廊下を曲がった途端、機嫌の良いに遭遇し、ドレークは今すぐ海に出るべきだと本能が警告した。

「あー、ディエス。ナイスタイミングっ」

しかし、長年染み付いた父性というか保父根性というか、「おやおや、まぁまァ、死ねばいいのにねェ」の魔女モードではなくにこにこ笑顔でドレークの訪問を歓迎するに「何か楽しいことでもあったのか」と、それはもう、慣れた仕草でぽん、と頭に手を置き撫でてしまう。は少し大きめの冊子を抱えドレークを見上げている。そのあどけない大きな目は普段傲慢そうに細められているか外道の極みを尽くして仄か暗く輝いているかのどちらかだけれど、今は外見どおりの子供のようである。

今は昼間だが、何となくドレークは自分が将来子供を持った時は帰宅時にこういう風に子供が駆け寄ってくるのだろうか、と、本当、俺はまだ独身だよな?という身分だというのに体感してしまう。

「ねぇ、ディエスって海兵だよね!?」
「物凄く今更だが、海軍本部の海兵だ」

今までなんだと思われていたのかドレークは考えないようにした。どうせ「玩具?」と小首を傾げて答えられるのだ。

ドレークは珍しくが一人で廊下を歩いていることを奇妙だとは思い周囲を見渡す。が本部を一人で出歩くときは影ながら監視があるはずだ。今はその影もない。まさか悪戯という名の嫌がらせで完膚なききまでに叩きのめしたのかと嫌な予感がした。しかし、気にしていたらキリがない、というのもある。ドレークはホコン、と咳払いをしてに目線を合わせるため腰を屈めた。

「それがどうした?」
「海兵はカヨワイオンナノコの味方だよねー?」
「……判りやすく言うと?」
「ぼくのためにサカズキに殴られなよ」

物凄く判りやすい。というか、婉曲に言われるより諦めもつく。堂々とのたまうの頭を再びポン、と叩いてドレークはとりあえずひょいっと、を肩に乗せた。ここは一応本部内ではあるが、や赤犬、青雉が普段使用している“奥”からは離れている。ここまで歩いてきたのだろうが、帰りは絶対に「足が痛い」だの「抱っこ」だの「ぼくが疲れてることくらい察しなよ」と言い出すに決まっている。脛を蹴り飛ばされる前にとドレークは行動しているに過ぎぬのだが、周囲からは「甘やかしている」と取られるらしい。なら変わってくれと必死に訴えたところで無駄だろう。

はドレークの肩、定位置に当然のように腰掛けて、きゃっきゃと声を弾ませる。捕まるところはドレークの髪と耳で、行きたい方向に引っ張る。ぶじっと毛が抜けないかと心配だが、その辺の手加減はするらしい。

「で、おれに何をしろと?」
「うん、そうそう。あのね、クザンくんが最近やったらぼくと出会う前のサカズキの昔を自分は知ってるって自慢するんだよ。ぼくイラっときちゃってー」
「大将青雉は無事なのか…?」

色々思うことはあるが、とりあえずドレークはそこを確認することにした。顔は見えないが声ばかりはニコニコと楽しそうなの、あまりにも物騒な笑い声だ。とりあえず自分の髪を引っ張る手の力が強くなったことに軽い恐怖を感じる。

「ふ、ふふ、あんまり自慢するものだからね、さっき鳩尾蹴り飛ばして『海楼石の手錠つけてコードレスバンジーしてくれたらクザンくんのこと好きになるかもしれないね』って言って出てきたの」
「悪魔かお前は…」

今のところ海軍本部の中将で大将の座に相応しい実力・思想の持ち主はいない。青雉が死んだら世界戦力のバランスが崩れるだろう、とドレークはドレークでちょっとずれたところを心配した。しかし、青雉の性格を考えれば、何も嫌がらせでに赤犬の昔の話を自慢したわけでもなかろう。恐らくは、あまりにもとサカズキが周囲への配慮無自覚にバカップルっぷりを発揮するもので、に恋慕している青雉は少し、こう、の気を引きたかったのではないだろうか。何その乙女思考、と突っ込みを入れてはいけない。遊びなれた大将青雉は、男女関係には聡いし知識経験も豊富だが、自身の恋心ともなるともてあまし気味になるそうだ。「好きな子ほどいじめたいってわかる?ドレーク中佐」といわれたとき、ドレークは上司の意見ということで頷くべきか、それとも素直に「を虐めたら嫌われるだけです」と忠告すべきか迷った。

しかし、青雉の言動に「イラっときた」というのなら、このの上機嫌さは妙である。それに、が人の問いに答えないで自分の言いたいことだけいうのはいつものことだが、ドレークがなぜ赤犬に蹴り飛ばされることになるのか、というのがよくわからない。

ドレークは器用に肩に乗っているを持ち、左腕に腰掛けさせるようにして抱く。

「で、何なんだ?」

放っておけばそのうち「昨日食堂でマリアちゃんがねー」と全く関係ない話をしだす。それで軌道修正、というほどたいそうな理由ではないが、たずねる。は一瞬きょとん、と顔を幼くさせ、自分が話しているのはそもそも理由はなんだったか、と首を傾げる。やっぱり忘れていたらしい。

「うん、そうそう。それでね、ねぇ、ディエス。ぼくもサカズキの若い頃みたいなぁって思うんだよね」
「タイムマシンとかそういう型破りなものはさすがのお前も扱わないな…?」
「ぼくの目が青いのはあの猫型ロボットと同じで泣きはらしたからだけど、そういう便利ポケットは持ってないねぇ」

いや、お前ならやりかねない、とドレークは真剣に思った。というか、魔女の悪意、詩篇、パンドラマジック☆でたいていの非常識を片付けるだ。タイムマシンくらい持ってるんじゃないかとドレークは突っ込みたい。だがは機嫌よさそうに足をぶらぶらとさせるだけで、別段ポケットから何かを取り出す、というそぶりもない。

「……大将赤犬の若い頃の話は、おれが知るはずもないだろ」

もしや、青雉から聞くのは屈辱と思いつつ、他の人間からならいい、ということだろうか。ドレークはに(良い意味かどうかはおいておいて)懐かれているという自覚くらいはある。あれか?「おとーさん、おじいちゃんの昔ってどうだったのー?」と夜ソファで寛いでいるところに娘が問いかけてくるような感じか?と、独身のはずのドレークは脳内での悪魔っこっぷりを変換させてみる。

だが噂、というか、「さすが後の大将赤犬どの、新兵の頃からあの徹底した正義は持っておられたのか!」というような武勇伝(ある意味トラウマを受け付けられるようなおっかない話)はドレークも入軍したてのころから聞いているが、が知りたいのはそういうことでもないだろう。ドレークが大将赤犬を直接知ったときには既には海軍にいた。自分に答えられることはないはずだ。

「違うしー、話ならおつるちゃんに聞くしー。ぼくはサカズキの昔の写真が欲しいんだよ」

、ここ最近語尾が妙に延びる。青雉曰く「何かドレーク中佐が世話しに来てから、ちゃんが何か若い女の子(判りやすくいえば女子高生)のノリになってるんだけど」らしい。子供らしい心を取り戻したからなのか、ただたんにドレークが世話を焼きまくった結果なのか。

「昔の写真?」
「うん、そう。ぼくが知ってるのは紫外線対策バッチリなフード被ったサカズキ中将だから、その前とか見たいの」
「それなら記録室にあるんじゃないのか?」

赤犬こと、サカズキ大将はまだそれほど高い地位でない頃から目覚ましい活躍をしていた。立てた武勲は星の数、上げた首は監獄一つで足りぬほど、というような有能な海兵である。手柄を立てた折には報告書があるもので、それには活躍した海兵の顔写真も載っているものがあるはずだ。

「きみはバカかい?このぼくがそんな面白くもない手段で目的達成なんてするわけないだろ」
「手っ取り早い上に誰にも迷惑をかけないで済むと思うんだが、いうだけ無駄か」
「うん」

物凄く平和な手段を提案したが、即行却下である。はフン、と鼻を鳴らしてドレークを見上げる。そのあどけない顔は、本当に愛らしい作りをしているのになぜこうも外道なのだろうか。

そういうドレークの心中は綺麗に無視して、はひょいっと腕を振る。落ちてきたのはデッキブラシ、ではなくて、古びたカメラだ。

「これでサカズキ撮ったら昔の姿の写真になるんだよー」
「待て。お前に常識というものは…」
「何を今更」

あっさり言いは肩を竦める。の手にあるのはごく平凡なカメラのようだが、今のの発言を考えるに、あれか?撮ったら過去の姿が写る、という類のものということか。そういうものが空想の中であるのはドレークも知っている。そういう絵本をが先日読んでいたのも記憶している。だが、ここで現物を見るハメになるとは思わなかった。

ちなみにドレーク、これが眉唾なものである、という疑いは抱いていない。なんというか、が出したのだ。そういうものもあるだろう、と納得できてしまうのがもうアレである。

とくに否定する気はないのだが、沈黙した様子を「疑ってる?」と取ったかがひょいっとドレークの腕から降りて何の前フリもなくパシャッとシャッターを切る。その古びたカメラはポラドイドカメラのようだった。軽いシャッター音の後はなにやら摘んだのは四角い紙である。それをフルフルと振ってから確認し、が、それはもう満足そうな顔をした。

「ほらほら見て見てー。ディエスの若い頃ー」
「……疑ったわけではないが…ここまで正確だと気味が悪いな」

自慢そうに差し出してくるから写真を受け取って確認し、ドレークは素直に驚いた。真四角の紙の上に写っているのは自分がまだ海軍に入る前、故郷の海で暮らしていたころの写真である。服装まで反映されるのか、北の海の住人らしい厚手のコート姿の幼い少年は紛れもなく自分だ。あの頃はまだ海が冷たいものであるという以上のことを知らなかった。時折港にやってくる海兵の真っ直ぐ伸びた背筋に憧れ兄弟たちと真似して歩いたものである。

懐かしい、と眼を細めて眺めているとが不思議そうな顔をしてこちらを見上げていた。

「なんだ?」
「うん、これサリューにあげたら喜ぶかなって」
「止めてくれ、頼むから」
「恥ずかしいの?いい年してるのにー」
「年齢は関係ない。それより、これで赤犬を撮るということか」

副官の名を出されてドレークは一瞬焦りつつ、が本気でやるといえば自分が止めることができないのはわかっていた。そういう時は話題を逸らす方がいいと学習している。赤犬の名を出せば、は「そうそう」と改めて思い出したように手を叩く。

「うん、それでね、ぼくが「写真撮らせてー」って言ってもたぶん次の瞬間燃やされるから」

カメラが燃やされるのかが燃やされるのか、それはその時の赤犬の気分だろうが、両方燃やされる、という可能性もある。はそういう物騒なことを平然と口に出しつつ、にんまり、と、それはもう、悪魔っ子!!としか思えない笑顔を浮かべドレークにカメラを押し付けた。

「ディエスがおやりよ、隠し撮り」
「……死んで来いということか?」
「任務失敗=死じゃないよ。死んでも任務は成功させるんだよ」

いや、あの大将赤犬が隠し撮りなんかさせるわけがないだろう、とドレークは突っ込みたかった。「こそこそするな!!」と殴り飛ばされるのがオチである。だからといって堂々と「写真を撮らせてください」と言ったところで魔女の道具に関わるのをとことん嫌う赤犬だ。まず断られる。

ここはを説得する他ないとドレークは判断し、カメラを持ったまま見下ろすが、そこで「うっ」とドレークは言葉に詰まった。

「……いやなの?」

くっきりとした眉をハの字に曲げ、青い目を揺らしたがこちらを見上げている。今にも泣き出しそう、というような顔ではないが、不安そう、というには相応しい表情でこちらをじぃっと見つめているではないか。

その瞬間、ドレークは悟った。は別に青雉のことにそれほど腹を立てているわけではないし、赤犬の昔の写真が欲しいと真剣に思っているわけでもない。

(おれへの嫌がらせかっ!!!?)

こういう顔をされてドレークが断れぬ、とわかっているのだは。そしてこの赤犬隠し撮り、がどれほど難しいのかもわかっているのだ。その上で、は堂々と頼むのである。

ぽつり、と小さく呟かれた一言にドレークは心臓をわしづかみにされたように激しく動揺してしまった。最近はめっきり収まっているが、元々ドレークは肉食系の能力者、魔女の飢餓がある。それゆえにを悲しませている、という意識がドレークの体を苛むのだが、それ以前にドレークは「年端も行かない少女の期待に応えられない」という自分を恥じるのである。その辺がある意味融通の利かぬ正義を持っているドレークの弱点であるが当人に自覚はない。

ぐっ、と大変苦しそうな顔をするドレークには何も言わずじぃっと見上げてくるだけである。ヘタに何か言うよりもずっと効果的かつ、ドレークが敗北するのをただ待っているというその姿に、ドレークは物凄く胃が痛くなった。

人を甚振ることにこれほど才能溢れているのは以外にいない、そう心の中で罵りつつ、ドレークはに返却しようと思っていたカメラを持ち直す。

「……わかったから、大人しく部屋で待っていろ」

 

 

 






保父っぷりがいい具合に板についてきましたね!!

 

  (そんなのちっとも喜べない)


 

 

 




・そんなドレーク中佐が大好きです←黙れ
(2010/05/25 18:05)