ばぢっと、空気が弾けた。冬の乾燥した日であったから、は静電気か何かかと、はて、首をかしげながらも弾けた指先を一度見ただけでたいして取り合わなかった。いつものようにドレーク海賊団の船室、ドレーク船長の私室と、ここはお前の部屋化何かですか?というように寛ぎまくった夜半。そういえば今日の夕飯に出たシチューはおいしかったと、野菜たっぷりのヘルシーメニュー思い出す。(男性たちにはとても不評だった。恰幅の良い料理長、幼い成長途中のを気遣ってのメニューである。にんじんピーマンなどおおよそ子供の嫌いそうな野菜たちが柔らかくなるまで煮詰められていてとても食べやすかった。名誉のために言っておくが、は好き嫌いなどない)あれは美味しかったけど、でも、明日はサンマがいいなぁとか、そういうことを考える、ちっこい。一向に背が伸びずいつまでもひょろひょろとどこが平だがどこが丘だか分からない体つきをしているが、彼女、よく食べる。
「ねぇ、赤旗。明日は何して遊ぼうか」
にっこりと、は机に座ってドレークに問う。航海日誌、ではない何か別のものをかきかき書いていた黒尽くめの男、この船の船長で、もっぱらの遊び道具(相手、ではないところが本人知ったらいろいろ落ち込むだろう)赤旗、X・ドレーク元少将である。
「このままログを辿れば明日には××島に着くだろう。ログの溜まる期間は二日だ。物質補給や情報収集に費やされるだろう。お前と遊ぶ予定は一分たりともない。絶対にない」
仏頂面の、気真面目を型に嵌めて人の形にしたような男。口元を険しく結んで一蹴。しかし、それで怯んだりなんだりするのなら、ドレークは胃薬を常用するハメにはならない。
「何言ってるのさ。君と遊ぶ時間じゃなくて、君で遊ぶ時間があれば何も問題ないんだよ?」
しれっと言い、にんまり笑う、の、その顔、悪魔である。なぜ尻尾がないのか常々ドレークは疑問だ。本人、生やそうと思えば絶対できる。自己主張という意味合いで生やしていれば納得出来るものを。
「××島かぁ。何度か行ったかな?覚えてないけど、でも、魚がおいしいんだよ。市場に行ってみようかな。ねぇ赤旗、ぼくが単身で騒動起こすのと、君と一緒にいて騒動起こすのどっちがいい?」
なぜ問題を起こすことが前提なんだ……というのは問うだけ無駄である。海兵時代、隣に大将赤犬がいたときは(正確は首に縄がついていたとき)どこの港に行こうがなんだろうが問題など起こさず従順につき従っていた。初めて会った時はしおらしい人形のような少女だと感慨を覚えた自分、ドレークは時が戻れば肩でも揺さぶって訴えたい。『騙されるな!』と。
「大人しくしているという選択肢は、」
「そんなものないね」
最後まで言わせず、がさっぱり切り捨てた。先ほどの提案(明日遊ぼう発言)を一蹴したことを多少なりとも恨んでいるらしい。意趣返し、ドレークは自己防衛ゆえの無礼だが、のそれは完全に嫌がらせである。
とりあえず沈黙して、一度深い溜息を吐く。そういえば海兵時代親しくしていた女性が溜息の数だけ幸せが逃げていくのよ、だとか、そういうなんとも女性らしい柔らかな気遣いをしてくれたのをぼんやり思い出す。将校クラスに昇進すると同時に付き合いも一切なくなったが(いや、確かその前にが邪魔してきたのだ。休日外で会おうと約束したドレークを目撃したらしく、当日本人じゃなくて堂々とが来た時には思わず怒鳴ってしまった)彼女は元気にしているだろうか。船上パーティで出会った、とても線の細い女性だった。父親が政府の役人ということで、当時の上司などにも勧められ文通を始めた矢先だっただけにその晩ドレークはちょっと荒れた。まだ若い、二十代のころのこと。今思えばかわいらしいものだ。
「溜息ばっかり吐いてると死ぬよ?」
そして現在残っている女性(一応)は、本当、容赦ないというかなんというか。再び溜息を吐いてドレークは額を押さえた。
「明日、なんとか時間を作る。それまでは大人しくしていてくれ」
頼むから、と、そう言えばはあっさり承諾するのだ。最初からそう言えばこの心労、なくていいのではないかとそういうことも思うが、しかし、一応己にも矜持がある。せめてもの抵抗と、そういうやり取り、なくすわけにはいかない。(そんな意地を張っているから胃薬が必要になるんじゃ、と、海兵時代から世話になっている船医がいつも調合中に呆れている)
「うん。約束だよ、破ったら酷いことするからね?」
「あぁ。約束する」
機嫌良さそうに脣を吊り上げて笑う、反射的に返事をしたものの、ドレーク、ふと一瞬真顔になって顔を上げた。
「念のために聞いておくが、具体的には何をする気だ?」
「うん?」
「約束を破った場合だ」
「ん。ベカパンクと一夜を越してもらうか、HGとおんなじカッコしてもらう」
どっちがいい?と、既に実行予定で意見を求められドレークは目を閉じた。約束、誓い言を破るつもりは毛頭ないが、何があっても護ろうと、そういう決意。HGとやらがどこの何方なのかいまだにドレークは知らないが、ことあるごとにがその名を出すので以前一度「どういう格好なんだ?」と問うてみたことはある。その時見せられた写真の格好、は「今とあんまりかわんないよね」なんて言っていたが、全く違う、全然違う、死んでもごめんである、その格好。
ちなみにあの狂科学者と同じ空間で数時間を過ごすくらいならドレークは素直に海に飛び込む。そういう、究極だ。
「信じてるよ?赤旗」
うふふふふ、と、小さく笑う、。正直「そうなったらそうなったでおいしいかも」という雰囲気がありありと出ている。
「あぁ。そうしてくれ」
心の底からそんな状況にならないようにと自身に誓い、そしてふと、目の前に差し出された白い小指に目を留める。
「なんだ?」
「約束するときはするんだよ?って、おつるちゃんが」
指きりげんまん、あれ、げんま?小首をかしげながら楽しそうに笑う。久しい児戯。まだ支部の佐官だったころ、屯所に花を届けてくれた幼い少女と一度こうしたこともある。何年ぶりか。懐かしい。海の屑、海賊へと身を落とした己にそういう微笑ましい事象は一切起きぬだろうと、そう思っていた。
ドレークはの差し出した指に己の指を重ねようと、手袋を外して手を伸ばす。が、その指先が触れる間際、が大きく後ろに飛びのいた。
「ッ……!!!?」
壁に背をつけ、身構える
「どうした……?」
身を低くして一瞬気配を消したに、ドレークは眉を顰めて話しかける。が、、奇妙な顔をして、そして、空気が弾けた。
「……ぁ……あ!!!」
ぼこり、と、の手の触れていた個所が抉れる。巨大なハンマーで力いっぱい殴ったような、あと。が、力ある者が乱暴に蹴ったり殴ったりした時のように破壊されるわけではない。その空間が、衝撃を受けた、と言ったほうが正しい。
!!」
何事か、あるらしい。ドレークは立ち上がって、に近付こうとする。
「来るなっ!!」
そのドレークを、が声を荒げて留める。普段のふざけた口調でも、故意に甲高くされた声でもない。本能的に体が止まり、ドレークは、じっと、を見詰める。
「どうした……?」
「……っ」
ばっと、が走り出した。部屋を乱暴に飛び出す、その後姿を追う。突然、どうしたのだろうか。彼女の破天荒な行動、今更珍しくもない、が、ガレーラのアイスバーグを「大好きだ」と公言して憚らぬ、船の扱いはとても慎重だ。(時々脅しで沈める云々言うが)船を傷つけるような行動はけしてしない。
「待て!!!!」
広い船内を走り、ドレークが行き着いたのは甲板だ。夜半のため人気はない。今夜の見張りに立った船員が一足先に気付いたらしい、マストから降りて出口でドレークと会う。
「ドレーク船長、あの、ちゃんが……」
「分かっている」
の走った後、触れた個所の一切が抉れ、または腐敗している。船員はただならぬ事態に声を硬くし、ドレークの意見を待った。
、どうしたというのだ」
甲板、船尾の端にまで走った、体中からばちばちと電気を発している。それだけではない、彼女の周りの空気が揺らいだ、熱量、と思えば別の場所は凍りついている。
ドレークは微妙な距離まで近付いて、立ち止まった。
、」
体をぎゅっと抱きしめて、振り返ったの顔、ドレークは目を見開いた。傲慢、不遜、尊大、絶対的な自信、揺らぐことのない意思、勝気な瞳、消えぬこばかにしたような薄ら笑い、その全てがを構成する言葉。それが、一切見受けられない、顔。首の左側を押さえながら、震える肩。指の隙間から見えたその白い首に、普段よく見られる真っ赤なバラは、霞んでいた。
「サカズキが、怪我、してる」
消え入りそうな小さな声。(泣くかと、思った)


の首にある紅い薔薇の刺青は、二十年程前に大将赤犬が何かの対価と引き換えに手に入れた「冬の刻印」という力らしい。詳しいことは、かつて赤犬の部下であったこともあるドレークも知らぬ。どういう類のものか、悪魔の実の能力とはまた違うらしいが、平和主義者のような近代技術でもなく、古の失われた力だと、そういう話は聞いている。
その冬薔薇、の”魔力“(それが正しい呼称かどうか知らぬ。他に当てはまる言葉がないために便宜上はそう呼んでいる。しかしベカバンクなど技術者はのそれを『科学力』とそう呼んでいた)を封じることができるそうだ。ドレークがとで会った時、すでにその力は封じられた後だったので、実際「封じられていない状況」がどの程度のものなのか知らなかったが、巨大なものなのだろうと漠然とは推測されていた。
その、の力の片鱗が、今ドレークの目の前に突きつけられている。
凍りついた海、運よく手ごろな場所にあった小さな入り江は完全に原型をとどめておらず、大地は焼け果て、沈み行く。まるで爆弾でも落としたかのように巨大なクレーターのできている、中央部、どうしようもないと駄々をこねる子供のように蹲っている、がいた。体中から溢れるエネルギー、電撃、炎、闇、光、嵐、様々なものがその小さな身を苛む。
その数十メートルほど離れた場所に立ち、じっとその姿を眺める黒尽くめの、ドレーク。空は白ずんで朝日も近い。甲板に飛び出して小さく呟いた、何を気でも狂ったか海へ身を投げた。それで死ぬ生き物でもないだろうがドレーク些か慌てて船の下を覗き込み、そして凍りついた海を見た。転がるハリネズミか何かのように、衝撃、稲妻、嵐を撒き散らしながらが逃れたこの入り江。当然船は暫く動けぬ。朝日が昇り太陽の熱か、の力かで氷が溶けぬ限りは進めぬ。
身のうちに封じていたものが暴走しどうしようもないを、ドレークはただじっと眺めた。彼にどうすることもできない。それが出来る者はこの世でただ一人。
(その、大将赤犬が怪我をしているなどと、冗談が何かでないのなら大事だ)

電流が若干収まってきた。頃合、ではないだろうがドレーク、声をかけてみる。相変わらずカタカタと小さく震えている背中が脅えたように、びくりと、大きく跳ねた。声をかけたはいいものの、ドレークは続ける言葉がなかった。
数時間前までの他愛のない話。普段どおりの人をこばかにした態度の、笑い顔・声。その一切が消えうせ、ただあるのは震える少女の小さな背。
「加減が、わからないんだ」
泣き出しそうな声は嫌いだった。根性ないんじゃないのか自分と、は内心自分を叱責しながら、ごしごしと目を拭う。涙ではない、辺りに散らばった電気やらなにやらで目が痛い。それだけだ。結局のところ、それだけ。
「息吸うのを忘れちゃったみたいなんだよ。ばかみたい。ゆっくり、ゆっくり、確認しながら、やらないと、抑えられない」
乱暴に擦っていると、ドレークが腕を取ってそれを止めた。真っ赤になった腕と、瞼。ぼんやりと、触れるほどには収まったくれたとほっと、安堵を覚える。なんていう、醜態なのだろう。こんなの、駄々をこねる子供じゃあるまいし、おかされた少女か何かのように、取り乱すなんて、そんな幼さ、若さ、瑞々しさ、己に霞ほども、ない。
「サカズキが怪我したんだ。かすり傷じゃあない。危ないよ、冬の刻印がかすれるほどなんて、これまで一度もなかった」
言いながら赤旗に話してどうにかなるものでもないと思い当たる。暴走する力をなんとかしたのはどこまでもの意志で、この入り江を見つけて入り込んだものだ。ドレークという存在、にはいなくとも全く構わないし、結局この男は何もしない。できないし、しないのだ。
「行くのか?」
今もそう、ただ、そう、問うだけ。はこくんと、小さく頷いた。海軍本部へ、戻らなければ。義務ではない。このままサカズキに何事かあれば、自分はれて自由の身、悠々自適な空の旅、本体はまぁ、拉致監禁されているけれどあと五百年もすればこの世界どうなるか知れぬもの、また新しい政府でも出来るのを眺めるのも良いと、そういう、座興、戯言、一切、構わぬ、はずである。
「帰る。サカズキのところに」
は自分に言い聞かせるように呟いた。帰る、のだ。海軍本部、マリージョア、エニエスが己の帰る場所ではない。サカズキのいる場所、が、帰る場所。言葉を言い換えたに、ドレークは沈黙し、そしてまたいつものように溜息を吐いた。意味など、知らぬ。
「ほんとは、今すぐ帰りたい。でも、無理だ」
今はなんとか抑えきった力、けれどいつ溢れるか知れぬ。このあたり一体、いや、想像もできぬほどの規模をなかったことにできるくらいは、容易い。これでパンドラの力の半分もないというのだから笑える。800年かけて、力は積もりに積もった。昔はどう扱っていたのか、思い出せない。先ほどは息の吸い方と例えたが、それよりもっと単純かもしれない。心臓の動かし方、当たり前にできていたはずのもの、だ。筋肉だって使わねば衰える。原理は一緒かもしれない。
ぼんやりと、のろのろ、顔を上げて白くなった空の下に、相変わらずの黒尽くめ見上げてにへらと、笑う。
「さようなら、赤旗」
せいぜい長生きしなよ、と、そう付け足した己は割とこの男が好きだったんだなぁと、今更ながらに実感するものの、けれど、それ以外に感慨などない。



Fin





 

続いたらどうしよう……。(えー)

補足
ドレーク海賊団船員
料理長:恰幅の良い男性。豪快に笑う人。の皿にどんどん料理を盛るつわもの。のことを「おじょうちゃん」と呼ぶ。
航海士:眼鏡をかけたインテリ。中々冷めた正確で二人を傍観しつつしっかり航海日誌にいろいろ書いている。態度と文体が極端に違う男。ワリと若い。多分ツンデレ。
船医:ドレークの海兵時代からの船医。初老でいろいろ秘密を知っている。海軍での地位は不明。薬剤の調合がとても上手い。しかしその腕は胃薬にのみ生かされている。
見張りの船員:何か騒動があるときにいっつも見張りになってしまう不運な人。突っ込みと驚き担当。のことをちゃん、と呼ぶ辺りいろいろ知らないらしい。