纏う色は赤と黒と単調だが、その服装、細部にわたっての女の拘りがあるのをクロコダイルは見てとれた。先ほどまでさんざんあれこれ身につけて一人ファッションショーをしていたトカゲが、最後に選んだ服は(まるで最初からそれを着ようと決めていたように、それまでの全てが茶番のように)よく似合っていると思った。
クロコダイルは、てっきりトカゲがこれから纏う服は、先ほどまでのズタぼろであちこち肌の露出した服のような、品のない、娼婦じみた薄着なのだろうと考えていた。肌を覆う布の面積よりも露出した部分が多いだろう、そういった服装をこの女は好んでいるように、そう思えたのだ。
だがしかし、今目の前で身支度を整え、立っている女の装いは、クロコダイルの予想に反している。
色は赤だ。目にも鮮やかな紅、真紅。腰元から幾連にもヒダのあるナイトドレスである。重なりあうレースは黒。どれもが目を凝らせば薔薇を模ったものであるのが解る手の込みよう。ロングスカートには動きやすいようにとスリットが入っているものの、大胆な、というほどでもない。どこまでも“上品な”夜会用のドレスであった。
「ワルツでも踊る気か?」
身支度を終えたクロコダイルは葉巻を口にくわえ、からかうような口ぶりでトカゲを見つめる。似合いすぎている。普段、露出狂一歩手前のような格好ばかりの女だったが、このように、しっかりとした装いをしていれば世界貴族の令嬢とて裸足で逃げだすに違いない気品があった。
「香水は硝煙、ガラスの靴の代わりに鉄のピンヒール、それでもおれは美しいのさ」
ふん、とトカゲは鼻を鳴らし用意していた帽子をかぶった。白いファーのついた帽子は、形こそ違うものの、クロコダイル、そういえば以前手配書でみた元海兵の海賊が、こんなタイプの帽子をかぶっていたことを思い出す。この女とあの元海兵の関係は思い当たることがなかったが、しかしリノハとあの元海兵は尋常ではない関係であった。それを思い出せば、この女とてあの男とは無関係ではないような気がして、自然言葉が口から出る。
「感傷か?くだらねぇ」
「意味のある装いだよ。このおれとて、命をかけることもある」
「?どういうことだ」
「魔女にはそれぞれ守護色、守護石、守護花がある。身に付ければ多少なりとも力が増殖するんだよ」
魔女についてクロコダイルはあまり知っているわけではないが、しかし知らないわけでもなかった。リノハが、あの魔女が薔薇をいつも着け、黒か赤の服を好んでいたのにはそういう意味があったらしい。なるほど、と合点がいき、トカゲに視線を戻すと、先ほどまでニヤニヤと笑みを引いていた女、やおら、無表情になってじっと、どこか遠くを見ている。己が無視されていることは別段構わないのだが、何かその目が、よくない予兆を感じ取っているように思われ、クロコダイルはトカゲの腕を引いて抱き寄せた。
すっぽりと、トカゲの体がクロコダイルの腕に収まる前に、トカゲの銃口がクロコダイルの額に押しあてられる。
「卿はリノハが好きか。砂の王」
「そんなくだらねぇ感情をあの魔女に向けた覚えは一度もねぇな」
「あの子を助けてくれるか」
即答はしなかった。クロコダイルはトカゲの瞳を見つめ、その真意を探ろうとしたがこの魔女の目には何もない。先ほどまで、己の美醜について語った時、クトコダイルはまだ多少なりともこの女が人間に思えたのだが、今はそうではなくなっている。これが、魔女の色や花、石を身につけるということなのか、それはクロコダイルの知るところではない。
「助けられるように出来ているのか」
少しの間を置いてから、クロダイルは答えではない問いを口に出した。ぴくり、と、トカゲの柳眉が揺れる。帽子に隠れがちになりながらも、その意思の強さをあらわす弓なりの眉は美しい姿を表していた。
揺れ動いたのは動揺だったのか?クロコダイルは判断がつかず、しかし一瞬、確かにトカゲの瞳が陰ったことを認めた。
山紫水明
「ずっと昔、あの子と話したことがあるの」
密航している、という自覚はないのか、パンドラ・リシュファ、悠々と湯船につかり船旅を快適に過ごす。インペルダウンへ向かう航海の中、長年の埃を取りたいからと湯浴みを所望したまではよかった。
しかし、湯の上に薔薇の花弁がないだの湯が温いだの散々、用意したオーガをののしって、やっと落ち着いたのはティーチが仲介に入ったからだ。でなければ今頃まだ彼女の文句は続いていただろう。
なぜ自分が、この女性の身の周りの世話をしなければならないのかとオーガはため息を吐きたくなる。それも日頃の行い、巡り合わせなのだとあきらめるには、彼女は厄介だった。
しかし普通に考えて、黒ひげ海賊団に、女性の世話ができる者は自分以外にはいないという自覚もある。やったら倒れる船医はもとより、バージェスはこの女性の毒舌に一秒とて持たず乱闘になるだろうし、ラフィットに任せれば狂人同士、きっと一瞬で船が沈む。
ならばやはり消去法で自分しかいないのかと、オーガは眉を寄せた。
ぱしゃん、と湯をはねさせて、男の前で恥じらうことも見せず、堂々と湯船につかっているパンドラを見つめる。
美しいひとである。何もかもを捨てても彼女を崇めたくなるという魅力を持った女性。神々の贈り物の名を持つにふさわしい、絶世の美女。どんな生き物も、この女性を見て「美しい」と感じずにはいられないだろう。オーガとて、彼女をそのように思う。
「あの子とは?」
「いやね。決まっているでしょう?わたくしの妹です」
「生憎と、我が船長ほどに魔女どのの知識はないので」
「そうなの。存外、役に立たないのね。世話役なら満足に話しくらいできるって思っていましたよ」
オーガはモノクロを上げるだけに感情を留めた。自分がどれほど射撃の腕がすぐれているのか語り、役立たずではないことを知らせても、この女性には何の意味もないのだろう。
そんなオーガの気遣いなど知らぬ様子で、パンドラは長い脚を湯の中で組み替えて、歌うように続ける。
「そう、えぇ、そうなの。わたくし、あの子と話したのよ。もうずっと昔だけれど、一緒に、話したの」
「何をです」
「決まっているじゃない。王子さまの話ですよ。ほかに何を?」
どうしてそんなにくだらないことを聞くのか、というようにパンドラは眉を寄せた。オーガは辛抱強くうなづいて、続きを促す。促さずとも彼女は続けるだろうが、礼儀を示したような流れにはなって欲しかった。
「話し合ったの。そうよ、あの子の“王子さま”について。そういう方がいないのはわかってたの。でも、想像するだけなら自由じゃなくて?」
パンドラの声が弾んだ。王子さま、王子、理想の男性の話、か。若い娘にはありがちな話題である。魔女たちといえどそういう心があったのかとさめざめ思いながら、じっと耳をすませた。
「あの子は夢を見るような瞳で教えてくれたわ。あの子の王子さまはね、とても背が高くて、金髪で、とてもとても優しいの。あの子に向かって振りあげられた手を払ってくれる。礼儀正しくて、もの静かで辛抱強くて、突然大きな音を出してあの子を驚かせたりしないし、あの子が恐ろしいと思うようなことは何もしないの。あの子を理解してくれて、あの子がして欲しいことはなんだってしてくれる」
オーガの口に皮肉めいた笑みが浮かんだ。いかにも少女の考えそうなことである。それはどこぞの騎士か奴隷ではないのか。
「そして、最後が一番肝心よ。その人は、あの子をけして傷つけたりはしないの」
途端、パンドラの声になにか低い、暗いものが混じっていた。オーガは目を細めて、湯船に沈む女の肩を見つめる。同時にオーガは、この20年間、リノハの非保護者となっていた大将赤犬を思い出す。まず金髪ではないし、優しさなどあるような男には見えなかった。どちらかと言えば、あの男がリノハを傷つけているのだから、“理想の王子さま”にはなりえなかったのだろう。
「わたくし、あの子には安心してほしかった。わかるでしょう?わたくしたちの庭は踏み荒らされて、鍵はいつも破壊されたわ。その度に強く打たれて、わたくしもあの子も、真赤に染まってしまったの。もちろん、彼らは報いを受けたのだけれど」
パンドラの目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。心ここにあらず。しかし、はっきりとした声である。オーガはぞくり、と身を震わせた。彼女は狂人であることは知っている。精神を病んでいる。だが、先ほどまでオーガはそれほどその事実を深刻には受け止めていなかった。どこかわがままなところのある女性だが、しかし、それだけの厄介さだと、そう盲信していた。
「覚えもないのに怒鳴られる気持ちって、あなた、おわかりになる?」
「あまりないな。それに私は男だから、そういうのが恐ろしいとは思わない」
「そうね、殿方はいいわね。でも、とても怖いの。大きな声を自分に向けられると、実際に殴られているよりもとても、とても恐ろしいのよ。だって、ほら、これからどんなひどい目にあうのかって、想像してしまうでしょう?」
オーガは、何を言えばいいのかわからなかった。彼女の、パンドラ・リシュファのことを彼はほとんど知らない。リノハ、あの海の魔女のことならば多少は知っているし、面識もあった。オーガの知る海の魔女、リノハはどこまでも幼い子供だった。天真爛漫、という言葉が似合うような、明るく、無邪気な様子だった。おそらく、巨大な力を持っていれば何も恐ろしくはないからだろうとそう考えていた。だが、今目の前にいる女性は、リノハよりも巨大な力を持ちながら、カタカタと体を震わせている。見れば、湯船から上がり、淵に腰かけている。
立ち上がって、オーガはパンドラの肩にバスローブをかけた。そこではっと、目を見開く。
「これは?」
「見てのとおりですよ」
にこり、と、狂女の目が歪んだ。オーガは顔をしかめてそっと、その背から目をそらす。後ろに回った時、あらわになった女性の背中。400年の眠りでも癒えることのなかった、背中一面に、鞭の痕。細い鞭をつかえば、このような跡にはならない。家畜に使うもののような太い鞭で何度も打ちのめされたに違いなかった。
「着替えはどこかしら、わたくし、着るなら青いドレスと決めているわ。花は赤いリコリスよ。宝石はサファイアを用意してくださいね」
驚きに動けぬオーガを放っておいて、パンドラは静かに告げた。
◇
階段を駆け上がりながら、トカゲ、前を行く三人を眺めた。何やらイワンコフは仲間への決起集会のようなものを開いていたようだが、あれは置いてきて良いのか?
しかし、まぁ目の前にいる三人が三人、己の目的のために猪突猛進。いっそすがすがしいとトカゲは口元に笑みを引いた。
走る、走る、トカゲはドレスのすそを持ち上げて駆けた。走り辛い格好だが、仕方がない。トカゲはリノハと分かれる間際、告げられた言葉を思い出した。
(ねぇ、トカゲ)
(なんだ)
(ルフィくんを守ってね)
(おれが何かせずとも、あの子供はそう簡単に殺される器ではないさ)
(パンドラから守ってね)
リノハはそれ以上は語らなかった。だが、そういうことらしい。パンドラ・リシュファが目覚める。そしてルフィの前に現れると、そうリノハは言った。いや、違う。ここに、あの女が来るとだけ言っただけで、ルフィと邂逅するかどうかとは明言していない。
あの女がここに来る。その理由、トカゲにはわからないようで、しかし、思い当たらないわけでもなかった。
このインペルダウンには、王国の遺産が眠っている。先日イナズマに問われた“門”のことだ。リノハや己が使用した井戸ではない。門、ゲート、箱庭と、様々な呼び方がされている。正確な名称はトカゲも知らなかった。リノハとここへ来た時にさっと目を通した魔女の地図で、その存在を知ったにすぎない。
あの門を、パンドラがどうこうしようとしているのだろうか。
(古代兵器復活のほうがまだマシだな)
さめざめ思い、トカゲは息を吐く。
あの女がここへ来るのなら、己は、できうる限りの準備をしなければならない。この装いも、そのためだ。先ほどクロコダイルに行った言葉に嘘はない。魔女にはそれぞれ、色や花、石がある。それらを備えて、魔女の正装とも言えた。トカゲは銃についたルビーに口づける。
リノハは、今頃どうしているのだろう。
海軍本部に戻っただろうという見当は付いている。だが、そのあと、どこへ行ったのか、が問題だった。リノハは何かをしようとしている。目的はただひとつだ。パンドラ・リシュファを殺すこと。それはわかり切っている。だが、どうやって、か、と、それが問題だった。
「今、朝十時前。処刑は午後三時だ」
不意に、ジンベエの声がしたのでトカゲの意識は呼び戻された。階段を上がりながら、魚人の男が状況の確認。
「その時刻になれば処刑は必ず執行される。白ヒゲのオヤジさんが来るとすれば、その何時間も前に仕掛けるハズ」
「エースはもう海の上、戦いはいつ始まってもおかしくはねぇな」
言葉の後半はクロコダイルが引き継いだ。トカゲと同じように、イワンコフのねぐらで衣服を整え、今は黒いコートと黒のシャツ、パンツに身を包んだ偉丈夫である。指にしっかり指輪をはめているあたり、トカゲは「このおしゃれ泥棒め☆」とでもからかってやりたかったのだが、その時はなんだかちょっと、真剣に怒られそうな気がするのでやめておいた。
「三時まで殺されることはねぇってことだろ!?とにかく!!まだまだチャンスはあるってことじゃねぇか!!」
同じく走りながら、ルフィの言葉。なるほど、とトカゲは頷いた。そういう考え方も、ある。政府は、たとえ4時間前なら白ヒゲが来なくて安全!な状況でもエースを殺したりはしないのだ。彼らの宣言通りの時間、宣言通りの場所で命を奪う。それでこその正義なのである。
ルフィがその、正義のくだらぬやりとりを承知のはずはないが、確かに、前向きに考えればその通りだった。
好ましい、と口の中で呟いてトカゲは目を細める。魔女に、こういった考えはない。本当に、リノハの王子さまがルフィであればよかったのにと、心から思い、トカゲはクロコダイルの背に顔をぶつけた。
「!!突然止まるな!」
「ふん。扉なんざ無意味。この右手は乾きを与える」
見れば、目の前に扉が立ちはだかっていた。トカゲは蹴り飛ばせば開けられるかと、非効率なことを考えたが、その前にクロコダイルが右手を翳す。
この砂の王の能力。スナスナの実は、体を砂に変化させて操る砂人間となる。右の掌はあらゆる水分を吸収し、手が触れると人や草木は干からびる。岩や大地は砂に戻るのだ。
自然系の中でも、リノハいわく「格好いい」能力だった。トカゲも、ドレークが恐竜ではなくて砂の能力者だったら、それはそれで夜の生活がいっそう楽しめたと、鬼畜なことを考えたことがある。$まぁ、それはどうでもいいとして。
大破した扉、砂となって崩れ落ちながら、トカゲは嫌そうな顔をした。
「確か、この先はレベル4の灼熱地獄だったか……おれは暑いのが苦手なんだがな」
ふう、とため息を吐けば、魚人のジンベエも賛同したように溜息を吐いた。
この場所から来るという予想は立っていたのだろう。それぞれ銃やら三つ鋒を手に持って構える獄卒たち。
『レベル6より逃れた囚人、七武海ジンベエ、侵入者モンキー・D・ルフィ、元七武海クロコダイル、元海兵のトカゲ中佐、現れました!応戦します!!』
そんな拡大音声が聞こえるやいなや、トカゲの隣のクロコダイルが真っ先に打たれたが、どうせ打つなら海楼石の弾頭を使えと、トカゲはあきれるばかりである。予想通り、まるで聞かぬ砂の身。にやりと顔をゆがめてから、砂の刀でもって相手を貫いた。と言って、両断する下品な攻撃ではない。体に触れた砂が容赦なく対峙する相手の水分を奪いとり干からびていく。
クロコダイルの一撃を皮切りに、こちらへの攻撃が開始した。同時にルフィたちも応戦する。乱闘騒ぎ、獄卒ら、まさかルーキーと七武海らにかなうとは思っていないらしかった。それでも、応援が来るまでなんとか引きとどめようとしている。その姿勢。どう考えても、大乱闘になること間違いない。さすがにこの状況でのんびり傍観しているつもりなく、斬りかかってきた獄卒の頭を掴み、乱暴に壁に叩きつけて沈黙させてから、トカゲはふと腿のホルダーから二丁銃を抜き取って手に握った。
「おい、砂の王」
「……なんだ」
葉巻を吹かしながら、嫌そうに振り返る。トカゲは首を傾けて笑みを引いた。
「おれを守れよ」
「テメェも干からびてぇのか」
「子女の頼みをつれなく無碍にするんじゃあない。男だろう?それとも、クロ子さん女性疑惑を濃厚にさせたいのか」
「……良い度胸だ、ツラを貸せ、そのおきれいな顔から水分を奪いつくしてやる」
「馬鹿を言うな。このおれがしわがれた老婆の姿になったら、世界の損失だぞ」
クロコダイルの目がものすごく鬱陶しそうに歪んだのを見て、トカゲは片方しかない目をころころと笑わせた。表情こそ変わらないが、その目、「どさくさにまぎれて始末してやろうか」と如実語っている。サー・クロコダイル。砂の王。アラバスタに妙なことを仕掛けて失敗したが、頭の悪い男ではない。トカゲを睨みながらも、その真意を探ろうとはしてくれる。
そしてフン、と鼻を鳴らし、クロコダイルがまた砂の刃で獄卒たちを切った。どさり、と倒れる音を聞きながら、トカゲはそのあとについていく。
ところで、バギーと3はどうなったのだろうか。
Fin
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