走り続ける、足、足、足。心臓はとうに悲鳴を上げて、立ち止まればその瞬間一気に血が逆流しそうだった。それでも立ち止まらぬ、ルフィ、歯を食いしばり、ただ処刑台を目指す。近づいては遠ざかる、遠ざかっては、また何度でも近づく。手を伸ばしても、まだエースには届かない。とうに体中は、もう動かないほどの満身創痍。けれどここで立ち止まったら、エースは死ぬ。殺されてしまう。

怖かった。エースが殺されてしまおうとしている、その事実が怖かった。だがしかし、正直な話をすれば、ルフィにはまだ、エースが死ぬ、という、本当の実感はなかった。かつて約束した。自分のような弟を置いては死なないと、エースはそう、約束してくれた。だから、ルフィはただ走る。助けに行けば、エースは助かる。そうすれば、大丈夫だと。だから、走る。触れられないものなどないと、手を伸ばす。

ダンッ、と地を蹴って飛んだルフィ、その体を突然、ふわりと現れた赤いものが阻む。ルフィは反射的に拳を振り上げ、それがどんな生き物か頭で判断する前に、止めた。

!!!お前、なんで!!!」

ザザッ、と地に足をつけて、ルフィは叫ぶ。見えたのは夕日のように赤く、だが色褪せた髪の女。自分の記憶よりも少し背が高いが、しかし、あのパン子よりは自分の記憶にあるに近い姿をした、女だった。すぐにルフィは、その相手がだと直感する。なぜだかはわからないが、よく似た人物を「か?」と首を傾げても、彼女が本人であることははっきりとわかった。

なぜ、がここにいるのだろうか。は水の都にいるはずだ。船を降りるときに、そう言った。船を降りると言い、嫌だと言った自分に、は「やりたいことがある」とそう言った。それがなぜ、今海軍本部に、がいるのか。

そしてなぜ、剣を持って、自分に向かい合っているのか。

は片腕もなく、黒い服もあちこち血でドス黒く染まった、死体のようなありさまで、それでもすらり、と銀色の細剣を構え、こちらを見つめている。

わからぬ、なぜが、が、しかし止まらぬルフィ、だが仲間は殴れない。は殴れない。ナミを殴れないのと同じ理由で、ルフィは拳を下ろした。

!!お前ここで何してんだ!!!!」

叫ぶこちらの言葉には答えず、は剣をこちらに繰り出してきた。ザンッ、と容赦ない突きだ。

「!!!!!!?おい!!!お前なんで、」
「決まり切っているよね、ルフィくん」

困惑するルフィに対し、は依然のままの口調で首を傾ける。細い剣をルフィの肩に突き刺し、そのまま引きぬく前に地面に体を押し付ける。ガッ、と容赦なく込められた力。なぜ、あのにこんなに強い力があるのか。は弱かった。本当に弱かった。だから、いつもルフィがを守ってやらなければならなかった。ルフィは強い仲間が欲しいわけではなかったから、一緒にいて楽しいやつなら、それでよかったから、だから、守れるくらい自分が強ければ、それでよかった。は、いつもいつも、弱かった。それなのに今、は剣を抜き、そして、自分を攻撃してきている。

「だって、きみ、エースくんを助けようとしているから」
「!!?邪魔すんなよ!!どいてくれよ!!エースはおれの兄ちゃんなんだ!!知ってるだろ!!?お前だってアラバスタでエースに会ってるじゃねぇか!!」

肩口を抉られうめきながら、ルフィは叫ぶ。ビビの国に行った時、はエースと会っている。仲が悪そうには見えなかった。むしろエースと知り合いのようにルフィには思えた。そうと二人が口にしたわけではない。けれどエースはルフィの仲間に見せるのとはまた少し違う目を、に向けていたし、もエースには、自分たちとは違う、何か秘密の共有者でもあるような、そんな扱い方をしていた。しかし、それにしたって、なぜ今、エースを助けようとしている自分の邪魔をするのだろうか。

「ど、退けよ!!!!」

ぐっと、ルフィは右足での腹を蹴り飛ばした。なぜがいるのかは、わからない。だが、しかし、が自分を敵だ、とそう言うのなら、そうなのだろう。自分はエースを助けるのだ。それなら、邪魔をするのなら、倒すしかない。エースは殺されそうなのだ。

の体をどかし立ち上がるルフィに、空中で体制を整えたが再度斬りかかってくる。ルフィには打撃は効かないが、刃物はまずい。身をかがめて、腹を狙って来た横薙ぎの一閃を回避し、そのまま両手を地面につけて足を振るう。しかしそれもは避けた。

「!!」
「手加減、しないほうがいいと思うよ。ぼく、結構本気だから」

ふわりとした薔薇の香りと共に、ルフィの腹にの細い剣が突き刺さった。そのまま素早く剣を引きぬき、首を狙って振り上げられる。ルフィは咄嗟に真横に飛んでなんとか首を飛ばされることだけは避けたが、しかし、それでも腕を深く切った。血が溢れだし、流れる。体を震わせながら、ルフィはギアの体制を取り、そのままセカンドを発動させようとするが、披露のたまった体では若干、反応が遅れた。そこへが、再び剣を繰り出してくる。ルフィは拾った石で一度、剣を弾いた。



+++


「おや、まぁ」

その対応は予想外であった。は面白そうに目を細め、一歩後ろに足を引く。こうしてルフィと相対しても、不気味なほどに自分の心に動揺はなかった。ルフィと旅をしていたころは、本当に楽しかった。毎日が楽しく、面白く、おかしく、何の不満もなかった。何も悪いことなどなかった。ルフィを憎む、敵対する理由もない。それがわかるからこそ、ルフィは今、困惑しきっているのだろう。

は胸に剣を構えて、そのまま一歩前に進み出る。己の剣技は点での攻撃が主体である。ルフィの腕や足を切断すれば早いのだが、避けられたときにこちらの防御がおろそかになる。はルフィの足を突き刺し、カウンターが来る前に素早く後ろに下がった。

酷いことなど、していない。どちらがどちら、と決めた。それだけだ。きっと自分はここで、ルフィと争うことを悲観することもできたのだろう。戦いたくないのに、などと喚き散らして、それでも、自分の決めたことだから、と、お涙ちょうだいにでも叫ぶことができたのだろう。そう、したかったのかもしれない。迷い、戸惑い、ルフィに何かを訴えかける、そんなことをすれば弱々しい、お姫さま。

「そんなの、ごめんだね。みっともない」

自分は決めたのだ。王子さまになると、そう決めた。海軍の側につくと、そう決めた。サカズキが好きだと、認めた。そのうえで、ルフィの味方をするなど、そんなのは、見苦し過ぎる。サカズキはエースの処刑を、そして海賊との敵対を決めている。サカズキはルフィを殺そうとするだろう。それなのに、自分が揺らぐことなど、できぬ。決めたことがあるのなら、そのためにきちんとするべきだ。少なくとも、己はそう思った。だからこそ、こうしてルフィと戦って、戦いづらい、などと思うことは矜持に反する。

「昨日の友は今日の敵。お互いの大事なものは違うから、敵対する、なんてそんなの、当たり前じゃあないか」

は足の筋力だけでそのままルフィを包囲壁へと蹴り飛ばした。そのまま壁に激突して頭でも打ってくれ、とそう思ったが、しかし、その吹き飛ぶルフィの体を、白ひげが掴んで助けた。ぐっだりとするルフィの足を掴んで釣りあげる白ひげ。そうしてこちらを見つめてくる。は小首を傾げた。

「なぁに、エドワードくん」

その目は、何やらこちらを責めているように感じられる。心当たりはいくつかあるので、はさてどれだろうかと頭の中で考える。考えて、面倒くさくなった。別に白ひげが己を責めようがなんだろうが、それは別に構わない。はルフィの血のついた剣を払って、にっこりと、笑いかける。

「采配を間違えたね。最初っから君が出ていればこんなことにはならなかったのにね」
「……」
「戦力の出し惜しみなんてするもんじゃあないよ。戦争って、結局はそうなんだけどさ。強いひとが何人か代表で出て一室でバトルロワイヤルでもして決着つければ、死なない命もあるのにね」

身もふたもない言い方だが、は戦争が起こるたびにそう思って来た。死ぬのは末端。怪我をするのも末端。戦争の理由と、時間を決めた人間たちというのは、殆ど無傷で戦争を終わるのだ。そうしてその後も、大抵がなんの責苦も追わずに「負けました」「勝ちました」という顔をする。不公平ではないか。それなら、戦争をする、と決めたお偉いさんがたが集まって、一室で殺し合い、そうして生き残った方の言い分を聞く、といものをすればいい。規模は小さいが、結局は、そういうことだろう。

そう、悪意のある台詞。だが、白ひげが何も言わぬので、はおや、と眉を顰める。どちらがどちら、とはっきり決めた己を、もう以前のようには扱わぬらしい。それもそれで寂しいねぇ、と呟く言葉は完全に軽口である。そんなに白ひげは軽く眉を跳ねさせ、後方の仲間にルフィを託し、そのまま鉾を振り上げた。巨人のような腕、そこから繰り出される剛力、島をも割りかねぬ、一撃はいくら自分とて受ければひとたまりもない。は直線上に入らぬようにと足を動かそうとして、白ひげの援護に回った海賊が放った銃弾に足を撃たれた。

「!!!」

バランスを崩し、そのまま地面に転倒する。顔面を打つことは避けようと、咄嗟に左方から落ちた。腕のない肩は上手く着地をすることはできないが、つんばった二の腕だけの腕が体全体への衝撃を和らげる。その代わりに、傷口を直接地面に叩きつけ、は呻いた。だが痛みに慄いている場合ではない。すぐさま立ち上がらなければ白ひげの攻撃に巻き込まれる。

ドン、と、爆発するような音が、の目の前で鳴った。

「貴様、大人しゅうしちょれんのか」
「サカズキ!!」

は大きく目を見開き、こちらへ向かって投げられるはずだった白ひげの攻撃を受け止めたサカズキの背に声を上げる。ドゴォン、と、サカズキの右足が白ひげの鉾に激突し、マグマが飛び散った。そのままサカズキはの腕を掴んでいささか乱暴に立たせると、背に庇う。とことん自分を弱者扱いする気のサカズキにいろいろと言いたいことはあったが、は今はそれを堪え、素直に礼をいうことにした。

「……その、ありがとう」
「これなら、わしの傍の方がまだマシじゃったのう」

勝手に飛び出して勝手に殺されそうになるな、と言外に言われは肩を竦めた。実際ルフィと相対したらどうなるのかそれをきちんとしておきたかったのだが、それはこちらの都合だ。少し前なら、きっとルフィに会えば、もしかしたら、自分は弱々しく泣いていたかもしれない。だがしかし、今こうして、サカズキの背にいると決めた己は、やはり、そうはならなかった。そうとわかっただけでも意味はあろうというもの。

はぎゅっと、サカズキのコートを掴む。白ひげと、赤犬が戦う。今まさに、その時がやってきた。ルフィと相対した時には感じなかった、戸惑いがの中に生まれる。白ひげへの感情、ではない。サカズキが、怪我をしないかと、そういう恐れゆえの感情だった。不思議なことに、白ひげが死のうと、そしてルフィを自分で殺しそうになっても、何も思わなかったこの心、それなのに、サカズキがどうにかなってしまうのではないか、という懸念が、には恐ろしい。不安げに瞳を揺らして、こちらを振り返らぬサカズキの横顔をじっと見つめる。

「怪我、しないでね」

小さく呟き、するり、とそのまま手を話して、は後ろに大きく下がった。その途端、サカズキが白ひげに向かってマグマの拳を繰り出す。大気の壁でそれを防ぎ、ドゴオン、と轟音が空気を割った。強者と強者の、すさまじい力の鬩ぎ合い。余波は周囲の地を抉る。二人から離れたを海賊が狙い、攻撃をしかけてくる。は剣を振り、それらを斬り伏せた。眩暈がするほど血のにおいが辺りに充満する。の剣に斬られたものは、暫く血が止まらない。そういう能力なのではなくて、そういう斬り方をしているからだ。いつのまにかの足元は真っ赤な血溜まりができ、足を動かすたびに、ばしゃばしゃと水音が鳴った。

周囲の戦況はあっという間に、接近戦の混戦になっている。白ひげがこちら側に上陸したことにより海賊たちに覚悟と勢いがついた。前線を隊長らが進み出て海兵たちを蹴散らしていく。それに負けぬほど、海兵たちも、一歩でも海賊をこちらへ近づけぬようにと挑んだ。どさり、どさり、と倒れていくのは海賊、海兵、人数の差はそれほどない。いや、やはり海賊の方が多い。パシフィスタ、赤犬の無差別な攻撃により海賊たちの人数は随分と減っている。それに引き換え、海兵側は当初の八割以上がまだ残っていた。もともと数では勝っていたのがこちらがわである。

は背後から狙い撃ちをしてきたワ服姿の隊長に剣を払う。女形のように整った顔、しかしさすがは白ひげ海賊団の隊長どの、逞しい体つきが女形要素を台無しにしている。それもそれで魅力的、とは聞くが、生憎に興味はない。

「魔女か。てめぇ、うちのキキョウに酷ェことしやがったみてェじゃねェか」
「過保護だよねぇ、白ひげ海賊団。キキョウくんが自分で自分の首を絞めてるだけなんだから、ぼくを責めるより前にそれを教えてあげなよね」

その女形の隊長どの、に敵意と銃を向けてくる。その間にももう片方の腕の銃は海兵を狙い撃ち殺しているのだから器用なものだ。が軽口を叩くと、女形の隊長どの、柳眉を潜めてダン、とこちらにむかって発砲してきた。刀すら折るという特殊な弾丸、は鞘で弾き落として、身を低く屈める。

こちらの足を狙い撃ってくる弾丸を横に飛んで避けてから、剣を振った。パサリ、と女形の隊長の前髪が落ちる。色気のある、中々に良い男だとは感心してしまった。

ドン、と女形の隊長がの顔面をめがけて撃ってくる。容赦ない狙いだ。剣で防いでいたのでは間に合わぬのでは身をかがめ、そして下に落ちていた海賊の死体を掴み、女形に向かって蹴り飛ばす。

「!!!」
「一応忠告してあげるけど、キキョウくんを探して、手当したほうがいいと思うよ。多分今、結構死にかけてるからね」

言ってトン、とは大きく飛び上がる。銃相手にこちらの剣は不利であった。逃げるつもり、というよりは、キキョウについても考えることがあるゆえだ。放っておいても誰かがキキョウを助けているだろうかとは思うが、ここで己が一手置いておくのも悪くない。じっとこちらを睨む女形は、しかし何かを察したか、そのままから狙いを外す。はそのままタンタン、と上に上がって、サカズキと白ひげの戦いに注目した。

「おや?マルコくん」

と、そこへ、処刑台へ向かって鋭く飛び行く青い鳥、いやいや不死鳥が目に映る。は青い炎の軌跡を眺め、そして処刑台のエースに向かう、その無謀な隊長殿の名を呟いた。処刑台にはセンゴクとガープがいる、そして、下手に海賊が近づけばエースがセンゴク直々に処刑される、という、その状況を判らぬわけではないだろう。だがしかし、それでも行く、という、その必死さ。はじぃっと眺め、そして、マルコが派手に殴り飛ばされた。

いつのまに処刑台から下りていたか、つい一時間ほど前まではサカズキたち大将がいた場所に、ガープがどっかりと腰をおろしている。

「ここを通りたきゃあ、わしを殺していけい!!ガキ共!!!」

一番隊隊長をあっさり殴り飛ばす、その実力。しかし、追撃することなく、ただここの守り、要であると知らしめるその豪胆さ。海賊たちがどよめき、そして海兵たちの顔に勝機への期待が浮かんだ。

伝説の海兵、とそう呼ばれる拳骨のガープ中将、そのご登場に、は眉を顰めた。




Fin