さすがに大将の地位にいる生き物、カリカリと物を書くのは別段珍しいことではないが、しかし真剣な眼差しで行っているのは希有なことだ。例の一件にしっかりとが関わっていたらしいという事実、当事者ではないが関与していたクザンを問いつめようと直々に執務室を訪れたサカズキは扉を開けて、面食らった。
「あ、悪いな。ちょっと待っててくれ」
入室を許可する声はあったが条件反射のようなものだったらしい、改めてサカズキの存在に気づき、クザン、短く言う。普段のようにちゃかすような妙な言葉遣いでもない。珍しい、と口の中だけで言いサカズキはソファに腰を下ろした。サカズキの執務室にあるあの嫌に存在感のあるソファと似通った、真っ青なソファである。どうせこれを運び込んだのはだろうと想像が付き、ため息を吐く。
先の、エニエスロビーの陥落。大問題だ。麦わら海賊団については常々サカズキも注目していたところではあるが、厄介な。ローグタウンでがあの一味と一緒にいるのを目撃されたから、何かしでかすだろうとは思っていた。アーロンパーク、クロコダイルの一件などサカズキには正直大事ではなかったが、エニエスは駄目だ。正義のおこり、絶対的な「正義」の証明であったあの場所、よりにもよって、その陥落にが加わるなど。
(三日以内に顔を見せに来なければ殺す)
怒りはある。なんてことをしてくれたのだと、麦わらに対して。には、ない。顔を見せに来てしどろもどろにでもいいわけをすればサカズキがどうこうすることはない。
エニエスロビー、CP9、ロブルッチ、ガレーラにW7、オハラのニコ・ロビン、王国の遺産。この度はよくもまぁに縁の深い物が一色単になってくれたものだと、伝電虫でことのあらましをセンゴクから聞いたサカズキは呆れた。五年前からの水の都潜入作戦は知っていた。ロブ・ルッチほどの実力がああれば上手くやるだろうとさして問題にはしていなかったのだ。
さすがにまずいと思ったか、一応パンドラの体だけはがこっそり守ってモモンガ中将の船に移動させたというのが、唯一の救い。が海賊についてバスターコールを不発に終わらせるような、最悪の事態はなかったわけだ。
「時間が掛かるのなら出直すが?」
カリカリと止まぬ音、こお男が珍しく仕事でもやる気になっているのならそれを阻むのはもったいないと、そういう計算で言えば、クザンが軽く手を振った。
「あー、いや、大丈夫だ。終わる」
言ってクザン、最後にさらさらと何か書き、引き出しから取り出した印を押す。それを蝋で丁寧に封している様子から、サカズキは眉を跳ね上げた。
「例の民間人たちの処分か」
「……俺の判断だ。責任は取る」
「咎めてはいない」
「……どういう風の吹き回しだ?悪は可能性から根絶やし、なんじゃないの?」
言葉遣いが平時のものにもどってきた。サカズキ、足を組み替えて背に体重を移動する。
「アイスバーグ氏に死なれては困る」
「……なんで?」
破棄されたことが確認されたとはいえ、古代兵器の設計図を所有していたことは罪である。いや、しかし、今回アイスバーグは一言も自分が持っている、とは言わなかった。だが、そういう融通の利く男ではない。
「お前はあれが好きだろう。クザン」
「まぁね。自然系だし。っていうか、パン子ちゃんのこと嫌いな奴って、そうそういないでしょ」
「煩わしいことだ」
その言葉の意味は嫉妬、ではない。面倒だ、と、それだけのものだ。悋気を覚える必要などない、それは余裕ではなく、その、当然さゆえのこと。サカズキの顔は帽子とフードの影に隠れてよく見えない。だが、笑うような男ではないのに、不思議と笑っているように、クザンには思えた。
「笑顔をと、求める。誰も彼もが、だ。そこにあるもの偽称のものであれ、なんであれ、笑顔をと、泣くなと、求める」
「何が言いたい?サカズキ」
クザンの声が低くなる。意識してのことではないが、室内の温度が僅かに下がった。しかしそれでひるむようなサカズキではない。
「お前は、あれが傷を負った姿を見たことがあるか」
「お前さんにぼこぼこにされてる姿なら何度も」
即答。だが、しかし、確かに、ない。救護室にがいたことも、怪我をしている姿で自分のところに「逃げて」きてくれたことも、ない。サカズキに打ちのめされているところを見た、というのは、クザンが大将で、サカズキの同僚だからというだけだ。
「あれは、よく笑う。阿呆のように、太陽のように笑い、それで終いだ。それ以上はない。俺に殴られようと、死にかけようと、その姿をさらすのは只一人だけだ」
「それが、ガレーラの社長?」
「傷を負えばあれは死ねるが、私が殺そうと思わぬ限り死ぬような生き物ではない。あれの最後の時は私が決める。以外では生きるしかない。その、醜態を晒すのはアイスバーグ氏のみだ」
つらつらと、言う。何でもないことのように、しかし、譲れぬのだという強い意志。アイスバーグがいなくなれば、はどこで苦しめばいい。どこで、その傷をいやせばいいのか、そういう、事実。きっとどこにもなくなるのだろう。言えぬ癒えぬ傷は膿んで熱を発し、終いには腐る。腐敗したそれはどんな生き物になるのか。少なくとも、悪魔どもが「望む」結果にはなれないだろう。しかし、悪魔ではどうしようもない、事実。どうしたって、はアイスバーグしか、いないのだと、そう言う。プルトンの作り方を暗記していようが、エニエス崩壊の原因の一つになろうが、あの男に死なれては困るのだ、と悪の一切に容赦のない、絶対正義をつらぬく男が、言うのだ。
(……敵わないよな、ホント)
それは愛ではないのか。深い、慈悲ではないのか。クザンはため息を吐きたくなった。全く、本当に、どうしたって、敵いっこないのだ。クザンはが好きだ。愛、欲にまみれた強い意志がある。悪魔の実の副作用だと判っていても、しかし、それだけではないものが確かに己の胸にはあるのだと、そう自覚している。それはかつての王国の英知をも超越した奇跡のように、芽生えた感情なのだと自負できるものですらある、だが、しかし、それでもサカズキにはかなわぬと、そう思う。世界に、を想う者は多くいる。海軍内だけでも、夜な夜な彼女を思う者がどれほどいるのか知れぬ。だがそれら全員を束にしたところで、サカズキには、勝てぬのだろうと、クザンは認めている。
「へぇ、そうだったの。かわいいじゃない、パン子ちゃん。何、そういう劇なかったっけ?」
一度目を伏せ、机の上の手を握りしめて戻す。それだけでクザンはいろんなものを乗り切れるあきらめがもうあった。
「あったか?」
対するサカズキ、ごく平然としたもの。この男、自覚がないのだ。どうしようもなく、己がを思っていることを、気付いておらぬ。それが、とサカズキの関係、一切悪化させることも進展させることもない原因。放っておいて、クザンは己がせせこましいと思う。
「確か、娼婦かなんかだったっけ?嫌なことがあると、必ずどっかのブランドショップの前で朝メシ食うだよ。そうすると、どんな最低な気分でも最高になるとか、そういうの」
演劇を観るサカズキというのはなんだか似合わない気がするが、フードと帽子を取っ払って燕尾服を着せれば貴族と言っても違和感のない立ち振る舞いをする男。これくらい知っていて当然と教養の一つ程度という気安さにでも観ることもあるだろう。クザン、けれど演劇の題は思い出せなかった。眉毛の印象的な女優が出たと思うのだがクザンにはその女優の名前さえ思い出せない。ボルサリーノはどうだろうかと、ここにはいない数少ない同僚を浮かべるが、絶対に覚えていないだろう。いまだに腕の黒い方に話しかける男だ。
「なぁ、サカズキ」
「なんだ」
「パン子ちゃんが帰ってきたらさ、三人でご飯行こうよ。朝飯じゃなくて、昼メシでもさ。G8のジェシカさんトコでもいいし」
ぽつりぽつりと言ってクザン、サカズキが心底いやそうな顔をしていても、けれど、結局の首に縄を着けてでも一緒にランチをしてくれるのだろうと、思った。
Fin
(だから早く結婚しちまえよ!)