クラウン:ホワイトフェイス 派手な装飾を施された扉の向こうに意識を集中させて暫く、突然聞こえた、絶叫と何かが倒れる音。この身分では不相応、承知のこととは理解していたが、居ても立ってもいられず、条件反射のような素早さで部屋の中へ飛び込んだ。 「魔女殿!!お怪我は…!!!!」 公式の場であるゆえに、呼称も平時よりは形式ばる。扉を蹴り破り中に入り込めば、即座にドレークの身は床に叩き付けられた。ガヅン、と容赦なく両肩を腕と足で押さえつけられ、床に額を付ける。中の状況を把握したいと思う心が強く、ドレークは自身に圧し掛かる黒いスーツの男を乱暴に払い、膝を立てた。 「魔女殿の無事を確認させていただきたい!!!私は大将赤犬より彼女の身の安全を、」 「ぎゃああぁああ!!死ぬ!!死ぬ!!絶対骨が折れた!!このこの雌ブタめ!!!このおれを殴るなんて絶対許さねぇぞ!!!」 有権者らの場にたかが少将風情が突然乱入するなど後の軍法会議もの、それをわかっていて、それでも第一と踏み込んだドレークの耳に、まず入る、情けない、泣き声のような悲鳴。は?と、とりあえずドレークはその声で我に返った。 豪勢な造りの応接間。絨毯、カーテン、椅子の調度品などすべて一級品、金だけではなく手間もかけていると一目でわかるその場所、縁は金細工の施された机の上、用意されたティーセット、薄い磁器のカップには未だ湯気の立つ琥珀色の美しい液体、三段セットにはそれぞれ甘い菓子類がおかれていた。エニエス・ロビー司法の塔、重要人物を招くにふさわしい応接間である。その、椅子の一つが倒れ、その付近には紫の髪に、黒を基本色とした格好の男が一人、頬を押さえてのたうち回っていた。この塔の主、CP9長官のスパンダムその人である。その男から少し離れた場所にはドレークが案じたが居た。顔を俯かせ肩で必死に息をしている。左拳を強く握り、少し赤く腫らせているところから見ると、がスパンダムを殴ったということだ。それもぐーで。 「……、」 ドレークは眉を寄せる。やはりを一人きりになどするのではなかった。悔やまれる、しかし、そうだといって実際にドレークが、この場所に同行することは立場上不可能であった。それもわかっている上で、ドレークはを一人きりにした己を責める。 「ディエス少将をお放し、ジャブラくん」 「放すなよジャブラ!!バカ女の命令に従うのか!!?お前の上司はこのおれだぞ!!!?」 顔を俯かせたが、ちらりと扉の下のドレークとそれを押さえ込んでいるCP9を見、目を細めて呟いた。ドレークは一瞬己を押さえつける力が弱まったことを感じたが、しかし直後に叫ばれたスパンダムの言葉に再度力が戻る。それを見届けての眉がぴくりと動くが、ドレークは無言で首を振った。自分のことなどでが不利になることなどあってはならぬ。 「パンドラ」 緊張するその場に、すっと動いたのはこの場で最も若いだろうロブ・ルッチであった。まだ二十前半。CP9にはもう少し幼い者もいると聞くが今この場にはおらぬ。ロブ・ルッチ、スパンダムとの間に身を進め眉を顰める。 「そうだルッチ!!さっさとその女を捕まえろ!!!この俺様を、CP9長官の、お前の上司のこの俺様を殴ったんだ!!現行犯で捕まえろ!!!」 スパンダムは嬉々として声をあげ、上半身を起こしながらを指差す。不味い状況だ、とドレークはあせる。ロブ・ルッチといえばを敬愛していて従順過ぎることで知られているが、しかしそれでもCP9として誇りの高さはドレークも知っている。さまざまなものを天秤にかけ、今はスパンダムの命令を聞く方が良いだろうという結論を出されればどうなるか。焦燥、額に汗を浮かべるドレーク、は一度苦々しくスパンダムをにらみつけそのままぐっと、ルッチに腕を取られた。が警戒するように眦を上げれば、ロブ・ルッチ、その視線を受けることも恐縮とばかりに膝を突く。 「グローブなど着用されていない場合、拳で殴るのは危険です。掌を使い、垂直に突き出すようになさらねば、あなたの手が傷つきます」 「こんな感じ?」 「いえ、こう、脇を絞めて突き出してください」 「何教え込んでんだルッチコラテメェェエエェエエエ!!!!!」 スパンダムの絶叫が再びエニエス・ロビーに響き渡った。 ++ 「で、まぁ、百歩譲ってやって、テメェがこの俺様を殴ったことはまぁ、犬に噛まれたようなモンだって諦めてやってもいい。責任は問わねぇ」 「きみを殴った所為でぼくの手が痛んだんだけど、その責任は取りなよ?」 ふん、と、仕切りなおしとばかりにソファに座って傲慢に言い放つスパンダム。その言葉を一呼吸置いてかみ締めてから、がにこち、と微笑を浮かべ首を傾けながら、いっそう傲慢に続けた。その身は、ロブ・ルッチ以外のCP9に後ろから押さえ込まれている。膝をつけ、両腕を左右一人ずつに捕まれている滑稽な格好でありつつもの圧倒的な自尊心・傲慢さは欠片も消えていない。その態度と言葉にぴくり、とスパンダムのこめかみが引きつった。 「わかってねぇな、この、バカ女。今、てめぇが俺様にしたことがどれだけの罪か」 ドレークは一人動くことが出来なかった。当然、の今の状況は自業自得、ではある。たとえ「悪意の魔女」たる彼女でも、司法の塔の長を害する権利は持ち合わせていない。世界の敵の基本的な義務と権利は「誰からも憎まれ・何者からも守られる」ことである。法の番人そのものに対して暴力を振るうことは、許されていない。それでもスパンダムを殴った、となればの身は拘束されねばならなかった。 ここに赤犬が居れば、とドレークは思う。ここに彼女の保護者である海軍本部大将赤犬サカズキが同席していれば、がスパンダムを殴ることなどなかったろうし、そして殴ってしまったといえど、を目の前で押さえつけられることを許す赤犬ではない。あの男がひと睨みするだけで何もかもが解決しただろう。ドレークは己の無力さに歯軋りをした。ロブ・ルッチといえば先ほどの行動を年長の眼鏡をかけた男に咎められているが、まるで気にした様子もない。むしろ今を押さえつけている同僚の顔をしっかりと覚え後で闇討ちする気満々、といった様子であった。それなら今すぐしてくれればいいのだけれど、と、そんな物騒なことを考えているドレークの耳に、のか細い悲鳴が届く。 「っ……!!!!!」 じゅっと、肉の焼けるにおいがした。ドレークは目を見開く。スパンダムが身動きの取れぬの肩に葉巻の火を押し当てたのだ。 「本来なら焼印を押してでかでかとテメェが罪人たることを知らしめてやりてぇ」 「……こんな熱、すぐに消える。きみ程度の熱意じゃ、このぼくには何も残せやしないよ」 額に脂汗を浮かべ、肩で荒く呼吸をしながらが、それでも気丈に呟いた。しかしドレークは知っている。は、確かにその身に及ぶすべての傷を治すことが出来る。しかし炎、火、による傷は、本来そのものとの相性が悪いらしい。刺され切られ、殴られることは慣れるというが、それでも火傷、とりわけ己の肉の焼けるにおいをかぐだけで、その心は強烈な恐怖に襲われる。今も叫びだしたいのを必死に堪えている、というのがドレークの目には分かった。ぎりっと、掌を握り締め、ドレークはあとで自分が降格されること、左遷されること、何もかもを承知で、の前に身を滑り込ませた。長身のドレークではこの長官を見下ろすことになる。それではさらに機嫌を損ねることはわかっていたので、膝をついた。 「それ以上は、お止めください。スパンダム長官」 「あァ?なんだテメェ、このバカ女のお守りの分際で俺様に指図しようってのか?なんで止めなきゃなんねぇんだ。このクソ、バカ、女はこの俺様を殴ったんだぜ?CP9長官、エニエスロビーの主人たるこの俺を、世界一の犯罪者が殴った。許されていいのか?海軍があるのは政府のお陰だろ?その政府が定めた司法の塔の長がこの俺様だ!!!」 がっ、とドレークの頭をスパンダムが殴り飛ばした。避けることなど造作もないことだが、避ければ後ろのに当たる。堪え、踏みとどまるとスパンダムが詰まらなさそうにドレークを見下ろして唾を吐き捨てた。さすがにそれは受けたくなかったのでそっと身を動かして回避すると、を押さえつけていたCP9の一人の靴に付着する。何か叫び声が聞こえたが、聞かなかったことにしよう。 「っけ、だらしねぇ。それでも海兵か?犯罪者どもを殺すのが海兵の仕事だろうってのに、こんな罪人を庇うてめぇはイカレてやがんなァ。あぁ、そうか、テメェ能力者か?自然系、肉食の動物系は魔女に惚れちまうっつーからな」 下卑た言葉ではあるが、ある意味その通りでありドレークは何も言わなかった。 背後の一人が緊張したのが分かる。ロブ・ルッチではない。確か、CP9にはもう一人、魔女の飢餓に苦しむ諜報員がいると聞いたことがある。その一人だろう。魔女の飢餓、口に出せばスパンダムの言うとおりなのだけれど、しかし、実際はそんな単純なものではない。覚悟がなければと言葉を交わすことすら出来ぬのだということを今この男に説明したところで、論点がずれるだけのこと。また、魔女と能力者との絆は、互いのみが知っていれば良いことでもあった。この男の理解など、いらぬ、とさえ思う。そこに妙なドレークの意地さえあった。いや、正確に言えば、その飢餓とて人によって種類がまるで異なるもの。ロブ・ルッチの絆とドレークの絆はまた違う。まるで違う、個別の、それこそが魔女と己だけの確かなものである。他人に語る必要などなく、また、穢されたくはないことだ。下卑たこと、揶揄るのならそれもかまわぬ、とドレークはその言葉を無視した。そんなドレークの態度にスパンダムは苛立たしそうに口をゆがめ、ぐっと、ドレークの額の髪を引っ張って掴む。 「俺はテメェよりも偉いんだよ。その俺様がこのボケ女をどうしようと、テメェがどうこういう権利はねぇんだ。悔しかったら俺様より偉くなってみろよ!!海軍将校!!いくら強くてもなぁ、権力なんだよ、この魔女をどうこうするのに、力なんざ必要ねぇんだ!」 以外の人間に罵られるのは随分と久しぶりだとドレークは冷静に感じていた。普段ドレークはの身の回りの世話・監視・お守り・警護を任されている。しょっちゅうの癇癪に合うし、赤犬の理不尽な嫉妬の対象にもなってきた。それから比べればスパンダムの仕打ちなど優しすぎて仕方ないのでそれはどうでもいいのだが、しかし、この状況が続けばいずれスパンダムの糾弾はに向けられる。それは回避したかった。 「お言葉ですが、スパンダム長官。私は大将赤犬より、の身の安全を常に確保するようにと申し付かっております。彼女を害する者は大将に弓引く行為と同じこと。彼女を責める言葉はそのまま大将を批難すると同じことと、そのように扱うように、たまわっています」 本来、このようなことは言わずともスパンダムは承知していることであった。しかし頭に血が上っている、または、どさくさにまぎれてをどうこうしてしまおうと、そのような心積もりに他ならなかった。 は確かに罪人である。途方もない罪悪を重ね、彼女の何もかもが正義とは正反対に位置するもの、彼女のその行動の正反対にあるものこそが尊き正義であるというもの。彼女の悪があり、初めて正義の定義が確立されると、そのような、陰陽。その証明者たるは確かに罪人、と言葉にすればそのように、であるけれど、しかし、だからこそ、は誰からも守られなければならない。を守ることが正義の存在を確立することである。そのことを誰よりも知っている赤犬は、だからこそ、を傷つける何もかもを許さぬと、そう強く告げていた。ドレークは、赤犬がを守る、その心がそれだけではないように思えるが、しかし、スパンダムが承知しなければならぬ現在の事実はその一つである。 「彼女の身を守るのは私の武力ではありません。大将赤犬の掲げる絶対的正義の名です」 「余計なことをお言いでないよ、ディエス・ドレーク少将。ぼくの前をお退き、ぼくは赤犬のことなど関係なしに、今日はスパンダム長官と話をしに着たのだからね」 見事に決めたドレークの背を、がづん、と、の自由になっている足が蹴り飛ばした。それはもう、完全に油断していただけに、効く一撃である。ドレークは息を詰まらせ、若干涙目になってを振り返った。 「ひ、人が場をうまく収めようとしている中、お、お前は…!!!」 「お黙り。さぁ、スパンダム長官、このでしゃばりは一方的過ぎるおせっかいが趣味でね。彼の言葉は今は忘れて結構。場を収めて先ほどの話をもう一度したい」 「なら立場をわきまえろ。俺はもう一度テメェなんぞと同じ高さで話を聞いてやる気はねぇんだ」 この数分ではいささか冷静さを取り戻したらしい。その身が膝をつかされる屈辱と本来の目的を天秤にかけどちらをどのように飲み込むべきかを判断している。青い目が冷静に物事を判事、そしてゆっくりと、は二人のCP9の腕を払った。 次の瞬間の行動に、ドレークは目を見開く。 「ぼくの願いは唯一つ、CP9長官スパンダムどの。水の都から一切の手を引いて頂きたいのです」 かたりと靴が床をはじく音さえなかった。 滑るような滑らかさ、それと従順さを持って緩やかにが片膝を付きこうべを垂れる。普段他人を、たとえ見上げても圧倒的な高圧さ・傲慢さを隠しもせぬ強者の目を、今はただ静かに伏せて、手をつく。これほど見事、とさえいえる礼の取り方は王に絶対の忠誠を誓う家臣とて出来ぬもの。あまりにも、完璧な、まがい物さなど感じられぬ、礼であった。 「どうか、お願いします」 あのが膝を突いた。先ほどまでの、他者に強要されてではなく、自らの意思で膝を床に付けて頭を下げる。言葉遣いすら畏まったなど、そんなこと、がするはずのないことだ。いや、してはならぬこと、ですらある。気付けばドレークだけではなく、スパンダム以外、この場に居るすべての人間がの行動に驚き、声すら失っていた。 一ヶ月前、水の都を舞台とする極秘任務がCP9に下されたらしい。重要任務ゆえその存在すら知られてはおらぬこと、それを、が知ったのが三時間前のことだった。誰がの耳に入れたわけではない。 は毎年半年に一ヶ月、水の都に滞在する習慣がある。そのときばかりは魔女としてのすべての義務も権利も捨て、生活することが許されている。彼女の、たった一つの「自由」であった。 四時間前、彼女は毎度のことながら水の都に行き、いつも通り古馴染みである船大工に挨拶をした。 三時間三十分前、続いて彼女が向かったのは数年前に彼女自身が引き取り育てた孤児、今は古馴染みの船大工の下で船大工の見習いをしている青年の職場であった。 三時間前、彼女はその「養い子」の隣に、本来であればいるはずのない、馴染みの顔を見てしまった。ドレークは今回の滞在中を守るようにと赤犬から使わされた護衛として、その一部始終を見ている。 「古代兵器の設計図。それをアイスバーグが持っているというのなら盗めばいい。けれど、CP9を、闇の正義の執行者たちを、アイスバーグとパウリーの周囲に置かないでください。お願いします」 そして二時間前、は止めるドレークの制止も全く聞き入れず、魔女が大将の同行がない限り近づいてはならぬ場所のひとつである、エニエス・ロビーに飛び込んだのである。 ドレークは、と水の都の関係など知らぬ。だがしかし、彼女の「養い子」の隣に、当然のように、ドレークも良く知るCP9のロブ・ルッチが、当たり前のように、「仲間」として立っているのを見たとき、そして彼女の「養い子」がそのロブ・ルッチを、に向かって照れくさそうにしながら、友人だとそう、紹介したときのその、の様子を、ドレークはただ黙って、見て、そして、咄嗟にの腕を引き、本部へ戻ろうとした。だがはそのドレークの腕を振り解き、ただ一人でデッキブラシにて、エニエスへ向かったのだ。ドレークは海列車にてそれを追い、そして、その、冒頭に至る。 「ぎゃは、うはっはっははははは!!!見ろよこの魔女のザマ!!!あの「悪意の魔女」がこの俺に跪いて懇願してやがる!!!」 屈辱で震えることすらせず制止するの髪を掴み、スパンダムが狂喜したように叫んだ。苦痛でがほんの僅かに顔を顰める、その顔にスパンダムは唾を吐き捨てた。 「ぎゃははは!!!何の冗談だよ!?このクソ女!テメェのような化け物が、たかがくだらねぇ人間二人のためにこの俺にすがり付いて!!!みっともねぇなァ、おい!!!写真でも捕ってやろうか!!?」 スパンダムは面白そうに腹を抱えて笑い、乱暴にの顎を掴んだ。 「バカかテメェ、なんだってこの俺様が罪人なんぞの、それも、てめぇみてぇななんの権力もねぇ奴のお願いなんて聞かなきゃならねぇんだよ?バーカバカバカ!!!!身の程を知れよバカ女!!!!」 ぐっと、ドレークは足を踏み出す、しかしそのドレークをの手が制した。何もするなと、そう命じる仕草。顔は相変わらず従順に伏せたまま、それでもドレークの介入を拒むことをはっきりと態度で告げる。 「お願いします」 「テメェのその言葉になんの価値がある?確かに、あのが膝を突いてるなんて状況はサイコーに気分のいい眺めだがな。だが、それで俺様の地位が上がるか?金が入ってくんのかよ?」 その通りだと、ドレークも思った。噂で聞いている。この男は自己顕示欲が強く、また出世に対する欲求が並ではない。武力ではなく頭脳、権力こそが最高の力であると信じて疑わぬ、典型的な政府高官のタイプだった。 本人には、なんの地位も、または資産もない。この男が満足する「餌」を支払うことなど当人には不可能なのだ。 「俺様はなァ、テメェが気に入らねぇ一番の理由は、テメェがもってるコネを何一つ使おうとしねぇからだ」 「……それは、ぼくの力や価値ではないから」 「バッカかテメェ!?ツテなコネなんてのはなァ、使えるだけ使うもんなんだよ!!!普通の人間じゃ絶対に手に入らねぇようなコネクションをテメェはいくつ無駄に持ってる!!!?今こうしているときだってそうだ!!俺に直接話をする!!?バカが!!!!」 興奮したのか、スパンダムがの髪を乱暴に離した。どさりと崩れるを見下ろし、その頭を踏みつけてスパンダムは憎憎しげにつづける。 「俺に頭を下げるより先に、テメェは大将赤犬や、テメェのご機嫌取りに始終必死な七武海にでも泣きつきゃァよかったんだ!!そうすりゃ、テメェ大事な連中はこの俺様に、途方もねえ取引材料をくれただろうよ!!!それをテメェは何だ!!!?」 スパンダムの悲鳴を聞き、ドレークはやっと理解した。CP9が直接ターゲットに接触せずとも、彼らの有能さであれば、いや、彼らの特権があれば、その極秘任務とやらはそれほど難しいことではないのではないだろうか。の言葉からすれば、何か、アイスバーグ氏の所持品を回収するということ。当人はそれを拒否、あるいは否定しているということだろう。ならば乱暴な話ではあるが、実力行使という手もある。それを疎むCP9ではない。それなのに態々潜入捜査としたその意味。 (に対して、水の都という巨大な人質を取ったと、そういう話だったのではないだろうか) ぱしん、と、乾いた音がした。 ドレークは我に返り、とスパンダムに顔を向ける。まさかスパンダムがついにに手を上げたのだろうかと案じたが、しかし、そうではなかった。 「わかった。理解したよ、くだらぬパンダの長官どの」 「テ、テメェ…!!!この俺をまた殴りやがったな!!!!!?」 「殴ったよ。うん、そうだよ、ぼくはキミを殴り飛ばした。それがなんだい?このぼくのすることに口出しをする?ただの役人風情が、えらくなったものだよねぇ。ふ、ふふふ」 はスパンダムを張り飛ばした姿勢のまま、目を細めて傲慢に言い放った。 完全にノリノリである。 「キミがぼくのささやかなお願いを聞きいてれくれないと決まりきった上でキミに傅く意味があるかい?ぼくにそんな趣味はないよ、気色が悪い。ぼくの上にいていいのはサカズキ一人、それ以外はぼくの足元に這い蹲るのがお似合いだと思うんだ」 ひょいっとが腕を振ればスパンダムの体が回転し、地面に、それこその言葉どおり這い蹲った。上から何か重しでも載せられているのか、身動き取れぬようになっているらしい。そして当然、その被害はドレークたちにもおよび、なぜかドレークやCP9たちまで見事に床と親しくさせられる。 「こ、この俺様にこんなことしてただで済むと思ってんのか!!!?」 「お黙り」 ぴしゃり、、とさえぎりがスパンダムの頭を踏みつけた。 その楽しそうな様子にドレークは顔を引きつらせる。つい一寸前までのあの従順さ、あの完璧な服従っぷりはまさに本物だったが、しかし、今ののこのノリノリな外道っぷりには輝きがある。なんでそんなに生き生きとしているんですか、とあきれたくなるほどだ。 しかも「さっきはよくもあんなことさせやがって」と、勝手にしたのはどう考えても見ても当人だというのに、その不服やらなにやらが一方的な付加価値となっているよう。 「ただで済む、だなんて思ってはいないんだ。でもねぇ、考えてごらんよ?パンダの長官。ぼくがキミを殺したところで、ねぇ?それでぼくがインペルダウン送りになろうと、拷問を受けようと、ギロチンに運ばれようと、ねぇ、それ、なんの意味があるんだい?」 まさに、まさしくその通りだった。 には確かになんの地位も権力もない。スパンダムの言うようにそのコネクションだけが唯一彼女が持っているものとさえいえるが、しかしそれ以前に、そんな、人間社会の単純だがはっきりとした力よりも前に、まず、は「意味を感じない」という原点があった。 誰に何をされたところで、どう罵られたところで、嫌われようと、なんだろうと、は気にもしないのだ。だから、彼女はどこまでも傲慢に振舞える。 「お、俺が一言命令すりゃ、テメェの大事な「水の都」だって消しちまえるんだ!!」 「愚かに過ぎるねぇ。賢さがキミの売りではなかったのかい?キミはぼくが「お願い」しても聞いてくれはしなかった。そうなると、ぼくは水の都を救うことはできやしなかった、その事実だけが決まってしまったということなんだよ?」 「お前のガキが死んでもいいってのか!!?」 「その前にぼくがキミを殺す」 優しいの声など、この状況ではまず聞きたくもないものだった。は悪夢を払う聖母のような穏やかな声で、スパンダムの髪を掴み顔を吊り上げる。苦痛と恐怖に引きつる顔や、叫びを上げる唇をそっと白い指先で押さえ、目を細めた。 「それでキミの父親が怒り狂おうともね、ぼくに意味などあるかい?ぼくは死なない、政府はぼくを殺さない。ぼくの目の前で、ぼくへの報復のために、キミの父親やキミを擁護する人間が、ぼくの大事なひとを殺したとしても、ねぇ、パンダの長官。ぼくは、そんな連中の死を確実に看取るほど長く生きるんだよ?」 「だ、だからなんだ!!?俺に手を出してみろ!!!テメェのガキは絶対に生かしちゃおかねぇぞ!!」 「え、でもひとって、必ず死ぬからねぇ?ちょっと早くなっただけだろう?」 「ちょ、ちょっと待て!!ならなんで最初俺にお願いなんて……!」 明らかに虚言ではなく当然、というような様子のに、スパンダムが困惑した。それも無理からぬこと。は必死にアイスバーグや養い子の身の安全を確保しようとしていた。スパンダムに膝をついてまで頼み込んだ、その何もかもを、あっさりと諦める。はおかしそうに口元を手で多い、声を上げて笑った。 「決まってるよね?出来る限りは生きて欲しいと思ったから。でも、それがかなわないのなら、まぁ、仕方ないよ。ぼくは人の死なんて慣れっこだからねぇ」 「は、はァ!!!?何、わけのわからねぇ…できるかわかんねぇのに、テメェが頭を下げたってのか!!!!?」 理に合わぬ行動である。狼狽し声を上げるスパンダムに、が微笑みかける。 「ぼくの思考がまともだなんて過大評価してくれているのかい?ふ、ふふふ、ぼくは魔女だよ。とうに心を病んでいる。筋の通った言動なんてもう久しく、していない」 ころころと喉を振るわせたはスパンダムから離れ、軽やかな足取りでドレークのもとまで近づくと、身動き取れぬドレークの腕を掴んで立たせる。 「お願い、聞いてくれないからねぇ。それならここにいるのは無駄だよ。帰ろうか、ディエス」 +++ 本部へ戻るための船に乗り込み、自室に引き上げたを追い、ドレークは扉を叩いた。数時間で海軍本部の港・マリンフォードに到着する。本来の予定であれば水の都への一ヶ月の滞在をそのまま続行するべきだろうが、ドレークは今のの状況は一度赤犬の元へ返すべきだと、そう判断した。 に宛がわれた部屋はドレークの部屋の隣である。広さはそれほどではないが、真夜中でも月明かりがこぼれるようにとの配慮がされている部屋だ。 「、話がある」 「ぼくはないよ」 「俺にはあるんだ。入るぞ」 一方的にいい、ドレークはの部屋に足を踏み入れる。すぐに、の悪戯でも発動するかと思えば、何事もなく、珍しくドレークは無傷のままがうつぶせになっているベッドに近づくことができた。真っ白いシーツの上に、小さな子供が蹲っている。ドレークが近づくと、ふわりと薔薇の匂いがした。 「女性の部屋に入ってくるなんて、ディエスには礼儀がないね」 「お前が眠るときはけして一人にはするなと赤犬から言い含められている」 「放って置いて」 「そんなことをすれば俺の首が、溶かされる」 その答えが気に入ったか、が顔を伏せたまま小さく笑った。機嫌は、悪くはないのだろうか。しかし談笑していて平気で他人の神経を抉り出すのがだ。ドレークはベッドの端に腰掛けて、の赤い髪を眺めた。 (なぜ、あんなことを?) 問うことは容易い。エニエス・ロビーでが長官に危害を加えたということはすぐに、本部にも伝わるだろう。スパンダム長官が理に何をしたのか、は、が口に出さぬ限り誰にも知られることはない。また、ドレークが直接赤犬に告げることは、できなかった。赤犬はが自分に隠し事をすることを許さない。つまり、が言わぬのなら、ドレークが告げるべきではないのだ。ドレークはの肩に手を伸ばす。スパンダムが葉巻の火を押し当てた場所を探すが、やはり、もうどこにもなかった。 「政府の決めたことだからね。ぼくがどうこうすることはできない。アイスバーグくんに教えるのはルール違反だ。そのくらいの分別はあるよ」 何も言わぬドレークを無視して、が顔を伏せたまま、小さく呟く。先ほど傲慢にスパンダムを足蹴にしていたときとは違い、冷静な、世を見る魔女の声である。 これから彼女がしなければならぬこと、をドレークもそろって考えた。あのスパンダム長官はの訴えを聞き入れることなどしないだろう。そしてを特別視する有力者たちは、たとえが懇願したとしても、協力はしない。それは明らかだった。スパンダムはが一言何か言えば、自由に権力者たちを動かせると、そう信じている。しかし、そうではない。 彼らはみな、確かにを守ろうとはするだろう。しかし、の大切に思う者、を助ける気は誰にもないのだ。 「なら考えないと。潜入するメンバーにルッチくんが居たことをぼくは喜ぶべきかな?あの子は、ぼくに嫌われたくはないだろうから。ぎりぎりまで強行突破はしないだろうしね」 そのことをは誰よりも良くわかっている。だから誰にも頼らない。彼女に必要なのはパトロンではなくて共犯者だと、そういう話を昔、まだドレークがのことを知るずっと前に、聞いたことがある。誰からか、それはもう、覚えていない。 「何か強力な、盾を作らないとね。状況が人を殺す、だからアイスバーグくんは狙われてる。なら、状況で彼を守らせないと。彼は今、ガレーラという会社を立ち上げている。ぼくに出来ることは?そして、アイスバーグくんはほかに何を必要としているのか?」 ドレークの存在など忘れたように、めまぐるしくの脳が回転しているのがわかった。状況把握、パーツの整理、整頓に長けた老女の声である。ドレークは、この様子なら程なくは普段どおりの冷静さを取り戻すだろうとそう確信した。 「ねぇ、笑いなよ、ディエス」 そうして黙したまま何もいえずにいるドレークに、が横顔を向けて、小さく呟いた。真っ青な目は面白そうに、細くなっている。あどけない少女の顔、愛らしい様子にドレークは眉を寄せる。 「どうした?」 「このぼくが、怖がっているんだって、ねぇ、おかしいだろう?」 小さな掌がドレークに差し出された。受け取り、握り返すことはできない。そんなことをすればどうなるのか、ドレークは知っている。魔女の目を、ただじっと見つめ返した。が差し出した手を握り返す、というその行為は、けして、してはならない。 の様子が、変わる。先ほどまでの落ち着き払った様子は消え、また、水の都で一瞬見せた、狼狽する姿、でもない。きつく歯を食いしばり、目を閉じる、カタカタと体を震わせて、それでも声ばかりは普段どおりの傲慢さ。 「おかしい、ねぇ、ディエス。世に飽いた悪魔のようなこのぼくが、怖がってる。あの二人を、失うかもしれない、そのことが怖くてしかたない。笑いなよ、ディエス」 ドレークは、と水の都がいったいどんな関係なのか、それは知らない。だがが、本当に大切にしていることは、知っていた。 答えぬドレークにしびれを切らしたのか、体を起こし、がドレークの胸倉を掴む。 「怖いんだ。失うことなんて、慣れてる。目の前で体中の血を抜かれて、だんだん顔が白くなって、ぼくの顔を見ることもできなくなる、そんな殺し方をされたことだってある。どのみち、ぼくよりも先に死んでしまうのはわかってる。それなのに、ぼくは怖い」 は握った手が真っ白になるほど強く、ドレークのシャツを掴む。カタカタと音を立ててかみ合わぬ歯。ドレークは、水の都からが虚勢を張っていたことを、気付かされた。彼女の言葉を借りるのなら、スパンダムに頼み込んでもどうしようもないのなら、もう醜態を晒す必要がない、弱さを知らせる必要はない、とのそのプライドだ。 「わかる、かい?ぼくの大事な、大事なパウリーくんの隣にね、正義の殺し屋だなんて呼ばれているロブ・ルッチがいたときの怖さ。ルッチくんはぼくを好きだけど、でもね、でも、彼はぼくがお願いしても、スパンダムくんの命令があったら、パウリーくんを殺す。アイスバーグくんが協力しなかったら、あっさり、殺してしまう子だ…!!!!」 ロブ・ルッチのへの服従っぷりをドレークは思い出す。先ほども、そうだった。だが、の言うとおりだろう。怖いんだ、とそう何度も繰り返し、が唇をかみ締める。 「このぼくが人を大切に思うなんてバカげているだろう?笑えよ、ディエス少将」 八つ当たりだ。 それは完全に、理不尽な、かんしゃくだった。ドレークはに首を揺さぶられ、どん、と、そのまま床に押し倒される。はドレークの胸にまたがり青い目を大きく見開いて、こちらを見下ろしてくる。 「なぜ、笑わなければならない?」 は誰も救うことが出来ない。それを、わかっているのだ。いや、そうであると突き付けられ続けてきたではないか。昔、海列車を作った魚人が死んだとき、彼女の乗船した船の船長が死んだとき、はるか昔、彼女を島から連れ出した植物学者が死んだとき。 「俺は、おかしいとは思わない」 ドレークは震える小さなの頭を撫で、ぽつり、と天井を見上げながら口を開いた。普段のプライドをかなぐり捨てても、水の都にいる、大切な二人を守りたいのだろう。なぜそれを、笑う必要があるのか。 ぴたり、との体が強張った。ドレークの首から手を離し、眉を寄せてじっと、見下ろす。何をばかなことをこのバカは言うのだろうかと、そんな、困惑したような顔をしている。それが面白いといえば面白かった。ドレークはゆっくりと右手を持ち上げて、ゆるゆるとの前髪を払い、耳にかけてやる。 「ここは笑うところ?ねぇ、ディエスってプラス思考」 茶化さずにはいられないのかこいつは、とドレークはため息を吐いた。それで、上半身を起こしてをベッドに座らせると、そのまま手を取って軽く持ち上げた。 確かに、魔女が、世に悪意をばら撒き、ひとを陥れることを娯楽とするような魔女が、他人を思い、このように必死になる姿は滑稽だろう。道化が物語のメインたる竜でも殺しに行くようなものだ。そんなことは、ばかげていることだ。だがしかし、ドレークはを笑う心などなかった。 ドレークは、と水の都の関係など何一つ知らない。だがしかし、彼女が毎年クリスマスの贈り物や、その養い子の誕生日など何かしらのイベントには欠かさずカードを送っていること、それを選んでいるときの彼女の横顔のあどけなさを、知っていた。 魔女が優しい心を持つことは、愚かなことなのだろうか。 エニエスの長官は、のその懇願を嘲笑った。らしからぬことと、無力を突き付けることであると、そのように一蹴にした。けれどドレークは、その、が、あの、時に膝をついた時の様子が、まるで慈悲深い母親の姿を見るようであったのだ。 ドレークはの体を抱きしめ、目を閉じた。何をしてやれるわけではない。わかっている。ドレークの地位では水の都からCP9を退けることは出来ないし、上官へ進言することもできない。しかし、ただ黙って抱きしめる。小さく震えていたが、ぎゅっとドレークの背、服を握り締めた。 「……ばかみたい」 Fin クラウン:サーカスにおける道化 ホワイトフェイス:道化の種類 ・年始…ぐーだらしすぎてスランプになったという、一葉デス。 (2010/1/5 17:40) |