触れれば固く冷たいだろう輪、馬車の下部にりんとつけられた車輪を上からじぃっと眺める。踏み締められた赤土は窪み通り過ぎる道に轍。昨晩は雨が降っていた。ただでさえ柔らかな土は一層柔らかく、馬の速度も常よりやや落ちている。たったの一頭でこの車を引くのは辛かろうと思って今朝の出発方には管狐の一匹でも招いて来ようかと提案したのだが、最後まで言う前に頭をテーブルの上に叩きつけられた。白い手袋を嵌めた大きな手。やや骨ばった、しかし容赦のない強い力。ぐぎっと、テーブルの上に置かれていた白い皿がの額に当たって、そしてテーブルに圧迫されて割れた。砕けた破片ぷつりと柔肌を突き破り痛覚を刺激する。だらりと白い皿だったものの上にの真赤な血が流れた。は真っ青な瞳でそれを眺めながら、サカズキが再びの髪を掴み無理やり上を向かせるまで、己の赤い血が酸化して黒へと変化していく様をさめざめ眺めていた。赤、が黒に変わることに妙な違和感。赤から変わるのは白だと、そう妙に信じ込んでいる事実があって、しかしそれが何なのかはわからないのだ。





手の鳴る方へ





「危険です」

荷台の中から顔を出して外を眺めているを窘める声。ぐいっと、乱暴ではないが強行という程度の力を込めて肩を引かれた。落ちるかもしれないからあまり顔を出すな、とそういうことなのだろう。たった一言だけのそっけなさ。面白くもない男だとは振り返って、己を諫めた海兵を眺める。名前、名前は覚えていない。一度だけ教えられた覚えはある。クザンが連れて来た。あの、だらけきった顔をしていてその実、三人の大将のうちの誰よりも苦労し世を駆けずり回っている氷の男が一度、己の面前にこの海兵を「紹介」してきたことがある。その時のことは多少は覚えているのだが、といってこの海兵の名前をなんと言っていたのかは覚えていない。こがねの色の髪に、北の出身とたやすく思える独特の白さを持った、体格に恵まれた海兵。屈強な、と表現できるだろう。その特徴ある顎に二本の傷が入っているのだけは面白い。あぁ、そうだ。この男の名前は、デュエスというのだった 二本の線が重なってXの字。この男はデュエスというのだった。

「退屈だ」
「半日ほど辛抱を」
「寒い」
「毛布を」

揺れる馬車の中というに立ちあがって馬車の隅から毛布を取ってくると、デュエス中佐はなれた手つきでの足下に詰めた。隙間風が冷たくて悴んでいたのは足先である。そしてそのまますっぽりと、ぎゅっぎゅと、猫の仔か何かをくるむように毛布に包まれる。

「君は馬鹿か。冬将軍でも来るわけじゃあるまいし、こんな重装備、逆に暑いんだよ」
「じきに××の領域に入ります。今より随分と気温が下がるかと」

だから暫らくは辛抱を、と再び真面目な、どこまでも生真面目、融通利かぬ固い声で言われては眉を顰めた。ぶすっと、不機嫌そうに顔を歪ませてごろりと寝転がった。馬車の中はずいぶんと揺れる。体が痛まぬようにとのまわりにはクッションが敷き詰められていた。サカズキの手配、ではない。あの男がこの自分にそんな配慮をしてくれるだなどと、それはどんな冗談だとは鼻で笑い飛ばせる。手配、したのはこの男なのだ。それがわかる。当然だ。自分が今朝、ひょいっと、乱暴すぎる動作でこの馬車の中に叩きこまれて少し意識を失っている間。それでも耳は聞こえていた。出発の準備をする馬車の付近で、このデュエスという海兵、滞在していた要塞から大量のクッションを集めるようにと指示を出していた。サカズキには悟られぬように、普段より一層、声を低くして話していたのを、の耳は聞いていた。馬車、馬車に乗るのは随分と久方ぶりである。昔は馬にはよく乗った。陸の馬だけではない。ケルピー、ウォーターホースにもよく乗った。あのきかん坊はまだ生きているのだろうかとぼんやり思う。もう二百年も前のことだ。

「暇だよ」
「少し休まれては」
「何のために?何の役に立つの」
「眠ることは、」
「意味はないよ。ぼくにはね。夢でも見て楽しんでいろって?ふ、ふふふ、君は以外にサディストなんだね」

わからぬと困惑するデュエスを眺め、良い心持。からかう言動で他人が心底怖り果てているのを眺めるのが好きだ。そしてそのままその詳細を語る気はない。夢、の見る夢は悪夢ばかり。いや、良い夢もある。昔の、まだとても柔らかい記憶。だいすきだった、たいせつだったひとたちのおもいで。それらが瞼を閉じた先でありありと浮かび、まるで本当の現在の時のような、感覚をに呼び起こす。あぁよかった。あれはすべてがゆめだったのか。こちらが本当で、あちらが夢だったのだと胸をなでおろし、昔のまま、だいすきなひとたちに抱きしめられ、微笑む。そして目を覚ます。何もかもがすっかりとわかってしまい、それでも昔と何一つ変わらぬ己を突き付けられる。それが、己にとっての眠り。その果て、であるのだ。

「飽きた。首でももげるか起爆するとか何かしなよ」
「それは普通に死亡すると思いますが」
「ここで爆発事故があったってぼくは死なないから別にいいよ」

やりなよ、やってよ、やれ、とやぁやぁ言えばデュエスの顔がひきつった。これまでサカズキが自分に近づけた准将らはたいていこのあと怒鳴る。切れる。折檻しようとしてきたどうしようもない馬鹿もいたが、それはあとでサカズキに発覚してどこかに飛ばされた。それはどうでもいい。

さぁデュエスは、この生真面目な型物はどうしてくれるのかとどこまでもどこまでもドS根性と上目線に反応を待っていると、デュエス、それはもう深い深いため息をひとつ吐いた。

「俺はこういうことはあまり得手ではないんだがな」

本位ではない、と告げるようにつぶやく小さな声。に言って聞かせるというよりは己に言い聞かせるような声音、小ささ。がきょとん、と小首をかしげていると、デュエス、ごそごそと軍服から取り出す、細長い針金。なんでそんなものを持っているのかといえばそこそこの地位の海兵、みんな持っている道具のひとつ。用途はさまざまだが、一番手っ取り早いのは手錠の鍵やら何やらを外すときや、一番小さく確実な武器にもなるからである。デュエスは長細いハリガネを取り出して、くいくいと折り曲げていく。

「なぁに、それ」
「少し待て」

苦戦しているのか敬語ではなくなっている。それを気にするでもない、デュエスの手元、長く細い針金はうようよと動き、指先が折り曲げていくところが何かの形になっていく。

最初にわかったのは尻尾である。おや、とはなんだかわくわくしてきた。何かを作るところを見るのは楽しい。トムに最初に興味を持ったのは、あんなエラのある手がどうしてあんなに繊細な作業をして大きな船を造れるのかと、そういう心から。
デュクスの大きく粗忽な手がなんとか動き、そしてだんだん形になっていく。あ、とは声をあげて、面白そうに声を弾ませた。

「猫!」
「一応恐竜のつもりだったんだが」
「得意じゃないのに何難易度高いものに挑戦してるの。猫だよ、猫。それは猫だよ」
「作った俺の主張は無視か……?」

ぼそりと呟くその声は当然無視をする。、きゃっきゃと笑い、デュエスから針金でできた猫(恐竜)を受け取る。どうみても不格好な猫ではあるが、しかししっかりとそれらしい形はしている。針金一本でよくもまぁ、と感心していると、己の出来栄えにはいささか納得いかないものがあったのか、言い訳のようにデュエス、声を小さくしてつぶやく。

「昔弟たちにせがまれて作ったことがあるのだが、もう十年以上も昔のことだ。作り方などほとんど覚えていない」

この針金の猫、魔法でいじったらどう遊べるかとあれこれ考えていたにはデュエスのつぶやきなどうでもよかったのだけれど、聞こえた単語になんとなく反射的に聞き返してしまった。

「弟?」

正直、この男に弟がいようが双子の兄がいようが、それこそ娘がいようがにはどうでもいい。が、ただ聞いてしまったという事実は残る。デュエスは少し黙ってから、じっとの目を見つめる。デュエスの目は青い。そういえばその青は昔どこかで見た色と似ていると思いだす。誰かの目と、おんなじ色だった。その人の声を思い出す前に、デュエスが口を開いた。

「北の海にある、北部の島に行ったことは?」
「あの海には400年近付いてない」
「この100年、北部は貧困に陥っていた。お前も知るだろう。流れる時代には必ずどの場所にも、そういった時期がある」

そういう話を、聞いた覚えがあるような、ないような。だが、確かに知っている。長い時代の中、いろんなことがある。まさか海兵から歴史のなんたるかをレクチャーされるとは思わなかったと軽口をたたき、、デュクスの顔を眺める。カタンカタカタとゆれる馬車の音。振動。馬はしんどくないのだろうか。

「俺の家も貧しかった。兄が一人と、弟が二人。それに妹も一人いたが、玩具などはなくてな。こうしてあるもので作っていた」
「ヘタなのに?」
「……お前は容赦ないな」
「やさしくして欲しいなら酒場に行けばいいと思う」

またため息ひとつ。そしてぽん、と、デュエスの大きな手がの頭の上に乗った。

「子女がそういうことを言うんじゃない」

どこの型物だお前は、とは突っ込みそうになった。デュエスは目を細めて、を見つめる。この男は己を妹の幼いころのようにでも思っているのだろうかと、そんな予感がした。いや、それこそ馬鹿かと突っ込みたい。デュエス、は准将でこそないだろうが、己のことを知っているはずだ。この己がどれほど長い時間を生きている外見ばかりはどこまでも幼い、だが老女であることを知っているはずだ。見かけ、にだまされるような面白くもない生き物ではないはず。なのに今、を見つめるデュエスの眼差し、信じられないことに、「しようがない」と困った幼子でも眺めるような、兄、いや、父、それとも違う、しかし、けして上目線ではない、ある種、慈悲さえあるのではないかと推測され感情をはらんでいた。

「俺はこういうことはあまり上手くなかったが、下の弟たちがすぐに覚えた。自分たちであれこれ作れるようになったら、俺がすることもないだろう」
「そういうもの?」
「あぁ、そういうものだ」

ふぅん、とうなづいて針金の猫を手のひらに置く。空いた方の手の指をひょいっと振れば、ふわりと浮かびあがる。

「君の家族構成とか、そのあと襲った悲劇とかはどうでもいいんだけど」
「悪いが全員生きているぞ」
「気分的にそう思ったんだよ。突っ込みはいらない」
「気分で人の家族を殺さないでくれ」

確かにそれは失礼かもしれないとも思い「ごめんなさい」と素直に謝った。それにデュエスが驚いて目を見開いたものだからちょっと腹も立つ。自分は謝罪もできない生き物だと思われているのか。そういう不服が顔に出ていたのだろう、デュエスが慌てて「もう一つ作るか」と提案してきた。とてもわざとらしい。

吹き込んだ風がの頬に触れた。冷たい風。ぶるっと身を震わせると気づいたデュエスが眉をひそめて、風の入り込んだ先に布を詰めた。

「もう少し、良い馬車が使えればよかったのだがな。あまり目立っては元も子もない」
「ぼくは別に守ってくれ、なんて一言も言ってないんだけどね」

改めてこの状況を思い出し再びの気分が低下した。どうしてこの自分が、馬車などで移動しなければならないのか。どこぞの馬鹿が妙なことをした。政府の人間だろうだが、よりにもよって、歴史の本分よりも扱いがとてもまずい、とされている「リリスの日記」と呼ばれる書を盗んだのだ。あれにはにも読めぬ文字で様々なことが記されている。それだけならまだいい。ただの本である。しかしあの書はそれだけで魔力を持っている。扱いようによっては巨大な兵器となる。そういう、らしいのだが。その本を発動させるには、魔女の血が必要になっている。

が狙われているらしいと、情報を掴んできたのはCP9の黒髪の少年だ。あの子供とサカズキの間でどんなやりとりがされたのか、それはの知るところではないけれど、それで、サカズキ、その「馬鹿」を焙りだすのは当然として、に護衛をつけた。普段いる場所から少し離れた場所にかくまい、その間にいろんなものを始末すると、そういうらしいのだが。

ハッキリ言って、には余計な世話である。

自分は靴ひもも結べない子供ではないのだ。逃げ回るのはお手の物。第一捕まったからといって協力するようなやる気はないというのに。あの男、サカズキが何を考えているのかにはさっぱりわからない。

「ねぇ、君の家族が全員生きてるっていう面白くもない展開はどうでもいいんだけど」

ふわりとあくびをひとつして、指をひょいひょい動かし、針金の猫を遊ばせる。これから向かう先は、60年前にが海で助けた貴族の屋敷だ。実は世界政府の重鎮だったらしいと知ったのは最近。昔からの付き合いで、あのころ遊んだ5人のメンバー、今残っているのは何人なのだろう。

「やっぱり皆きみみたいに型物なの?」
「……妹は美人だ」

ということは兄と弟二人は似ているのだろうか。それはそれで見てみたい気もする。だが、今はそれより一言突っ込みたい。

「シスコン?」
「違う!」
「今度の休暇に帰ったら結婚してたりして」
「俺の目の黒いうちにはどこの馬の骨とも知れん男は近づけんぞ」

それをシスコンというのではないだろうか。

「ちなみにご実家は?」
「農家だ」

ものすごく似合わないとは素直に思った。田舎の農家の次男坊か、この男。ひょっとしてからかわれているんじゃないかと疑いかけ、しかし、冗談を言えるような楽しい男でもない。なんだか逆に聞かなければよかったかもしれないと妙な後悔がわいてくる。微妙な顔をしてじぃっとデュエスを見つめると「なんだ」と不思議そうに聞かれた。

「なんで海兵になったの」
「子供のころ憧れたんだ」
「以外にあっけない理由だね。なぁに、こう、親を殺した海賊を倒してくれたとか、島を壊滅させた海賊団を自分の手で捕まえたいからとか、そういう楽しい展開ないの?」
「なぜおまえはそう、残虐性のあることを平気で言うんだ」

そっちの方がお話として面白いだろうとがあっさり言えば、デュエス眉をよせて「悲劇より喜劇の方が良いに決まっているだろう」と返してきた。

「なに言ってるの、つまらない男だねぇ。悲劇の中に真理があるんだよ。ロマンがあるんだよ」

リア王だった死ななかったらあれほどの感動があっただろか。家の争いに巻き込まれた不運な恋人たちだって、すれ違う死があったからこそ尊くもなったのではないか。世の悲劇はすべて、何かを残してくれると、そうの主張。だがデュエスは首を振った。

「死んで何かを残すより、生きてくれていた方が良いに決まっている。お前とて、モンブラン・ノーランドの死で残される寓話より、天寿をまっとうされた方がよかっただろう」

次の瞬間、デュクスの体が馬車から叩き出された。いや、そうではない。馬車が半壊した。馬の嘶き。御者が慌てて事態を把握しようとするが、わからぬ。真正面から強い衝撃を受けて、デュクスはそのまま吹き飛んだ先の木に叩きつけられた。

その姿をさめざめとは眺め、ふいっと、視線を外す。驚きにただ目を丸くしている御者に一言。

「馬車を出して」
「し、しかし、中佐の手当を……」
「出せ」
「……う、動かせません。車輪が壊れて、」

御者がしどろもどろに言う間、はひょいっと指を振る。すると破壊された箇所が何事もなかったように元に戻った。たやすいことである。再び荷台に乗りこんで、もう一度御者を促す。

「出さないとこのまま馬だけもらう」

低い声。ひぃっと、おびえる御者の声。鞭がなってそのまま馬車が再び動き出した。クッションに埋もれながら、カタカタ揺れる天井を眺め、目を閉じた。




Fin


 


赤旗さんの受難はここから始まった☆ドレークさんの兄弟はあれこれ勝手に考えているのですが。
お兄さん→賞金首。
弟二人→双子。島の中心街で悪戯道具専門店を開いてます。
妹→とっても美人と評判。体がちょっと弱い。
ご両親は健在なので普通に畑を耕してます。兄ィが戻らない限りドレークさんがいずれ農家を継ぐとかそういう展開になったらもれなくパン子さんが指さして笑いに行く。