モモンガ中将の取った手段。それは、情けないことだがおつる中将に泣きつくことである。いや、泣きついたなどと言っては彼に気の毒だろう。それしか方法がなかったとはいえ、的確だ。
『赤犬がをかっさらおうとして訓練が中断されました!何とかしてください!!』
なんともまぁ、情けない訴えであるが、おつるは溜息ひとつで手を打ってくれた。というか、を例のクラスに入れた時点でこうなることは予測済みだったのだろう。説得なんぞしても無駄な相手とおつるもわかっているらしく、手っ取り早く足止めする方法を取った。
つまり、サカズキに大量の仕事を投下することである。
「………」
普段よりも3倍は深く寄せられている眉間。あれにコイン挟めるんじゃないかと、以前がドレークに提案していたことを思い出しつつ、クザンはびくびくと自分も書類にペンを走らせた。一人で執務室に閉じ込めていてはを追いかけぬとも限らぬもので、仕方なく(こちらもサボり防止という意味を含めて)クザンが監視役に任命された。
そうして二人で仕事をすること二時間。クザンはこれほど真面目に仕事をするなど何年振りだと自分をほめたい一方、今すぐ逃げ出したかった。
何ていうか、息が詰まる。あとこの部屋暑い。クザンは自分の周りに氷柱を何本も出してやっと耐えられている、という状況だ。
「サ、サカズキ…ちょっと、休憩しね?」
「黙れ。今すぐこれを終わらせてアレの息の根を止めに行く」
愛憎ってこわいね☆などと言ってもいられない。
あれだ。サカズキの中でこう、仕事をしながらも例の「が自分以外の男の手を取って逃亡☆」事件は思い出されていたらしい。
身動き取れぬ状況になっている分ふつふつと嫉妬やら何やらの感情が沸騰していたのだろう。そのまま蒸発してくれればいいのだが、きっちりと締め切られた感情の中では蒸発することはない。
「いや…息の根止めるって物騒な……あれでしょ?泣いちゃったちゃんに謝って可愛がってあげるとか、そういうので…」
言っていて「サカズキ」が「可愛がる」とか気色悪過ぎて吐き気がしたが、この場はバカッポー降臨とかでもなんでもいい。冗談抜きで「わし以外の手を取るならいっそ絞め殺す」とまで言いたそうなサカズキを宥めたく、クザンは慣れぬことを口にしてみた。
「今すぐわしのもとに戻って許しを請えば足腰立たなくする程度で済ませちゃろうとも思っちょったがのう……もう二時間じゃけ、わしも堪忍袋の緒が切れたわ」
元々に対して寛容でもないだろ、お前。
いろいろ突っ込みたいことはあったが、クザンはぐっと堪えることにした。あのままと海兵が一緒に逃亡したのは、まぁ、まずい、とは思った。しかし、あの場でサカズキに捕まってしまうようなことがあったら、それはそれでが危なかっただろう。いろんな意味で。
クザンは日も暮れ始めた窓の外を眺め、溜息を吐いた。
「たまにはお前が謝ったらどうよ?」
「わしに非なんぞあるか」
「男だったら自分が悪くない時でも謝るもんよ?それが甲斐性ってもんでしょ」
自分だったら、の涙を見ただけで土下座する、とクザンは冗談めかして言った。笑えばサカズキの顔が顰められる。
おや?とクザンは首を傾げた。今のは不快うんぬんの反応、ではない。
「ひょっとして、ちゃんが泣いちゃったの、それなりに気にはしてんの?」
「んなわけあるかい」
「いや、でも今」
顔を覗きこもうと立ち上がると、その頭に文鎮が投げ付けられた。これ、自然系じゃなかったら致命傷である。が傍にいないと普段より3割増しで暴力的になる男だ。ばきっ、と頭部が破壊され、ピシピシと元に戻しながら、クザンはにやにやと笑った。
泣いてしまった時はまるで気にした様子はなかったが、基本この男、ドSで亭主関白でありつつにはめっぽう弱い。
「ちゃん、泣くと目ぇごしごし擦っちまうもんなァ」
「……何度言うても目が腫れるまで擦るド阿呆じゃけ。わしが拭ってやらにゃ、跡が残る」
「今日すっごい運動してたし、疲れて動けなくなってたらどうすんだろうな。お腹もすいてるだろうし、足だって靴ずれしたまんまじゃん?例の海兵はちゃん抱っこして運べるほどの力はねぇだろうし」
「………」
ガタン、と無言でサカズキが立ちあがった。そのまますたすたと部屋を出て行こうとする背を眺め、いや、本当面倒くさいよお前、とクザンは呆れて苦笑いを浮かべながら、その背に声をかける。
「ちゃんにまた「嫌い!」とか言われたらどうすんの?」
「あれの感情なんぞ、わしの知ったことか」
即答、しかし、どことなく普段通りの余裕が感じられる。先ほどまでの「嫉妬で殺してもいいか」というようなおっかなさはない。そのことにクザンはほっとして、軽く手を振った。
が海兵になる!と一生懸命になる姿はクザンには「可愛いなぁ」とは思うものだったが、と言って賛成、というわけでもない。応援はするが、無理だろう、と判断している。その辺、クザンは冷静だ。なろうとしてなれないほどを無能と見下しているわけではないけれど、はサカズキの傍にいるべきだと、最終的にはそこなのだ。
「あー…でもちゃんがおれの秘書とかして『仕事しなよー!』とか言ってくれたら、おれ頑張っちゃうんだけどねぇ」
一人きりになった、少々暑い執務室で、クザンは大量の書類を前にぽつりとつぶやいた。
+++
気持ち的には走りたかったのだが、体力的には走るなんぞとんでもない。こころなし早歩きになりながら、はサカズキの部屋へと急いだ。本当なら執務室へ行くのが一番いいのだが、新兵の格好をしている自分が本部の奥まで進むのはあまりよろしくはないだろう。その程度の配慮はできる。
そのためが向かっているのは、サカズキが寝室に使っている部屋だ。本部の奥に違いはないけれど、人通りは少なく、またいたとしてもを知る者ばかりだ。咎められることはない。
私室で待っていれば確実にサカズキに会える。そう打算してのことだ。部屋の前にやっと辿り着き、は緊張しながらノックをした。しかし返事はない。
(まだお仕事中かな?)
仕事は終わったと言っていたが、やることがないわけでもないだろう。執務室にいるのかもしれない。は部屋の中で待つことにした。鍵はかかっていない。不用心というよりも、重要なものが置かれている部屋には鍵がかかっているし、何より、どこのバカが大将赤犬の部屋に不法侵入するというのだ。
「サカズキー、いないの?」
不在であることはわかっているが、念のために声をかけ、部屋へ入った。簡素だが必要なものは揃えてある部屋である。寝室は隣、この部屋はソファや机のある応接間のようなものだ。
ちょこん、とはソファに腰掛ける。座った途端今日一日の疲れがどっと襲って来た。
「……なんだかんだって、ぼくは甘いよねぇ」
この部屋だから、一気に気が抜けたのだ。サカズキの部屋、とそれを思うだけでは安心できた。
このまま横になったら間違いなく寝てしまうだろう。そうなれば話し合いどころではない。は何とか起きていなければ、と目をこすり、欠伸を噛み殺す。
「……っていうか、ぼく、汗臭くない?」
こうして落着いてみて、は初めて自分の格好が気になった。汗やら泥まみれな自分をサカズキに見せるのは、ちょっと、どうだろうか。
一応自分はサカズキに恋というか、何と言うか、そういう感情を持っているわけで、好きな相手にこう、汚い自分を見せるのは、嫌だ。
しかし、風呂に行っている間にサカズキが帰ってきてしまったら、入れ違いになるのではないか。
「いや、でもお風呂入りたいし……」
もちろんこの部屋にも簡単なシャワールームはある。お湯を張れば浸かれるバスタブ(大将サイズ)もあるのだから、入る分には構わないだろう。だが、ここで問題が発生する。
自分が入っているところにサカズキが帰ってきたら、話し合いどころではなくなる。
さすがに、そういう危機感は持っていた。
話合いの道具にそれが使えるのならいいが、問答無用で喘がされるだけになるのは目に見えているではないか。それはまずい、ちょっと、まずい。
「……書き置きして、一回部屋に戻ろうかな…」
の部屋は相変わらず魔女の部屋を使っている。そこにはバスルームもある。いつまでもあの部屋を使っているのが心苦しいのだが、こういう時は便利だった。
とん、と立ち上がって、は眩暈に襲われる。ぐらり、と視界が回って、は床に倒れこんだ。
「……ぼくどんだけ体力ないの…!!!?」
落下事態はたいした衝撃ではないのだが、そこまで疲れているのか!と自分で自分が情けなく思える。床に倒れこみ、体を起こそうとしては足の痛みに気付く。
今ので捻ったらしい。
「……ぼくはバカか…?」
さっきから面倒事を増やしているだけのような気がする。立ち上がろうにもひねったばかりでは痛くてどうしようもない。というよりも、、こういう地味な痛みには弱い。立ち上がろうとして傷む足に小さく呻き、仕方ないので座り込む。足を延ばしてソファを背にしながら、この状態を見つかったらなんと言い訳をすればいいのか、と悩んでしまった。
「とりあえず、包帯が欲しいなぁ」
「バカタレ、それより先に湿布じゃろうが」
「!サカズキ……!!!」
頭上からかかった呆れたような声には目を見開く。飛び上がらなかったのは上出来だ。びっくりして口から心臓が飛び出すかと思った。
「なんじゃい、わしの部屋にわしが戻るんは道理じゃろうに」
「お、お帰り…!!待ってたから、それはいいんだけど……」
急に現れるのは心臓に悪い。はどきどきとなる胸を抑えて、立ち上がろうとするが足が痛い上に体に力が入らなかった。
「どうした」
「ん…なんか、疲れてて…このままでもいい?」
「立てんほど疲労しちょるくせに気を使うな」
ひょいっと、サカズキがの体を持ち上げてソファに座らせる。固い床よりは柔らかなソファの方が落着く。が表情を和らげると、サカズキが目を細めた。
「小汚いナリじゃのう」
「いっぱい運動したからね。あんなに走ったのは何百年ぶりかわからないよ」
「ようやった。おどれにしちゃァ、上等じゃァ」
そう言ってサカズキは手をの頭の上に乗せる。
これは褒められているのだろうかとはうろたえてしまった。というか、何だこの反応。サカズキは自分が海兵になるのを反対しているはずだ。ここで褒められる理由がわからない。困惑していると、サカズキがの足首をひょいっと掴んだ。
「いっ……!!!」
「捻ったか」
「んっ……うん…い、痛っ」
靴下を履いたまま上から掴まれ、小さく呻く。どういう捻り方をしたのかわからないが、随分悪く捻ったらしい。傷みに体を強張らせると、サカズキが手を放した。
「その足じゃ、自分で風呂に入るんは難しいじゃろうのう」
「……いや、でも、だからってサカズキと入るとかそういう展開はいやだからね?」
「仕置きは必要じゃァ思わんか」
この人は何を堂々と言っているのだろうか。
あっさり返されては言葉に詰まってしまった。開き直りというか、ここまで堂々とされるとなぜかこちらがわがままなことを言っているように感じてしまうから不思議だ。
唖然としているとそのままひょいっと、体を抱きあげられた。
「サ、サカズキ…!!!ちょっと!!」
「暴れるな、落とすぞ」
「やっ…!!」
昼間のこともあるので本気で落としかねない。は思わずサカズキの首に抱きついた。この高さから落ちれば尻もちではすまない。ぎゅっと掴めば、喉の奥でひっかくような笑い声が上がる。
「このわしが貴様に怪我をさせるようなマネをすると思うちょるんか」
「いや…それはないけど…。でも、ちょ、なんでホントにお風呂場に直行してんの!!!?」
「洗ってやろうちゅうわしの親切心に感謝せぇ」
ガチャリ、とを抱いたままドアを開け、さっさと脱衣所に入る。そのままは台の上に乗せられて、靴を脱がされた。
「ちょ、ま……!!!!」
「自分で脱ぐか?」
「自分で入るからいい!!!」
「無理じゃろう」
そう言えば随分前もこんなやりとりをしたことがなかったか…?はるか昔、まだ魔女だったころ、Siiの鬼のような訓練に疲れた自分を、あの頃はまだフード姿だったサカズキが風呂に入れてくれたことを思い出し、は顔を赤くする。あの時は脱がされるのが恥ずかしく自分で脱いだのだが、それでも十分恥ずかしかった。
「サ、サカズキ…絶対いやらしいことするでしょ!!」
「しねェわけあるか」
「そ、その開き直りは何!!!!?」
ふん、と鼻を鳴らしてのたまうサカズキに、は素直にドン引きした。しかし台の上に座らせられているため逃げることもできない。こういう時にデッキブラシが使えたら!と昔を懐かしんだところでどうしようもない。
「脱がせるだけじゃァ、暴れるな」
「んっ……」
逃げようにも出口はサカズキが立っている。焦っていると、サカズキが再び近づいて、しゅるり、とのスカーフに手をかけた。首元を通る布の感触はたいしたことがないはずだが、サカズキがしている、と思えば、妙に意識してしまう。
「おどれがいやらしい顔や声をせにゃ、わしも手は出さんけ」
「…ほ、んと…?」
「わしが嘘を言うか?」
息を切らせながら、は首を振った。サカズキは嘘はつかない。に嘘をついたら、本気で嫌われると分っている。
「約束だよ…?」
「あぁ」
はサカズキを見上げ、確認するように首を傾げた。それに頷き、サカズキはの海兵服を脱がせるべく、裾を掴みぐいっと、上げる。
「腕を伸ばせ。引っかかるもんは他にゃないが、脱がしにくい」
「…そ、それは胸がないことを強調してるの…!!?」
「事実じゃろう」
海兵服のシャツはスカーフを外してしまえば簡単に脱げる。ずぼっと頭から脱がされ、は乱れた髪を抑えた。普通女性がTシャツなどを脱ぐときは胸にひっかかって脱ぎにくいのだが、生憎トリプルAのにそういう障害はない。むしろ本日は男装しているためブラジャーも付けていないのでスムーズだ。
「なぁにこの敗北感…!!!」
いやらしい雰囲気ではなく、何だかこう、屈辱だ、とが顔を顰めていると、サカズキの手が今度はズボンにかかった。
「っ!!ちょ、ま…!!!!」
「脱がにゃァ入れんじゃろ」
「そ、そうだけど…!それはそうなんだけどね!!!?」
当たり前のようにズボンのボタンをはずすサカズキの手を抑え、は慌てた。スカートの中に手を入れられるのとは、なぜかこう、恥ずかしさが違う。前をあけられ、そのまま腰にサカズキの指が辺り、びくん、と体を振るわせる。
「んっ、ちょ…ま、」
制止の声も聞かず、サカズキはの腰を掴んで尻を浮かせると、そのままズボンを下げた。露わになるほっそりとした下半身と色気のない下着にが思わず目をぎゅっと閉じる。
「足を曲げろ。これじゃ、脱がせられん」
「……や……あ、サカズキ…!!?」
ズボンを足から抜くために両足をくいっと折り曲げられる。が声を上げれば、あっさりとズボンが下に落ちた。下着と靴下だけになった姿を晒し、は羞恥で肌を赤く染める。足を開くような態勢になってしまっていたので慌てて足を閉じようとするが、その片足、捻っていない方の足首をぐいっと、サカズキが掴んで上げた。
「ひゃ、ぁ!!?」
「下も脱がせるのは当然じゃろ」
その台詞は…なんか変態っぽくないだろうか、とは怖くて突っ込みが入れられない。は自分の太股の内側をサカズキの大きな掌がゆっくりと這っていくのを感じて息を詰まらせた。
「ちょ…待って…パンツくらい自分で……ッ!!!」
「相変わらず色気のねぇ下着を履きおってからに…どういう趣味しちょるんじゃァ」
言いながらもサカズキの手はの下着に手をかけ、ずりおろしてくる。卵の殻でも剥くようにあっさりと露わになる臀部を、大きな手が揉み砕く。
「んっ…!!!ん……」
下着を太股まで下げられ、腰を掴まれた体勢では体を支えるため腕を二本後ろに突っぱねなければならない。声を抑えることができず唇を噛むと、サカズキの眉が機嫌悪そうに跳ねた。
「わしにゃ声を聞かせたかねェか?」
「き、聞かれたくないの…!!察してよ…!!!」
「わしゃ聞きたい」
この人は、いつかマヂで捕まるんじゃないだろうか…。は真剣に心配したかったが、そうこうしている間にも足が開かれ、サカズキの体が間に入る。元々逃げる気など根絶やしにされたようなものだが、いっそう逃げられぬ状態になった。
「ちょ…!!いやらしいことしないって約束…!!」
「そんな顔しちょる分際で何を今更」
期待させといて結局それか!!?とは突っ込みたかった。しかし、先ほどから自分があっさりサカズキの手の動きに負けてしまっているという自覚もある。それ以上は反論するだけ、嫌なことを言われるとわかっている。はぐっと言葉に詰まりながら、サカズキを睨みつけた。
「でも、洗ってくれるって言った!!」
「後で構わんじゃろ」
「ぼ、ぼく…!!汗臭いんだよ!!?女心くらいわかってよ!」
「わしゃ男じゃ、わかるきゃァねぇじゃろ。それと、わしが今更気にすると思うちょるんか」
この人マジで最低だ…!!
はふるふると体を震わせる。いつのまにか一糸まとわぬ体にされているが、そういう羞恥よりも、今はサカズキのあまりの開き直りっぷりに愕然としてしまう。
大人しくなったをサカズキは面白そうに見下ろし、顎に手をかける。
「洗って欲しいか?」
「どうせすることになるんだし…ちゃんと綺麗な方がぼくはいい…!」
「言うたな。後悔するなよ」
妙に楽しそうな声である。どういうことだ、と聞き返そうとする前に、サカズキは再びを抱き上げてバスルームへ入る。そのままをバスタブの端に座らせてシャワーを出す。
「湯加減を見ちょれ。わしにゃ適温がわからん」
シャワーの頭を渡され、は手を濡らしながら頷く。以前湯加減がでたらめなサカズキに付き合ったら熱湯でやけどをした、という記憶がある。マグマの中でもくつろげるサカズキと違い、自分は普通の人間だ。うっかり肌がただれました☆なんて展開はご免だ。
「……脱がないの?」
そして自分にシャワーを押し付けて、てっきりサカズキが脱ぐのだと思っていたが、サカズキは上着を脱いでシャツとズボンの裾を折り曲げただけだった。
「わしの裸が見たいか」
「っ!!ち、違うし…!!!っていうか、サカズキも体洗うのかと…!!」
風呂場で自分だけが素っ裸ということを思い出し、は顔が赤くなる。サカズキが着衣していればそれはそれで安心(?)ではあるが、この状況では気恥ずかしい。俯いていると、サカズキがシャワーを奪った。
「これくらいで構わんか」
「う、うん」
温度は丁度良いくらいである。熱気が充満して裸でも別に寒くはない。それに狭い空間、自分が裸でサカズキの目の前にいる、ということに体温が上がってしまう。もじっと身を捩ると、サカズキはバケツにお湯を満たしてから、の足を入れた。
「んっ……!!!」
「じっとしちょれ」
「あ、洗うって……シャワーでじゃ…!!」
足が湯につかり、そのままサカズキはゆっくりとお湯で足を洗い始める。走った時に擦り切れた個所がぴりぴりと痛み、体を強張らせた。じんわりと傷口にお湯が染み込んでいくのが耐えられず足をひっこ抜こうとするが、サカズキがその足を抑え込む。
「やっ……!!い、痛い…!!抜かせて…!!!」
「洗わにゃ消毒もできんじゃろ。我慢しろ」
「んぅ、ぁ……ぅ…」
ぴしゃんと湯が跳ねる。傷みで目じりに涙が浮かべば、サカズキが目を細めた。そのまま足を丹念に洗い、足の脛を揉み始める。
「んっ……?サ、カズキ?」
「普段使わん筋肉を使ったんじゃァ、明日は筋肉痛で動けんぞ」
ひょっとしなくても、あれか?マッサージでもしてくれているという状況だろうか。
は自分の足をゆっくりと揉んでくれているサカズキの頭を凝視して驚きに目を見開く。その動作はあまりにもサカズキには似合わないのだが的確だった。痛いというよりも気持ちがいい。知らず目を細めて、ごろごろと喉を鳴らしていると、サカズキが低く笑った。
「おどれは猫のようじゃのう」
言って、サカズキはスポンジを手に取り泡だてたあと、それをこちらに渡してくる。自分で洗え、ということだと判断しては肩から洗い始めた。その間にサカズキはバケツの中のお湯を流して再びお湯をためる。
どうやら本当に洗う気になっているようだ。てっきりいかがわしいことをされるかと内心警戒していたはほっとして、ごしごし、と腕を洗う。まっ白い泡だらけになって素肌が隠れれば多少なりとも羞恥心も薄れてきた。
「いっぱい走ったけど、サカズキが新兵だった頃ってもっと走ったんでしょ?」
「普通は一時間に百周からが訓練じゃろうに、モモンガもおどれがおるんで加減したようじゃのう」
400メートルトラックを一時間で百周って不可能じゃないだろうか、とは素直に思ったが、ここは海軍本部である。まぁ、やれるのだろう。しかし、それを思えばは尚更、自分がいたから他の訓練生たちも巻き込まれたのだ、ということを実感せずにはいられない。
海兵になってサカズキの役に立ちたい…!などと考えてから、どうすればいいのかとおつるなどに相談して、武力を誇る海兵にはなれぬだろうから、とおつるの特別クラスに入れてもらった。ただのミーハー根性ではおつるも許可しなかったろうが、念のためにが受けたペーパーテストでは(魔女なんてやっていたので当然のことながら)十分な点を取っている。
「サカズキ、ぼくが海兵になるのは嫌なの?」
おつるは「素質はある」と認めた。そして利用できる価値がある、とも口には出さぬが判断しているのだろう。それであるから、体力面で少々心もとないながらも許可している。はそれが分っていた。文官、秘書官としてなら通用する、とそれを希望にもしている。
言ってしまえば、サカズキとてそれがわからぬわけでもないだろう。誰よりものことを分っている。それであるのに本日のあの態度は、つまりは、感情的な理由から「嫌」なのではないだろうか。
「海兵っしゅうもんは、正義の兵士じゃけ、おどれにゃ無理じゃろ」
一通り体を洗い終わったと判断したかバケツのお湯でざっと泡を流してくる。温度も程よい。は目を閉じてお湯が入らぬようにしてから、ぶるぶる、と体を震わせる。
なるほど、サカズキのような「徹底主義」の海兵からしてみれば、の「サカズキの役に立ちたい」という気持ちは弱いのだろう。そして誰よりも、この海軍の正義というものを知っている人だ。には相応しくないと、そう判断しているらしい。
「でも、ぼくはもう魔女じゃないし、いつまでも本部にいていいわけじゃないんだよ」
「いつでも嫁に来いっちゅうてるじゃろ」
「奥さんになっちゃったら尚更、サカズキが仕事してる時は会えないじゃんか」
今さらりととんでもない発言をされたような気がするが、はあまり深く考えないでおく。サカズキと結婚うんぬん、は白ひげ戦から言われていることだったが、生憎まだちょっと、そういう覚悟はできていない。というか、そういう展開は別の話(新婚パロとか?)でやって欲しく、今自分は海兵になってサカズキの傍にいたい!というわがままを通したいのだ。
「海兵になったところで、訓練に勤しめばわしに会うどころじゃァねェじゃろ。第一、大将付きになるんはかなり低くても大佐、通常は准将じゃぞ」
「でも、ただ部屋でサカズキを待ってる今後の人生より、サカズキに会うために毎日がんばるっていう人生の方が楽しいよ」
「わしは家でおどれが毎日待っちょるっちゅう人生の方が悪くねェが」
「サカズキって結構家庭的なところあるよね」
「わしゃ愛妻家になれる男じゃけ、当然じゃろ」
いや、確かに、とは素直に頷いてしまった。
ちょっと(?)過激思想は持っているものの、基本的にサカズキは一般市民の平和を守るための海兵であるという意識がある。自分が家庭を持てば、それを守るために、これまで以上に尽力するのだろう。
愛する家族を守ってこその正義の海兵、と、そういうのが一番似合うのは大将の中でサカズキだ、とは本気で思っていた。こういう関係になるまでは、なぜそういうサカズキが誰とも結婚しないのか不思議だったが、そのパートナーとして自分を選んでくれていることは素直に嬉しい。
にこにこと機嫌が良くなって、はサカズキを見上げ、停止した。
「サ、サカズキ…そのバケツ…なんでぼくの頭上に掲げてるの…?」
「髪も洗わにゃならんじゃろう。目を閉じろ」
ちょっと待って!と制止する暇もない。ざばっと、容赦なく頭からお湯をかけられ、は反射的に目を閉じた。
シャワーってなんのためにあるんだっけ、と思い出しても仕方ない。
「ぅ……ぅ…ぼ、ぼくは犬とか猫か…!!?」
ザバーっと流れていくお湯に混じり、は何だかこう、いろいろ悲しくなってくる。これならいかがわしいことをされた方がマシだったかもしれない。なんだこの乱暴な洗い方。いや、サカズキに優しく、とか求めるだけ無駄なのはわかっているが。
髪をぬらしたあと、サカズキはシャンプーと掌にたらし、そのままわしゃわしゃと髪を洗い始める。大きな手であるので、両手を使えばあっという間に泡立った。
「まさかサカズキに髪を洗ってもらう日が来るなんてねぇ」
思ったよりも乱暴ではない洗い方には驚きつつ、向かい合うサカズキを見上げた。普通髪を洗う時は背を向けるのではないかと思うが、こちらも顔が見えないと不安になるので構わない。
「わしも人の頭なんぞ洗ったことはねェ」
「甘やかしてくれてるの?」
からかうように言えば、サカズキが眉間に皺を寄せたのが分った。
これは、ひょっとして昼間泣かしたことに対しての謝罪のつもりなのだろうか、とは思い当る。
いや、確かにサカズキの言い方は酷かったが、そもそもサカズキに反対されると分っていて無理に海兵になろうとした自分にも非はある。思わず感情的になってあれこれ言ってしまったものの、こうして落着いて、普段通りサカズキと一緒にいられる時間を取り戻している今、はあまり気にしていなかった。
単純であるが、細かいこと引き摺っていたらサカズキと一緒になんぞいられない。
「泣いてごめんね」
サカズキは謝りはしないだろうとそれもわかっている。謝って欲しいわけでもないので、は自分がそう言うことにした。言えば、サカズキが息を吐く。
「全くじゃァ」
「でもさ、サカズキもたまにはぼくの気持を考えてくれてもいいと思うんだよ」
「海兵になるっちゅうんは反対する。これは譲らん」
「ぼくも譲らないし、このままだとさっきみたいにケンカになってぼく泣くけど、それでもいいの?」
実際のところ、はサカズキと口論するのが嫌というわけではなかった。普段は大抵のことはサカズキの言うとおりにするが、時折是が非でも了承したくないこともある。そう言う時はお互いに感情をぶつけあう。それが、実は少しだけ楽しいところもある。お互い本心を隠しきってどちらか一方が我慢するなど、そんなのは嫌だ。
サカズキは言い方が酷いので傷つくこともあるが、何もわからぬ小娘ではない。落着けばその言葉の意味もわかるものだ。
「……洗い落す、目を閉じろ」
溜息ひとつ、問いの回答ではない言葉を言われ、は「逃げた」とは思ったが、素直に目を閉じた。泡を落とすにはバケツのお湯程度では足りぬので今度はシャワーで落とされる。わしゃわしゃ、とサカズキは洗いながらも手を動かしている。初めて洗うと言う割には丁寧だ。はそっと目を開けて、そのままサカズキの方に体を押し付けた。
「ッ!?」
この状況でそう来るとは想像していなかったらしい。の中々本気な力であっさりと押し倒される。シャワーが上向きになり、サカズキも濡れてしまう。
「……色仕掛けか?」
「サカズキに効くなんて思ってないよ」
「ある程度濡れることは覚悟しちょったが、一着スーツが駄目になったな」
仰向けになりながらもサカズキは余裕である。はシャワーを止めて、ぐいっと、サカズキの胸に手を乗せる。
「……サカズキって男の人なのになんでこんなに色気があるのさ」
何と言うか、なぜ押し倒したのか自分でもわからないのだが、は猛烈に後悔していた。
別に素っ裸、というわけではない。サカズキはシャツとズボンは着用している。しかしお湯で濡れて張り付いているため、妙にその、色気があった。薄い色のシャツが濡れれば肌の色や、刺青がぼんやり透けている。
ごくり、とは喉が鳴った。
「どうした?」
「サカズキっておいしそうだよね」
見下ろしながら、こういうのも悪くないとは目を細める。結局のところ自分はサカズキが好きなわけで、好きな男が自分の体の下にいる。いつも自分が一方的に頂かれることが多いのだから、たまにはこちらが食べてしまってもいいのではないか、とそんなことを考える。
「わしにゃ、おどれのほうが美味そうに見えるが」
しかしここで事に運んでは海兵うんぬんの問題がうやむやになってしまう、でも、こんな状況滅多にないし、とあれこれが迷っていると、サカズキの手がの手を掴み、その指を一本噛んだ。
「っ……!!?」
「わしを襲おうなんぞ10年早い」
妙に楽しそうなサカズキの声には只管嫌な予感がした。あっという間に体勢は変わり、自分が押し倒される形になってしまう。
「〜〜〜!!!」
「ここじゃァ抱かん。足首の手当てもせにゃならんけ、我慢できるか?」
「する気がないなら耳元で言わないで…!!あとお尻触るのやめてよ…!!」
抱く気はない、と言いながらしっかりと腰を抱き寄せて耳元で囁くのは嫌がらせか。ぞくり、と背筋に走る感覚を必死にこらえながらはせめてもの反抗にとサカズキの耳を噛んだ。
「ッ……おどれ……」
びくり、と、サカズキの体が強張った。体が密着しているからこそ分り易い反応にはおや、と目を細める。低い声に怯える可愛げはとうにないだ。そのままぴちゃり、と濡らした舌で耳たぶを舐める。
「……」
今度はあからさまに反応することはなかったが、息を詰めるサカズキに、は自分から腕を伸ばして首に抱きつく。体を押し付ければ、硬くなった胸の先端がシャツに擦れて思わず甘い声が出る。それを抑えようともせず、そのままは耳元に小さく囁きかけた。
「我慢できないのはサカズキの方じゃないの?」
さすがにやりすぎたか、ぐいっと、タイルに体を押し付けられる。それでも頭を打たぬようにと手をまわされている辺りが、なんというか、にはくすぐったい。青い目で見上げてみれば、滅多に見ぬほど欲の籠った目をしているサカズキが、額に青筋を浮かべてこちらを見下ろしているではないか。
「いい度胸じゃの……本気で鳴かされてェか」
「ぼくの成長を認めて海兵になるの赦してくれればいいんだけどね」
「しつこい女子じゃのう」
この辺はお互い引かぬ。堂々巡りのようだ。は不服そうに鼻を鳴らし、もぞもぞと体を捩って脱出を謀る。しかしそれを許すようなサカズキではない。しっかりと体を押し付けて、首筋に噛みついた。
「っ……!サ、カズキ……ちょ、」
「わしより後に果てられりゃァ、おどれの勝ちっちゅうんでどうじゃ」
効いてんじゃん、色仕掛け。
は突っ込みたかった。しかし、出された条件はどう考えても自分には不利である。サカズキも当然分っているだろう。それであるから提案してくる。
ぐっとは「不公平だ!」と色々言いたい言葉を呑みこみ、真っ直ぐサカズキを見つめ返した。まさか海兵になるうんぬんをこういう男女の情交で決めることになるとは、聊か不謹慎な気もしなくはないが、こうなればお互い意地である。
「ぼく、負けないよ?」
は言い返し、その無謀に強気な姿勢が気に入ったのか、サカズキが喉の奥で笑う。そのままはサカズキが仕掛けてくる前に自分から肯定のしるしに口づけて、舌を差し入れた。
Fin
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