りんりん、りりん
葉巻ばかり吹かしている同期が珍しく口に何も咥えず、渋面をして(いや、いつも表情は厳しいが)中庭に腰掛けていたもので、ドレークは少し気になり、その背に声をかけてみることにした。
「スモーカー。珍しいな、お前が本部にいるなんて」
普段滅多に本部に寄り付かぬ「現場」主義の男、ドレークの声に振り返って「あぁ」と、気のない返事を返してきた。呆けている、というよりは困窮していてそれどころではない、という様子。ドレークは眉を跳ねさせ「どうしたんだ」と続けて声をかけてしまった。最近の面倒ごとにつき合わされている所為か、おせっかいになっているのかもしれない。
「何かあったのか?そういえば、最近お前のところに女性の剣士が配属されたと聞いているが、早速お前の性格に耐えられず辞表を書いたか」
気を乗らせようと、あえて明るい調子で言えば、スモーカーは普段はいている煙の量よりも多く息を吐いた。
「タシギはよくやってる。トロいがな」
「そうか。では何だ。まさかまたヒナ絡みじゃないだろうな」
「ぬかせ。二度とあんな面倒ごとはごめんだ」
随分前に遭遇した問題を口に出せば、スモーカーが嫌そうに、しかし、やっと気が乗ってきたか、いつもどおりの揶揄するような声音になる。コツン、と、ドレークとスモーカーは拳を合わせ、それでやっと「久しぶりだな」とお互いの挨拶を交わした。確かに、スモーカーとこうして公式ではない場所で言葉を交わすのは随分久しぶりだと、話しかけたドレーク当人が改めて感じる。
海軍本部“奥”から随分離れたこの中庭に、スモーカー中佐がいるのはさほどおかしくはないが、ドレーク准将がいるのは、少々、不釣合い。ドレークは一般食堂へちょっとした用があり立ち寄ったその帰り道である。執務室に戻って書類を整えてから、の部屋に行き、最近少し体調を崩しているらしいので、あれこれと具合を聞き出さなければならなかった。それでも、懐かしい同期の桜と交友を暖めるくらいの余裕はある。
「お前の噂は聞いてる。随分出世してるようじゃねェか、ドレーク准将」
「お前だって問題さえ起こさなければとうに上がってるだろう。聞いたぞ、先日上官を殴り飛ばしたらしいな」
ドレークは人一倍出世が早い。その自覚もあるが、スモーカーが言えば嫌味に聞こえなかった。そういう男である。そしてドレーク自身、己と同じくらいの速度でスモーカーが出世していてもおかしくないと思っていた。自然系の能力者で部下からの人望も厚い男だ。だがしかし、どうもこの男は縦社会に真っ向から牙を向いてしまうらしかった。
昨日大将青キジが話していた内容を思い出して、実際はどうなのかと口に出せば、スモーカーが肩を竦めた。
「新兵の手柄をテメェのモンにして報告書を作りやがるバカを殴って何が悪い」
「あぁ、なるほどな」
判りやすい回答である。ドレークは頷き、どうりで、と納得した。その事件によりスモーカーの昇進がまた見送られることになったが、しかし、妙に青キジが面白そうに話していたわけである。
自分であれば上に報告し、という手段をとっただろうが、スモーカーはそうはしなかった。それをどちらが適切だったか、という判断はドレークはしなかった。当てるものさしによって答えが違うことは判りきっているからだ。
「おい、ドレーク」
納得して頷くドレークに、スモーカーがぽつり、と口を開いた。
「なんだ」
「ガキの知り合いはいねェか」
は?と思わず間の抜けた声を返してしまった。顔と雰囲気が怖すぎて、近づいた子供が2秒で泣くといわれているスモーカーの口から子供を示す単語が出たことに、妙な、こう、違和感がある。脳みそが理解するのを拒もうとするのを何とか押さえ、ドレークは利き返した。
「なぜだ?」
一瞬頭の中にさまざまな可能性が浮かんできたが、しかし、どれもピン、とこない。ドレークの知っている「子供」はくらいだが、が「子供」かどうかは言わずもがなである。そして、子供、でが浮かんできたときに、まさか自然系の能力者であるスモーカー、例の飢餓でも来たのかと心配になるけれど、それならもっと酷い有様になることを経験上知っているので、それはないだろう。
問うドレークに、スモーカーは疲れたような顔をして、足元からひょいっと、何かを持ち上げた。どん、と、ベンチの上に置かれたのは、竹造りの籠である。
中には草が入れられており、黒っぽいものが、ちょこん、と乗っている。
「虫か?」
「あぁ、部下のガキが去年の夏祭りに鈴虫を買ってな、上手いことやって、冬を越したらし。そいつが卵を産んで、今うちの部隊で一人三匹ノルマになってんだよ」
再び判りやすい回答である。ノルマ、というのは、つまりは「配ってこい」ということだろう。一体何個産んだんだ、とドレークは顔を引き攣らせる。
通常夏祭りなどで買った鈴虫はその秋で命を終わらせてしまう。それを持たせて卵まで産ませたということは、スモーカーの言葉通り「上手いことやった」のだろう。話を聞きながら関心しはしたものの、ドレークはスモーカーが何に困っていたのか気付いて、慌てて「俺は無理だぞ!」と声を上げた。
部隊で配っているというのなら、スモーカーも配る宛てがほとんどないということになる。それで困っていた、といのはわかるが、しかし、それで自分も助けられるかと言えば、その可能性は低かった。ドレークは基本的にあちこちへ飛び回ることが多いし、の世話で自室に帰ることもほとんどない。そんな中虫を飼育などできるはずがない。
折角貰ったものを死なせてしまうのはあまり、よくないだろう。そう思って拒否すれば、スモーカーも「だから、ガキの知り合いはいねェかって聞いてんだ」と、返してくる。
「海兵になんざ押し付けても死なせるだけだろうが。お前の部下か上司にガキはいねぇのか?」
問われてドレークは思い出してみるが、2,3人、部下に既婚者がいても、確か生まれたのは赤ん坊だったり、娘だったりのはずだ。4,5歳の女の子が虫など貰って喜ぶとは言いがたい。
「すまんな、力になれそうにない」
素直に謝れば、スモーカーは気にするな、と言った。それで、二人はまた飲もうと言う話になったのだが、その話がまとまる間際、ドレークはふと思いつく。
が飼えるのではないだろうか。
「鈴虫の飼育は、難しいのか?」
「いや、話じゃ、ある程度湿度を保って餌をやりゃぁいいそうだ。なんだ、貰い手の心当たりでもあんのか?」
「あぁ。だが、ちょっとわけありでな。お前に名前は言えないが」
言えばスモーカーが眉を跳ねさせた。
「お前に隠し子がいたとは」
「違う!!」
そういう意味のわけあり、ではないのだが、スモーカーとて本気で言ったわけではないだろう。話せぬことをドレークが気に病まぬようにという気遣いであることは明白だった。しかし、そのからかい方はないだろうと、ドレークは顔を赤くし、ごほん、と咳払いをしてから、話を戻す。
「一つ譲ってくれ。このところ退屈しているようだから、丁度いいかもしれん」
「ついでにあと二つどうだ」
「それは自分でなんとかしろ」
残り全て押し付ける気のスモーカーに容赦なくいえば、スモーカーが残念そうに肩を竦め、しかし、「助かった」と礼を言ってきた。
+++
籠を腕に抱えながら、の部屋を目指すドレーク。聊か不安がないといえば、嘘になる。がこの鈴虫を気に入るかどうか、それは定かではない。第一、一応あれでも「女の子」なので、虫を貰ってもいやなのではないかという気はしなくもない。
だがしかし、鈴虫はよい声で鳴くと聞く。は体調が優れないのなら、ベッドに暫く縛り付けられるだろう。その間、無聊を慰めるものがあれば「つまんない」という発言のあと行方不明者も出ないだろう。
とん、と軽いノックをしての部屋に入れば、途端上からタライが落下してきた。いつものことなのでそれを避け、次に襲い来る矢をかわす。これ、避けなければ死ぬだろう、と小言を言っても聞いたためしがない。
「、気分はどうだ」
「ディエスが一個も罠に引っかかってくれないから気分が悪い」
「いきなり悪魔っ子発言をするな。お前に土産があるんだ」
カーテンを閉め切った部屋の中。それでものベッド付近は明るい。暗闇が恐ろしいのだとがいうもので、必ず小さな明りが灯っているのだ。ドレークが土産、というとは珍しいものでも見たようにドレークをまじまじ、と見つめる。
「おや、君がこのぼくに貢物かい」
「知人から譲ってもらったんだ。、お前、虫は大丈夫か?」
「君の悪魔と同じ時代から生き延びてるヤツじゃなければね」
名前を出すのもいやなのだろうが、回りくどい言い方をする。ドレークは「どこの世界にあの虫を土産に持ってくるやつがいるんだ」と言い返して、ベッドに近づいた。
体調が優れない、という話を聞いて風邪でも引いたのかと思ったが、顔色も悪くない。ほっと息を吐き、のベッドの傍である窓辺に竹籠を置いた。
「もらってきたのは、鈴虫なんだ。まだ夏の初めだが、時期に鳴くそうだ」
「ふぅん」
ドレークの説明にはあまり耳を傾けず、は上半身を起こして、面白そうにかごの中を覗き込んだ。真っ白い触覚をあちこちに動かし、瓜のような体の鈴虫がこちらの様子を伺っているようだった。
の青い目がまぁるく、興味深そうに鈴虫を眺めている。普段魔女のような言動をしていても、こういうところは子供らしい。あどけないその横顔を眺め、知らずドレークの頬も緩む。
「飼育の方法は簡単だが聞いてきた。確認するが、知っているか?」
「飼ったことはないよ。餌はこのキュウリかい?」
に何か教えることが出来て、ドレークはほっとする。魔女の叡智を持つ、たいていのことは知っているので、解説は必要ないかと思っていたが、知らぬこと、の中にあったらしい。
ドレークはスモーカーに聞いたことを簡単に説明した。
「餌は瓜や茄子でいいらしい。鰹節も食べると聞いた。ある程度の湿度があった方がいいというから、明日にでも赤玉土を持ってこよう」
魔女の寝所に土を運ぶなど、と誰かに窘められるかという恐れはあるが、が「絶対だよ」と妙に待ち遠しそうに言うもので、ドレークは「あぁ」としっかり頷いてしまった。
は籠を覗き込み、「鈴虫、ねぇ」ところころ喉を鳴らして笑う。
「きちんと鳴いてくれるかな。ぼく、前にさ、鈴虫が三匹いて、けれど一匹は鳴かずにすぐに死んでしまったという話を聞いてね。それを今思い出したんだよ」
三匹、という数字にドレークは少し、どきりとした。スモーカーのところにいた三匹のうちの一匹を自分は貰ってきたわけだ。これで鈴虫が鳴かなければ、それでどうだということもなかろうが、しかし、がこういう「昔話」をするときは、そういう状況になったとき、何か妙なことが起こるのは経験上よぉく知っている。
以前は百話物語に強制的に参加させられて、は「終わったら何か起こらないとおかしいんだよ」という話をしたら、本当に起きたのだ。魔女の「物語り(物を語る)」その力を思い出し、ドレークはぽん、と、の頭に手を置く。
「この鈴虫の親は去年、夏祭りで買われたらしいが、冬まで持って卵を産んだそうだ。お前が大事にしてやれば、この鈴虫も長く生きるかもしれんぞ」
「真夜中にリンリン鳴くのかな」
「そうだな。ベッドの近くには置かないほうがいいか。煩くて眠れない、という苦情をお前から受けるのは嫌だからな」
「最近夜眠れないから丁度いいけど。気になって眠れなかったらディエスを蹴るね」
明るい声で何外道なことを言っているのだろうか。
悪魔かお前、と突っ込むとは、それはもう愛らしい笑顔で「ぼくは魔女さ」とのたまった。
「楽しみだねぇ、ディエス」
「大将赤犬への説得はお前に任せていいか」
「根性のないことをお言いでないよ。そのうちにヘタレークとか呼ばれないかぼくは心配だねぇ」
どう考えても言い出すのはお前しかいない。とは、突っ込んだら本当にその通りになりそうで、ドレークは口に出せず、それを察したか、がコロコロと喉で笑う。
その夕方、ドレークが帰ってしまった後、は夕暮れと鈴虫とが見える窓を眺めながら、ベッドに横になり、「鳴かないと潰す」と脅しをかけたらしい。その脅しが効いたのか、一週間ほどしてリンリン、と鈴虫、小さく鳴き出した。
「きれいな声で鳴くんだよ」と、珍しく、あどけない、何の悪意も嫌味も含まれておらぬ、そんな声でが楽しそうに、嬉しそうに言うもので、ドレークは、今度スモーカーに合ったときにには自分が奢ってやろうと、そう思ったのである。
(ついでに赤犬の反応は、情事の声に鈴虫の声が混じるとクザンに苦情を言ってきたらしい)
(本当に・・・あの人はいつか捕まるんじゃなかろうか・・・)
Fin
(2010/04/13
19:03)
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