手を引かれて走りながら、は「あそこで捕まった方が楽だったんじゃないか」と今更ながらに考えていた。
「ニコラス…!!放して…!!逃げちゃったけど…ぼく、戻らなきゃ…!」
「バカかお前は!!大将青雉が庇ってくださったからよかったようなものの…!今戻れば確実に殺されるぞ!!」
立ち止まりはしたものの、相変わらずの手は掴んだままグリフィス・ニコラスは怒鳴った。振り返った顔は怒りで赤くなっている。それだけではなく、ただの一卒が大将赤犬の前に進み出たのだ。その恐怖心は並みではない。繋いだ手がほんの僅かに震えているのに気付いて、はぎゅっと、たまらずその手を強く握った。
「そんなことない、ぼくは、」
「どうせ手っ取り早く取り入ってしまおうとか考えたんだろうが!!相手はあの赤犬だ!!お前みたいな能天気なヤツは知りもしないのか!!?三大将の中で最も恐ろしい方なんだぞ!!!」
あ、なるほど、サカズキを追いかけた自分の魂胆はそのように判断されたのか、とは聊かほっとした。というよりも、ニコラスは自分とサカズキの会話を聞いていなかったらしい。いっそ聞いていてくれたらこんなにややこしいこともないのだが、と身勝手に思いながら、真面目な顔をして頷く。
「いくらぼくだって、そのくらいは知ってる。あの人本気で怖いよね!」
「じゃあなんで追いかけたりした!!死にたいのか!!」
そこまで言うことないだろう。いや、確かにサカズキは怖いが。どんだけ恐れられているのだろうか、と場違いではあるが、は突っ込みをいれたくなる。
けれどそこまでわかっているのなら、尚更ニコラスの行動が解せない。は泣いて濡れていた顔をごしごしと袖で乱暴に拭いながら、ニコラスを見上げる。
「じゃあ、きみ、なんで庇ってくれたの?」
「べ、別に…!!庇ってなどいない!」
「でも…」
「う、うるさい!黙れ!!!そんなことより、お前、何言ってあそこまで大将を怒らせたんだ?!」
あれだろうか、ニコラスはツンデレなのだろうか。そんなことをぼんやりと考えただったが、話題を変えるためとはいえ、問われた言葉に眉を寄せる。
「………」
「っ!!?な、なんで泣くんだ!!!待て!!!」
先ほどのことを思い出して、は再びぽろぽろと涙を流した。泣かぬよう必死に歯を食いしばって肩に力を入れるのだけれど、思い出してしまえばあとからあとから、涙があふれてくる。
(迷惑だって……!!!!ぼくが海兵になるのは迷惑だって、言った…!!!)
ぐっと、は声には出さず心の中で叫び、ごしごしと目じりを拭う。
自分だって一生懸命考えて、一生懸命やっているのだ。サカズキは大将だからいい。大将だから、ある程度のことは許される立場にある。しかし、今の自分はどうなのだ?魔女としての力を失い、世界の敵としての価値は姉に移っている。これまでの延長線で未だサカズキの傍にいることは許されているものの、それとていつまで続くか知れぬ。
今の己のような、何の価値もない人間をいつまでも置いておけばサカズキの立場が悪くなろう。
以前のならまず考えなかったことだが、そういうことを、ここ最近考えるようになった。それで、傍にいるためには海兵にならなければならないと、そうすればサカズキの役に立てるのだと、そう判断してのことだ。
「それなのに……ッ!!迷惑って何!!!バカ…!!!石頭!分らずや…!!!!男前!!!」
「最後悪口、それ?」
「悪口だよ!!」
突っ込みを入れられては叫ぶように言い返し、きょとんと顔を幼くした。今のはニコラスの声ではない。
「お前、神出鬼没なやつだな…ストラマ・エヴァン」
「はいはいオッハー、とかこう両手広げてなんでも可にしたくならねぇ?ニコラス」
いつのまに来たのか、先ほど道場で出会った海兵エヴァンがニコラスの隣に立っていた。ニコラスより少し背の高いエヴァン、泣きじゃくっているを見て「だめだって、そんな可愛い顔はらしちゃー」などと呟いたあと、ポケットからハンカチを取り出し、の顔を拭く。
「なんかさー、ほら、お前さんたち二人ともいなくなってからモモンガ中将がどっか行っちゃって、で、他の連中は医務室でしょ?おれ暇でさー、しょうがないから二人追いかけてきたわけよ。はいはい、鼻チーンってかんで」
「お前はの兄か何かか」
言われた通りチーン、とが鼻を噛むとエヴァンがにっこりと笑った。人好きのする顔である。その後ろでニコラスは呆れて突っ込みをいれたが、エヴァンは「そういう関係は希望してねぇし」とあっさり答える。
「次の指示が出るまで道場で稽古してよっかなぁーとか思ったけど、その前にメシ食わね?」
+++
オムライスにたっぷりケチャップをつけてから、ぐいっと、は乱暴にその「サカズキ」と書いた文字をスプーンでぐちゃぐちゃにした。
「そうそう、何かイラついたときはそうやっちまえばスッキリするってー」
「なんか後ろ向きな解決策だけど…!!すっきりはするよ!」
「お前ら不敬罪って知ってるか……?」
真っ白いトレーの上にはそれぞれ、頼んだものが乗っており、三人は他の海兵たちから外れた場所に固まって座っている。はオムライス。ニコラスとエヴァンは定食である。セルフサービスの水を一口飲んだニコラスはこめかみを押さえ、小さな声で突っ込みをいれた。
ぐちゃぐちゃと文字を潰しながら、はまたじわり、と目じりに涙が浮かんでくるのに気付いたが、俯いて唇を噛むことで何とかこらえた。
第一、泣いてどうなることでもない。それなのに出てくるのはなぜだろうか。こういうみっともない姿を本来己は嫌悪しているのに、と、ぐるぐる考えながら、はぐいっと、目をこすって顔を上げる。
「ニコラスもエヴァンも、いろいろありがとう」
逃げてしまったことは、少し後が怖いのだが、けれどもあの場で捕まってしまっていたら、結局は自分はこれまで通り、に戻っていただろう。
それでは嫌なのだ。そんなのは、嫌だ。
こうして二人を巻き込んでいることが心苦しくないわけではないけれども、なってしまったものは仕方ない。は素直にこの状況を受け入れ、二人に礼を言った。
「いやいや、かわいいし。笑った顔見れれば俺は満足よー」
「お前…男相手に何を言ってるんだ」
どうやら軽く語尾を上げるのがふざけている時のエヴァンのクセらしい。お前はどこの女子高生だ、と突っ込みたくなる言い方だったが、それもこの青年が使うと愛嬌がある。はエヴァンの言葉に少し顔を赤くしたものの、そういえば今の自分は男装しているのだった、とニコラスの冷静な突っ込みで思い出す。
「ねぇ、ニコラス。エヴァンってソッチのシュミなの?」
「昔遊んだときはそうじゃなかったはずだが…目覚めたんじゃないのか?」
ソッチのシュミ、とが右手をオカマポーズで作って眉を潜めて聞くと、ニコラスは気の毒なものを見るような目でエヴァンを見上げた。
「そこ!!ヤなこと言わないの!俺は普通に女の子が好きだから!!でもは可愛い!!悪いってのか!!?」
「何だこの開き直り」
「いっそすがすがしいよね」
口々に言い合い、とニコラスは料理に口を付けることにした。もぐもぐ、と、ケチャップまみれで惨事にはなっているものの、そこそこの味である。
「ニコラスとエヴァンってここに来る前から友達なの?」
そういえば、と、は気になっていたことを改めて思い出し問いかけてみる。どう見ても初対面、というわけではなさそうな二人だ。貴族同士であるのだからそれなりの付き合いは当然ではあるけれど、それにしては親しみがあるように思える。
「腐れ縁だがな」
「幼馴染ってやつだ。俺の兄貴とニコラスの姉さんが昔婚約しててさー。しょっちゅうお互いの家に一緒に行ってたわけよ」
「ラブ恋!?」
おや、と、は顔を輝かせて身を乗り出した。
魔女、友達はトリアイナのSiiしかいない。普通であれば友達と色恋の話をすることもできるのだが、生憎彼女は行方不明+そもそもSiiに恋の話なんぞできるわけもない。自然サカズキとのあれこれも「……これ普通!!!?」と疑問に思いつつ放置されていたのだが、こうして友達(?)もでき、そういう話を聞けるとなれば、素直にうれしいではないか。
「最初は家同士の決まりごと〜みたいだったけどさ、兄貴もリリーさんもちゃんと愛しあってたよ。子供ごころに羨ましかったかな。あぁいう夫婦ってのが、本物なんだってさ」
懐かしい頃を思い出すように、目を細めてエヴァンが応えた。茶化すような言回しがないわけではないが、その言葉には親愛が籠っている。は見たことがないけれど、恐らくは二人に似た顔立ちの男女が、それこそ周囲にうらやまれるほど、お互いを気遣い、愛しあっていたのだ、というのがよくわかった。
「いいなぁ、そういうの」
「は自分より可愛い恋人見つけなきゃ相手が気の毒だからなぁ、がんばれよ」
「エヴァン、次にぼくのこと可愛いとか言ったら水をかけるよ」
素で笑顔を向けられて言ったので、もにこり、と笑って答える。男装がバレている、ということはないらしいが、それにしても堂々と男を「可愛い」発言はないだろう。、自分で自分が「ぼくは世界で三番目に美人だよ!」とは思っているが、男装時にそういうことを言われると、何故かこう、イラっとはくる。
それにしても、今こうして話をしていてエヴァンがその二人のことを「過去形」で話ていることには気付かないわけではなかった。ニコラスは急に黙って食事をしている。さりげなくエヴァンがこれ以上の追求を避けるように話題をこちらに向けたことから、は少し前の事件を思い出した。
軍人の名門ストラマ家。
確か、五年前に当主(恐らくはエヴァンの実兄)が海軍の情報を持ち逃げし、革命軍へ走った、のではなかったか。そのために家の名は地に落ち、責任を取って引退していた前当主が処刑された。一家は離散。しかし、次男はその実力を認められ、また家の血を絶やさぬためにどこかの貴族が後見人として立つことでマリンフォードに残っていたのだったか。
こうしてニコラスとエヴァンはそれぞれ「腐れ縁」という関係ではあるけれど、お互いそのことを触れる、あるいは確執している様子はない。五年と言えばそれほど前のことではないのだが、恐らくは様々な葛藤があったのだろう。
自分だけではない。こうして少し覗いてみれば、どんな人間にも抱えているものがあるのだ、と改めて感じて、は一人感慨深くなってしまった。
「そういえば、さっきニコラスとエヴァンが竹刀でやり合ってるところを見たんだけどさ。二人とも剣が使えるんだね」
今後のこと、をあれこれ考えてしまえば気持ちが苦しくなるばかりだ。とりあえずは目先のことを考えようとが水を向ければ、ニコラスがやっと顔を上げた。
「当然だ。お前、まさか使えないのか?」
「んー、護身程度なら」
以前の自分なら、それこそ「剣の帝」と呼ばれるほどの剣の腕もあったが、そういうものも一切、今は失っている。あの頃の感覚がないわけではないけれど、体はまるで動かないのだから、仕方ない。
「おつるちゃ…おつる中将はこのクラスは文官タイプだって言ってたけど、やっぱり二人くらい強くないとダメかねぇ」
「が筋肉ついてごつくなったら俺泣くよ?」
「勝手に泣きわめけ。まぁ、確かに…いくら文官といえども、本部の海兵だ。その名に恥じぬ実力はあって当然じゃないのか?」
「じゃあご飯食べ終わったらニコラス、ぼくの稽古付けてくれる?」
サカズキたちの登場の所為で午後の訓練は台無しになったが、このまま暇を囲っていいわけでもないだろう。何かする必要はあるのだが、それなら体を動かしていた方がいいと思い提案すれば、ニコラスが嫌そうな顔をした。
「なんで俺が」
「そこをなんとか」
「俺に得がないだろ」
まぁ、確かに。
弱い相手を教える経験にはなるが、ニコラスには将来あまり役に立たなさそうな経験である。
はスプーンを咥えながら、窺いを立てるようにエヴァンを見上げた。
「エヴァンは協力してくれる?」
「んー…そりゃ構わねぇんだけどさー」
「なぁに?」
「お前さん、大将赤犬とどーゆー関係?」
直球極まりない質問には「う」と言葉に詰まった。ニコラスのように、こちらは=庶民・根性の甘ったれた弱虫、とは見縊ってくれていないらしかった。じぃっと見つめてくる目は先ほどまでのようにふざけてはいない。
「いやさー。大将が二人も来るなんて妙じゃん?それに、お前さんが追っかけて、んで、ニコラスが追っかけて、んで、泣いてたってことしか俺は知らねぇけど。初対面じゃねぇだろ」
「……確かに、そこは俺も気になっていた。大将閣下、それも赤犬殿と個人的な話でもあったのか?」
ニコラスまで乗ってくる。向かい合う二人にそれぞれ真剣な顔をされて見つめられ、は視線を逸らしたくなった。先ほどのことを思い出してみれば、確かに、まぁ、「何かある」と疑われても仕方ない。ニコラスは「媚を売ろうとした」と判断してくれていたのに、エヴァンの言葉であれこれとこれまでのことを思い出したようだ。
しかし、何と答えるのが的確かには分らない。魔女だったうんぬん、というのは、ニコラスたちが知るには早すぎること。モモンガ中将でもいれば適当にごまかして貰えるのだが、生憎そういう援助も見込めまい。
「ぼ、ぼくは、その…」
「まさか赤犬さんの隠し子とか〜?」
「違うし!!!ぼくはサカズキの……!!!」
言い淀むを気遣ったのだろう、エヴァンの軽口。しかしあまりのことには慌てて席を立ってしまった。
そして、「あ」と小さく声を上げる。
「大将を呼び捨て…?」
「、お前本気で……何者なわけ?」
先ほどよりもはっきりと、疑惑の念をこちらに示す二人の目に、は何だか泣きたくなった。
「ぼくだって、ぼくだって自分がサカズキの何になるのかわかんないよ!」
「お、落着けって、。座って座って」
「大声で叫ぶな。あまり、人に聞かれていい話には思えない…」
どーどー、と二人になだめられ、は大人しく椅子に座った。大声を出したため海兵たちの視線が一瞬こちらに集まったが、ニコラスが「なんでもありません」と丁寧に腰を折ったため、新兵同士の些細な口論と取られたようだ。
三人はそそくさと食事を終えて、人気のなさそうな場所を探し移動することにした。
「まぁ、このへんなら大丈夫か?はこっち座れ、な?」
手頃な木の下を見つけ、エヴァンは先に腰掛けると、その隣にを促す。は言われた通りちょこん、と腰掛けて、顔を顰めた。
「何て説明すればいいのかぼくだってわからないのに、何話せばいいの?」
「一つ確認したい。俺とエヴァンは、知ってもいいことなのか?」
「あー、まぁ、それは確認しといたほうがいいな」
ニコラスは地面に座るのが嫌なのか、を見下ろしながら、唐突にそう切りだしてきた。
少し考えて、は首を振る。魔女のことやら何やらは二人の今の地位では知ってはならないことだ。しかし、何も知らぬままではなぜが大将を呼び捨てにしているのかわからぬままだ。
「ぼくは、サカズキとはずっと前から知り合いなの。サカズキが中将のころから知ってる」
「え、お前さんいくつよ?」
「大将赤犬が中将であらせられた頃は、もう10年以上前ではないのか」
やっぱりそこを突っ込むか。
は額を抑えた。
そこから先をどう説明するのがいいのか、正直わからない。というか、二人に説明する必要があるのか、ともは思いたかった。完全に面倒くさくなっているゆえのことだが、しかし、ニコラスは自分を助けてくれたし、エヴァンも気遣ってくれている。
そう言う二人に「関係ないから」とは言いにくい。
「……とにかく、先ほどのことでお前が赤犬殿に除隊させられることはないんだな?」
「ニコラス?」
「大将と懇意にしている、というのなら、こんなに弱くてもこのクラスに入っているというのも頷ける。コネは使えるのなら使った方が良い。でも俺の足を引っ張るのはやめてくれ」
どう答えるべきか、と迷っているとニコラスが溜息ひとつで、そう言った。
いろいろ気に入らない単語は言われた気がするが、これは、心配していてくれたということだろうか。
確かに、あの時サカズキに何か生意気なことを言ったのがただの何の身分もない海兵なら、即行除隊させられただけかもしれない。ニコラスは自分は貴族の子であるから、何か問題があってもそう簡単にどうにかならぬことを分っていて、それで体を張って守ってくれたのだろう。
「……ニコラス、ぼくを心配してくれてたの?」
「だ、誰がお前なんか…!!!」
「まぁ、ニコラスが人助けなんて初めてみたしなぁ。、こいつの良い友達になってくれよ」
顔を赤くして叫ぶニコラスに、ぽんぽん、とエヴァンが肩を叩いた。は二人のその関係が、なんだか腐れ縁というよりは兄弟のように思えてころころと喉を鳴らして笑う。
そうして少し、三人で海軍のことや訓練のことなど話をしているうちに日が暮れてきた。ここにいることはエヴァンがモモンガ中将付きの海兵に報告しているようだから、訓練が再開するのなら呼ばれただろう。それもなかったことを考えれば、今頃モモンガ中将はこれからのことで頭を抱えているに違いない。
「……」
ふと、は考え込む。
こうして意地を張ってサカズキを避けていても、モモンガ中将が迷惑するだけではないのか。いや、モモンガ一人ならまだいいのだが、こうして折角友達になれた二人まで、自分の所為で訓練が延び延びになるのは、あまりよろしくないだろう。
「ん。ぼく、ちょっとサカズキに会ってくる」
「は?」
「え、何?」
ひょいっと、は立ち上がった。今日の疲れが出てきているのか、一瞬体はぐらつくが、まだ動けないほどでもない。立ちあがって膝を伸ばしながら、二人を見下ろす。
「サカズキはさ、ぼくが海兵になるの反対なんだよ。だから、怒ってるの」
「あ、なーるほどね」
「で、ぼく結構無理やりここに来てるんだけど、そろそろちゃんと説得しないとダメかなって」
説得できる相手かどうかはが一番わかっているのだが、こうして逃げ続けているのはよくない。というか、サカズキの性格を考えれば明日も邪魔してくるだろう。
今日一日、自分が出来る限りの説得はした。それでも無理だった。しかし、だからと言って諦めていいことでもない。
ぐいっと、は手を握り、二人に笑いかける。
「明日、またご飯一緒に食べようね」
Fin
・次エロパートです←身もふたもない。
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