今日はよく見下される日だと頭の隅で思いながら、は眉をよせ、サカズキを見つめ返した。
背の高い、え、どこの組長ですか?という威厳たっぷりの男。
先ほどニコラスに殴られた時も、怒鳴られた時も、ちっとも怖くなかったのは、この男の威圧感に慣れてしまっているからだろう。
「なぜ止めた」
「ぼくの質問には答えてくれないの?」
「本部に大将がいるのは当然じゃろうがい」
はもう一度溜息を吐き、緩やかに首を振る。
あと五分で道場に行かなければならない。
ニコラスに頑張る、と約束した手前、遅刻など絶対にできないし、そういうのは、好きじゃない。
だからできる限り簡潔に話を終えたかったが、サカズキは、そうではないらしい。
「大将は今仕事中でしょ。勤務中の大将赤犬が“奥”を離れてこんなところまで散歩する?」
「仕事なら終わっちょる」
「今日分の仕事を終わらせるだけが大将の仕事だと赤犬が思ってるなんて、ぼく信じないよ」
ちらり、とはサカズキの隣で腹を抱えうずくまっているクザンを見た。
「クザンくんお腹痛いの?」
「邪魔をしちょるけ、蹴り飛ばしただけじゃァ、貴様が気にかけることなんぞない」
「クザンくんは止めてくれただけでしょ」
あの時、ニコラスが二度目に手を上げた時、が叫ばなければどうなっていたのか。
サカズキは、止める気はなかっただろうが、の声に一瞬だけ反応してくれた。
その僅かな時間によりクザンがサカズキを羽交い締めにして止められた。
「ぼくは訓練を受けているただの見習なんだよ。あそこで大将が出てきて、ただの訓練生を助けるために、同じくただの訓練生を、どうするつもりだったの」
「殺しはせん。あの訓練生は貴様を殴った。軍内の体罰は禁じられちょるけ、処罰するんは当然じゃろう」
公私混同をするようなひとではなかったのに、とはため息を吐きたくなる。
殴った、と言ったってはたかれただけだ。
確かに海軍本部、軍内での暴力沙汰は処罰の対象になるらしい。
先日、予習のために読んだ本の一冊に書いてあった。
だが、あれは例外と部類されてもいいだろう程度のものだ。
軍内での、上下関係や力の差のいざこざなど日常茶飯事なのだと、は以前ドレークに聞いたことがある。
確かに自分は、あまり軍隊について知らないのかもしれない。
だが、、けして愚かなつもりはなかった。
とても大変なことを、自分がしようそていることくらい、わかっているのだ。
そして、自分がサカズキに大事にされている自覚もある。
サカズキが、自分が海兵になるのを反対しているのも、わかっている。
それでもは海兵になって、サカズキのそばにいたかった。
「ぼくは平気だよ。きっと、うまくやれる」
「どこがじゃァ。貴様は殴られたじゃろうが!!」
というか、それを君がいうのか、とは言わなかった。
さすがに、それは性格が悪すぎる。
「でも和解できた。あそこでサカズキが出て行ったら、ややこしくなったし、ぼくはニコラスくんと仲良くはなれなかったよね」
「必要ない。貴様はわしのそばにいればいい」
「傍にいたいよ。ずっと、サカズキだけのものでいたい。でも、言ったでしょ?ぼく、理由が欲しいんだ。サカズキのところにいていいって言う、理由が欲しいの」
は自分の頬に回されたサカズキの手に自分の手を重ねて、そっと目を伏せる。
「サカズキが好き。本当に、好きだよ。大好き。サカズキはぼくのこと、嫌いになったの?」
「そんな予定は未来永劫ない」
相変わらず言葉ではっきりと言ってはくれぬひとだ。
それでも、今はその言葉を聞きたいから聞いたわけでもない。
はそれで満足することにして、にこり、と笑顔を向ける。
「でも、ぼくはサカズキがぼくの邪魔をしたらちょっとだけ嫌いになる準備があるよ」
ちょっとだけだけどね、と言えば、帽子の影に隠れたサカズキの目、には面白いくらいに、見開かれたのがわかった。
「だから、邪魔しないでね。ぼく、サカズキのこと、一番好きでいたいんだ」
それにしても本当に、自分は性格が悪くなったとしみじみ思い、はとどめとばかりに、ぎゅっとサカズキに抱きついた。
動揺しているらしい、ドSな男が硬直しているのが面白く、これからの訓練を耐えられるように、世界で一番大切な人のにおいや感触を楽しんだ。
++
ぶつかり合う竹刀の音、少し遅れたんだろうか?は焦ったが、モモンガの姿がなかったのでほっとする。
よかった、間に合いはしたらしい。ちらりと時計を見れば二分前である。
あと一分くらいサカズキに抱きついててもよかったかと思わなくはないが、離れがたくなるだけだから丁度いい。
現在、同じく訓練生たちが早めに来て練習、といったところだろう。
はニコラス姿を探し、同乗の中央に、そこだけ真剣な雰囲気を漂わせた二人組みを見つけた。
「あ、ニコラスくん・・・と、ねぇ、あれ誰?」
持っているものは二人とも竹刀。
けれど本気でやりあいます、という気合の入った様子。
ただの稽古、ではなくて、どちらが上でどちらが下かを競い合うような目をしていた。
あのプライド高いニコラスのことだから自分から挑んだのだろうか。
しかし、ニコラスも、相手も同じくらいの実力か。
の目には十分に剣術に長けているように見える。
「知らないのか?」
「うん、有名人?」
「ストラマ・エヴァン。あっちが役人の名家グリフィス家の長男なら、あいつは軍人の名門ストラマ家の次男坊だよ」
「へぇ」
きょとん、とは首をかしげた。
知らぬ姓ではなかったが、確か、その一族は五年ほど前に、没落したのではなかったか。
記憶を呼び戻そうとしていると、モモンガが道場に現れた。
何気なくそちらを振り返り、は顔を引き攣らせる。
Fin
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