レストランバラティエ編6 「この船を貰う」 他の意見などはじめから存在してはならぬかのような、絶対的な響きを持って言い放たれた言葉にはころころと笑いだしてやりたくなった。グランドラインを当たり前に航海する海賊や海兵たちを多く見ている。その身からすればただ体が大きなだけの男の、井の中の蛙のような、脅し。怖がれという方が無理である。だが、自分以外(と、一握り)を除いては十分恐怖だったよう。ひぃっと、顔を引きつらせ喉からか細い声が漏れた。 それを聞きながら、はてさてどうしたものかとは思案する。 ゼフは今でこそ海賊ではないけれど、かつてロジャーと同じ海を渡った。あの頃の海を知る数少ない人間だ。守ってやろう、だなんて傲慢なことは思わない。かなり公平に見て、ゼフはの知る海賊の中でも上位に位置する。そりゃあ、エドワードや何かと比べれば、能力者でない以上、どうしようもないスタートラインからのハンデはあるが、しかしそれでも、ゼフは、なんと言ったって、あのグランドラインを航海できたのだ。にはそれだけで十分、人以上の生き物であると言える。 *** ゼフとドン・クリークの話を聞きながら、はふわりと欠伸をした。さすがにクリークもゼフのことは知っていたようで驚いているその顔ばかりは面白いのだけれど、しかし、そのあとの、ゼフを軽んじるような発言はいただけない。 「そう言えば聞こえはいいがな、コックとしてしか生きていけなくなっただけと見える」 それが一体なんだというのか、とは目を細めた。海賊でしか生きられぬ応用きかない生き物よりも別の道が、ほかの選択肢があったゼフはなんと面白いことかとは思うのだ。いや、確かに海賊としてしか生きていけぬということに美学を感じはするけれど、まぁ、それとこれとは話が別だ。 ふわりふわり、と欠伸を噛み殺してゼフの白髪頭を眺めた。そのクリークとの会話、ゼフが元海賊、名を広く海にとどろかせたというくだりから、あのコック、金髪のコックの様子が少し変わっているのが興味深い。 「噂には聞いたことがある。海難事故とはついてなかったじゃねぇか。貴様にとって片足を失うということは戦闘不能を意味する」 クリークの言葉に、の位置から見えるサンジの小指がぴくり、と動いた。本人そうと意識しているのかどうかは知らないが、おや、とは目を細める。やはりゼフが片足を失ったきっかけの子はあの子か。 それならゼフがそのあと首を吊らずにこのレストランを開いたことも理解できる。 ゼフは確かに腕のいい料理人だけれど、海難事故で仲間を多く失って、その悲しみと苦しみに、船長が一人耐えられるという保証にはならない。 はゼフの船に遊びに行ったことはあまりないが、しかし、ゼフは本当に仲間を大切にしていたし、仲間もゼフをとても慕っていた。その仲間たちがあっという間に海の藻屑となって、船長が、一介の船員ではなくて、船の長たる人間が、正気を保ち首をくくらずにいられるなど、めったにないことだ。 たとえば、とは隣にいるルフィの頭を一瞥した。 この子供とて目の前で仲間の死体を積み上げられたらどうなるかわからない。殺されたのであればその敵を打ち倒すだろうが、そのあと、この子供が以前と何も変わらず海賊王を目指せるなどとはとうてい思えない。海の、仲間、とはそういうものだとは知っている。 それでもゼフは生きて、そしてこの店を開いた。は当初、ゼフが首を吊らずにいたのは夢があったからだ、と思った。しかしこの数日、ゼフとサンジの二人を見て、そうではないのだと気づいた。 いや、以前聞いた話によればゼフはいつも海にレストランがあれば、とそう考えていたとは言う。しかし、そうしよう、と思えるほどに心を強く持てたのは、あの子供、サンジという、あのコックが共にいたからだ。ゼフには夢があって、そして、サンジという子供が傍にいた。どちらか片方だけではだめだったのだ。一緒に店をやるという、ゼフの願いが、彼を生き延びさせた。 「だからなんだ?足がなくとも両手さえありゃ料理はできる。テメェいったい何がいいてぇんだ?はっきり言ってみろ」 の思考はさておいて、目の前では会話が繰り広げられる。ゼフは己の両手を前に出し、何の悔いもないときっぱりとした態度。サンジが唇を噛んだのが分かった。 (不器用な親子だよ) ゼフがサンジの命の恩人であるのと同時に、サンジは、ゼフの命の恩人でもあるのだ。 そうして、お互いを思い合っているのに、男だからか知らぬが妙な行き違いが起きているらしい。は苦笑して、ひょいっと、階段を下りた。 ゼフとクリークの無言のにらみ合い。これで覇気を扱いながら、であればあっぱれと言いたいのだけれどクリークにその才覚はないし、ゼフもそのようにはせぬらしい。いかめしい顔をさらにしかめて、クリークが視線をふいっと外した。ぐるりと店内を見渡して、呟く。 「赤足のゼフ、貴様はかつてあのグランドラインに入り、無傷で帰った男。その航海日誌をおれによこせ」 この破廉恥極まりない男はグランドラインの藻屑になってくればよかったのに、とは思った。航海日誌を見せろ、というのは、見知らずの女性に突然「パンツ見せてくれ」というようなものだ。知らずの顔が憤慨で赤くなり、ずかずかとゼフの隣まで近づいて何か言おうと口を開くが、ゼフに手で制された。 「この、」 「―――航海日誌か、確かにそれは俺の手元にある。だが渡すわけにはいかんな。貴様には、重すぎる」 この小物、と言いたかったが、ゼフはそれ以上のことを言ってくれた。いや、別にゼフは厭味のつもりはないのだろう。はふん、と鼻を鳴らしてクリークを睨む。ゼフの隣に現れた小さな少女のこと、クリークは一瞥し「なんだ、テメェの孫か?」と興味無さそうに言うだけだった。 「ならば奪うまでだ。確かに俺はグランドラインから落ちた。だが腐っても最強の男、ドン・クリーク。たかだか闇の航路などわたる力は十分にあった。兵力も、野心も。ただ一つ押村九は情報が足りなかったこと。ただ知らなかっただけだ」 だからこの男は小物だとは本当にあきれる。知らなかった、誰も教えてくれなかった、なんていう言い訳をするのなら海賊など止めてしまえばいい。海では知らないことが命取りになるというのは常識だ。それを堂々と振りかざすのは如何なものかと、いや、まぁ、ルフィはいいとして。 「航海日誌はもらう。そしておれは再び海賊艦隊を作り、ワンピースを掴む。この海賊時代の頂点に立つのだ……!!」 「ちょっと待て、海賊王になるのは俺だ」 なんだかとっても恥ずかしいことを堂々と言ったドン・クリークにがますます顔を引き攣らせていると、その後ろからルフィの空気を全く読まない声がかかった。おや、とは目を細める。クリークが言えば「身の程知らずが」としか言いようのないセリフも、やはりルフィから聞けば輝く光のしずくのように聞こえる。 「何か言ったか、小僧。聞き流してやってもいいんだぜ」 「いいよ、聞き流してもらわなくて。おれは事実を言ったんだ」 周囲でコックたちがルフィを止める声が聞こえるが、そんなことなどお構いなしにルフィがクリークを見上げる。ずいぶんと体格差があるけれど、の目にはルフィの方が大きな器をもっていて、そして道理のように見えるのだから面白い。ころころと喉を震わせて笑っていると、隣でゼフがあきれたように溜息を吐いた。 「なめるな小僧!!情報こそなかったにせよ、兵力五千の艦隊がたったの七日で壊滅する魔境だぞ!!!」 遊びではない、ときっぱり言うルフィに、クリークの額に青筋が浮かんだ。そしてさらに恥ずかしい内容を自分で大っぴらにするあたりこの男はM気質なのだろうかと小首を傾げたくなった。そういうに気づいているゼフのため息ばかりが深くなる。完全にこの状況を面白おかしくしか見ていないだろう、とそういう目を向けられては「別に?」とそれは良い笑顔でのたまうのだ。 「俺はそういう冗談が嫌いなんだ。いっそこの場で潰してやろうか」 「潰せるものならな」 「口の聞き方にゃ気をつけろ、ガキ」 知らないのは当たり前、誰も教えてくれないのは当たり前。それを乗り越えていくからこその、冒険ではないのか。問うた声はただ海に消えるだけ。誰も何も助けてはくれない、そんな孤独の海に、それでも夢を、希望を見出してしまったからこそに、無謀とわかり、困難とわかる先を行くもの。 それが海賊、そうルフィはきちんとわかっている。だから別段、人が「あのクリークの艦隊がたった7日で!!?」と驚き慄く中もさしたりの恐怖とは思わぬのだ。 「戦闘かよ、ルフィ、手を貸してやろうか?」 さて、この一触即発の事態はどうなるのかと眺めていると、先ほどまでとルフィがいた中央のらせん階段、そこにゾロとウソップの姿があった。ナミはいない。船にいるのなら安心だとは思う。ここ数日、少しだけだがナミの様子がおかしかったことには気づいていて、それが何なのかとはっきりとはわからない。けれど目星がついていないこともない、というあやふやさ。だからできる限り彼女が落ち着ける場所があればいいと思った。 クリークなんて強面、そしてある意味海賊らしすぎる生き物はナミに見せるべきではない。勝手に、傲慢な判じかただという自覚はにもあるが、まぁ、それはそれ。 「ゾロ、ウソップ、お前ら来たのか。いいよ、そこで見てろ」 「そうか」 好戦的に刀を握るゾロに、ルフィは一瞥してあっさりと言う。実力的に見てルフィとクリークのどちらが強いか、そういうことにはは興味がなかった。ただ、天分があるかないか、とそれだけだ。だからルフィのその判断をどうこう、とは普段であれば思わぬのだけれど、今ばかりはゾロの手も借りておいた方がいいのではないかとそういう心が湧く。 「はははっは!!そいつらがお前の仲間か!?随分ささやかなメンバーだな!」 「何言ってんだ、あと二人いる」 あともな、とちゃんとこちらを見て笑うルフィにも笑い返して、クリークの失笑を買った。まぁ、確かにお子様集団に見えなくもないけれど、それはそれである。それにしてもこの自分をまるで知らぬとは、とは改めてあきれた。ルフィやゾロなど駆け出し海賊が自分を知らぬのは、それは道理というものだけれど、しかし仮にも五千人の部下を持つ艦隊の提督どのであらせられるのなら、海賊の常識くらいは知っていなければならぬだろうに。 は普段グランドラインにいるが、新世界などで自分を知らぬ海賊にはまだお目にかかったことがない。そういうことなのだ。これが世界で最も平和な、とされている海の常識であるから、そこの覇者があっさりグランドラインを落ちても不思議ではなくなる。 ロジャーの死から二十二年あまり。海賊時代は一向に収まる気配こそないけれど、最近海賊の質が落ちていないか?とそういうのがの正直なところだった。 「貴様らの相手は後回しだ。俺は部下どもにメシを食わせてくる。死にたくねぇやつはその間に店を捨てて逃げるがいい。おれの目的は航海日誌と、この船だけだ」 ルフィのあまりにささやかなメンバーに毒気を抜かれたか、それとも相手にする価値もないと踏んだか、それはどちらでもいいのだけれど、ゼフがどっさり用意した百人分の食糧を背負い、クリークが背を向けた。その背を蹴り飛ばして分厚い鎧ごと海にたたき落してやろうかとぼんやり思うの耳に、クリークの言葉がさらに続けられたのが届く。 「それでも無駄に殺されることを望むのなら、面倒だが俺が海へ葬ってやる」 君程度じゃ無理だって、と言いかけてゼフに口を押さえられた。 ◆ 「で?なんだテメェは、事態をややこしくしてぇのか?」 「だってゼフくんだって見たでしょう?なぁにあの小物。恥ずかしいったらありゃしないよ。あんなのが海賊だなんて世も末だね。無駄に海兵を忙しくさせているだけだって思わない?」 クリークが出て行ってすぐ、店内に残っていた客は我先にと飛び出していった。一目散に逃げていく姿を見送ってから、ゼフがごつん、との頭にげんこつを一つ落とす。 「お前の基準で考えるな。ドン・クリークはこの海じゃ覇者で通っているし、けして弱いわけでもねぇ」 ゼフがそう言ってもには信じられない。どう見ても、どう考えても「鏡見たことある?」と眉をよせて進言したくなる程度の男だ。あれが海賊王になれるような奇跡があったら、正直はドフラミンゴと結婚したっていい。そう言えばゼフは「そんなこと本人が知ったら本気で泣くか、それが意地でもドン・クリークを海賊王にしようとするかどちらかだ」などと、嫌なことを言う。 冗談で言ったが、確かにあのドフラミンゴの勢いを思えばありなくもなさそうで、は額を押さえた。 「で、どうするの?」 クリークを小物だなんだとは思うが、それで実際自分があの男を殺せるかどうかは明白だ。サカズキの冬薔薇がなければそんなのはあっさりとできるだろうけれど、今の身ではまず不可能。それに先日の事件で負った薔薇からの傷が一向にふさがる気配もない以上、無理はできない。 の問いにゼフは眉をよせ、中央にいてひたすらサンジに謝罪する下っ端、ギンに近づいた。 「テメェが気に病むことはねぇぞ、下っ端。この店のコックが、それぞれテメェの思うように行動した。ただそれだけのことだ」 言えば周囲のコックたちがどよめいた。 「オーナー!?オーナーまでサンジの肩を持つようなマネするとは…どういうことですか!?」 「そうですよ!あいつはオーナーの大切なこの店をつぶす気なんですよ!!?」 口々に言う、そしてサンジに飛ぶ馬頭に、しかし金髪のコックは何も反論しなかった。ゼフの店を潰そうなどとはかけらも思っていないだろうに、そんな冤罪を被せられても何も言わぬのか。が怪訝そうに見ていると、ゼフが吠えた。 「黙れボケナスども!!テメェらは一度でも、死ぬほどの空腹を味わったことがあるのか!?広すぎるこの海で、水や食料を失うことがどれほどの恐怖、どれほど辛いのか知ってんのか!!?」 びくり、と空気が震える。さえ体を強張らせた。自分に向けられた怒気ではないとわかっているが、それほどの勢い。コックたちの顔に困惑の色が浮かぶ。 「え、ど、どういう……?」 「サンジとテメェらの違いは、知ってるか、知らねぇか、ってことだ。ぐちぐち言ってる暇があったら、裏口からとっとと店を出ろ」 そのことについて全員が疑問を持ち問いかける前に、ゼフは話題を変えた。おや?とは目を細める。知っているか、知らないか。先ほどのクリークもそうだった。知らないことは人を阿呆のように見せる。だからと言って知識で固めるのも阿呆だが。 ふわり、とはテーブルの上に腰かけて首を傾げる。 ゼフが出て行け、というのに、誰ひとり立ち去らぬのか。 「俺は店に残って戦う。やられっぱなしじゃハラの虫がおさまらねぇ」 「俺もだ、ここは俺の働く店だ!!」 「そうだ!どうせ他に行く場所もねぇしな!!」 連中、口々に言ってそれぞれ手に武器(…武器なのかあれ?)のナイフやホークを手に取る。巨大な食器、普段は何に使うのかとは不思議に思った。 「何やってんだ!ドンの力はさっき見たはずだろ!!」 誰も逃げぬ姿勢に、うろたえたのはギンだ。先ほどクリークに打ちのめされたのだが、その痛みはもう消えたのか、そんなことよりも恩人の店の人間が無残に殺されるやもしれぬ可能性を恐れ、今にも泣き出しそうな顔をしている。そういう顔、そして眼の下にある隈がの脳裏に、トラファルガー・ローを思い出させた。顔をしかめ、は首を振る。 悲痛な声を出すギンに、サンジが転がったテーブルを直しながら話しかける。 「腹を空かせたやつにはメシを食わせるのが俺の正義。だがな、こっから先の相手は腹いっぱいの掠奪者。これから俺がお前の仲間をブチのめそうが、文句はいわせねぇ。この店に手を出すってんなら、俺はテメェでも容赦ねぇ」 「っへ、テメェでいかしといて殺すんじゃ世話ねぇな。サンジ」 「煩ぇ、クソコック」 パティが呆れたようにちゃかすがサンジは煙草に火を付けてそれを交わした。 おや、とが目を細めると、隣に来ていたルフィが面白そうに笑う。 「な?なんかアイツいいだろ」 「いいよね。ウソップくんたちどう?」 ひょいっと、とルフィが螺旋階段の上に顔を向けると、ウソップは顔を引き攣らせて首を振った。 「いいよ!あんな奴!それより早く逃げようぜ!!クリークの手下が大勢来るって!!!おいどうすんだよ!!」 いやぁ、本当にウソップくんのうろたえっぷりは面白いなぁ、とはしみじみ思った。このテンパ理具合はバギーにそっくりだ。いや、バギーの方がもっと小物で卑怯でずる賢いから比べるのは失礼か。 狼狽するウソップとは対照的にゾロは落ち着いていた。 「落ち着けよ、クリークってもボロボロの怪我人だぜ」 ご飯食べて元気回復☆はしたけれど、それでも確かに怪我はしていたし、餓死寸前だったものがそう簡単に復活するわけもない、と同じく餓死しかけたことがあるからかそう判じるゾロ。冷静である。はひょいっと、乗っていたテーブルから降りて窓の外の巨大なガレオン船を眺めた。 「本当にボロボロだよね。ズタボロのガッタガタ、あれは造船ドックに入れても修理に時間がかかって、買い換えた方がいいかもね」 「なぁギン、お前グランドラインのこと何もわからねぇって言ってたよな。行って来たのにか?」 パン、とルフィはテーブルに腰かけて足の裏を器用に合わせて鳴らしながら首を傾げた。これから行くグランドラインの情報収集、というつもりが欠片もないのが面白い。ただの興味、好奇心の塊だ。 「……わからねぇのは事実さ」 店の裏で話した時のように深刻な顔をしてギンが頭を抱える。その時のことを思い出しているのかガクガクと体が震え始めていた。 「グランドラインに入って七日目のあの海での出来事が、夢なのか現実なのか、未だに頭の中で整理がつかねぇ……」 七日目、であればとうに灯台は超えているだろう。しかし仮にも灯台まで行ったのなら一度頼って情報収集をしているはずである。クロッカスは豪胆なところがあるから、たとえ礼儀のなっていない海賊相手でもきちんと、「初めてのグランドライン☆バナナはおやつに入りますか?旅のしおり」を渡しているはずだ。まぁ、多くの海賊はバカにされていると思ってもらって速効海に投げ捨てるものだから、あの岬の海底たにはいい具合にあのしおりが溜まっている。 ちなみにそのしおりを作ったのは代々の灯台守である。あまりに暇だったもので、最初はまじめな覚書だったものが、だんだん茶目っ気たっぷりの、一見してふざけた代物になったのは仕方ないとは思っている。 灯台守の一番の仕事はグランドラインに入ってくる船にグランドラインの特性を教えることだ。それであたら命を散らすかどうか、はそのあとのこと、灯台守には関係ないが。 懐かしい、もうすぐに彼にも会えるのだろうか、とが思考に沈んでいる間にもギンのトラウマトークは続く。 「信じられねぇんだ……たった一人の男に、50隻の艦隊が壊滅させられたなんて……」 ぽつり、とつぶやく言葉にはも興味がある。あの船の斬られた後を見るに、もよく知る剣士の仕業らしいと見当はついていた。その回答発表のようなもの、人のトラウマなんて気にもせずは耳を傾けた。 「それは、突然起こったんだ。その男は現れるや否や、艦隊の船を次々と沈めて行った。あの時、運よく嵐が来なかったら。おれたちの本船も完全にやられていた」 五千人も、と数を誇るのなら、五千人も失うことができる、とそういうことだ。そしてグランドラインの恐ろしい、天候の狂った場所。それは地獄のような心持ちだっただろうとも察する。やっている方はまぁ、ただの暇つぶし程度だったにしても、受ける側の惨劇さ。 ギンの震えが一層激しくなった。その時の、光景やら何もかもを脳裏に思い浮かべているのか、びっしりと額に汗をかく。たまらずサンジが「もういい」と言いそうになっているのだが、それでもギンは、ぎゅっと手のひらを握りしめて続けた。自分の知っている情報を人に話そう、としているのではない、話さずにはこの恐怖が永遠に己の身に付きまとうと、それゆえである。 「ただ恐ろしくて、あれを現実だと思いたくねぇんだ……あの男の、あの、人を睨み殺すかと思うような……あの、鷹のように鋭い目を……!!」 「よし、ぼく正か、」 うん、とガッツポーズをしようとしたら、すかさずゼフにがつん、と頭を叩かれた。空気を読まないにもほどがある、という目をされては頬を膨らませる。人のトラウマトークには興味がない。ただ予想が外れたか当たっているかそれだけだと言おうと思ったが、さすがに止めておいた。はため息を吐いて、肩を竦める。 「それは、鷹の目のミホークでしょう?」 ひょいっと、腰かけていた窓枠から降りて、ギンの前にしゃがみ込む。頭を抱え、何がなんだかわからなく、記憶と現実が入り混じった目をしている。 「グランドラインで、そんなことをあっさりできる、入口付近にも現れるような剣士なんて彼くらいなものだよ、ねぇ、ゼフくん」 「あぁ、そいつがその男の目を鷹のように感じたこと自体は証拠にゃならねぇが。そんなことをしでかすこと自体、あの男である十分な証拠だ」 「誰がしたか分かれば怖くもなんともないよね」 何しろミホークは七武海だ。あっさりとそういうことをしでかせるのが当たり前。それなら「あぁ、ミホークさんか。またやってるんだ」と思えばいい程度のことだとは思う。 「鷹の目の男……!!?」 入っていきなりミホークにぶち当たったのは不幸というしかないけれど、とが同情しているとゾロの上ずった声がかかった。 「ん?ゾロ、知ってんのか?」 ルフィがきょとん、と小首を傾げる。 ……だから、七武海の名前くらい知っておいた方がいいのではないかとは突っ込みたくなった。それにミホークはシャンクスとも縁が深い人物だ。ルフィは幼年期にシャンクスと過ごしたことがあるらしいが、その時に話題に上がったことは一度もなかったのだろうか。 ルフィの問いにゾロはごくり、と喉を鳴らして頷いた。 「あぁ、俺の探している男だ。俺はそいつに会うために海に出た」 ちらり、とゾロがを見る。何か問いただそうとしているような視線には首を傾げた。先ほどが鷹の目を「ミホーク」とそして「彼」と、個人的に知っていなければ語れぬ口調で話したことを気づいたらしい。 「これでおれの目的は完全にグランドラインに絞られた。あの男には、そこへ行けば会える」 しかし結局は何も言わず、から視線を外し、腰にさした白い鞘の刀を手にとって呟いた。は目を細める。ゾロは自分を「何か妙な生き物」だとそう判じている。だからなるべく慎重に扱っている節があって、今回のこともそれが原因だろうか。さて、とは大きく伸びをしてゼフに近づいた。 今のこの状況、のんきに世間話に興じている場合でもなかろう。今もこのお店の目の前にはドン・クリークの巨大ガレオン船が構えている。 ひょいっと腕を振ってデッキブラシを取り出すと、そのちょうどタイミングよく、外から雄たけびが聞こえてきた。食事を終えた海賊たちの咆哮だろう。 コックたちも負け時と声を張り上げた。 「来るぞ!雄叫びが聞こえてくる!!」 「守り抜くぞ!このレストランは俺達が守るんだ!!!」 いやぁ、元気なことである。この中で何人くらい死ぬのだろうかとは考えて嫌な気持ちになった。彼らコックが、ただのコックではないのはたち振る舞いやら人相からわかる。けれど相手は本場戦闘のプロ、というよりも、それが生甲斐生業の海賊連中。いかにここのコックたちが強かろうと、本気の殺し合いで勝てる可能性は少ないだろう。 「、お前は逃げていろ」 とん、とゼフがの背を押した。 驚いては顔を上げる。ゼフが戦って、サンジが戦って、ルフィが戦って、ゾロが戦って、それで戦力は4人。はクリークを小物と判じはするけれど、それでも戦闘能力皆無の部下などいないとは思うし、クリークの振る舞いを見れば部下がどれほどの実力なのかもある程度分かる。 海賊の幹部、に勝て、あるいは対等にやりあえるのはこの四人くらいだ。四対百なんて遊びじゃないのだからなかなか難しい。 その中で自分だって戦力に数えることができれば、一人当たりの負担は20人程度になるからいいのではないかと、はそう思ってデッキブラシを構えたのに、ゼフはそう、逃げろと、言う。 「ふふふ、ふふ、ゼフくんぼくを心配してくれているの?」 「この店でお前に何かあったら営業停止になっちまうだろ。あの大将が直々に潰しにくるぞ」 きっぱり言われては肩を竦めた。自分はそうは思わぬけれど、元海賊のゼフが、大将をそう判じるのならそうなのだろう。大将赤犬のことは海賊の方はよくわかっているところがある。パンドラ・は誰にも害されてはならないと赤犬は徹底している。たとえが黙っていても、が怪我をすれば冬の刻印によってサカズキには告知され、どこにいるのかもバレてしまう。 「!!?」 それならことが終わるまでメリー号で待機していることにしようかとが歩き出すと、その途端、船が大きく揺れた。 「なんだ!?」 「何が起きた!!?」 揺れる店内に、見事にバランスを崩してころころと転がる。それはもう見事にすっころんでコロコロとローリング。そのままあやうく壁に激突しそうなところをゼフがひょいっと掴みあげた。 「しっかりつかまってろ!!!―――錨を上げろ!この船ごと持ってかれちまうぞ!!」 猫の仔のように首根っこを掴まれては不服そうな声を上げるが、ゼフは気にせず指示を出す。その間も大いに揺れる船内には顔をしかめた。 何が原因かわからぬが大波の発生。一体どういうわけかと、は窓の外に視線を向けて、目を見開いた。 「……あの船、真っ二つになってない?」 この揺れはその余波だろう。なぜか知らないが、クリークのガレオン船が真っ二つに斬られている。巨大な組み木がバランスを失って沈んでいく。ゾロがあわててデッキに飛び出した。 「まずい!!!ナミもヨサクもジョニーもまだ表の船に乗ったままだぞ!!」 「それはまずいよ!!ナミ!!!」 はゼフから離れて自分もデッキへ飛び出した。大飛沫を受けながら目を凝らすが、メリー号の姿は見えない。すでに飲み込まれて沈んでしまったのだろうかと心が焦る。 「ナミ!!」 海に沈んだのなら、自分が救うことはできない。はぎりっと歯をくいしばって海の中を凝視した。何か動くものがある。ナミは能力者ではないから泳いで上がってきたのかもしれない。 「ぶはっ!!!アニキ!!!」 「君たちかい!!?」 期待して待てば、上がっていたのはヨサクとジョニー。いや、彼らが無事でよかった、とも思うけれど、ナミではないのか。思わず突っ込みを入れたはさておいて、ゾロとルフィ、ウソップが駆け寄る。 「ヨサク!ジョニー!無事か!?」 「船は!?船がないぞ!?ナミはどうした!!?」 「それが、すいませんアニキ!もうここにはいないんです!!」 海水を吐きながら、ヨサクとジョニーが悔しそうに板を打った。 「ナミはいないの?どうして?」 なぜ悔しがるのかにはわからぬ。無事に逃げられたのならそれに越したことはないだろうと、そう思って問えば、ジョニーが歯を食いしばった。 「ナミの姉貴は……!!宝全部持って、逃げちゃいました!!!」 「……なんで?」 きょとん、とは目を丸くした。まるで状況はわからぬ、とそういう状況。しかしまぁ、ナミが無事ならそれでいいあと、そう思うことにした。 ◆ とにもかくにも、まぁ、ヨサクとジョニーの話によればナミは裏切った、ということになるらしい。彼女の言葉をそのままにすれば、ルフィたちとはビジネスで手を組んだだけ。そろそろ潮時なのでお宝全部頂いて撤収、と、話にすればそれだけだ。 「それは困ったねぇ」 「あぁ、困った。おれぁあいつが航海士じゃなきゃ嫌だ」 ゾロとウソップは怒りを露にしているが、とルフィはそろって眉を寄せるだけである。はルフィの言葉にうんうん、と頷く。グランドラインにこれから入るのなら腕のいい航海士は必須だ。ナミは、視たところ海軍本部の一等航海士にも引けを取らぬくらいの腕、目を持っている。 それだけではなくて、はナミが好きだった。昔、まだサカズキが帽子にフードという奇抜な格好をしていたころ、サカズキが連れてきた女海兵に少し似た印象を受けるから好きだった。海兵を辞めて今は平和に故郷で暮らしているという彼女に、もう自分が、海の魔女が会いに行くことなどはできないから、その代役かと、皮肉られれば頷くしかないけれど。 「うん?おや、まだ船が見えるよ」 目を凝らせばまだ遠くにメリー号が見えた。追いかければ間に合う距離だ。の声が弾み、ひょいっとデッキブラシに跨る。全速力で行けば楽につけるだろう。そのまま飛んで行こうとするのだが、しかしゾロに足を引っ張られた。 「ちょ、危ないよ、ゾロくん!」 「もういい。ほっとけよあんな泥棒女。追いかけに何になる」 「でも、」 「俺はあいつが航海士じゃなきゃいやだ」 今にも第×回vsゾロの口げんかが始まりそうになったところを、ルフィの心底困っている声がさえぎる。おや、とは顔を幼くし、ゾロはルフィを見た。 「別の航海士を探しゃいいだろ」 「嫌だ」 眉をよせて、じっとゾロを見上げる黒い眼。わがままを言っている自覚はない顔。ゾロが長い溜息を吐いた。 「……わかったよ。世話の焼けるキャプテンだぜ」 諦めたような声に、しかしそれでも船長命令を守る気。そういうところは好ましい、とは意外に思いながら、デッキブラシからひょいっと降りる。 ヨサクとジョニーが乗ってきた船は無事だから、それを使って追いかけることになるのだろう。それなら自分は先に追い付いて説得、あるいは話を聞くべきかとは迷う。今のところ、自分はただウォーターセブンまで乗せてもらうことを約束に船に乗っているに過ぎない。こういう、クルーの人事に口を出すべきではないだろう。しかしナミには会いたいし、とあれこれ考えながら、はぴくり、と顔をあげた。 (……あれ?この気配って) まだゾロたちは気づいていないが、誰かがやってくる気配がする。この気配はもしかして、とは嬉しくなって辺りを見渡した。 「ドンクリーク!!あの男です!!我々の艦隊をつぶした男です!!」 が目的の人物を見つける前に、真っ二つになったガレオン船から必死に逃げだしたクリーク改造団の船員たち、残骸につかまってある一点を指差した。 なんだ、先ほどの余波で沈んで死んでくれればよかったのに、とは心の底から思いつつ、クリークの姿をまず先に確認した。重い金ぴかの鎧をつけた男、今のこの状況、自分の船が斬られた事態に動揺しつつ、船員の指差した先を見る。 つられても視線を向けて、顔を輝かせた。 まさか東の海で会えるとは思わなかったが、これも日頃の行いというやつだろうか。 荒れ狂う波が落ち着いてきた場所から、ゆっくりと進みくる一隻の小舟。あまりに頼りない小さな船、はいつも思うのだ。あれでグランドラインを渡っているあの男、航海術すごくね?と。いや、まぁそれは今関係ないとして、その、小舟、小さいのだが、どこか禍々しい印象を人の意識に植え付ける。緑の炎を揺らめかせる?燭に囲まれて、寛いだ姿勢の男が一人。 世界一の大剣豪、鷹の目のミホークその人だ。 「ミホーク」 だっ、とはデッキブラシに跨って飛び出した。後ろでゾロが止める声がしたが、無視する。そうしてそのままミホークの船に近づいて飛び降りる。普通に落ちればそのまま床に落下するところ、ミホークが当たり前のように受け止めた。そうされることをきちんと知っていたため、はぎゅーっとはミホークに抱きつく。これがドフラミンゴなら即行蹴るだけなのだが、はミホークには懐いている。 久しぶりに会う、しかもグランドラインでしか会えないから暫くは顔を見ることもないだろうと思っていた相手だ。うれしくないわけがない。 対するミホークも表情を和らげて、の体を抱きとめる腕に力を入れた。 「久しいな、」 しっかりとの体を抱きしめていたが、ミホークは一度トン、とを下す。それで一度くるりと体を回転させて怪我や何やらがないのかを真剣な目で確認してきた。が「へいきだよ」と笑うと、そのまま頭を撫でてさえきた。はうれしそうに目を細めて鷹の目の男に再度抱きつく。 え、何この光景、と周囲は一瞬停止した。 「こんなところで会えるなんて思ってもいなかったよ」 「同感だ。なぜそなたがここにいる」 たった今ガレオン船をブッた斬ったらしい、鋭い鷹のような眼の男。おっかない雰囲気に変わりはないのだけれど、飛び込んできた少女を両手で抱きあげて「高い高い」でもしているかのよう。え、何この光景。 きゃっきゃとの楽しそうな声、しかし背後では海賊ドン・クリークのクルーたちが呻いたり、すったもんだ。完全に二人の世界に入ってしまっているその光景に、水を差せる根性のある人間はあいにくいなかったが、しかし、次の瞬間楽しそうに笑っていた少女、どがっ、とミホークの弁慶を思いっきり蹴った。 「……何かしたか」 の攻撃、さほど答えておらずゆえの嫌味、ではない。何か自分がの気に障ることをしたのかと、そういう確認である。 基本的に、とミホークの関係は世に類を見ぬほどの「良好」である。はよくミホークに懐いているし、ミホークもをよく可愛がっている。赤犬のそばにいるときはそれほど危険はないけれど、ふらふらとどこかへ行くが最低限身を守れるように、と護身程度の剣を教えたのはミホークだ。殺傷能力のない刃のない剣を与えて、時々手ほどきをしている。(ちなみに、その剣に殺傷力を与えたら殺すと海軍本部マリンフォードの港の鍛冶屋全員に言い含めて回ったのもミホークである) そういうわけで、ミホークはを可愛がっている。いや、目撃している鳥の大将やら鳥の七武海さんからのコメントによれば、可愛がるというよりはただひたすら甘やかしまくっていると言ったほうが正しいらしい。砂糖の山に黒蜜をかけたよりも甘いのがに対するミホークのスタンス、え、普段の鷹さんからは想像もできないんですけどッ!と周囲の驚愕など知らぬ。が懐いてくれるならそれでいいと、開き直っている鷹の目の男、世界一の大剣豪。 そのミホーク、と出会って初めて、にあからさまな敵意を向けられ、少し動揺しているらしかった。たらり、と冷や汗を流し、の顔を見る。 「ぼくの仲間の船が近くにあったのに、大波起こさないでよ!」 顔はニコニコとしているのだけれど、その額にぴきっと青筋が浮かんでいた。もしこれがドフラミンゴであれば、泣いて土下座するまで許してくれない。 「船……?あぁ、ガレオン船の近くにあった、羊の船首のものか」 斬った船を一々覚えてはいないが、しかしメリーは印象深かったか、記憶をたどるように答える。 「そうだよ!それだよ!危なく巻き込まれるところだったじゃないか!!」 「そうか。すまん」 素直にぺこり、と頭を下げればぱかぱかと、がミホークの胸を叩く。全く痛くはないのだが、が自分に対して怒気を向けているということがミホークは少し堪える。(ヘタレ属性あり) 本気で怒っているわけではないのは経験上わかるのだが、暇つぶしで切った船の付近にの思い入れのある船があったとは、なんたる不運。 しかし、がなぜこの東の海にいるのかと改めてミホークは不思議に思った。時折の気まぐれ以外、基本的には海軍本部の赤犬のそばから離れない。(離れようとしたら容赦なく首を鎖でつながれる)ミホークと会うのもマリージョアか海軍本部、それかエニエスでのみであった。まさかこんな平和な海にがいるなどとは夢にも思わなかった。 驚いていると、の動きがぴくり、と止まった。居心地悪そうにミホークから視線をそらし、の頬をたらり、と汗が伝う。それでミホークは大体のことは察した。 そう言えば、先日に会いに行こうとしたドフラミンゴが「は病で伏せっている」とあしらわれたらしい。なぜ知っているのかと言えば愚痴られたからだ。どうやら七武海にはあずかり知らぬところで、政府との間に何かが起きているとそういうことのよう。 「えっと、あの、あのね。ミホーク、あのね、えっと、その、ぼくがここにいること、黙っててくれると嬉しいんだけど」 青い目を不安げに揺らしてがミホークを見上げる。普段勝気な目ばかりをしているが、こういう表情も悪くないと、ミホークはなかなか末期なことを考えながら、の頬に手を添えて目を細めた。 「そなたがそれを望むのなら」 だからキャラ変わってないか、とそう突っ込むものはあいにくここにはいなかった。 「な、なんだ、あの子供にめっちゃ甘い、あれが世界一の大剣豪か……?」 「どう見てもただのおっさん……」 唖然とする周囲、この場で唯一の正体をしり、事情を察しているゼフは、なんと言うか、頭を抱えた。 先ほどまでのシリアス展開に水を差すどころか、なんか間違った方向にもっていく、それが悪意の魔女である。いや、違うか。
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