「こっちだこっち」
臙脂の暖簾を潜るとむわっとした独特の熱気、ガラス戸一枚隔てたこちらではまるで感じなかった強烈な酒のにおいに混じって同期の海兵、スモーカーの声が聞こえドレークはほっと顔を緩めた。
こじんまりとした小料理屋。酒も出すので日が傾いて暫く経った店内は赤ら顔の客がてんやわんやと笑い声を立てながら仲間、まるで見知らぬ同士であっても楽しくやっている。そんななか酒瓶やら小樽、或いは用途があるのかないのかわからぬ妙なガラクタを積んだつけ台(カウンター)前に腰掛けて先にちびりちびりとやっているスモーカーは異質である。が、黙していても「目立つ」わけではない。奇妙なことに異質、ではあっても場に溶け込んでいる。なるほどこれが常連の姿かとドレークは妙に関心して、どっかりとスモーカーの隣に腰掛けた。 こちらが品書きに目を留める前に、どん、と無愛想な店主が空のグラスを前に置く。小鉢によそられた菜の花の辛し和えも一緒で、戸惑っているとそのまま店主が一升瓶から直にどくどくと透き通った酒を注いでくる。
「快気祝いだそうで」
ぼそりと小さな声。反射的に礼を言うと店主が無愛想ながらも笑いを浮かべた。
「スモーカーさんがここに海兵を連れてくるなんて滅多にないもんで、あんた、見込まれてんだね」
人は見かけによらないもんで、と親父の軽口、スモーカーが新しい葉巻を吹かしながら「違ぃねぇ」と笑ったのがドレークには意外だった。しかしそれで親父はあとは好きにやってくれとばかりにスモーカーが先に頼んでおいたのだろう肴を2,3種置いて背を向けた。
「すまないな、遅れて」
それで初めてドレークは今日この店に誘ってくれた同期に言葉をかける。少し前に胃痛が原因、ではなくて日々の激務が祟って過労で倒れたディエス・ドレーク。随分疲労を溜め込んだもの、回復まで五日はかかるだろうとの医者の見立てを三日で治した。三日目に大将赤犬から激励(?)を頂いたのが効いたのでしょうと殊勝なことを言って周囲を泣かせたが当人は至って真面目である。
一応ドレークが倒れたそのとき現場にいたスモーカーは彼なりにその後の体調を気にかけていたようで、職場復帰したと聞くや「上がりに一杯奢ってやる」と誘ってきた。
病み上がりを飲みに誘うんじゃないと医者が聞けば顔を顰めそうなもの。だがドレークもスモーカーも、というかこの年代の男たちにとって酒は何よりの回復薬。気も明るくなるし、不運続きの瘴気払いにもなろうもの。
何より二人、滅法の酒好き。昔は時間があればヒナやボガードの四人で飲んでいた。それぞれ配属も変わって、出世して、中々四人集まることはなくなったし、スモーカーは普段艦に若いお嬢さん(たしぎ)がいる。男所帯でも気丈に振舞ってはいるが酒を飲む男たちの面代わりを見せるのはまだ早かろうと思うてこの暫く自分や部下の男海兵らは暗黙のうちに禁酒をしていた。本部にきて久方ぶりの同期との交流、ぐっと酒が染み渡るのを心地よく感じていると隣のドレークも同様にくっ、と味をかみ締めている顔をした。
昔からのことであるが双方に「乾杯」やらなにやらという飲む前の作法はない。めいめい勝手に飲んでしまって問題ない。誘った方は招いた者が来るまで待っていなければならない、なんてこともなく、気安い間柄も通り越せば一種無礼に過ぎるという関係になるのかもしれない。が、互いにそれが妙に心地よくもあった。
「美味いな。久しぶりの酒だから美味く感じる、というのもあるだろうが、良い酒だ」
ぐいっとスモーカーが飲み干すのとは対照的にドレークはゆっくりじっくりと味わう。やけに歳の入った老人のような飲み方だが違和感がない。スモーカーはここ数ヶ月はドレークは目立った遠征もなく本部に詰めていたと(そしてそれゆえの激務)であったと聞いている。だからてっきりストレス発散に飲みにでも行っていたのではないかと(ヒナなどはスモーカーが本部による度に潰れるまでつき合わせる)思ったが、問えば「いや」と否定し、そして考えるように一瞬沈黙して「そういえば、この数年は酒を飲んでいなかった」と驚くべきことを言う。
「……謎の胃痛に苦しめられてるたァ聞いてるが、そこまで深刻なのか」
そんな歳でもない!と慌ててドレークは否定して同期の桜をじろり、と睨んだ。
「別に胃や肝臓を顧みて酒を飲まなかったわけじゃない」
海兵には任務成功を祈って好きなものを絶つという願掛けがある。習慣、というほどではないがひっそりと昔から本部にはあるもの。二人がまだ訓練生だった頃はれて海軍海兵になれるまでスモーカーは煙草を(当時は葉巻など買えなかったので)ドレークは西瓜をそれぞれ絶ったのは良い思い出だ。
「……今頃になって言うのもなんだが、おい、ドレーク、お前の西瓜ってのは夏にしか食えねぇもんだから絶つもなにもねぇだろう。楽な条件しやがって」
と、ドレークは反論する。その心底真面目な顔が昔と変わらない。スモーカーは煙をゆっくりと吐き出して、半分以下になっているドレークのグラスになみなみと注ぐ。
「快気祝いのついでに、まぁ、数年ぶりの酒を楽しんどけ」
っは、とお互い同時に笑った。階級こそスモーカーは中佐、ドレークは少将であるが互いに隔たりを覚えることはない。気安い話のできる間柄。スモーカーは自分も酒は久しぶりだ、とそう白状した。
「お前が?なんだ、肝臓でも悪いのか。年がら年中葉巻なんぞ吸ってるからだ」
海軍、海兵、にはさまざまな役職というか種類がある。たとえば新兵やら中佐、准将、というのはあくまで階級だ。そこに「種類」がある。剣使いであったり、デスクワークを得意とする文官であったり、あるいは肉体を用いての体術派、悪魔の能力者、もその海兵の種類の一つと部類されている。
スモーカーは常日頃から自分の副官にするのなら同じ能力者、ではなく、また線の細い文官でもなく、同じよう船上、戦場、現場を駆ける、それも剣を握る者が良いと考えていた。昔からのことで、ドレークも知っている。素直に祝うドレークを一度眺め、スモーカーは「まぁ、まだまだ甘ちゃんだが、筋はいい。あいつは良い海兵になる」とそう認めた上で「嫁入り前のお嬢さんだがな」と付け足した。
「……ヒナのようなタイプだよな?そうと言ってくれ頼むから。彼女のような女傑でなければお前の元で働くなど気の毒…いや、嫌がらせ意外の何者でもないだろう」
どういう意味だ。と問えばドレークが「人相がもはや海兵じゃない、ヤクザだ。そんな顔からおっかなさの溢れる男が普通の女性を預かれるわけがない」と堂々と言い返してきた。遠慮がないのも考え物である。
非番だろうと海楼石を仕込んだ十手は持っている。この口の悪い同期に食らわしてやろうかと物騒なことを考えているとドレークが「あぁ、なるほど、お前もか」と何か納得したように頷いた。
「なんだ」
そこまで言い当てられてぐっと、スモーカーは喉を鳴らした。たしぎ、たしぎ、配属されたお嬢さん。目が悪くとろっとろしているが剣に対しての姿勢と心構えは気に入った。それに芯もある。まだまだ海兵としてなっちゃいないが、あれはいい人間だ。大事大事と過保護に育てる気はもちろんスモーカーにはないし、たしぎも望んではいないだろう。だから厳しくするつもり。だがやはり、男所帯で気を張るあのお嬢さんをなんだかんだと案じる部分もあった。
「海賊は荒れていて当たり前。酒や正体のわからぬ悪臭を放つのは当然だ。だが海兵は、彼女の側にいる海兵たちは、そういう面はまだ見せないでおく。荒くれ者の世界に飛び込むだろう彼女にいきなり全てを見せずにおく、お前のそういう情は昔と変わらないな」
女には持てないが部下には慕われる、と余計なことを言ってくる。スモーカーはぐいっと乱暴に一杯飲み干してまた並々と自分の杯に注いだ。
照れ隠し、にしては乱暴な仕草にドレークは笑って「そういえばその娘は西瓜は好きだろうか」と問うてくる。なぜ西瓜の話がぶり返されるのか。スモーカーが不機嫌ながらも奇妙に思ってドレークに顔に向けると、北の海の者らしく白い肌の海兵は聊か困ったような笑いを浮かべた。
「体調を崩した折に、滋養にと西瓜を賜ったのだが思ったよりも大玉でな、半分はもう一人寝込んでいる知人…まぁ、知人に渡したものの、あと半分はさすがにおれ一人では食いきれなかった」
食べごろは昨日までだったが今日でもまだ大丈夫だろう。よければ貰ってくれ、とそう言われスモーカーは顔を顰める。
「どこの御大尽からの見舞いだ。この近隣じゃ西瓜なんて手に入らねェだろう」
入手ルートがないわけではないが、どうしたって贅沢な品になる。少将一人の見舞いのために、というのなら随分と熱の入れよう、軍内の事なら聊か常識から外れている。咎める、というよりは「何か妙なやつに気に入られたんじゃないだろうな」という心で聞いてみるとドレークの顔が一瞬引きつった。
「…………まぁ、あれだ。いろいろあるんだ」
厄介ごとか?とスモーカーが言葉にせず問うてくるが、ドレークは答えられない。
いや、確かに海軍本部の厄介ごとには違いないが、まさか幼女一人のために四候の貴族が西瓜輸入、なんて冗談にしか聞こえないだろう。
色々考えて「うっ」と胃を抑えるドレークに、スモーカーは「少将ともなるとあれこれ大変だな」と全く持って慰めにならない言葉を投げてくる。あれか、海兵でいる限り自分の苦しみは続くということか、と真面目に考えて涙が出かけるディエス・ドレーク、病み上がり。
「西瓜か。まぁ、お嬢さんは喜ぶもんだろう。ちゃんと甘いんだろうな」
いろいろあるんだ、とまたドレークが真面目な顔で繰り返すのでスモーカーは「そうか」と笑った。
「まぁ、礼を言っておく。この時期の西瓜、それもこの島でのもんだ。随分と値の張るもんを貰って手ぶらってわけにもいかねぇ、何かあるか?」
貸し借りナシだ、というような気ではないが、さすがにその西瓜の値打ちを考えればおいそれとはいただけぬ。妙に義理堅いところがスモーカーにはあり、知っているドレークも気安く断ることはせず「そうだな、それなら」と少し考えてみる。
「また暫く本部を離れるのか?」
何か、とはアバウトな。要望はないのか、とスモーカーが聞けばドレークは「特には。お前がいいと思ったもので頼む」と中々に面倒なことを言う。だがスモーカー、今日も今頃訓練同情にて青あざを作って、それでも打ち込みをしているだろうお嬢さんの顔が浮かんだ。ドレークは体を冷やすなといったが、むしろ打ち痣が酷くて身体が熱を持つだろうたしぎに西瓜は良いはず。それを思えば土産一つを面倒だ、などと思う心が消える。
仕方ねぇ、とつぶやいて短くなった葉巻を潰せば、隣に座った上官が「すまないな」と笑う。
しかし次にスモーカーが海軍本部を訪れたとき、ドレークはそこにはいない。「堕ちた海軍将校」として「“赤旗”X・ドレーク」としてご立派な賞金首になって、海賊になって、しまっているのだけれど、この時の二人は予想もせぬこと。
スモーカーが戻るのが遅かったのか、ドレークが飛び出すのが早かったのかも知れぬもの、しかしこのとき同じ酒を飲みあう男二人、互いに杯に酒を注ぎあって次第にバカ話なんぞして、海兵というよりは気心の知れた男同士の飲みあい。なんとも気安いその光景、眺めた親父が「またこの二人そろって飲みに来て欲しい」と思う心、なんてのも、誰にも知れぬものである。
Fin
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