「ディエス、ディエス、ここ行きたい、潔くぼくを連れていきなよー」
演習指導中のドレークの傍に相変わらず空気も読まずひょこひょこと近づいてきたのは雑誌片手の悪魔っ子。真夏の暑い最中、熱中症対策に被らされた白い日よけ帽子の淵に飾られた白のリボンが蝶々のようにひらひらと揺れる。その様を見て演習中の海兵らの顔が緩むのは致し方ない。、見かけだけは随分と愛らしく、疲れた心を癒す作用もありそうなほどと言えよう。
口さえ開かねば、とドレークは胸中で付け足した。
「……私は仕事中なのですが、魔女殿」
部下の目もある手前若干形式ばった態度をすればは一瞬きょとんと幼い顔をする。そしてきょろきょろとあたりを見渡し、おや?というような顔になった。
「ここってどこ?」
「……迷子か、お前」
「違うよ、ディエス探してたらこんなところまで着ちゃっただけだよ」
それを世間では迷子だというのではないか。
心の中で突っ込みを入れてドレークはとりあえずの頭をぽん、と叩いた。基本的に海軍本部“奥”の将官クラスが使用する棟から離れぬ、それが現在は下士官の訓練場のある“表”の方まで来てしまっている。別段罰せられるというような問題ではないが、の身分を知らぬ者が多いところでは何があるか知れぬもの。の言い分から察すれば、何か興味を持ったことがあって、それをドレークに問答無用で押し付けようとして探しに来た、ということ。これなら蝶々を追いかけて迷子、という方がドレークの胃には優しいように思われる。
とりあえずドレークは補佐官であるサリューに目配せをした。すると有能なレルヴェ・サリューは意図を察し演習指示を引き継ぐとそのまま海兵らをランニングへと向かわせる。唐突に表れたのが海軍本部には相応しからぬナリをした幼子、しかしその様子はどう見ても一般人とはいえぬと海兵らも悟ったか、興味深そうにはしたものの、誰も突然メニューが変わったことに異を唱えることもなく走り出していく。
その背を数秒見送ってから、ドレークはサリューと並びに向かい合った。
「演習中はお前に構っていられない。夕方には終了する予定だからそれまで部屋で、」
「ねぇねぇサリューはメリーゴーランドとコーヒーカップどっちが好きー?」
妥協すればとことん我侭を押し付けてくる、ここはしっかりと言い聞かせねばとドレークが腹に力を込めていうのだが、はまずドレークの主張なんぞ聞く気もない。きゃっきゃと声を弾ませながら手に持った雑誌をサリューに見せようと掲げている。
育て方をどこでどう間違えたのか。
頭痛を感じて額を押さえれば、あっさりと「ディエスに育てられた覚えないしー、ぼくの親はぼくを殴り殺して井戸の中に捨てたしー」とのたまう。人の心を読むな、と言ったところで否定されるのが眼に見えている。ドレークはため息一つで何とかやり過ごすことにした。
はそんなドレークの苦労なんぞ綺麗に無視して、持って来た雑誌をぺらぺらと捲って、それはもう楽しそうだ。何がそんなに楽しいのかとドレークが首を捻っていると、に話しかけられていたサリューが話しを一通り聞いてから「」といったん会話を区切った。
「ドレーク准将のお話を聞いていただけますか」
「はーい」
「お前…おれと彼女とのその対応の差は何だ……!?」
静かな声でサリューが諭せばあっさりと聞き分ける。手を上げてきちんと了承、という、その素直さはなんだ、とドレークは本当、いつも理不尽に感じる。一応自分の方がとの付き合いは長いはずだが、、長年世話役をしてきたドレークの言うことなんぞこれっぽっち聞かない。サリューの言葉にやけに神妙な顔をしてドレークを見上げてくる、その青い目は、本当これまでの苦労はなんだ!と叫びたくなるほど「真面目でいい子」に見える。
「サリューがいうからお話聞いてあげる。さっさとお言いよ、ディエス」
「一瞬でもお前が品行方正なったように見えた俺がバカだったか」
口を開けば悪魔っ子と再認させられた。
「そんなことないしー、ぼくはいつでもいい子だしー」
その辺は問答するだけ体力の無駄だ。ドレークはサリューに礼を言うように視線を向け、そしての頭をぽん、と叩く。
「今日は仕事があってお前に構ってやれない。時間が空けば部屋に寄るから大人しく待っていてくれないか」
一応先ほども同じことを言ったが、やはりは聞いていなかったようで「つまんない」と不満そうな顔を向けてくる。
そういえば大将赤犬がこの一週間ばかりマリージョアで行われる会議に参加するということで不在である。赤犬が出席するということは他の大将も、ということだ。となればの格好の遊び相手であるクザンも不在ということ。なるほどが暇をもてあましてふらふらとこんなところまで来るのもわかる。
「……どこへ行きたいというんだ」
海軍本部の奥、魔女の部屋でひっそりとが一人きりでいる様子を思い、ドレークは眉を寄せた。魔女の部屋は暗闇を恐れるらしく薄明かりが耐えぬが、しかし煌々とした明るさはない。読書をするのもしっかりと明りをつけねばならぬというような部屋にがたった一人で何時間もいる、赤犬の性格を考えれば自分がおらぬからといって話し相手を手配することもなかろう。それを思い、ドレークはついそう問う。
するとは途端顔を輝かせ、閉じていた雑誌を再び広げた。
「シャボンディにねぇ、遊園地があるんだよ!」
「いくらなんでも無理だ。無謀だ。不可能だ。頼むから諦めてくれ」
「即答!?」
ディエス・ドレーク准将。保父の鏡か、と突っ込みを入れられるほど教育熱心というかを子ども扱いし殆どの我侭をなんとか叶えてきた男。それでも今回の件は不可能だと早々に判断しての回答、普段なんとしてでも自己が通されてきたが思わず驚いて突っ込みを入れた。
「酷いよ!なんで!」
「……頼むから自分の立場というのを少しは自覚してくれ」
「自覚してるしー、ぼくは何言っても許されるんだよ!だってぼくかわいいし!」
ついに言い切った。
いや、そういう自覚はいらないとドレークは一応突っ込みを入れる。はころころ笑うのみで聞く気はないだろうが。唖然としてしまったドレークに容赦なくは「なんで!」「連れてって」「ディエスのはげ!」「ヘタレ!」などと埒も無い言葉を投げてくる。その気になれば人の精神を崩壊させかねん言動をあっさりできるだが、子供らしく怒る時は妙に語彙が乏しくなるのだ。
「、貴女は海軍にとってとても大切な身なのでしょう?それならば、新世界も近く、無法者も多いというあの場所に気軽い気持ちで赴くのは相応しからぬと、ドレーク准将は仰りたいのではありませんか」
「そうなの?」
只管文句を言うが乱暴にドレークのコートを引っ張っていると、静かにやりとりを聴いていたサリューが口を開く。基本的に差し出がましいことをせぬレルヴェ・サリュー。その補佐官としての能力の高さはセンゴクの秘書団に誘われるほどで、なおかつ性格的な面でも文句の無い優秀さ。こうして黙って聞きながらドレークが手に負えぬところはしっかりと口を開いてくる、その気配りにドレークは心底感謝した。
サリューの言葉にがきょとん、と首を傾げる。
「ディエスがなんでぼくの身の判断するの」
「ドレーク准将は貴女の身が心配なのですよ、」
「サリューも心配?」
「えぇ、もちろんです」
ぎゅっとドレークのコートを掴んでいたが途端、あどけない顔をした。じぃっとサリューの白い顔を見上げ、そしてこの状況をどうするべきか判じかねているドレークの顔とを交互に眺める。何を考えているのか、たいていロクでもないことばかり考えるだが、その顔には妙に深い思考があるようでドレークは思わず「」と名を呼んだ。
いや、もちろん、をシャボンディに連れて行けるわけなどない。確かにあそこのテーマパークは有名だが、同じくらいに人攫いが有名だった。ドレークが付き添うにしてものこと、行くなと言った場所に嬉々として行く。が素直にドレークの言いつけを守るとは欠片も信用できない以上危険な目にあう可能性が高い場所になぜ連れて行けるのか。万が一にでもが人攫いに遭遇し、かなりの不運が重なって奴隷オークションにでもかけられた日には、確実にシャボンディ諸島が火の海になる。
「なぁに、ディエス」
「……絶対に、とはいえないが、いつか連れて行ってやりたいとは思う」
「ドレーク准将」
しかし、が焦がれる場所など滅多になかろう。せめて可能性の提示だけでも、なら悟り含むのではないかと思うて口に出した。いつか、と前置くことが既に可能性の低さを暗示していると自分でも思う。
だが無謀なことを言ったと、言葉に出した途端ドレークは後悔した。それをサリューも気付いているようで、戸惑うように名を呼ばれる。それでも何を答えるべきかわからぬもので、ドレークは黙って、ただ首を降る。サリューは、そのきらきらとした髪を僅かに揺らし、そして白い瞼を伏せた。
Conquistador
「って前に言ったの。約束したんだよ。約束は破るものだなんて真理をこのぼくに教えてくれたりはしないできちんと守ってくれるんだよ、ディエスは」
差し出されたソフトクリームを受け取りながらは青い目をレイリーに向けた。深い皺の刻まれた、しかし老いというものを見事に受け入れた姿であると言える姿の知人はその言葉に眼を細め、ゆっくりと隣に腰掛ける。
「珍しいな」
「何が」
「きみが、誰かを信じたいと思っていることがだ」
ふん、とは鼻を鳴らした。この男に対して傲慢であるつもりはないし、そのように振舞う必要性も感じない。それであればこの笑いは自嘲という部類になるのだろうと頭のすみで思い、は受け取ったソフトクリームに口をつける。やはり味はわからぬが、それでも冷たさは感じられる。シャボンディ諸島の遊園地。日差しが照りつけて汗ばむのはごめんとばかりに、は日傘をしっかりと用意しているが隣のレイリーはかんかん照りの下でうっすら汗をかいている。汗をかく姿すら色気を感じさせる老人ってなんだろうかと首を傾げたくなった。
「助けてくれてありがとう」
「なに、通りかかっただけだ。礼を言われるほどのことでもない。それに私が助けずともきみならどうとでもできたろう」
「どうだろ。きみが近くにいるって気付いてたし、自分じゃ何もしなかったんじゃないかな。ぼくは」
「私が助けに入ると確信していた、それは信頼と思うべきかな?」
は再び「どうだろ」と呟いた。
気まぐれに、シャボンディ諸島にやってきた。特別目的があったわけではない。いや、目的というほど大層なものではないが、理由はあったかもしれない。このシャボンディ諸島の遊園地には、随分昔ディエスに連れていてとせがんで断られ、けれどいつか、という約束を取り付けた。造反したドレークはいずれこの島に来るだろうというのはわかっているから、そのタイミングを計りたかったのかもしれない。海賊になったドレークなら、前とは違って遊園地に連れて行くこともできるかもしれないと、そう、「いつか」というおぼろげな約束をどうにかしようという、その必死さをはどういう感情であると判断するべきか迷った。
ぺろり、ぺろ、とソフトクリームを舐めていると、レイリーが額の汗を拭った。
「暑いな」
「夏日だからね」
ひょこひょこと、は一人でシャボンディ諸島をうろついていた。無法地帯やら何やらお構いなしにあっさり堂々と歩く。ここで世界貴族とでも遭遇したら、それはもう相手が「生まれてこなければよかった…!」と後悔できるほどのことをしようと思っていたが、あいにくどこにもいなかった。歩いていると、無法地帯では妙な連中、わかりやすく言えば奴隷商人にたちに絡まれた。ひと目で上等とわかる衣服を纏うをどこぞの金持ちの子と思うたか、あるいは赤毛の娘を好むどこぞの七武海への返上品としようとしたか、それはどうでもいいのだけれど、とにかく絡まれて、さらわれそうになって、そして、レイリーに助けられ、今に至る。
「きみがこの島にいるって話、知ってたの。ほんとうは」
海軍本部にいればそれとなく「大物」の噂を耳に挟む。いや、普段はサカズキがそれを許さぬ、それであるゆえの軟禁状態、だがそれでも、豪快に笑うガープの勢いを止められはせぬのだ。はガープから直接レイリーの所在を聞いていた。あれはいつの頃だったか、嵐が恐ろしく震える己に、ガープがそうと教えてくれた。ロジャー時代の己を知る数少ない海兵。は、あの頃のことを思い出すことが殆どなくなっていた。自由で、自由で、自由なロジャーの傍らにいたころは見も心も何もかもが清々しく、はどこへでも飛んでいけて、なんだってできるような気がしていた。あの頃のことを、もう最近は思い出さない。けれどガープは「あの頃」と昔のように扱いはせず、まるでそれが今なお続いているように、太陽のような笑顔を浮かべながらに思い出させてくれる。レイリーがここにいる、と教えてくれたのも、段々と海軍本部に馴染み、馴染まされていく己を気遣ってのことだろう。
「私も知っていたよ。きみが赤犬の傍にいることを」
「レイリーは、ぼくがサカズキに「捕まってる」とは言わないんだね」
「そう言ってやれる優しさを、きみに向けるべきとはわかっているがね」
「どうかな、わかんない」
「不幸ではないのだろう、」
問われて、は肩を竦めた。そこが問題なのだ、といえばレイリーはきっとまだ当人が気付いておらぬことを指摘してくれるだろう。あるいは、指摘できぬことを教えてくれる。けれどもそういう話し相手としてレイリーを扱う気はないし、レイリー当人とてそうというものをにおわせながら決定的なことを言うつもりはない。
そういう奇妙な「礼儀」が己らの中には確かにあった。レイリーは、何も変わっていない。対照的に己はどこまでも変化したのかもしれない。いや、姿かたちの変化はその逆であるが、しかし、は「いつまでも何も変わらぬ」はずの己が、まるで別の生き物のように変わっていることを、レイリーと再会して深く実感させられるのだ。
「サカズキは、少なくともぼくを悲しませはしないよ」
「そしてきみの周囲の環境も、悪くないと推察できる。X・ドレークとの約束を今も覚えていて、果たそうとしているきみは、よほど彼に大切にされていたのだろうな」
「何かやたらと子育ての才能あったんだよね、ディエスって」
は残ったコーンをカリカリと噛んで飲み込んだ。途中喉がつまりそうになれば、レイリーが片手に持っていた水を差し出す。それを一息飲んでしまい、はボトルを握ったまま、遊園地を眺める。憧れていた、というわけではない。華やかなシャボンディの、シャボン玉に囲まれた遊園地。きらきらと光る、楽しそうな様子。夢のよう。約束をした。だが、そもそも最初に、ここに来たかったのは、遊びたかったからではない。ただ、ドレークやサリューがいれば楽しいだろうとは思った。ドレークを引っ張りまわして、サリューと歩いて、そうしたら楽しい、とは思っていた。けれど本当の理由は違うのだと、わかってもいた。
「こんなに本格的じゃなかったんだけどさ」
「うん?」
「ずっと昔、本当にずいぶんと、ずいぶんと昔にさ、カーニバルを見ていた子供がいたんだよ」
レイリーは不思議だと、はいつも思った。こうしてレイリーと隣り合っていると、海軍本部でのことを忘れそうになる。ドレークが必死に「常識を持ってくれ…!」と怒鳴るような幼い言動や、あるいは時折赤犬に対して向けるような悪意の魔女の顔がひっそりと失われて、20年以上前、ロジャーの船にいたころの、あの頃の、仄かに暗い、だが穏やかな心を持っていた己に戻るような気がするのだ。
自然と口調、声音も戻る。ドレークを前にしていれば只管茶目っ気のあった己が消える。はすぅっと冷えた、青い目で賑やかな遊園地を眺めた。
「青い鼻のピエロ、化粧が濃くて涙のペイントもあって、大きな赤い唇は笑って、パントマイムをしている、大玉の上に乗って芸をする小男や、火の輪をくぐるライオン、色鮮やかな風船とか、賑やかな音楽、アコーディオンを奏でながら踊る芸人を、その子供は夢中になって眺めていてはしゃいだ声をあげるんだ。手には母親に買ってもらったお菓子やら玩具やらがいっぱいあって、子供は、父親と同じ色の目をきらきらさせている。あんまりピエロの芸が見事なものだから、子供はね、振り返るんだ。「ねぇ、おかあさん、すごいよ」って、振り返るの」
はつい先日まで麦わらの海賊団とともにいた。長い海を旅して、そして水の都で彼らと別れた。彼らは、今スリラーバーグで足止めされていると聞く。クロコダイルを落とされ、さらには難攻不落のエニエスまで落とされた世界政府としては、さてそろそろ本気でルフィたちをどうにかしようと手を出すのではないかと、そんな予感がにはあった。だが、たとえ政府が何をしようと、彼らの、とりわけルフィの命を奪えるとは思わない。そうして、いずれルフィたちはこのシャボンディに来るのだろう。そのことを思い出し、そしてじっくり、ゆっくりと時代の流れが新世界を飲み込み、何もかもをどうにかしてしまう、そんな予感を覚えた。
それであるから、だろう。今はレイリーの隣に腰掛、そして、普段であれば、隣にドレークがいればきゃっきゃと声を上げて楽しむだけの遊園地を前にして、深く、深い、心の奥底にしまいこんでいた、ひとつの出来事を思い出す。
ポートガス・D・エースが捕らえられた。レイリーは知っているのか、確認するつもりはない。けれど、いずれ大きな戦争が起きて、世界が、世が大きく揺れ動く。
は脳裏に、父親とそっくり同じ色の髪を持った、あの子供のことを思い浮かべる。
「振り返るのに、ね、母親はいないんだ」
「逸れたのかね」
「うぅん、違うの。母親はその子供を疎ましく思っていたから、一緒にいると、自分が不幸になるから、邪魔だから、賑やかなカーニバルのその中で子供を捨てたんだよ」
あの子供の背は震えていた。最初は母親がどこかに行っただけだろうと思い、しかし心の奥底にしっかりと恐怖が染み付きながら、ただ探した、名前を呼んだ。けれど何の答えもなく、段々と心の底にあった恐怖が自己主張をし始め、考えたくもないことばかりを考えるようになっていた。
「その子は魔女に?」
が思考に沈み沈黙していると、その耳にレイリーの静かな声がかかる。顔を上げれば、昔と何も変わらぬ、思慮深い瞳が眼鏡越しに見える。はほっと、なぜかほっと、安心した。レイリーのその顔を見て、確かに安堵し、首を降る。
「男の子は魔女にはなれないよ」
「少年か」
「うん、ぼくさ、まだあの子供がどこかのカーニバルにいて、まだ母親を探しているんじゃないかって、時々そんなことを思うよ。もう何百年も経ってるのにね」
ひょいっと、はベンチから飛び降りてステップを踏むように2,3歩ほど歩く。日傘を差したままくるくると回してレイリーを振り返った。ロジャーが死んで、彼は海賊を辞めた。いや、心は今も海賊、無法者のつもりだろうか、だが、ロジャーのいない海でレイリーは海賊を続けるつもりはないと、そう判断して陸にいる。シャンクスは、ロジャーを思い、そして己自身の「夢」のために海を生きている。そういう、人は必ず何かを選択している。
振り返ったレイリーは太陽を背にするこちらを眩しそうに眺め、そしてゆっくりと立ち上がった。
「あの子は、何を選んだと思う?レイリー」
まだ、あの子供はカーニバルで母親を探しているのか、それとも諦めて海か、あるいは陸にでも生きたのか。遊園地や、カーニバル、その中に身を落としていればいつか何かわかるやもしれぬと、はそう考えているのかもしれなかった。そのために、あどけなく我侭を装いながら、遊園地に行こうとドレークを誘ったのかもしれない。
そして、ドレークが「いつか」と約束したことを「本当」にするため、というのはもしかしたら。
「食事に行かないか、」
「…唐突だね」
「知り合いがやっているのだが、上手いリゾットを作る店がある。行かないかね」
今までのこちらの会話をどう捉えているのか、レイリーが提案してくる。いつもどおり、いや、の記憶にあるとおりの楽しそうな表情だ。恐らくその店、には味以上に楽しめるようなこと、あるいは人でもいるのだろうとそうわかる。は己としたことが何を暗い思考に沈んでいるのかと苦笑して、腕を振って日傘をしまった。眩しい太陽の下にきらきらとレイリーの銀髪が輝いているのがよくわかる。
「リゾットもいいけど、ぼく、夏はそうめんだと思っているよ」
「シャッキーに聞いてみよう」
「ここに竹でもあるならレイリーが割ってきて、流し素麺でもできるといいのに」
「あぁ、その手があるか。久しぶりに剣を握ってみるのも悪くないな」
「ねぇレイリーとか海賊ってさ、竹を割るのに武器以外の選択肢がないの?」
いや、まぁ、人を切るより竹を切る、というほうがマシだろうが、麦わら海賊団でも剣士のゾロが時折頼まれて食材を剣で斬っていた光景を思い出す。そういえばさすがに隠居中といえるレイリーは腰に剣を携えていない。まぁ、レイリーなら丸腰でもまるで困らぬだろうが、は記憶にあるレイリーはいつも剣をさしていたので、ない姿が奇妙に思えた。
「今更だが。ここではレイさんと呼んでくれないか、これでもお尋ね者の身なのでな」
ゆっくりと歩き出したレイリーが、少ししてそんなことを言い出したもので、は喉を震わせて笑い、そうして己の影を振り返った。長く伸びた影は細く、しかし髪の長さも背の高さもわからぬ影は、なんだかずいぶんと昔の、まだ己の背が高かったころを思い出させる。
は途端夕日が恐ろしく思えて、ぐいっと、レイリーのシャツを掴む。
「うん?」
「ねぇ、レイリー、ぼくはなんにも悪くない、なんて本当はこれっぽっちも思っていないんだよ」
もうじき、ドレークは、赤旗はシャボンディに来るだろうか。サリューが、きっと相変わらずドレークの傍にいて、当たり前のようにいて、隣に立っていて、そしてひっそりと咲く白い花のような美しさを携えて、ドレークの、赤旗の、堕ちた海軍将校の剣となっているのだろうか。ルフィたちはモリアーをどう下しただろうか、政府の手をどう逃れるのか。そしてエースはどうなるのか、考えなければならないことは、あるいは、予測しておいた方がいいことは多くある。しかし、は今、不意に、何か恐ろしい予感がした。ぎゅっと、レイリーのシャツを強く掴み、振り返った、もう数少ない、「嘆きの魔女」の己を知る古い友人の顔を見上げる。
(あの子は、赤い目の子供はきっと今も、母親を探している)
Fin
(2010/07/12 19:10)
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