空が遠い 「どうしてそんなに、悔いた顔をして立っているの」 女性にしてはやや低い、しかし独特のやわらかさを含んだ声にははっとして振り返った。切り立った崖にぼうっとして暫く、海の成分をふんだんに含んだ風が容赦なく魔女の身を苛むままにさせていたから、近づいた気配に気付かなかった。 「ロビン、くん」 振り返れば、黒髪に長身の、眼も覚めるような美女がこちらをじっと眺めている。母親とおんなじ眼をしているとは思いながら、ニコリと笑顔を浮かべた。 「折角ジャヤに寄ったのにゆっくりできなかったなぁって。ふ、ふふ。ぼくはあの街がわりと好きでね」 「荒くれ者達の街ね。あなたには似合わないと思うけど」 「騒音もバカ騒ぎも好きじゃないけどね。でもこの島はいいんだよ。馬鹿が寄り集まってぎゃあぎゃあ騒いで、何もかもをかき消してくれればいい」 ルフィたちは今頃ショウジョウたちと楽しんでいるのだろう。ジャヤの街での腹立たしい一件も彼らの中ではあっという間に通り過ぎる。一番不快な思いをしただろうナミでさえ、割り切れているというのがにはすがすがしく、しかし、まぁ、あの可愛らしい連中はあとでどうにかしてやろうかと仄暗い思いがないわけでもなかった。 「空島があるかないか。ロビンくんはどう思う?」 「ログを疑うことほどばかげていることはないわ。空を指しているというのなら、そこには必ず島がある。あなたはどうなの?」 世にありえぬと常識が訴えることを容易く「ありえる道理」と疑わぬ眼差し。まっすぐに受けては目を細めた。空島。大空に浮かぶという、島があるのかないのか。それは、は、わからない。ある、とは言っていた。昔に知り合った吟遊詩人やジプシーはある、と教えてくれていた。ロジャーも、言ったと言っていた。けれどはない。デッキブラシで空は飛べるが、あれはいける場所が限られている。 「あろうがなかろうが、それは興味ないよ」 「あなたの興味あることって、なにかしら」 誘導尋問は関心しない。お嬢さん、と、はさめざめとロビンを見上げた。背の高い、美しい女性。すらりと伸びた手足。まっすぐ、艶やかな黒髪。己にはもう手に入らぬ全てを持ち、そして己では夢見ることも出来ぬ、成長を当たり前にする、人間の身の生き物。たしなめるのは些か傲慢に過ぎるかと一瞬考え、は肩をすくめる。世にある歴史の本文を読み解くことが出来るという、ただ一人の人間。ニコ・ロビン。がサカズキに捕らえられる切欠を作った少女、ともいえる。危うい生き物だ。世の悪意が彼女を逃さず、世の正義が彼女を許さないだろう。その人。この魔女と立場が似ていると、以前誰かが言った。確か、あれは、そう、もう海に沈んだ、トムだ。思い出しての目が赤味を帯びるが、幸い長い前髪に隠れてあからさまにはならなかった。 は俯いたまま、ぽつり、と、ロビンに問いかける。 「海にもぐりたいと、このぼくが思うのは愚かなことと?」 「思わないわ。私は、思わない。悪魔の実を口にして、私も随分海に嫌われたけれど、それでも、深海に眠る遺跡があるのなら、命をかけてもぐりたいと思うわ」 「知らなかったんだ。ノーランドに、子孫がいること。知らなかったの。そのコが、まだ、諦めずに、忘れずに、捨てずに、探してくれていること」 モンブラン・クリケット。チョッパーの治療を受けて養生しているはずの人。ルフィたちが一緒になって、楽しく騒いでいれば、楽しいだろう。今頃行われている騒ぎに己も加わりたいと、思わないわけではない。一緒に笑いあって、そして、モンブラン・クリケットの笑顔を見れれば、どれほど、心が晴れるだろう。しかし、そんなことはできない。そんなことは、許されない。そう思う、罪悪感が今を一人崖の上に立たせていた。 ロビンが風に巻き上げられる髪をそっと押さえながら、眼を伏せる。大人の仕草。匂うような、魅力があるとぼんやり思う。己は、羨んでいるのだろうか。不思議なことに、己は、ロビン相手には昔のことをあっさり口に出せている。本来、己は過去の一切を語ることをためらわなければならない。邂逅の一瞬すらままならぬ、しかしそれが道理であるはずの己が、ニコ・ロビンを前にすれば、老婆が暖炉の前で孫娘か何かに遠い昔を懐かしんで聞かせるとうな、或いは司祭に懺悔をする罪びとのような面持ちで、さまざまなことを語れる。そういう魅力が彼女にはあるのかと、いや、そうではないのだ。そうではなく、その、立ち位置がそうさせているのではないかとは思う。オハラの学者、考古学者は、過去を暴き立てる。考古学者という生き物だから、はロビンに語ってしまうのだ。そういうものだ。生き物というものは。そうなのだ。 「ノーランドは言ってた。黄金郷は海に沈んだって。モンブラン・クリケットもそう信じて、海をめぐってる。ロビンくん、ぼくは、ここで船を降りたい」 「・・・・・許されるの?」 「ぼくは、ぼくのやりたいようにやる。関係、ないよ」 問う内容の真意は、下船を船長が許可するかと、そういうことではない。はしゃがみ込んで、足元の石を海に投げ捨てた。 NEO HIMEISM |
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