「ねぇ、ミホーク。愛ってなぁに」
幼げに見上げてくるその真っ青なまぁるい瞳。きらきらと常に星のように輝くはずが今は鈍くどこか沈殿している。さして用があるというわけではないが、船切りと定期的な手合わせはよいものと立ち寄ったマリンホードにてひょっこり現れた暖色の髪のきらきらまぶしいが唐突にそんなことを問いかけてきた。
「……愛か?」
「愛だよ。愛、ラブ」
随分と懐かれているミホーク。が「わからないこと」を聞く真っ先の相手であるから、こんな突拍子もない言動には慣れている、のだけれど、しかしまさかこれをから聞かれるとは思わなかった。帽子の影で僅かに顔を顰めてミホーク、海軍本部奥へ繋がる昼間の広場の階段の上で腰掛ける幼い少女を見下ろした。
「言葉で教えられるものではない。それはお前も知っていることだろう」
言葉通りの意味であれば愛など容易く説明できる。そしてこの魔女だって(多くの書物を読み解いてきた生き物だ)知っているだろう。だが、今ここでが問うているのはそんなことではない。
「うん。そうだね、それは知っている。恋愛、愛、恋、男女の機微をぼくは知っている。表面上の、言葉だけでも、深い意味でも、知識としては知っているんだよ」
「ではなぜ問う。小さき者よ」
「ディエスが、サリューを愛しているから」
ぽつりと言い、そのまま俯く小さな頭。ミホークは眼を細めてぎゅっと、見えぬ手のひらを握り締めた。
死に足る病
殺気、を感じ取ってサリューは咄嗟に背後に大きく跳んだ。彼女の執務室の壁が容赦なく切り崩されるのと、その破片の中を黒尽くめの男が飛び出してきた。鋭い眼、鷹のような殺気にサリューは目を見開いた。
「何をなさるのです」
海の王者の一角から放たれる殺意、覇気に恐怖を覚えるよりも、戸惑う心の方が強かった。王下の名を持つ七武海の男、突き出した剣を一度振り、払う。サリューは火?き棒をとってそれを防いだ。加減、されたのだろう。でなければ己に防げるはずがない。だが、遊び、訓練の類ではない本気の力が込められていた。たらりと額に汗が伝う。なぜ、己が七武海に突然切りつけられねばならぬのか。心当たりはない、と思う。しかし噂に聞く鷹の目のミホーク。暇つぶし、昼寝の邪魔をした程度で(少なくともサリューにはそう思う)ガレオン船を切ったり海王類をおろしたりするそうだ。
「剣を取れ、メフィストの者よ」
だから何か、理不尽な理由でもあるのかと問うのに、ミホークは何も答えない。それどころか荒らされた執務室の、残骸を邪魔だとばかりに剣圧でで払った。ぱらぱらと細かな塵がサリューに降り注ぐ。いっそう困惑するばかりのサリューだったが、こうも場を整えられて引くは恥である。
しかしなぜ、これだけ騒ぎをしているのに海軍本部、海兵は誰も訪れぬのか。まさかここへくるまでにミホークが一層したわけでもあるまいにとぼんやり頭の片隅で思い、一度眼を伏せた。
「わたしは、貴方に勝ると驕る心はありませんが」
呟き、だが、しかしサリューは腰の剣を抜いた。言葉で説得して引いてくれるような輩ではない。おおよそ、海賊らしからぬ男と風評のある鷹の目の男だが、グランドラインの常連、常識が通じる美徳などない。スラッと、しなやかに鈍く光る剣を見、ミホークの鷹の目が僅かに見開いた。そして感心したように「ほう」と一度うなづいた、そのままに黒刀を胸に構えてくる。と、ほぼ同時にサリューは二刀を構えた。
「しかし、負けるつもりはありません」
「剣は強弱の定められるものではない。切り伏せられるか、それが出来ぬかというだけ。行くぞ、ニクスのいと高き獣よ」
サリューが地を蹴り、ミホークがその刀を受ける。腕力でも、剣技でも高みの剣士と、その高みを目指す挑み人のサリュー。児戯にも等しく交わされる。しかし、二刀。右手の一刀は防がれたままに左手の短刀を右手の方へ投げ、今握る剣を放す。鬩ぎ合う力が片方消え、ほんの僅か、砂粒ほどの僅かに力の行方をさまよったミホークの剣をよけ、サリューは交差し持ち替えた剣を突き出す。
ギン、と、火花が散った。素早く、眼に終えぬ速度で旋回し上下の変わった黒刀。ミホークは両手を頭上に上げ、逆手で地に突き刺される格好になった剣はサリューの攻撃をあっさりと防いだ。
このやり取りはほんの一瞬の間に全て行われ、ぴたり、と、剣を請合う双方の動きが止まった。
ミホークは帽子の影からじっとサリューの瞳を見つめ、そのどこまでも深い色の姿を宿す何かを見極めようとでもするのか、眉を寄せた。
「メフィストの者よ、お前は何を思い、何を支えに剣を振るう」
じんとサリューの手がしびれる。たった二度、剣を合わせただけなのに剣が握れぬ間際にまで手が痺れてしまう。剣、剣の技はあといくつ繰り出せるか。鷹の目に銃士の技が通じぬことはよくよく承知しているが、しかしそれでも己の技である。
問われた言葉に、手に持った剣の力を弱めぬまま、サリューは答える。
「それを問うために剣を?」
「是非もないことだ。お前に資格があるかどうかを定めるのは俺ではないが、俺は俺なりの手段がある。言葉を語るのは唇だけではない」
では剣を重ねて解ったのかとサリューは眼で問うた。なぜ鷹の目がそんなことを突然聞いて来たのかは解らない。なぜ己に。それは興味なのだろうか。剣士、ではある。いつかがサリューの強さを保障すると言ってくれたときに拒否したとおり、己ほどの実力のあるものはこの海に多くいる。世界最強の剣豪と名高い鷹の目の男が剣士として己に目する理由が見当たらない。
「そなたの剣は何も語らぬ」
すっと、ミホークが剣を引いた。収め、てはくれぬ。しかしいささか困惑した様子の男に先ほどまでの七武海、海の王者だというだけではない色が見えた。それでサリューは一度己も剣を下げて、まっすぐに向かい合う。
「わたしのことを知りたいのですが。鷹の目の男。ジュラキール・ミホーク殿」
「わからぬゆえに、迷い子の眼ばかりが深くなる。その先のそのまた先まで見通す眼は俺にはないが、しかし、あの霧の深い小さき者に一筋の光を当てたお前を、導く光は何だ」
ここにクザンか誰かがいれば「標準語を話せ」と突っ込んだかもしれないが、生憎サリューに突っ込みの才能はあまりない。皆無ではないが、あんまりない。だから神経、真剣そのままでゆっくり、しかしはっきりと口を開く。
「信じるものは一つだけ。己の信念、かくありたいと願い歩みを止めぬ私がいるのです。鷹殿、あなたの声はどこまでも深く、鋭く夜の帳を引き裂いていく。それでもまだ、私の夜は明けぬのです」
まぶたの裏に今も離れぬ光景がある。眼を閉じずとも浮かんでくる背、耳を済ませずとも聞こえる声。それらを再び現実にするためにサリューは進む。
そこにあるのは、ただ己の意地と決意である。それしかない、ともいえる。いや、本当はあるのかもしれな。しかし、まだそれには蓋をする。ゴリゴリと壷の中で閉じ込められた言葉たちが主張をしようがなんだろうが、蓋を開けるのはサリューである。
「お前の語らぬ剣は、無、気性ゆえではないな。それは、沈黙の価値、必要性を知るこそのもの」
褒められて、いるのだろうか。
解り辛い言葉ではあったが、ふとミホークの目が細められた、僅かな、慈悲があったような気がした。まったく解らぬが、だが、先ほどミホークの言った「小さき者」に心当たりがある。
(あの子の、ことか)
暖色の髪の、幼い、小さな小さなあの子、あの子供のために、ミホークは海兵である己に無遠慮に、礼儀もなく切りつけてきたのか。サリューはずきり、と痛む心臓を上から押さえ込んだ。しかしその痛みは己が覚えるべきではないものだ。
さっと剣を払い、サリューは丁寧にお辞儀をした。
さらり、と耳元で髪が揺れる。わずかに血のついたシャツからぽたり、と赤い血が地に滴り落ちた。いつの間に、と、こうして血が流れるまで気付かなかった。痛み、よりも見事だと関心し、まだ叶わぬのかと悔しく思う心が沸く。己の最終目標は、剣帝になること、ではないけれど、しかしあの人の背に追いつくために必要な力である。強者に「負けた」と思う心を抱く己に聊か腹も立つ。負け、ではない。また、挑める。己の牙はおれぬと、ぎゅっと剣を握り締めた。
手加減、されたのだろう。でなければ最初の一閃で己の首と胴は綺麗さっぱりさようならと分かれてしまったに違いない。一人の剣士として、相手に力を抜かれることは屈辱である。しかしその反面、死なずにいた己にほっとする。いや、死が恐ろしいことはない。しようのないこととあきらめるわけでもない。だが今はまだ死ねぬ。そう強く思えているから、死なずに済んだ今をただ受け入れる。
「メフィストの者よ。お前はあの男を殺すのか」
ぽつり、とミホークが呟いた。問いの形はとられているが、それは独り言のようにも聞こえる。あまりの内容にサリューは一瞬反応が遅れた。
「……いいえ」
あの男、が誰を意味するのかわからぬが、浮かんだ候補は三人いた。だからその三人の誰も己は敵意も殺意もないと思い答える。鷹の目の鋭い男の眼球はどこか遠い先を眺めている。真っ赤な眼。赤い、眼。この赤は誰かに似ていた。それが誰なのかをサリューが思い浮かぶ前に、鷹の目がバッとまだ握り締めていた剣を、己の身を守るように真横に構えた。
轟音。爆音、とさえ言える。地鳴りのように響く、敵意に共に飲まれるかもしれぬ距離であったのに、突如真横から繰り出された容赦のない一撃は、サリューにはかすりもしなかった。
「貴様か。赤い眼のコヨーテ。お前があの者以外の牙になるのは、珍しいことだ」
「それは私の配下の者だ。害すれば七武海とて海に沈める」
衝撃に僅かに顔を顰めはしたものの、牽制としての意味しかなかった一撃か。双方無傷のまま対峙する、ミホークと、そして現れた帽子にフードの海軍将校。
「大将赤犬、」
まさかこの人がこのタイミングでここへ来るとは想像もしておらず、今日は予期せぬ遭遇が多いとただ驚いた。眼を見開くサリューをちらりと一瞥して、サカズキは僅かに眼を細めた。チッ、と舌打ちをした音が聞こえる。
「……その腕はあとで医者に見せろ」
「たいしたことはありません」
「海兵とは言え、子女が体に傷を残すものではない」
頭でも打ったんですか。
とはさすがに言わずにサリューはただ困惑したまま「は、はぁ」と妙な返事をし、対峙するミホークとサカズキを眺めた。ミホークはサカズキの登場に、先ほどまでかけらも見せなかった、敵意をありありと吐き出し、しかし、一度目を伏せるとそのまま剣を収めた。
「メフィストの者よ。そなたの手は長く、いずれは星をも掴むだろう」
「…?」
「余計なことを吹き込むな」
ミホークの一言にサリューが首を傾げると、すかさずサカズキがその視線から遮るように前にコツン、と移動してきた。まさか大将赤犬に庇われる日が来るとはこれまで思いもしなかったサリュー、ただ驚き、そして顔を顰める。多少は抑えているのだが、海軍本部大将と、王下七武海の押収、それだけで覇気が溢れ出す。ぐらり、とサリューの視界が揺らいで、足の力がすっと抜けた。
「ねぇ、ね、サリュー死ぬの?死んでしまうの?」
「大丈夫だよ、パンちゃん。まったくサカズキさんも鷹の目も無茶するな。サリューさんに何かあったら……パンちゃん、どっちからどついて欲しい?」
ぼんやり眼を開いたら、真白い天井。己の腕が傍らに出され、白い管が液と血を通しているのがわかった。消毒液のにおい、と、薔薇の香り。外から聞こえる少女らの声に、サリューは覚えがあった。
「大体どうしてこういうときに限ってドクターいないの?じゃなかったらSiiになんてお願いしないで済んだのに!」
「ふふふ…真っ赤に眼を晴らして必死に私を探してくれたパンちゃん……!!絶対忘れない、脳とまぶたに焼き付けていつでもロード可能だ!」
なんだかガヤガヤと騒がしい。一応ここに寝かされている以上、自分は負傷した怪我人の設定であるはずなのに、もう少し静かにはならないものか。だが一人ひとりであればそれほど騒がしくもない彼女らが、二人そろえば(外見どおり)のやり取りをするのを微笑ましくも思う。
ゆっくり体を動かそうとすると、いやしかし、体に力が入らない。
いくら大将らの戦闘体勢時に居合わせたとはいえ己はそこまでもろくはないだろうと不審に思っていると、シャっとカーテンが開いた。
「サリュー…サリュー!よかった……どこも、痛くない?平気?」
怪我している腕には触れぬように、ぎゅっとサリューに寄り口早に問う。眼の色は青のままだが、何度も擦っただろう、泣きはらした後が赤く腫れている。
「それは問題ないのですが……体が動かぬのは貴方の仕業ですね。Sii准将」
「えぇ。そこはほら、サリューさんのことですから起きたらすぐに仕事に戻るでしょう」
「当然です。病人ではないのですから」
「サリューは働きすぎだよ!クザンくんなんて最後に仕事したの一週間前だよ!」
「青キジに関しては申し上げることはありませんが、普通仕事は休暇を頂いている以外では毎日終わりまでやり遂げるものです」
クザンがいれば「そんな正論は聞きたくない」とでも言っただろうが、一応ここにいるもSiiも(本当に一応だけれど)常識はある。は頬を膨らませ、不機嫌そうに眉を寄せた。
「今日一日はダメだよ。サカズキだって「安静にさせろ」って言ってくれたし。誰も怒らないから休んで、お願い」
「誰かに叱責されるされないの問題ではないのです。やらねばならぬことがあるのなら、私は」
融通が利かぬと己でもわかるが、しかし昨今、けして暇な情勢ではないのだ。大海賊時代の幕開け、サリューの掲げる正義はその激動の中に休まることを許さない。それは誰に強制されていることでもなく、己が「そうあるべき」と定めたことである。
「パンちゃん、動けない今の内に薬でも盛っておくか」
「サリューに変なもの飲ませたらダメだよ。やっぱり睡眠香とか?」
「あれなら人体に影響も少ないか」
「人の目の前でそういう物騒な相談をなさらないでください」
とりあえず突っ込めば、少女二人はきょとんとした顔で「医療行為の一環だよ」という。物凄くまじめに、嘘などつかぬ眼。
……さすがに少し頭痛がしてきた。
もうこのまま寝入ってしまおうかと一瞬思ったが、しかしまだ確認しなければならないことがある。
「……鷹の目は?」
「ミホークならおつるさんにお説教されてますよ。サリューさんが倒れたのが五時間前でまだあと三時間は続きそうです」
自惚れるわけではなく、先日からの経験から自分を傷つけたミホークにが何かするのではないか、という危険性が浮かんできた。だからそちらの意味で問うたのだが、Siiはけろりと答える。ということは(それはそれで悲惨な状況には違いないが)無事、ということか。ほっと息を吐くと、ぴくりとが眉を動かして、ベッドに身を乗り上げる。瞳が仄暗い、海の底に似ているような気がした。
「ミホークに酷いことされたの?サリュー」
「いいえ」
すぐに答えた。の眼は「そう」と輝きを取り戻す。ぱっと笑顔になって、機嫌よくベッドから飛び降りた。
「お見舞いはメロンかお花だってくれはが言っていたよ。サリューも起きたし、安心した。ぼくちょっと持ってくるね」
「私はこのままベッドに軟禁が確定ですか」
くるくると回り、デッキブラシを取り出した、ひょいっと窓に足をかけて飛び出す。嬉しそうに輝く笑顔、まぶしいといえばまぶしいが、しかし、なぜこんなにも憐憫を覚えるのだろうか。
「何はともあれ、ご無事で何よりですよ、サリューさん」
「ありがとうございます。治療をしてくださったのはSii准将だったのですね」
「色々特技があるので。お役に立てて何よりです」
穏やかに微笑む、黒髪の少女。歳はサリューより随分と若いのだと以前が言っていた。そういえば本当の年齢は幾つなのか。
先ほどまでと騒いでいた姿は幼い童女のようであったが、しかし今こうしてサリューを見舞う眼はさまざまな情報を探る生き物のようでもある。医者の腕前は、おそらく悪くはないのだろう。己の腕は今丁寧に包帯が巻かれているが、時折傷を負い、その後よくある痛みが今はない。体の自由は利かぬが、しかし麻酔を使ったわけでもないのだろう。サリューの認識している以上の医学を心得、それを当然としているのだということがよくわかった。
「ところでこの解毒、」
「そんなものはありません」
「……貴女も海兵であるのなら、今の仕事量をご承、」
「何とでもなります」
サリューに最後まで言わさず言葉を遮ってニコニコと言う。噂では彼女の仕事の鬼っぷりは有名(そして恐怖の対象)だったが、やはりここでもの存在が大きく関わってくるのか。
なんと言うか、なぜ皆そこまであの子のために、己を変えることが出来るのだろうか。
別段、それを軽蔑や卑下する気持ちはない。確かにあの幼い眼が微笑んでくれるのであれば、と何かをしてやりたくなる気持ちはある。だがサリューのそれは、あくまで慈しみゆえの、花が嵐に吹き飛ばされるのを黙認できぬ、人間として当然の優しさゆえである。
だが、鷹の目の男も、赤犬も、そしてSiiも、のために本来の自身とは聊か一致しきれぬ言動を取るのだ。それが、様々なことを引き起こしている。けして、サリューは己の保身からそう感じるのではない。ただ、先日からの出来事と、そして先ほど、ミホークをどうするかと問うたの前後の言動から推測するに、愛しいからだと、そう言葉に出せば納得できるレベルでもないのではないだろうか。
それは、愛と呼べるものなのだろうか。
「……今はまだ、あまり多くを考えないでいたほうがいいですよ。レルヴェ・サリューさん」
ぐるりと思考が巡り堂々、周ったサリューの手をSiiがそっと取る。
「いつか、いずれ、世界が貴女を必要とするときがくる。私のような身のものが、貴女に“お願い”するなどおこがましいことかもしれませんが。出来るのならただ一つだけ」
黒い髪は艶やかな闇のように長く、長く流れている。白いシーツに僅かに髪が触れた。しかし、Siiからはどこまでも闇夜を感じさせぬものがある。きらきらと輝く、ましろいイメージ。サリューは言葉の続きを待った。この、自分に、何か必然なことが世にはあるのだろうか。世界、というSiiの言葉、たいそうすぎるものだとは一瞬思った。だが、彼女の口から「世界」という巨大なものが出ることに違和感はなく、その唇が、その世界がサリューを必要とすることがあるというのなら、それは本当なのだとも思う。
Siiは一度顔を伏せた。さらりと流れた髪で一瞬表情がわからなくなる。顔を上げたときには、彼女はもう笑んでいる。
「どうかその時まで生きていてください」
ただ一言、望むのはそれだけという。常で生きる並の人間であれば、それは容易くかなえられるもの。だがしかし、海兵、魔の剣の主たるサリューにその確約が出来るかといえば、出来ぬ。
答えに困窮、ということもないがすぐに否定は出来なかった。その時の語るSiiの目の必死さが僅かに見えた。伺えた。サリューはSiiの手を握り返し、臨終の床の姉が妹に叶わぬ約束するときの心持を思いながら、ただ、頷いた。
(それが愛だというのなら、それは絶望と同義語だ)
神々に、誰もに愛された娘の、閉じ込めた蓋の奥から飛び出したものは何だったのだろう。己の心の中にある、抑え続ける蓋を思いながら、ただそれを、考えた。
Fin
(愛しているのです。本当です)