暑い夏の日というのは朝から汗ばんで嫌なもの。北の出身であるドレークは暑さが苦手だ。半覚醒状態の頭で今日の気温は何度まで上がるのかと、そんなことを考えつつ身じろぎをして、隣に眠る細身の女性の存在を思い出す。いや、眠ったことを覚えていなかったわけではないが、こうして改めて朝日の満ちる船室で己の寝台の傍ら、白いシーツの上に散らばる月の光のような髪を眺めると自然ドレークの目が穏やかになった。南の海出身である彼女はこの暑さでも汗一つかくことなく穏やかな寝顔。うつぶせになり顔だけこちらに向けてその長い睫を伏し、寝息を立てている様子。ドレークは首だけ動かしレリューの姿をしっかりと確認してから口元に淡い笑みをひく。そうしてそのままサリューの髪に触れようと、そうした直後、ぼすんっ、と、ドレークは上に何かが落下してきた。
「ぐはっ…!!」
油断していた。
隣で静かに眠るサリューの存在で、完全にドレークは油断していた。あれだ。ちょっと癒されていた。日々様々な苦難がありつつも、それでも己の傍らでひっそりと咲き誇ってくれる白い花のようなサリュー。彼女の穏やかな笑顔を見るたびにドレークの心は云い様のない苦しみに襲われる反面、確かに幸福感もあり、今日も彼女のその白い瞼が悪夢に魘されることのないようにと、そう祈る心持。
その油断しきったドレークの鳩尾目掛けて落下されたのだ。
朝から何だ!?敵襲か!?と思う頭は船長としての冷静さ、そのもう半分では予想がついている。
「……なぜお前はこういうときだけ気配を消すのが諜報部員並に上手いんだ」
予想通り、ドレークの腹部にちょこんと跨っているのは赤い髪に青い目の、見かけだけはどこまでも愛らしくあどけない少女。朝日に満ちた室内でキラキラとその青い目を輝かせた、手っ取り早く云えば。ドレークの搾り出すような声ににんまりと眼を細めころころと喉を震わせた。
「油断してるディエスが悪いんだしー。海賊なんてなったんだからどんなときでも油断しちゃァだめだよねぇ」
「頼むから乗るな。そもそもお前はいつ来たんだ」
朝から妙にテンションの高い。いや、確かに昔から自分をからかい倒している時は機嫌がよさそうだったが。ドレークは自分の胸の上にに跨られて顔を顰めた。どこかの大将の様にが自分の上に乗っている状況をどうこう考える危険思考はないが、しかし、あれか?休日に子供が父親の気性を促すために上に乗って揺らしている状況のようなものだろうか。
あと冷静に考えると、この状況、赤犬に知られたら自分は確実に熔かされる。
そんなことを考えていると、がはたり、と何かに気付いたように体を強張らせた。
「…?おはようございます。いつ来たのですか」
「……サ、サリュー…?」
さすがにこの騒動には起床する。眉を寄せながらサリューが顔を抑えて体を起こし、ドレークの上に跨るを見つけて首を傾げた。
当然の反応なのだが、なぜかの反応がおかしい。ドレークは不審に思い上半身を起こしての顔を除きこむ。その丸い顔は血の気が引き、わなわなと唇を震わせていた。
「?どうした?」
何か怪我でもしたのか?と思いの体を確認するが血の匂いもないしどこか折れている様子もない。しかしその妙な様子。サリューも気付き訝りながらも案ずるように眉を寄せてに顔を向けた。
「?どうかしたのですか?」
こういうときはドレークが問うよりが心底懐いているサリューの方がいい。サリューが声音を柔らかくして問うけれど、はふるふると肩を震わせ、驚いたことにその大きな青い目に涙を浮かべているではないか。
ぎょっとしたのはドレークだけではなく、珍しくサリューも驚き目を見開いた。
一体どうしたのだ、と思いながら、その涙が零れ落ちるようなことでもあれば、確実に察知する海軍本部の真っ赤な大将殿が直々に攻撃を仕掛けてくる。そういう焦りと、そしてが何かしらショックを受けている、ということにドレークとサリューが同時に気付き「あ」とお互い小さな声を上げた。
「結婚前の女の人が男の人と同衾するなんてふしだらだよーっ!!!!サリューとディエスの裏切り者っ!!!」
二人が何かに気付いたのを気配で察したか、が「うわぁああんっ」と声を上げながらデッキブラシを取り出して、とりあえず当たりを破壊しようとした。
気分はお父さんの再婚ですか!?
「…とにかく、泣き止んでください、。そう目を擦っては腫れてしまいますよ」
場所は変わらずドレークの寝室。ベッドはひっくり返り調度品は壁に叩きつけられて散々な状況となりながら、その端っこで「ひっく」としゃくりあげる幼い少女。台風でも直撃したのかという有様で、ドレークは色々文句を言いたいこともあるのだけれど、とりあえずはサリューがをなだめるのを待つことにした。その間にひっくり返ったテーブルを元の位置に戻す、などをして、先日購入したガラスのランプが粉々になっていることに気付いた。物に拘る性格ではないが、良い物は出来るだけ長く使うのが礼儀とも思っているドレーク。これからはが立ち入りそうな場所に割れ物を置くのはやめようと心に誓った。
「……」
そうしてとサリューのほうを再度眺めてみれば、相変わらずは「裏切り者!」やら「ディエスの変態!」などと妙なことを呟き泣きじゃくっている。
いや、確かに自分とサリューは海軍からしてみれば裏切り者なのでその点については反論の余地もないのだが、変態ってなんだ、変態って。
「……というか、お前、これまで散々おれとサリューをどうにかしようとしておいてその反応は何なんだ…?」
の云いたいことはわかる。
まぁ、確かに未婚の男女が同衾するというのは道徳的にあまり褒められたことではないとは思う。ドレークとて娘がいれば結婚前に男に触れさせるなど冗談ではないと思うだろう。(石頭)
だが、正直なところ「何を今更」と思わなくもない。
サリューとドレークがそういう関係になったのは、確かに海賊になってからのためが「考えたこともなかった」というのもわかる。幼い子供からしてみれば懐いた女性が男に押し倒されたかもしれない、というのは神聖な聖母を汚されたような、そんなショックがあるのだろう。
それはわかる。
いや、わかるのだが。
(……赤犬ととっくにそういう関係になっているお前が何を言うのか)
声に出したくないし、ドレーク自身あんまり向き合いたい事実ではないので胸中のみで突っ込み(それでもほんの少しドレークは落ち込んだ)ドレークは顔を顰める。
はサリューとドレークが同じベッドにいたことになにやらショックを受けたらしいが、そもそも手は出していない。ただ眠れぬというサリューの頭を撫でて眠るのがドレークの日課のようなものなので、それで同衾、というだけのこと。
そういう微笑ましいことではなく、男の欲も何もかも紛れたような行為を受けているにとやかく言われたくない、というのがドレークの本音だ。(いや、だがやはりを娘か何かのように思っているドレークは、が赤犬とそういう関係になっている、ということは認めたくないのだが)
第一、は海軍本部にいたころから「さっさとくっつきなよ!」と叫び背中を蹴り飛ばし、自分がサリューに思いを伝えるのを奨励していたような気がする。それなのにこの反応はなんだ、と困惑していると、泣くの背を撫でていたサリューと目が合った。
「にとって、ドレーク船長は自分のだ、という意識もあるようですから」
「……どちらかといえば、君を取られてという印象を受けるのだが…」
困ったようにサリューが笑う。笑うと雪でできた花のようである。ドレークは妙にどきまぎして視線を逸らす。するとがつんっ、とに椅子を投げつけられた。
「…」
「知らない…!知らない!ぼくは悪くないよ!ディエスが悪いんだよ!」
「ちょっと待て、なんでおれの所為になるんだ」
「鈍感!分らず屋!」
サリューが嗜めても聞きやしない。わめいてあちこちから取り出したあれこれをドレークに投げつけてくる。子供の癇癪といえばそれまでだが、のこと、鋭利なものを狙って人体急所に的確に当ててくるのは間違いなく、ドレークは結構必死で避けねばならぬ。
それにしたって先ほどのサリューの言い分は珍しく外れているとドレークは思った。が起こっているのは、彼女が慕うサリューが結婚前に男性と夜を共にしたからと、そういうショックだろう。とて本当の意味で子供というわけでもないのだから言って聞かせれば納得するに違いない。そう思って説得を試みるが、しかし聞く耳は持たないようだ。
「ディエスのばか…!!!バカ!大ばか者!!!!」
「、申し訳ありません」
「サリュー!!何、」
ドレークが「話を聞け!」と声を上げるたびの癇癪がエスカレートする。これはまずいと判断したのか、の肩を抱いていたサリューが静かに断りを入れ、そしてトスッ、と首に手刀を喰らわせた。
とさり、との体が崩れる。それをサリューは受け止めてから額にかかった前髪を払う。
「……やはり、これは犯罪になるのでしょうか?大将赤犬が軍艦を引いてやってきたら何と言い訳すればいいのか…」
「………いや、そもそもおれたちは海賊だ。赤犬が言い訳を聞くとは思えない」
「それもそうですね」
物騒極まりない話題だが、自然二人の顔に笑みが浮かぶ。ドレークは咳払いをしてから、気絶したの顔を見つめる。
「しかし、一時は黙らせられたとはいえ意識を取り戻せばまた同じことの繰り返しになるんじゃないのか」
「申し訳ありません。他に手段もなかったものですから」
「いや、責めている訳じゃない」
確かにに手刀を食らわせるなどとんでもない事態ではあるが、そうでもせねばが収まらなかったのはわかる。慌てて否定すれば、サリューが一度目を伏せそして困ったように顔を顰める。普段涼しい顔ばかりしている彼女には珍しいことであるが、事態が事態なだけにドレークは珍しがってもいられない。
「……とにかく、誤解もあるようだ。おれから話をしてみよう」
「宜しいのですか?」
「あぁ。……骨くらいは拾ってくれ」
「……健闘を祈っています」
本来なら自分の言葉よりもサリューの言葉をは素直に聞く。だがこういう問題を女性に任せる、というのも如何なものか。何よりもドレークはの世話役であったという自負もある。そういう部分でもきちんと教育しておかねばならないだろう!と、そう、決意しなくても別にいい決意を胸に抱き、サリューからを受け取って抱き上げる。ひょいっと小さな体は相変わらず軽く、肋骨に指が食い込むようだった。こんなに小さな頼りないなりをしていてもそれでも立派な魔女なのだということを忘れてはならぬと海軍本部時代は常々言われていたが、しかし、結局のところドレークはを子供のように思ってしまう。
自分とサリューのことを誤解しているようで、「おまえに言われたくない」と思う心がないわけではないけれど、しかし、ドレークはやはりどんなに長く生きていてもは子供なのだ、とそう自分に言い聞かせた。
サリューは後はドレークが対処するという旨を了承し、自身は部屋から出て行く。彼女のこと、出て行ったといって問題を全て任せるのではなく今後がこの船で何日か過ごすのならと、クルーにあれこれ指示を出しに行ってくれるのだろうことは間違いない。本来ならドレークの役目でもあるのだが、サリュー曰く「こういうときこそ、補佐をさせてください」というので、時々甘えいる。
とにかくのことをなんとかせねば、とそうドレークは気を取り直し、ひっくり返されたベッドを足で蹴り直し、そのうえにを横たえる。
「、起きろ」
手刀を食らったとはいえ、の体だ。即時回復しているはず。軽く頬をはたけば、ぱちり、と不機嫌そうな青の目が開かれた。
「ディエスのバカ!」
「……」
できれば記憶が飛んでいてくれないかと淡い期待を抱いたが、そういうご都合展開はないらしい。
「……罵る前に説明させてくれ。彼女とは何もない」
なぜ自分は浮気現場を押さえられた亭主のような言い訳をしなければならないのか。ドレークは今の台詞はなかったんじゃないか、とそんなことを思いつつ、の反応を待つ。
「そんなの、そんなのわかってるよ!ディエスがサリューに手を出せるような甲斐性あるなんて思ってないし!」
「……それはそれで失礼じゃないか?」
一応、自分もそれなりの歳の男性なわけで好きな女性と同じベッドに入ってそういう気が起きないわけでもない。そういう現実的なことをに話す気はないが(過保護)ヘタレの称号を頂いてしまっては多少反論したくもなる。
だが、ふん、と鼻を鳴らし枕を抱き寄せて顔を埋める。聞く耳持たぬ、というその態度にドレークはため息を吐き、どうしたものかと思案する。
「おれと彼女が男女の関係にあったところで、サリューがお前に向ける感情に変わりはないだろう?なぜ不貞腐れるんだ」
「鈍感!」
「……わからないから聞いているんだ。癇癪をぶつけるなら、きちんとわけを話してくれないか」
先ほどからバカだの鈍感など言われていてドレークとしては困惑するしかない。の癇癪は一見理不尽だが、探ればきちんと理由があるのは経験上判っている。それを教えてくれなければ対処のしようがないではないか。そう眉を寄せていると、が一層不機嫌になる。本気で不機嫌になるとは黙る。黙れば問題は解決しない。
堂々巡りだろう、と、そうドレークは額を抑え、そしてサリューが先ほど言った言葉を思い出した。
「……まさかと思うが、、まさか、お前……」
「なぁに」
「……いや、なんでもない」
ふと頭に浮かんだものはあるのだが、あんまりにもあんまりなものでドレークは言葉にすら出せなかった。言いよどむドレークにがキッと眦を吊り上げて「優柔不断!」と枕を投げつけてくる。
いや、しかし、まさかとは思うが、先ほどサリューの言った言葉。
ドレークをサリューに取られてしまうのではないかと、まさか、そんなことはないと思うが、はそんなことを考えて不安というか、不機嫌になったのか。
確かに…は自分のことを「ディエスはぼくの玩具だしー」と眼を細めノリノリで人様に言いふらし、海兵時代もの目の前でドレークが他の海兵に害される(同期の嫉妬など)ようなことがあれば容赦なく打ち滅ぼしてきた。その「玩具」というのは言葉通りの意味だろうし、長年暇をもてあましてきたには都合のいい暇つぶしなのだろうとわかっている。だが、そういう「玩具」認定されているドレークは、時折が自分に依存しているのではないか、とそんなことをふらりと、思わないわけでもなかった。
サリューのことは懐いているし慕っているようだ。それはわかる。確実だ。
だが、そういう慕うサリューをドレークに取られる、という危機感よりも、が、あの幼い思考をしたが、自分の気に入りの玩具を、他でもない気に入りのサリューに取られるかもしれない、ということが癇癪の(言うなれば自己の中での妙な葛藤)原因なのかもしれない。
「……いや、ない。それはない」
とりあえずドレークは自分の想像にパタパタと手を振る。
あのが、あの傲慢尊大世界を中心に自分は周らないが自分も世界を中心に周る気なんぞない、と自分本位を貫くあのが、たかが海賊に成り下がった自分に重きを置いているなんぞ、そんなことはまずない。
正直自分の代わりなどいくらでもいるだろう。
「なぁに、ディエス。独り言?」
「いや…。なんでもない。お前の不機嫌な理由の検討はつかないが、おれが原因なら理由をちゃんと言ってくれ。でなければ謝れんだろう」
とりあえずポスン、とドレークはの頭を撫でた。燃えるように赤い髪は触れれば冷たい。小さな頭を撫でると、がぶつぶつと呟いた。
「別に、ディエスに土下座してほしいわけじゃ、ないし」
「……謝罪イコール土下座なのか」
しおらしい声音ではあるがやはり言っていることは外道である。ドレークは顔を引き攣らせ、が顔を上げた。
「ディエスとサリューが一緒にいるのはいいの。そういうのは、嬉しい。でも、ディエスはサリューの「船長」で「少将」で「恋人」で「支え」でも、それでも」
ぎゅっと、がドレークのシャツを掴んだ。そのまま上半身の重みでドレークの胸倉を掴むように膝の上に乗り上げて真っ直ぐに見つめてくる。
「それでもディエスは、ぼくの玩具でいてね」
途端ひゅっ、とドレークの喉が鳴った。何か言葉を吐こうとしたのでもなく、ただ喉が呼吸を止めて、ただドレークは目を見開く。
とさりとが手を離し、そのまま軽い足取りでベッドから飛び降りる。先ほどまでの癇癪を起こした様子はすっかりと消えてただ、いつもどおりのあどけない様子。くるくると指を回して散らかったあちこちを片付けると、ドレークの存在など忘れたようにきゃっきゃと声を弾ませて「サリューと朝ごはん食べるなんて久しぶりー!」などと嬉しそうに言っている。
そのまま扉を開けて部屋から出て行く、その後姿を呆然と見送って、ドレークはずるずると床に座り込んだ。
(が確定事項としてではなく「〜でいてね」などと、希望・期待を込めて言ったのは、初めてだった)
船はもうじきシャボンディ諸島に立ち寄る。
Fin
誰よりも変化の音を聞きつけている。
(2010/09/06 18:35)
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