東急田園都市線二子玉川駅。上野毛方面に向かう途中は高級住宅地となっているが、駅周辺は昔ながらの住居があった。しかし現在は土地開発の影響により多くの古い民家や店が立ち退きを迫られ、少しずつ「都心」という呼び方に違和感のない街造りになっていく。少し前までは線路下の駐車場でカップラーメンを食べる部活帰りの学生の姿も見られたが、いまはその高校も廃校となり老人養護施設となっている。
さて、その二子玉川駅は隣の二子新地までの区間を多摩川を挟み繋がっている。休日は河川敷にてバーベキューをする家族連れや学生たちの姿でにぎわうその場所に、現在真っ赤なランドセルを背負った少女が立っていた。じぃっと真っ暗な川を凝視している背が帰宅途中のサカズキの目に入り、職業柄補導せねばならぬかと思い、己も草地を越えて河川敷に出てきた。
「おい、きさ……そこの少女」
貴様、と呼びかけてサカズキは、小学生に対して使う呼称ではないかと思いなおす。少女、と声をかけるのもどうだという突っ込みを同僚がいればしただろう。サカズキは警視庁の警察官だが、補導の経験はない。いわゆるキャリア組のためこうした実務をこなすことがなかった。普段は車での通勤だが、今日は勤務後に知人の墓参りのためこの二子玉川のパーキングに一時車を止めている。上野毛方面に向かう途中の寺院に寄ったその帰りにこの近くを歩いていたのである。
時刻を確認すれば既に九時を回っている。こんな時間に、見るからに小学生程度だろう子供が突っ立っているのは妙である。家出人か、とサカズキは見当付けて近づいた。駅前に行けば交番がある。そこに預ければいいだろうとそう判じれば、くるり、と少女が振り返った。近づいて判る、夜の中でも街の明りを受けて輝く赤毛だった。
「少女じゃない。だ」
振り返る顔は間違いなく幼い子供だが、しかし、表情がない。無表情というよりは妙な、顔にサカズキは一瞬眉を跳ねさせた。少女特有の甲高い舌足らずな声ではなく、掠れる声が小生意気な言い方を妙に幼いと思わせる。ジャリッ、とサカズキが足元の砂利を踏むとと名乗った家出少女は小首を傾げた。
「こんな所で何してるんだ?夜の川に落ちれば人間はひとたまりもないんだろ?」
「貴様のような小ェガキが落ちるよりゃぁマシだ。家出娘か。家はどこじゃァ」
「家出じゃない」
「そうか、家出じゃァねェなら帰れるじゃろう。深夜子供が一人でいるっちゅうんは異常じゃけ、送ってやる」
「必要ない」
言ってが首を振った。どこか機械的な返答である。大人びて強がる子供というのは見たことがあるが、もその一種だろう。サカズキはこういう場合は強行した方がいいと心得ている、一歩前に踏み出しその細い腕を掴もうとした。が、その前にが一歩後ろに下がる。それも読めぬわけではなかったので、サカズキはそのままさらに一歩踏み出しての腕を掴み、そして目を見開いた。
その腕が氷のように冷たい。
今は夏口だ。梅雨も明けて、真夜中である今現在は少々蒸し暑いとさえいえる。サカズキも歩いていてじんわりと汗を?いていた。いくら長時間同じところにいたとしても、このように冷え切ったりはせぬ。
「放せ。ディエスが怒る」
ぶんっ、とが腕を振ればサカズキの手があっさりと放された。抵抗されると思っていたため、多少同様したところで振り払えるはずはなかった。それなのにこうもあっさりと。サカズキの眉間に皺が寄る。そして瞬時に、目の前の少女がごく普通の子供ではないのではないか、という可能性が浮かんだ。だがしかし、そんなものがありえるのか、とも思う。
夏になると時折同僚のクザンが「今年も仕入れて来ました!!本当にあった怖い話!!」などとアホウ極まりない発言をしながら話す怪談話を思い出す。川辺で溺れた子供の幽霊が真夜中ぽつん、と立っているとか、そういう話がなかったか。いや、わしは何をバカなことを、幽霊なんぞいるわけがない、とサカズキは目を伏せる。寺帰りだからか、そんな気分になるのは。墓参りをした知人が未だに生きているような気がするからか、だとしてもこの自分が目の前の、触れられる少女を幽霊か、などと一瞬でも思うのはばかげている。そう切り捨てて目を開くと、やはり少女はいた。幽霊であればこの間に消えて真夏の夜の不思議体験、わしは疲れていたんだろう、とサカズキはすっぱり忘れた。だが少女は相変わらず表情のない顔、真っ白い、大きな瞳の青く美しい貌を見せている。といってこちらを上目遣いに見上げているのではない。どんなに背の差があろうが相手に自分の顔を覗き込ませるだけの価値がある、という自信を持つゆえの顔だった。この感情というものがまるで見えぬ少女がなぜそのような自尊心の高い女の振る舞いをするのか、それも聊か妙である。
サカズキが黙っていると、少女は掴まれた腕を反対の手で軽く摩ってから口を開く。
「“あー、まぁ、触られたなら仕方ない。ご察しの通りはロボットだ。しかし危険性はまるでありませんのでここで見たことは全て忘れて速やかにご帰宅ください、いい夢見ろよ☆”って言うように設定されてる。続きも聞くか?」
ロボットも恋をするのでしょうか?
二子玉川某所の研究所にてディエス・ドレーク博士は頭を抱えていた。それはもう顔を真っ青にさせ、苦しそうに顔を顰めている。今すぐ入院できるんじゃないか、というほどの様子だが生憎ここにドレークの身を案じてくれる人間はいない。
「大人しく…!!!大人しく充電していると思ったらなぜ突然フラっと出て行くんだあいつは!!!!」
あぁ、本当に胃が痛い。ロボット研究なんて辞めて胃薬研究した方がいいんじゃないか、と通いの助手に進言されたことがあるが、しかしドレーク、これでもロボット研究に人生を捧げた男である。自分の胃よりはロボットの開発に時間を使う…!とその決意が寿命縮めている気もしなくもないが、まぁそれはさておいて。
そのドレーク、この研究所唯一の高性能ロボット:タイプ“”を三時間前に見失っていた。
は最新型のアンドロイドである。自立思考、人間と同じ動きを再現できる、発表すればノーベル賞間違いなし…!!というほど完璧なロボットであるのだが、生憎ドレークの作品ではない。ドレークは預かっているだけだ。
「」の製作者はロボット研究の第一人者であり、世界最高の頭脳を持つと言われている科学者だ。数年前にをこの研究所に連れて来て、そして一枚の置手紙と共に姿を消した。
その時の文面を思い出すたび、ドレークは言いようのない苦しみに襲われる。と、まぁ、それはさておいて、その与り物のは最高機能のロボットだけあって有能だが、製作者に似て少視ばかり、自由奔放に過ぎるところがある。
大人しくテレビを見ながら充電をしていると思い、ドレークが少しばかり部屋から出たら、いなかった。部屋にあったのは一枚の置手紙。
『ぼくも青春してくる』
テレビで再放送していたのは金○先生だった。
そしてドレークは思い出すのだ。
頭脳ばかりは明晰でその上容姿も端麗、しかし性格は極悪だったため別名「悪魔の科学者」とさえ呼ばれていたパンドラ・L・トカゲ博士。彼女の置手紙の内容を。
『次はドラ○もんを作る☆』
あいつなら本気で作れそうだから怖い。
というか何故今まで作らなかったのか不思議なほどである。
作る☆と物凄く気軽そうに言っている辺りがトカゲらしい。
そして、そういう突拍子もない行動を突然するのが、やはり親子なのだろうと思わずにいられないのだった。
迷子防止の発信機はつけていたはずだが、さすがはトカゲの最高傑作。自分で発信機を取り出して破壊したようで、最後にシグナルがあった場所に捨てられていた。
それを見てドレークは血の気が引いた。そもそもは元々アシモフの3原則を設定されていないロボットである。
トカゲとてその最低限の良識はありそうなものだが「制限された思考に何の面白みがある」と切り捨てた。といって、三原則を必要としないロボットのように完全無害というわけでもないのだ。それであるからドレークが監視していなければならなかったというのに、この脱走。
一般人と接触する前に何とかを回収しなければ。ドレークは白衣を脱ぎ机に投げつけると、そのまま再び外に飛び出した。
の思考パターンを考えて導き出される場所はあと一箇所のみだ…!!!
(最悪接触していたとしても、トカゲの言っていた一般人説得術が役に立っていればいいが…!)
トカゲがもしも一般人にがロボットであることを見破られてしまった場合は、とても説得力のある言い回しが即座に流れるようになっているという。それで何事もなく、というのが理想だったが、ドレーク、トカゲとの付き合い=自分の年齢(つまり二人は幼馴染)であるゆえに、トカゲに期待してはならないことくらいもうわかっていた。
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の口から前半流れた声は先ほどから聞いている子供の声ではない。サカズキよりは若いだろうが、そこそこの年齢はいっているだろう女の声である。幼い子供の口から人を見下すような女の声が聞こえるというのは中々違和感がある。録音テープでも流しているような形式ばった形と、そして言われた単語にサカズキはとりあえず手を上げた。
「……ちょっと待て。言うにことかいてロボットたァなんじゃい…」
「ん?わからなかったか?おかしいな。だがこれでバレてしまった。そういうわけだからここで起きたことは全て忘れて家に帰るといい」
そういう遊びが子供の間で流行っているのだろうか。
サカズキはこの家出少女の真っ直ぐすぎる目を見てどう返すべきかと悩んでしまった。
被疑者から「外道…!!悪魔!!!鬼!!!!!」と叫ばれることは日常茶飯事だが(あと時々被害者からも)といってサカズキはサンタクロースを信じている子供に事実を伝えるような無遠慮なことはしない男だ。
目の前のこの少女が本気で自分をロボットだ、と思いこんで遊んでいるのなら、それを頭ごなしに叱って家に連れて行くのは、聊か乱暴ではないか。そう眉を寄せて沈黙する。
「ロボットごっこもえぇが、別の遊びに変えやせんか?」
しかし幼子をいつまでもこんな、変質者がいつ出てきてもおかしくない場所に放置しておくわけにもいかない。無理やり連れて行って泣かれるのは面倒だ。そういうわけで、サカズキは子供のあやしかたを頭の中で必死に思い出しつつ、そう口に出した。
「遊びじゃない。ぼくはロボットだ」
「まぁ、それでもえぇわい。貴様はロボット、わしは警察っちゅうんはどうじゃ」
「うん?」
「貴様は悪の科学者に作られたロボットで、わしは貴様を捕らえて正義のために利用しようと思うちょる」
われながらいい設定だ、とサカズキは本気で思った。本当に、ここに同僚のクザンが突っ込み役でいないのが惜しい。本気で「完璧な設定じゃ!」と思っているサカズキをは不思議そうに眺めてから、口を開く。
「設定が甘い」
「何!!?おどれ…!!!このわしの完璧な配役の何が不満じゃァ!」
「警察の人間ならどこの所属か、職歴は何年か、正義を唱えるに見合うだけの信念と功績の入力が必要だ。そしてロボットのぼくにそれを納得させるシナリオも」
中々いう子供である。サカズキは「む」と唸り、しかし自分に想像力などそれほどあるわけではないと認めるところ。
仕方ない、どうせ子供の遊びである。サカズキは懐から警察手帳を取り出し、に目線を合わせるべく腰を屈めて自分のフルネームから警察内での所属、経歴を語り始める。正直こんな子供に理解できるわけはない内容だが、こちらの作った設定が甘いといわれた以上、徹底するべきだ。
「と、以上が。わしの経歴じゃァ。なんぞ不満があるか?」
「ない。完璧に入力できた」
さて、ここで聡明な読者の方々は気付いただろう。先ほどからとサカズキの間で出されている「設定」という単語の微妙な意味合いの違いが。
「貴様はわしの正義に感服して悪の心を打ち消し正義のために働くっちゅうんでどうじゃ」
「ロボットに善悪の基準はない」
「中々凝ったことを言いよるのう…」
サカズキは学生時代暇つぶしに読んだSF小説を思い出しながら、首を捻る。ここまでリアリティにこだわっているというのならその点でも妥協するべきではないだろう。確かにロボットには善悪の基準がない、というパターンが多い。その為にアシモフの三原則というのがあるのではないか、と思い出しかけ、しかし子供にそのようなことを言ってもわからないだろう。
どうするのが一番説得力のある「悪から正義への転化」になるか、とそう考えていると、がサカズキのシャツを掴んだ。
「ぼくが君に恋すればいい。ぼくは人間のようになりたい、ぼくに恋を教えてくれるなら、ぼくは君の役に立つよ」
思わずサカズキは笑い出しそうになった。いかにも女の、子供らしい案ではないか。物語としては上等か、とはいいがたいが、子供がごっこ遊びで夢に見るには十分であるように思われる。サカズキはひょいっと、を抱き上げて、その頭を撫でた。
とりあえずこれで家の場所を聞き出すのも楽になるだろう、とそう思っていると、の腹の部分から、明らかな機械音が響く。
携帯電話の音か?とサカズキが目で問うと、は真っ白いワンピースの裾をぺりっと上げて、自分のまぁるい腹を押した。
子供とはいえ女子が腹部を露出するなといいかけ、サカズキは停止する。
の真っ白い肌は何の跡もなく滑らかだったはずだ。しかし、それがが軽く押しただけで、カパッと、何かの蓋が開く。内臓が見えた、のではない。見えたのは、スピーカーだ。
『ピー……ガガッ……ユーザー登録、完了致しました。マスター・サカズキ、以後“”の所有者となります。ちなみに所有権を放棄された場合、周囲半径4`内を巻き込んでが自爆しますのでお気をつけください』
先ほど聴こえた女の声が再び耳に入り、そしては腹の蓋を閉じた。
Fin
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