもならない、ただの言い伝えの類じゃないか」
「あぁ、そうだ。砂の国に伝わる古い話。砂嵐を起こす魔女。国が危機に陥ったときに何もかもを巻き込んで争いを止めると、そう言われている」
伝説である。は童話の力を使うが、童話と伝説は違う。御伽噺は魔女の領分であるが伝説言い伝えというのはもっと現実的だっ。現実の要素が強いものは魔女には向かない。だからイブリーズなんてそれらしい名前があろうとなんだろうと、そういう魔女の要素が誕生することはないのだ。
「だが、君は不思議な力を使う。君は…魔女ではないのか」
イブリーズを伝説、とそうわかっていても、それでも喋る鳥やら髪の呪いが存在した。魔女だって存在するだろうとそういう思いがあるらしいコブの強い目には一寸面倒くさいことになってきたことを感じる。
どう答えようかと迷っていると、殴り合いのケンカも済んだのかシャンクスがぐいっと身を乗り出してきて、とコブの間に入った。
「は魔女なんかじゃねぇ。俺の仲間で、大切な人だ。魔女なんて言うんじゃねぇ」
好ましい情に溢れる言葉であるが、若干いらん告白もあったのでは取り合わないことに決め、ぐいっとシャンクスを押し退ける。すると赤い髪の青年は不服そうに口を尖らせるのだ。そういう仕草が幼く、だから「坊や」とそう呼んでしまうのだけれど、きっとシャンクスはいくつになってもこういう顔をするのだろう。思えばはなんだかおかしくなって、ころころと喉を震わせた。
「まぁぼくが何であるかなんてそんなことはどうでもいいとして、それで、諦めてくれるのかい?コブくん、とかそう言うきみは」
そうはしないだろうなぁ、と見当づいていながら問うてみる。と、噂では二十の後半であるだろうネフェルタリ・コブラ氏。それでもまだ歴代国王らと肩を並べるほどの「王の威厳」は持ち合わせぬ若き王、そのアラバスタという土地にあった顔立ちに苦悩の色を浮かべて、ぐいっと、頭を下げてきた。
「頼む。何か手がかりでもいいんだ。知っていることがあれば教えて欲しい」
こらこら、仮にも王様がそう頭を下げるもんじゃないと突っ込んでやりたかったが、今コブラは「コブ」と名乗る庭師の息子のつもり。それなら気安く頭を下げられるのかとぼんやり思いもしたが、いや、そうではないとは気付く。
(今ここにいるのは一人の男だね。妻が苦しんでいる、それをなんとかしてやりたいというその必死さ)
偽名を名乗っていること、ここが路地裏であることをすっかりと忘れ、ただ一人の男として、目の前の可能性に真摯に向き合っているとそういうことだ。
このまま人の知恵の範囲で燻っていては王妃殿は死ぬ。それははっきりとしていた。それであるから、助けるには道ならぬ手段がいる。コブラ、それを承知のよう。それで必死、人の知恵ではどうしようもないことを、どうにかしよう、できる対象(魔女)を前にして、王の威厳も何もかも頭から消し去り、そうして『頼み込む』その姿である。
「私にできることならなんでもする。礼も惜しまない。どうか、彼女を助けてくれ」
眺めてはなんだかとても苛立ってきて、それは結局、この男は魔女に縋れば助かる「大切なひとの危機」であり、魔女である己は「彼女」を救えても、それでも「魔女が助けたい大切なひと」には何もしてやれぬのだと、改めて思い知らされたからに他ならなかった。
(でもだからといって、ここで王妃さまを見捨てるのはただのわがままだよね)
はぽつり、と呟いて、それでじっとこちらを見つめるコブラ、じゃなかった自称庭師の息子コブの頭をデッキブラシでコツン、と叩き、相手の言う「礼」に早速反応したバギーにほだされのたから仕方ないと肩を竦めて見せた。
「鳥の所在は知らないけどね、まぁ、それじゃあ、お后さまのために髪の毛の木を探しに行こうか」
Fin
あとがき
リハビリ目的のアラバスタ編なんですが、まぁ気が向いたら続き書きます。と言うかどう考えても続くだろうこれ。
ベースはアラビア物語の「髪の毛の木」より。48が最初に読んだアラビアンナイトです。
(2011/11/7)
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