傍にいたキャンディズがまた一人倒れた。踏み込めてトカゲ、銃に弾を込めていく。
その間にも殴りかかってきた看守を一人蹴り飛ばし、前に、前に進んでいく。人の悲鳴、轟音、罵声、怒声、様々なものが聞こえた。そう言えば、こういった騒動に身を投じるのは何百年ぶりだっただろうか。
この800年ほどはただ傍観してきたのみの己にとって、硝煙の匂いの漂うこの環境は、久しい、懐かしい故郷のような、そんな面持ちがあった。地平線こそ異なれぞど、それでもこの世界の音色はトカゲのもといた世界と同じ。響き合う、悲鳴や悲劇はその身を程よく、慄かせた。何百年と生きていて、いや、生きていたからこそに、魔女には争いごとが恐ろしい。人が人を殺していく。正気ゆえの熱意なのか狂気故の犯行なのかわからぬような、冗談のような殺し合い。この己でこうなのだから、今頃はどうなのか。ふとそんなことを考えた。今頃一人で震えておらぬか、そんなことを思わされた。
(感傷か?ふふ、くだらない)
低く喉を震わせて笑っていると、傍らのクロコダイルがちらりとこちらに視線を向けてきた。
「何だ?」
冗談や嫌味ではなかった。いかに海軍本部中佐としては十分な実力を持ったトカゲといえど、基本的な身体能力だけでは、この地獄の釜の底、インペルダウン、犯罪者たちの収容所では霞む。
唯一、彼女がどれほどの強者も圧倒できるものがあるとすれば、それは魔女の力に他ならないのだけれど、しかし、クロコダイルの目には彼女がその力を使うようには見えなかった。
魔女の正装とやらをしたにもかかわらず、だ。
「恐れはないよ、卿が守ってくれるのだろう?」
悪意を込めた弾丸を自分の背後に向かて3発ほど放ち、己に振りあげられた斧が下される前に、その屈強な男の股間を蹴りあげた。それはもう容赦なく。同じ男としてクロコダイルは顔をしかめて同情する。
だが、性別的には女性であるトカゲにその同情はないのか、悶絶し、蹲って怯むその額に容赦なく銃口を当てて引き金を引いた。ダウン、と鈍い音が響き、クロコダイルはその鮮やかなまでの振る舞いに感心さえした。
今のところこの女は誰の手も頼りにはしていない。
小さな銃弾と、鉄を仕込んだヒールだけでよくもまぁ、ここまで無傷で来ているものだ。 そう、トカゲは現在、その真っ赤なドレスにすり傷一つつけずに看守室を制圧した己らに加わったままでいた。海軍本部の中佐殿、程度の実力であれば少し考えにくいまでのことある。だが、魔女の力を使っているわけではないのだ。
「そんな約束をした覚えはねぇ」
クロコダイルに「守れ」と言ったくせに、頼りはせぬ。その言葉の意味はそういうことではないのだろうとクロコダイルは検討付けていた。魔女というものは嘘は言わないが、他人にわかるようには話さない。そういうものだ。
「おれが死ねばが困ったことになるぞ」
ぴくり、と砂の王の僅かな動揺。それが愉快に思えてトカゲは目を細める。別段、クロコダイルがに懸想しているだのなんだのという邪推はトカゲにはない。それは、ないだろうと判じている。この男はを愛するような、そんな愚かなことはしないはずだ。いや、を「愛している」と錯覚するような愚かさはない、と言うだけか。を特別視、してはいるのだろう。
トカゲはクロコダイルが自分を見捨てないことを解っていた。
先ほど一度「守れよ」と言った時から、クロコダイルが己のそばを離れないこと、それがすべてを物語っている。慎重な男だ。何も間違えぬようにと、可能性を見出したのなら、善処する。そこに感情やら意地を含ませぬあたりにトカゲは好感を持った。
魔女は平気で嘘をつく
一人、また一人と倒れていく人間(キャンディズでも獄卒たちでも)を踏み越えて前へ、前へと進んでいく。トカゲは一度ちらり、とクロコダイルを見た。隣を進む砂の男。人がヒールで必死に歩いているのに、こちらは砂でサラサラと移動。何そのズボらさ、と突っ込みたいが、まぁ能力者のオプションである。正直に羨ましいといえばそうだが、トカゲはただ黙って、クロコダイルに蹴りでもいれようかと本気で悩んだ。
そうこうしているうちにも状況は目まぐるしく変化していく。己のしもべをやられた、どう見てもSMの女王にしか見えぬサディちゃんが女になったヘヴィメタルクィーン、じゃなかったイワンコフとの戦い。
「へぇ、あれがあのクィーンの女体か。おい、クロ子。なかなかの美人だが、お前の握られてる弱みって、まさか惚れた弱みとか言わないだろうな?」
中々刺激的な格好をしているイワンコフを面白そうに眺めてから、トカゲは隣のクロコダイルににやにやとした笑みを向ける。と、容赦なく砂の刃がこちらに向けられた。
それを結構必至に避けて、トカゲは目を細める。
「なんだ、まさか図星か?おいおい、冗談は前髪だけにしておけよ」 「黙れ、そんな過去は一切ねぇ」 どちらにでもとれるのだが、とトカゲは呟き、前に視線を戻した。
「うん?」
トカゲたちの前方、つまりは上階へ向かう階段のある大扉の方面に先に向かっていたキャンディたちが吹き飛ばされて戻ってきた。それと同時の暴風。トカゲはさっと、クロコダイルの背後に隠れて飛んでくるいろんなものを回避した。
「……て、てめぇ…」
自分を壁にされ、青筋立てて不満な顔を向けたクロコダイル、それには軽口をひとつで流してトカゲは扉付近を眺めた。巨大な薙刀を持ち、ふるっているのはどこぞの墓守のようなかぶり物を思わせる格好の男。
「ここが地獄の大砦!!何人たりとも、通さんぞ!!!!」
長刀を図上に高く構えて振るう、彼を倒そうと近づいたキャンディたちが斬り伏せられた。なるほど、あの風で釜井達も起こせるのかとトカゲは感心しながら、立ち止まるクロコダイルの隣に立って首を傾げた。
「ハンニャバルだな。この監獄の副署長殿。己が表に立ってどうこうするタイプには見えなかったが」
褒めているのかけなしているのか微妙な評価であるが、トカゲは改めてハンニャバルを眺めた。このインペルダウンに来たばかりの時に、ハンコックにやたら愛想を振りまいていた副署長とは思えぬ顔つきだ。何かに吹っ切れたようなそんな顔。
(ルフィやおれに、それぞれの葛藤や物語があるように、この連中一人一人にもいろいろあるんだろうよ)
トカゲは今回ルフィたちと行動を共にすると決め、彼らがマゼランの毒で苦しみ復活し、そしていま様々な思いを抱えて脱獄に挑んでいることを見てきた。だが、それと同じ時間はこの場にいる誰にも流れていたわけで、前代未聞のこの大騒動の中で、あちら側もいろいろあったのだろう。
当たり前だが、そういうものを目の当たりにしてトカゲは苦笑した。そしてハンニャバルの背後、扉の向こうの階段を見れば、監獄弾らしいバズーカを構えた獄卒たちが並んでいる。その数は千人ほどだろうか。抜かりない采配である。
「監獄弾か、迂闊には近づけないなァ、お前も、おれも」
簡単に言って、トカゲはさてどうしようかと腕を組んだ。ぐずぐずしているとマゼランが来る。クロコダイルやジンベエ、それにルフィ、自分、イワンコフ、イナズマの戦力があったところであの毒の王に勝てるかと、そういう微妙なところだった。というか、マゼランに勝てる生き物はそういない。生き物が生き物である以上、どうしたって、毒には叶わないものだ。
そう言えば、今更だが、白ヒゲ戦にマゼランも参加させた方が勝率上がったんじゃないか?と、そんな疑問がよぎる。まぁインペルダウンを守らねばならぬという大義があるのだから、離れられないのは仕方ないとしても。そんなことを考えながら、トカゲはもう一度ハンニャバルに視線を向けた。
「か弱い庶民の明るい未来を守るため!前代未聞の海賊麦わら!!署長に代わって極刑を言い渡す!!!」
声高らかに宣言し、ハンニャバルが攻撃のためではない、長刀を妙な振り方をする。周囲の看守たちが、なぜかそれぞれ手に武器ではなく、マラカスやら太鼓やら、楽しそうな楽器を持って軽い音楽を奏で始めた。
「……は?」
珍しくあっけにとられるトカゲとクロコダイルをしり目に、ズンドコと楽しげな音楽が響く。それに応えるようにハンニャバルが妙な掛け声をかけて長刀を振り回した。
「御存知、ハンニャカーニバル!!灼熱地獄車!!!」
ブンブンと振り回していた長刀から炎が発生し、さながら炎の車輪のような孤を描いた。
「炎か。宴会芸じゃねぇんだぞ」
葉巻を口にくわえ呆れるような言動のクロコダイル、ハンニャバルは炎の長刀でもってルフィに挑んでいるようだった。燃える熱量、それを眺めてトカゲは無表情にジャキリ、と銃口をハンニャバルの長刀にむけ、リボルバーを引いた。
ダゥンと低い音。一瞬でハンニャバルの炎が消える。
「な!!」
ルフィにのみ注意を払っていたハンニャバルが初めてトカゲの存在に気づいたように顔をこちらに向けてくる。それでトカゲは目を細め、片方の目で熱心に炎の残骸を眺めた。
「おれもと同じでな。炎なんぞ、大嫌いだ」
「トカゲ!!海兵のお前が海賊どもに手を貸すなど…!恥を知れ!!」
瓦礫の上に立ち、トカゲは悠然と言い放った。ドクドクと己の心臓が動揺しているのがわかる。の心が混ざっているのか?炎を目の当たりにしてトカゲが感じたのは恐怖だった。炎はよくない。何もかもを焼きつくす。昔の記憶が思い出される。のだけの、というわけでもなさそうだ。トカゲは、あの王国の滅亡の日に、己らの護ってきた樹に自ら火をかけた。燃えて燃えて灰になる。何もかもが、消えていく苛烈な悪意。
「どかねぇならぶっ飛ばばしていくぞ!!おれはエースを助けに行くんだ!!!」
思考に沈むトカゲの耳に、ルフィの声が響く。はっとして顔をあげ、トカゲは頭を振った。昔のことなどこの世界で思い出しても意味はない。トラウマスイッチの入れどころを間違えると自分が足手まといである。そういう状況は御免だとトカゲは襟足をかき上げて、銃を構えた。その腕をクロコダイルが掴む。
「なんだ」
言われてトカゲは自分の体が小さく震えていることに気づいた。おや、と眼を開いて自分の頬を叩く。それでも震えは止まらぬのだ。
「炎の所為か?」 言いかけてトカゲは目を伏せた。 「気にするな。卿には関係のないことだ」
短く受け答え、それでクロコダイルがハンニャバルに視線を戻す。ルフィとの戦い、何度殴られても吹き飛ばされても、それでも立ちあがっている。トカゲも揃って眺めた。後ろにバズーカ部隊が構えている以上、まずはハンニャバルをどうこうせねばならぬか。
ズガン、とハンニャバルが壁に叩きつけられる音がした。何度も、何度も、何度も何度も打ちつけられる。ルフィとあの男、どちらが上かなど知れている。というよりも、ハンニャバルはこの場にいるルフィ、クロコダイル、ジンベエ、イワンコフ、イナズマの誰をも殺せるだけの強さはあるまい。
それがトカゲの目にも明らかだった。
(なぜ、諦めない?)
同じように殴られた看守たちが、必死にハンニャバルに「もう止めてくれ!」と叫ぶ。何度もルフィに殴られて、全身は血まみれだった。
それでもおれぬ長刀のように、あの男の決意も闘志も、いささかなの罅がない。
「おれは、エースを助けたいだけだ!!そこを退けよ!!」
流石にこの異常な熱意には気づいたか、ルフィが手を止めて叫ぶ。ルフィは、ハンニャバルを殺す気はないのだ。そしてルフィには自分が「悪いことをしている」という気もない。
トカゲは帽子をかぶり直して、じっと、その様子を見守った。
「何を…!!貴様ら、シャバで悪名を上げただけの海賊に謀反人が…!!何が兄貴を助けるだ!!社会のゴミがきれいごとをぬかすな!!!!」
倒れぬハンニャバルが、口から血を吐きながら、片眼が潰れたまま、声を上げる。ぞくり、と、トカゲの背にも感じるものがあった。
「貴様らが海に出て存在するだけで、庶民は…愛する者を失う恐怖で夜も眠れない!!!か弱き人々に安心いただくために、凶悪な犯罪者たちを閉じ込めておく、ここは地獄の大砦!!!!それが敗れちゃこの世は恐怖のドン底じゃろうがィ!!!!」
ぶるっと、トカゲは体を震わせた。自然、口元に綻ぶのは笑みだった。普段の嫌味ったらしいものではなくて、これは、そうだ、歓喜であるとトカゲは素直に受け入れた。
もともとトカゲは革命軍や、この騒動を良い、とは思っていない。
ルフィが願ったのでなければ、どちらかといえばイワンコフたちと敵対しただろう自信もある。気に入らぬのだ。基本的には、革命家や、この脱獄騒動が。彼らは法を犯した連中。どう考えても、世の何も知らぬ善良な庶民たちは、彼らの名を聞いただけで恐ろしがる。たとえ、海賊・革命家に心優しさがあるのだとしても、それでも、隣を歩いていれば警戒してしまう。当然だ、彼ら庶民は、ほかの無法者たちと同じように世を見てはいない。
怯えてしまうのだ。それは悪いことではなくて、当然のこと。法を守る彼らには、守らずにいて自由に生きる彼らが理解できない。理解できぬものは恐ろしい、力のあるものは、それを迫害して消せるが、力のない庶民らはただ恐れるしかない。己だけではなくて己の大切な人間、家族、恋人、友人を奪われるやもしれない、ゆえにこそ。
その恐怖から彼らを守ろうとする、その心。
「それこそが、あぁ、そうだ。正義だろうよ」
トカゲは小さく呟き、優しげな目をハンニャバルに向けた。しかし、そのとたん、がくり、とトカゲの膝が崩れる。咄嗟にクロコダイルが腕を引いていなければそのまま瓦礫の上から落下しただろう。
それとほぼ同時に、扉の前に構えたバズーカ部隊から悲鳴が上がった。
「やめときな、正義だ悪だと口にするのは」
きっとトカゲはクロコダイルの腕を強く掴み身を支えながら、入口を見ら見つける。重々しい、何もかもを引きずりこむ黒い、闇。それらが余すことなく、人を吸い込んでいく。
「この世のどこを探しても答えはねぇだろ、くだらねぇ!!!!」
不意にハンニャバルの図上に浮かんだ闇が、その中から現れた巨体が、ハンニャバルを押し潰した。闇が膨れ上がり、先ほど吸い込まれた人間が噴き出す。誰もかれも、まっ白な白髪になっていた。闇に力を、心に誰もがある光を奪われた結果であるか。
「あの男……!!!」
ギリッとトカゲは歯を食いしばり、震える体を叱責しながら立ち上がる。銃を構えると、ちらりと現れた男。黒ひげと眼があった。面白そうにこちらを眺めて目を細めるが、何も言いはせぬ。 突然の登場に周囲が唖然としている中、ハンニャバルを足蹴にしたままティーチが誰に聞かせるわけでもなく口を開いた。
「コリャ、すげぇメンツが揃ってやがる。何か取り込み中だった様だな。ゼハハハハ」
圧倒的な異質さを前面に押し出し、豪快に笑い声を上げる。その男を睨みつけ、トカゲは銃口を向けた。無駄なおしゃべりなど時間の無駄である。あの男の頭蓋を打ち抜けばある程度の問題は解消されるのではないか、それで世が流れがどうなろうと、それはトカゲの知ったことではない。黒ひげが死ねば、少なくともは苦しまずにすむ。そういう確信があった。
それで苦しげに顔をしかめながら(この頭痛は治まらない)引き金を引くが、その指に力が入る前に、トカゲの腕が吹き飛んだ。
「!!!」
咄嗟に身を反して避けなければ全身を持っていかれていた。トカゲはいつのまにか自分の周囲に、青い蝶が群れていることに気付く。
(……このおれとしたことが)
「ティーチ!!いや、今は黒ひげ…貴様がなぜここにおるんじゃ…!!!」 「ジンベエ、おいおい、物騒だな。その拳は引っ込めて貰おうか。エースと仲のよかったお前が…まぁ、おれを恨むのはお門違いってヤツだ」
動けぬトカゲに気づかぬか、周囲で様々な感情の入り混じった会話が続く。そんな状況かでルフィが何かに気づいたのかティーチの目の前に進み出て、睨み付けた。
「お前が、黒ひげだったのか!!?」
トカゲは自分の腕から流れ出る血の止血をしながら、唇を噛んだ。そう言えば、ルフィは知らぬのだったか。ことの張本人が、どんな生き物であるのか。
「ここにいていいのか?もうすぐ始まるぞ、お前の兄貴の「公開処刑」がよ…!!!」
面白そうに笑い声を上げる男、その言葉にぶちっと、ルフィの中で何かの切れる音をトカゲは聞いた。歯を食いしばり、あふれ出る血(まだ止まらない)で足元をドレスを汚しながら、トカゲは周囲を囲む青い蝶の一角に銃弾を向け、爆発させた。そこからその包囲網を出るが、その顔に青い蝶の羽が触れた。
「ッ!!!」
爆音、そしてトカゲは、気づけば地に頭を押しつけられていた。後頭部に当たるのは、女のヒールのかかとである。
「大人しくしてなさい。わたくしの猊下が、まだ話している最中ですよ」
硝子鈴を転がすような美しい声。どこまでもどこまでも涼やかに響く、声。ずきずきとトカゲの脳が痛んだ。
それすらをも楽しむように、トカゲの頭を踏み付けた女が、優雅に口元に笑みを引く。
それで、言葉にならぬような奇妙な音をその赤い唇から発した。その途端、黒ひげ一味以外の全員が、地に膝をついた。
|