「ここから先へ行きたければわしを殺して行け!!!」
威風堂々と立ちはだかるその姿、ご立派ご立派拍手喝さいと褒め称えるべきか否かというその区別、つかぬほど知らぬ仲でもないけれど、しかしこの己以上に彼を知っているはずの元帥どのが「どうか」という判断をまだせぬ以上、どちらがどちら、というのは決まり切っているわけではないらしい。
それを、遠目で眺めてさめざめと、残った腕、手の小指の先を動かしての反応。こちらに向かいくる海賊たちの騒音のような雄たけびは呆れかえると言わんばかりに腕を振るい、首を跳ねる。この戦争、どのような強者、強者の犇めく中。要するに殺される前に殺せばいい、というのが単純極まりないこと。開き直りはしたものの、それでもに正義やら悪の分別がついているわけではない。そんなものを考えれば七面倒くさいと判り切っている。
それなら判じるは、サカズキがどちらか、というだけのこと。にとっては海賊らはただ邪魔だという結果になっただけ。なぜ彼らが死ななければならないのか、というその判断は、がするのではない。を、それでも「悪意の魔女」とそう扱う、サカズキがするべきものだ。は、それなら己は単純なだけでいいと判っている。この戦場で、殺される前に殺せばいい。魔女と魔女の諍いではないのなら、これほど容易いこともない。はただ剣を振るう。
こちらに首を飛ばされるその前に、剣を受ける者もいる。ギギィン、と金属、重い鉄同士がぶつかり合い響く音がし、火花が散る。それでも止められるの剣、ではない。二三度打ち合い、相手の剣を叩き折る。細い、刺すことしかできないような剣だが、しかし、ただの人間に折れるわけもない。は正確に首を狙った。たいていの生き物生き物、まず頭を切り離されれば生き続けることは不可能である。能力者も時折混じってはいたが、しかし、、引けを取るつもりなどはない。ギン、ギン、と剣を交わし、交え、時折は相手を蹴り飛ばした。剣のみで挑む、などとお行儀のよいものは試合だけで十分だ。戦争、戦争というその場所に必要なのは、いかに早く相手を殺せるかと、そういうことだ。それをよく知っていた。
正義の門の開門と共に始まったこの戦争、もう十分に時間を喰らい孕んでいく戦争。人が人が、人があっさり血を流して倒れていく。耳を澄ませば必ず断末魔の悲鳴、雄叫び、体を斬られ、刺され、倒される音、音、音、遠く、遠く、近くに響き渡っていく始終。充満するのは人の燃えるにおい、海水の燃えるにおい、船の燃えるにおい、むせかえる血のにおい、におい、におい。
は己に向けられる銃口に足で目の前に浮かせた石を剣で払い飛ばすことによって塞ぎ、一瞬隙の出来た海賊の腕を落とす。血が吹き出るそのままを構わずに、相手が何かしでかす前に首を落とした。時折こちらに罵りの言葉を吐く者もいる。一々とに気にしていたらキリがない。四方を囲めばどうにか抑えられると思ったか、5,6人ほどの海賊がを取り囲み、それぞれの獲物を向けてくる。は片足を斜め後ろに引き身を沈めて、そのまま失った腕の方を軸として剣を突き出し、弧を描く。
「一生懸命おやりよ、でないと火拳は死ぬからね」
引いた左足を斜め前に出し、次いで出る右足を内側に傾け、そのまま重心を右足に移動させる。浮いた左足は襲い来る剣を踏み折り、着地ど同時に右足を跳ねさせた。宙に体を浮き、回ってから、素早く剣を振るう。
英雄ガープ
飛び出したガープ中将を見送ってボガードは剣を構えた。この戦場、戦闘、地獄のようなありさまのこの状況。ボガードも見知った海兵らが何人も切り殺されて、倒れていく。それでも未だボガードは本格的な戦闘をしていなかった。面倒を見ていたコビーとヘルメッポの二人の姿を見失ってからも、別段捜しに行こうとは思わなかった。臆病風に吹かれて、のことではない。そんなものを持ち合わせるボガードではなかった。だが、彼は未だ「どう」かという、それをはっきりと定めかねていた、それゆえのことである。別段ボガードはガープ中将の孫だという海賊に肩入れするつもりはない。どちらがどちらか、という理由づけをしたいわけでもなかった。ボガードは、ただ待っていたのだ。己の上官、唯一己が従うと決めた海兵が、一体どう動くのか、それを、待っていた。
剣を抜き、ボガードは処刑台下に飛び降りる。素早く前に進み出れば、すぐに海賊らの剣に当たった。こんなに近くにまで海賊の接近を許してしまったこの状況にわずかに眉を寄せ、ボガードは剣を振るう。どちらかといえば下士官の訓練指導、育成、それに事務能力に定評のあるボガードであるけれど、何も弱いわけではない。仰々しい二つ名こそ得ているわけではないにしても、長年あのガープ中将の補佐をしてきた海兵である。弱いはずもない、が、圧勝、というほどでもない。ギン、ギン、と何度か打ち合い、斬り、同じようにかすり傷を負わされる。前に進ませぬようにするのが精いっぱい、ではある。当然、この連中はまがりにも新世界にて名をとどろかせる海賊連中。一筋縄ではいかぬゆえ、ボガードは随分と久しぶりに、自分の脳が冷えるのを感じた。すぅっと、血からなにからが凍っていくような感覚である。真剣に戦うという、その状況。久方ぶりであった。
剣の柄で殴れば、カウンターで殴り返される。殴られるのも随分と久しぶりだった。帽子が飛ばされそうになって、ボガードはそれを抑える。油断、ではない、矜持である。
ちらり、と処刑台を見れば、不死鳥マルコを殴り飛ばしたガープ中将が威風堂々と、そこにいた。老兵と彼をそう呼ぶ者もいる。しかし、ボガードにとって彼は未だ、太陽のように眩しく、巨大で、偉大な海兵だった。
戦争が始まって暫く経つ、その今の今までボガードは戦わなかった。ガープの傍らにいて、ただじっと、己の上官の出方を待った。海兵としてある程度の実力を持っている己なら、中将らに加わり戦場に飛び出すべき、という道もあった。だがボガードは動かず、ガープを、ただ待った。水の都にてガープ中将は孫である麦わらのルフィと直接戦わなかった。そしてそれに己は従った。もしここで海兵としての純粋な責務を果たすのであれば、あの時に麦わらのルフィを捕えていた。それからわかるとおり、ボガードにはきっちりとした正義、というものがない。
はっきりと言ってしまえば、ガープこそがボガードの行動理由だ。ガープの存在そのものを正義と考える、などというつもりはボガードにはない。そんな重荷、思い込みを一方的に押し付ける気などはなかった。だが、ボガードは、海兵であり、ある程度の階級を持ちながら、それでも、ボガードは、正義のために行動する、などというつもりが欠片もない。
「おどき野郎共!!こんな海兵に手間取ってるんじゃないよ!」
ザンッ、とボガードを含む数人の海兵が守ってたある一画に、低い女の声が響き、そして一喝された海賊たちが顔に期待を浮かべた。響いた女の声は、朗々としたものがあり、ボガードは帽子の影で目を細める。そしてカツンッ、とヒールの音ひとつと共に、ボガードに向かって蹴りが繰り出された。
「ホワイティ・ベイ」
「
Helga
Eis Hexe
。アンタ達があたしに付けたご大層な名さね。海軍将校どの、そこを通しておくれよ」
基本色は青に紺、その唇さえも寒色という装いの氷の魔女。その繰り出した一撃はボガードの腕をしびれさせた。一歩後ろに下がり、ボガードは剣を振るう。氷の魔女はそれを避け、ずれた帽子を少し上げて治した。
「アンタみたいなヤサ男に興味はないんだよ。氷漬けにされたくなきゃ、お退き」
力の差がない、ということを判じたか脅しをかけるように氷の魔女の声が鋭くなる。すぅっとその深く青い瞳は霜が降りたように冷たくなり、「魔女」の名にふさわしい冷酷さがあった。
「生憎魔女の脅しには慣れている。女子供に剣を向けるのは俺の本意ではないが、海賊風情にかける情の持ち合わせはない」
「女と侮ってくれるとこっちも助かるよ」
ベイは腰から剣を抜き、低く構えた。北の海の剣の型である。氷の魔女の二つ名、その由来は氷砕船を所有するところから、などという安直さからではない。ボガードは油断せぬようにこちらも剣を構え、素早く切り出した。
「それにしたって、アンタは何のために戦うんだい?」
ギン、ギン、と打ち合う一撃、一撃。女の弱い力、と侮れぬ。氷の魔女、その細腕のどこにそんな力があるのか、両手ではあるが、ボガードの重い一撃を抑えている。魔女の剣は上部に鋭い刃、下部の柄先にはナイフほどの長さの刃がついていた。ボガードの剣を抑え込み、そのままくるり、と剣を回し、こちらに向かい的確な一撃を繰り出してくる。
「あたしたちがアンタの大事な誰かを殺したかい?何か、あたしたちが直接アンタに迷惑をかけたかい?」
「海兵が海賊を倒すのは当然のことだ」
「そうだったねぇ。ご立派な海軍将校さん。アンタたちは正義の名のもとに、あたしらを駆逐しようとしてくれる。そんな大雑把な理由で、家族を助けようとしてるあたしたちを倒せやしないよ!!」
ベイが片手を放した。両手でなければボガードの攻撃を防げぬと判っているだろうに、片手で剣を振るう。ボガードは当然それを払う。てっきり氷の魔女の片手は何かしてくるだろうと思ったが、しかし、魔女の手はこちらに繰り出されはしない。いや、ベイはいつのまにか小さな杖をそのしなやかな指に絡めていた。それが何かを判ずる前に、ボガードは真横に大きく飛ぶ。が、ボガードの後ろにいた海兵はよけきれず、その足にベイの「何か」を受けた。
「……その力は、魔女の実…か?」
たらり、とボガードの額を汗が伝う。海兵の足が一瞬で凍りついた。青雉の氷の能力ではないが、それに近しいものだ。そんなはずはない、とボガードは己で浮かんだ可能性を否定する。現存する魔女の実は全て政府が把握しているのだ。世の不条理を全て魔女の力で片付けるな、とボガードは己を律し、剣を握る。
「教えて欲しいかい?」
「なんであれ、君を倒せば構うまい」
相手が己の常識外の力を使うなどグランドラインでは日常茶飯事だ。この程度の障害、とボガードは目を細め、そして再びベイに斬りかかった。
家族のために、この魔女は戦うのだとそう言った。家族、とは白ひげ海賊団のこと、ポードガス・D・エースのこと、そして己の船員のこと、だろう。そして海兵は、正義のために戦う、大雑把だと、そうこの魔女は言う。
ボガードは剣を交えながら、己の剣を振るう理由を今一度噛み締めた。
海兵は正義のために海賊を倒すものだ。それが定義である。だがしかし、己は違うのだ。先ほども感じたとおり、そしてそう、思い続けているように、ボガードはガープのその行動を肯定する、そのために剣を振るっていた。
正義の判断などどうでもいい、というわけではない。ただボガードは、海軍の掲げる正義を声高に唱えるよりも、あの、少しだらしがなく、しかし真っ直ぐなガープ中将の行動の方が「良く」思える。そんな些細なことで、構わぬのではないだろうか。自分自身が「良い」と思うものを信じ、そしてそれについていく。それで構わぬような気がした。
ちらり、とボガードは処刑台のエースに視線を向ける。あけすけなところのあるガープ中将だったが、孫の話をすることは一度もなかった。己の息子の話しをしたことも、ボガードが知る限り一度もなかった。しかしこの処刑が決まったその日、ボガードは、そうとセンゴク元帥がガープ中将に告げた後、己の執務室に戻ったガープが、ぎゅっとと処刑を決定した旨を記す書類を握りしめ、奥歯を噛み締めた、その姿を見た。わずかに肩を震わせるその背を、ボガードは見た。
「今この場にいる者のうち、生半可な覚悟で立っている者など一人もいない」
己の信じた正義を貫こうとするその「海兵」、家族を想う「海賊」とは覚悟の程度で低いという、その魔女をボガードは斬り倒した。
+++
巨大なマグマの獣が襲いかかる、が、それを鉾の一撃で横に薙ぎ払い白ひげは鼻を鳴らした。海軍本部大将赤犬。この男がまだ能力者になる前から白ひげはこの男を知っている。その時からもう、真っ直ぐな男だった。真っ直ぐに過ぎる男だった。この男がロジャーの死後一人きりになったを捕えた、と知った時には聊か驚いたものだ。ロジャーと、その関係を白ひげはよく知っている。魔女は海兵などが従えられるようなものではない。それなのに、は、あの魔女はこの海兵を「ただ一人の」とそう決めたようだ。
『あの海兵、奪われたことがないんだよ。ただの一度もね』
いつだったか、が酷い怪我をして白ひげのもとへ転がり込んできたことがある。別段、こちらを頼ってのことではなく、移動途中、力尽きて偶然通りかかった船の上に落下したらそれが白ひげの船だったと、そういうことだ。あのころはまだキキョウもを憎んではいなかった。いや、あの日から一週間後、を憎むようになった、その境目の日だったか。
一週間だけ世話になるというその礼に酒を寄越してきた。魔女の冷酒は寿命をほんの少し伸ばすと眉つばなことをいうものだから息子たちが妙に奨めてくる。(当然毒見などを全てした上で)それで白ひげも口をつけ、と二人であれこれと話をしはした。白ひげは魔女など嫌いだったが、キキョウのこともあった。己の娘がどんな能力、そしてどんな義務を負わねばならなくなったのか、の口から聞いておこう、とも思っていたからだ。
そんな折にふと、が話した、今の大将赤犬のこと。それを白ひげは思い出す。
『小さい頃から人一倍正義感の強かった子供はそのまま海兵になった。海兵になって見る凄惨な光景は許し難い事、ではあったかもしれないけど、彼の傷にはならなかったんだろうね。仲間が海賊に殺されたって、海兵である以上の覚悟の上の悲しみだった。それらのことは、むしろ「絶対に許してはいけないもの」という彼の決意を強くするだけだった。ねぇ、エドワードくん、面白いと思わないかい?あれほどの力を持った海兵だというのに、あの男は、私情なく君たちを心の底から「敵」だと判じていられているんだよ』
誰も憎んでいない海兵。海賊を排除しようとするその信念の原点に憎悪がない海兵。「間違っている」から殺されて当然、と、そう、心の底から思っている海兵。が何度も何度も死にかけていた理由がよくわかる。徹底して、悪を嫌悪する海兵だ。間違っていると判断したものをけして許しはしない。
「いちいち街を壊しやがって……!!」
赤犬の攻撃を薙ぎ払い、マグマの犬はそのまま街へぶつかった。その音を聞き、対峙する赤犬の眉間に皺が寄る。
「守ってみろと言ったろう」
グラグラグラ、と白ひげは笑い、鉾を構える。この容赦のない男は息子たちにとって一番の敵になる。それがわかっていた。海賊になった時から、己らは必ず誰かに憎まれる、疎まれる。敵意から家族を守ることができればと白ひげは思って来た。自分が強くなれば、自分の名が広まれば、守れるものもあろうと思い日々を生きた。だがしかし、この男にはそんなものは一切通用しない。世の均等、善悪の不安定さ、さまざまな状況が世を動かす中でこの男の、この恐ろしいほどの実直さは、この男の正義に反するものをけして許しはしない。
赤犬の繰り出した拳を鉾で受け、そのまま乱暴に突き放す。二三度の押収、白ひげは口から流れる血を拭い、拳を突き出した。ピシリ、と空間が軋む。赤犬を引きよせるためのものだったが、一瞬引っ張られた体制で、赤犬はその身をマグマに変えた。ぼこり、と流れ出る液体は位置を不安定にさせ、白ひげの呪縛から逃れる。
「街には誰もいねぇんだろう、マグマ小僧。何が困る」
ゼィっと、白ひげは息を吐いた。体の反射神経が少し鈍っている。そのことを、力を振るうたびに実感させられた。胸に負った傷が容赦なく体力を奪う。肺を貫かれていなかっただけまだマシだろう。そうでなければ、スクアードが気にすると白ひげは顔を顰めた。
「海賊風情にわしらの街を破壊されたとあっては面目が立たん」
「そりゃ安い面だ。潰れたって問題ねぇだろう」
「見知った街の無残なさまを、あれが見れば悲しむじゃろうがぃ」
おい、本心そっちだろ、と白ひげは一瞬体制を崩し描ける。しかし、いや、そんな理由で油断したくないと己を律し、鉾を繰り出した。赤犬は再びそれを足で受け、爆音が響く。
+++
『ゴール・D・ロジャー?ゴールド・ロジャーの事か?知ってるかって、お前、世の中なんでこんなに海賊の被害が多いのか知らねぇのか?』
子供のこと、ふらりと街へ降りた。目的、というには少し素直すぎたが、しかし、ダダンやガープの口以外から父親のことを聞きたかった。母親のことは二人はよく話してくれた。だが父親のことになると、ダダンとガープで少し、話しが食い違っているように思えることがあった。なぜ今自分の傍にいないのか、母親のことは納得できた。命をかけて自分を生んでくれたひとだと、そう尊敬した。けれど父親は、どうして傍にいてくれなかったのか、わからなかった。母は必死で自分を守ってくれた。だから今自分が生まれてこれたと、そう聞いて、そして、感謝した。けれど父はなぜ、母と自分を守らずに先に死んだのか、それを知りたかった。どうして死んだのか、どうやって、死んだのか、それを知りたかった。
『全部ゴールド・ロジャーの所為なんだぞ!?あれはな、生まれてこなきゃよかった人間なんだ!』
『とんでもねぇ、クズ野郎さ!生きてても迷惑!死んでも大迷惑!』
『世界最低のゴミだ!覚えとけ!!』
街のごろつきは、そう教えてくれた。ロジャーが死に際に放った、たった一言で海が荒れたことを。本来であれば終わるはずだった海賊時代に大波を起こし、人が恐怖で夜も眠れぬ時代を作ったと、その不良どもの言葉に自分は殺意を抱いた。暴れた。あんなことをいうやつらに腹が立って、暴れた。殺すつもりでしんそこ打ちのめした。
しかし、誰に聞いても答えは同じだった。不良だけではない。マトモそうな人間でさえ、ロジャーの話しをするときは憎悪と敵意をこめた顔をする。その度に暴れた。そんなことを繰り返していくうちに、自分は考えるようになったのだ。
父は自分が生まれる前に死んだ。ロジャーは自分が死んだあと、母と腹の自分が狙われると判っていたのに、それを守るより、大海賊時代を作ることを選んだ。ガープに自分のことを頼んだというが、海兵に、敵対した男に頼んで十分と、本当にそう思ったのか。副船長や、他の海賊でもよかっただろうに、海兵に頼んだ。ガープが守れなかったら、母はあっさりと殺されていただろう。
ロジャーは自分を望んでいなかったのではないか。
母のことをエースは考えた。彼女のことを考えると、エースは満ち足りた気持ちになる。抱きしめられた記憶などない。けれど母は、彼女はその全てをかけて自分を望み、そして生んでくれた。だがその母が死んだ世界、誰も自分を望んでいない世界に、生まれてきてもよかったのだろうか。
『なぁ、ジジィ。おれは生まれてきてもよかったのかな』
世界中が全身の毛を逆立てて自分を否定する。毎朝毎晩、エースは問いかけた。どうして自分は生きているのかと、母を思えば、自殺などする気はなかった。母が全てをかけて守ってくれた命を、自分から投げ出すなど、最愛のひとへの最大の侮辱になる。だが、その母はいない。抱きしめてくれるひともいない。生き続けるだけなら、できた。だが、毎日が空虚だった。人の口からは父への呪いの言葉を聞かせられる。誰もが父を憎み、そして、その血が途絶えたことを喜んでいる。
なぜ生きているのか、エースにはわからなかった。母は母親の一念で自分を生んでくれた。だが、世界には、自分を拒絶する準備しかないのだ。
ガープは、そう問う己に『生きればわかる』と、そう言った。
そのことを、エースは今、思い出し、そして処刑台に額を押し付ける。
「おれは、腐ってる……!!」
目を閉じ、顔を伏せても、この位置からは仲間たちの様子がよくわかった。包囲壁に阻まれ一度見えなくなった仲間たちは、オーズによってまたエースの眼前に現れた。爆音、爆音が響く中、エースの耳には高く、高く仲間たちの声が聞こえる。
「エース!!エース!!必ず助けるぞ!!!」
「待ってろよ!!エース!!」
「諦めるんじゃねぇぞ!!!エース!!!」
「もう一歩だ!!今行くぞ!!エース!!!!!」
仲間の声が聞こえる。自分の名を呼んで、諦めるなと、そう言ってくれる声が聞こえる。その間にだって、爆音、銃声、人の悲鳴は鳴りやまない。叫んでいた声が途切れ、倒れていく。状況はけして優勢にはなっていない。だというのに。
「……くそっ…!!くそ!!!おれは!!!おれは、歪んでる!!こんな時に……!!!!」
ガンッとエースは額を打ち付けた。己の思考を振り払おうと、いかに自分が「よくない」ことを考えているのか、自分に言い聞かせるように、唇を噛み、頭を打ち付けた。
「オヤジが…!!弟が、仲間たちが!!!血を流して倒れて行く…!!!それなのに、おれは…!!」
ぼろぼろと、涙があふれてきた。鼻水が垂れ、必死に食いしばるのにとめどなく、涙が流れる。ぼろぼろと、これほど泣いたのは初めてだった。悔しい、のではない。いや、悔しさはあった。なぜ自分はこんなことを考えてしまうのかと、こんなことを考えてはいけないのに、なぜ、とそう己を責める心はあった。だがしかし、それ以上に今自分の心にあるのは。それとは反する感情だ。
「おれは…嬉しくて涙が止まらねぇ……!!!今になって、命が惜しい……!!」
ぐっと歯を食いしばり、エースは体を震わせた。
+++
(わたしはこのまま死ぬのか)
板の上に落ち上げられ、キキョウはぼんやりと空を見上げた。包囲壁の中であるここは空もさえぎられがちで、狭苦しいように思える。キキョウは薄れゆく意識、両腕は失い、足も満足に動かぬ中、唇を動かした。
「死にたくない」
それは本心だった。まだ自分は何もしていないではないか。を殺すこともできず、エースを救うこともできなかった。中途半端なままだった。魔女になりきれず、といって、仲間たちのように、家族大事にも、なれなかった。何のために、自分はここにいるのだろう。誰の役にも立てず、自分の信念を貫けもしなかった。
どうして、自分はあの時、の体を押さえつけたときに、を殺さなかったのだろう。なぜ、を人質にしてエースを救うという可能性を考えてしまったのだろう。どちらか、しかできるわけがなかったのに。を殺すことよりも、エースに生きてほしいと、そう思ってしまったのだろう。
「死にたく、ない」
ぽつり、とキキョウは呟く。段々と体温が失われていくのがわかった。このまま、自分は死ぬのだろう。仲間たちは船に乗って戦場へ行った。ここへは、船に乗れなかった仲間の死体がたくさんあるだけだった。血で真っ赤になった海、板の上に浮かび、キキョウはゆっくりと目を伏せる。
何のためにここに来たのだろうか。に細切れにされるために来たのか。当て馬のように扱われるためだけに、自分は存在していたのか。まるで何もできず、何も成せなかった。スクアードのことをキキョウは思う。あの男に唆された、かわいそうなスクアード。ロジャーの息子がエースだと、その事実の上に動揺して、心の隙をつかれた。それをキキョウは無様とは思わない。魔女の思考ならそれを嗤うやもしれぬ、だがしかし、キキョウはそうは思えなかった。どれほど悲しいことか、わかる。どれほど苦しいことか。一生懸命考え、否定し、否定し、それでも、肯定されるに足る状況がスクアードを打ちのめしたのだ。何てひどいことを考える海軍か、とキキョウは嫌悪した。
なぜ彼らに、己らを罰する権利があるのだろう。誰が、彼らにその免罪符を与えたのだろう。世界は、己らを守ってはくれなかった。石を投げ、呪いの言葉を吐き、追いたてる世界。誰も己らを守ってはくれなかった。だから、己らは世界から守られるという期待を抱かなくなった。世界には何の期待もしなくなった。世界の定めた法の外で生きる決意をした。
なぜ彼らは、己らを放っておいてはくれないのだ。
「死にたく、な、い」
仲間の死体がキキョウの足に当たる。その度に、キキョウは身を震わせる。このまま少しでもバランスを崩せば、己の体は海に落ち、沈むだろう。魔女の実は海への供物を作りあげるものだと、そういう話を聞いたことがある。海に食われれば、二度と戻っては来れない。本来ささげられる筈だった海の花嫁を奪った魔女への報復だった。キキョウは唇を噛み締める。結局己は、の、あの魔女の当て馬だったのか。こうしての代わりに海に沈むのか。
魔女の目すらも閉じれば、キキョウの脳裏にちらりと浮かぶ光景があった。白ひげ海賊団、食事風景。一番楽しい時間だ。キキョウの食は細いが、仲間の食べ様を見ていると、気分が良くなった。いつもいつも、宴になった。親父殿は酒を飲み、エースやサッチははしゃぎ、それをマルコが止める。ジョズは食の細い己を案じて、あれこれと気を使ってくれた。大柄な男だが、とても優しいひとだ。キキョウはマルコには話せぬことも、ジョズになら話せた。己の頭を撫でてくれるジョズを、己は兄のように慕えた。
そんな、光景を思い出す。楽しい、時間だった。これが走馬灯か、とも思う。目を閉じて、死にたくないと必死に拒絶しながらも、それでももう、どうすることもできない。キキョウは最後に魔女の目に浮かんだ光景を思い出す。の言葉を借りれば、この目は絶望が深くなるほど、先の未来が見えるようになるそうだ。親父殿が刺された瞬間、キキョウは今まで以上に先の未来を見ることができるようになった。その目が見たのは、エースの姿だった。エースが炎の中から飛び出して、手には弟を引いている。
エースは助かるのだ。その事実を知り、キキョウは安堵した。そこから先は見ることはできないが、エースが自由になったのなら、もう誰もあの自由な炎を止めることはできないだろう。その安心感が、キキョウの体から力を抜いた。
死にたくない。だが、もう、疲れた。己は魔女になりきれなかった。を殺すことができず、エースを助ける手助けすらできなかった。これから先も、何もできないのだろう。もう、疲れた。ゆっくりと胃息を吐き、キキョウは体の力を抜いた。
「本当にそれで構わぬか」
遠くで響く爆音に混じり、薔薇の溜息のような、淡く甘い声がかかった。
+++
地に血で線を引き、それ以上先に海賊を入り込ませぬ覚悟の、剣を振るう、振るう、刺し、払って首を落とす、その始終。突然何かが軋む音がした。
(……おや?)
ぞくり、と、の身がわけもわからず震える。全身に恐怖が駈けのけた。思わず眉を寄せ、は膝をつく。立っていられないほどの、恐怖だ。こんなことは初めて、一体何だと焦りながら、こちらに振り下ろされる剣を弾く。が、腕に力が入らなかった。ノアの体から拒絶されかけている。ノアの意思、ではない。死んだものの意思は働かない。では何がとは思考するが、じっくり考えていられる状況ではない。襲いかかる凶刃、凶刃、二三度弾き、しかし、足をかする。首を狙ってこないのはそういう彼らの矜持ゆえ、ではなくて、そこを狙ってくれば確実にこちらも狙い返せる体勢になるからだ。は乱暴に腕を払い、海賊たちを薙ぎ倒して大きく下がる。脂汗をびっしょりとかきながら、は近くの壁に身を隠した。こんな状態で新世界の海賊を相手にはできない。荒く息を吐き、ゆっくりと戦場を眺める。
この己のこの異変、一体なんだ。
「……うっ…!!!ク、ソッタレ……!!」
困惑するの耳に、べちゃり、と何かが吐き出される音と、そして誰かが膝をつく音が届いた。はっとしてがその元に顔を向ければ、広場で赤犬と対峙していた白ひげが、口から明らかに尋常ではない量の血を吐いて、膝をついている。
「オヤジ!!!!?」
苦しそうに心臓を抑えるその様。異変に海賊らが一斉にそちらに顔を向け、彼を呼ぶ。そんな中、最初に動いたのはマルコだった。素早く白ひげの元へ駆け寄って援護しようとするが、しかし、その背は隙がある。
「勝敗は一瞬の隙だよねぇ〜」
のんびりとした、しかし油断ならぬ声。背後に素早く回ったボルサリーノがレーザービームでマルコの背を打ち抜いた。
「マルコ!!!」
一番隊隊長の負傷に青雉と交戦中だったジョズが声を上げる。反射的とはいえ、マルコに顔を向けてしまったジョズを見逃す青雉ではない。
「余所見したろ?今」
パキ、と氷の音を鳴らして青雉が両腕を広げた。巨体な男をものともせぬ、そのままパキパキ、とジョズの腕から凍りついていく。親が倒れたことにより、この動揺。は、だから白ひげのしていることは「脆い」のだと常々思うその思考を再度認識した。
この世の法には守られぬ連中を、守れぬものを「白ひげ」はその名と存在をかけて守っている。だがしかし、それは「白ひげ」ただ一人の肩にかかっている。「白ひげ」が唯一不変であり続けることだけが、彼らの安全を保障していた。もしも「白ひげ」に何かあれば、あるいは、彼が「白ひげ」らしからぬ振舞いをしてしまえば、それは容易く崩壊する。
誰もが幸せになれる世界、そんなものがないことをはよく知っている。守りたいと思った人が守れるのは、その人が守ろうと思ったものだけだ。こぼれおちた者は、また別の人が守る。しかし、別の人には守られなかった理由ゆえに、彼らは敵対するしかないのだ。それを、己ほどよくわかっている者はおるまい。掌を握りしめ、は立ち上がった。
「だから、どちらがどちら、なんて争いになるんだよ」
ふらり、とふらつく体を何とか立たせ、は広場を真っ直ぐに見つめる。サカズキの右手が白ひげの体をついた。マグマとなったその腕が容赦なく、白ひげの体を焼く。それをぼんやり眺めて、はぎゅっと唇を噛み締めた。
何か大きなものを奪う者は、その報いを必ず受ける。はそんな状況にゆっくりとなっている事実を見て、ぶるり、と体を震わせた。
Fin
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