ぼんやりと時計を眺めて、うん?と首を傾げる。ぼんやり、ぼんぼり眼。夕べはSiiと随分遅くまでトランプをしたものだから眠い。二人でババヌキなのにあんなに白熱したのはなんでだろうか。いや、まぁSiiだし、と思い出しながらもう一度目覚まし時計の針を見る。
「……う、わぉ」
八時ジャスト。
どう考えても寝坊である。
海軍ファミリア!!
「うわぁああぁん!!なんで誰も起こしてくれなかったの!!!?遅刻だよ遅刻!完全遅刻するよ!!!」
バタバタと階段を駆け下りながら制服のリボンを付ける、ふわふわ暖色の髪の少女。グランド学園中等部二年のである。私立の学校なので開始は九時からだが、家から学校までは走っても40分はかかる。
「なんだい、今起きたのかい?」
「おつるちゃん!?なんで起こしてくれなかったの!」
「情けないことお言いでないよ。自分のことくらい自分でやりな」
「うわぁああん」
容赦ない祖母の言葉には泣き言を漏らしつつ、あれ、とさっぱりしたリビングに首をかしげた。
「お兄ちゃんたちは?」
には三人の兄がいて、うち二人はと同じグランド学園に向かうはず。寝坊はしたが普段ならまだ二人はここで新聞でも読んでいるのだが、きれいさっぱり、何もないリビング、テーブル、ソファ。キッチンには朝食を終えた後の食器が洗われて伏せられている。
「とっくに出かけたよ、朝の職員会議だそうだ」
「あ、そういえばそんなこと夜言っていたような…」
昨日の夕食後、兄の一人に髪を乾かしてもらいながらそんな話を聞いた気がする。いろいろ緊張しすぎて覚えていなかった。
「……あれ?ひょっとして、Siiも寝坊?」
そこではたり、とは気づく。先ほどはあわてて部屋を飛び出したが、こうしてリビングに誰もいない、兄二人は先に出かけているとしても、もう一人、この場にいなければならない家族がいるのではないか。
「そのようだね。まったく、夜更かしなんてするんじゃないよ」
「Sii―――――!!!」
呆れた祖母の声は放っておいて、再びバタバタと階段を駆け上がる。自分の部屋、正確には姉と二人で使っている「子供部屋」の扉を開けて、二階ベッドの上にひょいっと顔を覗かせる。
芋虫か何かですか、と突っ込みいれたくなるこんもりとしたものがベッドにある。布団をかぶって丸くなったSii,の姉だ。グランド学園高等部の生徒、剣道部の主将も勤める女傑だけれど、以上に朝には弱い。
普段は兄二人がそれぞれ性格というか、特徴のある起こし方をしてくれるのだけれど、今日のように兄二人が先に出て、というときはが起こす。そのも寝坊したものだから、ぬくぬくと熟睡時間延長、というわけだ。
「Sii!Sii!起きてよ!ねぇ起きてってば!!遅刻だよ遅刻!まずいって!ぼく、一時間目は家庭科なんだよ!!?遅刻したら蹴り飛ばされるよ!!」
「ん〜、パンちゃん、あと5分」
「5分!?何悠長なこと言ってるの!5分でしたくして出ないとまずいのに!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ、自分の支度は出来ている。普段なら出るまでに家族全員のお弁当を作る作業もあるのだけれど、今日は購買を利用してもらうしかない。
布団を引っ張って中のSiiに必死に訴えかけるが、このSii、起こすのに十分はかかる。それでもに置いて行く、という選択肢は生まれない。Siiを気遣ってではなく、ただ単純に、上の兄から「一人で出歩くな」とキツく言い含められているからだ。特に登下校は絶対に一人になるなと念を押されている。
「Sii!Sii!Sii〜!もう起きてよ!!く・・・っ、こうなったら・・・!!」
そうこうしているうちにも着々と時間は過ぎて行くのだ、ぐっと、は覚悟を決めた。やりたくない手だが、しかし、手段を選んでいる余裕はない。
は布団の中のSiiの手を探りだし、ぎゅっと握りしめると幼い声を意識して少し高めに、つぶやく。
「お姉ちゃん、起きてよ。ぼく、お姉ちゃんとじゃないと学校行きたくないよ」
「おはようパンちゃん!!!!」
すばやい。あまりにも素早すぎる反応である。がしっと、握り返された手には引きつった笑顔を浮かべ、もういっそこのままベッドから落ちて頭でも打ってしまえと、物騒なことを考えた。
◆
校門の前に竹刀を持って仁王立ち。門を通り過ぎて行く生徒たちにおっかなびっくり眺められているのは、帽子にフード、なのにきっちりスーツを着込んでいる妙な格好の教師。いっそジャージなら熱血体育教師ですか、というところだが担当は家庭科。なのになぜか本場の体育教師を差し置いてのこの貫禄。理系は運動能力皆無、なんて先入観を鼻で笑い飛ばすような、熱血漢である。
「遅い…!!!あの二人は何をしているのだ!」
いらだったように額に青筋浮かべて、きつく道路をにらみつける。偶然視線の先にいた学生がびくっと震えたが、それはどうでもいいこと。待っている二人の人物の姿、いっこうに現れない。
「寝坊でもしたんじゃないの?夕べは遅くまで起きてたみたいだしねぇ」
その隣に、なぜか椅子をちゃっかり運び込んで座るのはやる気のないことで知られる公民教師のクザンである。授業は黒板に一気にダーッと何かを書いて「じゃこれ写して。終わったら自習。あ、この中の一問だけテストに出すから」という無茶ぶり。包丁の持ち方から栄養素の記号までばっちり解説付きで力弁するサカズキとは正反対。
この二人、兄弟なのだが似ていない。どちらが上なのかと疑問も浮かぶが、それはグランド学園七不思議のひとつ。解明されてはならぬこと、らしい。
「寝坊だと……!?だから電話をかけろと言っただろう!」
「会議中に?あのねぇ、いちおう俺らが兄妹っつーのは秘密なのよ?」
この二人、とSiiの兄である。血の繋がりはなくて八年前におつるがどこからか引き取ってきた。八年間まで「生真面目堅物人間」と「やる木撲滅委員会名誉会員」と言われていたサカズキ、クザンの二人が姉妹の加入によっていろいろあったのは、まぁそれは別の話。
今では妹たちを溺愛するバカ兄になっている。だが、だからといって教師が一人の生徒を迎えに行くわけにもいかない。遅刻者などを注意するのがサカズキの仕事のひとつ。たちもさることながら、いつもの遅刻の常連、問題児たちが今だこちらにやって来てはいない。
「はい、ロロノアー、何普通にピアスしてんの。ダメだから、校則違反だからね。サンジお前もな、堂々とタバコは辞めなさい。これ学園モノだから。出来れば髭も剃んなさいよ、一応高校生なんだから、お前さん」
「ジュエリー・ボニー!貴様何度言ったら分かる!校舎に菓子類を持ち込むな!!貴様もだ!バジル・ホーキンス!怪しげな人形は家においていけ!!」
「うちの弁当だ!」
「言い切るな!成長段階で栄養の偏ったものを主食にするなど言語道断だ!」
ばしばし、と、校門を通る生徒らに突っ込みを入れていく。それでもしっかり教育者としての発言をするあたりさすがではある。
そして続いて不良グループ、全身校則違反のユースタス一味やら、毒でも吸ったんですかと突っ込みたくなるほど顔色の悪いギン、校内で商売するのは止めてくださいナミさん、と、言った問題児たちがぞろぞろ通り過ぎていく。
しかし、とSiiの姿は一向に見えない。キーンコーン、と、ついにはチャイムもなってしまう。
「あー、予鈴鳴っちまったな」
それを背に効きながらクザンがぽりぽり、と頭を搔く。本鈴まではあと五分。校舎は広いのだから昇降口から教室まででも五分はかかる。まだ門もくぐれていないのでは完全に遅刻だ。
自分はこのままあと十分は遅刻の生徒たちをここで待つが、サカズキは確か一時間目から授業があったはず。そろそろここを去らねば間に合わないだろうと、さてどうするのか。眺めていれば、ふるふるとサカズキがこぶしを握って小さく肩を震わせていた。
「サ、サカズキ?」
「遅刻……?遅刻だと?この私の授業に遅れるだと……!?あの馬鹿者がっ!!!!」
あ、ヤベ、マジ切れ手前だ。え、普通ならここで凍らせて怒り冷却とかするのだけれど、生憎世界が違う。今のクザン、そういうオプションは生憎とついていない。
どーしようかねぇ、と首をかしげて、しかし有効的な手段も生憎思い浮かびそうにない。
一方そのころ。
「いやぁあああぁああ!!予鈴鳴ってるよ!!?ちょっとSii、どうしよう!」
「走るしかないだろう!く、キジめ!なんで自転車乗って行くんだ!!パンちゃんと二人で2ケツとかしたかったのに!」
ばたばたと走りながらとSii、なんとかかんとか支度を済ませて全力ダッシュで学校を目指していた。あの角を曲がれば門まで、というところではあるのだが、無情にも予鈴が容赦なく鳴り響いている。ぎゃぁあああと叫ぶ、Siiはその少し前を走っている。普通に考えて運動部、高校生のSiiの方がよりもかなり足が速くすでに校門に到着していてもおかしくないのだが、そこは、それ。遅刻しないですんでもパンちゃんを置いていくくらいならとそういう、心。
さてこの二人、間に合うのかどうかそれは神のみぞ知る、というところ。ばたばた走り、おっかない兄の待ち構えている校門を目指した。
Fin