ロジャー海賊団、夜の船番。港町について銘々が宿やら船やらその辺で勝手気ままに過ごすもの。ロジャー船長とレイリー副船長は揃って酒場に繰り出して行った。生憎シャンクスは先日のちょっとしたケンカの罰という意味もあり船番になった。同じようにバギーも揃ってのこと。いつものことといえばそれまで。しかし町の明りがキラキラとして騒がしさもあるその様子を見守り、ひっそりひっそりと、そういう状況を楽しむにはまだシャンクスは、若い。

「ふふ、つまらなそうな顔をしているねぇ」
、さん」

じぃっと町の方を眺めていると、頭上からころころと人を馬鹿にしたような声がかかった。いや、見下し小ばかにするようでその声音の奥はしっとりと優しい気がする。時折、そういう、の奇妙な情を感じる。言えば副船長以外は「あの魔女が?」と笑うのが常だった。そのたびにシャンクスが不服そうな顔をすると副船長は何もかもわかっているような顔でただくしゃりとシャンクスの頭を撫でる。

今もそういう、奇妙な情があった。シャンクスは顔を上げ、眉を寄せる。こういう顔をするべきではないというのに、と顔を合わせると不機嫌そうな顔をしてしまうのがここ最近だ。以前はもっと正直に、の顔を見ると笑顔になった。顔をくしゃくしゃにして喜んだ。それなのに、ここ最近、シャンクスは不機嫌な顔つきしかできなくなった。

ぎこちなく敬称をつけて名を呼べば、がフードと長い前髪に隠れがちになった眉を寄せる。本来呼び方に拘るようなではない。好きに呼べばいいと眼を細めて悠然と構えるのが常であるのに、彼女はシャンクスが「さん」と呼べば顔を顰めるのだ。

デッキブラシに腰掛けてひょいっと、当然のようにマストにやってきた海に名高き嘆きの魔女。その暖色の髪は現在紺のフードに隠れて見えぬが前髪はちらりと見える。真夜中であってもその赤さ、シャンクスが足もとに置いたランプの光を受けて燃えるような色をしていた。そのままがひょいっと、シャンクスの隣に降り立ち、座り込んだままのこちらの顔を見下ろすもので居心地の悪い思いがする。

何も言わずにいると、が青い目をきょとん、とさせ首を傾げ、ぼんやりと見上げてきた。

「ぼく、邪魔?」
「そんなわけ……っ」
「じゃあ笑っておくれ。シャンクス坊や、ぼくはきみが笑った顔がすきだよ」

彼女を疎むなどあるわけがない。反射的に声を上げれば、言い切る前にがすぅっと眼を細め、こちらの顔を除きこんだ。両手がシャンクスの頬に添えられる。はらり、と長い前髪が額を合わせられたと同時にシャンクスの頬にも当たった。間近になったの青い目。コツンと額が当たり、自分よりも体温の低いの肌を意識する。

「……坊やはやめてくれ」

子ども扱いされていることは明らかだ。シャンクスは唇を噛む。昔と何一つ変わっていない。この船に乗って、そしてと過ごして随分と経つというのに、シャンクスの背はをとうに追い越しているというのに、戦闘の腕も上がったというのに、倒した敵の数も増えたというのに、それでも未だには自分のことを子供のように扱う。初めてを見たのは船に乗って少し経ってのことだった。副船長が「今日から彼女の指示を聞け」とそう簡単に言って、シャンクスとバギーはを紹介された。その時シャンクスは魔女は老婆なのだと思った。分厚く薄汚れたショールを纏い、野暮ったいベールで頭をすっぽり隠した腰の曲がった魔女。露出された肌はなく、口数も少なかった。偏屈なババァだとバギーは軽口を叩き何度かデッキブラシで宙吊りにされた。

そういう日々を思い出す。それから、少ししてシャンクスはその老婆が酷く幼い少女であると知ったのだ。

「おれはもう、子供じゃない」

不満そうに呟けば、は小さく笑っただけで訂正の言葉は吐かなかった。魔女は自身の思うがままにしか振舞わないとそうレイリーさんに忠告されたことをシャンクスは思い出し、わかっているんだ、と胸中で呟きながら、胡坐をかいてを見上げる。

は昔と何一つ変わらない。その長い睫の本数も、時折入浴を手伝った際に見た背の傷も何も変わらぬまま、シャンクスだけが大人になった。己は体だけではなく心も昔よりは多少は、成長しているはずだ。それなのには子ども扱いする。そのことをシャンクスは最近よく考えるようになった。は何も、自分よりも短い時間しか生きていないから子ども扱いする、のではないのではない。精神年齢の話でもないのではない。事実は船長や副船長を子ども扱いはせぬ。

子供のように扱い「壁」を作ろうと、そういう、何か、必死さがあるのではにかと、シャンクスは最近気付いた。

「いいのか、町に行かなくて」
「夜の散歩は楽しんだし今日は星も綺麗だもの。一晩中空を見ていようかって思ったんだよ。バギーはどこにいるか知ってる?」

バギーなら後ろの方を見張ってる。そう言おうとしてシャンクスは止めた。その代わりにぐいっと、の細い腕を引っ張る。一瞬大きく目を見開いたが状況を把握するより先に、シャンクスはその唇に口付けた。掠め取るように口付け、そのままぐいっと押し倒す。頭を打たぬよう後頭部に手をまわして庇い、の顔を見下ろした。

殴ってくるかと思いきや、は驚いた顔をしそのまま目を見開いている。その顔と声が何だかシャンクスにはおかしかった。左頬、耳からゆっくりと髪に指を差し入れて梳く。上等な絹よりももっと上質なの髪が心地よい。ロジャー海賊団が人知れず静かに解散しようとしているこの昨今。それでも船は何も変わらないようにシャンクスには思えた。ケンカをすればレイリーさんに殴られるし、宴もある。それであるのに、ひっそり、ひっそりと、確かに、ロジャー海賊団は「終わって」いくのだ。

「おれはもう、子供じゃない。あんたのことを守れるし、傷つけられる」
「シャン、」

低く呟けば、が名を呼ぼうとした。その唇に指を当てて黙らせて、シャンクスはゆっくりとの青い瞳を覗き込む。驚きと、若干の恐怖で見開かれたその瞳にははっきりと、自分の姿が写っていた。赤い髪の少年、ではなくて、赤い髪の男の姿が、魔女の青い大きな瞳の中にいてシャンクスをじっと見つめ返していた。
「船長と生きられないなら、おれと生きてくれないか」

明日、は船を降ろされる。







勇気ある数秒








戦場を、コビーは駆けていた。何かがおかしい。何もかもがひっちゃかめっちゃかになったこの状況。コビーにはわからなかった。

 

(人が、人が、人があっさりと死んでいく)

 

殺されていく。事故や病で無力に死を賜るのではない。人が、自分以外の他人の暴力によって命を奪われていくのだ。この戦場、戦争が始まってからコビーは何度も、今すぐ逃げ出したいとそう思った。実際にそう駈けたこともある。そうして駈けて駈けて逃げて、路地裏で大将赤犬が、正義の「大将」が逃げた海兵に何をしたのかも見た。

 

逃げることは犯罪者の存在を許すことだと、そう頑なに言う赤犬の考えが、コビーにはわかるようでわからない。

 

いや、確かに「絶対的正義」というものはそうなのだろう。正義、という善、良心の問題ではなくて、海軍本部が、世界の海「軍」が掲げるものは「絶対的な正義」それは、容赦というものを認めぬ圧倒的なものでなければならぬ。

 

そう、コビーはこの海軍本部に来て学んだ。力の無い者を守るために、理不尽な暴力を圧倒できる力を付けて振るうもの。拳を振り上げることを躊躇うことすら許されぬ「絶対」という力は、この世界には必要なものかもしれなかった。

 

だが、コビーにはその「絶対的」というものが、正義ではなく、一つの意地のように思えるのだ。自分たちの掲げる「正しさ」以外を認めぬ、認められぬゆえに「これが正しい」と他を押し付けていくような、そうでなければ、他の正しさの可能性を許しては、それこそ、己自身が揺らぎ、それこそが彼らには途方も無い恐怖に繋がる、だからこその意地のような。いや、とコビーは首を降る。そうではない。そう、ではないのだが、何か、違う。何か、違うのだと、何が違うのか、はっきりとはわからぬのに、コビーは首を降って「違う」「違う」と繰り返す。

これは戦争だ。戦争。海軍と海賊が戦う。海賊は悪だが、コビーは海賊が何もかも悪いというわけではないことを知っている。ルフィを知っている。ルフィは悪人ではない。残虐非道な海賊でもない。だが、海兵のコビーには倒さねばならぬ敵だ。だがコビーは、その敵対する関係に対しては何の疑問も、もはや抱いていなかった。自分と、ルフィの掲げる「信念」の立ち位置の違いであると、それはもうコビーは、自身の中で理解していた。

海兵としてルフィの前に立ちはだかる時、戦う時、コビーは晴れ晴れとしているつもりだった。お互いがお互いの目指す道を進み、そしてその過程でぶつかり合うことは、清々しいではないか。コビーはガープ中将を尊敬していた。そしていつかルフィとはガープ中将と海賊王のような関係になりたいと憧れていた。

この戦場でルフィと戦おうとしたこと、コビーはそれは己の選択の一つだと消化できている。兄を救おうとしたルフィの前に自分は立ちはだかり、そしてあっさりと殴り飛ばされて気絶していた。

それは、わかっている。

たとえ、自分がルフィと戦う目的は「海兵だから」ということで、ルフィが自分と戦う状況なのは海軍を倒さねばルフィが「兄」を失う、殺されてしまう、どうしようもない事態になっているのだとしても。たとえ、コビーは、自分がルフィに負けても家族を失うわけではないとしても。ルフィが海軍に負ければ「兄」が殺されてしまうのだとしても。それでもコビーは、同じ「お互いの信念のためにぶつかり合っているのだ」と、そう思おうとした。

「……ぅ…っ、う」

唇を噛み締めながら、コビーは顔をぐしゃぐしゃにして戦場を眺める。

火拳のエースは大将赤犬によって殺された。そして白ひげも死に、今海軍による海賊追撃が開始された。この戦争は、最初から海軍に有利だったのではないかとコビーは思う。海軍は、エースさえ奪われなければよかった。その為に守りを固め、エースを奪うために前に進むしかない海賊たちを迎撃すればよかった。海賊たちは逃げることなどできず、前に進むしかない。そしてエースを殺され、海賊たちは白ひげ最後の命令を聞くために「一人でも多く生き残る」ために逃げなければならなくなった。海軍は、生き延びるために逃げる海賊を追えばよかった。

そうなら、海軍は、いつでもこの「戦争」を終わらせられるのではないのか。

(頭が痛い、心臓より、もっと心に近いところが抉られるような、そんな)

頭を抑え、コビーは膝をついた。この戦場で立ち止まることは無謀だとわかっている。それでも立っていられないほどの、何か、強い、悲しみが襲ってきた。頭の中で響いていた複数の声が段々少なくなっていく。喪失。確実に「消えて」いったのだとわかる、その抉られるような感覚は恐怖ではなく、悲しみだ。堪えきれぬほどの強い悲しみが襲い、コビーは俯く。

「お、おい、コビー!どうしたんだよ!!」
「ヘ、ヘルメッポさん……!!」

立ち止まったコビーをヘルメッポが気付き、案じてくる。立ち止まることは危険だと思われたが、海賊たちは「逃げる」ことに専念している。戦意のない海兵は見過ごされた。海兵は戦意のない海賊たちを追い殺していこうとしているのに、コビーは海賊たちのその礼儀にまた、胸が苦しくなった。

「…はぁ…はぁ……わかん、ない。悲しい…んだ…!!」
「は?悲しい!!?」

ヘルメッポが顔を顰める。コビーはそれ以上何を言うべきかわからずただ頭を抱え、そして堪えきれず嘔吐した。げほり、げほり、と、昼に食べたものを吐く。今日は戦いになるから、だからたくさん食べていけ、と、海軍本部の一般食堂の料理人たちは最後までコビーたち海兵のために食事を作ってくれた。コビーとヘルメッポは、食堂で「マリアちゃん」と呼ばれる女装した料理人と親しかった。コミと呼ばれる役職の、コビーたちより2,3年上のその青年は戦争を始めて体験することになり、ガタガタと震えていた二人の背を叩いてくれた。そして「明日もおれのメシ食ってくれよ」とそう言ってくれた。そのマリアの作ってくれた料理が、吐き出された。コビーは目に涙が浮かんできた。

(なんで、どうして、こんなに人が死んでいかなきゃならないんだ)

信念のために、自分がこうと生きると決めたそのためなら、死んでも本望だと。悔いはないと、そうコビーは思う。この戦場にいる人たちはみなそうなのかもしれない。海兵として海賊を打ち滅ぼすことが彼らの「道」だと、そう決めて、そのために死ぬのか?いや、そうなのか。本当に、今はそういう状況なのだろうか。

コビーには、今この戦争の、この状況が、わからなかった。

『ねぇ、コビーくん、ヘルメッポくん、お願いがあるの』

蹲るコビーの耳に、の声が思い出される。戦場から離れようとしたコビーは赤犬が逃亡をはかった海兵をどうするのか見た。そして逃げることもできずにいて、そして、赤犬と何かしらの関係があると思えたを追いかけて、そして、あの時、に自分は頼まれたことがあった。それを今思い出す。

『この戦争が終わったら、サカズキに、伝えて』

頼まれた。たった一言を、どうか伝えてくれと、青い目に懇願された。だがコビーは、その言葉を聞いてそういう大事なことは自分の口で言ってくれと、そう言った。は困ったように小さく笑って、そしてコビーたちと別れた。

ぶるっと、コビーは身を捩る。震えていた身体を押さえ込み頭を振った。目の前で、人が、人が死んでいく。海兵たちも死んでいく。海賊が海兵を撃った。急所は外れていた。手当てすればまだ助かる傷だった。同僚か、あるいは友人らしい海兵が気遣うように声をかけ立ち止まり、肩を貸す。だが前方で指揮をしていた中将が振り返り、叱責した。

「捨て置け!まだ戦闘中だぞ!!」

怒声と共に海兵たちが前に、前に進んでいく。ある者は片目を失い、血を流し、それでも立ち上がってまだ戦う。海賊たちも必死だ。これ以上「白ひげ海賊団」の命を奪わせはせぬと、必死だ。しかしそれ以上に必死に必死に、海兵たちが叫ぶ。

火拳のエースは死んだのに、海軍の決定どおり、死んだのに。白ひげだって死んだのに。海軍の思惑通り、一人の大海賊が、一つの時代が失われたのに、まるで士気が下がらない。寧ろ一層、まるで炎のように燃え上がり、ただ周囲を焼き尽くさねばならぬというように、激しさを増すばかりではないか。

「海賊どもを追い込め!!最後の一人まで叩き潰せ!!!!!」

中将の声が高く、高く上がる。コビーはぐっと、顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃになって、前がよく見えない。それでも人が倒れていく、大砲が撃ちつけられていく、海兵の雄たけびは聞こえた。わかった。その有様はよく見えた。

海軍と海賊のぶつかり合う最前線、その場所に立つのは海軍本部最高戦力の赤犬だ。体中を真っ赤にして、マグマを背負い、海賊たちを熔かして、熔かして、吼える。赤犬が叫ぶたび、ビリビリと大気が震えた。だがコビーは、頭の中から声が聞こえなくなる恐怖に比べれば、その怒声は堪えられた。

「海賊という、悪を許すな!!!!!」

赤犬が叫ぶ。身体中から血を流し、真っ赤になって、それ以上に赤いマグマの腕が海賊を殴り熔かす。コビーは、あの人が止まらなければ海軍は止まらないと思った。この戦争の「狂気」を承知で背負っているように思えた。圧倒的過ぎる、理不尽すぎる正義を抱えているのは、この場で最も強い「絶対的正義」を持っているのは(その時コビーの無意識下には赤犬が「持とうとしている」とうに思えたが、意識するには至らなかった)大将赤犬だと、そう思われた。







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容赦なく、鷹の目の剣がパンドラに向かい振り下ろされる。身体能力はただの人間より多少はマシ、という程度のパンドラ・。その鋭くまた素早い一閃はの豊かな胸を切り裂いた。

「……まぁ、酷い」

2、3歩、パンドラは衝撃を耐えかねて後退する。だがカツカツとヒールの小気味のよい音とボダボダと遠慮なく胸から流れていく血の音を響かせても、パンドラの顔には恐怖も苦痛も浮かんでいない。ミホークは剣を振り下ろしたままじぃっと、感情の篭らぬ目を向けた。

「わたくしを殺したいのですか」
「貴様に殺意など持つ価値もない」
「まぁ、酷い」

二度目のセリフを吐き、パンドラはころころと喉を鳴らす。笑い声は猫が上機嫌な様子に似ている。パンドラが笑えば、鷹の目が眉間に皺を寄せた。脳裏にの姿を思い出す。そしてただ無言でパンドラを見つめる。

その視線に気付かぬわけでもないが、パンドラはついっと顔を動かし、戦場の、とりわけ騒がしい場所に注目した。あの気に入らぬ男が血塗れで吼えている姿などにはどうでもいい。あの場で殺されてしまうことなどないように、とは思う。あの男を跪かせて屈辱と、そして最大の恥辱を味あわせるのはこの己だ。あんな場所で無様に死ぬようなことなど、許さない。そういう心はあるが、しかし、海兵と海賊の戦いなどには興味なかった。

それよりも面白いのは、そのはるか先に現れた潜水艦だ。現れたのはの記憶にもあった北の海のルーキー。

例の、黒髪の少年、が魔女の恩赦を与えたらしい海賊少年がその潜水艦の上空にいる。道化の奇妙な男に抱えられている。はなぜ、あの少年がの魔女の恩赦を得ているのか、その謎を解きたかった。だがよく目を凝らしてみれば今あの少年には魔女の恩赦の気配が消えている。が殺されたからか、と一瞬思うが、しかしそれでも余韻は残っているはずだ。あの少年はインペルダウンで魔女の恩赦の気配を見せた。だが、今はそんなものは最初からもっていなかったように思える。

じぃっと、パンドラは少年を凝視した。その間も胸からはとめどなく血が溢れ出すが、どうということもない。目の前の無礼な男はこちらの出方を待っている。魔女との戦いを心得ている様子が忌々しい。この男はノアの存在を知っているのだ。

パンドラは胸の斬られた箇所をぐっと押さえ止血した。冬の茨を伝わせて縫い上げる。もちろん己とて痛みはある。だがかつて虐げられた際の痛みに比べればこの男の剣は真っ直ぐすぎる。相手に苦痛を味合わせるための斬り方ではない。

「ホホホ、遊びすぎはいけませんよ。パンドラさん」
「まぁ、ラフィット。わたくしから悪戯心を取ったら残るのは気品だけですよ」
「残忍さと傲慢さ、それと性格の悪さも残ると思いますのでご安心ください」

海上では潜水艦と軍艦のやりとりが行われている。はあの少年の行方を最後まで眺めたかった。だが後ろに待たせていたラフィットがついに口を挟む。

黒ひげのもとへ向かう途中だったパンドラは上空から地上を眺め鷹の目、が割りと懐いていたように思える男を発見し、殺しておこうとそう思って近づいた。しかし、その男はの死を察知していなかった。パンドラは、を愛した男なら何においてもを想うのではないかと、そう思っていた。だが、この男は以上に思うものがある。それは、恐らくはこの男、剣士というから、そうなのだろう。己自身の剣の道。その途中に挑み来る者のことをこの剣士は考えているのだ。それは高潔と呼べるのかもしれない。だがはそうと気付いた途端、この男への深い興味を失った。

「敵に背を向けるのか」

ラフィットの差し出す手を取り、背を向けたパンドラに再び鷹の目が剣を突きつける。パンドラは眉を跳ねさせ、不快そうに眼を細めた。

「あなたがこのわたくしの敵?無礼な!わたくしが敵と認めてさしあげるのは愛しいリリスを手にかけた、あの大将閣下だけですよ」






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げほげほと、ピアは咽ながら喉を押さえた。ぱっと、突然手が放される。何も慈悲をかけられてのことではないとはわかりきったことだ。霞んだ視界を2、3度擦って顔を上げれば、先ほどまで自分の首を絞めていた男がニヤニヤと笑いながら、ピアの伯父と対峙していた。

「お〜ぉ、お〜…いやァ、悪いんだけどねェ、お〜。すまないンだけどねェ、わっしの可愛い姪っ子に酷いことをするのは止めてもらえないかねェ〜」
「フッフッフッフッフ、おいおい、大将ともあろう者が魔女を庇うのか?」
「ピアくんは“詩人”でねェ〜、その辺のゴミみてェな魔女と一緒にしちゃァいけないよねェ〜」

間延びした、しかし油断ならぬ気配をさせる黄猿をドフラミンゴは面白そうに眺め、そして口の端を吊り上げる。先ほどまで感情を揺らしていた男も、一時すれば即座に到来の狡猾さを取り戻すというもの。ピアは呼吸を整えながら生理的に浮かんだ涙を拭い、この状況を把握する。

海上にはトラファルガー・ローの潜水艦が現れた。海軍の戦力は黒ひげと海賊討伐の二手に分かれている。赤犬が戦闘の最前線に立ちマグマの圧倒的な熱量でもって戦場をさらに惨状にしていた。

が、あの魔女が死んだってんなら、ピアくんの手配うんぬんの事情もちょっぴり変わってしまうからねェ」
「魔女の死がわかるのですか、おじさま」
「わっしは魔女とのつながりなんてないけどね。サカズキがあぁなっているんだ。何かあったと考える方がわっしは納得できるよ」

ちらり、とボルサリーノは戦場の赤犬を眺める。真っ赤に、真っ赤に真っ赤になってそれでも絶対的正義を吼える姿は「赤犬らしい」というものか。しかし長年付き合いのあるボルサリーノにはわかる。ボルサリーノは、別段がどうなったかという確信や予感があるわけではない。のことなど興味もない。だがサカズキとは付き合いもあり、知ることも多い。サカズキの変化なら、ボルサリーノはよくわかった。

ボルサリーノはひょいっと、ピアを抱き上げた。こうして伯父に抱き上げられるのはどれくらいぶりだろうか、とピアが目を見開く。

「おじさま、」
「ねェ、不思議だよねェ、ピアくん。わっしにはね、今のサカズキは泣いているように見えるんだよ。本人はそんなこと知らないし気付きもしない。絶対的正義に揺らぎはないし、疑問もないし、恥もない。今の彼はまさに「海軍本部大将赤犬」なんだろう。素敵だよね、彼は強いよね。でもね、ピアくん」

と、そこでボルサリーノは言葉を区切り、サングラスの奥の目を細めた。笑い顔ではない。珍しいことに口元からさえ笑みが消えた。ピアは同じように赤犬に顔を向け、その赤々とした様子を、有様を見つめる。

なぜ、あんなにもあの人は乾いているのだろう。
目的は果たせただろう。エースは死し、白ひげも死んだ。白ひげ海賊団も大量の戦力を失い、世に海軍の「正義」と「力」を付き付けた。

それであるのに、ピアは、今のその、吼える、真っ赤になってマグマを背負い、後ろに勇ましい海兵たちを背負い、一切の容赦なく海賊という悪を撃ち滅ぼすその正義の大将の、その姿が。

を失った彼は「大将赤犬」以外にはなれないんだろうね」

海兵として勇ましく雄々しいはずのその姿が、なぜこんなに苦しそうに見えるのだろう。

ぎゅっとピアは胸を押さえた。己に人を同情するような心の持ち合わせはない。だがしかし、とサカズキ、魔女と大将のそのことは、ピアやキキョウ、そしてトカゲには自分自身の人生よりも興味があり、意味があることだったように思える。

(御伽噺はハッピーエンドがお決まりで、お姫さまは幸せになるものだ。だが魔女は、焼かれ死ぬ結末以上のものは殆どない)

「……」

ピアは目を伏せ、そしてゆっくりと開く。ドフラミンゴはもうこちらへの興味を失ったか姿を消していた。あの男ほど何を考えているのかわからぬものはいない。が死んだ。ならなおのこと、あの男から人間らしさが失われるようにピアには思われた。の存在は巨大だったのか、とそのような問答をピアはするつもりはない。ただ、長く人と関わったのだ。影響を与えられぬわけがない。たとえばがあの美しさをもっていなくても、あの性格でなくとも、同じだけドフラミンゴや赤犬の傍にい続けたら、やはり今と同じほどに何かしらの影響を与えたのではないか。

それほど、は彼らの傍にい続けたのだ。逃げもせず、ただ、いつづけた。その価値と覚悟をピアは考える。そしてスタスタと歩いている伯父の顔を見上げて口を開いた。

「おじさま」
「うん?なんだい、ピアくん」
「トラファルガー・ローが来てますよね」
「そうだねェ〜、シャボンディでは逃げてくれてねェ〜、おかげで天竜人が怒ってるんだよねェ〜」

もちろん伯父は攻撃するつもりなのだろう。麦わらのルフィは潜水艦の上空にいる。今はあの道化のバギーという面白海賊(失礼)が「どこの馬の骨だ!」とルフィを渡すことを拒んでいるが、潜水艦で逃げられては海軍には分が悪い。

ピアの言葉にボルサリーノは頷いて、そしてピアに怪我がないことを確認すると手ごろな地面に下ろした。

「わっしは、ピアくんが海賊の味方をするならここで殺してしまうよ」

キッドのお頭にはよく「わたし、トラファルガー・ローのお嫁さんになります」と宣言しているが、何も本気というわけでもない。できればかなり近くで見てあの隈やらなにやらをじっくり観察、可能なら写生までさせていただきたいところだが、シェイク・S・ピア、妙なところで常識がある。

トカゲ中佐は海軍と敵対、パンドラ妃は黒ひげ一味の仲間入りとそれぞれ立ち位置を決めている。詩人、シェイク・S・ピアの立ち位置は最初から決まっている。

「もちろんわかっていますよ。おじさま。トラファルガー・ローは素敵ですが、おじさまより素敵な殿方なんてこの世にいる可能性も見出せません」

はっきりと宣言すれば、ボルサリーノはいつもの本気で笑っているのかまるでわからぬにこにことした顔をして、ピアの頭を撫でた。






+++






いっそ出鱈目に振り下ろされていればまだ避けようもあったろうに、大規模に計算されたマグマの攻撃はトカゲすら何度かひやりとさせた。生憎トカゲはウンケの屋敷蛇である程度の回復は可能だが、他の海賊らはそうではなかろう。白ひげ海賊団の名立たる隊長どのやら戦闘員らがマグマに焼けどし、あるいは飲まれ焼けていく。クロコダイルは無事か、と案じる心なんぞトカゲにはないが、しかしトカゲの丁度隣にいるマルコのことは気になった。

「卿も炎か」
「燃やすような能力じゃねェよい」

青い炎。不死鳥という中々「え、それもアリか!!」と突っ込みを入れたくなるような能力。もちろんトカゲは初見だ。元の世界で白ひげと付き合いはあったがマルコとはない。青い炎。不死鳥の再生能力を持つというマルコは先ほどからどんなに怪我を負っても即座に治していた。速度はウンケの屋敷蛇よりも早い。だが細胞分裂の回数には限りがあるとか、そんな話をトカゲは聞いた覚えがある。悪魔の実の能力は何も「魔法☆」というわけでもなかろう。科学で解明できるものがある。それならこの男の「不死鳥の再生能力」も何らかの現実味があるに違いない。

「なんだ、燃やすことはできないのか。青い炎の方が赤より熱いのかなァと実験しようと思ったが、燃やせないのか」

エースには「わしらの能力は上下関係に〜」と堂々としたおれ様発言した大将閣下だ。この貫禄のある一番隊隊長殿とならどちらが上かと、そういうのはしてくれないかと期待した。言えばマルコが顔を引き攣らせる。この緊迫した状況でなければ突っ込みでひっぱたかれたかもしれない。だが今は白ひげ海賊団を背負う立場にいるだろう一番隊の隊長どの。白ひげの息子どの。そんな戯言に付き合う間もないとばかりに顔を真面目にし、赤犬に向かっていった。

その背を眺め、トカゲは片目を細める。から聞いた話によれば、黒達磨は四番隊の隊長を殺して船から逃げたそうだ。二番隊隊長は長く欠番、三番対のジョズと親しいマルコ、それなら四番隊の隊長どのとも親しかったのではないか。いや、白ひげ海賊団は皆親しいとはわかっているが、特別親しい間柄であった可能性をトカゲは思うのだ。

(最初にサッチ、次にエース、そして白ひげを失った)

マルコの能力は「再生能力」だ。あの男はどんな傷でも再生する。その地獄を、だれぞ知るものはいるのだろうか。かつてマルコはに懸想した黒歴史があるらしい。だが、その能力を考えれば無理もない話だったのではないかとトカゲは思った。海賊の死因は戦闘によるものが殆どだろう。そうして仲間が死んでいく。死なずとも怪我をして苦しんでいく。それであるのに、マルコには、不死鳥の能力を手に入れたマルコには、その苦しみがない。苦しめぬことを苦しむ心は、贅沢なのだろうか。それがわかるのは、同じように「怪我をしても治るから」と開き直ったあの魔女くらいではないか。

エースは赤犬に腹を突かれ焼かれて死んだ。マルコは「あれが自分なら誰も死なかった」とほんの一瞬でも考えずにいられるのか。怪我をしても治る。並のことでは死なない。マルコは命を粗末にしているわけではない。命の尊さと価値を知っているのだろう。だからこそ、再生する自分が代わりになっていれば、誰も死ななかったと、そう。今は思わずとも、これから時折、ふと、思わずに生きていけるのだろうか。

ぐらり、と大地が揺れる。黒達磨がはしゃいでいらっしゃるようで胸糞悪い。海を見ればトラファルガー・ローがバギーに何か叫んでいた。ルフィを渡せとそういうことだろう。バギーは最初は拒んでいたが、しかしいつのまにかその背後に黄猿が周っていた。

「置いていきなよォ〜、麦わらのルフィをさァ〜」

黄猿の、ホラーかと突っ込みたくなるような登場に、バギーの顔が恐怖というか、なんとも情けない顔になった。つくづくあの男は面白いとトカゲは戦いそっちのけで笑い、隙だと思ったかこちらに剣を振り下ろす海兵の攻撃を銃身で防ぎ、ついでとばかりに蹴り倒した。そのままぐいっと海兵の身体を踏みつける。ピンヒールをもう少し鋭利な感じにしようかとその時ふと後悔した。

「よし!任せたぞ馬の骨ども!!!せいぜい頑張りやがれ!」

バギーはこれ以上ルフィを持っていれば自分が死ぬ、と即座の判断。ぱっとジンベエとルフィを手放し潜水艦の方へ放る。そのまま落下して海に落ちればそれはそれで赤犬も手出しできないが、潜水艦に乗った大きな男がそれを上手く受け止めた。

ハートの海賊団一味はそのまま艦内に逃げようとするが黄猿がそれを許すわけもない。追撃に、と光が黄猿の指先に集束していく。いくら億越えのルーキーといえど黄猿はまだステージ違いだ。どうなる、とトカゲは眼を細めて見守った。

その、途端。

「そこまでだァアアアア!!!!!!!!」

荒れに、荒れたその戦場に、悲痛で喉が潰れたような、しかしはっきりとした声が響き渡った。

「……は?」

その大声はトカゲの真後ろから、つまりは海兵と海賊の戦う丁度境目、大将赤犬が能力を振るう最も過酷な場所である。振り返れば、泥で汚れた海兵服に、薄紫の頭が見えた。小さな海兵が、その体と比較すれば山のようにも思える体躯の、大将赤犬に向かい、両手を広げて立ちふさがっているではないか。

トカゲも覚えがある。コビーだ。

戦場がほんの一瞬、停止した。この戦争を「止める」声は始めての事。そしてそれを叫んだのがもう目的のない海賊ではなく、まだ「海賊を根絶やしにする」という目的のあるはずの、海兵の人間であった。そのことが戦場にほんの数秒の「困惑」を流す。

「もう、もう…止めましょうよ…!もうこれ以上戦うの、止めましょうよ!!!!」

コビーの背を見る海賊たちは、なぜ海兵が己の前に立ち、大将赤犬を「止めよう」としているのか、それがわからぬ顔をした。マルコでさえ、なにが起きているのかわからぬようで、眉間に皺を寄せている。

その数秒の「困惑」による沈黙を必死に生かそうとか、それとも必死さゆえの無意識か、コビーが叫ぶ。赤犬を前にして、ただの海兵が直立できるはずもない。恐怖でガタガタと体を震わせ、そして、涙と鼻水、それと自身の血で汚れた顔をくしゃくしゃにしながら、さらに涙を流している。その様子、その顔。

「目的はもう果たしてるのに…!!戦意のない海賊を追いかけて…!!!止められる戦いに欲をかいて…!!!!今手当てすれば助かる兵士を見捨てて、その上まだ犠牲者を増やすなんて…!!!!!!今から倒れていく兵士たちは…!!!まるで…バカじゃないですか!!!!!!?」

その必死さ。その、必死さは悲痛なものだ。コビーはここで失われる「命」の価値をわかっている。彼らは海兵、海賊立場は違えど命は同じ。そして海兵。「殉死も厭わぬ」というその志はコビーにも理解できよう。だが、わからぬのだ。なぜ、目的を果たしたのに。もう、エースも白ひげも死んだのに。なぜ、まだ戦って、死ななければならないのか。その死に何の意味があるのか、わからぬのだ。

「…あァ!?誰じゃい、貴様ァ…!」

立ちふさがれ、叫ばれても赤犬にその訴えが聞き届けられるわけもない。現れた海兵を見下ろし、ただ「邪魔をする者」だとその目は判断する。トカゲは鼻を鳴らした。まぁ、そうだろう。あの男は「悪を許すな」とそう叫んだ。ここで海兵が何人死のうと、海賊を根絶やしに出来るのなら、あの男は、自分の命すら失われて構わぬという考えだ。

トカゲはそのどちらが間違っている、というつもりはない。赤犬のあの意地のような正義は張り飛ばしてやりたいが、海兵は、絶対的正義を掲げる海兵は、ここで海賊を根絶やしにすると、その心だろう。それは人それぞれの考え。コビーの優しさが悪いわけでもないが、それだけが正しい、というわけでもなかろう。

「……数秒を無駄にした。正しくもない兵は海軍にゃいらん」

コビーの一通りの主張が終わり、その内容を聞き流したわけでもないのだろう。赤犬はきちんと聞き、そして判断した。低く呟き、ボコボコと右腕をマグマに変化させる。

海兵相手であろうとも容赦せぬのか。

この結果が予想できなかったわけではなかろうが、しかし、コビーは叫び恐怖しながら逃げなかった。赤犬の拳が振り上げられ、少年の顔は恐怖で引き攣りながらも、足は逃げていなかった。

叫んだその言葉と行動に食いはない、という、その態度。

ドン、と、大気が軋んだ。

「…………ぉいおい…そういう展開か?」

赤犬がコビーを「殺したら」トカゲはそのままラスト2となる弾丸を放とうとしていた。だがしかし、ドン、とその大気の軋む音。赤犬の振り上げたマグマの拳を一本の剣が受け止めた、その結果の音。

戦場に新たな動揺が走った。

攻撃を止められた赤犬でさえ、目を見開き驚愕している。

「……よくやった、若い海兵」

どさり、とコビーが泡を吹いて倒れた。自分が攻撃を受けなかったことを理解するまえに気絶したのだろう。そのコビーの後ろに立ち、低い声で第三の男が呟く。

「お前が命を懸けて生み出した勇気ある数秒は、良くか悪くか、たった今世界の運命を大きく変えた…!!!」

海上ではトラファルガー・ローの海賊船にルフィが収容されていく。バタバタと戦場離脱の準備を始める潜水艦に黄猿が攻撃をしかけようと指を差し出す。が、その左斜め背後、船のマストにいつのまにか銃を構えた男が座り込んでいる。

「何もするな、黄猿…!!!」
「……おォ〜っ、とっと、ベン・ベックマン…!」

砲撃や銃、炎によって立ち込める煙が晴れ、正義の門の前に姿を現した巨大な船に海兵たちがどよめいた。なぜ、なぜあの船がここにいるのだと、そのような驚き。

三つ傷のドクロに二本の剣の旗印。

気絶したコビーの脇に落ちていた麦わら帽子を拾い上げ、赤髪のシャンクスが、赤犬の前に堂々と立っていた。

「この戦争を終わらせに来た」




Fin

 




悩んで結局UPしたという体たらく…!

(2010/07/01 22:31)