「わしのおらん間に浮気とは…躾直されたいんか、貴様」

ぎく、と身体を強張らせたは、反射的に背後、声のする方向、つまりは部屋の扉の方へ顔を動かし、ギギギ、と自分の首が軋む幻聴を聞いた。
できれば今の声も空耳であってくれればいいのに、と思うだけ無駄である。この自分がこの声を聞き間違えるはずがない。

ここは、関東区域では最大の規模を誇る、グランド総合病院。

は半年ほど前からこの病院に入院していた。身寄りはない。入院する原因となった交通事故で両親共に亡くしている。そういう本人、あまりそれを嘆いてはいなかった。両親が死んだとベッドの上で知らされたときも、けろっとした顔で「そう、それじゃあもう痛くはないね」とのたまったそうである。

そういう外道疑惑のさん、まぁ、それはどうでもいいのだけれど、とにかく今は目の前の状況をどうにかすることが優先である。

が向けた視線の先、真っ白い扉の下に立っているのは、真っ白い白衣を着た偉丈夫。

はっきり言って白衣よりも、堅苦しい軍服か何かを纏っていたほうが似合うだろう、強面+無愛想な長身の中年男性。

信じられないことに、この男、どこぞのヤ○ザではなくて、脳外科室長のサカズキ医師、そして現在、小児科を担当しようと本気で上に掛け合っている男である。

銃弾などで負傷して運び込まれる本場のヤ◎ザすらひと睨みで黙らせるサカズキ医師、その剃刀のような視線を向けるのは、のベッドの横に腰掛けていた、一人の医師である。

と違い視線をそちらに向けることが出来ず、全身にびっしょりと汗をかき、すっかり硬直している、ナース長に「不遇ですよね・・・」といつも同情の眼差しを向けられている、ディエス・ドレーク小児科医である。

「・・・う、浮気って・・・サカズキせんせい、ディエスせんせいは、ぼくの診察をしてくれただけだよ」

無駄とわかりつつ、は困ったように眉を寄せて進言してみる。しかし、ぴしゃり、とこちらにも冷たい視線を向けられて黙らせられた。

学会でも名の知れた脳外科医であるサカズキ先生、その腕を海外で思う存分振るう機会も多々あるだろうに、こともあろうかこのドクター、が初めて病院に担ぎ込まれてきた日に「一目ぼれした」と言う。

脳みそ腐ってんのか、お前脳外科医だろ。と内科室長のクザンに突っ込まれてもなんのその。

医者であるという立場と、がなんとなく拒めないでいるのをいい具合に利用して、病室に入り浸っている。

仕事しろ、と彼に諫言できる医者などいない。というか、それでもサカズキ、人一倍執刀しているというバケモノっぷりである。簡単な話、はその持病ゆえ、一日数時間しか起きていられない。その、が熟睡している時間を全て勤務時間としているだけのこと。

お前休んでんのか、というクザンのツッコミには、堂々と「あれの傍におるだけで休まる」と、のたまいやがった。

ここ病院なんだから、一回診察してもらえばいいのに、とクザンはいつも思っているそうである。

そしてその、完全これまでの「厳しい、険しい、厳しい、冗談の通じぬクソ真面目な外科医」という定評をあっさり自ら叩き壊したサカズキ医師、ドレーク医師を射殺さんばかりに睨みつけているわけである。

一方的過ぎるが、サカズキの中でドレークは「敵」認定されていた。

理由などはっきりしている。
小児科であるからだ。は小児科、まぁ、うん、本当に、ドレークは気の毒としか言いようがない。

今もただ、午後の診察、お決まりの体温を測って薬の利き具合を聞いているというだけの状況。

それでも、難しい手術が重なって、いい具合にストレスと疲れのたまったサカズキには、こう、イラっときた。

睨みつければ、ドレークが、それはもうきれいに、90度、びしっ、と頭を下げる。

「申し訳ありません、ただ、その、先生が執刀中とのことでしたので、午後の検診は私が済ませようかと・・・」

ちなみにドレーク、本来は担当医が己なわけであるし、何一つ差し出がましいことも、やましいところもない。だがしかし、そんな道理、この男に言うだけ命を縮めるだけである。

とにかく只管謝るドレークをサカズキは一瞥し、おろおろとしているに近づき、頬に触れた。

「少し体温が高い。熱が出たようじゃな」
「く、薬は嫌だよ?!苦いんだもの・・・!!」
「熱が上がればもっと苦しい思いをするじゃろうに。いやか」

前回処方された、それはもう苦すぎる粉薬を思い出し、顔を顰める。それを面白そうに眼を細めて眺め、サカズキはくしゃり、との髪をなでた。

「い、いやだよ・・・!!っていうか、どうしてわざわざ苦いの出すの!?トカゲが言ってたけど、ぼくくらいの子供はもっと甘いシロップとか飲めばいいんだよね?!」
「貴様には効かん」

相当にいやなのか、熱が理由だけではなく、顔を真っ赤にして必死に訴えてくる。その様子をたっぷりと堪能しています、というサカズキ。

その二人の様子を見せ付けられて、ドレークはギリッ、と胃が痛んだ。




続くよ!!