「海軍本部中将モモンガだ。お前たちの本日の訓練の教官を引き受けた」
立ち振る舞いは威風堂々。片手に持った長剣、いかめしい顔をさらに厳しくし、ずらっと並んだ新兵たちを見渡して、ひくっ、と、モモンガの顔が引きつった。目の前には今期入隊した新兵が数人、中将であるモモンガを畏怖と尊敬の篭った眼差しで見上げている。おつる中将が4年に一度編成する精鋭部隊。通信・暗号解読・その他雑務を難なくこなすエリート候補。
その中に混じった、真っ青な眼。
まぁるくあどけなさを前面に押し出した無邪気な様子。
しかしそれにほだされるモモンガではなかった。
(というか、なぜこいつがここにいる…!?)
ぐるぐるとモモンガの脳内を疑問が巡った。頭の中が真っ白になり、これまでの様々なトラウマが駆け巡る。
海兵の真っ白い制服に、なぜか真っ赤なスカーフ。え、これ普通は青じゃないのか、という突っ込みはするだけ無駄だ。半ズボンからは健康的なほっそりとした脚が伸びている。
「…な、何をしている海の魔女」
「しーっ、ダメだよ、中将。ぼくはただのなんだから、その呼び方はダメだよ」
たとえ魔力がなかろうがなんだろうが、間違っても「無害」にはなれないだろう悪魔の子が何を堂々と言っているのだろうか。
モモンガはさっと周囲を見渡した。
海の魔女の、たとえ先日の騒動でその「定義」を失ったとしても、それでどうだというのか。
危険視されることに変わりはなく、彼女の傍には常に准将以上の「監視」が付いていた。そしてやはり今も、建物の影に隠れて准将が一人を監視しているのが見える。監視といえば言葉は悪いが、言い換えれば「お守り」である。
「海兵になるんだよ、ぼく」
「ま、待て、それは何の冗談だ・・・!?」
「だってぼく、サカズキの役にたちたいんだ。だから、海兵になるのが一番かなぁって」
きょとん、と顔を幼くし「なんでそんなわかりきったこと聞くの?」という眼をする。
「あ、あの方はご存知なのか…?」
見張りがいるのだから知っているのだろうが、モモンガは「承諾しているのか」と言う意味で聞いた。そして新兵らの手前、大将の名を出すわけにもいかない。は一瞬顔を曇らせ(その途端、を監視している准将がさっとノートに何かを書いていた。多分、ボーナス査定のマイナス要素になったのだろう)
「あんまり賛成じゃないみたいだね」
眉を寄せ、少し辛そうな顔をしながらも、微笑んでみせる様子。何だか悪いことを聞いたのかとモモンガぐさっ、と刺さるものがある。(ついでににそんな顔をさせたことをしっかり大将に報告される)
「そ、そうか…」
ほこん、と、気を取り直して咳払い、モモンガはの頭をぽん、と叩いてから周囲をざっと見渡した。
とモモンガのやりとりを興味深々と眺めていた新兵らがさっと、背筋を伸ばす。
今日は綱渡り100往復と竹刀ぶつかり稽古2時間、ランニング50周、腕立て伏せ2000回と、海軍本部にしては軽いメニューを考えていたのだが、のこのご登場。
(そんなことをさせたら私の首が飛ぶ)
解雇、ではなくて本当に、胴体とサヨウナラ、するだろう。そういう確信があった。
と言って新兵らの育成に手を抜くわけにはいかない。いろんな葛藤。え、何これ新手のイジメか、と思わなくはない。モモンガの脳裏に、かつての世話役に任命されていたディエス・ドレークの姿が浮かんだ。
・・・そりゃ逃げたくなるよな!
なんて情け内ことを、思わなくはないが、ぐっと、ここは腹に力を込めて、出来る限りの気力を搾り出すように告げた。
「ま、まずは…ランニング30週、3時間以内に出来ないものは、今すぐ出て行け」
出来れば、脱落してくれと心から思いながら、モモンガ、きっちりと敬礼をした新兵らにまじるから顔を背けた。
++
真夏日、海軍本部の訓練所。グラウンドを新兵たちが走り回る。リズムよく走る訓練生たちに遅れること、真っ赤な髪の少年(に、見えるように装ってはいるが、少女である)が必死に走っていた。
本日の教官モモンガ中将は、暑い中、スーツに乱れも見せず、じっとその少女の様子を眺めていた。信じられるもの、奇跡でも見るような、驚きがある。
(いつものように駄々をこねるなりなんなり、なぜせんのだ…!)
頼むから早く脱落してくれ、と必死に願うモモンガの胸中など知らず、息苦しそうに顔を顰めながらも必死に足を動かし続ける。その速度は確かに他の海兵らよりも遅いが、しかし、速度はなくとも持久力はあるようで文句も言わず走る姿。
普段わがままの言い放題。二言目には「このぼくに指図するんじゃあないよ」と目を細める、魔女っ子。
なまじ知識やら後ろ盾があるから厄介だと、泣き寝入りした被害者の何人いることか。
その、傲慢で尊大、しようのなかった。
現在息を切らせ、時々ぐっと唇を噛み、自分を周回遅れにする海兵らの「しっかりしろよー」とからかう声に落ち込むこともなく、走り続けている。
(……本気か?)
めげぬ様子に、モモンガはただ驚く。それと同時に、感心もしてしまった。
あのが。
デッキブラシよりも重いものを持ったことがないような、我侭娘が。モモンガの指示したとおりに、大人しく訓練を受けている。(まぁ、今はただのマラソンだが)
本気でが海兵になりたいと考えているのなら、自分も本気でしごいてやるべきだ。多少は辛いだろうが、今モモンガの目の前にいるは(その動機はさておき)一生懸命訓練に励んでいる。これは、褒められるべき変化だろう。必死に成長しようとしているものを励ますのは、上官の義務である。これまでに煩わされて胃の痛い思いをしてはきたが、だからこそ、その成長は喜ばしいものだった。
そうモモンガが思い、走るに何か声をかけようと口を開きかけた瞬間。
……何か、おもっきり殺意を感じました。
ばっと、慌てて警戒態勢。刀を手に構えて後頭部に突き刺さった殺気の出所を探り、顔を引き攣らせた。
モモンガたちのいる訓練所から遥か離れた場所。海軍本部“奥”へ繋がる渡り廊下(三階)に、何やら仁王立ちしている黒スーツに正義のコート。キャップを目深に被ってはいるが、突き刺すような視線、殺気はばっちりモモンガに届いていた。
(アンタ何しているんだ……!!)
太陽バックに、威風堂々と「余計なことを考えるんじゃない」と殺意をぶつけてくる、海軍本部大将殿。
モモンガは心の中で叫び、がっくりと、肩を落とした。
Fin
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