君が、今見ている世界は
ギンギン、と鉄同士のぶつかり合う音では眼を覚ました。眠たい眼を擦り、当たりの暗闇に一瞬びくり、と体を強張らせる。グランドラインを渡航中の船室。が寝所に使うよう宛がわれたのは程よい広さの場所だ。暗闇が恐ろしいことをディエス・ドレークは知っているはずだが、それでも、いつの間にか真っ暗闇にされていた。ぐらぐらと揺れるのは、船の上だというばかりではあるまい。あちこちから怒声、いや、正確にはお互いを威嚇しあうような声が響いている。戦闘中、ということか。は素早く判じて、眦を吊り上げた。
「ディエス?」
小さく呼んで見る。明かりが消されていたということは、ここに誰かいると悟られぬようにしてくれたということだ。暗闇の中であればは大人しくするしかない。ディエス・ドレーク少将、長年の玩具、いやいや、お守りをしてきただけあって、どうすればいいのかよく心得ている。で、あるから少将というご立派な立場になった今でも、他の者にの面倒を任せることはせず、継続させられているのだ。が呼べば、扉の向こうで誰かが吼えた。余計なことをしたか、とは首を傾げる。己を隠しておこうというドレークの意に反することだという自覚はあるが、しかし、ドレークが生きているかどうかくらいの確認はしたかった。
「そこに、いろ!!!」
扉の向こうでドレークが吼える。ギン、と剣がぶつかり合う音がした。ドン、ドン、ドン、と大砲の音が響く、響く、銃声が鳴り止まぬ。
このぼくに怒鳴るんじゃァないよ、は口の中だけで言い返し、ひょいっとベッドから降りて腕を振った。こうして自分がここにいるのばばれた以上、暗闇を続けている必要もないだろうと、小さな月明草を取り出す。
暗いのは、よくない。
ぶるり、と震えた肩を押さえ、はぽぅっと淡い明りを発する草を抱き込んだ。
ただの戦闘だろうか?それにしては、妙な気配がする。は扉からは離れて、けれども窓に近づき、そっと外を伺い見た。敵船は海賊船、であれば海軍と海賊のいつもの戦闘と片付けられるかもしれない。しかし、この自分が乗船している船が、海賊船を自ら攻撃するはずがない。挑まれれば応戦するだろうが、まず何においても、魔女を本部に送り届けることが彼らの任務である。
それであるのにこの戦闘、ということは、海賊らが襲ってきた、ということになる。しかし一目で本部の軍艦とわかる船を襲う海賊はそういない。そしてちらり、とが覗いた海に浮かんでいるのは、ドクロを掲げた海賊船、ではなかった。
「……革命軍?」
それは「自称」革命軍とは皮肉を込めてそう呼んでいる連中の船に違いなかった。一目でわかる。独特の雰囲気が、彼らの船にはあるのだ。しかし、彼らを率いるあのドラゴンのもの、ではなかろう。は鋭く眼を走らせて、船の様子を伺った。この軍艦には優秀な砲撃主が揃っている。そのお陰であまりこちらに近づけぬよう。いや、しかし一度は接近を許してしまったのだろう。だからこそ、今船内が乱闘騒ぎになっているのだ。
ドンドンドン、と、扉を叩く音がした。ノック、というより打ち破ろうという音である。
「ディエス負けたの?」
おや、存外役に立たぬ、などと外道極まりないことを言ってからはデッキブラシを構えた。ドンッ、と扉が破られたのはほぼ同時だった。弾丸のような勢いで飛び込んできた「お客様」には容赦なくデッキブラシを振り下ろす。
「っ!!待て!魔女!!私は敵ではない!!君を助けに来たんだ!!」
「誘拐犯は皆似たようなこと言うよ!!」
がしっ、とのデッキブラシを手で受け止めて、入ってきた男は一番にそう叫んだ。戦闘の後だからかあちこちが乱れているものの、目だった外傷は見受けられない。「どんだけディエス役立たず!!?」とは再度容赦ない感想を抱きながら、デッキブラシを消して男から距離を取る。革命家を自称する男、だろう。過激派か。そういう匂いがする。革命軍にも様々なタイプがいる。ドラゴンを支持している熱狂的な連中もいれば、自分の「思想」を盲信している狂信者もいる。この男、どちらかといえば後者だろう。
魔女の奪還。それを目的とする懲りない連中がいるらしいと、そういう話を思い出す。この己にちょっかいかけるなど命いらないのか、と堂々と罵ってやりたいのだが、、生憎寝起きで頭はすっきりしなかったし、それに、あまり相手を挑発するのもどうだろうか。それくらいの分別はあるつもりだ。
「誘拐ッ…!!?違う!私は間違ったことを正そうとしているだけだ!一緒に来い!私たちが君を守ってやる!!」
「『君を守ってあげるよ☆』っていうのは結婚詐欺師の常套文句だよ!」
「ならなんていえば信用するんだ!!」
必死に言われては一瞬キョトン、としてから、考えるように首を傾けて口を開く。
「『悪い魔法使いから君を助けに来た、ぼくは白馬の王子さまだよ』とか?」
「それなら信じるのか!!?」
「もちろん、金髪で背が高かったらね」
すがすがしく言い切ると、男が一瞬怯んだ。ちなみに男は黒髪である。背は、高い方だろうが、ドレークほどではない。相手の反応にはコロコロと喉を震わせて笑ったけれど、すぐに男が気を取り直して、に剣を向ける。
「抵抗しないでくれ。魔女を傷つけるのは本意じゃない」
しかし、傷つけるかもしれないという可能性を判っているのだろう。そこは、愚か者ではないようだとは眼を細める。
革命家と「魔女」はまるで正反対だ。
人が過ちを繰り返すのをただ黙ってみている。それがの悪意というもの。革命家たちは、黙ってみていることが出来ないから、声を張り上げて、高く、高く、高く「何か」を掲げるのだ。
「ばかみたい」
はこれ以上ないくらいに侮蔑を孕んだ声と、弾むようなリズムで言い切り、そして男の背後から現れたドレークが、男の頭を力の限り殴り飛ばした。
「…!!!無事か!?」
「ぼくよりも、自分の心配をおしよ。相変わらず君って、Mなのかと疑うたくなるねぇ」
荒く息をつき、全身を真っ赤にした白いコートの将校殿。が眼を細めて軽口を言えば、ドレークがの視界に傷口が入らぬようにと考慮するため、肩を隠した。別に、凄惨な傷を見たからといって、今更怯えて声を上げる己でもないというのに。
「無事なようだな」
上から下まできちんと眺めて確認し、ドレークがほっと息を吐いた。そして殴り倒した男に視線を向け、ぞろぞろと入ってきたドレークの部下たちが男を拘束し、運んでいくのを見送る。ドレークの言葉によれば、魔女奪還を目的として革命軍の過激派が襲ってきた、ということだ。幸いこちらに死者はいないが、重傷者は多かった。
「少人数で襲ってくるだけあって、手誰が多かった」
「君は死んだかと思ったよ」
「すまない。お前を危険な目に合わせたな」
の暴言を気にする様子もなく、ドレークは素直に謝罪の言葉を口にしてくる。
謝罪するべき事実はあった。だが、ドレークはけしてその通りの意味では言っていない。
魔女が革命家と接触するなど、あってはならないことだ。もしもが気まぐれを起こしてほいほい革命家についていくようなことになれば、海軍は、政府はまた躍起になって魔女を探さなければならなくなる。そうなればディエスは首が飛ぶ程度ではすまないだろう。謝罪の言葉はそのまま、への嫌味になると、ディエスはつゆほども考えないのだ。この男は、人が良すぎる、とはいつも思う。
こうして謝罪をするのは、剣を持った革命家(犯罪者)がが隠れている場所に行くのを防げなかった。怖い思いをさせた、という感情だけだ。
「そうだよ、バカ。ぼくが誘拐されちゃったらどうするのさ」
こつん、とはドレークのブーツを蹴る。傷口を蹴り飛ばしてやろうとも思ったが、見ている限り、中々酷い。いや、随分と、酷い有様だった。光に満ちた室内でなくとも、その有様が伝わってしまうほどだ。むせ返る血の匂いがドレークからする。見れば、その顔は赤黒く濡れていた。普段ならきちんと拭ってからこちらに来るはずだが、そういう余裕もなかったのだろう。
「お前が誘拐されたら、誘拐犯は苦労するだろうな」
「きみはぼくをなんだと思ってるの。我侭なんて言わないよ」
「……まぁ、お前に自覚があったら、それはそれでタチが悪いな」
あまりのいいようにはムッと眉を寄せる。しかしドレークはが膨れた顔をして見せても恐縮することは絶対になく、あちこち無事なことをもう一度確認してから、の頭に手を伸ばそうとして、血でべっどりと汚れていることに気付き、引っ込めた。
その動作が、は何だかイラだって、どん、と、ドレークの脇腹をはたき、傷口に当たったか顔を顰める隙を突いて、そのまま腕を引っ張って、自分のベッドの上に座らせた。
「…!」
「お黙りよ。重症のくせに」
ベッドに血がつく、とそれを案じる世話役の鏡のような言動を最後まで言わせず、は腕を振って、ひょいっと、サイドテーブルの上に包帯や傷薬を落とす。どうせ、今頃各所で負傷した海兵たちの手当てが行われているのだろう。そんな音を耳にしながら、は自分はドレークの前に立って、傷口を洗う。
「っ」
「痛いよって忠告した方がよかった?」
「……いや。これは、水か?」
「聞きたいなら説明するけど」
「……遠慮しておこう」
おや、とは面白そうに笑って、しかし説明する気はなかった。ただの水というわけでもない。薬草やら何かを浸しておいたもので、消毒作用もあり、そして、細胞にも働きかけるので回復がほんの少しだけ早くなる。が笑えば、ドレークが「やはり気になるんだが」というような顔をした。
はゆっくりと傷口を洗う。針で縫うのは得意ではないから、あとで船医に任せるべきだ。止血できていないところを確認し、布を当てて圧迫しながら、はあっけに取られているドレークの視線に気付き、首を傾げる。
「なぁに」
「……応急処置の心得があったのか」
「いつもと立場が逆だね。ディエス」
だから、君はぼくをなんだとおもっているのか。そう思わなくはなかったが、確かに、には必要のない知識ではあった。簡単に死にはしない。怪我も治る。
「サカズキに殴られるたび、いつもいつも、君はぼくの手当てをしてくれたね」
「そのたびにお前は、無意味なことをすると、そう言ったな」
ここ最近はあまり酷い暴力を受けることもなかったので、自然二人の会話が過去形になる。そうなって、ふと、はいつか、本当に過去形になってしまうことがあるのではないかと思った。いや、サカズキが殴るのを止める日が来る、と言うような幻想ではない。ドレークが、この男が自分の目の前からいなくなってしまって、それでも時折は再会して「あんなことがあった」と、語り合うような日がくるのではないかと、そんな、予感である。
「だって、そうじゃない?ぼくは治るのにさ。ディエスってば、自分がサカズキの前に立ちはだかって、代わりに殴られたこと、あったよね」
「よく死ななかったものだ。大将赤犬も、手加減してくださったのだろう」
「ぼくの代わりにスパンダムくんに罵られたこともあった」
「そうだったか?忘れたな。お前といると、一日があっという間に過ぎるから、誰とあったのかわからなくなることがある」
嘘つき、とは罵った。嘘じゃない、とドレークは少しムキになって言い返す。ドレークも時々妙なところで頑固だ。べしん、と、はドレークの頬に絆創膏を張って、そっぽを向く。
「ばかみたい。いつも、いつもさ。ディエス、傷作ってさ。バカみたい」
「俺は海兵なのだから、誰かを守るのは当然だ。自分が守りたいと思ったものであれば、なお更必死になるだろう」
真剣な声で言われる。思わず振り返って、は後悔した。いつもヘタレな顔しかしていないのに、ドレークは、がドレークの行動について理解できぬ、というと、理解してほしいというわけではないが、知っておいてくれ、というような、真剣な目をする。ドレークの目は濃いブラウンだ。オレンジ色、に少し近い。けれども、室内ではその明るさは目立たず、余計に、真剣な様子が強調された。
ドレークは、何かあるたびに「知っておいてくれ」と言う。理解しろ、とも、納得しろ、とも言わない。そういうこともあるんだ、と、そう言う。それだから、は何も言えなくなる。
ぐいっと、は乱暴にドレークをベッドに押し倒した。
「ッ、」
「ディエスのくせに、生意気」
「わざとか!!?!!傷口にわざと当ててないか!!!?」
「気のせいだよ」
ぐいっと、はドレークの脇腹を掌で押す。思いっきり、ドレークが顔を顰めた。かなり激痛なのだろう。呻かぬよう必死に耐えているが、額に汗が浮かんでいる。その物凄くつらそうな姿には若干気が晴れて、そのままぽすん、とドレークの胸に倒れた。
「っ〜〜〜〜!!!!」
それはもう、声にならない悲鳴をドレークが喉から出した。あれだ。鶏を絞めるときに似てるかもしれない。は満足げにうんうん、と頷いてドレークの胸の上でごろごろと喉を鳴らす。べっどりと自分の体にも血は付いて不快だが、ドレークから離れる気はなかった。
「おまっ…お前に労わりや優しさはないのか…!!」
「ふふふ、何を血迷ったことを。そういうオプションがあるなら君はとっくに幸せになってるのに」
言えば「確かに」というような顔をされた。もう一回傷口叩いてやろうかと、が意地の悪い顔をすれば、慌ててドレークがぽん、との頭に手を置く。
「悪かった」
それは、今の言葉に対する謝罪ではないだろう。しかしは指摘せず「そうだよ、ばか」と容赦なく言い返して、ぎゅっと目を閉じた。
ドレークは、最近よく自分に「すまない」と謝ってくる。最初のうちはなんに対してのものか、も考えるようにしていたが、次第に面倒くさくなって、今ではもう、自身、きっとドレークが悪いんだろうと、そう思うようになってきた。
「バギーとかシャンクスが喧嘩してね。しょっちゅう殴りあったりしてて、そのたびに、ぼく、慌ててレイリーを呼んだんだ。ロジャーは、喧嘩止めないし、クロッカスも放っておけっていうから、レイリーじゃないと止まらなくて」
応急処置の心得があることを驚かれたので、は昔のことを思い出す。あの頃のことを、海軍本部ではあまり口に出さない。懐かしい名前を呟けば、ドレークが顔を顰める。一つ二つを覗いて、今では誰もその名を知らぬ、という者ばかりだ。だけれどサカズキとは違い、ドレークは何も言わず、ぽん、との頭を叩いた。
「そうか」
「そうなの。それで、大体バギーのほうがやられてるから、手当てするんだよ。シャンクスは悔しそうでね。それならバギーに殴られればいいのに、って言い返したら、あの子、それはそれでシャクだって、言うんだよ。あの子も子供っぽいところがあってねぇ。でも、昔から強かったんだ」
思い出して、知らず、の目が細くなる。懐かしい記憶である。あの頃、それだから応急処置の仕方を思い出さずにはいられなかった。誰のことも助けたくはないと思っていたのに、あの二人の子供はの意地をあっさりと崩して毎朝毎晩、心配させた。
ゆっくりと息を吐き、はごろん、とベッドの上に仰向けになる。ドレークの大きな腕が隣にあったので持ち上げて、自分の掌を合わせる。大きな手である。サカズキのほうがもっと大きいが、ドレークの手とて十分、の倍以上はある。
「ねぇ、ディエス」
「なんだ」
「これからもずっと、ぼくがサカズキに殴られたら、助けてくれるの?」
触れた腕の筋肉が一瞬強張ったのをは気付かぬフリをして、そしてじっと、ドレークの目を見つめる。濃いブラウンの瞳は一瞬大きく見開かれ、こちらの言った言葉を理解し、そして、言ったの真意を探り、愕然とする。その感情の揺れる様をありありと見つめてから、ふいっと、は顔を逸らして、ドレークに背を向ける。それでも、腕だけは頭の下を通して掴んでいるので、そのままに、そうして、血にまみれた手を、指を開いて、ゆっくりと、自分の手を当てる。
その手を自分の喉に押し当てて、小さく、小さく、息を吐いた。
「冗談だよ、ぼくは、王子さまなんて待っていないもの」
どうせまた、いつものように「すまない」と言うのはわかってる
Fin
・作業BGMは二/息/歩行
(2010/04/13
00:10)
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