その吐息ですら私の心臓を止める威力を持つというのに
「さすがに、まいったな」
何度目かになるかわからぬため息を吐き、レイリーはこめかみに手を当てた。うっすらとした光は読書用という程度、ぼんやりとした明かりが部屋を照らし、そして人の肌の滑らかさをよく知らせる。
この部屋はロジャー海賊団の「図書室」であるが、膝の上にある重みは本ではない。身動きすればその度に小さく吐息を漏らされ、一体これはどういう嫌がらせなのかとレイリーは数時間前のことを思い出す。
ロジャー海賊団。本日はとくに戦闘もなく順調な航海。次の島は、によれば巨大な鳥が住むらしい。「啄まれぬように気をおつけよ」とそう魔女が見習い海賊、赤い鼻の子供に優しく忠告し「ガキ扱いすんじゃねぇ!」と怒鳴られていた。その反抗する態度を「おい、生意気だぞ!」とたしなめたのはその隣にいた赤毛の、やはり海賊見習い。二人して入ってきて、それで年齢もちょうどいい頃合い。それに何か面白そうな二人だからにつけたら魔女はどうするだろうかと、そういう心で預けてみれば、なかなかどうしてはよくしていた。
それで束の間平和な海賊団。毎度宴しみた夕食を終え、レイリーが航海日誌を書いてしまおうと自室に引き、そして書き上げたときにふと先日の港で手に入れた本を読み終えてしまったことを思い出した。自室に置くのもいいが、なかなか良い内容だったため、仲間たちが読めるよう図書室に置くのもいいだろうと、そう思い、真夜中ではあってもこういうことは思い立ったら行動するべきとそう心がけているレイリーは部屋を出てそれで暗い夜の船内を歩き図書室へ向かった。と、そこで途中、何か真っ白い物がずるずると動くから立ち止まり、「……ひょっとしなくともか」とそう声をかけた。
暗闇を恐れる魔女。真夜中に目が覚めて、それで怖い夢を見たらしくもう眠りたくないと、それで長い時間をつぶすために図書室へ向かおうとしていたと、そういうではないか。半分寝ぼけているのか普段しっかり顔や体つきを隠すショールはなくシーツ一枚。これでほかの船員に鉢合わせたらどうするのだと指摘すれば今夜の見張りはシャンクスとバギーだから心配ないと、そう言う。
それでレイリーがを抱き上げてともに図書室まで来て、それで、一人きりで残すと心細いだろうと思い、それで、どうしてこうなった。
「…………無防備というか、学習能力がないというか…」
彼女は無邪気に過ぎる。途方もない時間を生きているくせに純粋なのだ。レイリーが彼女を憎からず想っていることを薄々悟っている。それで時折警戒するような素振りを見せても、結局のところ隙しかない。
レイリーはこれでもかなりモテると自負していた。港に行けばその都度恋人がいるような、そんな浮名を歩かせたこともある。まぁ海賊なのだからとそこは自分で自分を擁護するが、つまりは女性の心をとろかすことはさほど難しいことと思っておらず、どんなに警戒心の強い女性でもその日のうちにベッドに招き入れてもらえるようにすることができた。
そういう男であることをだって知っている。若いころロジャーとどちらが多く女性を落とせるか競ったその場にもいて「ふふ、最低。二人とも地獄に堕ちなよ自主的に」と低い声で笑っていたのだ。いや、あれはなかなか怖かったと今更思う。
しかし、というのに彼女はレイリーを本気では警戒していない。いや、当人は「警戒心強く」しているつもりで、しかし、百戦錬磨のレイリーからしれみれば、そんなものは極寒の地でコートを一枚纏っているだけ、つまり何の意味もないことと、そう指摘できるのだ。
今現在その「警戒心の強い」はずのは、図書室の読書用ソファに座るレイリーの膝に頭を預け、レイリーがかけた上着にくるまりぬくぬくと寝入っている。
レイリーは彼女を尊重したいのでこういう表現はしたくないのだが、ひょっとしなくともは「ばか」なのかと、そう聞きたくなる。
自分のすぐ近くにある小さな頭。額にかかった長い前髪を払えばあらわになるすべすべとした肌。薔薇色の頬に、長い睫毛は伏せられランプの明かりで影を落としている。そのふっくらとした唇は男に奪われるためにあるとしか思えぬのに、開けば辛辣な言葉しか測れぬ。それすらも自身の防衛のためかと思えば子言葉の鋭利さによる苛立ちより男の保護欲を掻きたてると、そろそろ指摘してやった方がいいのだろうか。
だがそうはできぬとレイリーは分かっていた。己は彼女に信頼されたいのだ。ここ最近深く思う。彼女の懐に入り込むのはそう難しいことではない。だが、彼女から「信頼」を得るのは難しい。バギーやシャンクスを気に入っているようで懐に大事に入れているが、しかし彼らを「信頼」しているかといえばそうでもなさそう。「可愛い坊やたち」とどこまでも上目線。彼女は誰とも「対等」ではない。そうであろうとはしない。だからこそ、こんなに憶病なのではないか。
解釈すれば、この無防備さは一種のあきらめであるのかもしれない。彼女は誰も信じていない。気を許している相手でさえ自分を傷つける、裏切ると、そう諦めている。だから傷つけられれば傷つくが、けれど最初から無防備にし自分に「非」を作ることで根底の、誰にも触れさせぬようにしている部分を守り通しているのではないか。
そう思うようになったレイリーは彼女の「特別」になりたかった。彼女が心のそこから安心できる男に。
「……そうと決意した矢先からこの境遇というのは、、わかってやっているとしたらきみは相当に性格が悪いな」
ため息を吐きレイリーはが身じろぎした所為で露わになった肩に上着を引き上げる。
「まったく、折角開いた本の内容にまるで集中できないではないじゃないか」
膝に感じるぬくもり、彼女の柔らかさを気にせず読書に勤しもうとするたびに、そうはできぬ自分を自覚する。小さくが吐息を漏らせば、どれほど本の内容に興味を引かれていてもいっぺんに現実に戻ってきてしまう。
次第に嫌になってレイリーは素直に本を閉じ脇に放ってから、もういっそそれなら今晩は一晩中この小憎たらしい彼女の寝顔を眺めて苦しんでみようかとそんなことを思うのだった。
Fin
(2011/01/31 16:22)
リハビリ短い話。
タイトルは瑠璃音さんからお借りしました。
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