サカズキ、本日の仕事は終了、も訓練終了。今日はとても暑かったと眉を寄せながらの感想。どうやら本日は炎天下の下、一般海兵らに交じって基礎体力作りをしていたらしい。、先日からおつる中将のもとで「立派な海兵になるため」の訓練プログラムを受けている。と言って、どう考えても貧弱なが屈強な男どもに交じって訓練などできるはずもないと、それはおつるも重々承知。それで、おつるは4年に一度彼女自らが手塩にかけて育てる「特別訓練生」の中にを入れたのであった。
海軍本部の通信兵ともなれば、秘密厳守の徹底できる精神力、情報処理能力、それに高度な事務能力も求められるもの。粗野な武人とはわけの違うもので、知的な意味でもかなり過酷だったが、それに加えて「文武両道」をとくおつるの信条、それなりに体力訓練もある。
は毎朝サカズキよりも早くに起床して、サカズキよりも遅くに帰ってくる。当初、それを快く思わず、今すぐにでも大将権限でを除籍しようとしていたサカズキだったが(←大人げない)毎日くたくたになりながらも「サカズキと一緒にいたいから、ぼく、がんばるね」とほほ笑むに、そんな強硬手段を取れずにいた。
それで、サカズキもが訓練を終えるまで執務室に残り仕事をし、を待つようになって一ヶ月が経過した。
「ほんと、今日すっごく暑かったんだよ。海兵さんたち皆汗だくになって訓練してたよ。ぼくらは一時間くらいで運動は終わったんだけど」
サカズキの就業時間から二時間後、汗と泥にまみれながらも、ちゃんとサカズキのところに戻ってきたを迎え、二人で廊下を歩きながらその途中の会話。サカズキは自分から何かを話すわけではないけれど、その沈黙が拒絶という意味ではないことを知っている、あれこれと本日あったことを楽しそうに報告してくる。
当初、サカズキはに監視でもつけて行動を逐一報告させようとしていたのだが、がサカズキにこうして毎日のことを話すもので、そんな必要はなかった。だがしかし、明日からはそうもいかないだろうとサカズキは決意している。
「ぼくとルカくんとルイくんはそのあと三人で、海兵さんたちに飲み物配ったり、タオル渡したりって大忙しだったんだ。みんな本当に疲れてたんだね」
ルイとルカはの同期となった見習海兵である。双子の兄弟でどちらがどちらか周囲は見分けがつかない。
以前の様子をこっそりと見に行った時に、やたらに近づいていた双子を思い出し、サカズキの眉間に皺が寄る。しかし、その二人をどうこうするより先に、サカズキ、の言葉の後半にぴくり、と肩を揺らした。
「サカズキ?」
その様子、敏く気付いたが不思議そうに見上げてくる。サカズキは何事もなかったように無表情を装って、を見下ろした。あどけない青い目がサカズキをきょとん、と見つめている。サカズキは本日の一般海兵らの休憩中にが海兵数人に言い寄られていたのをクザンから聞いている。だがはそれを話さなかった。ただ「大変だった」と漏らすのみである。
『いやあー、ちゃん大人気?若い海兵はのこと知らねぇからなぁ。かわいーこちゃんがかいがいしくヤロー共の世話してくれるからみんな張り切ってるってさ。今日なんて休憩中にの手握って食事に誘うヤツがいたんだってよ』
夏でなければサカズキは、そう言ったクザンを部屋から叩きだしたに違いない。にやにやと、しまりのない顔でそう報告してきた男。別段、いやがらせではないのだろうが、しかし善意でもない。サカズキは手に持っていた羽根ペンをべぎっと折り、クザンの襟首を掴んで続きを促した。
『まぁ、ちゃん普通にスルーしてたけど。っつーかありゃ、意味わかってなかったな』
『解ったところであれが私以外の誘いを受けるものか』
言い切りながら、サカズキはほんのわずかに心中、ほっとしたものがあるのを認めないわけにはいかなかった。それと同時に、苛立ち。
の容姿が人並み外れて際立っていることは百も承知である。本名パンドラ=リリス。神の贈り物の名を持つ生き物。醜いわけがない。それに加えて、現在は、さまざまなことを清算したおかげか人懐っこさを増していた。海兵になってサカズキの役に立つためなら、と人に使われることを厭わなくもなった。それがクザンの言う「かいがいしく働く」様子に見えるのだろう。
正直な話、サカズキはを自分の部屋に閉じ込めて、一歩も外に出したくはないのだ。自分だけを見ていればいい。というか、なぜが自分以外の人間と関わる必要があるのだと、そんな疑問さえある。の全てはサカズキのもので、自身、サカズキに全て捧げると言っている。それなのに、現在サカズキは朝から夜までを傍に置くこともできず、夜は付かれ切ったがベッドに入ってすぐに眠るのをただ眺めていることしかできない。
あれだけ長い時間をかけてやっと手にいれられたと思ったのに、これならば昔の状態の方がはるかにましだった。
そして、明るく笑うようになったに、自分以外の男が近付く。これまでを「魔女」と知っていた、海の強者ではなくて、本当に、ただの人間がを好きになる。
「どうしたの?サカズキ」
立ち止まったサカズキを一歩先に行った場所で止まったが振り返り、小首を傾げている。サカズキは目を細めて、の赤いスカーフを掴み、引き寄せた。
「っ」
乱暴な仕草、息苦しそうには眉を寄せて、そしてサカズキの胸に収まる。そのままの顔を手で抑え込み、真っすぐ瞳を覗き込んだ。以前のように怯えた目でも、また、出会ったころのように蔑む目でもなく、ただ驚いただけの、阿呆のような顔をした。それでも、サカズキの知らぬ間に、知らぬことをするようになるかもしれない。は、今日海兵に手を握られたことをサカズキには言わなかった。いや、はもう覚えていないのかもしれない。が見ているのはサカズキだけである。それを、ちゃんとわかってはいた。だが、それがいつまで続くか、という保証は誰がするのか。
「今日、籍を入れた」
「……え?」
「名実ともに、貴様は私のものだ。異論があれば聞くが、認めるつもりはない」
きっぱりと、言い捨てる。嘘ではない。サカズキ、6時に自分の本日分の仕事が終了すると同時に、との入籍書類を作りセンゴク元帥に提出した。五老星にも同じものが届けられるように手続きをしている。もともと、海の魔女の監視を続行したいと願っていた政府の意思は異存もなくサカズキの書類を受理してくれた。本来、結婚証明書は男女双方のサインが必要なのだが、センゴクにしても五老星にしても、重要なのはの意思などではない。
「……え?え、え、え?籍入れたって、え?どういうこと」
「法の上になんの問題もなく、貴様が私のものになったということだ」
唐突な、何の脈絡もない(サカズキとしてははっきりと理由があると思っているにしても)話にが混乱した。ころころと表情を変えながら必死に理解しようとしている様子。サカズキの言葉をぶつぶつと繰り返して、そしてやっと飲み込めたらしい。ぽん、と手を叩いた。
「ぼく、サカズキのお嫁さん?」
「そういうことになった」
「サカズキはぼくの旦那さま?」
「そういうことになる」
肯定すれば、なるほど、とが頷いた。それではたり、と表情を消して押し黙る。の無表情、サカズキは眉を寄せた。常々は「サカズキのものになりたい」と言っている。だからサカズキは、できる限りの手を使ってを自分のものにした。そして今日は法の上でも、というだけのことである。
何か反応があるのなら、の取るものは「喜ぶこと」だろうと思っていたのだが、この無表情、は想定していなかった。
「何が不満だ」
長い付き合いである。は気に入らぬことがあると、表情を消す。それでため息を吐いて問えば、ぎゅっと、が唇を噛んだ。それで一度サカズキを見つめてからしかし、ぐっと、耐えるように眉を寄せて、首を振る。
「別に、何も」
その動作で何もない、こともないだろう。サカズキはこちらも負けず、不機嫌そうな顔になり、腕を組んで立ちつくした。
「その顔でか」
「嬉しいことには、嬉しいよ。こんなぼくをお嫁さんにしてくれるのは、本当に、うれしいし、感謝もしてる。ありがとう」
礼の言葉。だがサカズキが欲しいのはそんな言葉ではなかったし、そんな顔で言われるなど、はっきり言って不愉快である。これまでの二人であればこの場でサカズキが茨で縛りつけるか何かして口を割らせようとし、ますますが口や感情を閉ざしていただろう。
だが、そういうことをしたいわけではない。サカズキはため息をひとつ吐いた。
「」
名を呼べば、自分の中で感情をコントロールしたが、いつもと変わらぬ目でサカズキを見上げる。
「なぁに?」
しかし、それでなかったこと、流すつもりはサカズキにはなかった。腕をくんだ体制でを見下ろしながら、ゆっくりと息を吐く。
「これまで、私はお前に言葉が足りなかった。望んでそうなっていたわけではないにしても、だ」
「…そうだね」
この20年間、ほとんどの時間を共にいたにも関わらず、サカズキはを冷遇していた。あまりにも冷淡すぎて凍りつくのではないかとクザンに揶揄られたこともある。最初の10年ばかりはそれで何も構わなかったが、しかし、けしてずっと、そうしたいと思っていたわけでもなかった。
「私は、出来る限り、もうそんなことはないようにしたいと、そう考えているのだ」
「…うん。それはぼくもだよ」
「だから、言いたいことがあるのなら言え」
ぎゅっと、が胸の前に手を当てて、眉を寄せた。唇を噛んで何かを耐えるような様子、サカズキはもう一度の名を呼んだ。
「」
そしてそのまま、ぐいっと、乱暴に顎を掴めば、その青い眼に涙が浮かんできた。サカズキはぎょっとして眼を見開き、「別に殴っていないだろう」と慌てたくなったが、それはそれ。
どうも、最近、どんな状況であってもの涙には弱い。反射的に手を放せば、サカズキから逃げるように離れたが俯いたまま、ぼそり、と呟いた。
「……ぼくは、ちゃんと」
「なんだ」
小さな声ではあるが、の声を聞き逃すことなどしない男。答える気になったことに気づいて続きを促せば、キッ、と眼尻に涙を浮かべたが睨みつけてきた。
「ぼくは、ちゃんとプロポーズしてほしかったの…!」
顔を真っ赤に染め上げて、それはもうゆでた蛸のようになりながら、ぽかぽか、とサカズキの胸を叩いてくる。
「…な、に?」
「サ、サカズキは…!そういうのしないってわかってるし、べ、別に…期待とか、してなかったよ!?でも、でも…!!ぼくだって、好きな人にちゃんと、好きだって、結婚しようって、言ってほしかったのに!!なのに、知らない間に籍入れて、しかも事後報告なんて…そんなの、酷いよ!!!サカズキのばかッ!!!」
癇癪を起した子供のように、ぽかぽかとサカズキを叩きながら(ちなみにちっとも痛くはない)怒鳴るように言ってくる。
サカズキは唖然としてしまった。
「サカズキがぼくのこと好きだって、し、知ってるけど…!!でも、でも!!」
何も言わぬサカズキに何か不安なものでも感じたの嗅、ぐっと、言葉に詰まったが嗚咽を押えこみながら、ぎゅっとサカズキの胸に顔を埋めて震える。カタカタと小さく揺れる肩を押え、サカズキはの顎に手を欠けてもう一度無理やり自分の方を向かせながら、眉を寄せた。
「…」
「っ、なぁに!?」
目を涙でいっぱいにしながら、こちらを睨んでくる幼い顔。サカズキはため息を吐きたくなった。
「…今ここで押し倒されたいのか?」
「なんでそうなるの!!?」
「………そうなるだろう」
いや、普通に、何だこの生き物は、とサカズキは真面目に思った。こんなことを言って、こんな顔をして男の嗜虐心と征服欲を刺激しないと本気で思っているのか?馬鹿かこいつは、と呆れたくすらなる。よくこれで400年間ほとんどのことが未遂に終わっていたと、サカズキはの前を通り過ぎていった男たちに拍手をおくりたくなった。(彼らからすれば余計な世話である)
「…あ、呆れてるんでしょ…ぼく、子供っぽいって」
「…いや…呆れたことは呆れたが…どちらかといえば、そのことにではない」
ほこん、と咳ばらいをひとつして、サカズキ、まぁが何を不満に思ったのかわかってよしとする。忘れていた。この千年生きた魔女、達観したところはあるが、昔から「王子さま」を真剣に信じていた、ロマンチストである。
よりにもよってがロマンチストというのは冗談にしか聞こえないが。
「どうして欲しかった。まさか私が貴様に膝を付いて結婚を申し込むマネなどするわけがないことくらいはわかっているだろう。そういうのはロブ・ルッチにでも頼め。頼んだ瞬間貴様もろとも蹴り飛ばすがな」
「そ、そんなのわかってるよ!!ぼくはルッチくんのお嫁さんになりたいわけじゃないし…!でも、そ、その……」
今、さらりとロブ・ルッチが聞いたら海に飛び込みたくなりそうな会話が繰り広げられたが、それについて突っ込みを入れるものはいない。
「なんだ」
「結婚、しようって…ちゃんと言ってほしかったの。そりゃ、ぼくの答えなんて決まり切ってるけど、でも、でもね、一輪でもいいから薔薇でも持って、こんな汗だくで汚れた格好してる時じゃなくって、ちゃんと、ちゃんとしてる時に言ってくれればそれで良かったのに……!!」
全く不可能でも、贅沢な望みでもなかった。最近やたらシェイク・S・ピアの恋愛小説にハマっているらしいのことだから、夜景の見えるレストランで、など、かなりサカズキに似合わぬことを要求されるかと思ったが、とても控えめな望みである。
「サ、サカズキのバカ……ッ、大事なことなのに、事後報告ってなぁに?へ、部屋で言ってくれてもよかったのに、なんで、こんな、廊下で……!!」
また涙が押し寄せてきたらしい、ぐずっと目をこすり、必死に抑えようとしているその手を取る。
「いつも言っているな?擦るな、目が腫れる」
「わ、かってるよ!!でも、前…、サカズキが、見えなく、なるから……!」
だから本当に、ここで押し倒されたいのかとサカズキは再度問いたくなった。
しかしいくら夜遅い時間、将校以外が立ち入ることは稀な海軍本部“奥”の廊下とはいえ、誰も通らぬわけではない。いつまでもここにいての泣き顔を見られるのはごめんであった。(の泣き顔を見ていいのは自分だけである)
ひょいっとを抱き上げて、目を拭おうとする手を取る。
「サ、サカズキ?」
「明日は訓練を休め」
「?どうして。そんなのダメだよ」
おつるちゃんは厳しい、とは眉を寄せた。海兵としての実感ゆえ、ではなくては昔からつる中将に苦手意識を持っているらしかった。確かに、サカズキも海軍本部で唯一頭の上がらぬ相手ではあるが、しかし、大将の名を出せば形式上はなんとでもなるはずである。職権濫用、という言葉が浮かんだが、何か文句があるのかと逆に言いたくなる。
そんなサカズキの開き直りなど知らず、は不安そうに眉を寄せた。
「ダメだよ。だってぼくがいないと、ルカくんとルイくんが二人で海兵さんたちのお手伝いするんだもの。明日は食堂を手伝う予定だったんだよ。ぼくがレジするって、約束したんだ」
「午後からやればいい。明日は午前中は、どのみち起きれん」
きょとん、とが顔を幼くし、しかし次の瞬間ボッ、と顔を真っ赤にした。意味がわからぬ、というほど幼くはない。ぱくぱくと口を酸欠状態の金魚のように開き、見上げてくる。サカズキは目を細めて、の片手を取り、見せつけるようにその手の甲に唇を落としてから、ゆっくりと言葉を続けた。
「一晩かけて、貴様の気に入る“結婚申し込み”の言葉を吐いてやる。耳を塞ごうなどとくだらんマネをしたら、その体に刻みこんでやるから覚悟しておけ」
だって、女の子なのだもの!!!
(もう十分だよ!!)
(遠慮するな。まだまだ足りんだろう?)
あとがき
……砂吐くかと思った…。なにこのバカッポー。
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