*メイン登場人物説明

少年……さんの所為ですごく不幸な目に合う見習いコック。









「クザンくんはぼくのことが好きすぎてしょうがないんだよね?」

昼時を少し過ぎた、天気の良い海軍本部“奥”の棟、大将・青キジ管轄の将官らが使用しているフロア、その中で一番広い執務室は当然大将青キジ、クザンのもの。
そこへ珍しくやってきたのは真っ赤なバラの花を頭に挿した、ピンクのスカート、かわいらしい幼女、である。普段赤犬の執務室か、あるいはその隣に用意された控室から出ることのない「悪意の魔女」のその訪問。海兵として、あまりよろしい事態ではないことは分かっているが、クザンは素直に顔を緩ませて迎え、そしてこの冒頭の一言である。

うん、だよね、この子どんなに可愛くっても傲慢・尊大、え、だからそれがなぁに☆わがままいっぱいちゃんだもんね!!とクザンは顔をひきつらせ、額を抑えた。

「で、惚れた弱みに付け込んで、おれにどんな片棒稼げって?」



バレンタインはいろんな意味で命がけ!



とりあえずクザンはお手製のコーヒーメーカーで手づからゆっくりとコーヒーを淹れ、小さなまっ白いカップに注ぐとソーサーごとに手渡した。一瞬、自分が入れたものは口にしないだろうかとそんなことを考えるが、、あっさりと何の疑いもなく口をつけて、クザンを見上げる。

「クザンくんは珈琲のうんちくを語らせたら長いしくどいっておつるちゃんに聞いたことがあるよ」
「できれば味とか褒めてくれるとホントに嬉しいんだけどね」

嫌味ではなくて、そういう思いがつい口を次いで出た。自分がどれだけ気合いを入れて手間暇かけたものを出したところで、味覚のないには意味のないこと。それでも今入れた珈琲はここ最近の中で一番気合いを入れていた。そういう苦労を分かって欲しい、ということはないのだけれど、少しくらい報われて笑顔一つ、くらい見せてくれたっていいんじゃないかと、そう思った。

は目を細めてコロコロと笑い、カップとソーサーを膝の上に置く。

「味はわからないけどね、香りは好き。クザンくんも時々珈琲のにおいがするけど、嫌いじゃないよ」
「おれのことからかって楽しい?」
「ぼくの一挙一動に心を動かされるほうが悪いのさ」

楽しそうな魔女の声。弾む、弾む毬のように弾む声にクザンは観念したように両手をあげて、どっかりとソファに座りこむ。向かい合い、座っても己とはまるで目線の合わぬ。相変わらずまっ白い肌にバラ色の頬、美しいとか愛らしいとか、そういう次元ではないとクザンはいつも思う。抱く時はナイスバディなイケてるねーちゃんを誘うのだけれど、には、それらとは違う圧倒的な魅力があった。しかし、手を伸ばせば嫌われる。と、そう言っていたのはどの七武海か。脳裏にゆっくり思い出しながら、クザンは足を組む。

「で、お前さんが来てくれて、やらなきゃなんねぇ仕事もほっぽりだしちまうほどテンション上がってるおれに、どんな悪事を働けって、利用しにきたわけ?」
「クザンくんはぼくをなんだと思っているんだろうねぇ。ちょっと君にしか相談できないことがあるから助けてほしいって、そう思ったのに」

自分しか頼れない、といわれるのは悪い気はしない。思わず顔が緩みそうになるのを堪えてクザン、いやいやこの顔に騙されるなと自分に言い聞かせる。思春期真っ只中の青少年でもあるまいに、このあどけない顔であっさり身を破滅へ導く、そういうを良く知っているではないか。と、そこまで必死に言い聞かせなければ抗えないのか自分、はとむなしくなるところもあるけれど、それはまぁ、それである。クザンがやけに禁欲的な表情を保とうとしているのに気付いたか、がころころと喉を奮わせた。

「そんなに警戒されるほどぼくは酷いかい。ただね、ぼくはお金を稼ぎたいんだよ」
「は…?」

からかい混じりに言われた言葉に、一瞬クザンは反応が遅れる。思わず間の抜けた声を出せばがもう一度同じ言葉を繰り返した。聞き取れなかったというわけではないのだが、その駄目押しに、テクテクテク、と頭の中で木魚でも叩く音がする。

「……なんなら貸すけど」

じっくり三分後、丁度コーヒーも冷めた頃合、クザンは眉をひそめながらも、やっとそれだけ答えられた。頭の中では今もこう、お金を稼ぎたいとが言い出した=どゆこと?という式が回っている。

赤犬の保護下にあるには所持金や所有の財産などが一切ない。もともとはあったのだが、22年前にサカズキに捕らえられた折に、その全ての財産を政府が没収している。特別な理由があり自身が所持できているものはとサカズキ、あるいは魔女の素養を持った人間以外は進入することのできない、の私室にあるもののみ。しかしそれらはの手元から離れれば世に災厄を放つ器物であるゆえのことだ。

ちなみに、とても気の毒な話だがどこぞの七武海などがに貢いでくるものは(高価そうなものは)即行質屋行きとなり、売った金はそのまま政府の懐に入る。ある意味七武海の正しい資金めぐりである。

で、あるからは基本的に、金の持ち合わせがない。それで当人もまるで困らぬのだから問題はないが、しかし、まぁ、女の子なのだし、きっと何か入用もあるのだろう。そう思うて提案すれば、が首を振った。

「そうじゃないよ。ぼくが自分でちゃんと稼ぎたいの。ぼくの持ってるものやもらえるものはみんな、その、用意してもらってるし」
「まぁ、な」

あぁ、あのわがまま100%、むしろ尽くされるのは当然です☆というようなの口から、用意してもらっている、などという言葉が飛び出すなんて、本当、サカズキの躾すごくね?とクザンは素直に感動した。そして、そうが謙虚な言葉を口にしている、ということは、なるほど今回のこの妙なこと、結局はそういうことか、と顔を引きつらせる。

「だ、だって、ぼくだって、感謝の気持ちがないわけじゃないんだよ?そりゃ、その、ぼくなんかに何か貰ったって、サカズキは嫌なだけかもしれないけど、でも、その、ぼくだって…」

なにこれ結局いつものバカッポーに巻き込まれるってことか、おい、とクザンは、顔を真っ赤にして俯き、バツの悪そうな声でたどたどしく答えるのつむじを見下ろしながら、深いため息を吐いた。

そういえば、もうじきバレンタインデーだ。





+++




事の起こりは三日ほど前。
何だか最近周りの海兵が浮ついてる気がする、とディエス・ドレークが零した一言がきっかけだった。

「浮ついてるって、ディエスの脳内が?」
「………いや、そうではない。もうじき、まぁ、一般的なイベントがあるからだろう」

いつものように海軍本部、奥の赤犬の執務室隣にて大人しくしていたはクレヨンで白い画用紙に犬の絵なんぞ描きながらドレーク准将をからかっていた。いや、からかっているつもりはない。おちょくっているだけである。どちらにせよタチが悪いことに変わりはないが、被害を受けているドレーク准将が被害届を出した所で燃やされるだけである。

「一般的なイベント、あぁ、そうか。バレンタインディだね」

ふんふん、と壁にかかっているカレンダーに視線をやってから、もなんとなしに頷く。そんなイベントごとがあることは当然知っていて、この海軍本部に身を寄せてからというもの毎年も参加していた。

「今年も大量だろうねぇ。去年、鳥からは薔薇が百万本贈られてきたけど、今年は学習してもっと実用向けのものだといいんだけど」

ドレークはがそういうイベントに関心があることにいささか驚いたような顔をして、そして、続けられた言葉に眉を寄せる。

「大量…?お前が貰っているのか?」

鳥、というのは、まぁ、明らかに、あのドンキホーテ・ドフラミンゴだろう。そう言えば去年百万本の薔薇が船に乗って届けられたという話と、何だか赤犬の執務室付近から花が燃えるにおいがしたという話を聞いたことがあるが。

「当然だよ。ふふ、ハロウィン、クリスマス、お正月、バレンタイン、ホワイトデーはぼくに貢ぐ絶好の口実じゃあないか」

誰だこの魔女っ子をこんな風に育てたのは。

きっぱり良い笑顔で言い切ったにドレークは素直に顔を引きつらせる。いや、まぁ、確かに、の言葉通り、を好いている者はこういった口実でもなければ赤犬の反応が恐ろしいので行動に出れないというのもあるだろう。…いや、ないか。気にしないだろう連中ばかりがドレークの脳内に浮かび上がった。まぁ、彼ら、実際口実やら名目など気にせず年中何かしら贈ってきそうだが、あまりしつこいうんぬんだとの「男が女性に贈り物をする」美学に反するとか、そういう懸念をしているのだろう。には妙なこだわりがあるらしい。贈り物をするにしても何でも、独自のルールを持っており、「大量に送るなんて品がない」とかなんとか。つまりは、行事ごとにあいさつを含めた親愛の、という程度の「さりげなさ」を美徳としている。その少ない機会で精いっぱいしているだろうドフラミンゴを思い、なんとなくドレークは同情した。

「……おれの認識では、バレンタインディというのは女性が男性に贈り物をする日だが…」
「地方によっていろいろだよね」

いや、というか、普通それが一般的なのではないだろうか。

ドレークが「海兵が浮ついている」と零したのも、女性に貰えるかとそわそわしている海兵や、今から恋人を作ろうとしている海兵、そして女同士で何やら華やかな会話をしている女性海兵というものが増えたからで、多分、というか絶対、のように「バレンタイン=なんかいっぱい貰える日」と思っている者は一人もいない。

「おれはてっきり、お前も大将赤犬に贈っているものと…」

むしろ、よく毎年あのサカズキ大将がが渡さないことに文句を言わなかったものである。そういえばドレークの記憶している限り、赤犬はバレンタインディを平日扱いしていたような。確か大将になる前からもそんな感じで、早上がりをしたいと申請をかけた海兵を容赦なく蹴り飛ばしたとかなんとか。

「なんでぼくがサカズキにチョコあげないといけないの?」
「一応、チョコレートを贈ると云う原点は知っていたのか…」
「ぼくをなんだと思ってるのさ。キミが知らないバレンタインのルーツまでばっちり見てきたのに」

ふん、とは不機嫌そうに鼻を鳴らした。まぁ、確かに長生きしてきたは、現在のバレンタインの形になる前のものを当然知ってて、だからこそ、浮ついて祝う気にはなれないのかもしれないが、しかし。

「恋人同士というだけではなく、やはり親愛、普段世話になっている相手への感謝の思いを込める意味もある。お前から贈れば赤犬も悪い気はせんだろう」

別に奨励しているわけではないが、も時には子供、というか少女らしいイベントに少女のように参加をするべきだとドレークは思う。普段が殺伐としている、というか、誰もが彼女を魔女と扱う環境だ。こういう時くらいそういったものから離れてもいいのではないか。ぽん、との頭を撫でれば、は機嫌悪そうに目を細めそっぽを向く。本当に機嫌が悪くなっているのなら、ここで自分は迷宮にでも放り込まれていると経験上知っているディエス・ドレーク、苦笑ひとつしてから、三時のお茶の準備をするために立ちあがった。

なんか最近子育てが板に付いている。





+++





にこにこと機嫌の良いなど、サカズキのところに居る意外ではめったに見れるものではない。クザンはまぁ、そういう顔を見れてるだけOK?と何とか思うことにして、目の前で恐縮しきっている海軍本部一般食堂料理長に向かい直った。

「っつーわけで、おれの知り合いの子なんだけど、社会勉強がてら使ってやって欲しいんだわ」
「っは…!!はい!!た、大将青キジのご紹介ということなら…!!!」

海兵の多い海軍本部には当然いくつか食堂もあり、それぞれ見習いから総長までの一般食堂、尉官クラスから佐官クラスまでの利用する中級食堂、以下省略、と階級分けされている。別に他の食堂を使ってはならない、というわけではない。広い海軍本部は、表、中、裏、奥などさまざまな区間に分かれており、そこに一つづ食堂があるのだ。そうなれば、近いところを利用するのが当然。自然とそうなっている、ということである。まぁ、中将や大将、元帥などは己の執務室で食事を採ることが多いのでクザンもこの一般食堂に足を踏み入れるのは数年ぶりだった。あちこちふらつく己でさえそうなのだが、それならサカズキなど絶対にこういうところには来ないだろうと、そう判じてのことである。

「いやいや、別にそんな畏まらなくっていいから。気軽にね。まぁ、怪我とかさせたらそりゃおれは怒るし、妙な虫とかつく結果なったら、正直次の転職先もねぇぞとか言うけど、おおむね、気軽にコキ使ってくれていいから」

一般海兵のところならそう心配もないだろうが、念のためと軽く注意しておくと、なぜか料理長の顔から血の気が引いた。いや、別に氷漬けにするよーとは言ってないだろうに。クザンは頬をかき、大人しくしているに目線を合わせるためしゃがみこんだ。

「お前さんも、ちゃんとこのコックさんの言うこと聞いてね。なんかあったらすぐに俺に連絡しろよ。ハイ、これ電伝虫」
「クザンくん、これゴールデンデンムシ」
「何渡してんですかぁああああ!!!!大将!!!?」

大慌てでから電伝虫を奪い、クザンに押し付ける料理長。

「いや、護身用にもなるし。まぁ、軍艦の代わりにおれがくるってことで」
「中将どのを5人呼ばれる攻撃より強化されてますよ!?」

中々突っ込みの鋭い料理長である。この性格ならも退屈せぬだろう。クザンはとりあえずそれは仕舞い、たいへんテンションの上がりきっている料理長は無視してに言葉を続けた。

「まぁ、そういうわけだから。がんばってね。おれも時々様子見に来るからさ」
「大丈夫だよ。子供じゃないんだから」
「いやいや、お前さんはみかけ十分子供だから」

一応、紹介状には年齢を13歳、と書いている。通常海兵は14歳程度からなのだから、少し早い社会勉強、大将の知り合いの子(嘘は言っていない。言い回しって便利だね!)でわけあり、ということになればそういう扱いになるだろう。

が普通に労働をするなど無理に決まっている。基本的に他人に傅かれて当然だというだ。サカズキのためなら何でもするだろうが、基本、だ。

この性格で縦社会完璧!な海軍でやっていけるわけがない。

一回くらいそういう上下関係を叩き込まれるのもいいんじゃないか?などと言うなかれ。普通に海軍が壊滅する結果になる。それもわかっているからクザンはきちんと自分の名前を出しているのである。普段だらけきってはいるが、こういうところではきっちりと策を張る男だった。

まぁ、一週間くらい適度に働けばのいう「サカズキのプレゼントを買うためのお金」くらい貯まるだろう。ぽんぽん、とクザンはの頭を叩きとりあえずは見守ることにしたのだった。




+++





(つ、使えねぇ…!!!!)

海軍本部一般食堂コック見習いは顔を引きつらせ、一歩後ろに下がった。

本日よりここで「手伝い」をすることになったという、赤い髪の小さな少女。

見かけは12、3歳程度の、どう見たってどこぞの良いところのお嬢さん、という佇まい。真っ白い肌は傷一つなく、ふっくらとしたばら色の頬は悲しみや苦労など考えたこともない、という様子だ。

料理長の説明によれば大将のお知り合いのお嬢さん、だという話だ。おそらくはご令嬢の気まぐれで、ということなのだろう。それはまぁ、いい。縦社会だ。そういうこともあるだろう。見習いコック、その辺は納得した。そして食堂で一番下っ端の自分がその子の面倒を見るのもまぁ、仕方ないと割り切れる。しかし、いや、しかしまさか、ここまで「お嬢様」だとは思わなかった。

大量のお皿を目の前にどん、と置いてみれば、その「お嬢様」きょとんと首を傾げる。「ねぇ、ぼくが洗うの?これ」と、お前何しに来たんだぁあああ!!!と突っ込めばころころと面白そうに笑うのだけれど、それがなんかこう、上目線。

「ジャ、ジャガイモの皮も剥けねぇのか…!!!」
「だってしたことないもーん」
「だ、誰だこいつをここで雇うなんて決めたのは…!!!!」
「ここの料理長さん、きみの上司さ」

きっぱり言うご令嬢。予定では一週間いるらしいが、見習いコック、すでに追い出したくて仕方なかった。いや、無理だろう。大将の知り合いのお嬢さんのわがままと、自分のストレス、自分の上司がどちらを取るのかなど明らかではないか。少年は自分の無力さを感じ悔しくなった。力がないからこんな思いをするのか。こんな、何だかヘラヘラしているやつのお守をしなければならないのか……!!

「うっ、うわぁあああ!!!!」

ダン、と少年は扉を蹴って飛び出した。





+++




どれくらい走っただろうか。職場放棄など情けない、とも思うが少年はそろそろ限界だった。怒りと悔しさで体を震わせ、荒く息をつく。

「……う、ぅ…」

気付けばこれまで来たことのない場所まで走ってきてしまったようだ。まっ白い建物の多い海軍本部、彼がよくゆく場所は訓練生たちが多く利用しているためどこに言っても騒がしいが、ここは閑静な場所だった。手入れの行きとどいた中庭、その白いベンチに少年は腰をかけた。とりあえず今は落着かなければ、と溜息を吐く。

「はぁ」
「はぁ」

同じタイミングで溜息が聞こえた。

「え?あ、あぁあああ!!!す、すいません!!!!!」

正義真っ直ぐ、明日のために、な海軍本部内で溜息など聞くはずがない、不思議に思って少年は音の先を振り返れば、そこにいたのは、名前は知らないが、能力者であることを示すバッヂと、そして准将の階級章。明らかに自分より立場の上の海兵の存在に少年は慌てて、なぜだか誤った。

「?いや、何もされていないと思うが…君は?」

やや濃い金髪に、顎にはXに似た傷のある海兵は慌てる少年に首を傾げつつ、そう問うて来た。てっきり厳しい声だろうと思ったが、意外にもその海兵の声音は優しい。ほっと少年は胸を撫で下ろし、己の所属を応える。

「そうか、私はドレーク准将だ。君は食堂勤務だと言ったが…なぜここに?ここは表の食堂からは随分距離があると思うが」
「…あ、いえ、えっと、その、少し気分転換に」

押し付けられたわがままっ子が嫌で逃げてきました☆とは言えず、というかバレたら色々処罰の対象になりそうな気がして、口ごもる少年。それに何か感じ取ったのか、ドレーク准将は白いベンチに腰掛け、隣を進めた。佐官クラスの海兵の隣に座るなど少年には考えられないことである。恐縮しつつ、辞退するのも無礼であるので、少年は何とか隅っこに座った。その遠慮しまくった態度を准将はほほえましそうに眺めつつ、ぽん、と頭を叩く。

「何があったかは知らないが、君くらいの年には色々理不尽に思うことも多いだろう」

理不尽に思うっていうか、明らかに理不尽なんですが。とはさすがに言えない。少年はぎこちなく返事を返し、なでこの人はこんなに優しいのかと疑問に思った。普通に考えれば、この時間自分は仕事中なわけで、それをこうしてここにいるということはサボっているということで、厳しく怒鳴られるのが普通だ。出会ったのがこの人でなければ多分、そうなっただろう。

「あ、あの、准将も、先ほど溜息をつかれていたそうですが…」
「うん?あぁ……まぁ、なんだ。俺もそろそろ胃が限界というか……」

思わず声が低くなり、「私」ではなく一人称が「俺」になっている辺り本気の呟きである。ぼそり、という准将に少年は何だか妙なシンパシーを感じてしまった。自分のような見習いとは、恐らくレベルが違うだろうが、このひとも何か苦労をしているのだろう。

ちなみに種明かしをすれば、ドレークはが部屋にいないので赤犬にバレるまえに何とか探し出そうとしていて、一向に見つからぬことに生命の危機を感じているのである。辞表を書いたところで一秒後に燃やされるだけと判っている彼は、もう死ぬか生きるかしかない。

奇しくも同じくによって追い詰められている二人だが、お互いそんなことは知らない。少年は少年できっと何か重大な問題を抱えているのだろうと思っているし、ドレークはドレークで、自分の妙な問題とは違い、きっとこの少年は正義に躓いたりと海兵らしい悩みを抱えているのだろうと思っている。

そしてお互い、自分はなんてくだらないことで悩んでいるのだろう、隣には真面目に悩んでいる人間がいるのに、と、同時に励まされていた。

暫くして、少年は気を取り直したのかゆっくりと立ち上がる。

「あの、ありがとうございます。なんだか元気が出てきました。その、お礼にもならないかもしれませんが、自分の働いている食堂に来てください。何か御馳走しますから」

ここで頷いたらドレークは本日赤犬から「無能」扱いされることもなかっただろうが、生憎職務に真面目な男。誘いは嬉しいが、やはりを探さなければならないと思い、丁寧に断った。

「時間が取れたら訪ねさせて貰おう。最近落着いて食事をとる機会がなかったからな」

後半色々実感がこもっていたらしい、少年が同情するように見上げて来て、「きっとですよ、約束ですよ」と嬉しそうに笑顔を向けてくる。本当、普通の幼い子供というのはこういう感じだろうとしみじみドレークが思ったのは当然として、少年はそのまま真っ直ぐ、自分の今やるべき仕事に戻ることにしたのだった。




+++



食堂に戻って、少年は唖然とした。

「お、見習い!お前どこ行ってたんだ?!こっちは人出が足りなくて大変だったんだぞ!?」

入り口で口をあんぐり開けて佇む少年に、先輩コックが声をかけてくる。機嫌が悪い、というわけではなく、純粋に忙しさで声が大きくなっているだけだ。怒られなかったことに少年はほっとして、そして慌てて厨房に入りつつ、先輩コックに問いかける。

「あの、すいません、俺がいない間に何が…?」

食堂は大賑わい。昼食の時間というには少しずれている、というか、いるのはきっちりとした海兵服を着ている者たちではなく、今日は休暇中であることを示す脱帽した連中ばかりだ。他の海兵は訓練中の時間であるから当然で、普段この時間の食堂は閑散としているはずだった。静かな読書と珈琲を楽しみたい方にはオススメ、な状況が常であるはずなのに、昼間よりも忙しいってどういうことだ、これは。

先輩コックは苦笑しながら、食堂の一角を指さした。

「あれだよ、あの子」
「は?」
「お前がいなくなってたから、あの子に料理出しを頼んだんだけどな。中々ウケがよくて」

指された方向を少年が見てみれば、まっ白いフリルのついたカチューシャを指した、フリルのエプロン姿のあのわがまま娘がてんやわんやしながら料理を運んでいる。

「なぜにメイド服…?」

色々思うことはあるが、しかしまず第一に、なぜ食堂給仕係になっているらしいあのわがまま娘が、見習いコックや雑用、の服ではなく、どこぞのお屋敷勤めですか、というような白と黒のメイド服に身を包んでいるのか。

「いやな?料理長が、いろいろあの子にやらせたんだけどどれも不向きで、それで、出来そうな仕事を探したら料理を運ぶくらいはできた」
「……まぁ、確かに」

というか、それも出来なかったら本当、何しに来たんだお前、と突っ込んでほしかった。

「それで運ばせて見たら、海兵たちに人気が出て、折角だったらかわいい格好してくれた方が男もうれしいだろうってことで、料理長が」

少年はがくっと、肩を落とした。あの料理長は何を考えているのだろうか。いや、確かに、野郎が給仕するよりかわいい女の子が一生懸命運んでくれた方がうれしいに決まっている。しかし、なんというか。

「よく本人がOK出しましたね…」

あのわがままなご令嬢がよく、と感心していると、先輩コックはあっさりと。

「いや、本人は嫌がっていたんだけどな。時給50ベリーUPしたら諦めたそうだ」
「安!!!それでいいのか!!!?」

なんで金持ちのご令嬢が50ベリーのために見世物のような立場を甘んじるのかとか、気になりはしたが、あまりの安さに思わず突っ込んだ。そこへスパコォン、と、お玉がさく裂する。

「コラ、新米、嬢の面倒ほっぽってどこへ行っていた!」
「う、あ、すいません!!!あんまりにわがままっぷりだったので逃げました!!!」
「素直でよろしい!」

嘘やら言い訳をするだけ状況が悪化することを知っている少年、素直に土下座すると、料理長は豪快に笑った。それで、一着のメイド服を少年に押し付ける。

「…はい?」
「逃げ出した罰だ。お前も着て料理を運べ」

この人は何を言っているんだろう。
少年は一瞬自分の言語理解能力がおかしくなったのかと思った。しかし、料理長の目はマジである。

「いやな…俺も、嬢があんまりかわいいんでついあーゆー格好をさせてしまったが…冷静に考えて、これが青キジのお耳に入ったら、な?」

な?じゃない。

「それで、仕方ないからお前にもこういう格好をさせて「ウチの食堂のウリなんです」と開き直ればいーかなーと」

名案!と手を打つ料理長。どの辺が名案なのかと突っ込む気力は少年にはなかった。だがしかし、はっとして見れば、先輩コックたちが真面目な顔でこちらを見ているではないか。

「……え、これ、結構真剣な話なんですか」
「当然だろう。新米、俺たちの職が無くなってもいいのか」
「彼女の格好を元に戻せばいいのでは…?」

もっともな少年の突っ込みに、しかし一同は驚いたような顔をして少年を見つめ返す。そして声をそろえて言うのだった。

「「「あんなにかわいいのにもったいない」」」

職変えようか、と少年は真剣に悩みたくなった。




+++




「マリアちゃーん、こっち向いて!」
「気色の悪い声だすな!!!!そこ!!触るんじゃねぇ!!!スカート引っ張るなぁあああ!!!」

一時間後、少年は完全にブチ切れていた。普段はこんな乱暴な言葉遣いをしないのだが、状況が人を変える。というか、上官らしい人間もちらほらといるのだが、この状況では礼儀なんぞ守っていたら身が持たない。

食堂は、一向に人が減らなかった。当然だ、こいつら今日一日オフなのだから。

帰れ!!!という台詞だけはどうしても吐けない。食堂の売上が平均以上行くと、その分が表の一般食堂の実績になるからだ。一般海兵が利用することがメインであるというここは、他の食堂よりも若干立場が下に見られている。将官クラスが利用する食堂の料理長の皮肉めいた顔を思い出すだけで少年は悔しかった。だから売上を上げてぎゃふんと言わせてやりたいと常々思っていたのだが、単価も安いここではそんなことはめったに起こらない。そう考えればこの機会を利用しない手はない…!!のだが。

「い、いい加減にしろぉおお!!俺は男だ!男!!!アンタらと生物学的は同じなんだよ!!!」
「マリアちゃんそんな顔すんなって」
「そうそう、折角のかわいい顔が台無しだろー?」

黙れこの暇人ども!!と、少年は拳を握りしめた。
ちなみにマリアというのは源氏名である。源氏名ってなんだちょっと待て!と文句を言ったが遅かった。料理長はマジックと紙で即席に名札を作り、安全ピンで少年のエプロンに止めている。

神さま、俺、なんかしましたかと少年、マリアは訴えたい。

「セクハラすんならあっちの!!本物の女にしろ!!!」

少年が女装して食堂に入ってから少しは、それは笑い物だった。普段こまごまと働いている少年を皆知っているので、まぁ、見世物にしていたわけだが、自分と同じ格好をしている少年が面白かったのか、あのわがまま娘は少年をトイレに連れ込んで、そこで色々、まぁその、化粧をしやがった。そうして出来上がった姿、というのが、少年自身「え、これ俺?」と驚くほどの変貌っぷり。

声変わりをする前の少年、足も細いし腕も細い、当然胸があるわけではないが、それでもメイド服を着て見苦しさや「無理」感はなかった。

そうしたらこう、連中のひやかしっぷりが始まった。

本当の女性には手を出せないが女装しているマリアちゃんならOK、ということか、それはもう楽しそうにセクハラをしてくる。

それはわかるのだが、いい加減自分も我慢の限界、ということで、この騒動の発端であるを指させば、一同は信じられない、というように少年を見つめた。

「あんなかわいい純粋そうな子にそんな下劣なマネできるわけないだろ!!」
「お前それでも海軍本部の人間か!!?」
「お前らが言うなぁあああああ!!!!というか、あのわがままっぷりを見てどうしたら純粋そうに見えるんだよ!!?」

非難される、まぁ、理由はわかるのだが、少年の目には、どう頑張ってもあのが「純粋☆」な乙女には見えない。見かけは、それは確かに人形のように整っている。しかし先ほどからみている限り、彼女の接客は、すごかった。

「メニュー間違えちゃった?え、ぼくが折角運んだのにいらないっていうの?」

恐らくはトンカツを頼んだだろう海兵に中華丼を置きながら、トンカツソースを出しだしているさん。まっ白いエプロンの眩しい、しかし、どう見ても、真面目に仕事をしていない。

「水が飲みたい?自分で汲んできなよ」やら「おつり計算するのが面倒だねぇ」「注文あったら紙に書いてまとめて渡してね」と、本当、前何してるんだ!!!と、少年は先ほどから突っ込みを入れてばかりである。

しかし、そんなずさんな給仕をされても、バカ海兵ども…ではなかった、暇人ども(言い換えても悪口)はでれでれと鼻の下を伸ばしてにこにこしているばかりである。

息切れしてきた少年の肩を、ぽん、と誰かが叩いた。
振り返れば、髭を生やした、中年の海兵である。この場では階級の高い軍曹である。普段厳しいことで知られている海兵、気の毒そうに少年を見下ろし、首を振った。

「いわゆる、ツンデレ萌というやつだ。男なら誰だって、あんなに生意気でかわいい妹がいたら、と夢に見るだろう」

いや、アンタ何真面目な顔で阿呆なこと言ってんだと、少年は顔を引きつらせた。




+++



ぐったりと、やっと少年が解放されたのは、夜七時半。海兵の夕食も終わった、片づけの時間である。今日一日頑張ったからと、雑用の仕事は免除された。少年はパイプ椅子に凭れかかって、やれやれ、と息をついた。

「おつかれさまー、マリアちゃん」
「マリア言うな…って、お前…本当に仕事しなかったな…」

疲れているマリア、じゃなかった、少年の前に置かれたのは紅茶である。そして向かい側にはメイド服の少女、だ。結局最後の最後まであのツンデレっぷりを止めなかったは、それでもやっぱり大人気で、夕食を食べにきた海兵たちにも良い具合に活力と明日への希望を贈っていた。

だからツンレデとか妹萌とか何なんだ、と少年は頭を抱えたくなる。

「ちゃんと仕事したよ!失礼だね、君」

少年のもっともな言葉に、しかしは頬を膨らませて睨んでくる。え、あれを仕事だと思っているのかこいつは、といろいろ突っ込みたいが、もう本当にそんな気力はなかった。

がっくりと落ち込む少年にはにこにことしている。

「似合っているねぇ。ぼくひとりだったらメイド服なんて恥ずかしくてヤだったけど、ぼくより君の方が恥ずかしそうだからよかったよ」
「この外道…」

堂々とすんごいことを言うに、なんとかそれだけ返せば、はころころと喉を震わせて笑うばかりだ。本当、こいつは地獄に落ちて欲しいと、少年は心から思う。

しかしそんな少年の願いなど知らず、はにっこりと、それはもういい笑顔で死の宣告をしてくる。

「明日も頑張ろうね、マリアちゃん」

だから神様、俺、本当何しました?



+++



「ほう、二日連続であれを見失うとは、貴様、ここまで無能だとはのう」

ディエス・ドレーク准将、現在マヂで溶かされる5秒前デス☆なんてそんなことを考えている余裕もない。全身からだらだらと冷や汗を流しつつ、ドレークは赤犬の執務室、執務机に向かい、只管頭を下げた。

「も、申し訳ありません!!!!」

言い訳するだけ無駄である。ついうっかり、なんぞ言おうものなら即座に葬られる。というか、本当どこいったんだぁあああ!!と今すぐ叫びたかった。

昨日は一日中探し回り、見つからず死を覚悟したものの、部屋にはちゃっかりが戻っていて、出かけた痕跡などまるで残さず「なぁに?」という顔をしていた。赤犬もたまたま昨日は忙しく執務室を離れられなかったため、自身に脱走したことをそれほど咎めなかったが、しかし、しっかりドレークを無能呼ばわりはした。

そして本日、昨日のこともあるのでドレークはから目を離さなかった。朝赤犬と共に出勤してきたが部屋に移され、そして遊び始めた直後。

ドレークは笑顔のにデッキブラシで殴られて昏倒した。

「二日続けて脱走するとは……またつまらんことでも企んどるっちゅうことか」

とりあえずドレークに適度にストレスを与えてから、赤犬は呆れたように呟いた。昨日手が離せなかった仕事はもう片付いており、今日は比較的体をあけることができるのだろう。だからわざわざドレークを呼び出していびっている。

上司のイジメは泣いてもどうしようもないのでドレークはもう諦めているが、しかし、ここでドレークが考える最悪の事態があった。

赤犬が直々にを探しに行くことである。

それはまずい。
本当まずい。
っていうか、とってもまずい。

なんとなくだが、ドレークは先日自分がにバレンタインの話をしたことが今回の脱走に関係しているのではないか、くらいの検討はついていた。だからこそ、ここで赤犬が実力行使に出れば、きっとは悲しむだろう。悲しむというか、多分、うん、まぁ、痛い思いをするだろう。

恐らく自分であれこれと考えれ赤犬にチョコレートを用意しようとしているだろう、それを思えば、ドレークはの味方をしてやりたかった。

この辺が、に甘すぎるこの男の、全くもって学習しない点であるが、まぁ、美徳と部類できなくもないので、その自己犠牲の精神はまぁ、いいとしよう。

が何かを考えているとしたら、それは彼女なりに考えあってのことでしょう。大将赤犬、捜索は引き続き私が行いますので、どうかお任せください」
「貴様に任せても解決せんっちゅうことは昨日判明したわ」

ざっくり、ばっさり、容赦なく切り捨てる。

ドレークはちょっと凹みそうになった。しかし、そんな程度で一々落ち込んでいたらのお守り、じゃなかった、世話役なんぞやっていられない。ぐっと、こらえて、ドレークは、探しに行こうとするサカズキに食いついた。

「そ、それでは、普段絶対にが行きそうにない場所を当たってみましょう!!」
「ほう、たとえば」
「食堂などどうでしょうか!!?一般食堂は、まず行くこともないでしょうから私も昨日は探しませんでしたので」

通常は赤犬と食事を取る。赤犬が多忙の時は、一人では食べないのでドレークが付き合う。基本的に味覚のないは食を楽しむことがない。食堂にはまず近づかないはずだ。

ここで時間を稼いで、その間にが戻ってくることを願おう。

ドレークは考え込むサカズキを促し、昨日の見習いコックを訪ねる良い機会とも思いつつ、足を向けるのだった。




+++




食堂に近づくなり、ドレークは首を傾げた。

昼食の時間までまだ少し時間があると思ったが、なぜこんなに賑わっているのだろうか。海軍本部、表にある一般食堂いはドレークも数年前まで利用していた。この時間は海兵たちが訓練時間のため人は殆どいないと思っていたのだが。

首を傾げつつ、ドレークは先ほどから、赤犬に遭遇して顔を引きつらせ、そして逃げていく海兵をほほえましく見送ってきた。何というか、この表に大将が来ることなど殆どない。そのため、遭遇してしまった海兵たちは恐れお慄き、硬直して、そして道をあける、というか、もう空間全部提供するために逃げる。まあ、青キジならともかく赤犬ならその反応も納得できる。

その度に赤犬は何だか機嫌が悪くなるが、一々目くじら立てることでもないと黙っていた。その沈黙がドレークは恐ろしい。多分、あとで当たられる。

「何の騒ぎじゃァ」

しかし、食堂の入口まで来て、さすがに事態の異常性が気になったのか口を開く。海軍一般食堂入り口には、人だかりができていた。

「た、大将赤犬…!!?」
「なぜこちらに!!!!!?」

あまりの人の多さに中を覗き込む事も出来ない。そもそもは入れない、という状況。眉を寄せて赤犬が口を開けば、押し、押されていた人が何人か振り返り、そして顔を恐怖に引きつらせる。

「お、押すな!!もう定員オーバーだって言ってんだろ!!!仕事しろよ!!!あ、昨日の准将殿!!来てくれたんですか!!」

入り口に詰め寄る人をかき分けて何やら叫んでいたのはメイド服の少女。やや体つきは硬そうだが、愛らしい顔だちをしたそのメイドは、ドレークを見てパァアアと顔を輝かせた。ドレークは一瞬すぐに昨日会った見習いコックとは判らず首を傾げたが、しかし、昨日の、と言われたので、多分昨日の子だろうと思うことにした。

赤犬の存在に気づいて硬直する海兵たちはそっちのけで、メイドは嬉しそうにドレークに近づく。

「来てくれたんだな!じゃなかった、来てくれたんですね!!!ありがとうございます!!嬉しいです!!」
「あ、いや、その」

嬉しさを隠そうとはせず前面に押し出して、それはもう可愛らしいのだが、ドレークは、あれ?昨日会ったのって女の子だったか?と自分の記憶を探るのに必死である。

そして困惑しているドレークに、メイドは何か変だと気付いたのか、一瞬考え、そしてはっと、顔を引きつらせた。

「って、いや!!違うんです!!この格好は!!!俺の趣味じゃなくてですね!!!!違うんですよぉおおお!!!!!!」

あ、やはり男でよかったのか、とドレークがほっとするのも見る余裕がないらしい。メイド、じゃなかった、少年は一気に顔を赤くして、人をなぎ倒し、そのまま厨房へ逃げてしまった。

「あ」
「貴様にそういう趣味があったとは、意外じゃのう」

何だか涙目になっていたようなそのメイドを唖然と見送り、ドレークは間の抜けた声を出す。それを面白そうに眺めていた赤犬は、それはもう、楽しそうな声である。

そして完全に固まっている周囲をぐるり、と一瞥して、赤犬は一言、言い放った。

「散れ」




+++





「マリアちゃん、なんか外が静かになったけど何かあったの?っていうか泣いちゃダメだよ、マスカラ落ちるよー」

きょとん、とは静かになった入り口にちらりと視線をやってから、泣きながら戻ってきた少年の肩を叩く。ちなみに、は本日もばっちりメイド服。昨日は用意がなかったニーハイまできっちり履いているが、これはの趣味である。昨日はカラータイツだった。というか、なんでそんなものの用意があるのだ海軍食堂、とそういう突っ込みはしないでおくことにしているらしい。時給上がったし!とは深いことは気にしなかった。

「お、おしまいだ、俺はもうおしまいだ、折角、折角憧れた海兵さんが来てくれたのに…」
「なんか知らないけど、ドンマイ」

入り口の人だかりに整理券を配っていた少年のこの落ち込みっぷり。まぁ、多分、言葉の通り、憧れた海兵に今の自分の姿を見られたことが恥ずかしいのだろう。

うんうん、とは同情するように頷いて、それでぽん、と手を叩いた。

「いっそその海兵さんに女装したキミを好きになってもらうとか」
「って、なんの利があんだよ!!?おれの憧れのひとを変な趣味にするなぁああ!!」
「えー、でも男の人ってメイド服来た若い子だったら何でもいいんじゃないの?」

昨日と今日で学習した知識を言ってみれば、少年が言葉に詰まった。否定したいのだろうが、彼とてこの二日間、とりあえずメイド服来ている自分やにテンションを上げまくっている海兵たちを見ているのだ。

少年の憧れている海兵というのがどんな人間かは知らないが、は素直に、今の少年は「かわいい」部類にはいると太鼓判を押せる。もともと中世的な顔立ちをしている上に、小柄で目が大きく可愛らしい。ちょっと手を加えて髪型を変えれば、少女と言っても申し分ないだろう。海兵ではなく、料理人、というところで筋肉がついていなかったおかげもある。

当人が嫌がっても、こんな面白いネタを放っておくことは自分の悪意に反するとは頷き、それじゃあ問題の海兵さんを連れてこようと再度入り口に顔を向け。

硬直した。



+++




食堂は、重い沈黙が完全に支配していた。

海軍本部一般食堂、休日中の海兵でも気軽に利用できるその場所は独り暮らしの海兵にとってありがたかった。値段も安く、栄養も満点。そして何より、昨日からかわいい、気の強いメイドが二人バイトで入っているという噂が流れ、有休使って朝から並んだ海兵たち。

そして噂にたがわず、いや、噂以上、予想以上の愛らしい、人形のように顔の整った、少女があれこれと料理を運んでくれた。

妹がいたらこんな感じなんだろう、いや、けして不埒な妄想ではなくて、こう「おにいちゃん!もう、自分でやってよね!」とそんな、ツンデレ的な台詞を吐いてくれるオアシスを感じていた。

料理を注文しないとこっちに来ないので、それはもう、注文するものが後を絶たなかった。てんやわんやの食堂。まっ白いリボンをひらひらさせて、ちょこまかと動き回る、その愛らしい妹メイド。

いや、本当癒される。
楽園は海軍本部食堂にあったのか、と幸せをしみじみ、彼らは感じていた、はずだった。

入り口に、明らかに、殺気に満ちた大将殿が立つまでは。



逃げることなど、誰一人できなかった。
いや、実際立ち上がることくらいはできたかもしれない。しかし、テーブルの上には、散々頼んだ料理の山。それを残して逃げることは、食料を無駄にするということだ。

大将が、あの、大将赤犬が、ぶっちゃけマリージョアの料理人より料理の腕がいいと言われている、あの大将赤犬が、そんなことを許すわけがない。

誰も、逃げられなかった。

そして赤犬は、そんな彼らをじっくり威圧しながら、口を開くのだ。

「私用できただけじゃけぇ。わしに気にせずくつろげ」

無理です、と誰もが声に出さずに心の中で叫んだ。




+++





「で?」

そのほかの単語の一切ない、完全にお怒りモードのサカズキに睨まれ、はパイプ椅子の上で正座しながら身をすくませた。

ちなみに、床の上に正座すると体を冷やすため、パイプ椅子なのである。

「え、っと、あの、バイトしてました」
「理由は」
「できれば言いたくない」
「二度言わせるな」

怖いです。
それはもう、ものすごく怖い。

は逃げたかった。
本当なら、サカズキの姿が見えた途端、腕を振って、窓を割ってでもデッキブラシに跨って逃亡したかった。

しかし、サカズキの目が言っていた。

『逃げたら余計酷い』と。

観念したというよりは、そもそも見つかった時点で自分に観念する以外の選択肢などない。

ガタガタと周囲の海兵が震えているのなんて知らない。自分の方が大問題だった。周囲の海兵たちは、こちらが気にはなるようだが、顔を向けたり、耳をそばだてようものなら、どんな災いが降りかかるか知れぬ、と必死に、なんとかこちらからの情報をシャットダウンしようとしている。

お前らどんだけ怖いんだ、と突っ込む余裕はにはなかった。

とりあえず内心で、ここに連れてきたらしいディエスを罵り、今度絶対報復してやると心に誓った。
折角のためにあれこれしたドレーク准将、いつも空回りである。

そして彼はというと、の隣、の、床で同じように正座させられている。

はちらり、とマリアを見た。ドレークが心配なのか顔を曇らせてこちらを見守っている。そして厨房ではコックたちが、注文がないため手をもてあまし、そして、やはり同じように、こちらに注目していた。

そうしてもう一度サカズキを見上げる。

怒っている。
それはもう、怒っている。

理由は多分、勝手に脱走したうえに、バイトなんてしたからだろう。
サカズキはの監視者であるのだから自分の知らないことをされて怒っている。まぁ、当然の権利なのだが、しかしとしては、まさかサカズキにバレンタインのプレゼントを用意するためにバイトしてました、なんて言えない。

恥ずかしいというより、なんか嫌だった

そして実際のところは気付かないが、というか、気付かないほうがいいのだが、赤犬がブチ切れている理由など単純である。メイド服着たを自分が一番最初に見れなかったという点と、そして、他の男がそれを散々堪能した+の給仕を受けた、という、全くもって心の狭い理由である。

「で?言うことは?」

何も言わぬに、赤犬はすぅっと、目を細めて、いっそう冷え切った声を出す。びくり、と直接脅されているわけでもなかろうに、その度に周囲に緊張が走った。

「お待ちください!!大将赤犬!!」

と、そこへ、絶対間に入りたくないだろうその緊張した二人の間に、声をかけて待ったをかけたのは、この食堂の料理長だった。

「あ、料理長さん」
「彼女にこんな仕事をさせたのは私です。食堂の人手が足りず、彼女にお願いしてしまったんです。普段こんなに混むことはないんですが、どうも、昨今メイドブームらしくて、給仕の子に冗談でこういうカッコをさせたら、意外なほど盛り上がってしまいまして」
「なら止めればえぇじゃろうが」
「ごもっともです。ですが、さんが手伝ってくださるというので、つい。私の考えが足りませんでした。申し訳ありません」

きっちりと頭を下げる料理長。こう出られては、赤犬としては納得するほかはなかった。実際のところ、の正体を知らない人間が、人手欲しさに雇ったところで責めることなどできない。

第一、本気で怒っている理由がアレな理由のため、赤犬としては、第三者に出てこられると怒気をおさめるほかなかった。

まぁ、後で、詳しく言えば夜、寝室で再度説教すればいいだけである。

今すぐ理由を聞き出せないのは癪ではあるが、とりあえずは納得する、という姿勢を見せた赤犬に、その、珍しい対応に、がほっとした。

そしておずおず、と立ち上がってから、赤犬の服を引っ張る。

「その、ごめん。迷惑かけて」
「……」

反射的にひょいっと、サカズキはを拾い上げた。

「え?え?え!!?」
「とにかく、これはわしのモンじゃけェ、連れて帰る。代わりにディエス・ドレークを置いていく、好きにこき使え」

多分、今現在この場では赤犬の次に階級の高いだろうドレーク准将。え、と顔を引きつらせつつ、拒否権なんぞハナっから自分にはないと判っている。文句など一言も云わず、ただ、頷き、唖然としている料理長に指示を仰ぐのだった。



++




すたすたと、そのままの部屋まで連れていかれて、とりあえず、どさり、とソファの上に落とされる。は逆らうだけ無駄とは判りつつも、文句を言ってみた。

「な、納得してくれたんだよね!?ぼく、まだバイトの時間だったんだよ!!?」
「代わりにディエスを置いてきた」
「ディエスがメイド服似合うと!?っていうかサリューが泣くよ!!?」

いや、それも面白いかも、とは思いなおす。
あのごっつい体のドレークがと揃いのメイド服。ドレークを敬愛しているサリューが見たら、多分優しい彼女はドレークを傷つけないようにな対応をしてくれるだろうが、その気遣いに傷つくドレークが見たい。

そんな外道なことを考えていると、ぐいっと、サカズキがの首を掴んだ。

「それで、一体何人に貴様のその妙な姿を見せた?」
「ちょっと待ってサカズキ!怒るところそこだったの!!?」
「黙れ、わしの質問の答え以外喋るな」
「そんなの数えてないよ!!」

もっともな答えなのだが、サカズキはその答えでは不服らしく、ほぅ、と目を細めた。
先ほどと違い、周囲に人もいない分遠慮する気はなさそうである。

まずい、すっごくまずい。
本当にまずい。

は本能的に、今後の展開を予想した。
多分、普通にヤられる。

「ま、待ってサカズキ!!この服借り物なんだから、破いたり汚したりしたら、」
「同じものを弁償すりゃぁええじゃろう」
「そういう問題じゃ、っていうか、サカズキ仕事は!?」
「終わった」

嘘つけまだ午前中じゃねぇか、と、そういう突っ込みをしたいが、しかし、仕事人間のサカズキが嘘をいうわけもない。本日分のものは、確かにもうないのだろう。しかし、だからといって真昼間からソーユーコトをする気はにはない。

「こ、これが14日ならぼくも考えるけど、今日は平日だよ!!?」
「14日……?」

なぜ日にちが関係あるのかと、サカズキは眉を寄せ、そして気付いたのか、呆れたように息を吐く。

「貴様、5年前に14日は平日宣言しちょらんか」
「え?なぁに、それ?」
「5年前、ロブ・ルッチが珍しく14日の祝い事で貴様から菓子が欲しいと言った時のことじゃァ」

言われては昔の記憶を探ってみる。

……あぁ、確かに、そういえばそんなことがあったような。

ルッチが珍しく、チョコレートが欲しいというので、理由を聞いてみたらバレンタイン。そして、ルッチとしては当然に贈り物をしてきたのだが、まぁ、彼も若かったのだろう。年相応に、そして一般通りに自分も好きな相手から欲しいと、恥を忍んで頼んできたのだ。

そんな微妙な少年の心など、当時のが顧みるわけもなく、確か、こう、あっさり、貰う分には構わないけれど、自分が誰かに贈る気などないと、きっぱりばっさり、言い捨てたような。

「あぁ。そうそう。よくルッチくん泣かなかったよねぇ」
「じゃからわしも特に気にはせんかったが」
「え、サカズキ、欲しかったの?」

言葉を解釈すればそういう、すっごく似合わない結論が出てしまうのだが、とは顔を引きつらせる。え、なぁにその気色の悪い展開、と失礼極まりないことを考えていると、どの頭をぱしん、とサカズキが叩いた。

「わしが甘ったるい洋菓子なんぞ欲しがるか」

まぁ、そうだろう。基本的にサカズキは甘いものがダメ、というわけでもないのだが、おしるこやあんみつといった、そういうものの話で、チョコレートや生クリームなどは好んでいないらしい。

……いや、全く口にできないというわけではないのだろう。
じゃなかったら、去年のクリスマス、はクリームまみれで朝を迎えたりはしなかった。

「考えてもみろ、
「なぁに?」
「バレンタインディという行事にかこつけて、貴様に堂々といろんなことができるじゃろうがい」

うわ、と、は顔を引きつらせた。
ついに直接言ってきたよこの人!

「っていうか、いろんなことって何!!?そもそも、別にイベント関係なくいつも好き勝手している気がするけど、その辺どうなの!!?」
「知りたいんか」

は勢いよく首を振った。
いや、知りたくない。
多分、知らない方がいいことというのは、この世にたくさんあるんだろう。

とにかくは気を取り直し、バイトをしていた理由の追求から逃れたことにホッとしていた。が、そんなの心中は判り切っている。サカズキは逃がす気はない。

「で、なぜわしに隠れて給仕のまねごとなんぞした」

今度はぐらかしたら、今ここで犯す、とその目が告げている。多分どっちでもサカズキは構わないのだろう。だからこそ、は二つを天秤にかけて、理由を話すことにした。

「わ、笑わないでよ?」
「怒るかどうかと聞かれるかと思ったが……笑える話か?」

いや、そう聞かれるとも答えには困る。
だがとりあえず、もう黙っているのも何だったので、大人しく言葉をつづけた。

「サカズキに、その、バレンタインのプレゼントを買おうと思って」
「………」

は驚くサカズキ、という、それはもう珍しいものを見た。

「サ、サカズキ?」

え、そこ驚くところ!?ととしてはそこに驚きたい。
どう考えたって、人に使われるのが嫌な自分が、よりにもよってサカズキ以外の人間の言うことを聞かなければならない場所でアルバイト。しかも恥ずかしいメイド服なんて着てアルバイト。
そんなことをする理由は、どう考えたってサカズキが理由に決まっているではないか。

唖然としている、本当に珍しい状態のサカズキを恐る恐る見上げて、は、次の瞬間押し倒されました。器用に背中のエプロンのリボンが解かれ、そのままするするとスカートの中に手が差し込まれる。

「え、ちょ、ちょ!!!!?え!!!?」
「食堂の仕事は続けて構わん。せいぜい励め」
「え!!?えええ!!!?」

驚く間に、サカズキの手は下着の中に入る、と、本気で手を出しにかかっていた。理由話しても結局こうなるのか、いや、何がどう、どのタイミングとポイントでサカズキのやる気に引っかかったのかは知らないが、は困惑しながら、とりあえず、サカズキの首に腕を回すのだった。




+++




恐らく、いや、確実に、今ごろ大将に頂かれているのだろうの身を案じながら、ドレークは丁寧に食器を洗っていた。

准将殿にそんなことぉおおお!!!と、食堂内はそれはもうパニック状態。

ドレークは、そういえば准将というのはそこそこの地位だったんだなぁ、と、普段赤犬やが散々コキ使ってくれているので忘れかけていた自分の社会的な地位を思い出しつつ、それでも、しっかり、雑用をこなしていた。

「あ、あの、すいません、その、手伝って頂いて、助かります」

そんなドレークの隣で洗った皿を拭いているのは、例の見習いコックである。相変わらずメイド服を着ていて、頬を赤くしている姿は本当に愛らしいのだが、これは、この少年の趣味なのだろうかと、ドレークは突っ込めずにいる。

「いや、気にするな。が迷惑をかけたようだからな、これくらいはさせてくれ」
「あの、その…准将殿は、…さん、とはどういうご関係なんですか」

魔女とその下僕デス☆とがいたらノリノリで答えたろうな言葉が一瞬浮かんできて、ドレークは何だか泣きたくなった。いや、普通に自分たちの関係は、世話役とその対象なのだが、そう説明するとの身分などを説明しなければならないので、いろいろややこしい。そして見習いに聞かせられることでもない。

は大将赤犬の関係者なのだが、事情があって本部で預かっていて、私がその世話を担当している」
「あぁ、それで、青キジが知人の子だと」

そこでドレークは正解だが詳しくは語らない方法で答えることにした。すると、少年の口から面倒な名前が出てきたので、眉を寄せる。

……なるほど、一人でこの食堂に勤めることは難しい。
青キジが協力していたのか、と合点がいく。

これが赤犬にバレたらどうなるか、というのはあまり考えなくても構わないだろう。赤犬と青キジは、なんだかんだと言いつつも、お互いそれなりの関係と信頼があるようだった。

ドレークは、とにかくこの騒動が無事に解決してくれることを祈りつつ、少年に微笑みかける。

「すまなかったな。の世話は骨が折れただろう」
「はい。い、いえ!!その、」
「いや、いいんだ。俺もいつも、彼女には振り回されているからな」

素直に頷いたことを慌てて否定する少年をほほえましく思い、ドレークが声を上げて笑えば、少年がはにかんだ。

「大変でしたけど、でも、准将殿にお会いできましたから」

ぽっと、顔を赤くする少年。
見かけはメイド服着用の美少女。

ドレークは一瞬、自分にそっちのケはないよな、と真剣に確認してしまった。

そしてそんなドレークの葛藤とは反対に、その少年は、なんとなく、ドレークに対して、上官に抱くにはちょっと不健全な感情を抱き始めていたりするわけで、その後も彼は海軍食堂名物メイドさん、を止めなかったりとか、バイトを続けることになったが心配で時々ドレークが顔を出すたびに、ツンデレの部分のデレを思う存分発揮したりと、中々面白い展開になるのだけれど、それは今この話には関係ない。

そうしてバレンタイン前日まで、はしっかりと海軍一般食堂でアルバイトをするのだった。
はてさて当日はどうなったかな、など、そんなのお決まりのバカッポー展開すぎてあえて書く必要もない。

 

 

 



Fin

 

 

 

 


・ノリと気合いだけで書いたらすっごい長さになってました。
 個人的にマリアちゃんが好きです。