ディエス・ドレーク少将が倒れた、どうやら過労らしい。

と、そのような話が海軍本部奥に回ったのはもう桃の花も見納め、次は真っ白い桜だろうという頃合い。春一番より一足早く走ったその話を耳にした准将以上の海兵らはそれぞれ「遂にか」と気の毒そうに顔を顰め「胃痛でないのが責めてもの慰めだな」と続けた。

海軍本部に籍を置く海兵となれば、必ず屈強な軍人。男ならば尚更。鍛え上げられた肉体に鋼の精神。本来病に罹ろうものなら「軟弱者がッ」と怒号が飛ぶ。それであるから「過労」などとは不名誉極まりなく、またあり得てはならぬもの。しかしディエス・ドレークの体調不良を責める声は不思議と上がらない。それどころか恐れ多くも准将以上の中将らまでもが時間を見つけては態々自ら足を運び、自室にて療養しているドレークを見舞った。

「病には百合根が良いと聞く。昨日までの任務で訪れた島で買い求めた。食欲があれば粥にでも入れて貰うと良い」

禿頭、ではなくて妙なモヒカン頭のモモンガ中将、ドレークのベッドの脇にある味気ない椅子に座ってどさり、と風呂敷を下ろした。何かと世話になることの多い中将どのの気遣いにドレークは感謝を伝えようとするが、ごほごほと咳が出て上手く言葉が出ない。

伏せったままでいる、というのも本来上官相手には許されぬことで、だがモモンガや、他の上官たちはドレークが起き上がろうとすると「いや、構わん、そのままで。すぐに出る」とそれを許した。

ドレークが倒れたのは三日前のことだ。本部訓練道場にて久しぶりに本部にやってきたスモーカーと手合わせをしよう、とお互い能力の使用はなしとして竹刀を握った。その時にまず違和感があった。ぐらり、と軽い目眩のようなもの。

この二カ月ほど働き通し、新世界で大取り物があって通常のデスクワークの他に仕事が多く加わった。更には春から新兵、あるいは支部から引き抜きの海兵らが招集されるためその準備、上へ下へとひっくり返すような毎日。そしてその上ドレークにはの世話があった。いや、もう世話役を外され久しく、彼女の元へ通う義務はないはずだった。だがこの冬の終わりにが体調を崩し、夜になると高い熱を出す。他に看病する者がいないわけでもないが、熱に魘され泣くをどうしても放っておけずに少将、少々無茶をした。その自覚はあった。

しかしドレークは自分の体の丈夫さを信じた、その結果がこれである。

竹刀を握って打ち合い2度、3度、ぐらり、とドレークの視界が反転し、暗くなった。気付いた時は医務室の上、渋い顔をした医者が言った言葉が妙に可笑しかった。

「なんだ、どうした」

思い出し笑いをしてしまうと、モモンガが首を傾げる。ドレークはもぞもぞと布団から手を出し喉を摩って具合を確かめてから「いえ、倒れて目覚めた時、医者が私に言った言葉を思い出しました」と答える。やはり声は掠れるが聞きとれぬ程ではない。

「ほう、医者はなんと」
「胃は無事ですよ、と」
「なるほど、それは」

可笑しい、とモモンガも笑った。この中将どのは笑うと愛嬌がある。屈託なく笑うその顔。以前一度何かの折にマリンフォードの港近くの居酒屋にて一緒に酒を飲んだことがあるが、その時にもモモンガ中将は(いや、当時はまだ少将、己は中佐であっただろうか)このように笑った。白い歯を見せて笑うその顔、裏表がなく、ドレークの話を一緒に「面白い」としてくれる。

「さて、あまり長尻しては見舞いにならんからな」

ひとしきり笑い終えてから、そろそろ、とモモンガが立ちあがる。ドレークは感謝をきちんと伝えようとなんとか上半身を起こし、丁寧に頭を下げた。

「お忙しい中態々、ありがとうございます」
「いや何、こちらが好きでしたことだ。他の連中もそうだろう。常日頃から、ドレーク少将に感謝をしている人間はここには多い」

だから気にするな、という意味の言葉だが、それは暗に「魔女どのの事をいつも引き受けてくれている君がいて助かる」ということでもある。

ドレークは思わず苦笑いを浮かべてしまうと、モモンガも「すまんな」と詫びるように言う。

中将らの見舞いが多いのは何もその感謝だけの意味ではない。ドレーク少将が倒れた。と、いうことは魔女どのの癇癪が起きた時に事態を収められる者がいない。倒れた、とは聞くが容体はどうなのだ。復帰はいつになるのだ、とその確認の意味があった。
なにしろドレーク以外の海兵はの世話役に任命されても二時間と持たないのだ。

誰も口には出さないが一刻も早くドレークに職場復帰してもらい、魔女の癇癪に備えて欲しかったのだ。

デスクワークも海賊討伐も演習指揮も、可能なら己らが全て引き受ける…だからの相手だけはッ、と見舞う海兵ら全員が、言わないながらも必死に訴えたがるその眼差し、ドレークはさすがにそれは思い出し笑いはできない。

「中将殿、…いえ、魔女殿のご容体は如何なのでしょう。私が最後に付き添った晩も、やはり熱が出ていたのですが」

他の中将らには聞けなかった魔女の話も、モモンガ中将なら、とそう思って問うてみると中将の顔が一瞬強張った。

「中将、」
「今の君は何も気にせずとにかく療養すればいい。なまり普段から魔女第一に考えて胃痛を呼んでいるのだから、こういう時に悪化させずともいいだろう」

声に何か危険性や動揺はない。後半はからかう口調、ですらある。けれど油断して良いものではなくドレークは腹の底を探ろうと真っ直ぐモモンガの瞳を覗きこむが「さて、そろそろ」とごく自然な仕草でくるり、とモモンガが背を向けた。

「大事にすることだ。治った時にはまた酒でも飲もう」

先日良い酒を手に入れたんだ、と言いながらモモンガはそのまま出ていく。ドレークが何か声をかける隙もなく、そうして一度閉じた扉が、暫く立ってまた開いた。

「た、大将赤犬」
「入るぜ。なんじゃおどれ、話に聞いたより顔色が悪いな」

今貴方が来たからです。などとはさすがに答えられずドレークは座ったままはさすがに、と思って寝台かで出ようとする、しかしひょっこりと部屋に入ってきた赤犬はそれを手で制し「病人が気なんぞ使うな」と普段よりは温かみのある声で言った。

ドレークは無礼を詫び、しかし枕に頭を付けることは憚られ上半身を起こしたまま赤犬の訪問を受ける。モモンガ中将の座っていた椅子では小さいので赤犬は背もたれだけの椅子を二つ並べてどっかりと腰を下ろす。

大将どのに見舞って頂くなど恐れ多いことである。ドレークとサカズキは形式上の挨拶を交わし、2、3社交辞令としか思えない言葉を続けたが、その後の会話は自然と途切れる。

「おどれへの見舞いの品じゃ」

会話は途切れたというのに赤犬は中々立ちあがらない。それでドレークが胃の痛みを覚えていると(見舞いの意味ねぇッ!)少しの間を開けて、赤犬が座る時脇に置いていた風呂敷を持ちあげる。何か丸い物が一つ入っている。

「西瓜じゃ。今日明日が食べごろじゃろう」
「すいか、ですか」

ドレークの好物である。

極寒の北の海出身のドレークは夏というのが滅法苦手だ。毎年暑い時期になるとその照りつける太陽に辟易に、故郷を出て随分と経つ今も、慣れはしたがやはり苦手で、しかしそんな中、故郷にはなかった「夏の食べ物」が随分と気に入った。

中でも西瓜は大の気に入りで、暑い夏汗をたくさんかいた後に塩をたっぷりとかけた西瓜にがぶりとかぶりつくのが好きだった。

赤犬がハラリ、と風呂敷を広げるとなるほどまるまるとした、そして瑞々しい西瓜がでん、と現れる。聊か小ぶりに見えるのは規格外の体格を持つ赤犬の膝にあるからだろう。

今は春を控えた頃、まだ出会えぬ筈の好物の登場にドレークが目を瞬かせていると、その様子が可笑しかったのかくつくつと赤犬が喉の奥で引っ掻いたような笑い声を上げ、トン、と軽く西瓜を指で弾く。小気味のよい音が響いた。

「あれが伏せっちょると聞きつけてどこぞかしこから滋養にと見舞いの品が届く。通常じゃ手に入らんような上等なもんばっかりじゃが普段のあれは見向きもせん。味覚がねぇから当然じゃがのう」

赤犬が「あれ」というのはのことだ。が病気となれば貴族有権者らが騒ぐに騒ぐ。それはドレークも知っている。

「じゃが珍しく、今回はあれが強請った。一つ、西瓜が欲しいと言うた」

もちろんこの島では手に入らない。といって近隣の島も四季は同じだ。となればグランドラインの夏島を訪ねる他なく、魔女の願いを聞きつけたどこぞの貴族が船を一隻出して夏島で西瓜を手に入れ、そしてここまで運んできた。新鮮さを損なわぬよう速度は最速、扱いは慎重に。

そうして運ばれてきた西瓜。貴族の厳しい鑑定ののちに献上されたのは100個集めた西瓜のうち1つきりだと言う。

「…まさか、それが?」

思わずドレークは声を失う。

この本部から一番近い夏島は船で一週間はかかる。自分はが西瓜を強請った、という話は知らないから自分が倒れてからのことだろう。それは三日前だ。どんな無茶をして西瓜一つのためにこの短期間でその航海が行われたのか。それに千両箱が1つ逆さになっただけでは足りぬほど費用もかかったに違いない。

「お、恐れ多いことです。頂くわけにはいきません、それは魔女殿へ、」
「あれから是非おどれに食わせて欲しいとたっての願いじゃ。このわしが態々来たのもおどれがそう断ると見込んでのことじゃろう」

この己をお使い小僧にするとはいい度胸ではあるが、と赤犬は鼻を鳴らす。だが未だ、熱が下がらぬとも続けた。どうも今回はタチの悪い風邪程度ではなくなんぞ魔女の悪意に関係しているようでこちらの常識では測れない。高熱で何度も意識を失いながらもドレークの不在を知り、過労であると知ったが時折うわごとのように「ス、スイカ…とりあえず食わせておけば治る気がする…ッ」と言う。

言い方は気安いが、しかし込められたの優しさをドレークは受け取る。

そういえば何年か前の夏、珍しく二人で外に出て茣蓙の上で三角に切った西瓜を食べたのだったか。夏に食欲の失せがちなも隣でドレークがしゃくしゃくと美味そうに食べるものだから「いいねぇ、なんだかおいしく感じるねぇ」と真っ赤な西瓜を二切れも平らげた。

その時に己はに西瓜が好きだとそのように語ったのだったか。

西瓜は体を冷やすからとそれ以降の膳に西瓜が出ることはなかったが、あの時のことをは覚えていてくれていたらしい。

「……ありがとうございます」

じんわりと胸の奥が温かくなり、ドレークは頭を下げた。

普段からとんでもない性根をしているにとんでもない性格をしている赤犬だが、こうした優しさを向けられ、ドレークの気が休まる。確かに日常、胃痛の原因はこの二人だが、しかし小さな思い出を大切にしてくれるに、気遣いを向けてくれる赤犬。二人に振りまわされて長いが、この二人の下で働く己は幸福であると心から思った。

「……礼なんぞいらん。さっさと治せ」

礼を言われることに慣れていないのか赤犬がそっぽを向く。不機嫌そうな声だが赤犬の真からの機嫌の悪い声は聞きなれている。ドレークは笑いたいのをなんとか堪え「はい」と短く答えた。

「西瓜は冷やして、夕方に切ろうと思います。私一人では食べきれませんので、魔女どのに半分お届けしてもよろしいでしょうか」
「構わねぇが、あれが食える状態か保証はできねぇぜ」
「置いて眺めるだけでも魔女どののお心の慰めになるでしょう」

夏の思い出からこうして西瓜を届けてくれたのなら尚更だ。貰った品をそのまま返すのはどうかと思ったので、そのほか何かが気に入るようなものを考えよう、と一度目を伏せる。その様子を赤犬が目を細めて眺め、ゆっくりと立ち上がると西瓜を椅子の上に置きぽん、とドレークの頭を叩く。

「おどれが治って顔を見せるのがあれには何よりの見舞いになる。あと半日、気合で治せ」

三日も休めば十分じゃろう、と容赦ない言葉ではあるが、ドレークは「それは無理です」とは言わず、先ほどと同じように「はい」と、今度は力を込めて頷いた。



Fin

(2012/04/01 22:24)