その決意、一方的な殺意
温厚か短気かと考えれば、間違いなくサカズキは後者だろうとクザンは同期の(今は違うが)よしみでよくよく知っているのだが、しかし、冷静家か激情家かと言われれば、たぶん前者としての気質の方が強いようにも思える。つまり、サカズキ大佐という男はわりと短気な方ではあるけれど、一時の自分の感情を優先したり、行動を左右されたりすることはないのだ。まだ訓練生だったころも、その頃は今よりはいた同期たちがこっそり夜宿舎を抜け出したり、女に興味を持ってそういったいかがわしい物を部屋に持ち込んだりしている中、上司の女将校とさっさと関係を持つというストレートなことをしたりしていた。
それで表面上はどこまでも模範的な優等生、と評価され上官達の覚えもめでたかったのだからルームメイトだったクザンはいろいろ不満に思ったものである。同じ時期に佐官クラスに上った時にクザンが華やかな女性たちに囲まれている中、あまりに生真面目に仕事をするサカズキに、ちょっとからかう意味で「好みのねーちゃん紹介しようか?」と言った時など「もうそっち方面は暫く必要ない。必要なのは、海兵としての実践だ」と堂々と言いやがった。まだ十代後半だったにも関わらず、何その、「もう遊びつくしたからいい」みたいな言葉、とクザンはちょっとばかし殺意も湧いた。だが考えてみれば、若いうちに女性遊びを散々してしまえば、あとはもう飽きるだけである。サカズキの性格を考えれば女性にうつつをぬかすことなどはないだろうが、人間の好奇心というか、年頃になれば誰だって異性の体に対して興味が湧く。それを押さえつけることよりかは、あっさり何もかも経験してしまって「なんだこんなものか」と判じた方が手っ取り早いというものだ。中には女の体に溺れるタイプもあるが、サカズキはそういうタイプではない。そう自分でわかっているからこそ、だったのだろう。
まぁ、話は逸れたが、サカズキという男は、自分の今するべきことをしっかりと考えて決めて、前に進んでいるのだ。憤るようなことは多々あるようだが、しかしそれで自分を見失ったりはしない。当面のサカズキの目的は出世だと、いつかクザンはサカズキ本人に聞いたことがある。サカズキは、悪を憎む心というのは、実のところはあまりない。だが、世を正そう、悪を根絶やしにしよう、という心は人一倍強かった。憎しみや敵意で悪を見ない、それこそが最も、絶対的正義なのではないかとクザンは時々思う。そのサカズキが持つ出世欲、世にあるようなちょっとばかし汚いような感情からではない。上に立つものになれば、より多くの悪の根を詰めると、より的確に、駆除ができると、そういうことだ。正しいことをしたければ偉くなれ、ということではない。サカズキは、自分を止めるものがいない地位まで上りつめることで、己の「絶対的正義」を振るうつもりなのだ。
「で?その、出世欲のバリバリだったお前さんが准将の昇格を断ったって?」
「面会にくるなりそれか。見舞いの言葉くらい言えんのか。人として」
「お見舞いにはサカズキの好きなサバ缶買ってきました。あとこれ酒ね。ワノ国の特級品よー。収入増えるから奮発しちゃった」
「どこの世界に病人に酒とつまみを持ってくる阿呆がいる」
「いらないの」
「そうは言っていない」
いるんじゃん、とクザンは軽く笑い。病室に備え付けてある見舞い用のパイプ椅子を引いて腰かけた。消毒液の臭いが鼻をつく。病人、という割には顔色のよいサカズキを眺めながら、クザンはさて、どうしたものかと考えた。
サカズキとクザン、二人は揃って明後日行われる昇格式で准将になる筈だった。まだ二十そこそこの若い海兵の異例の出世は、どういう意味をもつのかクザンでさえわかっている。何しろ、自分たちは珍しい自然系の能力者だ。かなり公平に判じても、クザンやサカズキが既に中将クラスの実力を持っていることは誰の目にも明らかだった。しかしいくらなんでも十代の将校というのは危険すぎるからと(どれほど実力があろうと、その精神や経験が若ければ、絶対的正義の前にあっさり心が崩れてしまうという懸念)待たれた、やっとのことである。それをサカズキもわかっていたはずだ。それなのに、ガープ少将の船から戻り、重症を負ったサカズキはそのまま海軍病院に搬送され、目覚めるなり、准将への昇級を断ったのである。
クザンが今日サカズキへの見舞に来たのは、海軍に入ってからなんだかんだと腐れ縁になっている友人への見舞いという意味もあるが、中には、上官らに「説得」を頼まれたからというのもあった。サカズキは頑固である。自分が決めたことは、たとえ軍法会議に送られるようなことになったとて曲げぬ。上官らがどれほど必死にサカズキを説得しても、昇級を受け入れなかった。それどころか、反発している己を降格させてほしい、とさえ言っているのだそうだ。
サカズキを説得すると意気揚揚と病室に入っていた将校たちが、皆撃沈してトボトボと方を落として一週間。半泣きになった上官から説得を頼まれた時、クザンは「お前何してんだ」とその場にいないサカズキに向かって突っ込みを入れてしまったものである。
「私の説得に来たのだろう。無駄だから帰れ」
「ありゃ、まぁ、バレてるとは思ってたけどさ。話しくらい聞いてよ」
「言ってみろ」
「サカズキが了解してくんないとおれも大佐のままなんだけど」
「嘘だろう」
まぁ、嘘である。クザンは素直に認めて肩をすくめた。それに実際のところ、そうだったとしてクザンは何も困らない。サカズキのように出世欲があるわけでもない。海兵になったのは、正義のためだが、その正義にしたって、人それぞれだというのがクザンの見解である。クザンは、今のこの世の平和を守りたいと思っていて、そのために海兵にはなった。しかし、出世したいと鼻息を荒くしたことはない。
「サカズキの数少ない友達として聞くけど。なんで辞退したの?」
「理由ならあるだろう。私は先のガープ少将の船で、あろうことか敵に命を救われた。あの嵐で何人も死んだ中、おめおめ生き残り、恥を曝している」
「その、お前を助けたっていう“敵”だけどさ。例外だって、上の判断知らないわけじゃないだろ」
サカズキが負傷して帰還したという知らせは、クザンも聞いていた。それで、同じ自然系にあるまじきのその負傷に疑問を抱き、クザンはガープに直接経緯を聞きに行った。答えるガープ少将ではなかったが、センゴク大将がクザンに教えた。自然系、そして時期に准将になるものは、知っておくべき情報であると、そう前置きをされて。
同じ話を、目覚めたサカズキにもされているはずだ。
「ゴール・D・ロジャーの船に乗ってるっていう、魔女。どういう生き物なのかってのは、昇格式のあとに詳しく教えてもらえるみたいだけど、その魔女には、自然系の能力者の力が聞かないって。それでもって、海賊ではないって。その魔女が何をしようと、それは世の法にはあてはめられないんだって」
「それがなんだ?」
何度も別の口から聞かされてきたことを、サカズキは遮った。まっすぐに見つめる赤い目は、海兵のものではない。一人の人間としての眼である。いや、だが、サカズキはどこまでも海兵なのだ。サカズキには公私などない。海兵としての人間、なのだ。規律や上官に従うただの海兵ではない。己の決意の上の法の上に存在する、海兵だ。
「私は私を許しはしない。あの時、あの女を殺せなかった私を許さない。あの時、あの女に助けられた私を許さない。あの女がどんな例外的な生き物なのか、そんなことはどうだっていい。構わない。私は、必ずあの女を殺す。あれは、世に存在してはならぬものだ。そう、私の正義が感じ取った。誰が許そうと、私はあの女を許しはしない」
クザンがため息を吐く。インペルダウンにぶち込む、と脅したところでこの男の心を変えることはできまい。ぽりぽり、と頭をかいて背をもたれさせた。ぎこり、と軋む音を聞きながら、もう一度溜息を吐く。
「その魔女さんを捕まえるのも殺すのも、まぁいいけど。だったらやっぱ昇格しとくべきなんじゃないの?センゴクさんの口ぶりからすると、その魔女、おれらレベルが手出しできる生き物じゃないみたいだし」
「クザン」
「何?」
「お前も、悪魔の実を口にした日から、悪夢にうなされるようにはなっただろ」
唐突な質問である。クザンはあっけに取られたが、すぐに口を開いた。
「悪夢じゃないけど。あの日からずっと、夢に見るのはあるよ」
自然系の能力者には、みな共通して見る「夢」がある。クザンはサカズキと出会うまで、それが悪魔の実による副作用だとは知らなかったし、サカズキもそうだったようだ。だが海兵になって、同じ自然系の能力者に出会い、そして、先日センゴクから聞いた、悪魔の実による副作用。それまで、ずっと何か、自分の心を締めていたものだ。いや、今でさえそうだ。
「泣いている、女の子の夢。長い髪をした、可愛い子が泣いてるんだよね。必死に、必死に、肩を押えてさ、震えないようにしながら、でも、抑えられてないんだよね。声を洩らさないようにって、唇噛み締めて、肩押えてるから拭えないでただ流れる涙が、とめどないんだ。初めて見た日の朝、おれは泣いたよ。あの子を泣かせてるのが誰かわからないけど、でも、なんとかしてやりたくなった。だから、おれは海兵になったんじゃないかって、時々思うよ」
今でも、夢に見る。夢の中で、その女の子には触れられないのに、クザンは確かにそこに自分がいるような気がするのだ。クザンはあれから随分成長したし、手も足も伸びた。あの子を守れるくらいの力はあると思っている。あの、小さな女の子一人くらい、守れる。そう思うのに、夢の中で、どれだけ必死にクザンがあの子を慰めようとして見ても、声は出ないし、手も伸ばせない。ただ、苦しそうに、悲しそうに泣いている女の子を眺めることしかできない。
サカズキも同じ夢を見ている。それを悪夢、というのが、らしいといえばらしい。
「あの子、誰なのかさっぱりわからないし、顔も俯いてるからよくわかんないけどさ。あの子が泣きやんで、それで、おれに笑いかけてくれるんだったら、おれはきっとなんだってするよ」
「私はその悪夢を終わらせたいんだ。クザン」
クザンの話を聞いているのか、いないのか。窓の外を眺めながら、サカズキが短く言った。え、おれのこの長年の初恋的な感情と告白スルー?とクザンはちょっとばかし悲しくなったが、まぁそれはそれ。何か、今回のこの意地合戦の核心に触れるようなことをサカズキが言おうとしている。それがクザンにはわかった。長い付き合いだ。どう見てもツンツンキャラのサカズキが、多少なりとも自分に気を許していることは、気づいている。クザンは初めてサカズキに「腐れ縁だが、友人でないと思ったことはない」と言われた時は、なぜかものすごく嬉しかったものだ。
上官にも話さぬ己の本心を、自分には話してくれる、それがクザンには嬉しかった。ここでニヤニヤでもしようものなら即座に本の角で頭を叩かれて口を閉じられるので、クザンはまじめな顔をして次の言葉を待った。
「今もまぶたの裏にちらつくあの少女の顔、能力者は皆あの少女に恋をするという。貴様も例外ではないようだがな。だが、私はそうはなりたくない。仕組まれた感情など、認めん。世界中があの少女を愛しても、私だけは、あの少女を憎みたい。そのために謎を解き明かす。あの夢が何なのか、あの少女、あの魔女は、何なのか。私は、准将にあがって、それを手出ししてはならないと言い含められる前に、守らなければならなくなる前に、どうにかしたい」
クザンは、どちらかといえば勉学の方の成績は良い方だった。サカズキに比べれば悪いが、しかし、サカズキの次に、いつも名前はあった。頭の回転は悪くないし、それに、サカズキの性格もよく分かっている。その上で、いったいサカズキの本音がどうなのか、というのも、おそらくはサカズキ以上にわかってしまったのではないだろうか。
(……マヂで?)
唖然とする。あの、サカズキが、これは、夢じゃないのかと疑いたかった。クザンはただただ驚いて目を丸くする。それを、言った事実の恐ろしさゆえかと思ったのか(重ねて言うが、おそらくサカズキは、自分の本心がどうなのか、気づいていない)サカズキが目を細める。
「あの少女に懸想している貴様には悪いが、私はそう決めた」
「懸想ってお前、どんだけ古い言い回し?ってそうじゃな。そうじゃなくって……あ、そう…そうなの」
とりあえずそう言うしかない。というよりも、クザンはなんだか全力疾走でこの病室から逃げだしたかった。何故って、それはもう決まり切っている。クザンの、長年の初恋がこれで失恋決定になったからだ。
サカズキの執念や強い熱意は、いつか必ずあの少女へと行きつくだろう。クザンが同じことをしても、きっと探し出せないものを、きっとサカズキは辿り着く。そして憎悪をぶつけるのだろう。たくさんの人間に愛されているだろうあの女の子(クザン含む)だからこそ、サカズキは憎むのだ。あの女の子は、どうするのか。会ったこともない子だし、いったいあの子が、世界にどんなことをできるのかも、そしてどうして「特例」なのかも、クザンにはわからない。だが、わかる流れはあった。
昔っからそうだった。クザンが本気になった相手ほど、サカズキに惚れこんでしまうのだ。
何か知らないが、そういう法則でもあるんじゃないかと研究して欲しいほど、確実性があった。だから、クザンにはこれからサカズキがどんなことをするのかとか、あの夢の少女がどういう生き物なのかとか、そんなことはさっぱりわからなかったのだけれど、それでも、絶対に、自分の初恋が実らないことはわかった。
(……泣きたくなってきた)
神様おれ、何かしましたか、と聞きたい。いや、しかし、だが、しかし、まだ希望はある。サカズキ自身はあの夢の子への愛情を何か知らないが憎悪や敵意だと思っているようだし、実際にあの子と会っても、その助けられたという行動によって嫌悪感を募らせている。このままサカズキにはあの子を憎んでもらいまくったままでいて、サカズキがあの子をもし、万が一連れてくるようなことがあったら、自分が好かれるようにすればいいのだ。
自慢ではないが、仏頂面のサカズキよりクザンの方が百倍愛想はいいし、人にも好かれる。
あれ?でもなんか自分大事なこと忘れてないか、と一瞬思わなくはないが、作戦を練ってクザンはひとまず満足した。というか、目的が外れて来ている。それでコホン、と咳ばらいをした。
「アテ、あんの?」
「ある」
「…あ、そ。でも、情報を集めるにしても、准将からじゃないと魔女についてはほとんど聞けないじゃねぇか」
「そうだ。だから私は海軍を辞める」
「……はい?」
一瞬、クザンは耳を疑った。自然系の能力者は海軍本部でかなり重宝されている。そしてサカズキの、正義に対する過激なまでの思想は、海軍そのものだ。みすみす、手放されるわけがない。
海軍辞めたいデス★と素直に言ったところで、その能力が敵対することを恐れられて殺されるだけだ。よくてインペルダウン行き。それがわからぬサカズキではないはずだ。海兵は海兵としてしか死ねない。
ちなみに女性海兵は優秀な子供を産んだりそういう方面で正義に貢献できるので寿退社(?)はアリである。
「辞表はもう書いた」
「早ッ」
「センゴク大将にも提出している」
「お前、なんでそういう方面でも思いきりがいいかなぁ……!!一言相談しようよ、なんでいっつも事後報告なわけ?」
「相談したところで出す結果は同じだろう」
いや、まぁ、サカズキの性格ならそうだろうが。しかし、それって、アリなのか。というか、おれは友達じゃなかったのかと落ち込みたい。
「……お前、自分が結婚する時も、相手に「籍は入れた」とか事後報告するなよ」
「相手のサインがなければ不可能だろう。そんなマネはしない」
どうだか、とクザンは首を捻った。まぁ、法律上は相手の同意がなければ結婚できない、というのはどこの国でも共通のハズだから、それはないかもしれない。ちょっと自分も大袈裟に言ってみただけだと反省し、クザンは頬をかく。
よほど、屈辱的だったのだろう。それはわかる。たとえ上がどう判断していても、海賊船に乗っている人物に、命を助けられた。そして、瀕死の重傷を負わされた。その、憎悪。そしてさらに、長年植えつけられてきた、夢の内容。激しい感情がサカズキの中に渦巻いているのだ。それは、わかる。
温厚か短気かと考えれば、間違いなくサカズキは後者だろうとクザンは同期のよしみでよくよく知っているのだが、しかし、冷静家か激情家かと言われれば、たぶん前者としての気質の方が強いようにも思える。つまり、サカズキ大佐という男はわりと短気な方ではあるけれど、一時の自分の感情を優先したり、行動を左右されたりすることはないのだ。
……その、はずだったのだが。
クザンはただただ呆気にとられて、自分が何を言うべきなのか完全に見失ってしまった。サカズキの意思は何が何でも変えられない。やる、と言ったことは絶対にやる男。けれど能力者だ。海軍本部が手放しはしない。その上で、何が、どうなっていくのやら。
とりあえずクザンは、あとでサウロに相談してみようと思い、その日はそのまま病院を後にした。それで、揃ってない知恵しぼって必死に「サカズキ君目を覚ませ!!君は誰よりまっすぐだ!」計画を練ってみて、次の日に病室を訪れたら、そこはもぬけの殻だった。
(死んでないよな?サカズキ)
それから一年後、サカズキは海軍に復帰するのだけれど、その間、何をしていたのかは誰も知らない。
Fin