瞬く間に世界に広がる大ニュース。白ひげ海賊団、ロジャー実子「エース救出」失敗。そして船長“白ひげ”の死。末々に語られるこの歴史的大事件をその目に写した者たちは今は、ただ、声を呑むだけだった。享年72歳、かつてこの海で海賊王と渡り合った男、白ひげ海賊団船長、大海賊エドワード・ニューゲート。通称「白ひげ」マリンフォード湾岸にて勃発した「白ひげの海賊艦隊vs海軍本部・王下七武海連合軍による頂上決戦にて死亡。
そして時を同じくして、世界から「悪意の魔女」が消失した。
その事実は人々の目には触れず、ただ静かに魔女の素質を持つ女たちの間に伝わる。
魔女以外で知る者は、現在大将赤犬、そして青雉のみである。
マグマで地下を溶かして進みながら、サカズキの心は荒れていた。
苛立っている、というのに近いが、しかし、動揺している、というほうが相応しかろう。もちろん抱くべき感情は分かっている。火拳は仕留めたが、しかしまだその“弟”が残っている。ドラゴンの息子。世界最大最悪の犯罪者の血を引く「海賊」を殺す。そのための敵意だ。正義の心を燃やせ、あれは今取り逃がしてはならないもの。そのことを考える。
だが、そうと、そう、強く、強く、強く思う反面、サカズキは焦っていた。絶対にあの麦わらのルフィを逃がしてはならない。そんなことがあっては、ならないと、焦っているのだ。それは海兵としての矜持であると言い切ってしまえばそれまでだったし、サカズキの性質を考えればそうである、といっても違和感はない。だが、サカズキ当人が自覚していた。
万が一にでも、麦藁のルフィを殺し損ねれば、逃がしてしまえば、生かしてしまえば、そのとたんサカズキの中で「犯罪者を殺さなかった」という事実が生まれる。サカズキはこれまで目に付いた罪人、正しく生きれなかった者には容赦しなかった。必ず葬ってきた。何の特例もなく、前例もなく、自身の信じる正義のために、海兵としての義務と心得て、確実に殺しつくしてきた。
(麦わらのルフィを逃がせば、生かせば、世界にどんな影響があるかわからぬ。悪は可能性から根絶やしにせねばならない)
大きな岩を溶かし、前へ、前へ進む。サカズキは乱暴にマグマの拳で硬い土壁を叩いた。ぼぼり、とマグマに呑みこまれていく。そして前へ、前へ、進んでいく。通った道は燃え盛っている。サカズキは振り返ることもしなかった。
ここで麦わらのルフィを「殺さ(せ)ず逃がした」という結果ができることを、サカズキは恐怖しているのかもしれない。いや、その感情を恐怖と呼ぶべきか、それは当人にもわからぬものだ。だがしかし、ここで麦わらを逃がせば、サカズキは、それならなぜ、は殺したのか、という叫びが自身の中からわき上がりそうだったのだ。
まだ小一時間も経たぬ前までは、が自分の隣にいた。
あれは罪深い女だ。それは今でも変わらない。あれが世界に何をしてきたのか、サカズキは知っている。惚れていても、妻にしようと公言しても、それでもサカズキは、が殺されるべき魔女であるというその原点を忘れはしない。その一点だけはけして踏み越えてはならぬものだと、判りきっていた。
だから、殺した。いや、違う。だから、などと「何か」に責任を押し付けることはしない。サカズキは己の殺意と正義があれを殺したのだと自覚している。それは義務という縛り付けられたものではない。はっきりとした自分自身の意思、その結果ゆえのことだ。大将してせねばならぬことだった。だが、選べた。自分外の人間なら、たとえばX・ドレークなら大将であろうともあれが死なぬ道を選んだやもしれぬ。だがサカズキは自身の信じる「大将」としての構えを一切妥協せず、その結果、己の道を通すためにを溶かした。これ以上が目覚めていれば世に災厄が放たれる。悪の可能性は焼き尽くす。それがサカズキのスタンスだ。けして曲げられぬものだ。
もしも今後、己が「悪」を取り逃がすようなことがあれば、「あれは逃がしたのに、なぜは逃がせなかったのか」と、そういう疑問が付きまとう。自分がを逃がしたかった、などという可能性があってはならない。それを恐れているのかもしれなかった。何十年も変わらず持ち続けた己の正義が揺らぐ、そのことがサカズキの眉間にしわを刻む。苛立ち、唇を噛み締めて前に進む。溶かすこの土がそのまま海賊の屍になればいいものを、と物騒極まりないことを考える。
(いつも、いつもはわしのそばにいた。ドレークが造反してからは遠征時にも傍に置いた。わしが人を、海賊を、罪人を容赦なく扱うところを目の当たりにしても眉ひとつ動かさなかったが、唇をかみしめて拳を振るう度、あれは妙な顔をした。何を考えているのだと問うたこともあったが、答えなかった)
周囲には物騒きわまりないととらえられる言動も、は喉を震わせて笑った。
(……あれこそ敗北者じゃァねぇか)
己の中の正義を保つために、サカズキはそう、呟く。火拳に向かい放った言葉。白ひげを貶す言葉の一語一句を思い出す。それは、にもまさに、当てはまるのではないか。長きにわたり海を彷徨い、世の強者の傍らに侍るも何も得ず、そして何も産まぬ。いや、人に災いを齎すだけの、害獣と化した魔女。その悪意の魔女の死にざまは、確かに、魔女の最期にふさわしいのではないか。
(尊き、不可侵の権利は現在パンドラ・へと継がれた。あれはもう生きる意味も価値もない罪人。死んで当然。生き続ければどうなるか、わからんわしではない)
だから殺したのだ。は、あれは、最期まで魔女として生き、そして死んだ。ならば自分も、海兵として生きるしか、あれに報いるすべはないだろう。
モンキー・D・ルフィを捕り逃がしたら揺らぐ、など考えることすらおかしい。己の絶対的正義は、さえ容赦しなかった。悪の芽たるあの麦わらを逃がす道理などあるわけがない。
「悪は根絶やしにせにゃァならんじゃろう」
呟いて、サカズキはマグマを噴火させた。頭上の小さな穴からマグマが噴出し、穴を溶かし拡張されていく。噴射したマグマは大地を割り、サカズキはその流れに乗って再び戦場にたった。真っ赤に燃える灼熱のマグマ。何もかもを燃やしつくし、一切何も残さぬ憤怒の熱量が当たりを飲み込んでいく。
ボコボコとマグマを沸かせながら、サカズキは低く唸った。
「わしが「逃がさん」言うたら、もう生きる事ァ、諦めんかい、バカタレ」
明日も明後日もその先もずっと、君のいない世界に生きる
「いつか、誰かがあの男の横っ面でもひっぱたいてやればいいんだよ」
銃の手入れを終えたトカゲは口に煙管を咥え、放す。朱色の羅宇を細い指で摘みながらくるくると回す仕草が遊女より様になっているというのは如何なものか。現在“魔女の戦争”の“中立者”にはなっているトカゲ。腕を振れば所望の品が振ってくる。そういう便利さは好ましいと銀の雁首をコツンとやれば隣のシェイク・S・ピアが顔を向けてきた。先ほどから熱心に黒い背表紙の本を読んでいたと思ったが、その顔色が若干青ざめている。その本はリリスの日記か、と問いかけて、トカゲはそのまま吸い口を唇に当てた。眼を細めてニヤニヤと笑うと、ピアが、相変わらず何を考えているのか読めぬ紫暗の瞳を僅かに細める。
「なんです?トカゲ中佐」
「元だ、元。いや、あのドS亭主…いやいや、大将赤犬閣下がなァ、ツンデレっていうのか、それとも某所での名言Sデレ閣下とでもいうのか。此度のことはヤンデレ認定も出来そうなんだが、まァ、どのみち不器用というより鬱陶しいとだれぞ平手打ちをかませばいいんだ」
「わかるように話さないのはあなたの長所ですか、短所ですか」
「もちろん長所だ」
言い切ればさすがのピアも沈黙した。何か言いたそうに一瞬眉を寄せるが、すぐに自己処理したらしい。ため息一つで消化して、再び戦場に目を向ける。エドワード・ニューゲートの死、そして黒髭の登場で戦場は新たな混乱を生む。しかし白ひげ海賊団の船員たち、及び傘下の海賊たちは船長の最後の命令を実行しようと船に乗り込もうと向かっている。そしてその後退を認めぬ海兵らがそれぞれ獲物を手に追う。
だが、それらの騒動とはまた変わった場所、仁王立ちとなった白ひげの遺体付近で不穏な動きが見て取れた。ピアは眼を細め、スン、と鼻を動かす。
「なんでしょうね、トカゲ中佐、あれ」
「十中八九ロクでもないことだろうなァ。どうする、シェイク・S・ピア、止めるか?」
「力不足です。返り討ちにあうのがオチでしょう」
白ひげの遺体の周りに集まった黒髭海賊団の連中。ぐるり、と遺体を囲い、そしてさらに、その巨体に黒い布を覆い被せた。ばさりと布が広がって、すっぽりあっさりと白ひげの身体を覆う。何をするのかとトカゲも興味があるようだが、しかしその美しい額に青筋が浮かんでいる。
「あの黒いテントに虫眼鏡とか当てたら燃えるか?」
トカゲは予想がついているだろうか。そんなことをピアは考えたが、いくらトカゲであってもそれはないと断定できる。
気に入らない、と一言呟いて、そのままトカゲは姿を消した。元々ピアもトカゲも共闘する気はない。魔女は一人きりがお似合いで、それ以上増やせばただの奪い合いにしかならないものだ。
ぎゅっと、ピアは黒い背表紙の本を抱きかかえ、顔をしかめた。黒い布の中に白ひげの遺体、そしてティーチが入っていく。残った黒髭海賊団らはその周囲を守る構え。ピアは今すぐあの布を引っぺがしてやりたいが、明らかに戦力の差が違う。ピアでも2、3人程度なら葬れるかもしれないが、一度に全員が連携してくれば一瞬で終わることはわかっていた。
今はジンベエと、麦わらだ。とピアは戦場に目を走らせた。海軍の戦力がひっきりなしに狙っている。砲弾、砲弾の向けられた先を探ればすぐに麦わらのルフィとジンベエの場所を発見することができた。ルフィ、ルフィ、モンキー・D・ルフィは現在意識を失っているのだろう。それを小脇に抱え、ジンベエが駆けている。
その姿を目で追いながら、ピアは一度目を伏せた。ジンベイの叫ぶ声が爆風に乗ってこちらにまで届く。
「しっかり生きにゃいかんぞ、明日も明後日も、エースさんのもうおらぬ世界を生きにゃいかんぞ!!」
そのジンベエの必死な叫びが、妙にピアの耳に残った。当たり前に過ぎる言葉である。どんな人間が死んだところで明日も明後日も当たり前のように太陽は昇るわけで、悲しむどうこうはさておいて世界は何もかわらぬわけで、それでも生きなければならないわけで、しかし、そうと判っていても実際は、「君のいない世界」を受け入れるには、当たり前のように朝を迎えるだけでは足りぬのだ。
(大切な人を失って、それでも明日を生きるにはどうすればいいのだろう)
そのことを、ピアは急に考える。己にはいまだ実感のわかぬもの。ピアにとって最も大切なのはボルサリーノだ。あの人を失わぬために己は魔女になった。そのことに後悔はないし、それをどうこう思うこともない。だからピアは未だに大切な人を失う心がわからぬ。は、何度も何度も何度も、それこそ人が一生をかけて味わう以上の喪失を突きつけられてきた。そのたびには心を病んでいった。しかし、あの、麦わらのルフィはどうするのだろう。やトカゲが「太陽のような子供」と称した、あの麦わらの海賊の、あの子供は、さて、気が狂ってもおかしくないほどの心の傷を、さて、どう処理するのだろうか。
そのことが今、ほんの僅かにピアの気を逸らした。そして、その途端ピアの背に剣が振り下ろされる。焼け付くような熱さを背に感じながら、ピアは鞭を撓らせて背後から襲いかかった、明らかに当人の意思で動いているのではなさそうな海兵の手から剣を飛ばす。
「八つ当たりですか、それとも役に立ちそうにないから始末を?上司どの」
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『なぁ、ジンベエ。おれがこのまま死んだらよ、悪ィけど弟の事…気にかけてやってくれよ』
赤犬に向かいあいながら、ジンベエは数日前のことを思い出す。いや、まだ本の数時間前なのかもしれない。ハンコックがルフィくんの存在をエースさんにほのめかした前なのか、後なのか、それすらも、今はよく覚えていない。インペルダウンのあの牢獄の中では時間がはっきりとわからなかった。身体を痛めつけられるのは構わないが、しかし、戦争を止められぬという歯がゆさが、ただ自分がじっとしていなければならない状況が、一秒一秒を途方もなく長くに感じさせた。
あの時、エースさんは己にそう、ぽつり、と話しかけてきた。唐突だった。別に、何かその前に会話が弾んでいたわけでもない。思い出話をしていたわけでもない。突然、そう、ぽつり、と呟いたのだ。いつもいつも、エースさんの頭の中はルフィくんのことがあった。いつもいつもいつも、いつも、楽しそうに話していた。自慢なのだと、己の弟なのだと、そう語っていた。
しかし、それでも他人は他人と、そうジンベエは、己は切り捨てたのだ。
『言葉ァ返すがのう、エースさん。買いかぶっちゃァ困る。わしはそんなお人よしじゃあない。いくらアンタの弟じゃとゆうても海賊の世界。わしは惚れ込んだ男にしか手は貸さんし、守りもせん』
基本的に、己は海賊嫌いだ。人間の海賊が魚人島にどのようなことをしてきたか。エースさんや、白ひげのおやっさん連中はもちろん好きだったが、しかし、エースさんの弟、というだけで、話を聞いたくらいのもので、その後の面倒を見る義理にはならぬ。
そう切り捨てた。だが、エースはそれ以上は何も言わなかった。ただ「そうか」と、そう、言っただけだった。その時の顔をジンベエは思い出す。
何故だったか、あの時は判らなかった。エースは、牢獄の中己の無力を突きつけられているその最中だというのに、それでも、あの一瞬、確かに笑ったのだ。「そうか」と、そう小さく言い、そして己を見て笑った。
あの時のエースの顔を思い出す。そして、ジンベエは大将赤犬と対峙した。
「そのドラゴンの息子をこっちへ渡せ……!!!」
「そりゃあできん相談じゃ」
強烈な熱量、圧倒的過ぎるマグマの勢いは大地をも飲み込む。近づけば容赦なく体中の水分を蒸発させられるようだった。ジンベエの息が荒くなる。お互い血まみれ。目の前の赤犬も、そして己も血に塗れている。それでも赤犬は何の疲労も見せず、ただただ真っ直ぐに、ジンベエの腕にあるルフィを狙う。
ジンベエは赤犬の能力を嫌というほど知っていた。己を弱いなどと思ったことはないが、しかし、大将と戦いどちらに分があるかの判断がつかぬわけではない。どうしても赤犬にはかなわぬ、圧倒的な力量の差があった。それはわかっている。だがしかし、なぜここで引く必要があるのか。なぜここで、この腕の子の命を諦める理由があるのか。
エースがマゼランに連行され、白ひげ海賊団の戦争が始まり、ジンベエは今頃インペルダウンの牢獄で何も出来ずにただ、ただじっとしていることしかできないはずだった。脱獄を考えなかったわけではない。だが、方法がなかった。仲間もいなかった。移動手段はなんとかなったかもしれないが、しかし、ここまで、己だけで来ることは不可能だったはずだ。
『後生の頼みだ…!!!わしも連れて行ってくれ…!!!』
あの時、軽快な足音と共に牢屋の前にこの子が現れた時の感情を、ジンベエは今再び蘇らせる。どれほど歓喜したことか。どれほど感動したことか。
戦えるのだ、と。己は、己の仁義を通すために戦い、そして守りたい者の危機に駆けつけることが出来るのだと、そう、歓喜した。
「わしはこの男を、命に代えても守ると決めとる…!!!」
はっきりと叫び、ジンベエは赤犬を睨みつけた。この子は己をここまで連れてきてくれた。戦わせてくれた。そして、エースが、白ひげが、この子を認めたのだ。どこに、この子を今、赤犬の手に渡す理由がある。
「エースの弟を守れ!!エースの家族は俺たちの家族だ!!!!」
ぐいっと地を踏みしめたジンベエの背後から、白ひげ海賊団の海賊たちが飛び出す。それぞれ赤犬相手にまるで怯まぬその様子。絶対にあの男を死なすものかとその構え。
「おどきィジンベエ!!!!麦わらボーイに手出しはさせナーブル!!!!!!」
赤犬が拳を構えると同時に、ジンベエの肩をぐいっと押し、イワンコフが巨大な顔面を露にした。
イワンコフの攻撃と赤犬のマグマが互いに打ちのめしあい、周囲に爆音が轟く。
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「ホホホホ、ごきげんよう。姿が見当たらぬと船長が気にかけていましたよ」
ピチャン、と頬にかかった生ぬるい液体の感触にパンドラ・は目を覚ました。一瞬己がどこにいるのかわからずに、その赤い目をぼんやりと彷徨わせるが長い間そのような醜態をさわすわけもない。すぐにはっとして、目の前にいる顔色の悪い、それでも唇ばかりは妙に生々しい色をした男の首を掴む。
「わたくしのリリスはどこ…!!!ラフィット!」
「おやおや、怖い。落ち着いてください、レディ。氷付けのようでしたので、とりあえずお湯をかけてみたんですが、意外といけるものですね」
「……わたくしでなければくだけて死んでますよ」
こちらの殺気もまるで感じぬように流され、は冷静さを取り戻した。そうして周囲をぐるりと見渡せば、ここがどこかの地下室のように思える。ランプは燃えているが、生憎と血でべっどりと汚れていて光が隅々までも届かない。パンドラは長い髪を指でゆっくりと梳きながらこの状況は何なのだと眉を潜める。
足元に転がっているのは海兵だっただろうものだ。白かったらしい海兵服が今は血と肉片で無残な有様になっている。あれは洗っても落とすのが中々大変だろう。そんなことを思いながら、はラフィットを振り返った。
「よくわたくしがここにいるとわかりましたね」
「えぇ、それはまぁ。元保安官ですから。何があったかお伺いしても?」
保安官だと人を探すのが得意なのかとは首を傾げる。
それにしても本気で聞きたがっているわけでもないのに、なぜこの男はいつも興味津々、というような顔をすることができるのだろう。世をひそかに面白がっているような顔をするラフィットという男をじぃっと見つめながら、はじっくりと己が目覚める前のことを思い出す。
そう、そうだ。
(わたくしは、また、あの子を目の前で失った)
白雪姫の毒。物語を物語るリリスの力。いや、根底を辿れば魔女は皆何かしらの童話を得ているのだ。それが、例のトカゲ曰く階位というものと重なる。白雪姫の毒で眠りながらはやっとそのことに気付いた。
ふつり、と心の中に憎悪が沸く。
感じるのは、もうこの世にあの子がいないことだ。あの男が、あの、真っ赤で野蛮な男があの子を殺したのだ。そうに違いない。はぎりっと奥歯をかみ締めて、掌を握る。ぎゅっと長い爪が皮膚を切り裂くが、こんな程度の痛みはあの子が味わったものと比べどれほどか細いだろう。
「見当付けていらっしゃるのでしょう?なぜ聞くの?」
「予想は立ちますがね、それがあっているのかどうか気になる性分でして。元保安官ですから」
本日二度目のセリフにはころころと喉を鳴らした。それを言えば免罪符、ということか。聊か愉快な気持ちになる自分自身を冷静には観察した。あの子がこの世から消えたと、それを己ははっきりとわかっている。それなのに今、こうして笑う心がある。それは何故だ?と疑問に思うのは一瞬だ。すぐには答えを見つける。
「わたくしのリリス、あの可愛いわたくしの妹は酷い男に騙されて殺されてしまったの」
「おや、おかわいそうに。心中お察しいたします」
「えぇ、酷いわ。とても悲しい。でもわたくし、まだ悲観にくれるつもりはなくってよ?」
「そうなのですか?あれほど愛していらっしゃったのに」
にこりとが微笑めば負けぬほど穏やかにラフィットが微笑む。が差し出した手を取って、恭しくエスコートする。ゆっくり己に合わせられた歩幅を歩きながら、パンドラは脳裏に、意識を失う前に見た大将赤犬の姿をありありと思い浮かべる。
「大切な妹を殺されたの。わたくし、あの男を屈辱に塗れさせて跪かせるまで、涙は一滴も流さなくてよ」
の心からリリスの気配が消えていく。これが死というものだ。あの子は死んだ。失われた。もう二度と元には戻らない。それであるのに、なぜ己は微笑んでいられるのか。そのことをは考える。そして、あの男が生きているからだと、あっさり行き着いた。己はあの男を地べたに這い蹲らせるまでは、悲しみに襲われないのだろう。
そうでなければ、なぜ愛しているあの子の死後も、己はこうしていられているのかわからない。
「それは面白そうですね。今から踏みつけに行くおつもりで?」
「いいえ、これ以上勝手をしてはわたくしの猊下に申し訳がありませんもの。一度戻ります」
「それはよかった。実は今丁度、例の実験を行っておりまして」
ここで己が抵抗すればこの男はどう縛り上げて連行したのだろうかとは少し考える。保安官であった、というから罪人の連行などお手の物だろう。己が人に縛り上げられるなど冗談ではないが。
例の実験、と聞いては形の良い眉を跳ねさせる。
「まぁ。それではお食べになるの?」
「食べる、とは愛らしい表現ですが、まぁ、そうですね」
「素敵。成功するといいんですけど」
インペルダウンに向かう最中に己も聞いた黒髭ティーチの「目的」の一つを思い浮かべ、は眼を細めた。それでは今頃、白ひげエドワード・ニューゲートの身体は暗幕に覆われて光の一切も入り込まず、黒達磨、いえいえ、黒髭ティーチと二人っきりという状況になっているか。
それとももう終わっているのかもしれない。失敗する、とはは露ほども疑っていなかった。成功するに決まっている。そうでなければおかしい、とさえ思う。
地下室、地下道を抜ければ断崖絶壁だった。足を滑らせればそのまま海に落下する、という危うげな場所。それでももラフィットもさほど慌てはしない。
なるほど、己は強制的に眠らされ、そして氷の能力者によって一時この場所に安置されることになっていたのか、と思い当たる。地下室に転がっていた海兵の数はそれなりで、眠る己の警護程度なら十分だったろうが、まさか己を助けにくる人間がいるとは海軍は思っていなかったらしい。
「よろしいですか?」
「えぇ。わたくしもまだ本調子ではありませんの。一人では飛べません」
礼儀正しく触れる許しを請うてくるラフィットには膝を折って答え、そのままラフィットの首に腕を回す。ふわり、と、男の腕が翼になって足が地を蹴った。
その途端、島が大きく揺れ動く。とラフィットは顔を見合わせて、それぞれ傍目にはどうしたって狂人同士の笑いにしか見えぬ微笑を向ける。
「ホホ、成功したようですね」
「そのようですね」
悪魔の実の能力をただの人間が二つも身に取り込むことは不可能。しかし、黒髭というあの男はただの人間、というには少々「異形」であるゆえに、そのようなことも可能といえば可能、という、可能性があったに過ぎぬこと。実際に試すかどうか、はその人の勇気といってやるべきか。は眼を細め、振るえ揺れる島を見下ろしながら口の端を吊り上げた。
全てを無に還す闇の力、全てを破壊する地震の力。その二つを手に入れた男が視界に入り、その傲慢な物言いがの形のよい耳にも届いてくる。
「これでもうおれに敵はねぇ…!!おれが最強だ!!!」
堂々とのたまい、手に入れた力を振るうその様子。玩具を手に入れた子供とてもう少し自制心があるだろうに、と何だかは声に出して笑ってしまいたくなった。
己の猊下の、なんともまァ、滑稽なこと。
Fin
・何気に毒吐いてませんかさん!!!?
(2010/06/01 19:25)
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