トカゲ少佐と赤犬さん




ばんっ、と乱暴に赤犬の執務室を蹴り開いて入ってきたのは改造に改造を重ねられた妙なデザインの軍服姿。女にしては随分と背の高い、襟足の真っ赤な髪が印象的な海兵。じろり、と睨み付けてきたサカズキの視線を、こちらも負けぬ強い目で見つめ返す。あちらは二つ、こちらは一つの眼というに、強さは互角というような、挑み具合。

「貴様相手に常識を問うだけ無駄だが、海兵、海軍本部に籍を置く以上形式上は上官への態度を取り繕え」
「このおれの非常識さをぐだぐだ抜かすその前にお前自信の非情さを省みて首でも吊ってくれないか。上官殿」

ダン、ガッ、と、サカズキの傍らの壁、トカゲの傍らの壁がそれぞれ砕けた。完全な八つ当たりで歴史的にも価値の高い海軍本部の建物を破壊するなと、たしなめられる人間はここにはいない。トカゲにとってよい都合、大将殿お一人という。
乱暴に開いた扉を、嫌味のように丁寧に閉めてから、トカゲはバンと、サカズキの机に手を、叩きつける勢いで置いた。さらりと流れる赤毛、真っ赤に燃える炎というよりは、狂い光る魔女の月である。

「何だ」
「あれを殴るのを止めろ」

あれ、とトカゲが言えばサカズキはスゥっと眼を細めた。真っ赤な眼。おそらくは、たち本来の赤よりももっと赤い色である。フードと帽子の影にあってもその禍々しさがよくわかる。トカゲは手のひらを握り締め、先ほどすれ違った、己と酷似した姿の少女を思う。

地平線を越える、という荒業、非常識の塊のようなことを堂々とやってのけたトカゲ。先日めでたくプログラムを終えて佐官クラスへ昇進した。よし、さすがオレ!とナルシー発言かましたのはいいとして、言いつけられた最初の任務がグランドラインから遠くはなれた支部の監査だった。そしてその次が、また遠方への任務。これはひょっとしなくても、自分はから引き離されているんじゃあないかとバカでも解る。それで、もうノリノリKYを開き直って「嫌だ」と任務を遠慮し本部をぶらつく三日。この暫く姿を見ていなかったと随分久しぶりにあって、そして、大怪我をしていることに気付いた。

「おれも元の世界では海の魔女だからな。サカズキにしたたかに殴る蹴るのDVを受けてきたが、お前のものとは明らかに違う」
「暴力に理由などあるのか」
「おれの世界の赤犬がおれを殴るのは、完全八つ当たりだったぞ」

まぁおれ死なないし、と肩を竦めて言うとサカズキがぴくっと、肩を揺らした。それに遠慮してやるつもりなどまずトカゲにはない。そんな気遣いが出来るのなら海軍本部に「トカゲ少佐被害者の会」なんて設立されなかった。

「もう一度言う。赤犬、サカズキ大将殿。卿の下らぬ情のために、あの子を傷つけるな。苦しめるな」
「貴様に何が解る。なるほど、確かに貴様とあれは成り立ちから随分と異なる。ゆえに、貴様の世界の私の対応も違うだろう。だが、こちらにはこちらの理由、道理がある。あれこれと貴様の都合、主観で物を言うのは止めろ」
「お前があの子を殴るのは、やさしくされてあの子がお前に好意を持つのが恐ろしいからだろう」
「あれは咎人だ。罰せられて当然、満足に息を吸うことすらおこがましい。世に、世に捨てられて当然の罪人だ。そんなものに情を向けられて何を恐れる」

けらり、と、トカゲは笑った。

「決まっている。お前があれを愛しているからだ。だから失うことが恐ろしいんだ」

今度こそ本気でサカズキの蹴りがトカゲに繰り出された。しかし、こちらとて弱いがサカズキの攻撃などもう何十年も食らっている生き物。地平線は違えど攻撃の癖は一緒である。さすがに何度も何度も食らっていれば、避け方くらいは解るもの。ひょいっと、避ければそのまま首を掴まれて床に叩き付けられた。これは予想外、おや、と、顔を歪めて己を見下ろす男を眺めた。

「脅えているな。あぁ、お前は脅えている。出会いは喪失にしか繋がらない。必死に、必死にあの子を守るお前はいっそ哀れだよ、赤犬、サカズキ大将殿」
「黙れ」
「だが殴るな。蹴るな。傷つけるな。このおれが、委細を承知のこのおれが、くだらん憐憫ごときでこんなことを言うと思っているのか」
「黙れ、黙れッ!」

ゴギッ、と、サカズキの足に踏まれていたトカゲの腕の骨が砕けた。かっと焼け付くような痛みが生まれる。声さえも漏らさぬのは、痛みに慣れすぎている所為だ。こんなもの、とすらトカゲは思える。は、あの子はもっともっと痛いだろう。痛かっただろう。

憐憫、などはなかった。もしもトカゲが同じ立場、サカズキと同じ立場に、大切なものの鍵を握っていれば、同じことをしたかもしれない。だがしかし、この男はだめだった。いやはや全く、ダメだったのだ。

「言葉だけが語るのではないよ。唇だけがささやくのではないよ。手も、足も、語りかける。お前が、あの子を愛して、いとしくて仕方がないという思いが、お前の指先から零れ落ちる。だから、あれを殴るのは止めろ」

向けるべきであれ、への憐憫ではない。トカゲは、いや、まさか赤犬サカズキに対してこんなことを思う日が来るとは思ってもいなかったが、しかし、己は心の底からこの世界の、赤犬サカズキが哀れだと思う。

徹底して、外道の鬼畜、ドSを貫けない。もう夜が来ぬようにと、己の感情を押しとどめて、いとしい人に非道を振るうのに、それで必死に、今を繋ぎとめようとしているのに、それでも、いとしいという思いが、隠せないでいるのだ。

とて愚か者ではない。気付いている、のだろう。殴られるたびに、肌と肌が触れ合う。触れ合えば、言葉にされぬ人の感情は、どうしたって気付く。あの子はバカではないのだ。サカズキや、この世、今生のあるどんな生き物よりも長い時間を生きているのだから、人の感情に完全にそ知らぬふりなどできない。

(ただの茶番だ、そんなもの)

だから、殴るのを止めろと思う。殴られることをが受け入れていると、トカゲは知った。先ほど通り過ぎたときに、何もかもを知って、悟って、それでも、それでいいのだという目をしたあの子を眺めて知ったのだ。

あの子はもう、気付いている。
サカズキが、を深く愛していることを、気付いている。

だがしかし、魂の封印は途切れていない。その、正体をトカゲは気付いた。だからこそに、殴るのは止めろと、そういうのだ。

「お前が優しくしようと冷たくしようと、愛をささやこうと、あの子は誰も愛したりしないよ」

そういう風に出来ているんだ、と、呟けばサカズキが奥歯をかみ締めた音が聞こえた。


fin



・パン子さんとサカズキさんの仲は最悪です。





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