「15分以内に支度をしろ、 。私は港で先に待つ」
ガチャリ、と扉を開けばなんの挨拶も説明もなしに唐突に言われ、寝起きである は通常「?」とひたすら疑問を浮かべて即座に反応できない、というのが普通である。しかし、悪意の魔女である彼女に眠りなど普通の人間と同じ作用はないわけで、さらに言えば、サカズキの言葉=絶対、と骨身にしみている条件反射、眠たい眼をこすりはしたものの即座に「うん」と答えてあっさり扉を閉めた。
ぼんやりとした頭でえーっと、とクローゼットを開く。いろいろな色彩の服がびっしり詰まっているが、別段物持ち、というわけでもない。20年間海軍本部を拠点に生活し、そして体のサイズが変わらないのだから、自然服を捨てる必要もなく、たまっていく一方、それでその結果というだけだ。
適当に服を選んでいると、だんだん の頭もはっきりしてくる。そして、え、なぁにこの状況、と疑問に思えてきた。時計を見れば、まだ夜明けから少ししか経っていない。どこぞの鬼訓練が日常です★なんて常識外れの海兵じゃあるましい、 が目覚めるにはまだまだ時間があるはずだ。サカズキの起床時間を把握している ではないから、サカズキには早いのか遅いのか知れないけれど、しかし、これまでサカズキが自分を起こしにきたことなどあっただろうか。
いや、ない。というか、 の部屋にサカズキが近付くことがあまりない。随分と長い時間を一緒にいたが、互いの私室に入ることは滅多にないのだ。
だというのに、今日この、現在の状況はいったい何なのか。先ほど言われた言葉を思い出せば、サカズキは港で先に待っていて、あと15分以内に は支度をしてここを出なければならないらしい。
どこかへ出かける、のだろうか。
遠征や“大将の仕事”に が付いていくことはこれまで何度かあった。だがそういうときはサカズキは多忙な身であるし、 には少将や准将の護衛が付くので、迎えは彼らの仕事とされている。確かに、ディエス・ドレークの造反に続いて魔剣のレルヴェ・サリューまでもが海軍を辞してしまい、サカズキの真に信頼する将校で の傍にいても問題のない海兵がいない、ということもある。だが、それならクザンのところからSiiを借りてくるくらいの強引さはあるだろう。
ぐるぐるぐるぐると考えていて、 、苦笑いを浮かべる。
今、なんだかものすごくありえない展開を思いついてしまった。可能性として、というだけだとしても、いや、それは無理だろうと即座に却下したい、予想。
・サカズキがお迎えに来た。
・昨晩クザンくんが「明日は非番かー」と羨ましそうにしていた。
・どこかへ出かけるらしい。
・それに自分も一緒。
「まさかサカズキと二人でお出かけとか…?ナイナイ、そんな展開」
一笑にしながらも一瞬、かすめた可能性。 は適当に手にとっていたワンピースから手を放し、眉を寄せる。かなり真剣にしばらくじぃっとクローゼットの中を眺めてから、やがて一着の服を手に取って、また戻す、その作業を何度か繰り返した。
サカズキさんとデートをしよう!たぶん無理だと思います。
「……遅い」
寝起き十分で身支度をしてそのまま文字通り飛んできた を迎えたサカズキの言葉は、全く持って労りなどない。こちらは全速力でデッキブラシを飛ばし体力メーターがゼロになっていたのに、そんな配慮のないサカズキに は「ごめん」となぜかこちらが謝って、とりあえずはデッキブラシをしまいこむ。そのまま顔をあげて、軽く目を開いた。
「サカズキ、いつもの格好じゃないんだね」
「私用で出かけるのに大々的に宣伝するような格好をする馬鹿がいるか」
普段通り帽子にしっかりフードとそれは紫外線対策ナンデスカ、と聞きたくなるような格好だが、しかし羽織るコートが正義のコート、ではない。
私用、という単語に の心臓が跳ね上がる。私用、サカズキの私用に、一緒についていく。しかもお互い私服である。 、そんなことを考える日が来るとはこれまで思ってもいなかったが、これは、まさか、この展開は、傍目には、デートとかそういう名前になるんじゃないだろうか。
いや、しかし、早まるなボク、と は言い聞かせる。サカズキの私用が趣味の海賊討伐ではないと言い切れるだろうか。民間人のフリして賞金首を片っ端から捕まえに行くとか、休日にそんなことをやらかさないとは言い切れない男である。
だいたい冷静に考えてみろ。男女が二人で出かけるだけでデートになるのなら世の中そんなに複雑にならないだろう。そんな突っ込みをまず冷静にしてみて、 は先ほど真剣に服を選んだ自分にあきれた。
いったい何を期待しているのか知らないが、自分とサカズキの関係がそんな甘やかなものにいつなったのか。
確かに最近、サカズキの様子はちょっと変、ではある。一緒に風呂に入ってくれたり髪の毛を乾かしてくれたり、ソファで寝転んでいても物を投げつけられなくなった。しかし、それがなんだというのか。
「ねぇ、サカズキ。どこに行くの?」
さっさと自分の淡い期待に終止符を打ってしまおうと、サカズキ本人に問いかける。
「船でエニエスへ。そこから海列車でプッチへ向かう」
「……サカズキ、何しに行くの?」
サカズキが行くにはモンのすごく似合わない街である。以前 はルッチやアイスバーグ、それにパウリーにそれぞれ連れて行ってもらったことはあるが、あのはなやかな色彩の町に、サカズキがいるなど想像もできない。まだ水の都に、ルッチの胃にストレスでも与えに行く、と言われれば納得できるもの。思わず無遠慮に問いかけると、サカズキがぴくん、と神経質に眉をはねさせた。
「いい加減、貴様の服を新調せねばならんだろう」
「え、十分揃ってるけど」
「黙れ」
ものすごく理不尽な感じはするが、 は反論しようとした口を閉じた。冒頭でも記載したとおり、 、体のサイズが変わらないのだから一度買った服は破けぬ限り着続けられる。十分持っているし、 自身は着るもの、にそれほど頓着はない。寒くなければいいと、その程度。
現在クローゼットにある の服は、確かにすべてサカズキが用意させたもので、新たなものを、というのなら、それはサカズキが言い出すことに問題も違和感もない、ということは、あるにはある。が、しかし。
まじまじとサカズキを見上げる。この、仕事が人生デス、というような、まじめ、生真面目、融通利かない気合いの入った鉄人(失礼)これまで休暇があってもやはち一日中仕事、あるいは手配書に目を通して情報収集、などをして過ごしていたはずだ。
新しい服を用意するのなら、取り寄せればいい。サイズはわかりきっているのだし、エニエスのパンドラの仕立て屋は の服も作る。
だから、こうしてサカズキが、自分の休暇をつぶす必要など何一つないのではないだろうか。
「……え、っと、ね、ねぇ、サカズキ」
「貴様は黙って私について来い」
服が目的なら、自分はわざわざ行かなくてもいい、と、そう遠慮しようとした の、首を当たり前のようにぐいっと、乱暴につかんでサカズキ、ずるずる引きずる。ついてこい、というか、ついてこさせられています、と、反論したかったが、すればこのまま海に叩き落とされるだろう、容易。 はうーん、と首をかしげつつ、とりと、とりあえずはサカズキの好きにさせようと思った。
◇
海列車の座席に腰掛けて 、借りてきた猫のように委縮しまくっていた。小さなからだを一層ちぢこまらせて、顔を真っ青にしている。なぜ、なんで、どうして、こんな妙な状況になっているのか。誰か答えてくれるなら、答えてほしいもの。しかし一応平日の海列車、二号車には今三人しか人がいない。ほかの乗客はなんでいないのかとか、そういう疑問はあるが、そんなことより、早くついてくれ!とそればかり。
現在 の隣と斜め向かい側で、目に見えないブリザードが吹き荒れています。
「大将赤犬、わざわざ海列車など使わずとも船で移動されればよかったのでは?」
「公私を混同させる趣味はない。何か不都合でもあるのか、ロブ・ルッチ」
「海軍本部の大将が二人掛けに二人で座られては窮屈ではないかと申し上げているのです」
「これがどこに座るか決める権限が君にはないはずだが」
思いっきりわざとらしく、これ、と隣に座る の顎を掴んで自分の方へ向け、サカズキ、目を細める。ぎやぁああああと、 は心の中で叫んだ。近い。た、ただでさえ今、サカズキにものすごく近い。いや、普段蹴り飛ばされるときも近いが、今は暴力が飛んでくる状況ではない。いっそ恐怖で泣きたくなるくらい、サカズキはやさしい、普段からは想像もできないほど優しい手つきで の髪を梳き、どうだと言わんばかりにロブ・ルッチにふんぞり返る。
「……パンドラ、先ほどから顔色が悪いようですが、ご気分がすぐれないので?」
ぐっと、言葉に詰まったように唇を噛みしめたルッチだったが、しかし の蒼白な様子に眉を寄せる。しかし、お前らが原因だとはさすがの も叫べない。
というか、どうしていつもいつも、サカズキはルッチにこう、わけのわからないことをするのだろうか。ロブ・ルッチ。 がとってもかわいがっているCP9の青年。とても良い腕の、良い政府の役人だ。アイスバーグの近辺に潜入している、というのは確かに気に入らないが、しかしそれを差し引けば、 が世界政府の役人の中で一番気に入っている人物である。
そのルッチと、サカズキ。なんだか知らないが、とてつもなく仲が悪い。いや、お互い口にだしてどうこう、といったことはしないのだが(大人だし)なんと言うか、顔を合わせたときの雰囲気がものすごく、恐ろしい。
なぜか今も、 の座る場所をめぐって、目に見えないブリザードが吹き荒れているようである。
その前に、なぜ現在ルッチがこの海列車に乗っているのか、といえばそれは簡単な話。ルッチ、今日はガレーラ大工は休暇なのである。そしていつものように休日は海軍本部のパンドラのもとへ、というところ、ちょうど海列車に乗り換えをするところだった とサカズキに遭遇し、 にはわからぬ、無言のやりとりの後、ルッチ「ご同行させていただきます」サカズキ「好きにしろ」と、ケリはついた。しかしサカズキのそばにいた 、しっかりサカズキが舌打ちしたのを聞いてしまっていた。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと、揺れに慣れなくて。心配してくれてありがとう、ルッチくん」
「何か飲み物を取って来ましょうか?五号車まで行けば簡易売店があったはずです」
確かに気分はどんどん悪くなってくる。というより、心労だ、これは。サカズキと、ルッチの間に挟まれる、ストレス。いや、別にどちらがどうということでもないのだけれど、どうも昔から は、サカズキとルッチの言葉の押収にものすごくストレスを感じるのだ。
ルッチが気遣うように の顔を覗き込み、その額に触れようとすると、その前にサカズキが をぐいっと、引き寄せた。そして必要ない、というくらいの底の深い声で、すぅっと目を細めながらきっぱりと言い放つ。
「あまりこれを甘やかすな」
なんでそうなるのか。ルッチはただ心配してくれているだけなのに。 はぎゅっと、サカズキの服を掴んで機嫌の悪いサカズキの顔を見上げた。海列車に乗るまでは、ルッチと会うまでは、サカズキの機嫌は良いようだった。 も、一緒に、サカズキが一緒に、自分のために出かけてくれるのがうれしかったのに、それだけでとても、とてもうれしかったのに。どうして今、こんなに機嫌が悪いのか。
帰りたい、とはさすがに言い出せない。サカズキに言ったところで聞き入れられるわけもない。
あぁ、本当にもういっそここで倒れてやろうかとも思うのだが、しかし、ブっ倒れてもサカズキにそのまま髪でもひっつかまれてずるずる連れまわされるくらいは当たり前にあり得そうだ。それなら痛い思いをしない分、まだ気合いと根性で意識は保ちたい。
全く、甘いデート、なんて期待した自分がバカだったと、 の眼尻に涙が浮かぶ。二人に見られてはまた、ルッチが心配して、そしてそれをサカズキが疎むだろう。ぅ、と、奥歯を噛んで耐えようとすると、その前に、サカズキが の首を掴んで無理やり上を向かせた。
「………――ロブ・ルッチ」
まっすぐに を見つめたまま、サカズキは眉を寄せているルッチの名を呼んだ。
「今すぐ列車を降りろ」
「外は海ですが」
「線路を歩け」
潜入中の身、なるべく六式は使わぬようにとスパンダムから言い含められているルッチ、月歩で行くことはできない。と、いうのににべもなく、外道なことを当然のように言ってサカズキは空いている方の手で器用に窓を開けた。
「お前がいると が、泣く」
ぎりっと、歯を食いしばる音はどちらから聞こえたのか には解からなかった。
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(君を守るため)