※ この話には他サイト「GROLIA」の幼女な夢主ミアちゃんと、すてき海兵ギルバート大佐が登場します。基本的に世界設定はこのサイト。夢主・オリキャラ2人のみお借りしました。
……許可は取ってますよ!
「来れないって、ねーぇ、どういうこと?」
きょとんと愛らしく小首を傾げ瑠璃の瞳を幼く輝せる、その様子はどこまでもあどけないのだが、問われた人物は途端全身からびっしょりと冷や汗をかいた。
「はっ……そ、それが、その……」
「どうゆことかな?ねぇ、不思議だよね。このぼくがひと月以上前から楽しみにしてたっていうのに、なんだって当日ドタキャン?いったいいつから君たちはそんなたいそうな身分になったのかな」
口元だけはにっこりと微笑みしかしその青は霜を下したかのように冷え切っている。午後の海軍本部、その奥に位置する大将元帥らの執務室の並ぶこの棟、その大将赤犬の執務室の隣にこの部屋がある。造りは白一色、壁から床天井、扉さえも白で統一され、海軍本部全体がワノ国の建築文化を取り入れている中、異色である。その部屋の主の寝所から持ってきたらしい玩具が無造作にあちこちに散らばっている。乱雑に扱われてはいるが魔女の道具だ。一つで軽く島を破滅させかねない厄介なもの。うっかり足で踏みつぶそうものならどんな災いがあるか知れぬ。魔女にとって「良い知らせ」ではない報告を持ってきた海兵はそれらを踏まぬよう気を付けながら入室し、日の当たった絨毯の上でクマのぬいぐるみの手足を引っ張っている少女に只管平伏した。
なんだって自分がこんな目に合わなければならないのか。
この海兵、半年前にめでたく准将に昇進した。歳は壮年、若いころは海に蔓延る海賊たちをばったばったと倒し検挙し、近年やっと武功が認められて海軍本部にやってきた。それで周りには「遅咲き」と言われながらなんとか将官クラスに上がり、自分の船を持っていつか大将赤犬のような海兵になろうと志す、そういう真っ当な男。もちろん将官クラスであるからパンドラへの謁見も済ませている。だから目の前の、この、見かけは自分の娘より幼い少女がどんな生き物であるのか、それは知っている。(しかし彼はまだ「准将」として生きた時間が短い)頭ではわかっていても、年端もいかぬ幼子に必死に頭を下げ、命乞いのような声を出している自分に苛立ちがあった。相手は子供ではないか。仮にも報告を受ける立場ならそれなりの身構えをするべきと、そう男は考えている。それなのに少女は子供特有の我儘を振りかざし礼儀と言うものをこれっぽっちも心得ていない。そんな人物相手になぜ自分は下手に出なければならない。そう憤る気持ちがふつふつとわきあがり、男は伏していた顔を上げた。
「ドレーク少将は海兵としての仕事を全うするために外出されているのだ。そもそも正義の海兵が子女の我儘に付き合う時間などあるわけが、」
きっぱりと言いこの無礼な子供に大人の社会というものを突き付けてやろうと思った。周囲が甘やかすからここまで我儘になっているのだ。一度誰かがしっかりと叱る、それこそが正義とそう男は判断した。それで口を開きつらつらとよどみなく、朗々と語って数秒後、男はぎくり、と体を強張らせる。
「ま、きみに聞いたってわからないよね。ふふ、下がっていいよ。教えてくれてありがとうね」
弾むように響く笑い声と深い海と同じ色の瞳が向けられる。浮かべられている表情も声も明るい。別段仄暗さなんてこれっぽっちもない。しかしその青い目がきちんと男に向けられた途端、ぞくりと全身に恐怖がかけのけた。言葉を、いや、呼吸することさえ止めなければならぬ。そういう威圧感があった。己の中の「正義感」が一目散に消え失せ、代わりに強く湧き上がるのは「逃げなければ」と思う心。これまでどのような海賊・悪を相手にも抱いたことはない。だが恥と思えなかった。その途端、ふさり、と男の肩からコートがずり落ちる。少女が青い目で見つめていた。
お姫さま+魔女+王子さまになれない野郎が二人=これってどんな物語?
「悪ぃな、急に呼び立てて」
カツカツと海軍本部一般海兵の宿舎へ繋がる廊下を歩きながら少し前を行くスモーカーがぽつり、と口を開いた。日差しの強い午後のこと。ドレークは一か月かかった遠征から本日やっと機関。普段であれば報告を終えそのままの部屋に行きあれよこれよと土産話を披露することになっているのだけれど、マリンフォードの港に着いたドレークを、珍しく同期の桜、腐れ縁ともいえるスモーカーが迎えた。
「いや、珍しいものを見れたからいいさ」
「なんだ、珍しいもんってのは」
「お前が途方に暮れたような顔をして港に立ってたからな。飛び込めなくてスネてるのかと笑い出しそうになって大変だった」
言えばじろり、とスモーカーが振り返って睨む。白猟の、なんぞと猛々しい二つ名を持つ海兵の鋭い眼光であるが馴染み深いドレークには脅威ではない。
実際の所、港で見た顔はそうあからさまではなかった。ただいつも通り葉巻を複数ぷかぷかとふかし何ぞ考え込むような姿勢。それを周囲は「何か問題を抱えているのだろうか」「眉間に皺が寄っている。海賊のことを考えているんだろうか」などと思うだろう。そういった評価が一般的だ。だがドレークは、何度も言う様に古馴染みであるゆえにスモーカーの表情が良くわかる。本人や周囲もわからぬ程度の変化、困惑し「どうする」と悩み悩み考えて、一向に良い答えが出なくて困っていると、そういう顔だった。
それでつい気になって、自分の帰還の挨拶もそこそこに「どうした?」と声をかけてみれば、スモーカーは一瞬何か思いついたように眉を跳ねさせ、ドレークに「ちょっとついてこい。お前、子守りが得意だろ?」とそんなことを言ってきた。
「時間はそうかからないんだろう?」
思い出してドレークは内心苦笑する。なぜか昨今、自分のスキルに「子守り」というのが加わっていて、それが周囲の事実になっている。肯定すると独身海兵としていかがなものかと思わなくもない。睨んでからやや歩みの早くなったスモーカーの背に問いかけると、スモーカーは「あぁ」と生返事を返す。何やら歩きながらあれこれ考えているようだ。そういえば改めて考えてみると、スモーカーから「子守り」関係の相談、あるいは何か頼みごとをされる、というのは妙ではないか。今更な疑問にドレークが首を傾げると、スモーカーが「おい、ドレーク」と肩越しに振り返った。
「ん?なんだ」
「お前が面倒を見てるっつーガキはどれくらいだ?」
「なんだ、唐突に」
「いいから答えろよ」
無遠慮だとは思ったが己らの間柄、今更遠慮もない。今でこそ階級は違うが訓練兵時代は一緒にあれこれ若気の至りをしもした。真面目なドレークをスモーカーがからかい、ヒナやボガードと4人で出かけたこともある。思えば紅一点のはずのヒナがなぜか一番恐ろしくて誰も女扱いはできなかった。懐かしい、と思い出しつつ、ドレークは質問の答えを探す。
スモーカーの言う「面倒を見てる子供」というのはのことだ。もちろん将官ではないスモーカーは世界の敵、悪意の魔女の存在を知らない、知らされていない。しかしドレークが「誰かお偉いさんの子ども」を預かったと、そういう認識はしている。基本的に海軍本部「奥」と部類されるエリアから出てこぬだけれど、時折いろんな騒動を起こし、表の方でも姿を目撃されている。それであるから「海軍本部に出没する妙な子供」の話と「ドレークが面倒を見ている子供」の話、これらを合わせて、スモーカーは「なんぞ厄介なガキを背負っている」と判断しているらしい。あながち間違いではない。
「どれくらい……そうだな、十歳……程度か?」
実際年齢はドレークも知らない。ウン百歳以上だというのはなんとなく察している。とりあえず外見年齢を答えるとスモーカーが「同じくらいか」と呟いた。そしてドレークが何か聞く前に続けて口を開く。
「そのくらいのガキってのは、どんなんだ」
一体何が聞きたいのだ。昔からストレートな物言いをする時もあれば、まるでわからぬ言い回しをするスモーカーである。文句を言わず答えていればわかるのか。ドレークは歩みを止めぬまま、とにかく答えることにした。
「そうだな、普通の子どもはどうだか知らないが、彼女はよく笑う。いや、笑うと言ってこう、人を幸せにするような笑顔じゃないんだ。人を小馬鹿にして足蹴にして、それを心底楽しむ悪魔のような…まぁ、それも彼女らしくていいといえばいいが…あとよく動く。普段ちっとも自分の足で歩かないというのにこと人を、とくに俺をおちょくるためなら全身全霊、体力全てをかけてちょこまか動いて翻弄してくる。何度見失って怒鳴られたことか…すまんスモーカー、言ってて泣けてきた」
あれ、目頭が熱いぞ☆とドレークは袖で目を拭う。直接の世話係から外されて久しいが、本当よく自分は何年もあの我儘俺様何様様なあの悪魔っ子とやっていけたと思う。
「……悪戯ばっかするもんか?」
「まぁ、子供なんだ。人の気を引きたくてしかたないと思えばかわいいものだ」
「そういうもんかねぇ」
「あぁ。それは、悪戯をした時は叱るが…あの楽しそうな顔を見ているとこちらも楽しく…は、まぁ、ならないな…あぁ、ならんが、そうとでも思わないとやっていけなかった。なんでモモンガ中将のコートに墨汁をかけるんだ。なんで青キジの自転車をパンクさせるんだ。なんでセンゴク元帥のヤギに橇を引かせて乗ってるんだ。なんであいつはおれが誰かに怒られている時が一番いい顔になるんだ」
ドレークが軽いトラウマスイッチを押しかけたことなどスルーしてスモーカーが眉間に皺を寄せる。こちらの回答になんぞ気になることがあったよう。ドレークはそれを拾い上げて肩を竦める。の実際年齢はさておいて、ふざけている時の精神年齢はまさに10歳児そのものだ。あの頃の子どもは悪戯をするものとドレークは悟っている。
話しながら歩いているとスモーカーが目的の場所についたことを告げた。海軍本部、表、中、奥と3つに部類されるのなら「中」となる海兵たちの宿舎だ。階級別に広さも違い、スモーカーが立ち止まったのは大佐クラスの海兵が使用する部屋である。スモーカーも大佐だが、基本的にローグタウンに本拠地を構えるスモーカーは本部に宿舎が設けられていない。ドレークは自分たちと同期で現在大佐な海兵を思い出そうとしたが、その前にガッシャンッ、と部屋の中から何かが割れる、叩きつけられる音がした。
「……なんだ?」
「またやったのか、ミア、入るぞ!」
この時間海兵たちは訓練、あるいは執務中であるはずだ。部屋に誰かいる。となれば持ち主が普通だが、上記の理由によりそれはおかしい。まさか海軍本部にコソ泥が入るわけもないのだが、不審な音。しかしスモーカーはさして驚いた様子もなく障子に手をかけて、すっとスライドさせた。
「………なんだ?墨、か?」
部屋の中は薄暗い。日当たりの悪い部屋ではないのだが、その理由をすぐにドレークは悟った。元々は畳張りのそれなりに広い部屋である。それが現在真っ黒に汚れていた。だから部屋の中が暗く感じる。ドレークが目を細めると、部屋の中には誰かいるらしい気配がわかった。ミア、とそう言えばスモーカーが名を呼んだ。女名だ。
(子供?海軍本部に?)
もぞっと部屋の隅で動くものがある。泥や墨があちこちに巻かれ、上にあっただろうものは全て下に落ちている。空き巣が入ったってこうはあれないという室内、その墨に分厚い蒲団を被って蹲っているのは小さな子供のようだった。くいっとスモーカーが顎で子供を指す。
「俺の知り合いが面倒見てるガキの、ミアだ。ロクに口も利かねぇのはまァいいが、度の過ぎる悪戯を繰り返して最近じゃ手を焼いてる」
「面倒を見ているのは大佐なのか?」
「あぁ。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろ。シャンク・ギルバートだ。あいつが預かってる」
出された名前に即座にドレークの頭は「脱獄の」という呼び名を思い浮かべた。彼の噂を聞いたことがある。海軍将校で、けれど何ぞあって投獄された。ドレークは赤犬の傘下であるから、ガープ中将の下にいたというその海兵と付き合いはなかったけれど、その当時妙な噂をの耳に入れぬようにと上から厳命された覚えがある。その後、確かギルバートという「囚人」は脱獄し、驚くべきことに再度海軍本部海兵になったのだ。
耳にした噂はあまりいいものではない。噂を重視するドレークではないのでその辺はどうでもいいのだが、実は一度、目にしたことがある。あれはなんだったか。確かまだ「再復帰」してから間もないころ。ガープ中将と歩いているギルバート大佐と遭遇し、准将であったドレークは形式上の挨拶を受けた。その時のことを、よく覚えている。態度が悪いだの常に殺気立っているなどはいいとして、まるで世界中を敵に回しているようなそんな目をしていた。これはよくないと顔を顰めると察したガープが目じりをほんの少し下げた。見守られているとそれがわかり、ドレークは自分が関わることではないと、それっきり。
そのギルバートがこの子供を預かっている。それは、一体どういう冗談だろうか。
「ギルバート大佐はどうした?」
とりあえずドレークはギルバートに対する偏見を持たぬようにしようと一度目を閉じてから再度部屋を見回す。荒れ放題。いったい何日放置すればこうなるのかわからぬ。預かる、と言ったその過程をドレークは知らぬが、仮にも子供を預かったのなら責任を持つべきだ。自然語尾が荒くなると、スモーカーが葉巻を消して柱に背を預けた。
「任務中だ。明日帰る」
「その間この子を一人きりに?」
「いや、最初はちゃんとお守がついてたんだがな、このありさまであっという間に逃げ出した」
普段であればギルバートはミアのことを考えて傍から離れぬらしい。しかし今回どうしても外せぬ、さらには中々危険な任務が入り連れて行くわけにもいかぬので留守番をさせることになった。もちろんギルバートはきちんと人に任せあれこれ指示をしたのだけれど、ミアの「悪戯」あるいは「癇癪」に耐え切れず、また本来の海兵の仕事ではない!と任せた者たちが音を上げたらしい。
「ほっとくわけにもいかねぇ。どうしたもんかと考えてるところにお前が都合よく帰ってきた。ドレーク、こういうの得意なんだろ?」
「いや…俺も海兵で、別に子供がいるわけじゃないんだが」
それに一応自分はスモーカーより階級が上の海兵なんだが、とドレークは空しい主張をしてみる。一応上官であるが、まぁ、やはり配慮はされないんだろう。言葉にすれば「子守りしろ」と言われているこの状況にドレークはなんと反応していいかわからなくなった。それに、引き受けてしまえば明日そのギルバートの帰還まで身動きが取れなくなる。別に差し迫った仕事があるわけでもない。一か月の遠征を終えたドレークは一週間ほど休暇が約束されていた。だから時間に問題はない。スモーカーもそれを知っている。だが、当初ドレークの予定としてはこの一週間はにあててやるつもりだった。
いろいろあってドレークが直接の世話役を外されてから、はどんな海兵が次の「世話役に」と拝命されても頑として受け付けなくなり、聞き分けが悪くなった。時折ドレークが訪ねる日を心待ちにしている。(その日のために大量の悪戯と嫌がらせを考えているそうだ)被害にあいたくはないが、を寂しがらせていると自覚があってドレークはしのびない。それでできる限りの休日をのために使おうと、そう考えていた。
訪ねるのが遅くなる、というのは伝言を頼んでいるから(いくらでも)少しくらいは待つだろう。だがこれ以上遅くなれば癇癪を起こし、うっかりそのままが黄猿と苛立ちまぎれの喧嘩、なんて展開になったら目も当てられない。
「………」
だが、だからといって目の前の子どもを見捨てるのか。
薄暗い、己であえて暗くした部屋の中でひっそり息をしているその子供。ドレークは眉を寄せ、スモーカーを一瞥した。
ギルバート大佐とスモーカーがどれほど親しいのか知らないが、自分が時折参加する飲みの席で会ったことがない以上、海兵、という身分を越えた関係、友情はないだろう。だから本来スモーカーがこうして「気に掛ける」必要はきっとない。しかし態々ドレークに声をかけてここまで連れてきている。スモーカーなら部下に命じることも容易かろうに「適任者」をきちんと考えての人選。スモーカーなりにこの子供のことを気にかけている、というのがわかった。それなら自分は、まぁ、スモーカーの友人であるのだし協力してやるべきだ。
それで部屋の中に入る。スン、と鼻をつくアンモニアの臭いがした。畳が一部妙に変色、濡れている。まさかここで放尿したんじゃなかろうかと一瞬考え、いや、しかし、仮にも女の子なのだからそれはないよな?と少々混乱した。
ゆっくり進んでいくと、部屋の隅、毛布の塊がぴくり、と動いた。一点この少女に向かっていくのはよくない。明らかに怯えている、いや、警戒している。全身の毛を逆立てて相手の動きを探る猫のようだ。ドレークは膝をつき、姿勢を低くするとぐるりとあたりを見渡した。
部屋の中は中々酷いありさまだ。スモーカーはこのミア、という子供が酷い悪戯をして手に負えなくなっている、とそう言った。だが、ドレークはそうは思わない。
(これは違うな)
子供特有の悪戯や癇癪ならドレークはで慣れている。相手をからかい倒す、自分の好奇心、欲求のために好き勝手にふるまう。子供の悪戯とはそういうものだ。無邪気、という言葉が似合う。しかしこの子供、ミアという小さな子供の「仕業」はどれもこれも「悪戯」ではない。そうわかった。
暴れた、というより、故意に汚している。どう違うのかと言えば、暴れる、癇癪、というのは理性がない。だからあちこちがでたらめに壊れていたり汚れていたりする。しかしこの部屋の中はそうではない。きちんと「どこをどう汚そう」「どう壊そう」と思考の末のこと。それがわかる。
だが、何のために?
は実際のところ「子供」ではないが、その言動は「子供だから」という偏見を持って考えるとあれこれ区別がくつ。しかしこの「子供」は違う。そう直感的に感じた。
子どもだから、という前提で思考を巡らせれば答えは出ない。では「大人」とそう思うのか。それも違う。その判断の「前提」になるべくは、「ミア」だから、という、それこそ当人を知らねば理解できぬものではないだろうか。
(何かを探っている)
そう、それはわかる。だがドレークは今初めてミアに会ったくらい。(まだ声もきいてない)判断できる材料はない。どんな経緯でこの子供がギルバートに引き取られるようになったのか、そんなことすら知らぬのだ。スモーカーに聞けばわかるだろうか。多少なりともは。だが、それが「正解」ではないとドレークは判断した。そう、この子供の、一見の「悪戯」に「答え」を出すのは自分の役目ではない。何しろこの子はドレークと出会う前からこういう行動をしている。と、いうことはこの「問題」を出されているのはドレークではなく別の人間。誰か別の「誰か」に、ミアは、この小さな少女は問題を出し続けているのだ。
ゆっくりとドレークはため息を吐く。目を伏せ、そしてため息と同じくらいゆっくりと目を開き、少女を怯えさせぬようゆっくりと後退する。
「………スモーカー、悪いんだが、大将青キジに言付けを頼めないか」
「あ?」
とりあえず、今日中にのところに行くのは無理そうだ。「いろいろ複雑」とそう判断した子供を放っておくのはドレークの正義に反する。それでできるだけの機嫌を損ねぬように何をすればいいか考え、懐から紙を出しサラサラとしたためて行く。紙は二枚。一枚目には青キジに。二枚目はにだ。青キジにはこの手紙を魔女へ取り次いでほしいという旨、には「今日はそちらに行けない。あとで何でもしてやるからとりあえず今日一日くらい大人しくしていてくれ本気で頼む。何かしたら俺の胃がやられてそっちに行ける日が限られるぞそれでもいいのか。土産話や土産もしっかりあるから、本気で頼むから、土下座でもなんでもしてお願いするから大人しくしていてくれ」と熱を込めた文字で書いた。
そしてそれを丁寧に畳んでスモーカーに差し出す。
「少将から大将への連絡だ。頼む」
一応スモーカーは大佐である。頷かぬわけにもいかず、ため息交じりに受け取って「今度奢れよ」と言った。ドレークがミアを害する恐れがないことをわかっている。自分を遠ざける、という意味もあるのだろうと敏い海兵は理解し、そのまま出て行った。
去っていく足音を聞いているのは自分だけではないだろう。ドレークは子供がきちんとスモーカーの足音を聞き終えるのを待ってから、部屋の窓を全て開ける。
がらり、と太陽の光が入り込み部屋中を照らした。
子どもが喉から悲鳴のようなものをあげて毛布をすっぽり頭にかぶる。もちろんドレークはとめない。したいようにさせる。それで、ひっくり返っている椅子を窓際に引きずってそこに自分が腰掛けた。ミアの位置から対極線上であるが部屋の隅と隅のため腕を伸ばしても届かぬ距離である。
「少し話をさせてくれないか。おれはドレーク、スモーカーと同じくここの海兵だ」
ミアは答えなかった。ただもぞもぞと毛布を動かし、安心できる、あるいは安全と思える位置を探す。
「あぁ、別にきみが話さなくてもいい。おれが話させてほしいだけなんだ。最近忙しすぎて誰かとまともに話をする機会がほとんどない。ところでこの荒れようなんだがな、中々酷い、これを片づけるのは君か?」
もちろん返事はない。ドレークも返事を期待してはいない。ただ話す。なぜかと言えば、それは簡単だ。黙っていて自分にゆっくり慣れるより、今一言一言話すたびにミアが警戒する、それはわかるが、そうして慣らしていったほうが早いとそういう判断。
「自分で片づけるならいいさ。誰かがやるのでも、まぁ、いい」
答えぬミアの毛布の塊を一瞥し、ドレークはふわり、とほほ笑んだ。その気配が伝わったのか、毛布の隙間からミアが瞳を出してきた。薄暗い部屋、毛布の影にぼんやりと見える目が二つ。軽くホラーだ。
だがその目が真っ直ぐに自分を見た。感情のない目だ。ドレークは眉を寄せる。この目は、覚えがある。「子供」の目ではない。いや、たぶんこのミアという少女はきちんと子供だ。と違いいろんな反則設定、ということもないだろう。だがこの目は子供の目ではない。
先ほどドレークはミアが「誰かに問題を出している」とそう考えた。それが間違いではなかったことを、この目を見て確信する。
「きっと、君はわかっていないわけじゃないな。きみはとても賢い子だと思う。俺の知り合いに君くらいの歳の子どもがいるんだが、彼女と同じ目をしてる。彼女も君と同じくらい賢い。……まぁ、賢いだけじゃないんだが。いや、本当に…あの賢さにあの性格が加わると厄介極まりないんだ…なぜもっと人に対して思い遣りというものを持ってくれないのか……」
いろいろ思い出しかけてドレークは額を抑えた。の賢さ、それによってタチの悪くなる出来事悪戯云々かんぬん。ギリギリとした胃の痛みに顔を顰めた。
「???」
「あぁ、すまない。身近な悪魔っ子のことを思い出して……」
ドレークの様子がおかしいことに気付いた。ミアがついに毛布から顔を出して怪訝そうにこちらを伺う。苦笑してドレークは手を振る。びくん、とミアの顔が強張った。手、が、動く。それに警戒、あるいは恐怖を連想させた。
(酷い暴力でも受けてきたのか)
そう判じる。だが今取り組むべき問題ではない。ドレークは気づかぬふりをした。
「あくま…悪魔の、のうりょく、しゃ?」
そうしてとりあえず心に浮かんだのトラウマトークを押しとどめようとしていると、ぽつり、と小さな声がかかった。
「うん?」
ミアである。ぼそぼそっとした小さな声。年の割には少々舌足らずな印象を受けるが、しかしミアの声である。黙っていた、閉じこもっていた少女の小さな声。それも「問いかける」「興味を持ってくれた」という言葉である。ドレークは嬉しげに顔を綻ばせ、口を開いた。
「いや、彼女は確かに悪魔じゃないかと疑問に思うような性格だが、能力者ではない。俺はそうだが」
「……?」
幼い子供が「悪魔の実」「能力者」を知っている。そのことが引っかかりもした。だがこうして海軍本部の大佐に引き取られる身の上。何ぞあったに違いない。それなら海の悪魔の知識も多少あろう。そう判断を控えてドレークはふむ、と顎に手を当てる。
「怖がらせるかもしれない…俺は能力者と言っても、少々特殊なんだ」
この子がどんな能力者を見たこと、あるいは知っているのかわからない。だが興味を持ってくれているのだから自分の能力を披露するのがいいだろう。しかしドレークの能力は…なんというか、子供受けしないことがわかっている。恐竜になるのだ。普通に怖い。以前にせがまれて広場で恐竜化した時は周りで遊んでいた子供たちが一斉に泣き出した。あれは本当に、悪いことをしたと思う。
そもそも室内ではスペースが足りない。部分的に変身することもできるが、余計に恐ろしいのではないだろうか。
だがミアはこちらをじぃっと見ている。怖がらせる、という言葉に若干決壊をしてはいる。それでもじぃっと見つめてくる瞳。好奇心に染まっているわけではない。のように「なんか厄介ごとが起きるの?死ぬの?へーぇー」と期待に満ちてる目でもない。ぼんやりとした目。ドレークが「能力者」と言うから見ている。
眉を寄せ、ドレークは少し考える。とりあえず一番危険もなく、何となく子供受けしそうなのはこれだろうか?そう選択し、海軍コートをぺろりとめくって、尻尾だけ出してみる。
「……」
大きく口を開けたり、目を見開いたりはしなかった。ミアは一寸ばかりぱりち、と目をやって、そしてこちらを観察している。恐竜の、尻尾。このサイズだとでっかい蜥蜴に近い。とりあえず怖がられはしなかった。なんとなく左右に動かしてみると、そろそろとミアの手が伸びてきた。よし、まずは上々。だが、そうほっとした次の瞬間、がっしゃんっ、と窓ガラスが割れた。
「この泥棒猫ーっ!!!」
「!!?」
ガッシャン、ガラガラとそれは軽快な音を立てて飛び込んできたのはデッキブラシに乗った魔女。いやいや、ドレークにとって馴染み深い悪魔のチミっ子、である。
「……なっ……!?」
これには素直に驚いた。ドレークはぎょっと目を見開き、ミアは状況が把握できず今度こそ目を見開いている。まぁ、突然窓ガラスが割れて外から赤毛の魔女が飛び込んできた。この状況で平静でいられたら精神科に連れて行く必要があっただろう。
さて問題の、着地を失敗したのかごろごろと一度床に転がり「なんかここ汚いよ!?」と嫌がってから、身を起こすと、困惑するドレークを無視してびしっとミアにデッキブラシを突きつけた。
「ディエスはぼくの!!取らないでよね!!!!」
「……?」
ミアの保護者(?)であるギルバートが昔しょっぴかれたのは冤罪かどうかドレークには判断できないが、これに関しては確実に言いがかりだな、とそう冷静に思った。
第一、「取る」ってなんだ。「ぼくの」って何だ。物扱いか。
あれこれ突っ込みたいことはある。だが言うだけ無駄だろう。ドレークはため息一つでいろんな感情を、それはもう必死にやり過ごし、痛む胃を抑えの背に声をかけた。ここで自分が騒いでも状況がややこしくなるだけだ。平然と冷静でいなければならない。
「どうした?この時間はまだ部屋にいるはずだろう?」
時刻はまだ赤犬の定時には早い。基本的に奥の部屋から出てこれぬがこうして飛び出してきた。明らかに抜け出したんだろうことはわかる。後々赤犬の怒りを買って酷い折檻を受けることになるともわかっているだろうに。顔を顰めて促すと、は綺麗にスルーした。
「うわぁん!ディエスの浮気者!サリューやぼくというものがありながらこーんな幼女に手を出すなんて!!きみはサカズキ並の変態だったの!?」
「俺を妙な性癖認定しないでくれ。あとそんなことを言って赤犬に蹴られても知らんぞ」
「それに尻尾まで出してるなんて!ディエスの尻尾で遊んでいいのはぼくだけなのに!!」
「待て、お前に遊ばせたことはないぞ」
公園で巨大化して以来、怪我をする危険があるからとの前で変身することは禁じられている。
「まぁ…丁度良かった。お前を呼ぼうかと迷っていたことがあるんだ」
まだわんわんと何ぞ喚いていたがドレークのその声にの体がぴたり、と止まる。
「なぁに?」
「お前、丁度この子と同じくらいの背格好だろ?着なくなったものでいいから服を分けてやってくれないか。お前の服は布地がいいからこの子には都合がいいだろう」
ギルバート大佐が手抜きをしている、とは思わないがあまり子供の衣服には詳しくないようだ。少し大きめのシャツやズボン。簡素な恰好をしている。すぐ汚すから汚れてもいい服を着ているのか。あるいは切ることを嫌がったのか。それはドレークにはわからない。だがの服は無駄に金もかかっているため布地がいい。一枚でしっかり暖を取れるので着ぶくれもしないし、なにより丈夫だ。転んでも肌が露出されていなければかすり傷を負うこともない。どうせ着ない服が何着かあるのだから譲ってくれないかと言うと、そこで初めてはきちんと少女を認識したようだ。
「おやまぁ」
ちらり、と少女を上から下まで無遠慮に眺めて目を細める。こういう時が何を考えているのかドレークにはわからない。幼い子供を眺める目、というより品定めをするような、そんなあまりよろしくない感情が伴っているようには思える。
普段自分に向けてくるのは悪戯100%の悪のりした悪魔っ子の顔。しかしこういう時は、対性別が女、という相手に対して、は時々妙な目をする。
「なぁに、ディエス、肥溜めから拾ってきたのかい?」
「」
しかし次第に飽きたのか、あるいは望む答えでも見つけたのかは視線をドレークに戻してきょとん、と顔を幼くさせる。言っていることは容赦ない。ドレークは名前を呼んで窘める。確かにミアは汚れている。ギルバートが留守にしたのは昨日からというが長年肌にこびり付いているような悪臭もした。基本的に汚れ、というものに拒絶反応を見せるは「ばっちぃねぇ」とあからさまに嫌そうな顔を見せる。ひょいっと腕を振ってハンカチを取り出し鼻に充てる様子は嫌味過ぎる。しかし興味はあるのか、今度は子供の好奇心、という感情をいっぱいにした目でじろじろとミアを眺める。ひょこひょこと近づいてミアの周りを歩く。
「ねーぇ、きみ、お嬢さん、どこの子?」
「………」
「無視!?このぼくを?!ディエス、ねぇ、なぁにこの子!」
「同期の知り合いの子らしい。いじめるんじゃないぞ」
とりあえずミアはの言動をさほど気にしていないよう。そのことに安心した。に我慢なんぞできるわけもないから、ミアがこうして許容範囲を見せてくれているのならありがたい。
とりあえずもここに来たわけで、いつまでも部屋を汚れたままにはしておけない。そういう性分ゆえに、ドレークは部屋を片付け始めることにした。一応ここはギルバート大佐、他人の部屋なのだが、汚れているものを掃除するくらいいいだろう。そう思ってのデッキブラシを借りまずは墨をどうにかしてしまおうとブラシを当てる。
自分を無視して掃除を始めるドレーク、それがには面白くなかったらしい。ドレークが背を向けてから注意を逸らした途端、か細いミアの悲鳴がドレークの耳を打った。
「!?……!!」
嫌な予感がして振り返れば、が口を尖らせて不機嫌を露わにしながら、ミアの髪を引っ張っていた。
「!!!」
予期せぬ事態にミアの顔が引きつり、唸り声のような悲鳴を上げる。ドレークが先ほどほんの僅かに手を振っただけで怯えていた少女だ。この「痛み」に何か、いろんなことをいっぺんに思い出したらしい。怯え引き攣るミアにも驚き、ちょっと考える素振りを見せる。だが恐怖で混乱したミアの腕、指先がほんのわずかにの頬に当たった。ボロボロと先の崩れている爪がピッとの頬、白い皮膚を破る。
まずい、とドレークは踏み込んだ。一瞬での青い目に明らかな「怒り」が浮かび上がり、ドレークが足に力を入れ床を蹴ると同時に腕を振ってデッキブラシをその手に収める。
ぎんっ、と金属の響きあう音が大きく響く。
「………怒りを、納めてくれ」
ギルバート大佐、とドレークは目の前の相手の名を呼んだ。
がミア相手に容赦なくデッキブラシを振るうより先に、ドレークがを止めるため腕を伸ばすより先に、現れた海兵。その一瞬後、ドレークが言葉を発する前にいくつか、やりとりがあった。現れたシャンク・ギルバートはの傍にいるミアを素早く腕に抱き、抜き身になった剣をに突きつけようとした。それであるからドレークはさらに早く自分の腕だけ変化させてを背に庇い、ギルバートの一撃を爪で受ける。そういう攻防が、この一瞬で起きた。
「ドレーク少将、退いてくれませんか」
フーッ、と青年大佐の口から殺気立った息が漏れる。瞳孔は開ききり、今交し合っている剣と爪はギチギチと歪な音を立てていた。こちらの姿は見たはずだ。「少将」である己の姿を視認している。「納めてくれ」とそう頼み込んでも、それでもこの若い海兵の敵意は消えなかった。
まるで獣のようだ。素直にそう判じる。を「子供」とは思っていない目をしている。見かけは子供。だが違う、とそうはっきり本能的に感じ取っている、そういう目であった。その腕にと同じくらいの子どもを抱きかかえている。それであるのに、きちんとこの、今もきっとドレークの後ろでにんまり笑っているだろうを「ミアを傷付ける者」と認識している。こういう男をの前には出せない。実力で振り払うか?不可能ではない。だが、そうなればミアが恐ろしがるだろう。ただでさえに暴力を受けた被害者だ。これ以上彼女を気の毒な目に合わせるのはドレークも望まなかった。
「………確かに今のは確実に、こちらに非がある。それはわかっている。謝罪なら俺がしよう、ギルバード大佐」
「謝罪はあんたがすることじゃねぇだろ」
ぐいっと、力が増す。聊か言葉遣いが乱暴だ。丁寧な言い回しをできぬ男ではないのだろうが、今この状況、ミアを傷つけようとしている、ということがこの海兵の気を荒れさせているようだ。
「わかっている。だが、」
「ディエス、その無礼者を抑えているんだよ」
何とか話し合いで解決させよう。そうドレークが頭を回転させていると、背後からそれはもう、愉快そうなの声が、不気味なほどよく響く。待て、とこちらが制止する間もない。あっさりとドレークの背から現れ、はギルバート大佐を見上げる。にんまり、とその顔に人をバカにしきった笑顔が浮かんだ途端、ドレークは力の限りギルバート大佐を押さえつけなければならなくなった。でなければ、この男がに何をしたかわからぬ。
床に叩きつけ、自分の体重、腕力全てでギルバートを抑え込む。そのあわただしい様子をは興味なさそうに一瞥してから、ギルバートの腕から洩れた少女、ミアに近づく。
「待て、……ッ!!」
「全ての女の子はお姫さま、守られる王子さまがいる。それがぼくの持論だけど、きみはこの子の王子さまじゃ、ないね。きみはディエスと一緒だ」
ドレークの制止を無視して、の手がミアの首にかかる。それで厭味ったらしくちらりと、動けぬでいるギルバートを一瞥しからかう様に言葉を連ねると、そのままミアの体が崩れ落ちた。
「ミア!!!!」
何をした?ドレークは素早く思考を巡らせる。基本的にに力技などない。手刀で相手を気絶させる、という芸当はできぬはず。それでもミアは糸の切れた人形のようになり、どさり、との足元に倒れ込んでいる。ギルバードがドレークを跳ねのけようとした。すごい力だ。体格はこちらが勝っているはずであるのに、この勢い。ドレークは内心迷った。優先すべきは魔女の身の安全。だがは何をしようとしている?このままこうしてギルバートを押さえつけているのが正しいか、そう迷う、その一瞬、ギリバートの力が勝り、ドレークの下から逃れた。
「ミア……!」
駆け寄り安否の確認を取ろうとする、そのギルバートの手が触れる寸前、再度が口を開いた。
「お姫さまはね、悪い魔女に浚われてしまうのがセオリーさ!」
言って、言い切って妙な閃光。別段のパンドラマジック☆ではない。ただ冗談半分で作ったという閃光弾。だがベカパンクの悪ノリもあって光量と音が半端ない。思わずドレークも目を閉じ顔を顰め、そして目がやっと回復してきた頃には、そこにとミアの姿はなかった。
「待て!ギルバート大佐!!」
ここにはいない。それを認識するとすぐさまギルバートは部屋から飛び出そうとした。ドレークは慌てて彼の腕を掴みそれを止める。
「行先ならわかってる。任せてくれないか」
振り払う素振りを見せ、ギルバートがじろりとドレークを睨む。今にもこちらを殺しかねん勢いだ。よほどミアが心配なのだろう。まぁ、確かに得体の知れぬ妙な少女に自分の大切な人間が拉致されたら冷静ではいられない。だが、冷静にならなければならないのだ。ドレークはゆっくりと息を吐き、ギルバートから手を放した。これ以上力技に出る気はない、という意思表示である。
行先を知っている、とそうこちらの言葉に「会話」をしようという気にはなったのか、ギルバートは僅かに怒りを納め、目を細めこちらを見る。まさかの正体を告げることはできないので、さてどう説明しようかとドレークは悩み、そして口を開いた。
「いいか、彼女は海軍本部「奥」に部屋を持っている。ギルバート大佐、君はまだ佐官だ。彼女の存在を知らないし、知ることも許されていない。あの少女のことは私が責任を持って助け出す。だから堪えてくれ」
の気まぐれと、話は早い。部屋に行って何とか説得すればいい。だがそこにこの海兵を同席させることはできない。イレギュラーを認めてはいけないことをドレークが一番よくわかっている。まだ早い。まだこの場所に来るには早い。魔女の悪意に触れさせてはならない。そう、ギルバートを案じるからこそそう言って、ドレークは言葉を締めくくった。
ギルバートは、おそらく愚かな男ではない。賢い部類に入る。こちらの言葉を理解してくれるだけの思慮があるはずだ。だからドレークは「察してくれ」「耐えてくれ」と促す。この海軍本部の複雑さを知っているはずだろう、と。
「海軍本部の奥、そこがどういう場所なのかくらい、知っています」
そのドレークの、気遣いをギルバートは感じ取ったらしい。何とか殺気を納め、筋肉の緊張を解く。目を伏して様々な感情をやり過ごす様子。やはり感情ばかりの男ではない。きちんと自分をコントロールすることのできる人間だ。そのことにドレークは安堵し表情を和らげた。
理性的になってさえくれれば今回のこともさほど問題にはならないだろう。ギルバートは上に辿れば青キジクザンの管轄下になるだろうし、青キジならの問題も協力的に解決してくれるに違いない。
「しかし、ドレーク少将、そこには赤犬がいる。俺はミアを赤犬に会わせたくない」
「?あぁ、そうだが…それがどうした。今恐れているのはそこではなく、」
奇妙なことを言う。うん?とドレークは首を傾げた。ギルバートが慌てた、焦るその理由は、得体の知れぬ人物に自分の大切な人間が浚われたから、ではないのか。なぜここで赤犬が出てくる。確かにの部屋に部外者が入り込んだ、が連れ込んだ、と赤犬が知れば激昂するだろうがその怒りの矛先はにのみ向けられるし、ギルバートがそれを知るわけもない。だがギルバートは赤犬を危険視しているようだ。
不審に思い青年海兵に訪ねようと思うが、その顔に浮かんでいる苦悩、いや、葛藤?にドレークは黙った。こちらが問うて答えるかどうか。まだ言葉を交わして数分という己はこの青年海兵の心を打ち明けられるべき立場ではない。それにドレークは一瞬ためらった。「赤犬に会わせられない」とギルバートが考えるその「ミア」の「事情」に己が関わってよいものか。
人の「秘密」「事情」を知れば多少の度合いの違いはあれど、その秘密に責任を負い背負わねばならなくなる。それができずにドレークはの世話役から外されることになった。同じことを繰り返すのか。そんな迷いが生じ、素早くギルバートがドレークの表情から葛藤を読み取った。そういう目をした。
「ギルバート大佐、」
言うな、とドレークは続けたかった。自分は何も事情を知らぬ。だからミアを助けるためにギルバートをの部屋に連れて行く気も理由もない。ただ海兵の義務として魔女を最優先させればいい。そう言葉を続ければよかった。だが、言葉が出ない。ギルバートが言葉を上から被せる、そんなことはしなかった。ただ話す、巻き込むとその意志を表す。それを拒否することはできた。だが、言葉が出ない。ギルバートは承知していた。ミアの「秘密」を「厄介事」を他人に打ち明けることはある種のリスクもあろう。そして現在は無関係なドレークを「巻き込む」という非道さ。それも承知している。それでも今ここでドレークにその「秘密」を打ち明けない限り、ギルバート自信がミアを助けることはできない。そう承知して、悩むことなくこの海兵は答えを出した。ミアを助ける。そのことだけを優先し選ぶ。
(なぜここまでできる)
秘密の共有を拒絶することはできた。簡単だった。その隙もギルバートはきちんと用意した。だからドレークは、を選べなかった時と同じように、自分の、自分自身の海軍海兵としての人生を進むためにギルバートを拒絶するべきだった。だが、言葉が出なかった。
これでいいのか。そう思う。確かに自分には背負えない。ドレークはドレーク自身向き合っていかなければならない問題を抱えている。だから背負えない。そうわかっている。答えを出した。だが、ドレークは、海軍将校は躊躇した。この、どんなものを巻き込んでも犠牲にしても、それでも「ミアを」守ると、そのためならなんでもしてやるというギルバートの目にたじろいだ。
そしてついにドレークは拒絶することができず、それを感じ取ったギルバートが口を開いた。
「あいつは、ミアは海賊の子だ。赤犬に知られれば、殺される」
「生まれついての罪人」そんな言葉がドレークの頭を過った。
+
「ねぇ、ちょっと!じっとしていないと縛るよ!」
暴れる手をぐいっと力任せに抑え込んで、は真っ直ぐ相手の瞳を睨みつけた。魔女の目。真正面から見ればその瞳には人の死に際を映すとかなんとかそんな話がある。けれどこの少女相手はそんな寓話も働かないとは承知していて、だから随分と久しぶりに自分からきちんと相手の目を見た。きっ、と少女が見つめ返す。ぼろぼろになった歯の隙間からフーッ、と威嚇するように息が漏れた。
まるで手負いの獣、いや、獣は手負いであっても相手が「敵う相手」かどうかくらいは判断する。この子供はそれをしない。できるだけの理性を持っていて使用しない。そのことに思い至って、は「おや」と目を細めた。理性を抑え込んでのこの暴挙。なんぞ理性的な理由がある。それゆえのことだ。考えれば今の所心当たりは一つしかない。
にんまり、とは意地の悪い笑顔を浮かべ、子供、確か名前はミアとか、そういう子供の首を引っ掴んだ。
「笑ってしまうね、さっきの海兵。大佐と言っていたけれど身の程知らずにもほどがあるね」
ミアの表情は変わらない。だがその小指がほんのわずかにぴくりと動く。なるほど野性的な言動をするわりに中々理性的。見かけ通りの生き物ではないとは自分のことは棚に上げてじっくり思い、にこり、と目を細めた。
「このぼくに挑もうとする。その無謀さと無知は海じゃなんていうのかな?ディエスに抑え込まれていたけれど、今頃どうなってるのか。怪我でもしていてくれたらぼくは嬉しいよ」
ぐいっと、ミアの手がに掴みかかろうとする。それを一歩後ろに下がって避けては「おやおや」とどこまでも相手を下位に置き、見下しきってため息を吐く。
「へんなの、懐いちゃいないようなのに、迷惑ばかりかけているのに、それでも、なぁに、怒ったの?」
少女から発せられるのは紛れもない怒気だ。怒れるほど感情表現の豊かな子とは思わなかった。いや、確かに自分は怒らせよう、と思ってあえてこの子の前で先ほどの大佐どのを罵ったのだけれど、ほんの些細な変化、あるいは事実の突きつけでもできればいいと思った程度。それがこれほどあからさまになるなんて!
「ふふ、変なの」
だが今度の言葉に棘はない。ぴたり、とミアの動きが止まる。相手の感情に敏い生き物のようだ。同じ言葉でも表面的な言葉を受け取らぬ。その響き、含まれる感情を重視する。だからこその悪意をたっぷり含んだ言葉に反応したのかもしれない。
黙り、こちらの動きを警戒するミアにはひょいっと腕を振って取り出したブラシを差し出す。ここは海軍本部奥の、の部屋。といって魔女の玩具や寝具、あれやこれやの厄介物のある寝所の方ではなく、赤犬の執務室の隣に用意された部屋である。幸いサカズキはセンゴク元帥に呼び出されて留守。なんぞ用があっての呼び出しらしいから定時まで帰ってこないかもしれない。サカズキさえいなければは何の心配もなく好き勝手にふるまえる。
だだっ広い部屋に用意されているのはバスタブ。元々あるものではない。今は半分ほど湯で満たされ、シャボンが浮いている。
「このぼくの部屋にいるんだもの、せめて身ぎれいにしないと不敬だよね!」
勝手に連れてきておいてなんなんだ、と誰か突っ込みを入れられればいいが生憎この部屋には突っ込み役がいない。ミアは自分の恰好を改めて確認し、そしてを見る。今の所に敵意や悪意がないことは感じ取り、ではこの妙な提案を受け入れていいのかとそう考える顔。暫く考え、湯の量を確認するとミアは服を脱ぎ始めた。
床に落ちた服をは、これまでの彼女の言動から考えれば「汚い」と顔を顰めていそうなものだが意外にもきちんと両手で掴み腕にかけ「これ、洗っておくからね」とそう丁寧に扱う素振り。ひょいっとが腕を振ればどういう原理か今更考えるのもばからしいほどあっさり、ミアの着ていた服が消える。
半身のみ湯船に浸かるミアの世話をする気なのか、はバスタブの端に腰かけてくいっとミアの顎に手をかける。
「きみって歯並び悪いね」
「……」
「ま、でも爪は長いから綺麗にできるよ。色は青が可愛いかな」
言ってあっさり手を放す。そのままデッキブラシを取り出したはひょいっと振って湯のたっぷり入った桶を頭上に用意すると、そのままざばーっとミアに浴びせる。
「……っ!?」
これには驚いた。本当に驚くと人間は身動きが取れない。ミアが硬直するところころとの笑い声が響く。楽しそうに眺め、ひょいひょいっと指揮でもするかのように指を振れば、櫛やスポンジがミアの髪と体を洗い始める。慣れぬ感触、くすぐったくてミアがか細い声を上げればさらにが楽しそうに声を弾ませた。
不思議なことにバスタブの湯は床につく前に泡になって消える。それでもが上から湯を降らせるものだから湯量に変化はない。ミアがただされるままになっているのは退屈と考慮したかシャボン玉のようにキラキラ光る小さな魚が風呂の中、あるいはその周辺を泳ぎ回る。バスタブに腰かけているといえばフンフン、と上機嫌に鼻歌なんぞ歌い指を振り続けている。奇妙といえばこれほど奇妙な光景もない。
じぃっとミアがの赤い髪を凝視していると、が気づいて顔を向けてきた。無口なゲストに肩を竦め、ため息交じりに口を開いた。
「バギーやフラムほど騒がしくなれなんて言わないけど、少しは口を開いて欲しいな。ぼく、一人でしゃべるのは好きじゃないんだけど。ところできみ、ドレスは白と黒、どっちが好き?」
話題がころころ変わる。の中ではきちんと理由があるが他人に理解されづらい。当人理解させようともせぬ傲慢さ。ミアが眉を寄せるのにお構いなしにはあれこれと自分の考えを披露する。一人でしゃべるのが好きじゃない、と言った舌の根の乾かぬうちによく話す。
というか、二択しかないのか。ミアの母親はあれこれ色の綺麗なドレスを持っていた。ドレスは二色だけではないと知っているから首を傾げるけれど、は「当然だよね?」という顔をする。
「………なに、する…き?」
もう一度、今度は言葉で問いかける。は青い目をそれはもうキラキラとさせ楽しげに答えた。
「決まりきってる!ぼくもたまにはちゃんと悪役をやろうと思ってね!」
++
「ありゃ〜、俺がのんびり歩いてる間に、いろいろあったのね〜」
クザンが例の部屋にやってくるとそこは妙な雰囲気に包まれていた。薄汚れた部屋に海軍将校が二人。一人は絡みで馴染み深いドレーク少将。もう一人は直接の部下ではないけれど、ガープさん関係でそれなりに顔を合わせたことのあるシャンク・ギルバート大佐。確か明日まで任務じゃなかったっけ?と思うが任務そっちのけで帰ってくるような男ではない。現在預かっているとかいう子供のために早めに終わらせてきたのだろう。うんうん、子守り男が二人して。と内心なんだかおかしく思えるがそれを表面に出すことはしない。
ドレークからのメモをに渡そうと思ったが、は留守だった。最初の伝言を伝えた海兵准将はすっかり魔女に怖気づいてまともに話もできず、クザンは少しばかり困った。の不在を同僚に知られるとそれは厄介なことにある。けれど連れ戻そうにも行先に見当がつかず、たぶん今回の無断外出はドレーク辛味だろうとそう察してドレークを探していた。そうして目撃証言を頼りに見つけ出したのがこの部屋なのだが、入るなり、何この通夜みたいな雰囲気。
話は聞いた。なんでもギルバート大佐が面倒を見ているミアをがかっさらったのだという。ミアの事情についてはそれとなくガープ中将から聞き及んでいるクザン。まぁ、面倒なことになったな、とは思った。
「申し訳ありません、私の不注意です」
「いやいや、ちゃんが相手でドレーク少将が防げなかったってことは誰がいても一緒よ。まぁ普通に考えて、ちゃんが飽きるのを待つってのが一番なんだけど…」
「俺が迎えに行きます」
「そうなるよね、やっぱ」
きっぱりギルバートが宣言する。その意志は固いだろう。だが難しいこともわかっている。ドレークと言えばミアのちょっとした事情を知ってしまい、このままでは確かにミアの身が危険だとそう理解している。
「あぁ〜、どうすっかなァ……一応ちゃんの部屋に部外者が入るのは無理だし…」
「ミアは俺が責任を持って預かると決めたんです。大将青キジ、他人任せにはできません」
「ん〜…でもねぇ〜…どうするよ、ドレーク少将」
強行突破で責任を問われるのが自分やギルバードだけならドレークもクザンもここまで躊躇わない。確実ににも被害が及ぶ。おもに赤犬から殴り飛ばされる。
赤犬にさえバレなければは何の問題もない。もちろんの考え次第ではミアという少女も、中々気の毒な目にあうと思うが命までは取られまい。ここは大人しく静観していたのだけれど、ギルバードがそれを許さぬ。正直ドレークとクザンがに掛け合って解決、というのが一番手っ取り早い。だがギルバートはそれを拒否している。そこが問題だ。
気持ちはわかる。ミアの存在を赤犬に知られるかもしれない。それを恐れている。だから早くミアを助けたい。自分が魔女の部屋から救い出したい。そう必死なのは、もちろんわかる。だがそれは、あくまでギルバートの都合なのだ。
クザンは時計で時間を確認し、ふとある考えがひらめいた。
の部屋に准将以下の海兵が入ることはできない。それは徹底されている。だからミアを救うにはドレークかクザンが説得に当たればいい。ミアの正体さえ知られなければサカズキとてが遊び相手にしようと子供を連れ込むくらい咎めはしない(ハズ)だろう。だがミアに事情があるばかりにギルバートが止まらない。これが厄介。しかしギルバートを部屋に入れることはできない。これも厄介だ。
となれば今の所取れる手段は限られていて、その中で一番面白そうなものを「これしかない」とクザンは選んだ。
「ねぇ、ギル大佐ァ、ミアちゃんのためにどこまでできるよ?」
にやにやと楽しげに笑い、分厚い唇を歪ませる。その「なんぞ企んでいます」という顔を見て、ドレークが胃を抑えた。
+++
海軍本部一般食堂、時間が時間のため利用者はほとんどいない。料理人も見習い数人と料理長を残して今は休憩時間に入っているのだという。以前が気まぐれでバイトをしていたその食堂はクザンにとっても馴染み深い。大将は大将らが集まる食堂、あるいは執務室に直接食事を運ばせる、という手段があるのに未だにクザンは一般食堂を使うことが多い。それで平日の午後ひょっこりと大将青キジが現れてもそれほど注目は浴びなかったが、一体今日は何だ?と意識はされていて、そして「始まった」何かに、うっ、と食堂中の人間が度胆を抜かれた。
「……………」
「ギルバート大佐……辛い時は辛いと言った方がいいぞ?その…少し楽にはなるような気がする」
全くもって慰めにならぬ慰めを吐き、ドレークは目の前で小刻みに震えているギルバートから顔を逸らした。見るに堪えない、というより気の毒過ぎてみていられない、という理由からである。
海軍本部大佐、「脱獄の」と異名を取るシャンク・ギルバート。元々の気性は穏やかな方だったのにいろいろあってすっかりやさぐれた。海軍海兵に復帰してからもその目つきや態度の悪さで常々「腐るな」とガープに窘められている、そういう青年。中々良い体つき、軍隊や監獄でしっかり鍛え上げられ無駄のない筋肉。そういう、ご立派な海兵殿が、現在、まぁ、ここまで来たら何となくお察しもついているだろうけれど、現在、まぁ、物の見事に女装されている。
「えーえー、わかってますよ。毎度毎度ドレーク少将が俺の所に来てくださるのは9割が絡みなんだよっ!!!ちくしょう!!」
「ごめんごめん、マリアちゃん。今度ドレーク少将の給仕にゴリ押ししてあげるからさー」
この状況はなんなんだと動けぬギルバートと居た堪れなくなって沈黙するしかないドレーク、それらを綺麗に放っておいて何やら談笑(違う)しているのはここまでギルバートを連れてきた青キジと、そして元からこの食堂にいたメイド姿の美少女だ。
「おれがしたいのはドレーク少将とデートであってを前にした給仕じゃありません!」
「あ、もうやっぱりちゃんのいる設定なのね」
マリアちゃん、と呼ばれるこの美少女。性格には美少年。つまりは女装している男の娘。といってマリアちゃんに女装癖や心は女☆なんてものがあるわけでもない。いろいろあってこんな恰好をすることになった。このマリアちゃんの登場や活躍が知りたければ短編のバレンタインバカッポー話や二部長編をご覧になられるといい。まぁそんなことはさておいて、そういうマリアちゃんの指導のもと現在ギルバート大佐はメイド姿の女装、とそういう展開になっているのである。
「いやぁ、それにしても……似合わねぇな、ギル大佐」
「……まぁ、おれと違って元が完璧野郎ですからね」
クザンとマリアはギルバートの「萌☆メイド姿」を眺めてそう酷評する。というかやる前からわかっていたのだが、実際目にするとそうとうきついものがある。何しろ体格のいいギルバート大佐。そのしっかりとした足には絶対領域と白いレース付きのニーハイ。ぴかぴかに磨き上げた真っ赤な靴にはきちんとリボンもついている。くびれなんぞない男の腰に大きなリボン、エプロンドレス、がっちりとした二の腕には提灯型になった袖がそれはもうかわいらしく作られており、なんともまぁ、世にもおぞましい光景だ。
一応化粧もしている。マリアちゃんが「少しはマシになるか…?」と冗談半分でやってみた。髪にはきちんとボンネットまでつけて恰好ばかりは立派な萌メイド。
「まるで萌えないねぇ」
「青キジ、これにいったいどんな意味が……?」
容赦ないクザンの言葉にギルバートはやっと我を取り戻した様子。なんでミアを助けに行くのに海軍食堂で女装なんてしなければならないのだとそう怪訝に思って問うてみる。ギルバート大佐、囚人時代に散々虐げられ理不尽を突きつけられそれを道理とせよと罵倒され続け考えたのは人権の大切さ。人が人として当然のように持つ権利、扱われる権利の重要さ。それを貫こうと、そう志して再度の海軍入り。それが根っこにある。そういう経緯ゆえに、今この、自分の人権とかそういうものをマルっとシカトされた状況が、一寸ばかり引っかかる。いや、深刻な意味ではないのだが。
「あー、ごめんごめん、まぁこの通り素敵なマリアちゃんな。一応海軍本部一警戒が厳重なちゃんの部屋に唯一将官クラスでないのに出入りできる人物なのよ、ギル子ちゃん」
問えばきちんと説明はしてくれる。だが言葉の最後に言われた名前は…自分のことなのだろうか。そうギルバートが顔を引き攣らせると、ドレークが本当に申し訳なさそうな顔を後ろでする。「うちの子のせいでとんだご迷惑を」とすっかり謝り癖がついていた。
とりあえずクザンの作戦…作戦ともいえないお粗末なものだが、の部屋に海兵が出入りできな、これが徹底されている、破ればの身に(赤犬がブチ切れて)危険が迫る、とそういうことで、考え付いた「マリアちゃんと一緒に行けばいいんじゃね?」というもの。もちろんただ馬鹿正直に海兵の恰好をしていたのなら咎められる。だからメイド姿に女装。
あぁ、また魔女殿が妙な知り合いを作ったんだな、程度で周囲は納得するだろうし、何より、明らかな野郎がそんな恰好していて歩いていたらみんな関わりたくないだろう。と、そういう心理作戦でもある。(ここは笑っていい)
ひとしきり説明を受けギル子ちゃん、じゃなかった、ギルバート大佐はここで頷いていいのか止めた方がいいのか微妙な顔をした。しかし結局頷いて、「におやつを届けます」と言うマリアと一緒に、未だ足を踏み入れたことのない海軍本部「奥」に向かうこととなった。
「しっかし、すごいね、そこまでするって、何、同情?」
そういうわけでカラカラとカートを押すマリアの前を歩くクザン、その隣にはギルバート。ゆったり歩く青キジがギルバートにはじれったい。こうしている間に赤犬がミアと接触し、その出自に気付いたらどうなる。気ばかりが焦るその様子に青キジが苦笑して、向かう途中の暇つぶし程度のつもりなのか、ぽつぽつりと問うてきた。
しかし道々の世間話にしては聊か無遠慮な単語。その声音も揶揄するような響きがあった。
「……」
「ま、実際、よくある話じゃないの。海賊の子ども、虐待されてたり、あるいはどっぷり海賊思考に染まってたり、そういう子を引き取るってのは、まぁ、わかってんだろうけど「キリ」がない。ドラマにゃなるけどね。自分が親を捕まえちまったから気にしてんのか?それとも罪滅ぼし?そんなわけがねぇよな、海兵なんだから」
青キジの顔は笑っている。「そんなわけない」と勝手に肯定する、それを傲慢とは出さぬ様子。沈黙したギルバート、返答がない事すら気にしない。
青キジはガープ中将経由でミアやギルバートの複雑な事情を知っている。その上でこうしてからかいの言葉を吐く。ギルバートはその真意を探ろうとするが、それより青キジに投げられた「問い」が自分の中に響く。
海兵をしていれば、そんな話は万と聞く。自分ですらそうなのだから青キジ、大将、この世の正義の上層部にいるこの海兵はもっと聞いているに違いない。(ギルバートは青キジを大将の中で誰よりも「冷酷」だとそう判断していた。笑いながら海賊の頭を吹き飛ばす黄猿。過激苛烈な正義で悪の一切を許さぬ赤犬。誰も彼もが厄介な海兵だとは思う。だがもっとも恐ろしいのは、分厚い唇で言葉ばかりは「悪いね」と言い、眉間に皺を寄せ、だらけきった正義という一見隙のありそうな、容赦な融通の利きそうな態度でいて、しかし「海軍大将」に上り詰めたこの男であると、そう思う。囚人時代大将に捕えられた海賊も何人かいた。赤犬に捕えられた海賊が一番少ない。当然だ、赤犬は生かさず殺す。だから赤犬が捕えた「囚人」というのは、運よく殺されなかった、死ななかったという結果のもとにしか生まれない。しかし青キジの捕えら囚人、はいる。青キジは殺す気があるときは殺すだろうが、そうではなく捕える、ことを選択肢に持っている。それがどんな意味なのか、囚人であるギルバートにはよくわかっている。だから青キジがこう、薄情とさえ取れる言葉を吐いても驚きはなかった)その上で考える。
自分はなぜミアを引き取ったのか。
自分の根本、囚人時代に人間的に扱われなかった。だから人権を重視する。ミアが海賊の子であるというだけでこれから非情な人生を背負わされるのが許せなかった?いや違う。あの時、ミアを引き取ろうと考えたその時、そんなことまで考えていなかった。
「あの時、連れて行かれる母親に泣いて縋って、どこまでもどこまでも泣いて縋った、子供を見て、自分はこの子に何をしたのか、と、そう思いました」
それが答え、ではない。それをギルバートもわかっている。だが考えをまとめるため、おそらくこの「問題」は「今」このタイミングで考えなければならないと、そう悟って、考えをまとめるために口に出す。青キジは聞いているのか聞いていないのか、やはりゆっくりゆっくりと歩きながら「へぇ」と生返事を帰す。
そう、そうだ。あの時、あの、島で。海賊船長と戦った。苦戦を強いられた。それでも勝利し、そして海賊船長に妻がいると、子供がいると、そう知らされて驚いた。供述の通り住処には妻らしい女性と、そして明らかに虐待を受けていたと思われる子供、ミアがいた。ギルバートたち海兵は母親を捕え連行する。するとミアが、子供が海兵に立ち向かったのだ。連れて行くなと、母を連れて行かないでくれと、叫びはしない。けれど、そう、必死必死に訴えた。母に縋る。けれど母は子供をどう思ったのか、鬱陶しく思ったのか(あるいは、あるいは、これまでギルバートは考えもしなかったが、あの母が、てっきりミアを虐待してきたと、そう思っていたが、それゆえ考えもしなかったが、あの母が、本当は「加害者」ではなかったとして、本当はこれまでミアを慈しみ乱暴乱雑な夫から娘を守ってきていたのなら、それなら、母があの時、ギルバートたちの目には「非情な母」と映るように「子供愛情など欠片も注いでいない」とそう判断できるように子供を、ミアを、鬱陶しく思って「いるように見せて」)縋る子供、ミアを蹴り飛ばし引き離そうとした。それを見たとき、己は何と思っただろう。あの時、ボロボロのワンピースを着て、血色の悪い顔をして、何か妙なものを無理やり食べたようにぎざぎざと欠けた歯の子どもを見て、自分は、なんと思った?
ミアを見たとき、ほんの一瞬、自分はこの子を救えたのだと、そう、心に沸いた。酷い海賊の手から、酷い母の手から、この哀れな子供を、人として満足に扱われぬ子供を救えたと。これこそが己が海兵に戻った理由だと、そう、一瞬、その一瞬、考えはしなかったか。
だが子供は母に縋った。それを見て、ギルバート、己は、何を思った。
『俺はこの子に何をした』
(あぁ、なんてことだ)
ギルバートは立ち止まる。青キジが気づいて、少し前で立ち止まった。
「青キジ」
「うん?」
顔を上げる。目の前には扉が。おそらくはそこが魔女の部屋。真っ白い、扉。だがそこに、これまでどんなことをしてでも、どんな罰を受けてもそこに行きたいと思っていた気持ちがガラガラと音を立てて崩れていく。
「俺は、ミアを迎えに行く資格があるのでしょうか」
己はなぜミアを引き取った。
あの当時、もちろん自分の中で「理由」を見出しはしていた。キリがない「不憫」な子供が多く居る。そんなことはわかっている。けれど自分はミアを見てしまって知っていた。遠い国で貧困にあえいでるという子供たちより、ミアは近くにいた。手を伸ばせる範囲にいた。そして母親が捕えられてから数日、自分はミアと共にいた。だから情が沸いた。理由になる。他にもある。この子を自分だけが知っているならどうにかしなければという、責任感。人であれば誰もが持っている。清々しい理由だ。きっぱりと、太陽に向かって言える理由だ。けれどそれだけでは自分は満足しなかった。「傍に置きたいと思った」とそう、自分の、感情的な理由も作った。預かる、のではなく「育てよう」と「この子を引き取ろう」とそう、覚悟を決めた。そう上に報告した。
責任、覚悟、自分の感情、それゆえにミアを大事にしてきた。彼女の悪戯や癇癪、妙な言動にも辛抱強く付き合って、いつか彼女を強くあれるようにしようと、そう決めてきた。
それが、これまで自分がミアと向き合うために用意したもの。
(そう「用意」したんだ)
突き詰める。暴かれる、青キジの言葉、その容赦のない凍るような目で、暴かれる。己は、先ほど「これまで思いもしなかったが、ミアはあの母親から愛情を受けていたのではないか」とそう深層心理で「初めて」思ったような、そんなことを考えた。だが違う。だが、本当は違った。そう、気づく。気付かされる。暴かれる。己は、本当は、あの時、ちらりと頭に過ったのではないか。ミアは、あの子供はきちんと母親に愛されていて必要としているのではないか。それは実際のところどうなのかはわからない。だが、その「推測」は確かにギルバートの中にあった。
だが、ギルバートは、己はその「予測」をなかったことにした。
代わりに用意した「予測」は、犯罪者に捕えられた被害者が犯罪者を愛してしまうと言う、その心理的な状況。閉鎖された空間で縋るものがそれしかないのなら子供は暴力的であっても非情であっても母を、親を求める。愛する。嫌えない。どうしようもないのだと、それを、ギルバートは「推測」として塗り替えた。
『自分が親を捕まえちまったから気にしてんのか?それとも罪滅ぼし?』
先ほど青キジはそう言った。「捕まえた罪悪感からの罪滅ぼし」ではなく「それとも」と別に区切って「罪滅ぼし?」とそう、指摘してきた。
あの時、ギルバートは「自分がミアから愛し愛された母を奪った」という推測、可能性を拒否し「自分はミアから母親を奪った」というものに置き換えた。
そしてミアを引き取ったのではないか。そうして、自分の「虐待されていた子供という予測」が正しいことを証明するために、引き取って、ミアを育てているのではないか。
「っつーか、邪魔したいんですか、青キジ」
掌に汗をかく。己の立ち位置がわからなくなる。なぜここにいるのかとそう、迷って頭の中が真っ白になったギルバートの耳に、鬱陶しげな少年の声がかかった。
マリアだ。海軍本部一般食堂の見習いコックの。女装をしている、少年だ。
はっとして声のした方に顔を向ければ、カートを押すその体勢そのまま。そのかわいらしいとしか言いようのない顔を不快不機嫌でいっぱいにしたマリアが青キジを睨みつけている。
「マリアちゃん怖い顔してるねー。折角ドレーク少将といるのに、いいの?」
「ドレーク少将はこんなことで俺への評価を下げる人じゃありませんよ」
「あらら、強気じゃないの」
にこにこと青キジは笑った。一歩マリアの方へ近づき、その髪についたリボンを愛しげに手に取って見せる。
「俺はさ、くだらねぇ理由でちゃんを危険に晒したくないのよ?こんな程度で躊躇うならお引き取り願いたくて仕方ないんだよね」
腰をかがめ、マリアの耳元を狙う、恋人に囁くように低い声。マリアの眉間にますます皺が寄った。ばっと、青キジから離れると、マリアはカートを青キジの方へ押し付けた。
「今日ののおやつは冷やした桃なんですよ。俺が持ってくより青キジが冷やして持ってった方が喜ぶんじゃないですか?」
勢いよくカートが押されたが、青キジはさして震動もなくそれを受け止め中身を確認する。「あ、本当、桃だね」とのんびり言い、そのままスタスタとカートを押して進む。その後ろをマリアがふてくされてついて行った。
「迷うな、ギルバート大佐」
だが歩き出せないギルバート。己が進む、その理由がわからなくなった。あるいは、ミアをこれ以上自分のエゴに突き合わせることの罪深さで動けなくなった。監獄に放り込まれたとき、己は無罪であるとそう芯から思い、この環境に屈しぬとそう強く思い、前に進めた。だが今は、初めて自分が「罪深い」とそう、ギルバートは感じ押し潰されそうになった。
そのギルバートの背に、とん、とドレークが手を置いた。
「躊躇うな」
「……ドレーク少将、俺は」
「君はミアが大切で、彼女が心配だ。私や青キジでは信用しきれない、だからどんな危険な場所、まだ立ち入れぬ場所であろうと自分自身で彼女を助けに行きたい。それはけしてやましいことではないし、誇るべき感情だ。迷う必要など、どこにもない」
なぜ立ち止まる。
そうドレークは問いかけた。この先にはミアがいる。魔女の悪意に晒されている。(魔女、をギルバートは知っていた。会ったことはない。だが監獄でそんな話を聞いたことがあった。悪名高き海賊の殆どはインペルダウン行きだが、そうではない者もいる。そういう「高名な海賊」が語った魔女の話。その魔女とミアが一緒にいる)魔女の傍にいる赤犬に、ミアの出自を知られる可能性がある。彼女が「危険」だ。だから「守りたい」と「助けたい」と、そう思っているんだろう、と、そう、ドレークはぐっと、ギルバートの肩を掴んだ。
「見たくもない本心、あるいは自覚すらしていない罪を暴く。ここはそういう場所だ。迷うなよ、ギルバート大佐。躊躇った瞬間、正義の悪意に食われる」
既にこの場所で生きる者としての助言、あるいは、既に迷い食われた経験者としての言葉に聞こえた。ギルバートは眉を寄せ、足を踏み出そうとするが動かぬ己を叱責する。
これこそ己のエゴではないか。ミアが危険だとわかっている。それなのに己がここで「そんな資格がない」と逃げ出すのは、それこそ卑怯者ではないか。自分勝手な都合。ギルバートは自覚し、そして顔を上げた。
「お先にどうぞ」
「ありがとうございます」
歩き出したギルバートを扉の前で待っていたクザンが迎える。そして「先に」と扉を促し、ギルバートは丁寧に頭を下げる。これこそが到来のギルバートの「態度」である。気性穏やかに、冷静に。落ち着き払い、その皮の下でのみ感情を起伏させる。そう認め、己れの中に迎え入れて、ギルバートは扉に手をかけた。
この先にミアがいる。
「あ、ちょっと待て。俺も一緒に行きますよ」
扉を開けようとすると、その反対のドアノブをマリアが握った。何ぞあるかもしれないから用心に、と笑う少年。この先は魔女の部屋。初めて入るギルバートの負担を少しでも軽くしようというその気遣いに感謝して扉を開けた。
「うん?おやまぁ、マリアちゃんまで」
開かれた扉。真っ白な壁、それに赤い髪の魔女の姿が目に入る。ギルバートは素早くミアの姿を確認しようとしたけれどその眼球が動くより先に、足元が、床が消えた。
「ごっめーん☆マリアちゃんまで巻き込んでしまったよ!なんていう悲劇だろうねぇ!!」
「嘘つけこの野郎…!!思いっきり確信犯だろォオオオ!!!!」
「そんなことないしぃー。ぼくはいつだってマリアちゃんの幸せを願っているしー?」
ふざけんなぁああああというマリアの怒声と共に急降下していくギルバートの体、物体の落下速度よりもはるかに速いその時点ですでに「異常」は始まっており、ギルバートは咄嗟に「ミア!!」と叫べた以外、なす術もなかった。
+++++++
長い落下時間の後、ふわり、と足が着いたのは見慣れぬ空間だった。赤と黒のチェッカー柄が全体を覆い、しかし空間が不安定なのか歪んでいる。そういう光景、目の前にあるのは赤土煉瓦と薔薇で出来た生垣。厭味ったらしく「ようこそおいでませ☆魔女の迷宮へ!〜356人目のお客様!〜」なんて書かれた垂れ幕が下がっていた。
一緒に落下してきたマリアは状況を理解しているのか果ての見えぬ上空に向かって魔女に対する悪態をついているがその声は響くばかりである。
ギルバートはぐるりと一応自分の見える限りを見渡して首を傾げた。
「ここは海軍本部…の地下にしては広くないか?」
「ってアンタ意外に冷静だな!?」
「いや、さっき散々悩んだからね」
もう迷って立ち止まっている暇はないんだよ、とにこやかに言えばマリアが顔を引き攣らせる。かわいらしい顔なのにもったいないと思っているとどこからか笑い声が響いた。
『うんうん、意外に冷静。いきがいいのは歓迎さ!その迷宮ね、海軍本部の准将クラスなら三日かけて出られるよ。きみは大佐だからこれで大佐というのはどれほどかかるかわかってぼくはとても嬉しいよ』
魔女の声だ。どこかからかこちらの様子を見ることができるらしい。ギルバートはどこに向かって話すべきかわからなかったのでとりあえずマリアにならって上空に声を向ける。
「そこにミアはいるのか?」
『うん?あぁ、うん、いるよ。君たちを落としたあとクザンくんとディエスはちゃんと部屋に入れたからね。ディエスがミアを見てるから安心おしよ』
「そうか。無事ならいいんだ」
ほっとした。先ほどのやりとりで青キジに対する信頼度は限りなくゼロに近くなったけれどドレーク少将はその逆だった。おそらくは自分がここから脱出するまでミアを任せても大丈夫だと、そういう信頼がある。
「おい待てこら!俺は海兵じゃねぇぞ!!」
『ごめんねマリアちゃん。でも一度発動してしまうとこれは今のぼくにはどうすることもできないんだよ』
「嘘つけ!!お前に不可能とかただのやる気のなさってことだろ!!!!」
必死なマリアの怒声を魔女は笑い飛ばしそこで通信(?)は途切れた。バカ野郎!と叫んだところでどうなるものでもない。ギルバートは落ち着いて前に進み、この「迷宮」とやらを確認してみることにした。
今自分たちが立っているこの場所が入口だろう。それらしいアーチもある。薔薇の生垣は鋭い棘を持っており、剣で切ろうとしても切れずかえって刃が毀れた。
「マリア、出口を知っているかい?」
煉瓦を試す気はないが、たぶんこの迷宮を構成している物質は切ったり破壊できる常識的なものではない。飛び越えて進めるかとも思うが、飛び越えようとすると壁が空まで無限に伸びる。どういう法則の世界なんだと疑問に思うが、たぶん考えるだけ無駄なのだろう。魔女とはそういうものだと思い出す。
それでこの状況、自分より詳しいだろうマリアに問いかけると、メイド服のエプロンを鬱陶しそうに取り外した美少年が眉を跳ねさせる。
「知りませんよ。ここはの箱庭。ラビリンスウォールなんて厨二臭ぇ名前もあるっちゃあるんだが、あいつが海兵をからかい倒すのに2番によく使う手段だ。の作った箱庭に相手を放り込んで出口にたどり着くまで右往左往させる。それを眺めてるのが暇つぶしの一つなんだと」
性格がひねくれてるな、とギルバードは素直に呟いた。まったくもってその通りだとマリアも頷く。出口、というのもそもそも常識的な場所にはないのだという。通常の迷路であれば迷路の外壁のどこかが壁になっている。だが魔女の迷宮はそもそも「空間」事態が迷宮のためどこから出ることができるのか一切予測はつかない。
「壁に手をついて進む、というのは有効だと思うかい?」
「いーえ。それを試した中将が一週間閉じ込められて脱水症状になったと聞いてますね」
迷路脱出の定石はやはり通じないようだ。諦めてギルバードは歩き出した。とにかくここを出なければミアにたどり着けない。「迷わせること」が目的ではないのなら出口は必ずあって、それは探すことができるはず。決めて進むが、ふとギルバートはマリアを振り返った。
「俺と一緒にいないほうがマリアはいいんじゃないのか?」
「は?なんで?」
「魔女と親しいのなら、俺が離れれば君だけ助けてもらえるのかな、って」
魔女の目当ては己であるという自覚があった。マリアは被害者だ。もちろんここが危険極まりない場所なら海軍海兵としてマリアを守り共に進むつもり。だがここはあくまでも魔女の悪戯ゆえの空間。先ほど魔女は一度発動させたらどうしようもないと言っていたけれど、ここに無力な料理人見習いだけ残されたら別の可能性も思い出すのではないだろうか。
そう思って聞いてみると、マリアが鼻で笑い飛ばした。
「あいつにそんな慈悲の心なんてねぇよ。あるのは捻くれた性根だけ。それにあんた一人にこの面倒な迷宮を進ませたとあっちゃ男が廃る。付き合いますよ、ギルバート大佐」
言ってマリアが手を差し伸べる。握手、というつもりだろう。ギルバートは受けて握り返した。しあkしそこでふと思うのだが、自分もマリアと同じように現在女装中である。もし魔女がこの光景をどこかから眺めることができていて、それをミアも見れているとしたら、自分は中々みっともないことになるのではないか。
「……早く出よう。そうだ、一刻も早く出よう」
ギルバートは呟き決意を固めると、入口らしいアーチを潜った。そのままわき目も振らずカツカツと床を踏み進む。当てがあるわけではない。道が分かれていればとりあえず左に進む。人間の心理は右に進みやすいとそういう話を覚えていたからだ。もちろん魔女の迷宮でそんな常識が働いているとは思えないが、左に進む、を徹底すればある程度、何らかの法則も見えてくるのではないか、そんな期待故だった。
「あれ、なんかありませんか?」
そうして十分ほど進んでいると少し広い場所に出た。マリアが指さす通り、先には何かある。白いテーブルだ。ギルバートたちは走って近づいてみる。白いテーブルの上には薔薇の刻印が押された手紙が置いてあり「大佐どのへ☆」と書かれていた。
「魔女どのからのラブレターかな」
冗談めかして言うとなぜかマリアが「いやお前、何物騒なこと言ってんの?赤犬に殺されっぞ!?」と顔を引き攣らせ後ずさる。意味がわからなかったのでギルバートはそれをスルーし、いつも懐に隠してあるナイフで封を切った。
中には便箋が一枚と、鍵。金色の鍵だ。ギルバートが確認すると同時に目の前の生垣に扉が出来る。
「この扉の鍵かな?」
ただ鍵を提供してくれるわけがない。警戒しつつも虎穴に入らんば、という言葉を思い出して鍵穴に差し入れてみる。
「……何もないね」
「壁みたいですけど」
扉を開ければそこは真っ黒い壁。この先に進め、という意図ではないのか。だが何のためにこの鍵と扉を出したのだろう。ギルバートは口元に手を当て、そしてまだ便箋があったことを思い出し、その内容を確認してみる。
『ひとつめしかとおれない』
そこには細い女性らしい文字でそう書かれていた。
「ひとつめって何だ?一人目ってことか?」
マリアが首を傾げる。言葉のまま読めば、そのように取れなくもない。ひとつめしかとおれない。ひとつめしかとおれない。だがギルバートが腕を差し入れようとしても壁はうんともすんとも言わぬ。
「人の爪しか通れない、とか?」
「爪だけ通してどうするんだい」
うんうんうなってやっと口を開いたマリアが呟く。それはないだろう。一蹴してギルバートはもう一度紙を見つめた。そもそも魔女はなぜ迷宮に自分を突き落としたのだ。ミアと遊ぶ時間稼ぎ?それならもっと別の手段もあっただろう。だが迷宮、そしてこの「問題」を提示している。何かを自分にさせたくてこの迷宮に落としたと、そう考えるのが妥当ではないか。
「…………ひとつめしかとおれない」
ぽつり、と音に出して呟きギルバートははっとした。
これが答えだろうか。だがそうなるとマリアはどうすればいいのだ。いや、もともとマリアは「予定外」と魔女も言っている。おそらくは自分がこの「問題」いや、「課題」をクリアすればマリアも一緒にこの壁を通れるようになるのだろう。
「なるほど、そういうことか」
ギルバートの声、トーンが下がった。別段難しい話ではない。いや、簡単すぎる。単純な「課題」だ。これを一つクリアすれば、きっとあとは解読させる気もないと堂々と「課題」を出してくるに違いない。ギルバートはきっと上空を睨みつけた。怒鳴ればきっとミアも見ている。そういう姿を見せたくはない。だからギルバートは睨むだけで何も言わず、ぐいっと、頭のボンネットを床に叩きつけた。ばしん、と軽い音がして、マリアが「どうした?」とこちらを伺う。ギルバートは答えず、手に持っていたナイフでもって自分の目を刺した。
ひとつめしかとおれない。
一つ目しか通れない。
つまりは「片目を抉り出せ☆」と、そういうことだ。今更ながら、白いテーブル、その手紙を乗せていた白い皿の意味を理解した。
++++++++
おや、まぁ。
びっくり、とは素直に驚いた。答えがわかってから何のためらいもなく自分の目をえぐり落としたのはこの海兵が初めてだ。驚き目を見開いて、自分が眺める迷宮、箱庭から顔を上げる。
「ねぇクザンくん、あの海兵って何者?ひょっとしてMなの?」
「さぁ、そういう性癖を語り合う仲じゃないしなぁ。つか、この迷宮って結構えげつないことさせんのねぇー」
の部屋、テーブルの上に箱庭を置き、それを四方で囲んでいる。の隣にはミアがいて、その隣にはドレークがいる。つまりミアの向かい側にクザンがいるので話し易かった。気の毒なマリアと標的であるギルバートを迷宮に放り込んでから、もちろんこの間にドレークは顔を顰めて「一刻も早く出してやれ」と言って聞かないし、ミアはじぃっとギルバートの動きを見つめている。それらを放っておいてはクザンを見上げきょとん、と首を傾げた。
「えげつなくないよー。ぼくが酷い事しようと思ったらもっと酷いもの!」
ぼくの本気を見くびっちゃァいけないよ!と自慢げに言えばクザンが「そっかー、ごめんねー」とまるで悪びれもなく返してくる。別に心からの謝罪を欲しているわけでもないのでは再び箱庭に意識を戻した。
この迷宮は普段使っているものと少々仕様が違う。ドレークやモモンガ中将をからかい倒す時はただの「迷路」を使う。けれど今回のこれは大佐殿専用にあつらえたものだ。マリアが落ちていくその瞬間、気づかなかったわけではないけれどマリアに危険はないのだし、一緒に行ってくれる人がいた方が大佐殿も退屈しないだろうと親切心ゆえに放っておいた。たぶんマリアが知ったら起こるだろう。知られなければいいとには開き直りがある。(この迷宮は大佐殿にのみ「課題」が出される。マリアは大佐殿にひょこひょこついて行けばいい。マリアに課題提出の義務はない)
迷宮の中では第一の課題、「自分の眼球抉り出せ☆」をあっさりクリアした大佐殿が次の課題を探すため前に前に進んでいる。もちろんその真っ白いエプロンは真っ赤だ。
最初の問題が解けたということは今後問題も「同様」であると理解しているだろう。この迷宮にが込めた童話は星の銀貨。昔々の話の、自分が持っているもの何もかもを他人に施す。それをこの迷宮は求めている。
(最初は片目、次は腕、あとはコップ一杯分の血とか、骨とかあれこれ。躊躇う、迷った途端、この迷宮から出口が消える)
そういう場所にした。非情な場所とはちっとも思わないが、容赦というものをは含ませなかった。
ちらり、と隣のミアを見ればミアはただ何の感情も籠らぬ目でギルバートを見ている。この少女、この子供の名を真っ先にあの海兵は呼んだ。大切なのだろう。守りたいと、大事にしたいと、その意志が今もこの箱庭を通じてに伝わってくる。それほど大事にされている少女、けれどこうして表面的には何の変化もない。
「大佐どのは君を助けるために進んでいる。すてきだね。王子さまだね」
バスタブに突っ込む前の出来事でこの一見は何の感情もないような子が内に激しい感情を秘めていることを知っている。そしてギルバートという男に対して、少なくともが罵倒すれば怒るくらいの感情も持っているらしい。
それではその、ビー玉のような目は何を考えているのだろう。気になって水を向けてみたのにミアは無視した。ただギルバートを眺めている。それがには愉快でたまらない。ここで必死に泣き叫んで「もうやめて!」なんて慈悲と慈愛、それになぜかこちらに対する同情心でも向けられたらそれこそ自分は何をしでかしてしまうか予測もつかぬ。だがミアは何もしない。全身でこの魔女を「無視」している。それは怒りであろう。そしてミアは自分自身が「何もできない」とそう理解している。力のあるものに対して逆らうだけ無駄だというそのことを理解している目をしていた。どんな半生を送ったかはに興味はない。だが、だからこそを無視し続けている、その判断を褒めてはやりたい。これこそが「正解」だ。魔女を相手にお姫さまができる唯一の手段。魔女があれこれと王子さまを苦しめる。その姿を眼前に突きつけられても眉一つ動かさない。魔女の嗜虐心を満足させない。そしてただ王子さまを待つ。己の所へたどり着いてくれるのをただ待つ。それこそがお姫さまの戦いだ。
さて、その王子さま。箱庭の中では第五の課題をギルバートが提出し終えたところだった。
「ふふ、満身創痍だね。気の毒に」
これで二つずつあるものはほとんど無くなった。ギルバートの進んだ後には赤いが流れている。
片足を失って歩くことすら段々と難しくなっていく。マリアがいてよかったと感謝しているだろう。うんうん、とは満足げに頷いた。
「、これ以上はもう止めろ」
さて次は何を失うのか。も自分で出した課題の順序は分からない。楽しげに口元を歪ませると、どん、とドレークがテーブルを叩いた。
「なぁに、ディエス」
「こんなことをして何になる。意味のないことだ。もう止めろ」
テーブルに押し付けたドレークの拳が震えている。目の前で行われる「非道」に怒りで震えているのだろう。しかしこちらを怒鳴ってはこない。怒鳴っても効かぬとわかっている。いや、本来こうしてドレークが何か言ったところで聞く気がないこともわかっているのだ。それでも言わずにはいられなかったのだろう。
それにしてもドレークはギルバート大佐をさして知らなかったようだけど自分の知らぬ間に交流を深めたのだろうか。それが面白くない。はフン、と鼻をならしてそっぽを向いた。
「煩いなぁ、ディエス。ぼくに口出しとかするだけ無駄だよね」
「青キジ!」
「ま、実際ギル大佐って不安要素だからねぇ。ちゃんの被害者になって殉死、っていうのは上が喜びそうだよ」
自分が言っても聞かぬとドレークは諦め「大将」にそれを求めた。しかし青キジは箱庭にも興味がないのかアイマスクで目を覆い頬杖をついてしまっている。ドレークが奥歯を噛み締めた音がした。暫くぎゅっと目を閉じ、何か考える素振りを見せたあと、椅子から立ち上がり、を見下ろす。
「なら俺もこの中に入れろ」
ただ見ているだけなどできない。自分が行けば、何かの手助けをできるはず。そう考え決意する目。真っ直ぐな目だ。琥珀のような色の目をは直視することは一生できぬ。だからその強い意志だけ感じ取り、その要求を跳ねのけた。
「それはダメ。ディエスはだめだよ」
絶対にそれはしない。そうは宣言する。いつもいつも好き勝手にドレークを放り込む迷宮とはここはわけが違う。マリアはイレギュラーに迷宮に落ちたから「課題」提出の権利を持っていないけれど、ドレークが「招かれる」という結果になったら、ドレークだって巻き込まれることになる。
そんなことは認めない。
ルールは己が決める。強く言い放ち、そしてドレークが何か言うためか口を開いた。
「お前はなぜ、そうなんだ」
低く、低い声である。ドレークが絞り出すような声で話すことはほとんどない。は箱庭を操る手を一瞬止めて目を細める。
「それ以上言ったら酷いことをするよ。ドレーク少将」
「自分がやられたことを人にしないと気がすまないのか。俺がお前を見捨てたから、ギルバートがミアを見捨てる、その瞬間を見ないと気が済まないのか。ギルバートは俺じゃない。だから、」
途端、ミアの悲鳴が上がった。はミアに何かしたのではない。ドレークが止まらず喋り続けることが耐えられなくなってひょいっと、腕を振った。するとドレークの胸が袈裟懸けに裂ける。血が噴き出して、その「暴力」にミアが悲鳴を上げた。
テーブル、箱庭に血がかかる。ドレークは膝を付き、だがを睨みつけるその目を怯ませない。だからは苛立って、デッキブラシでドレークを打ち付ける。ドレークは抵抗をしなかった。ただ「こんなことをして何の意味がある」とその目でずっと申してくる。
迷宮の中ではドレーク以上にぼろぼろになったギルバートがミアのために様々なものを差し出して出口に近づいて行く。の暴力から逃れたミアはガタン、と落下した箱庭を取り、床に置いてその様子を見ている。先ほどまではの癇癪に怯えていた。だが今は、その恐怖すら押しのけてじっとギルバートを見ている。ミアはギルバートが来ることを知っている。信じている、のではない。そういうものだと、そういうことになるのだと知っている。
「……あ、ちゃん、いったん止血させてもらっていい?ドレーク少将死んじゃうよ?」
「あ、ごめん。クザンくんお願い」
はっと気付けば血まみれになったドレークがぐったりと倒れていた。おや、まぁ、とは冷静になる。嫌な頭の冷え方だ。の腕が止まったのでクザンがドレークの脇にしゃがみこみパキパキと傷口を凍らせていく。やりすぎた、とはは思わなかったしクザンも言わなかった。
そうして暫くドレークの虫の息を聞く。するとぽつり、とクザンが口を開いた。
「ねぇ、ちゃん」
「なぁに?」
「自殺するくらいなら、サカズキに殺してもらえって。ギル大佐とかミアちゃんを巻き込むの、よくねぇよ、やっぱさ」
「ねぇクザンくん。やっと本音を話したと思ったら、それ?ちょっと、酷いね」
が顔を上げればクザンが、顔はドレークに向けたまま「うん、ごめん」とそう呟いた。
「……どう、して?」
そうして二人で沈黙。していると、不意にミアが口を開いた。これまで散々無言を決め込んでいた子供の唐突な声。はこれ以上自分のネガティブさを自覚したくなかったのでそちらに注目することにした。
ミアは相変わらず箱庭に目を落としたままだ。だがその目には、子供の大きな目には大粒の涙がたまっている。今にも落ちそうだ。
「え、なぁに。ついに死んでしまったのかい?」
「……ちがう、どうして……ここまで、してくれるの」
たどたどしい言葉だ。たぶんこの子供は言葉を知らないのだろう。言葉を発する機会に恵まれなかった。そしてさまざまな言葉を聞く機会もなかった。だから、見かけはと同じくらいであるのに信じられぬほど「言葉」が幼い。
「ねぇ、ミア。きみはぼくに「ひどい」ってそう言わないんだね。酷いっていう言葉を知らないのかとも思ったけど、でもそれにしたって、他にぼくを罵ることはできるよね。でもしない」
はミアに近づいて、その向かい側にちょこんと膝を抱えて座り込んだ。ミアはギルバートのことを、きっと何か良い意味で「想って」いるのだろう。それはわかっていた。だからがギルバートを罵れば怒った。けれどがこうして「酷い事」と部類されるだろうものをギルバートにしていても、ただ黙って見ているだけだった。もちろん先ほどが思ったように立派な姫君の態度、ではある。こちらを無視し続ける。だが、それでも内面に「酷いことをしないで」と思うものがあれば、そんな感情が沸けば、にはわかった。けれどこの子供はそんなことを思いもしない。それが不思議だった。
問うてみると、ミアがそこでやっとに顔を向ける。まつ毛が長い。そこに涙がいっぱい溜まっている。零れ落ちてしまえば楽なのに、きっとこの子供は涙を落とさないんだろうと思った。
「いっしょ、……おなじこと、してる」
「おや、まぁ」
賢い子は知っているけどこれほどは初めてだとは心の底から驚いた。ミア、この、妙な子供。いったい何者なのか。純粋な好奇心がわき出る。だがそういうものを暴くのはのマナーに反している。それらを抑え込み、はにっこりとミアの頭を撫でた。
「そう、ぼくはきみがギルバート大佐殿にしていることとおんなじことをしてるのさ。きみはあの部屋で、汚して壊して粗相をして「いったいどこまで」とそれを計っていた。どこまで受け入れてくれるのか、あるいは、怒らせたらどんな反応をするのか、そう相手を「試して」いたんだよね」
ミアを拾った部屋を思い出す。あちこちが丁寧に汚されていた。無遠慮なものではなくきちんと計算されているその「荒れよう」には只管感心し、そもそも、だからこそこの子供を自分の部屋に招き入れたのだ。
この子は賢い。良いお姫さまになる。部屋で見たときのギルバートは王子さまらしくなかったが、それでもミアがこれほど立派な姫君要素を持っているのだし、きちんと手筈を踏めば王子さまになれるだろうと期待した。魔女は、お姫さまを浚った魔女は王子さまに打ち滅ぼされるが相応しいのだから!
「ふふ、きみのそれは、手段からしてみれば、まぁ、愛らしい子供の、一生懸命な「お伺い」ってことにもできる。でも君の目は子供じゃなかった。だから君がギルバート大佐どのに出した「問題」は子供がおっかなびっくり相手を探っているんじゃない。君の場合は、相手の品定め、まるで女性が「この男はどこまで己に尽くしてくれるか」そう考え悪戯心に恋敵同士を戦わせ生き死にを左右する、そんなものに似ているよ」
は突きつける。魔女の目で持って見えた「一つの真実」を突き付ける。ミアが否定しようと拒否しようとそれは自由だ。「そんなつもりはなかった」と、そうミアが一言言えばこれはただのの妄想になる。
だがミアはそうはしなかった。大粒の涙。それが零れる前に腕で拭い、まっすぐにを見つめ、そして沈黙する。
肯定、ではない。「そう取られる可能性をわかっていた」とそういう意味での沈黙だ。は久しぶりに本心から笑い声を上げた。
敗北だ!この己が!
この500年近く無敗だったこの魔女が、ついに敗北した!これまで挑んだどんな強者、海賊、海兵でもない。どんな美女、魔女でもない。この己を打ち負かしたのはみすぼらしい身なりをして礼儀も作法も何もなかった小汚い少女であったとは!
ひとしきり笑い終えてからは目じりに浮かんだ涙を拭う。
「完璧だね、ミア。きみは素敵だ」
「……ギルを、出して」
「それはできない。王子さまは自力で魔女の難問をクリアしないとダメなんだ。これは絶対だよ」
たとえ閉じ込められた塔の中でお姫さまが魔女を言い負かしたとしても、それでも脱出するのには王子さまの救いの手がいる。王子さまはお姫さまのために難関をクリアする義務がある。
「きみはさっき、どうして大佐殿がきみのためにここまでするのか、そう疑問に思っていたね。その答えをぼくは知らないけれど、ぼくにもわかることがある。王子さまというのはそういうものだ。きみがお姫さまで確定し、彼が君の王子さまになるのなら、彼はそういう生き物になる。お姫さまのために血を流すのが当たり前、ご褒美の口づけのためにどんな無謀にも挑むしかない。そういう生き物が王子さまというんだよ」
「じゃあ、いらない」
これで暫くは楽になれると、そうの気は晴れやかだった。もうドレークに裏切られないで済むし、人の死を見続けることも少しの時間だがしなくて済むようになる。そう思って口が軽くなり、ついいらぬことまで言った。その途端、ミアが箱庭を持ってすくっと立ち上がる。
「……うん?」
この子は何をする気だ。そして今、何と言った。
「おうじさま、な、んて、いらない。ギルを苦しめる、お姫さまになんて、ならない」
子どもの腕では箱庭を支えているのは不可能。おや、とが思う暇もなくミアは箱庭を床に叩きつけた。
ぐわぁん、と全体が歪む。魔女の力。ミアは姫君に位置づけられるのを拒んで箱庭を破壊しようとした。と、それが説明できる出来事。だが「しようとした」である。
「………惜しかったねぇ」
落下してもその衝動など意にも介さぬ。そのまま床に転がった箱庭に近づいて、はちょこん、と腰をかがめる。もちろん中の世界にも何の影響もない。当然だ。
「落としてから宣言すればよかったのに。そうすれば壊せただろうね。きみがお姫さまにならないって否定した瞬間、きみは魔女に対抗する姫君の力を失った。ただの子どもの腕力で、破壊できるほど優しい童話を使用してはいないんだよ」
この場でこれを破壊できる者はいない。はっきりしていることだ。ミアを見上げれば、少女、悔しそうにするどころか再び箱庭を拾い上げ、今度は椅子の上から試みようとしている。
「無駄なのに」
高さを変えたところでどうにかなるものか。は呆れた。失望感もあった。諦めないのは人の美徳だ。諦めが人を殺す、なんてどこぞの妙な生き物も言っていた。けれどこと今回のことに限っては諦めぬことほど無駄なことはない。いずれギルバートも出てくるんだが大人しく待っていればいいのに、それがいやなのだろう。いや、わかっているのだろう。大人しく待っていては、折角捨てた姫君の座が再び、今度は強制的に身に宿る。状況がギルバートを王子さまにし、ミアを姫君の座に縛り付ける。それを理解しているから、ミアは諦めぬのだろう。
「……何度、でも、やる」
ぐいっと、ミアが箱庭を落とした。だがやはり何の変哲もない。クザンはドレークの止血が終わったのか「とりあえずおつるさんに報告してくるわ」とドレークを担いで出て行った。何度も何度も、ミアは繰り返す。十辺ほど繰り返せば、そのうちミアの手に血が滲んできた。ただの子どもがいつまでも魔女の道具に触れていて無事にすむわけもない。
「あきらめ、ない」
元々体力のある子ではないのだろう。ふらふらとし、おぼつかぬ。魔女の悪意に長時間さらされてはいずれ死ぬかもしれない。こんな状況下で自分とミアを二人っきりにしたクザンとドレークを心の中で罵った。この子が死んだら二人の所為だ。少なくとも、自分の所為とは欠片も思わない。そう決めて一度目を閉じる。
ガッシャン、とミアがまた箱庭を落とした音がする。その音に目を開き、は体を強張らせた。
「よう言った、これにここまで言われてそれでも諦めん女子はおそらくおどれが初めてじゃろうのう」
ついに疲労が達し崩れ落ちるミアの小さな体、それを抱き留めて支えたのはがこの世で唯一恐れる、海兵。
正義を示す純白のコートはびくりとも肩から動かず、鍛え上げられた身体を濃い臙脂のスーツが覆う、この魔女の部屋にあってまるで悪意の影響も受けぬ堂々としたそのたたずまい。
その大きな手がミアを守るようにの前に出される。は無言でその手を見つめた。ぼこり、とマグマが湧き上がる。この腕は自分を殴り飛ばす、それがわかっていた。
「何ぞ言い訳をするかと思うたが、覚悟は出来ちょるようじゃなァ」
「ぼくはMじゃないからね、「えぇ。もちろん!」なんて言わないよ」
口を開いた途端、そのマグマの拳がの腹を焼き殴った。本気で殴ればこのまま壁を突き抜ける実力者。だが赤犬は「制裁」を与えることを目的としている。建造物破壊は意味がない。だからの体は壁に勢いよく当たり、そのまま下に崩れ落ちるのみで留められた。
「勝手に死のうとしやがって。おどれにそんな権利があると思うなよ。おどれの生き死にを決めるのはわしじゃァ、どれほど貴様が嘆こうが企もうがその命の終わりはわしが決める。それまで苦しめ、己を縛る茨の縄で血を流し続けろ」
再度殴られ、蹴り飛ばされ、はぼんやりと目を開いた。この場にドレークでもいれば庇ってくれただろうか。いや、まぁ、自分の所為でいないのだ。どう考えたって自業自得である。そう思うと「ま、しょうがない」とあれこれ諦める心が沸いてきた。サカズキに蹴られる毎日、それで今の所は満足することにしよう。
とりあえずぼろぼろになり、あちこち砕かれてから、は突然の海兵の登場、それもいきなり赤犬の怒りモードに怯え声もなくしているミアに手を差し出した。
「箱庭を、ぼくに、きみの王子さまを出してあげる」
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すっかり日が暮れて星空。ミアがゆっくりとした震動に目を覚ますと広い背中が見えた。
「ミア?起きたのかい」
ギルバートの声だ。ここは、ギルバートの背、自分は背負われているらしい。何度かあるこの感触にミアは息を吐いて、ぽすん、とその背に頭を押し付けた。
今までのことは全部夢だったのだろうか。いや、違う。ミアは自分の髪がさらさらと綺麗にとかされていることや、見る部分から覚えのない厚手のコートを着ていることが分かった。
「………ギル」
ぎゅっと、ミアはギルバートの背中の服を掴む。夢ではなかった。悪い、夢ではなかった。だが、それならどうしてギルバートに腕や足があるのだろう。こうして歩いている、自分を背負っているということはそれらが揃っているということだ。
「もう少し寝ていてもいいよ。もう直に部屋につくから」
「……けが、ない」
顔は見えないが、ギルバートはそれほど疲労していないように感じる。どうしてだろうか。ミアは箱庭の様子をずっと見ていた。魔女がギルバートにどんな要求をしても、それを拒みはしなかった。腕を、と言われれば腕を、足を、と言われれば足を。逆えばよかったのだ。ギルバートはそういう強さを持っているはず。けれどそれをしなかった。どうして。なぜ。
「怪我?あぁ、迷宮であちこち失ったもののことか。あそこは「本当」じゃないそうだよ。だから痛みは本物でも、怪我は偽物。人の痛みを玩具にする、それが魔女の悪意だそうだ」
ギルバートの声は穏やかだ。ミアは自分がいつ気を失ったのか覚えていないが、たしか、全身が真っ赤に燃える海兵の人が入ってきた。そして魔女を打ちのめした。そこまでは覚えている。その後その海兵がイルバートを助けてくれて、そして自分は今こうして背にいるのだろうか。
「いろいろあったけれど、とにかくミアが無事でよかった」
分からぬことが多い。けれどギルバートはそう言って「終わり」にしようとする。その響きを感じ取り、ミアは首を振った。
「?どうした?ミア」
激しく動くと「降りたい」という意思表示だと取られたのかギルバートがミアを下す。自分は何を言えばいいのだろう。下され立たされてミアは困惑した。何を、言えばいい。自分のために傷ついてくれたことに対してのお礼?背負ってくれたことへの感謝?違う。違う。そんなことをしても、きっと意味はない。そういうことを、今するべきではないのだ。それがわかった。
だが何を言えばいい。
困りぎゅっと俯くミアを眺めていたギルバートは「あ、そういえば」と思い出したように声を上げ、そしてミアと目線を合わせるべくしゃがみ込んだ。
「ミア、可愛い恰好をしているね。お姫さまみたいだな」
「……着せて、くれた」
「あの魔女が女の子は皆が皆お姫さまって言っていたけど。それならミアもお姫さまだね」
あの魔女は「衣装は必要さ!」とそう言ってあれこれとミアにドレスを着せてきた。そのうちで魔女が最も満足するものをミアに押し付け、そして今の今まで来ているらしい。分厚いコートの下にそのドレスを確認してミアの顔が曇った。そうだ、思い出した。夢じゃなかった、あの時の悔しさ。
目の前でギルバートが傷ついて行く。血を流す。それをただ黙って見ていろと突きつけられた。ミアは、これまでの生活で自分が何か叫べば、泣けば、相手がますます怒る、あるいは愉快になるとそう学習していた。だから黙っていた。そうするしかできなかった。それが「守られるお姫さま」とそう言うのか。
「……嫌」
「うん?」
「……あんなの、嫌」
言ってぎゅっと、ミアは近くなったギルバートの首にしがみつく。お姫さま。魔女に障られて王子さまが助けに来るのを待っている。王子さまはお姫さまのために血を流す。
「……あんなの、嫌だ」
お姫さまになんてなれないでいい。綺麗なドレスもガラスの靴も、いらない。言葉が達者であればミアはそう言っただろう。だが言葉が出てこない。だからぎゅっと抱き着く。
試していた。自分も、魔女と同じだ。相手が「どこまで」してくれるのか。許すのか、それを見極めようとしていた。だから、自分も同罪だから、魔女を非難できないとわかっていた。だが、なんてことをしていたのだと後悔が募る。
ギルは最初から、自分に手を差し伸べてくれていた。それを思い出す。海軍に母が、海賊が連れて行かれた。母を助けるためならなんでもすると、そう言った自分を、ギルバートは止めることも笑うことも、助けることもせず、傍にいてくれた。
試す必要などなかった。試したのは自分が憶病だったからだ。
この憶病な心が、魔女を引き寄せた。そうミアは判じる。だからギルバートを傷つけたのも、辛い思いにさせたのも、全部全部、自分が「犯人」だ。自分が疑ったから。「どこまで」とそう、試していたから、魔女に興味を抱かせた。
「あ、そうだ、ミア。忘れてた」
「?」
「ただいま」
黙り小さく震えるミアを、ギルバートは抱きしめ返した。聞きなれぬ言葉をミアの耳に聞かせ、そしてゆっくりと頭を撫でる。
「考えていたんだ。俺は、たぶんミアに謝らないといけないことをした。でも謝るっていうのは俺の自己満足で、でも、だからってやり直しができることでもない。だから、おれはね、ミア、おれは、ミアに「ただいま」って言おうって、そう決めたんだ」
ギルバートの頭がミアの肩に乗せられる。ミアはこんなにギルバートを小さく感じたことはなかった。自分の二倍以上もある大きな大人。強くて、強くて、強い大人だった。その大きな体を自分の小さな体で抱きしめられるとは思ったこともなかった。
しかし、今、ギルバートの大きな体をミアは抱きしめる。ぎゅっと、その広い背に腕を回して目を閉じる。
「俺は王子さまじゃないし、ミアもお姫さまが嫌っていうなら、おれたちは家族になるしかないんじゃないかな。だから一緒にいて、それで、ミア、おれは「ただいま」ってそう言うよ」
そう言えばギルバートは外に仕事のはずだった。そうして帰ってきたのだ。だからミアは「ただいま」と言われてなんと答えればいいのか思い出した。
ミアは体を放し、ギルバートと向かい合う。その真っ直ぐな目の中にはミアが映っている。そしてその瞳の中のミアはギルバートの「罪」を教えてくれた。静かに、静かに、ミアはその事実を聞いて、そして同じように、今真っ直ぐにギルバートを見つめる自分の目に、同じようにギルバートが映っていて、その彼がミアの罪を告発しているのを感じた。
二人は黙り、そして最初に口を開いたのはギルバートだった。
「ただいま、ミア」
「おかえり、ギル」
言われて、言葉を返す。そうしてまたお互いをぎゅっと抱きしめた。
Fin
後日談あるんですがこれ以上長くするのもなんなんで省略。一応ギルバート大佐の准将昇格式inパンドラ謁見、での出来事とかそういうの考えてました。
hisaさん本当ありがとうございました!!
(2011/06/15 22:04)
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