頭痛がすると今朝方は姿を見せなかった。

魔女の定期的な持病であると、船長は放っておいている。それであるから、いつもどおりのこの風景。レイリーはため息を吐き、いつもどおりの朝食風景、騒々しい海賊(仲間)たちの光景を眺めながら、肉の奪い合いをするシャンクスとバギーの頭を同時に小突く。痛い、とすぐに反論するのは赤い鼻の少年で、がとりわけ可愛がる見習いである。道化師のような顔立ち。道化の面相。それでもあまりくだらぬことをいっているという自覚のないところが、あの退廃的な魔女の神経には面白いのだろう。小突けば不服を露にし、バギーが唇を尖らせる。

「だって、レイリーさん。こいつが悪いんだぜ。折角のメシを食わねェで、取っとくって言ってんだ」
「しーっ!バカ!バギー!黙れよ!!!」

朝食は戦場じみたものがある。特に見習い海賊ともなれば、すぐに自分の分を平らげてしまって、甲板掃除やらなにやらに出なければならない。仲間はいつも腹一杯食べられるようにと常々レイリーは気をつけているけれども、育ち盛りの青年ら、出される分だけでは足りぬこともあろう。であるから、バギーは食べないのなら、と奪おうとした。それはまぁ、ある意味正しい。しかしながら、シャンクスの、赤毛の、いつもきらきらとした目をする少年の考え、わからぬレイリーでもないのだ。

バギーの口を押さえ、シャンクスがそっとレイリーの顔を伺う。悪いことをしている、とは思っていないのだろうが、しかし、叱られるやもしれぬ、という思いはあるらしい。レイリーはめがねの奥の瞳を細めて、何も言わずにただ、唇に手を当ててウィンクをした。その仕草にシャンクスがほっと息を吐いて、笑顔を浮かべる。そういう風に笑うのがこの少年にはよく似合うとレイリーはいつも思う。騒がしい食堂内からそっとシャンクスが出て行くのを見送って、レイリーは先ほどまで彼が座っていた椅子に腰を下ろす。

「ん?レイリーさんもここで食うのか?」
「いや、なに。たまにはな。バギー、何か面白いことがなかったか聞かせてくれ」

誰のものか知れぬジョッキを手にとって、レイリーは道化の鼻の少年に顔を向ける。バギー、一瞬シャンクスの行方が気になったようで、追いかけようというような顔をしたが、レイリーと、シャンクスの行方とのどちらを取るか天秤にかけるまでもない、と、即座の判断。嬉しそうな顔をして、最近自分が小耳に挟んだ財宝の話をし始めた。






恋せよ青少年!!!とか言ったら雰囲気台無し!!





騒がしい食堂から随分遠ざかった。船の奥の、奥の方。ひっそりとしている。薄暗い廊下を進みながら、シャンクスは腕に抱えたパンや肉を落とさぬようにと気をつけ、ひっそり、ひっそりと奥へ進んでいく。途中だれぞと通り過ぎることもない。この時間、皆食事中だ。ロジャー海賊団は全員まとめて食事をするのがならわしになっている。楽しいことは皆で味わおうと、そういうもの。

その席に、今日は魔女の姿がなかった。

。具合はどうだ?」

目当ての扉の前まで来て、シャンクスは癖のある髪を撫で付けながら声をかける。何の変哲もないただの扉。しかしその奥にいる人のことを考えれば自然、シャンクスの鼓動が高鳴った。返事はない。寧ろ、気配もないような、静けさ。けれどよくよく耳を澄ませればほんのり、と、小さな寝息のようなものが聞こえてくる。

少し巡回してから、シャンクスは扉に手をかけた。見習いたちの使う部屋のような乱雑さはないけれど、色とりどりのガラクタ、魔法のアイテムのような、妙な不思議な、奇抜なものが散乱した部屋である。魔女の部屋と、その通り。様々なものがひっちゃかめっちゃかになっている。シャンクスは入り口で靴を脱いだ。毛の長い絨毯の上をそっと歩く。進んでいけば、窓の近くには大きなゆりかごのような、寝台がある。ふわふわとしたクッションやら毛布に埋もれるように眠る、赤毛の少女。近づいてみれば気付くかと思いきや、それはなかった。

「……」

シャンクスはベッド脇のテーブルに持って来た食べ物を置き、その寝顔を眺める。魔女は暗闇が恐ろしいそうで、必ず明りの漏れる場所で眠っているそうだ。今は日も出ている。硝子窓から光がこぼれているが、は別段まぶしそうにするわけでもなく、地図かな寝息。真っ白い頬はいつもよりも若干青白く思え、そういう目で見れば、健やかな寝顔というよりは、眉を潜めて、何か傷みと戦っているようにも感じられた。

副船長のウィンクを思い出す。一人でここに来ようとしていることを気付かれたはずだが、咎めはしなかった。それどころか、普段二人一緒で行動させられることの多いバギーを引き留めてくれたようだ。そのことが、シャンクスには妙に、こそばゆい。あの人はきっと何もかもお見通しなのだろう。

シャンクスは手を伸ばして、の暖色の髪に触れる。自分の髪とよく似ているが、鮮やかさはのほうが上だった。きらきらと、光を受けて輝いている。シャンクスは自分と似たの髪が好きだったが、一番好きなのはの青い瞳であった。眠るままでは見れないけれど、しかし、目覚めてくれたとして、その瞳が己を見ることは滅多にない。それを承知の上で思えば、こうして間近に、ただ黙っているにせよ、いることのできるこちらのほうが幸福なのだろうか。

「……なんて顔を、しているんだい…?」

「おはよう、シャンクス。今日は頭痛が酷くてね。何かあったのかい?」

思考に沈むシャンクスの耳に、ぱちり、と眼を開けたの静かな声がかかる。普段布の奥でくぐもった声であるが、この部屋で、そしてが安全だと判断している限りでは、はショールもフードも、マスクもつけない。少し甲高い少女の声、眠り続けたためか少し掠れている。その声が自分の耳に入る込むのをじっくりと待ってから、シャンクスは首を振って、一緒に持って来たラム酒の瓶を取った。

「喉渇いてんだろ。飲めよ」
「…ふふふ、病人にお酒はよくないと思うけどねぇ」
「……悪ぃ。これしか持ってこれなかったんだ」

いつもを起こしにいくのはバギーとシャンクスの仕事である。けれど、今日はの具合が悪い、とクロッカスに伝えられて、シャンクスはいつもの頭痛であるとはわかりつつ、それでも心配だった。頭痛を抱えるときの魔女に構うものではないとバギーなどはさっさとその存在を忘れたが、しかし、食事をしながらもずっとシャンクスは、のことが気になった。薄暗い部屋の中で顔を顰めてが寝ているのだということが、気になった。

それで、見舞いのつもりでやってきた。何も食べていないだろうから、とあれこれ用意もしたかったが、自分で集められるのはたかが知れている。

「ぼくに味覚はないのだから、気にしやしない。きみはちゃんと食べたんだろうねぇ?」
「あぁ、もちろ、」

言いかけて、ぎゅるぎゅる、とシャンクスの腹が盛大になった。ぷっ、と、が吹き出す。普段の嫌味ったらしい含み笑いではなくて、素の笑い声であるが、シャンクスは顔を真っ赤にした。

「ま、待った!!今のはなしだ!!!聞かなかったことにしてくれ!!!」
「ふ、ふふ!はは!あはは!!おや、まぁ。シャンクス坊や。ぼくに色々持ってきてくれるのは嬉しいけどね、きちんと君が食べてくれなきゃだめだろうに。ふ、ふふふ」

横たわった体勢のまま、が声を上げる。「はぁ、おかしい」と目じりに浮かんだ涙を拭い、顔を真っ赤にしてそっぽを向いているシャンクスに手を伸ばす。細い小さなその手を、シャンクスは握り返した。

「からかったわけじゃァないよ。不機嫌にならないでおくれ」
「べ、べつに…怒ってねぇよ」
「そうかい。ふふ、おや、今日はバギーは一緒じゃないんだね?どうしたんだい?あの子、怪我でもしたのかい?」

そこではいつもシャンクスと一緒にいるあの騒々しいバギーのことを思い出したのか、心配そうに眉を寄せて問いかける。

きっと、バギー一人で来たのなら、自分のことを思い出して同じような顔をしてはくれないのだろうと思いつつ、シャンクスは肩を竦めた。

「あいつなら食堂でレイリーさんとメシ食ってる」
「おや。そう。無事ならいいんだ」
「呼んでくるか?」

実際、シャンクス当人は呼んできたいとは欠片も思わなかったが、が否定してくれるのを聞きたいがばかりに問いかけた。はその青い目を一度じっとシャンクスに向ける。こちらの思惑を悟られているようでシャンクスはバツの悪い思いがした。けれど、は何も言わず、緩やかに首を振って息を吐く。そのまま目を伏せて眠ってしまうかと思ったが、は天井を見、そして握り締められたままのシャンクの手を引いて目の前に掲げる。

「頭痛が酷くてね。今はバギーの騒々しさがちょっと神経に障りそうだねぇ」

バギーがいなくても今はいい、とそういうに、シャンクスは顔をゆがめた。そして、バギーがいなくてもを楽しませることはできるんだ、と知ってほしくて口を開く。もっと気の利いた話を、普段であれば出来るはずなのに。の前では、シャンクスはなぜかバカなことしか話せなくなる。くだらない話を、あれこれとしてしまう。そうではなくて、そうじゃ、なくて。もっとこう、が退屈しないだろう話をしたいのに、なぜか、上陸した島が本当は島じゃなくて大きな海がめだった、というような、話をしてしまう。

は「そう」と小さく頷いて眼を細めるだけだ。楽しませられないのか、と妙に不安になる。

「俺、あんまり喋らねェ方がいいか?」
「殿方というものは黙っていた方が良い味出してると思うけど、それはナイスミドルになってからでいいよ」
「ナイス、ミド……?」

頭痛で辛いと言う割りには、妙にその一行をきっぱりと言い切る。聞きなれない単語にシャンクスは眉を寄せたが、すぐにが「レイリーみたいな人さ」と言ったので、深くは突っ込まないようにした。がゆっくりと息を吐く。目を伏せれば、真っ白い瞼がはっきりとわかり、赤い睫が頬に影を落としていた。その様子をじっと見つめていると、がころころと喉を鳴らす。ぱちり、と青い目が開く。

「見ていて楽しいものでもないだろうに。ずっといてくれるのかい」
「……仕事、あるんだ」
「そうだね。知ってるよ」

海賊見習いの一日は多忙だ。食事を終えたらすぐに働き出して、一日中休まることはない。体を作るためだと思うし、食事も美味く感じるのだから文句はないけれど、今この時間が一秒でも長くなるのなら、シャンクスは今後ずっとバギーの隣で寝ても良い。(いびきがうるさいんだ、あいつ)

「手」
「あ、悪ぃ」

シャンクスは未だにの手を握り締めていることに気付いて、慌てて放そうとするけれど、その手をぎゅっと、が掴む。

「手を握り返して。ずっと、傍にいて」
「ずっと?」
「そう。ずっと」

の青い目がじぃっとシャンクスを見つめる。その中に自分が写っていることが妙にこそばゆい。シャンクスが頷けば、はふっと吐息のような笑みを漏らした。花が散るような笑顔を時々はする。そのたびにシャンクスは鳩尾の辺りが苦しくなるような感覚に襲われた。きらきらと朝日がの髪を輝かせる。真っ白いシーツが光を反射させている。それであるのに、妙に真夜中の気配がする。

たまらずに、シャンクスはぎゅっと、の手を握り返した。大嵐の日に、これを握っていなければすぐに海に振り落とされる、と言うときよりも強く握る。は痛がりはしなかった。ただ、ぎゅっと、強く握るシャンクスの手を、おずおずと握り返す。

「頭痛がね、するんだ」

顔を伏したシャンクスの頭を、空いたもう一方の手で撫でながらがぽつり、ぽっつり呟く。小さな声だ。消え入りそうな声だ。ぼんやり、とシャンクスはそのの真っ白い頬を見つめる。

時々、は酷い頭痛に寝込む。何が原因なのかシャンクスは知らない。時々が悪態をつくように「ノアの所為だ!」と言っているのを聞くけれど、シャンクスはノアが誰かは知らなかった。そのたびに、投げつけられたクッションをひょいっと避けるレイリーさんが困ったような顔をして「やつ当たらんでくれ」と言う。頭痛のとき伏せるの見舞いに、船長が来たことは、シャンクスが知る限り一度もない。

「どうすりゃ、治るんだ?」

定期的なものだとクロッカスさんは言っていたが、けれど、治す手立てはないのだろうか。そう思ってに聞けば、きょとん、と青い目を幼く、丸くさせてが「ふふ」と小さく笑い声を立てる。

「少しお腹がすいたかな。君が持ってきてくれたもの全部は食べられそうにないから、一緒に食べてくれると嬉しいんだけどねぇ」

魔女は気まぐれだ。聞きもしないことを言うのに、こちらの問いには答えぬことのほうが多い。は、さっと身を起こして、上にかけてあったショールを肩みかける。病人のような顔色をしはいるけれど、その顔はこれ以上の詮索をけして許さぬ、魔女の強い顔である。シャンクスはため息を吐くことも出来ず、椅子を引いて持って来たパンをナイフで割った。

バターも盛ってくればよかった。それに燻製肉もあれば、もう少し豪勢な食事になっただろうけれど、やはり自分ではこれが精一杯である。はパンを受け取ると、丁寧に礼を言う。どんなときでも「ありがとう」という言葉を忘れないのがだった。シャンクスも軽く頭を下げる。

ぱりっと、乾燥したパンを齧る。おんなじものをが今目の前で食べているのだと思うと、普段よりも美味く感じられるから不思議だ。またぎゅるっと腹が鳴った。がころころ、と喉を鳴らす。そのたびにシャンクスは顔を赤くしたけれど、はあえて指摘しなかった。それが、また恥ずかしさを増す。わかってやっているのかもしれない。

そうして二人で、あまり上等とはいえない食事を分け合っている。そうして暫くして、コンコン、と控えめなノックの音がして、副船長が林檎一つを手土産に部屋にやってきた。

「そろそろ上に出んとまずいだろう?シャンクス」

立ち上がるシャンクスの赤い髪をくしゃり、と撫でて、レイリーが退室を促す。はシャンクスと繋がっていたほうの手をひらひら、とさせて「またおいで」と言ってくれた。けれども、あとは夕食時に少し時間があるくらいで、に会いにくる時間が取れないことは、シャンクスもレイリーも、判っていた。

部屋を飛び出し、一度ちらり、と部屋を振り返る。

先ほどまでシャンクスが座っていた椅子に、レイリーさんが腰掛けていた。その大きな手がしゅるしゅると、林檎の皮をむいていく。ゆっくりと、静かで低いレイリーさんの声がした。は綺麗に剥けていくリンゴの皮を眺めて、二、三度、笑う。

その光景から顔を逸らして、シャンクスは甲板まで走り出した。





Fin