鷹の目は剣を振るった。
逃げる海賊、追う海兵というだけではないこの状況。己は“海賊”であるという自尊心があるのか時折ミホークには疑問だった。人は誰しも己自身のことこそが最大の謎であるとそんなことを思い出す。それを言ったのは誰だったか、魔女の類ではないが男ではなかった気がする。女。それも妙に生々しい唇をした金の髪の女だった覚えがあるが、それが誰だったのか、はっきりと鷹の目は覚えていない。この戦場で鷹の目は女の誘うような色香を感じ取った。艶かしい豊満な肉体が己の固い筋肉に押し付けられ快楽へと誘うようなそのような、気を緩めれば途端堕落するような、危うげな果実のような香りがそこらじゅうからしていた。
それこそが戦争ではないか、とミホークは思う。それぞれ明々と「目的」を掲げているものの獲物を持ち敵を討ち続けるにつれて次第に正気を失っていく。倒すことこそが目的となり、そもそもの根底が消えうせるような、そんな危うさ。それこそが戦争であろうと、そんなことを考えた。そしてその誘惑に負けぬように最後まで正気を保てるものが「目的」なのだ。目的が戦いを起こし、そして狂気を呼ぶというのに最終的には引き戻すものも目的、という。ミホークは剣を振るいながら、はて自分はなぜこのようなことを考えているのかと、訝る。
白ひげ海賊団の「目的」であったポートガス・D・エースは死んだ。大将赤犬、ミホークから見ても気に入らぬあの男の手によって殺されたが、個人の殺害というわけでもあるまい。火拳という一個の命というわけでもあるまい。海賊が海軍に殺された、とそれだけのことといえばそれだけ。しかし、そんなことなら毎日どこぞでおきていること。海賊と海兵の命のやり取りなどこの時代、いやその前からずっと続いていることである。
だがこの火拳の命の奪い合いだけは「いつものこと」ではない何かしらの「きっかけ」になっていた。
いや、白ひげがその後一時間と経たずに死んだがそのことをミホークはさして驚いてはいなかった。どのような怪物であれ必ず人は死ぬ。(いや、はたして白ひげが「怪物」であったのか、ミホークは判断が付かない。強者ではある。それは確実だ。だがあの男が「怪物」であったのか。あの男はどこまでも人間だったのではないかと、ミホークは直立しけして背を向けぬままの生涯であった白ひげエドワード・ニューゲートを眺め、ただ只管に思う)かつてミホークも海で様々な「伝説の人物」が死ぬ・殺されるのを見てきた。諸行無常盛者必衰とはよくぞ言うたもの。東の海で久しく見ぬ若く猛々しい力を見たときのように、世代は変わり行くもの。
今日この場に己が立つことで、己自身が死ぬという一つの可能性もわかっていた。戦争とはそういうもの。戦いとはそのようなもの。当然白ひげが死ぬという可能性とてあったろう。その確立が定まったというだけのことだ。
ミホークは己から離れた場所、センゴク元帥と黒ひげティーチが対峙している場を一瞥する。何をどうやったのか、それはミホークには想像もできぬが白ひげの能力を手に入れた黒達磨、いやいや黒ひげはこの戦争の引き金を引いた張本人は愉快げに腹を抱えて笑い声を上げている。乱雑な力に海軍本部の、要塞が音を立てて崩れた。ミホークは一瞬脳裏に、海軍本部の奥の中庭、真っ白い手作りのブランコを思い浮かべる。何百年もこの海を「守り続けてきた」という要塞の有無なんぞどうでもいいが、あの遊具が無残な姿になったのなら、が悲しむのではないか。そんなことを思い、ミホークは真横に鋭く沸いた茨の鞭を切り防いだ。
「あら、いやだ。女の攻撃は受けるのが殿方というのではなくて?」
反射的なことであったため、ミホークは振り返り剣を構え、対峙した人物に目を見開いた。帽子の影に隠れてあからさまにはならなかったが、随分久しくなく驚いた。瓦礫や死体で荒れた戦場に似つかわしくない、いや、だがけして余分とは思えぬほどこの場での存在感を放つ、淡い色の髪に長身の女がたおやかな微笑を口元に浮かべて佇んでいた。その白い手首に巻きつくは禍々しさを感じさせる茨である。きつく手首を戒め赤々とした血が滴るが持ち手たる女は意に介した様子もない。まるで寝起きのような夢心地という赤の目は悪夢から覚めぬまま現実をそうと認識したかのように煌々と輝き、同じくらいに赤い唇は正気の言葉をけして口にせぬだろうという確信を抱くほど、狂気を感じさせるものだった。ミホークはこの女が何者であるのか即座には判じかねたが、しかし、次の瞬間、女が唇を震わせる前に剣を構えたまま、はっきりと「誰か」という言葉を使う。
「パンドラ・」
鷹の目が握り締める「夜」はこの世の夜の訪れを感知していない。ミホークはの姿を、気配を探した。だがこの広い戦場で、この小さな場でどのように探し出す術があろうか。夜が、夜が、夜がやってくると。ミホークはにノアの剣を渡した。どうにもならぬことをどうにかしようとがするのなら、どうにかなるかもしれぬ、だが、結局はどうにもならぬだろうと判っていて、それであるから、を甘やかした。どうにもならぬのだから、が何もかも好きに、悔いのないようにできるのならと、そう思った。
だがはインペルダウンから戻り、そして、どこか己を失い、しかし、最後にこの背に庇ったとき、は確かにそこにいた。
この戦争が収束したら、はこれまでと変わらぬ無邪気で無垢な様子で、時折泣いて笑って、まるで何もなかったように、その青い目をこちらに向けてくるのではないかと、そんなことを、思った。
それなのに、なぜこの女が、今己の前に立ちはだかるのか。
「貴様、を殺したのか」
喉の奥がひりつく、かろうじてそれだけを口にすれば、目の前の、豊かな海の如き髪を持つ女が哄笑を上げた。侮蔑を孕みこちらの無知をあざ笑うような、これほど容赦なく他人を見下せる女はそうはおらぬとミホークは頭の隅で冷静に思い、そして眉間の皺を深くした。パンドラの嘲笑は一層高くなり、しかし次第に勢いを失う。
収まれば、パンドラは先ほどまでの他人を見下すことに快楽を見出していた女とは思えぬほど、まっさらな表情を浮かべる。
「なぜわたくしがあの子を殺さなければならないの?愛しているのに」
ではまだは生きているのかと、そうミホークは判断した。この夜の気配の強い女が手をかけぬのなら、を害するものなど赤犬がことごとく排除するだろう。剣を下げぬまま、だが僅かに気を緩めた途端、パンドラの眦が釣りあがる。
「あなた、わからないの?」
奈落の底へ落ちていく
とりあえずこの島を沈めとくか、とそう気安く言う黒達磨、いえいえ、黒ひげの言葉がピアの神経に障った。ぴくん、と形のいい眉を跳ねさせ、そちらを睨み飛ばそうと、あるいは何か手ごろな詩篇でも飛ばそうと思うが生憎体はギッチリと目に見えぬ理不尽というかある意味合理的というかわからぬ奇妙な束縛を受けている。
「フッフッフフフフフ、おいおい、まずは俺の相手をしろよ、シェイク・S・ピア」
「手も握ったことのない間柄で馴れ馴れしくフルネームを呼ばないでくださいよ、上司どの」
ぽたぽたとピアは背から今も容赦なく血が滴り落ちるのを感じた。止血せねばならない。己はやトカゲと違い生身の人間。それは確かに、ペルルの魔女の力を使う際は血を流すが、あれはきちんとそういう手順を踏んでのこと。負傷とはまた少し違う。今のように無遠慮に血を流し続ければ、はっきり言って意識がかすんで死ねるだろう。出血多量での死亡、レバーでも食べれば防げるか、とそんなことを考える余裕は頭の片隅にあったが、それは余裕というよりは性分である。ぱちり、とアメジストの目を一度伏せ開いてから、ピアはその真っ白い顔をドンキホーテ・ドフラミンゴ、相変わらずサングラスに隠れた目が何を考えているのかわからぬ、巨体に向ける。
ゴォオオン、と鐘の音のようなものが周囲に鈍く響き渡った。センゴク元帥の能力だろうと即座にわかるが、生憎見ることはできない。
流れ滴る血を再利用できないかと目の端で眺めながら考えつつ、そのような芸当が出来るのはくらいだと即座に切り捨てる。
「わたしに何か御用ですか」
「そりゃァ、決まってんだろ。なんで、が死んだのか、それをこのおれにもわかるように説明しろ」
ビリッ、と怒気を感じた。別段声を荒げているわけではない。それなのにこの威圧というのは、やはり鳥だ当て馬だなんだといわれていてもこの男は海の王者と呼ばれるほどの海賊であると、ピアはここで初めて感心した。そしてそれと同時に、まさか、とは思っていたものの、どうやら本当に「わかって」いるらしいドンキホーテ・ドフラミンゴに尊敬の念すら抱く。
「なんであいつがいない、なんで死んだ。どうにもならねェってことくらいわかってたさ。おれだって知ってる。だがあいつはそうならねェって、そう、決めたんじゃなかったのか」
「魔女を救う王子さまになると言ってましたよね」
そう前でもないのあの言葉を思い出しピアは僅かに可能な動作で頷く。彼女はそう言った。だが、この結果だ。はこの世から失われ、現在トカゲが「」の有力候補。しかし拒絶したための魔女の戦争が勃発。参加者はこの島にはおらぬので早々目だって何か変わったということもないが、しかし、確実に何かが変わってきている。それを、魔女であるピアやトカゲは感じ取れるが、しかし、この目の前の、何を考えているのかさっぱりわからぬ、この男も感じ取っているという事実があった。
「なぜ、がもういないと?」
「わからねェわけあるか」
「普通、わかりませんよ。人が死んだときって、そうじゃないんですか」
ピアはかつての自分を思い出す。ピアの実母は海賊との間に子供を身ごもり(ピアの異父妹)実の兄であるボルサリーノの手によって亡くなった。だがその時、母が伯父に駆けられていたとき、ピアは花畑で花を摘んでいた。キラキラと輝く虹が出ていて綺麗だと、母にも見せてやりたいと、そんなことを思い遊び楽しんでいた。その丁度その時に、母が殺されていたなど、ピアはまるで感じ取れなかった。そういうものだ。どれほど大切な人であれ、自分の目の前でなければ、気付くことができない。
「そりゃァ、そうだ。そうだろうよ、なァ、シェイク・S・ピア。おれはさっき、白ひげんとこの連中と遊んでたんだよ。そりゃァ楽しかった」
くいっとドフラミンゴが指を動かすたび、ピアの体が己の意思ではないのに動く。ピアの腕が身を屈めたドフラミゴの首に周る。吐息が触れそうなほど近くにあっても、それでもこの男の瞳は見えぬ。魔女と目を合わせれば呪われるとそういう防衛ならかわいらしいがそうではないだろう。はが死んで、この男は視力を完全に取り戻したのか、そのことが少々気にはなった。ドフラミンゴは片方の手でゆっくりとピアの腰を撫でる。獣が獲物を甚振るような、そんないやらしさがあった。
「気分のいい時間だったはずだろう?遊んで遊んで、愉快なジジィが暴れてやがる、島をひっくりかえすほどのバケモノ…!!フフ、楽しくておかしくて最高の時間じゃねェか」
それなのに、と声には出さず、ドフラミンゴは区切る。乱暴にピアの首を掴み、その顔ばかりはどこまでも、愛しい女に向けるかのように棘がないのに、その掴んだ指が容赦なくピアの首を絞める。
「急に、頭ん中が真っ白になったんだよ。何もしてねェ、目に埃が入ったわけでもねェ、それなのに、体に力が入らなくなった。自分がなんでここにいるのか、わかりきっているってのにわからなくなった」
その瞬間がの完全なる消失だったのか、とピアは思う。目撃していないし、この男もそうは言っていないが、泣いたのだろうか。そしてそれを目撃した者をこの男は全て消したのだろう。
「フッフフッフッフッフ、なァ、シェイク・S・ピア、教えてくれよ、がいりゃァおれは世界平和の使者ってのもアリだったってのに、なんであいつがいないんだ?」
あなたの告白なんて聞いても意味ありません。
ピアは柳眉を苦しげに寄せ、朦朧とする意識の中何とか詩篇、あるいは獣を呼べぬかと苦戦した。だがこの男がそんな隙を与えるわけもなく、次第にピアの頭の血のめぐりが悪くなり、だらり、と体から力が抜けた。
+++
おや、とトカゲは眼帯に隠れていない方の目を細め、首を傾ける。魔女の気配が一つ消えた。あっけないというなかれ、戦争なんざそういうもの。トカゲはあえてその消えた気配を探ろうとはしなかった。この戦争でもう何百の命があっさり散っているか、それはそうと、と、トカゲは煙管を摘んだまま髪をかきあげ、己がいる高台からこの戦争、もう目的が何なのかよくわからなくなったこの、妙な争いごとを上から眺める。
処刑台のあった付近では崩れた瓦礫をものともせず、現在センゴクと黒達磨、いやいや、黒ひげティーチがドンパチしている。この島を沈める、というそのティーチの意思表明に明らかにセンゴクが激昂していた。先ほど白ひげがこの島を沈める気であった、というときにはこのように怒りを露にはせず、寧ろ「脅威である」と素直に構えていた。それであるのに黒ひげのこの言動には鋭い眼差しを投げつけ、そして容赦なく、攻撃の手を繰り出している。
「ここは世界のほぼ中心に位置する島…!悪党どもの横行を恐れる世界中の人々にとってはここにわれわれがいるこに意味があるのだ…!!!!」
鋭い怒声、ビリビリ、と、魔女となったトカゲの身にも鋭く響く、響く声。高く吼えるわけではない。どこまでも低い声。しかしこの、圧倒的な威圧感。ぞくり、とトカゲの背筋があわ立った。インペルダウンであの面白い男、ハンニャバルが叫んだ言葉を思い出す。正義や悪の所在など、誰にもはっきりとはわかりはしない。それでも、正しいこととそう己の信じるものとやらをこうも真っ直ぐに掲げるその姿。
「正義という名の仁義は滅びん…!!!青二才が軽々しくここを沈めるなどと口にするな…!!!!」
白ひげは己の信念のために、目的のためにここを滅ぼすとそう覚悟した。それゆえにセンゴクは、それなら己の掲げる信念とのぶつかり合いを応じた。だが今この黒達磨はただの「ついで」にここを滅ぼすと、そう、言う。ここの重要性も、影響力も考えぬ、あまりにも軽率・軽薄な振る舞いに、なるほど激昂するのもわかる、とトカゲは眼を細めて頷き、そして、同時に響く爆音にはっとして、視線を湾内の方へと向けた。
ドン、という強烈な破壊音。圧倒的な熱量が空気を爆発させたらしい。こちらにまで届く爆風に帽子を押さえ、トカゲは腕を振って煙管をしまった。マグマが当たりを多いつくし、巻き込まれた何もかもが焼き尽くされていくその場所。
逃げるジンベエとルフィを追うために、背後に焼き倒した革命軍幹部二人を振り返りもせぬ、大将赤犬サカズキの姿がトカゲの片方の目にはっきりと見えた。
けしてドラゴンの息子を逃がさぬ、というその強い意志の表れがはっきりと表情に表れている。背後から海兵や革命家たちが容赦なく銃弾を浴びせるが、蚊ほども感じぬようであっさりとマグマとなったその身が焼く。
ジンベエはルフィを抱えて必死に走っていた。魚人、陸の上では海の上でのときと速度が違う。内心の苛立ちもあろうに、そして、ジンベエとて大切な二人を失ったというのに、それでもまだ悲しむ暇もないでルフィを必死に、必死にサカズキから守ろうと走る。ガタガタとゲタが鳴る。トカゲは高台からそれを眺め、ひょいっと腕を降ってデッキブラシを取り出した。跨るか、と考え、しかし、まだ手に握るのみになる。
湾頭から海へ出ればジンベエは逃げ切れる。海へ、水の中に入った魚人を捕らえることはマグマの能力者であるサカズキには出来ない。
ダン、と、ジンベエが湾頭を蹴り下に広がる海へ飛び出した。この戦争の当初はクザンが凍らせた海であるが、包囲壁に海賊を閉じ込めた折にはサカズキの火山弾が襲い氷を溶かしている。海賊たちの死体が浮くだろうその場所に飛び込むのはどんな心境かと、普段のトカゲであれば考えたが、今はそうはせず、ただじっと、じっと、トカゲはその行方を眺めた。
しかし、ピキィイと、奇妙な音がした。この戦争で何度も耳にした音である。トカゲは見える位置に移動して、眼を細めた。
「クザン、真面目に仕事するんだな」
へぇと小さく呟きつつまるで賞賛するつもりがないことにトカゲは驚いた。どちらがどちら、などということを考えるつもりのない己が、今、まるでルフィに逃げ切って欲しいように聞こえるではないか、とそんなことを考え、そして、海賊らに囲まれながらもジンベエが逃亡できぬようにと海を凍らせたクザンを眺める。
相変わらず飄々とした様子「悪いね、ジンベエ」などといいそうな顔をしている。本気で悪い、と思っていそうなのがクザンだ。だが自分の仕事だから、これ。と、そう割り切って対処しているようにも思える。だがそれが何を考えているのかトカゲにはわからない。じぃっと眺めているとクザンと目が合った。
トカゲは青い目を細め、そしてクザンが困ったような笑い顔を浮かべる。
(そんな顔をするくらいなら、赤犬を殴れ)
妙にその顔がいらだち、トカゲはこれうっかり誤射ってことでクザンを撃ってもいいかとそんなことを考える。そして再びジンベエのほうへ視線を向ければ、飛び出し空中に身を投げたものの、足元に広がるのは氷の台地。一瞬の巡回があり、そしてその途端、サカズキが追いついた。
(周りの海賊を焼き進みながら追うその姿はどういう生き物と呼べばいい)
眼を細め、トカゲはその、真っ赤に染まった赤犬の姿を眺める。世界の悪を許さぬと徹底するようなその姿。どこまでも赤く、赤く、真っ赤だ。サカズキも地を蹴り、ジンベエを追う。空中で追いつき、そのままマグマの腕で殴ろうとするのをジンベエが水気を帯びた腕で阻んだ。しかしそれで防げるわけでもない。カウンターが繰り出されることを察して、ジンベエが咄嗟に身を捩った。
+++
手ごたえはあった。だが、完全ではない。サカズキは口を強く結び、忌々しそうに顔を顰める。
落下しながら同じように落下するジンベエの絶叫を聞く。邪魔をせねば完全に焼き尽くせたものを、氷の上に着地して、サカズキは倒れこむジンベエを見下ろした。
「邪魔、しよるのう。ジンベエ」
こちらとの力量さがわからぬ愚か者でもなかろうに。はむかうのはどういう了見か。ジンベエはドラゴンの息子を抱きかかえ、その傷を必死に窺う。
「おどれ、人の心配をしちょる場合か」
ドラゴンの息子はジンベエが邪魔してくれたおかげで急所を外したが、胸は抉った。いまだ命があるにせよ、いずれ死ぬ命であるのは確実だ。この己が「逃がさん」とそう告げた瞬間に、命があると思おうほうがおこがましい。
ジンベエの傷も深い。胸を貫いた感触が確かにあった。サカズキは一歩前に踏み出す。
守る、その姿勢が愚かしい。生きているだけで罪になる。ドラゴンの息子。生かしておく理由がない。殺すべき理由なら山のようにある。ジンベエとて七武海の称号を剥奪されれば、これまでその称号で守ってきたものが守れなくなることはわかっているだろう。その小さな海賊の命と、これまで必死に、政府の犬と呼ばれることもある七武海に身分を収めてまで守ってきたものと、「どちら」が「大事」かなど、わかりきっているだろうに。
なぜ、明らかに「そうではない」方を選ぶのか。
ジンベエは既に立ち上がることも出来ぬよう。それでもドラゴンの息子は放さない。サカズキが近づき、ジンベエは隠すように体を丸める。それで防げるわけもないだろうに、その、最後の抵抗。サカズキは慈悲をかける必要せいも容赦する理由も当然持ち合わせておらず、そのままマグマの腕を振り上げた。
その途端、サカズキの体が砂によって切断される。
+++
ぽろっと、トカゲは咥えていた銃弾を落とした。
「クロコダイル」
このタイミングであの男が出てくるのか、と驚いて、そして見開いた眼をそのまま愛しそうに細める。
砂の剣によって身を割られたとて自然系の能力者に何の意味があろうか。いや、それでも一瞬勢いを削ぐ事はできた。サカズキは即座に身を戻し、背後に立つクロコダイルを振り返る。そして完全にサカズキの視界からジンベエが消えた途端、クロコダイルはいっそ乱暴とも言えるほど、がむしゃらに腕を振って砂嵐を起こした。攻撃のためのもの、ではない。そのまま無遠慮な力によって、身動き取れぬジンベエとルフィの体が巻き上がった。
「誰か…受け取ってさっさと船に乗せちまえ…!!!!!!」
ここへ来るまでにこの男もそれなりの戦闘をしてきたか、ご自慢ノオールバックは乱れているし、あちこち上等な服に汚れが目立った。全身から不快・不機嫌という様子を出して、そのズタボロなそのお姿、それでもトカゲはパチン、と手を打つほどにその姿が、これまで見たクロコダイルの姿で一番『男前!』とそう思う。
過去、クロコダイルと白ひげの間に何があったのかトカゲは知らないが、しかし、ここで助けるような間柄ではないらしい。白ひげ海賊団の面々が驚きに目を見開き、呆然としている。なぜだ、とそのような顔。唖然として立ち尽くすその姿にクロコダイルが舌打ちした。
「守りてェもんはしっかりと守りやがれ…!!これ以上あいつらの思い通りにさせんなよ!!!」
その怒声に、海賊連中がはっとして頷く。ルフィを受け止めようと船を移動させる面々。空中に巻き上げられ、そして落下していくジンベエ。
そのまま落下すればダメージは倍になろう、どう受け止めるのかとそういう疑問もある。最後まで見ていたいが、と思いつつもトカゲはそのまま飛び出した。デッキブラシに跨って、サカズキと相対するクロコダイルの隣に立つ。
それではどちらにも攻撃されそうなので、とりあえず、どちらがどちら、というのをはっきりさせる、そのために、トカゲはまるで躊躇いも持たず、サカズキの肩を打ち抜いた。
「はい、おっはー。呼ばれなくともおれは出張るぞ?大将赤犬、卿の天敵になれるくらいがんばるから惚れてみろよ」
次の瞬間、無言で赤犬のマグマがトカゲの身を襲い掛かる。突っ込みもないのか、と聊か不満ではあるが、こちらも油断していてはまずいとわかる力量差。トカゲは慎重に足場を選びマグマを回避して、そのままデッキブラシを掴みぶら下がって悪意を込めた弾丸を解き放つ。
「このわしに魔女の力が効くと思うんか」
「100%効かなくても構わないさ」
確かに肩を打ち抜いたが即座にマグマで修復される。到来魔女の力は悪魔よりも勝るはずだが、トカゲやの使うものはそもそも、炎に弱いと決まっている。パンドラの音の悪意のようなものなら相性も違うだろうが、トカゲはサカズキと相性が悪かった。それはわかっている。
「おい、余計なマネすんじゃねェよ」
「クロ子ダイル…卿、まさかこの容赦ないオッサンに一人で挑めると勘違いを…?自殺願望があるのなら短冊に名前を書いておけ、何のことかさっぱりわからず織姫と彦星が困惑する」
それともあれか、心配してくれているのか、と、自分の体をぐいっと退かそうとするクロコダイルを見上げてトカゲはニヤニヤと笑った。クロコダイルは今すぐこちらを殴りたそうな顔をするが、そういう漫才をしている場合でもない。魔女と能力者が組むのは厄介と承知の大将閣下。トカゲとクロコダイルが「共闘」すると決める間も与えぬようにか、素早くトカゲの髪を掴み、地面に押し付け背を踏んだ。ゴギッ、とマグマの足がトカゲの背を焼き、骨を砕く。
その一瞬の停止時間をクロコダイルが砂の刃で狙い赤犬の腕を切り落とす。体のバランスが僅かに崩れればその隙にトカゲは抜け目なく左腕に移動させたウンケの屋敷蛇で即座に体を修復し、その場から脱出した。そしてクロコダイルの隣にまで進み、その体を盾にするようにしてこちらの姿を隠しタイミングと方向を定められぬようにクロコダイルごと赤犬を狙い撃ちにする。
「……ッ…!!!!」
「てめぇ…!!地獄に落ちろ…!!!!」
クロコダイルの脇腹を貫通し、サカズキの胸に届いた弾丸は貫通せずそのまま体内に留まった。まず一つ、とトカゲはカウントし成功を喜ぶが、巻き添えにされたクロコダイルは素直に非難の声を上げる。
いくら砂の能力者でも悪意の弾丸に貫かれてはたまらぬもの。それをトカゲもわかっているが、その辺を考慮して自分が赤犬に満足に弾丸を埋め込めるという慢心はない。
こちらを殺しそうなほど睨みつけてくるクロコダイルのスカーフを掴み顔を近づけて、トカゲはぺろり、と口元から流れた血を舐めた。
「ふふふ、そう熱く願ってくれずともおれの地獄行きは確定してる。あぁ、あと12発耐えられるか?」
「……何のマネだ?」
「真っ直ぐすぎて女泣かせな赤犬閣下に嫌がらせをしてやろうと」
トカゲはにやにやと口元を歪めて、その「嫌がらせ」という単語が赤犬にも聞こえるように声を大きくする。
「おどれの存在以上の嫌がらせがこの世にあるのか」
体に弾丸が埋め込まれてものの、即座にマグマで溶けたと確認してサカズキが鼻を鳴らす。その嫌味にトカゲは「酷いなァ」と白々しく傷ついたような顔をするが、クロコダイルが激しく同意したそうな様子だったので、本当、この二人一緒に殺してやろうか、とも思う。
「このタイミングでわしに刃向かうっちゅうことはおどれ、トカゲ、海軍の敵とみなすが構わんな」
「卿に、一々確認するような優しさがあるなんておれは信じないよ。大将閣下、おれはそのまるで揺らがぬ徹底した卿の正義狂いにどうこう言う気はないんだが、その融通の利かなさには愛想が尽きた」
言いながらトカゲとクロコダイルの周囲をマグマが流れる。マグマはこの男の一部。意のままに、とまではいかぬだろうが多少は操れる。このマグマが雨のように降り注いだら、砂のクロコダイルはともかくとして己はどこまで修復が間に合うか。と違いウンケの屋敷蛇の力を完全に利用できるわけではない。回数制限はないが、速度に制限のある「不死」はこの状況では分が悪い。
トカゲの言葉をクロコダイルは戯言と取ったが、しかしサカズキはぴくり、と眉を跳ねさせる。その小指が小さく動いたのを抜け目なく確認し、トカゲは薄っすらと眼を細めて口元を引き上げる。
「卿は奪われたことがないんだろう?だからこのおれが、卿の最初の略奪者になってやる」
「貴様のような魔女に奪えるものなんぞあるものか」
ドン、とサカズキのマグマの拳がトカゲに向かって繰り出された。トカゲはデッキブラシで受け、受けきれずとも思っていないのでそのままマグマに焼かれるブラシを投げ捨て、一歩大きく後ろに下がる。銃を構え、自分の腕を盾にして勢いを削いだ銃弾がサカズキの脇腹に埋め込まれた。
「これで二つ。大将閣下、と出会ったのはどこだか思い出せるか?」
そのまま次の攻撃をしようと赤犬は動いたが、しかし、トカゲの言葉に眉を寄せ「何をくだらんことを」とそう一蹴しようとした顔が、強張った。
「……貴様」
「ルフィをな、殺されるとおれも都合が悪い。それに卿の甲斐性の無さにはがっかりだ。卿への嫌がらせとルフィへの追撃を妨害するのを同時にできる、おれの性格の悪さが発揮できて嬉しいよ」
何をされたが気付いたよう。敵意以上のものを滾らせてサカズキがトカゲの肩を掴み、そのまま骨ごと焼き尽くす。呻きながらトカゲは銃を構えた。その途端、サカズキの筋肉が強張る。引こう、とする無意識を叱責し、そのままトカゲの体を地面にたたきつけた。鈍い音、肺まで焼かれてひゅうっと奇妙な音を鳴らしながら、トカゲの体が一時砂に浚われる。
「何をした?」
「ふ、ふふ…卿、なんだこのおれを助けて、くれたのか?」
「何したのか気になっただけだ」
ほんの僅かだが、赤犬は再びトカゲの銃に撃たれるぬを恐れているように見えた。そして一瞬でもそのようなことを考えた己を叱責し、この状態、である。トカゲはゴキゴと歪な音を立てて体を直しつつ、残った片腕で銃弾を取り替える。
「嫌がらせをしているだけだ」
何をしているのか、トカゲは答えるつもりはなかった。赤犬だけが気付き、そして恐怖していればいい。そういう可愛げあるのなら、この嫌がらせも成功ということだ。もしも何も感じないのなら、それはそれで、やる価値もあるというもの。
13に分けたとの記憶を悪意の弾丸が体内で砕く。大将赤犬であり続けることに拘っているのならの記憶なんぞない方がいいのだろうと、そういう嫌がらせだ。花弁を散らすようにあっさりとサカズキの記憶からが消えていく。心で思い続ける覚悟があるからこそ、手にかけたサカズキにとってそれは、どういうものになるのか。を思えばトカゲはこういうことをするべきではないとは思う。だがいないのだから考える意味もない。
「……ドラゴンの息子を殺す。その邪魔をするおどれらを倒す」
ぐっと一度拳を握り、目を伏せて、そして開いた途端のサカズキは何の迷いも歪みもなく大将赤犬その人である。トカゲは「そうか」と赤いふっくらとした唇を揺らし、腕を振って銃をもう一丁取り出した。
「それならおれも本気で挑む。海の魔女がお相手しよう、海軍本部大将赤犬、おれの悪意は卿の体でどこまで響くか、よく聞かせてくれ」
ダン、と銃声が一つした。しかしトカゲの銃は二丁、放たれた弾丸は六発。音をも誤魔化す早打ちは5発がただの銃弾、1発が悪意を込めたもの。体をマグマにさせて防げば悪意が体に埋め込まれる。サカズキは素早く銃弾を三発避け、二発を掴んだ瓦礫で防いだが、一発が足に当たった。しかし気にする様子もない。覚悟を決めた、というその姿勢、トカゲは帽子の影で眼を細め、そのまま突撃してきた赤犬の蹴りを受け、船の瓦礫に激突した。
++++
ガラガラと瓦礫に埋もれていくトカゲを放り、サカズキは空中にあるジンベエたちに向かってマグマの柱を繰り出すが、道化海賊の働きで捕獲には至らない。しかしそのまま放置するつもりもあるわけがなく、追おうとする、その前を再度クロコダイルが立つ。
その姿を一瞥し、サカズキはトカゲに撃たれた箇所を手で触れる。傷はない。痛みもなにもない。だが、トカゲの言葉通り「思い出せない」ことが確実になっていた。
己は、いったいいつ、どこでと出会ったのか。そして、なぜ、傍に置くようになったのか。
「…」
だが、思い出せないことを別段サカズキは恐怖していなかった。あれは死した。もういない。記憶になど何の意味がある。己がいませねばならぬのは、ドラゴンの息子を確実にしとめることである。その為にトカゲの弾丸をあといくつ受けて完全に記憶を失おうと、それで己の正義が崩れるわけでもあるまい。
無言でサカズキは拳を握ると、ザッ、とその途端、白ひげ海賊団が現れ、これ以上前に進ませぬとその構えを見せ、立ちはだかる。その堂々とした姿。ずらりと並んだ隊長ら。中央は1番隊不死鳥マルコ。青い炎を纏わせて、真っ直ぐにこちらに向かい合う。
「揃いも揃って…あの麦わら小僧のために命落としたいんか」
低く、侮蔑を孕んで言えば口々に隊長らが反論する。白ひげが認め、火拳が守ったその命を次に繋ぐ、とそういう。その為に、今ここで己に挑むのだという、その意志。
「お前らともあろう者らが大層じゃのう…白ひげ海賊団」
サカズキは立ちはだかる、新世界では名の知れ渡った海賊らを眺めた。眼を細め、それぞれの顔を一瞥する。海の強者に名を連ね、賞金額、世界への影響力も只ならぬ連中。そういうものどもが、未だ世界の真理も知らぬあの、小さな海賊小僧を「守る」という。
「赤犬、お前が今殺しておきたいと思うあいつの『危険度』とおれたちが生かしてやりたいと思う大層な『期待値』は同じじゃねェのかよぃ……!!!」
青い炎を纏わせて、一番隊のマルコが吼えた。
もはや言葉で始まるものでもあるまい。サカズキは「好きにしろ」とそう切り捨て左腕を振り上げた。そしてその途端、背後から弾丸が複数埋め込まれる。肩を半分抉られた状態で、涼しげな顔をし瓦礫の上にトカゲが立っていた。
「6発目、あと半分と1つ、気張れよ、大将閣下」
マグマの体に影響があるわけではない。サカズキは一瞬も躊躇わず、「正義」と描かれたコートを翻した。
(耳に残ってた、あれの声が思い出せない)
Fin
(2010/06/16 20:00 )
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