自分は…辞表を書くしかないのだろうか。

ディエス・ドレーク大佐。今日も今日とて痛む胃を苦しそうに抑えつつ、扉の下に立ったまま部屋の中を呆然と眺めた。

つい一時間前、自分がこの部屋を出てくるときは何事もなかったはずだ。
それが今は、なぜこんな状態になっているのだろう。

「ぼくは悪くないよ」

ふん、と鼻を鳴らして、心底機嫌の悪そうな。真っ赤なソファに腰掛けて、ふんぞりかえる。その周囲には先ほどまで遊んでいただろう折り紙で作った鶴やなにやらが彼女の魔法(と諦めて考えた方が理解できる妙な力)で浮遊中。床に散らばっているのは色とりどりのクレヨンで描かれた妙な絵だ。何やらやったら赤い配分が多いのが気になるが、あまり凝視して軽くトラウマになったら嫌なので、ドレークはそれ以上観察するのを止めた。

そんな玩具・暇つぶし道具の傍らで動かぬ屍…いや、まだきっと息はあるだろうが、ぴくりともせず倒れているのは、ドレークにとっては上官にあたる准将・少将が2、3人。それぞれこの海では名を知られている海兵である。

「……お、俺がいない少しの間で…なぜこんな状況になっている」

軽く殺人現場、のような有様に見えるのは気のせいだろうか。いや、別に血こそ出ていないけれど、なんと言うか、そういう印象を受ける。

ドレークはとりあえず近くの海兵の息を確認し、ため息を吐いた。

「何をしたんだ?」
「別に」

あっさりと答えて、は宙に浮かぶ折鶴を一つ手に取った。真っ白い折紙での鶴は捕らえられて僅かにじたばたしたものの、がぐしゃり、と手のひらで握りつぶすと、それ以降はただの紙くずになる。そんな、虫の羽をもぐような児戯を繰り返しているの眼は相変わらず青いのだけれど、ドレークは顔を顰めずにはいられなかった。

「何もしていない、わけがないだろう」

ドレークは長年の世話役(という名のていのいい遊び相手だと最近諦めているが)してきた。が平然と行う言動が人の神経をどれだけ削らせるか知っている。

確かつい先日、ドレークは大雨暴風の日にが「傘で飛べるか」実験したいのだと言い出して、荒れ狂う海岸に無理やり連れて行かれた。

というか、普段デッキブラシで悠々と、重力やら世の常識を無視して飛ぶが、何を今更実験したいのかと、聞きたい。どうせ自分への嫌がらせだろうことはわかっているが。

ちなみに、その時はが大雨にうたれ+傘と風であっさりと飛ばされて軽く行方不明になり、ドレークは赤犬に本気で殺されそうになった。なぜ生きているのかといえば、風邪を引いたが発見され、その看病に赤犬がつきっきりでならねばならなかったからだ。

……一応、の見舞いと詫びにとドレークは翌日林檎を持参し部屋を訪れたのだけれど、すぐにバタン、と扉を閉めた。何が中で起きていたのかなど、墓の下まで持っていく決意であるが。…まぁ、大将、風邪を引いて意識が朦朧となり、素直になったが面白かったのだろう。

と、いろいろとトラウマを思い出しかけて、ドレークはこほん、と咳払い。つまらなさそうにぼうっとしていると視線を合わせるため、しゃがみ込んだ。

「どうした?」
「別に、何もしてないって言ってるでしょ。君はぼくを疑うの?」

が嘘をつかぬことはドレークも良く知っている。しかし、本当のことを言わぬ、ということもわかっていた。

「何かされたのか?」

考えたくはないが、自分にとって上官に当たる3人がに何かしたのか、とそういう疑問が沸く。

普段、の面倒を見るのはドレークだけの役目だが、今日は少々、イレギュラーな自体が起きた。

いつものようにドレークがの遊びに付き合っていると、部屋にこの三人が現れて、と、遊んでいるドレークを一瞥した後に、まぁ、なんというか、ドレークに対して色々と言ってきたのである。

『お前程度の海兵が大将赤犬の信頼を得るなど』
『身の程を知れ』
『この方はお前などが知るにはあまりにも過ぎた方だ』

とか、まぁ、なんとか。そういう、縦社会、男の権力主義というか、なんというか。ドレークはただただ呆れたし、の面倒を見たい、と心から自分が思っているわけではないことを言いたかった。

海軍本部“奥”に位置するこの部屋は、の直接の私室ではないけれど、赤犬が仕事中に待機させられている場所である。そこを守ることは、海兵の中でも名誉のあることらしかった。らしい、というのは、通常の存在を知ることができるのは准将以上からである、ということから、まだ佐官クラスであるドレークには、知らされていない情報だからである。

大将赤犬が庇護する少女、と表面的にはその理由。そして准将以上からの海兵らには、「世界の正義の保証人」とそういう理由から、を守ることは、海兵らにとって誉れであるというのだ。

そういうわけで、まだ若く、しかも佐官クラスでしかないドレークが赤犬から直々にの、悪意の魔女の世話を命じられていることが気に食わぬ海兵も、少なくはないのである。
ことあるごとに嫌味や嫌がらせを受けてきたが、今日はどうやら、直接の前で面と向かって言いにきたようだ。

しかし、ドレークは言いたかった。

眼を覚ませぇええええ!!!どう考えてもただの我侭娘だぞ!!?これを守るより地元の雑貨屋の万引きに目を光らせた方が立派な仕事してるように思えるぞ!!!?

……いや、まぁ、言ったところで無駄だろうが。

『ディエスはぼくの玩具なんだよ。サカズキがそう決めたし、文句あるの?たかだか君たち程度が?』

やってきた海兵らを一瞥することもなく、腕に抱えた大きな熊のぬいぐるみの耳をひっぱり、が興味なさそうに口を挟んできた。それで一瞬、彼ら海兵らの間に屈辱的な表情が浮かんだものだから、ドレークは慌てた。

彼らはに対して、敬意などはない。悪魔の能力者であれば別だろうが、今回きた者はただの海兵だった。彼らは、の背後に赤犬がいるから、その身を守ることを栄誉とするのだ。で、あるからの言動をロブ・ルッチのように素直に受け止めはせぬ。

焦ったドレークが慌ててと海兵らの間に入り、少しの間自分が席を外すので、の信頼を得、そしての口から直接赤犬に「役目交代」の意思を告げられれば、あの赤犬とて承諾するのではないかと、そう提案したのだ。

そして約束した一時間を過ぎ、ドレークがの部屋に戻って、この現在の状況である。

「彼らに何かされたのか?お前の身体に触ってきたり、あるいはお前に酷いことを言ったりしたのか?」

は我侭なところがあるが、基本的にはそれほど酷いわけでもない。ドレークや、数限られた人間には容赦しないけれど、我侭を言える人間かそうではないかの区別をはっきりつけているのだ。

そうであるから、ドレークは安心してこの場を去ったというのに、彼らがに対して何か酷い仕打ちをしたのなら、自分は軍法会議にかけられることになったとしても、上官といえど容赦するつもりはない。

真っ直ぐにの青い眼を見つめて案じるようにしていると、が頬を膨らませた。

「気に入らないの」

ぽつり、と小さな声。クッションをぎゅっと抱きしめて呟く。こういう声や表情をするときは幼い子供のように見える。かわいらしく思えてドレークが表情を和らげると、がキッ、と睨んできた。

「ぼくは悪くないよ」
「あぁ、わかっている。誰もそうは思っていない。何があった?」
「ディエスのこと、悪く言うんだもの」

は床に転がっている海兵を睨みつけ、指を振って、まだ宙に浮いていた折鶴を激突させた。とんがるほど細く鋭利に折られた嘴が海兵の身体にぶっ刺さる。

まぁ、仮にも海軍将校ならあれくらいで死ぬこともなかろうと、ドレークは別に止めることはせず、それよりもの答えに首を傾げた。

「俺のことが何だ?」
「ぼくの目の前で、ディエスは弱いとか、見込みがないとか、能力者だから優遇されてるだけだとか、そういうこと言うんだよ!」

言われた言葉を思い出しているうちに怒りが蘇ってきたのか、は顔を真っ赤にさせて声を上げる。

がこういう風に自分に感情を露にすることは少ない。新鮮な思いをしていると、ぺちん、と頬を打たれた。

「すごく不愉快だよ!なんでキミが、ぼく以外のひとにバカにされないといけないの?!」

悔しそうな眼をして、そういわれ、ドレークはただ目を丸くするばかりである。というか、あのが。あの、人のことを手ごろな遊び道具(遊び相手、ではない)としか思っていない、あの、が。

「……確認させてくれ、まさか、俺の為に怒ってくれたのか?」
「べ、別にキミのためなんかじゃないんだからね!気に入らなかったの!それだけだよ!」

ここに誰か最近の若者でもいれば「それってツンデレの名言?」と突っ込みをいれたところだが、生憎ドレークにそういうオプションはないし、にも自覚がない。

顔を真っ赤にさせて、目じりには悔し涙さえ浮かべている。こういう様子から、ドレークはが本当に幼い子供に思えて仕方なく、ぽん、と頭に手を置いて撫でた。

「そうか、嫌な思いをさせてすまなかった。俺がお前を一人にしたからだな」
「そうだよ!バカ!キミが悪いんだよ!」
「そうだな。すまない」

ドレークはまだ独身者で、今後そういう予定があるのかどうかもわからないけれど、もしも子供が出来て、それが娘だったらこんな気持ちになるのかと、微笑ましくなる。

しかし、ふと真顔に戻り、倒れている海兵らに視線を向けた。

「それで、結局何をしたんだ?」

未だに目覚めぬ様子から、何か魔女の悪意の類かとそんな疑念がわく。の逆鱗に触れることをしたのなら、それはそれで自業自得ともいえるのだけれど、しかし、今回のこと、がドレークのためを思って何かしらしたというのなら、少し、まずいかもしれない。

基本的にはある程度の我侭な振る舞いが許される、しかし、それは赤犬が「ある程度」と決めた範囲だ。この海兵たちが、に何かして、の結果なら赤犬は目を細めて、むしろ息の根を止めて来い、とすら言うだろうけれど(突っ込みは不可である)がドレークのために、というのなら、あの大将はどう考えるだろうか。そして、大将としての意識、悪意の魔女が正義の海兵に害をなした、ということを、どう受け止めるだろうか。

良くてドレーク一人が赤犬に海に沈められるだけで済むけれど、悪ければ、の身にまで危険が及ぶ。

「殺してないよ」
「だが、まだ目覚めないのはなぜだ?」
「ちょっと意識を迷宮に叩き落して出口封鎖しただけだよ」
「頼むから今すぐ助けてやってくれ」

ちょっと、とは言うけれど、ドレークは何度かの「迷宮」の被害にあっている。時間列やらなにやらがすっかり狂ってしまっているあの空間。大将や中将でなければすぐには出てこれない。将官であれば三日、四日あればなんとかなるらしいけれど、赤犬にバレる前に、目覚めさせなければならないのだ。

頼めばが眉を寄せた。

「や」

「ディエスはぼくのすることに文句言うの?」
「頼んでいるんだ」
「ぼくはサカズキの言うこと以外聞きたくない」

普段であれば、ドレークが本気で頼めば、はある程度の妥協はする。そういうくらいには、ドレークに対しての感情があるらしかった。しかし今回に限ってはよほど腹に据えかねているのだろう。頬を膨らませて、そっぽを向く。

ドレークは困りきって眉を寄せ、懐中時計で時間を確認した。まだ赤犬の終業時刻までは少しある。その間に何とかさせねばならぬのに、一度機嫌をそこねたをどうにかできるのは、この広い海でも限られた人間にしかできない。

海軍本部の中であれば、そうできるものなど赤犬くらいなものだ。

「どうすればいい?」
「どうもしないよ、このバカ共が自分たちで戻ってくるのを待てばいいでしょ」
「ほう……この状況の説明は、それまでお預けと、そういうことか?ディエス・ドレーク、それに、覚悟はいいだろうな」

びくっ、との身体が震えた。その途端、ドレークは壁に叩きつけられたし、すぐにの首が絞まる音も聞こえた。

「あ、赤犬!!!!」
「後で聞きたいことはあるが、今は黙れ、ディエス」

咄嗟に受身を取って衝撃を和らげようとはしたものの、しかし、したたかに背を打った。本気の攻撃ではなかったにせよ赤犬の、大将の一撃である。低く呻き、ドレークは顔を顰め、痛みに意識がかすみながらも、の身の安全だけでも確保しようと声を上げた。が、それもぴしゃり、と止められる。

しゅるり、と、サカズキは手袋を外して、の首を掴んだまま、その頬を撫でた。

「貴様の部屋に、なぜわしが許可した以外の男がいる?」

(そこかぁああああああ!!!)

がっくりと、ドレークは力尽きた。肩を沈ませ、思いっきり叫びたいのを何とか堪える。といえば、苦しそうに顔を歪めて、赤犬に宙吊りにされるその手を掴み、首を振る。

「べ…つに…サカズキに、関係ないでしょ」

、頼むから学習してくれ!!
赤犬にそういうセリフを言うのは命を捨てる行為だ!!!

物凄く突っ込みを入れたかったが、身体が言うことを利かず、しかも喉から声が出ない。なぜか、とそれは簡単だ。赤犬の全身から溢れる覇気がドレークの身を竦ませている。は長生きしているだけあって、どんな強者の圧力やら覇気やらでもものともしない。しかし首を絞められて苦しいのはかわらないだろう。ドレークは何とか助けてやりたかったが、どうすることもできない。

というか、これから起こることを考えれば、巻き込まれたくないと心の底から思った。

「ほう……小生意気にもこのわしに口ごたえするか。酷い事をされたいようじゃのう」

すぅっと、赤犬の目が細くなる。機嫌の低下も確かにあるが、どこか嗜虐的な楽しみを見出しているようにも思えた。ぞっと、ドレークは背筋が凍る。しかし、そうなるとそうなるで、もなお更意地を張る。

「酷いことばっかりするキミなんか嫌い!ディエスのほうがよっぽどぼくに優しいよ!!」
「ちょっと待て!俺を巻き込むな!」

さすがにこれは声が出た。人間本当に命の危機に瀕したときはやればできるもんである。

「このわしを、そこの、それと比較するか」

ジロリ、とドレークは赤犬の本気の敵意を向けられて全身からどっと汗が流れた。一気に白髪になってもおかしくない、とさえ思うほどである。かなり不機嫌になったサカズキに、は一矢報いれたと感じたのか、ふふん、と鼻を鳴らす。

「だってディエスは優しいよ。ぼくの頭を撫でてくれるし、怖い夢見たら絵本読んでくれるもの!」
「ディエス……貴様、わしが留守中に何しちょるんじゃァ」

頼むから黙れ!!と念じたところでどうしようもない。

ドレークはただ只管慌て、何とかこの場から逃れようと(ヘタレ)するのだが、がしっと、赤犬に肩を踏まれた。一応、はソファの上に降ろされている。そのことにはほっとし、しかし、このまま肩の骨を砕きかねない赤犬に、顔を引きつらせるしかない。

言い訳を、させてもらえるのならしたかった。

何となく自分はに対して父性のようなものを感じており、ことあるごとにの頭を撫でてしまうし、赤犬が遠征や、支部へ出ているときに一人になったの面倒を見るのはドレークの役目だ。雷が怖いと、雪が怖いと泣くをあやしてしまうのはしょうがないのではないか。

まぁ、言ったところで聞いてはもらえないだろうけれど。

「た、大将赤犬……は気が動転していて、こんなことを言っているだけです。本心で私を慕っているわけでは……」
「貴様がこれの心境を語るな」

何を言っても無駄だとはっきち突きつけられました☆

ドレークは顔を引きつらせ、ただ只管、自分は明日は日の目を拝めるのかと、そんなことを考えた。



***




「……基本的に、ディエスは悪くないよ」

ずるずると、サカズキの部下が4つになった屍(まだ生きてます)を引きずっていくのを眺めて、はため息を吐いた。
先ほど荒んだ心はすっかり落ち着いている。それで、自分の前に立ちこちらを睨んでいるサカズキに、一応の弁解をしてみた。

でなければ明日以降、ディエスの姿が見られなくなるかもしれない。別に、それはどうでもいいといえばいいのかもしれないけれど、まぁ、何となく、ディエスがいなくなったら嫌だなぁ、とは思うのだ。

「貴様が人を庇うのは珍しいな」
「誰が悪いのかって、ぼくが明言するよりはマシかと思って」

サカズキの嫌味に肩を竦めて、はパタン、と扉が閉まったのを確認し、ソファに寝転がる。先ほどサカズキに首を絞められて痣になっている場所はすぐに治さずに残しておくことにした。それで、寝転がりながら、サカズキを見つめる。

「なぁに?」
「出て行って欲しいのか」

まだいるのか、と、そういう意味で聞けば、目を細められた。なぜそれで機嫌が悪くなるのかにはまるで理解できない。サカズキは自分を嫌っている。その自覚があった。それなら一秒だって自分の顔を見たくはないだろうに。

は先ほど、あの気に入らぬ海兵らが言った言葉を思い出す。

あの連中、ディエスのことだけではなくて、サカズキのことも言っていた。いや、別に悪口、ではない。彼らは赤犬シンパのようで、そっちのけで赤犬について語り合っている際に熱が入ったのだろう。

(……気に入らない)

ぽつり、とは小さな声で呟く。

あの連中、迷宮に叩き落すのではなくて、いっそ息の根を止めてやればよかったと思う。しかしそうすれば、サカズキが怒るし、困るかもしれない。それだから、あの程度にとどめたのだ。

「どうした」
「……嫌な気持ちになったの」
「わしがおるのにか」

その自信は何なんだろうかと、そういう風に突っ込める人間はここにいないし、はその言葉の意図を汲み取れるほどそういう面に対しては詳しくはなかった。ただきょとん、と顔を幼くして、ソファから起き上がる。

「サカズキは関係ないよ?」
「では、なんじゃァ」

言うべきかどうなのか、とは首を傾げる。いや、言うべきではないだろう。しかし、サカズキに黙っていて蹴られたりするのは嫌だった。痛いのは平気だが、最近、サカズキに蹴られたり、殴られると、悲しくなる。

「ねぇ、サカズキ」
「なんじゃ」
「ぼくはどうすれば、いい子になれるかな」

あの海兵たちの話していた言葉を思い出す。

『大将も、いずれ名のある家の女性を娶られて子をなされるだろう』
『あぁ、そうだな。今は正義を守る為に日夜お忙しいが、いずれは』
『そのご子息を我らの手で鍛えられる日が待ち遠しいな』

の存在など忘れ去られて、交わされる会話。別にあういう連中に相手をさせたいわけでもないけれど、その、会話は、には、気に障った。

気付いたら、海兵たちを迷宮に落としていて、あ、どうしよう、と思ったものである。その前にディエスの悪口を言っていたから気が荒れていたとはいえ、自分も短気になったものだ。

(ヘンなの……別に、サカズキが結婚して、子供を作るのは普通のことなのに)

ぎゅっと、クッションを抱きしめては顔を埋める。サカズキの視線が刺さった。痛い、というよりは、自分がバカのように思える。

自分の知っている人間の子供を見るのは、好きなはずだ。人間が子供を生むことが、にはとても嬉しい。人は必ず死んでしまうけれど、子供は、親の面影を残し、そして意思を継ぐ。自分は取り残されてしまうけれど、親しい人の子供の瞳に、かつての大切な人の影を見て、心がどれほど慰められるか。その子供が、同じように自分を大切に思ってくれて、そしてまた子供を生む。それが、には唯一の救いだった。

それなのに、サカズキの子供なんて見たくない、と思ってしまったのだ。

「ヘンなの。サカズキがお嫁さんもらって、子供が出来たらぼくは嬉しいはずなのにね?さっきの、あの海兵の人たちがそういう話をしてたら、嫌でたまらなくて、それで、怒っちゃったの。バカだね、ぼくは、どうすれば大人しく、いい子になれるのかな?」

そういうのはよくない、とは思う。いい子でいなければ、ここにはいられない。センゴクが怒るのはどうでもいいけれど、あまりサカズキに嫌われたくはなかった。そういう思う心が薔薇の戒めゆえなのか、それはもうどうでもいい。

先ほどサカズキに口ごたえしたのも、ディエスを引き合いに出したのも、この自分の心がわからないからだ。どうして、こんな風に思うのか。

「ねぇ、サカズキ、」


何か言おうと顔を上げた途端、ソファの下に押し倒された。
ぱふんっ、とやわらかい絨毯の上に背が当たり、眼を丸くしていると、サカズキの手がの首を撫でた。

「貴様は罪人じゃァ。良い子になどなれるわけがなかろう」
「……そう、だよね」

ゆっくりと、手袋を嵌めていない指がの薔薇の刻印の上をなぞり、ぞくりと身体が震える。先ほど首を絞められた痕は軽い火傷となっており、常人よりも温度の高いサカズキの指が触れれば、ピリリとした痛みを感じた。

「…っ」

は身体を強張らせて、不安げにサカズキを見上げる。

「……したいの?」

問えば答えの代わりに、唇が重なった。荒々しくこそないけれど、優しさのまるで感じられぬ、一方的過ぎる口付けはの口内を荒らし、差し入れられた舌が歯列を数えるように動く。まるで口の中ですら自分が触れていない場所が残ることを許さぬような念入りさに、は息苦しくなり、ぎゅっと、サカズキのシャツを掴む。
すると、そのまま無言で手を取られ、サカズキの首に回される。

「腕はここだといつも言うちょるじゃろうに」
「……んっ…だ、って。そんなの…はしたないよ」

自分から口付けを強請っているように見えるのがは嫌だった。そういえば、サカズキが面白そうに眼を細める。

「わし以外は見ておらんが?」
「サカズキにそういう風に思われたくないの!」
「何を今更」

カァアア、とは顔を赤くした。どういう言葉がその後に続けられるのかはわかっている。反論しようと顔を上げて睨めば、顎を掴まれた。

「そう睨むな。虐めてやりたくなる」

これで十分は虐められている気持ちになっているのだが、サカズキ基準ではまだまだなのだろうか。ぞっとは顔を引きつらせ、慌ててサカズキの首にしがみ付いた。

「……サカズキは、ぼくのことキライなのにどうして、その…したく、なるの?」

話題を変える意味もあったが、つい、前からの疑問が口をついて出た。
別段自分は、サカズキのものなのだから何をされてもいいし、こういうことがキライではないからいいのだけれど、サカズキは、なぜこんなことをするのだろうか。

(サカズキに、触られるとドキドキする)

基本的には情交は嫌いではない。手当たり次第、というわけではないし、相手はしっかり選ぶのだけれど、サカズキに触られると、これまで感じたことがないくらい、体中が熱くなる。最初はその能力の所為かとも思ったけれど、それなら脱水症状になるのが良い例で、心臓が口から飛び出すくらい、どきどきとしてしまうのとは関係がないように思えた。

問えば、ぴたり、とサカズキの動きが止まる。
念入りに紐で締められたのコルセットに指をかけていたところだったのを邪魔されて眉が動いたけれど、別段機嫌を損ねたわけではないだろう。

「男の生理現象だと割り切れ」
「ぼくに欲情できるってことは、サカズキって幼女が好きなの?」
「手酷く扱われたいのか、貴様」
「だって、ただ楽な相手なら他の人でも……ぼくは楽だから?」

の身体には生理がない。というよりも、下世話な話だが、ノアは初潮が始まる前に死んでいるわけで、には下の毛も生えていない。子供を孕むことがないから、安心して精を注げるのが良いのかと、そういう意味で聞けば、サカズキのこめかみに青筋が浮かんだ。

、くだらんお喋りを止めんのなら、今日は縛るぞ」

口調こそは平素のものだったが、長い付き合いで、今のはかなり本気で言っていることを悟った。びくっ、と身体を震わせてコクコクとうなづけば、サカズキが満足そうに眼を細める。その手が聊か乱暴にコルセットの紐を千切り、あらわになった胸の突起を指の腹で潰してきたものだから、は息を詰まらせる。

「んっ……」

冷たさはないけれど、自分よりも高い体温がかえって刺激になるものだ。膨らみなどまるでない胸だから尚更目立つと揶揄られた時など、は顔から火が出るかと思った。

声を出したら怒られるかと、唇を噛んでいると、サカズキのあいている方の指が差し入れられた。

「舐めろ」
「ふっ……んっ…ん」

言われるままに、指に舌を這わせる。サカズキの手は大きく、指だってのものよりも随分と太い。もごっと、咽ると、指が抜かれた。唾液が糸を引き、ぽたり、との喉に垂れる。

そのまま指は内股の間に入れられるのかと思いきや、まだ弄っていない反対の胸の突起に触れた。ぬるっとした感触に背をのけぞらせると、サカズキが喉を震わせて笑う。

「自分の唾液で濡れるのも悪くあるまい?」
「…はっ……ん」

こりっ、と硬くなった乳首を濡れた指で丹念に撫でられて、は喉から吐息を漏らした。

サカズキはずるい。

がサカズキに触れられると、どういう風になるのかわかっていて、念入りにあちこち触れて、追い詰めていく。それでどうしようもなくなって、臍の下が疼いて切なくなって、腰がむずむずと動いてしまうまで、けして中心に触れようとはしないのだ。

いつだって、サカズキに欲しい、というのはだった。

普通の女性なら、どうなのだろうか。
こんなことをされたら怒るのが普通、なのかもしれない。けれど自分は、サカズキがどんなことをしても気持ちがよくなってしまうし、サカズキにならどんなことだってされたいと思ってしまっているのだ。

だから、便利なのだろう。

そう結論付けて、はせめてもの反抗に、自分だけがこんなに苦しい思いをしている仕返しに、サカズキの喉に噛み付いて、付いた歯型を舌でぺろり、と撫でてやった。


次の瞬間、ぷっつんと理性の飛んだサカズキに結局は明け方まで付き合わされたのだけれど、それでもは、自分の気持ちにも、サカズキの感情にも、やはり気付けぬのだ。






ある日の午後、バカッポーになる前のバカッポーの話




(このわしが、嫉妬した上に、盛ったなんて言えるか!!!阿呆!!!)




Fin




・ハロウィン話が間に合わなかったので、こんなバカッポー。
 ディエスが冒頭に出てきたのは趣味です。このバカッポーにドレークかクザンが出てこないと、本当ただのうっとうしい話になるからですネ。←