ひょいっと、首根っこをつかまれるのは慣れていることだが(それも悲しい)乱暴に厨房に投げ込まれたのは初めてだった。むしろ、海軍本部でも重要な役割を果たしている厨房には近づくなと念を押されてさえいた。

「え、ぼく何かした?」

しりもちをついて、ぼんやりサカズキを見上げる。相変わらずフードと防止。生憎と逆光で目は見えないが、まぁ、それもいつものこと。なんとなく目が光っているような、そんな気がした。

「昨日の行動を思い出してみろ」

なんだか背景、ゴゴゴゴとか、そういう文字が見えそうな様子。けれど怒っているわけではないのだとは長い付き合いから知っていて、そのためか恐怖もない。きょとん、と目を丸くしてみて首を傾げる。

「きのう…?」

昨日、昨日。とりあえず朝からサカズキに蹴られて部屋から落下した。あれは痛かった。それで朝ごはんはおつると一緒に食べて、大根の味噌汁がおいしかった。食後はちょっとした読み物をして、そういえばいい加減覚えないとまずい知識がいくつかある。デッキブラシでその辺を飛び回ってたらサカズキに打ち落とされて、とそういう日だった気がする。

「貴様の発動した”迷宮”から戻ってきていない海兵が一人いる」

ぐるぐると昨日の行動を思い出して答えにたどり着かぬ。頭の中でいろんなことが飛び交って、いつのまにか本題を忘れるところがあると、サカズキは承知している。普段ならその軽そうな頭を蹴り飛ばしてことを収めるのだが、今回はそうはせず己で出した。

「迷宮?」

ラビリンス・カード。の能力のひとつだ。そういえば昨日、ちょっと海兵数人をからかった気がする。将校以下の新米などはの悪戯というたちの悪い冗談に付き合うには実力がいささか足りないが、しかし、ある程度の海兵なら逆に訓練、いい刺激になるとか、そういうことをセンゴクが考えているおかげで、この悪戯についてはサカズキにどうこうされることはない。まぁ、時々度の行き過ぎた悪戯は蹴り飛ばされるが。

確か昨日は異次元を開いて中に作った巨大迷路に海兵数人を放り込んだような、そんな気がする。、どうでもいいことはすぐに忘れる。

「戻ってきてないなら、まだ迷ってるんじゃないかな」

無責任であるが、それをサカズキが責めることはない。の迷宮、例の「一夜」の戦いでサカズキも経験している。あれはそれほど悪意のあるものではなく、実力さえあればすぐに出られるもの。かつてサカズキ、クザン、ボルサリーノは壁を砕いて進むという反則行為で脱出した。ちなみに壁はたやすく壊れるものでもなく、ボルサリーノの音速の蹴りと、砕けた箇所をクザンが凍りつかせ瞬時の復元を不可能にし、さらにサカズキの能力を使うという大将三人(そのときは中将だったが)の実力が揃ってできたことである。

「それで、その迷子の海兵さんが戻ってこないのと、ぼくがキッチンに連行されたのってどういう関係があるの?」

「海軍本部で行われる定期的な食事会は知っているな」

「うん」

「そこで出されるカレーはもっとも重要なメニューだ」

うんうんと頷いて。確かに海軍のカレーは本当においしいと思い出す。どういうレシピか知らないが、あれ、気合と根性、それといろんな努力の賜物で味だけではない何かもきっと美味さのひとつなのだろう。

それで、合点が言った。なるほど、なんだ、ひょっとして自分が迷宮に放り込んだ海兵さん、今回の海軍カレー作りの張本人だったと、そういうことか。

「ココロノソコカラゴメンナサイ」

ぺこり、と頭を下げるとその上からがしっと頭をわしづかみにされてつるされた。

「貴様の謝罪など何の意味もない。責任を取れ、



海軍カレー







「それでなぜ俺たちまで巻き込まれなければならないんだ……」

深い深いため息。それがどれほど深いものだって、不快なものにならないのだからそれはもう、ドレーク中佐が悪いと周囲がきっと指をさす。海兵に入りたてのころの雑用時代、そりゃあキッチンでジャガイモの皮むきなどもやったのだけれど、それ、ウン十年前だからと、そういう懐かしさ。まさか佐官クラスにあがってまで再び例の「雑用」の前掛けをつけることになるとは思ってもいなかった。X・ドレーク中佐。

「あの、私本当に料理の類は不得手なんですが」

その隣、こちらは雑用エプロンではなくて、逆にいやがらせですか?というような、心底かわいらしい、真っ白いフリルのエプロン。メイドさんがつけるような、それのレルヴェ・サリュー。困惑した様子でキッチンの台に座っているを見つめた。ちなみにサリュー本人これを着けるの随分と嫌がった。それで、が「え、じゃあドレーク中佐がこっち着けるの?」と当たり前のように言ってきたのでしぶしぶ承知。脅しよりも厄介だ。サリューからは見えなかったが、その隣でドレークがかなり本気で安心したような息を吐いていた。ちなみになら本気でドレークにフリルの利いたエプロンを着せる。サイズが合わなければ大きくする。そういうことにだけ、彼女は平然と「魔法」を使うのだ。

「悪いねぇ、二人とも。一人だったら絶対無理だからさぁ。ま、ここはひとつ、これも仕事だと思って」

ちっとも悪いとは思っていない顔、声、態度でのんびりとクザンが言う。がサカズキに厨房に投げ込まれたのと同じくらいの時間にドレークの執務室に態々足を運んだクザン。一応大将なのだがこの男、その実力以外はまったくもって大将らしからぬ生き物。

「ドレーク中佐とサリューがいれば大丈夫かなぁって思ったんだけど。え、サリュー、料理できないの?」

きょとん、と、かわいらしい目をして言う。幼い子が姉か母親に菓子の作り方の手ほどきを受けたいと、そういう期待に満ちていた目。

「……最低限のことはできます」

気恥ずかしい、と、一応サリューもそういう心はある。煮込み料理とか、と小さな声で付け足して言い、そのままうつむいてしまう。それをなんだか哀れに思ったのかなんなのか、次の瞬間、がものすごく良い笑顔でがしっと、サリューの服のすそをつかんだ。

「大丈夫だよ!ぼくらが変なもの作ったって食べるのはぼくらじゃないし!」

「あ〜、そうだねぇ。今回は確か本部の少将数人と中将3人くらいだったか?」

「変なものを出せるメンバーではないと思いますが…」

慰めてくれたつもりらしいが、それ、ちっとも緩和されていない。サリューはため息を吐き、それで、やはり同じようにため息を吐いたドレーク中佐を見上げて、かなり力なく笑った。

「がんばりましょう、ドレーク中佐」

「……あぁ」

答える声、この人のこんな声音を聞いたのは初めてだと、最近被害に遭ってくるのがなれたサリューもさすがに思う、いささか同情したくなる瞬間だった。









自分は手伝う気はかけらもないクザン、厨房の壁際に椅子を置いて腰掛けて悪戦苦闘する三人をぼんやり眺める。がさっそくやらかした。ジャガイモをきれいに細切れにした。それは揚げておやつにする時ですと、サリューの突っ込み。クザンもいろいろ思うことがあった。、絶対にカレーを作る気はない。今手に持っているのは何故かレモンだ。

どうも、どうとて奇妙な組み合わせの三人。一人は将来有望と注目される能力者の佐官、一人はクザンの部下だった男の懐刀だった少女、そして。前二人が一緒にいるのも、前一人とが一緒にいるのも納得はできる。そういう構図だ。しかし、3。3人、奇数、割り切れぬもの。基本的にの周りに同性は置かれない。おつるは別として、そういう決まりになっている。だから少し前、が懐いたレルヴェ少将が死亡したとき、彼女の次の「太陽」にはどんな身代わり山羊を置くべきかと開かれた密やかな議会でも提案されたのは皆男性将校だ。

クザンは、己の部下だった男の忘れ形見(いや、ちょっと違うけど)でもあるサリュー嬢、かわいいとは思っている。よく出来た子だと、頭をなでてやりたいことも何度かあった。けれど、それだけだ。特別何か、「ある」ような少女ではない。悪魔の能力者でも、真理に近づいているものでもない。ただの海兵。強さはそれなりにあるが、の悪質な戯れに付き合えるかといわれればまだまだ無理だ。

サリュー、サリュー。レルヴェ・サリューと名乗った彼女。先の少々痛んだ髪をふわふわさせて厨房を動き回る、お嬢さん。

しかし、だが、しかし、は彼女を選らんだのだ。サカズキや、アイスバーグとは違う意味で彼女が生きるために必要な「太陽」のひとつに、彼女を選んだ。

引き合わせたのはクザンだったが、そういうことになるとは毛頭思ってもいなかった。今でもはっきり覚えている。レルヴェが死んで、が暴れて、丁度サカズキがグランドラインを出てしまっている最中、これ本部沈められるんじゃないかと、そういう危険があったほどの、夜明け前。クザンはを殴れない。ボルサリーノだって、未だ飢餓に苦しむことはないが、それでも自然系である以上彼女を傷つけることなどできないのだ。だから、どうしようかと、そのとき本当にクザンは悩んだ。それで、丁度運よく、同じように喪って傷ついているだろうサリューを思い出した。

本人は嫌がるだろうが、女性だったから、丁度「そこそこ強い」そして「生真面目」な「女性」であったサリュー嬢を、クザンはのところへ連れてきた。我ながらひどいことをしたと、そう、思う。でもまさか、が「サリュー」を選ぶとは思わなかった。

「ねぇ、なんでカレー作るのにイチゴ入れないの?」

「リンゴならわかりますが、なぜ入れようという発想になるんですか」

「サリュー、うかつに突っ込むな。そいつの言動につき合わされると日が暮れる。というか、それはもう放っておけ。埒があかない」

ばたばた騒がしい厨房。とんとんと物を切る音は聞こえてくる。がどれほどは天候なことをしようと、なるほど、ドレークがいれば海軍の味のカレーは、まぁ、出来るだろう。美味いかどうかは別として。

それに、とクザン、ゆれる腰紐のかわいらしいエプロン、サリューを見る。不得手と言っていたわりにはなかなかよく出来ている。これなら最悪自分が将校全員ビビらせておく必要もないかなぁ、とのんびり思った。

こうして傍目から見ていると、よくわかる。、サリューに対してかなり気を使っているというか、懐いている。子犬が母犬を慕うような、というよりは、孤児だった愛を知らぬ餓死寸前の子供が、孤児院の母代理に一切を求めてしまうような、量が多すぎると本人自覚しながらも、おずおず伸ばすには求める心が強すぎて本人もどうしようもないほどの、慕情。

(……厄介だな)

口にも出さず、ぼんやり思う。レルヴェ少将がの「太陽」になった時、サカズキは何も言わなかった。あの男、あの、同僚。最終的にが自分と死ねばよいとそう開き直っているからかの余裕かと思ったが、しかし、知っている。赤犬・サカズキ、がレルヴェ・サリューを選んだとき、クザンを殴った。どういう意味なのか、それをクザンは今日までわからないでいた。しかし、今、わかったような気もする。そして、それを瞬時に悟ったサカズキ、お前本当どれだけのこと考えてんだと笑ってしまう。

「大将青キジ」

「ん?あぁ、なに?」

ふと呼ばれて顔を上げればかわいらしい格好の(本人は嫌がっていてしょうがないとそういう気配しか出ていないが)サリューが随分と小さい白い皿を持って立っていた。

「味見をお願いします」

「俺でいいの?」

味にうるさいどころかかなりずぼらだと自覚しているクザン。美味いものはわかるが、正直食べられればなんでもいいと、そういう自分。名高い海軍カレーの味など、あぁあそこのは美味かったかなぁとその程度。生真面目でしっかりしているドレークのほうが良いんじゃないかとちょっと静かになった厨房を見れば。

「………えっと、何かあった?」

「一度目に作ったカレーを試食していただいたのですが」

「……」

さすがに地面に伏した、というほどではないが、台の上に凭れ掛って顔色を悪くしているドレーク中佐。え、本当、お前らカレー作ってたんだよね?さっきまでドレーク中佐の良い手際の元、良い匂いしてたよね、と、そういう突っ込みがしたい。

「さすがに二度は止めになるかと思い、大将青キジにお願いしようということになりました」

「トドメって……おいおい、自然系だって胃袋は普通なんだぞ。パン子ちゃんでしょ、恐竜倒すくらい威力のあるもの作るの」

それじゃあこれは二度目のもの。ドレーク中佐なしで作ったって、それってよりパワーアップしてるってことじゃね?と、そういうことを、本当、本気で突っ込ませて欲しい。しかもトドメになる自覚があってのこと。それ、本当どうなんだろう。

「……カレー、だよね?」

ついっと、渡された小皿を受け取ってじっと見つめる。カレー、カレー、カレー。世にさまざまな種類のものがあるが、それでも基本的にはおんなじはずだ。

「カレーです」

「白いんだけど」

「カレーです」

目を見て話さないサリュー嬢、随分と珍しい。ちょっと頬に冷や汗のようなもの、見えるんだがそれ、気のせいってことの方がいいんだろうか。クザン、確かに食べれればそれはそれで問題はない。が、あくまでもそれは、食べられれば、の話。

「……あ、悪いねぇ、急に用事が」

「一口味わう位のお時間はおありでしょう」

普段はとっても良い子のレルヴェ・サリュー嬢。しかし、さすがにちょっとハイになっているというか、なんと言うか。普段の冷めた目がいっそう冷たくなっていてじっと、クザンを見上げている。

小皿の中の、白い液体。カレー粉入れたのにどうしてそうなるのだとか、いろいろ入れていた野菜がみんな溶けてしまっている、どんだけ火力あったんだとか、そういう、疑問。いっそ一口食べて逃げ出せばいいのだが、ちょっと嫌だ。

「腹壊したらどーすんの」

「世界戦力の大将が腹痛で倒れたら食事会も中止になるでしょう」

「確信犯……?だめでしょ、大将に毒盛っちゃ」

「毒ではありません。カレーです」

あくまで言い放つ、サリュー。その背後からひょっこりとが顔を出して、にんまりと笑った。

「観念しなよクザンくん。だいたいぼくにカレー作れなんて言うほうが無理なんだい」

「え、それギャグ?」

難題、なんだい、無理難題。笑う余裕、寒いというゆとりもない。気づけばクザン、にぐいっとネクタイを引っ張られて小皿を奪われた。

「ちょ、、」

「往生しなよ、クザンくん」

座るクザンの上に載って、小皿を傾ける。悪魔の実を食べて以来感じたことのなかった恐怖がぞっと、襲ってきた。











「まったくもう、本当ヤんなっちゃうよねぇ。サカズキが自分で作ればいいのに」

「大将自ら、ですか……」

それはそれで緊張して食事会も惨劇になるんじゃないかと、サリューは思う。二人の足元、パワーアップしたカレー(?)に撃沈したクザンが半分氷になって倒れている。ちなみになんでこうなったのかサリューにはさっぱり検討がつかない。いくら自分だってカレーくらいは作れる。しかしと作っていたら、なぜだかこうなったのだ。

「でもサカズキ料理上手だよ」

ひょいっと、屍、じゃなかった、大将を踏み越えてとことこと調理場へ戻る。その後を着いていってサリュー、のひょこひょこ揺れる頭を見た。この少女、一見子供にしか見えない生き物、どういう人物なのかサリューは知らない。けれど海軍本部で生きて数年、ぼんやりとつかむ正体はある。、という生き物。本当の名前ではないらしいが、本当の名前を知る者をサリューは知らない。

一緒にレルヴェ少将の死を悼んでくれて、それで、いつのまにかサリューの周りに現れるようになった、という生き物。海軍本部の大将赤犬の保護下にあるのだという事実は承知だが、どう考えても「保護」されているようには思えない最近。

「どうしたの?サリュー」

考え込んでしまったサリューの顔を覗き込み、が心配そうに眉を寄せた。この、子供のような顔、しかしその目が仄暗い闇のよう。青いのに。

「あ、いえ。大将赤犬が料理をされるんですか」

「うん、するよ。カレーも上手だった」

の目がきらきら光る。サリュー、を星のようだと時々思う。星屑、というのは表現がさびしいように感じられるが、しかし、輝くもの、そして、とうの昔に滅んでしまっているのに、こちらに見える光は変わらず、途方もない年月を超えねば死したことすら伝えられない、時差。

以前、クザンが冗談めかしてサリューとドレークを太陽と月とたとえたことがあった。そのときは自分たち二人をそのまま揶揄してのことと思っていたが、を星とすればまた、意味合いも違ってくるように知られて、身震いをしたくなる。

時々、サリューは考えるのだ。ドレークと自分、太陽と月だけであることと、そこにが加わること。2つが3つになる。それが、どんな意味を持つのか。

「海兵は皆、カレー作りが出来るんですよ」

「サリューも?」

「一応は。ですが、今のところ言っても信憑性はないですね」

死屍累々と言った様子の厨房。肩をすくめて言えばが楽しそうに笑った。そして材料をそろえて二人で切り始める。切るのは得意だ。しかし途中でがなぜかにんじんをサクラの形に似せて切って欲しいと言ってきたり、カレーなのにオクラを入れようとしてきたりと、油断は出来ない。

鶏肉は一度酒につけ、塩コショウで下ごしらえをする。先に炒めておいた方がいいのだが、最初のときにドレーク中佐がこれをにやらせて盛大に失敗した。

出来るだけなべは大きいほうがいい。したから玉葱、人参、葫を入れて炒める。肉も入れておき、塩も入れる。このときにサリューは適度なスパイスも加えておくのだが、それをまねたが懐から取り出した妙なものを入れた、それが二度目の失敗その1だ。そういう風に作っていって、水を入れる。

「水は肉が沈まないくらいがいいんですよ」

ヘラでゆっくりかき混ぜながら言う。は調理場が高いので踏み台のうえに乗ってそれを眺めている。

「ふ、ふふふ」

「どうかしましたか?」

ゆっくり、ゆっくりした動作。背後には、まぁ、倒れている男性が二人ほどいるのだけれど、そんな現実そ知らぬそぶり、の出来るような、ほんわりとした時間。

がそっと笑みを漏らしたので視線を向ければ、普段のあの、嫌味と傲慢さが交じり合ったような笑顔ではない、子供ような、笑顔の生き物がいた。

「いいなぁって、こういうの」

「こういうの、とは?」

問いかけたが、は嬉しそうに笑うばかりで答えない。何か、思い出しているのだろうと検討はついた。彼女、昔のことは一切語らない。だからサリュー、のことがわからない。

「わからなくて、いいんだ。知らなくていいの」

心を読んだわけではあるまいが、良いタイミングで言う。嬉しそうに言うもので、サリューは一瞬それでいいかとそう思いかけてしまった。

「ぼく、夢に見るんだよ。たとえば真っ白い小さな家。真っ赤なバラがいっぱい咲いてる庭があってね、そこのキッチンでサリューと一緒にお菓子を作るんだ。それで出来たらサリューが紅茶を入れて、ぼくがバラを切ってきて、庭のテラスで二人で食べる。中佐も来たらサリューが嬉しいから、中佐もいれて三人で」

楽しそうに、笑って言う。その手元はサリューがバトンタッチ、と渡したヘラ。二度目の失敗のときのように杖代わりにしたりはしないらしい。

「そうしたら、ぼくはしあわせだね」

想像するだけでも、と付け足して笑う。その笑顔には陰りがあった。なぜだか、サリューはたまらなくなって、台に立ってもまだ足りぬ、背伸びしてやっとサリューやドレークと同じように手元を動かせるようになった、小さなを、抱きしめた。











コトン、と白いテーブルクロスの上におかれた白い皿。真っ白いご飯の上に乗った、赤いイメージを受けるカレーのルー。

「あれが迷惑をかけたな」

そろそろ終いの時間だと厨房にやってきた大将赤犬サカズキ。席に着き、サリューがよそったカレーを前に一言。味見、というか、やはりがどんなものを作ったのか確認しなければならない、それは責任感なのか、それとも別の理由なのかサリューは少し考えて、何か違うものに行き当たりそうだった。

ちなみに、サカズキがくるなり窓から飛び出して逃げた。厨房は使ったものはきれいに片付けたものの、クザン、ドレークはそのままだ。料理が終わった、先の海兵迷宮放り投げ事件のお仕置きを受けていないと自覚があったらしい。

普段であればサカズキ、地の果てまででも追いかけて茨の縄で縛って連れ戻るのだけれど、今回はそうはしなかった。それで、スラコラサッサと逃げ出したの背を一瞥し、サリューに一言「出来たのか?」と、それで、試食をすることとなった。

「……いえ、迷惑などとは」

先ほどクザンに対しては確信犯的な強行にも移れたが、大将の中でもっとも激情家、そして容赦ないと評判のサカズキには、サリュー、緊張しきってしょうがない。レルヴェ少将のいたころから青キジとはそれなりに面識もあって、大将という肩書きがあっても多少の「親しみ」はあった。だからこその先ほどの様子だが、赤犬には、恐怖、にも似た、恐れがある。これを恐怖というのか、それとも嫌悪なのか、サリューには判断がつかない。海軍にいればいやでも知る、絶対正義、その強すぎる力。正義のために、正義、正義、正義。絶対的な、もの。その一切を具現化したような生き物が、大将赤犬サカズキなのだと、そう思う。

「君がいてくれて、あれも助かっている」

短く、言葉をひとつひとつ区切るようにしてサカズキは話す。まるで一回一回刀か何かで心臓をえぐられているような、そんな感覚がした。なぜ。大将赤犬は非難も、暴言も吐いているわけではないのに。

「……お役に立てているのであれば、光栄です」

しかし、大将の言葉に受け答えをしなければと、そういう意地、のような、礼儀のような、ものがサリューにはある。義務、なのか、なんなのか。身にしみていること。なんとか平然とそれだけ言えば、かちゃり、と。サカズキがスプーンにカレーをすくって口に運ぶ。サリューの手のひらに汗が浮かんだ。一応、自分でも最終的な味見はした。食べられるものだった。だが、世に名高い海軍カレーの、美味いものではない。

「……」

緊張して一度息の詰まったサリュー、こくり、と、サカズキの喉が下がるのを確認して、身を硬くした。

「あれが参加してこの程度の味になったのは奇跡だな」

匙を置き、口元を丁寧に拭ってから一言つぶやく。やはり、美味いわけではないらしい。きしり、と、椅子をきしませてサカズキはサリューへ顔を向けた。いつものように帽子にフードの将校。やはりその顔はうかがえぬし、目もはっきりとわからぬが、それでもサリュー、帽子の影になった目が赤く光ったような、気がした。

「レルヴェ・サリュー准尉、か」

「はい」

名を、呼ばれた。馴染んだ、といえば馴染んだ名。しかし違和感が完全になくなることは、ないだろう、己の名の全て。あの人の葬儀の場に、この男はいたのだと今更ながらに思い出した。あの時、大将赤犬の隣に、はいただろうか。

大将赤犬に名を呼ばれるのは初めてだった。だがサリュー、呼ぶ、という声ではなかったと気づく。反射的に返事をしたものの、赤犬は、サカズキはサリューを呼ぶために名を口にしたのではない。

暫く、サカズキが立ち上がった。音は、立たない。軍靴を鳴らして歩く男、意識しての歩き音、無意識では何の音も生まぬ。

そのまま出口にへと向かい、途中、倒れているクザンを一瞥し、一度足を止めた。大将を見送らねばと足の動いていたサリューも立ち止まる。

そして、振り返る。

「程ほどにしておけ」

底冷えのするような、声。氷河の中に裸でいたとてこれほど凍えることはないだろう、声。帽子の間からのぞいた、剃刀色の瞳。ぞっと、サリューは身を竦ませた。動けない。蛇ににらまれたかえる、いや、捕食者に捕らえられた草食動物のような、心持。

「まだ、君は若い」

石のように動かなくなったサリューの身。サカズキは目を細めて、腕を伸ばしてきた。すっと、しなやかな動き、ゆっくりとした、それ。避けねばと、悪寒。しかし体が動かぬ。喉から声を出そうとするのに、震えているのか、かすれた音も出ない。

ぎゅっと目を閉じて、せめて視界だけでもやり過ごそうとするのに、まぶたは見開いたまま下がることもなかった。

「……っ」

ふわり、と、白い花の匂い。

「彼女は私の部下です。大将赤犬」

玲瓏とした声。深い、落ち着き払った声が響く。サリューの目の前に、海軍の、正義の文字。白いコート。深くかぶった帽子。

「ディクス中佐か」

サカズキの声質が変わった。どこか、に似ている。侮蔑を孕んだ、仄暗い狂気をたたえたような、声。

サリューを庇うように背に回し、サカズキと対峙したドレーク中佐。後ろに回された手が、サリューの手を掴んだ。白い花の匂いなどしないのに、なぜ、先ほどは確かに香ったような、気がした。

「……」

無言でサカズキはドレークと、サリューを見た。いや、眺めた、というほうが正しいかもしれない。物を見るような、興味本位、というほどもない、軽い視線。そして、何も言わずに踵を返す。さっと、翻るコート。わずかに見えた表情は何も浮かんでいない。







響く足音が遠ざかり、気配も消えたその瞬間、へたり、と、サリュー、その場に崩れ落ちてしまった。手はしっかりとドレークが支えてくれたが、気が抜けた、いや、恐怖に痺れていた感覚が、常温に戻る寸前の、嫌な感覚だ。

「すまない」

座り込んだサリューを抱き起こすのはやめたほうがいいと判断したか、自らも腰を落としサリューと視線を合わせ、ドレークぽつりとつぶやいた。

「なぜ、謝罪を」

助けてくれたのだろう。あそこで、ドレーク中佐が着てくれなければどうなっていたのか、サリューにはわからない。海軍の規律を重んじるサカズキだから、暴力を振るわれるようなことはないだろうが、いや、しかし、わからぬ。サリュー、自分が何をされるのか、検討もつかなかった。なのに、恐怖があった。それが、いっそう恐ろしいと、今、思う。

「……」

ドレークは何も言わず、ただ目を伏せた。この人も、肝心なことは何一つ言わない人だとサリューは思う。海軍、海兵は、そういう生き物になるしかないのだろうか。レルベ少将、いや、殉じて中将になったあの人はどうだったかと思い出す。忘れぬように名を継いだ。忘れぬように日々、脳裏に描く。だが、どうだっただろう。



ぼんやり、ぼんぼりと光るランプ。なんとかうまみを出すために未だに弱火で煮込んでいる大きななべがコトコトと音を立てていた。












長い廊下を颯爽と歩く、その足取りに迷いはない。どちらへ行かれるのですか、など訊く者はいないが、それは誰もいないから、ということだけでもない。大将赤犬サカズキ、進む速度、道に誤りなどないと誰もが承知し、そして自分たちなどがその道に関わるなど恐れ多いことと、それは、恐縮しているんですか、いろいろ諦めているんですか、と、機嫌の悪い時のの言葉。


「今すぐに降りて来い」

そのサカズキ、廊下をひょいっと越えた先、小さな休息所代わりの中庭の大きな木に向かって一言ぽつりと呟いた。確信しきっている声に今更の確認も、余計な言葉も不要。

「……」

はぐらかせぬと承知の、一応念のために沈黙してみて三秒、今すぐと言ったからには五秒後には強制的に降ろされ、じゃない、落とされると分かっていてひょいっと、樹から下りようとする。
そのに、サカズキが手を伸ばした。

「え、なぁに?」
「掴まれ」
「い、いいよ、別にこのくらいの高さ、」
「二度言わせるな」

有無を言わせぬサカズキの言葉に、はおっかなびっくりそっと、手を取った。普段は白い手袋をしているサカズキの素肌。触れたのはいつくらいぶりだろうかとぼんやり思って、、はたり、と気付く。熱いものにでも触ったかのように手を引っ込めて、もう一度樹に隠れる。

「サカズキ、怒ってる?」

優しい(?)仕草のサカズキになんだかいやな予感がした、とりあえず避難して問えば、問い返された。

「怒られる心当たりがあるのか」

ある。ものすごくたくさんある。昨日の迷宮放り投げ事件だって、迷惑を被ったということで殴り飛ばされても文句は言えない。さっきのカレー作りだって、将校クラスでもないドレーク中佐を巻き込んでしまったから、それだけで怒られる理由になる。

手を取って下に下りた瞬間に樹より高く殴り飛ばされる可能性がとっても高い。というか、今この状況で微妙な距離が開けられていることだって、奇跡だとは思った。

「ぶたない?」
「あぁ」
「蹴らない?」
「あぁ」
「ほんとう?」
「私がお前に嘘を言ったことがあるか」

ない。それはない。ぎゅっとは掌を握り締めてサカズキを見下ろした。
これ以上何か聞けば機嫌を損ねると分かっている。そして再び伸ばされた手をおずおずととって、、トン、と下に下りた。
大した高さではないが、それでも落ちたら危うい高さ。が落ちるなど、ありえないが。

「あ、ありがとう」
「こんな場所で怪我でもされては面倒だ」

素直にお礼を言えば、にべもない言葉。この方がサカズキらしいと、なんだか逆にはほっとして、にへら、と笑う。

「ごめんね、カレーおいしくは作れなかった」
「もとより期待などしていない。貴様が責任を果たしたこと、それだけでいい」
「でも、いいの?海軍カレーないと困るんだよね?」

自分で言うのもなんだが、あんなもの出されたら切れる。普通にきれる。一応サリューと一緒に作った三番目のカレー、食べ物にはなったが(元々食べ物を使って作っているのだから、それは当然のはずなんだが)絶賛される海軍カレーには程遠い。食事会はその絶品を味わうために厳しい航海を得て海軍本部にやってくるのだ。それであんなもの出されたら、泣く。

「食事会の分は私が作る」

モモンガ中将あたりは普通に怒鳴り込んでくるだろうなぁとぼんやりが思っていると、隣のサカズキがなんでもないように言った。

「……は?」
「問題はない。既に手配も済ませてある」

平然といい、己の執務室に向かって歩き出すサカズキ。当たり前のようにもその後ろに続いて、影を踏まぬよう三歩下がった距離を置く。ちなみに影を踏んだ瞬間蹴られる。

「え、ちょっと、ねぇ、サカズキ。最初っからキミが作ればクザンくんも中佐も死なずにすんだんじゃないの

「責任を取れ、と言ったはずだ」

でも、材料勿体なかったんじゃないかと自分で台無しにしておいてなんだが、は真摯に思う。サリューと一緒に作れて自分はとっても楽しかったが、嬉しかったが、しかし、最初からサカズキが作るつもりだったら、完全にクザンたちは犬死なんじゃないだろうか。(あ、鳥死に、恐竜死にかな)

ひょっこりひょこひょこと、納得いかないが、楽しかったしまぁいっかと、その程度。サカズキの真意を自分程度が考えて悟ったところでどうしようもないと諦めて、、ひょこひょこサカズキの後を付いていく。

それで結局、サカズキの真意なんて誰も知らないまま、いや、氷になったクザン、薄れ行く意識の中で悟っていたりも、していた。
彼の胸中、代弁するならただ一言。

「お前らもう、本気で頼むから結婚しろ」

それが世のため人のため。手料理を一度でいいから食べてみたかった、だなんてそんな冗談でしょう大将と、クザンだけではなくサリュー嬢とてもう少し余裕があれば気付けた。(気付きかけたが、途中であまりに似合わないので考えるのを脳が放棄したらしい)



Fin







趣味です。←そればっか。

いろいろ詰め込みすぎました。サリュー嬢とサカズキのところを書くのが楽しかったです。これ書くためにシチューっぽいものを作りました。カレーじゃん!