レイリーはため息をついた。まだそれほど歳を取ってはおらぬが、それでも最近、顔に刻まれる皺が増えてきたものだ。年齢ゆえ、ではなくて苦労からなんじゃないかと時々恨めしくも思うけれど、この船の副船長をやっている限り、苦労がゼロになることなど、まぁないのだろう。

祝宴を上げる甲板からそっと離れ、レイリーは貯蔵庫のある船底へトントンと降りて行った。時折ピシリと、彼のこれ以上の侵入を阻むように冷気が肌を刺したけれど、そんなことをいちいち気にしているわけにもいかない。何度か、本気の覇気を使いそれらをやり過ごして、レイリーは貯蔵庫の扉を叩いた。

「食事がなくなるよ、

湿度と気温ができるかぎりコントロールされている貯蔵庫、今は冷凍状態になっている。触れた扉は凍り付き、レイリーは本日二度目のため息を吐いた。

「出てきなさい。まずは手当をしなければ」
「必要、ない」

「あっちに、いってよね。レイリー」

ぐすっと、鼻をすする音がした。レイリーは眉をよせ、扉に背を向ける。

「泣かんでくれ、。君が泣くと海が荒れる」
「泣いてない」
「誰も死んでいない」
「解ってる」
「シャンクスもバギーも無事だった」
「知ってる」
「奪った宝も豊作だった」
「わかってるよ、知ってる。お願いだから、放っておいてよ!」

ドン、と、乱暴に壁を叩く音がした。それで、きっと彼女が本日負った傷もどうしようもない有様になっているのだろうと想像できて、レイリーは顔を顰める。

本日は海賊団との戦闘だった。別に、いつものことである。グランドラインに入ってもう半年。最初こそ戸惑うこの海で様々なことがあった。ロジャーの病状は悪化の一歩をたどる。あと一年と少し、命は持つかどうかというところだとクロッカスが告げたのが、半年前のことだ。の様子が、それから少し変わったことに気づいたのはレイリーとロジャー、それにシャンクスだけだった。

ロジャーが病に倒れた時、はありとあらゆる己の知識を使い、ロジャーの病を取り払おうとしてくれた。しかし、にできることは何もなく、クロッカスだけがロジャーの痛みを和らげることができた。ロジャーは死を受けることを恐れる男ではなかった。だが、死ぬつもりはなかった。だから彼の言動、普段の行動にも何の変化もなく、このグランドラインで必ず、治療の術を見つけることを決意していた。レイリーは、その背を見守り、なんと強い男なのだろういかと、改めて感じいったものである。しかし、はそうではなかった。グランドラインを進につれて、の笑顔に影ができてきた。

そして、グランドラインを航海して半年、レイリーはの変化の理由を悟った。

の正体を知る者は、この船にはレイリーとロジャーの二人だけである。他は(クロッカスでさえ)をただの長寿の生き物だと考えているようだった。その長寿、も、100年か200年、もしかしたら300年かもしれないと、そういう考えにとどまっている。誰もまさかが900年の時間を一人で生きているとは思いもつかないだろう。
そのことは別にいいのだ。だが、の正体を知っているレイリーは、その事実、ロジャーの病、それらを含ませた、の絶望の意味が、わかってしまった。

(グランドラインにもロジャーの治療の術はない)

魔女の1千年の暗黒の知恵でも、どうしようもない。の最大の武器は知識であった。そのがあれこれとした手段が、ロジャーを救うことができなかった。これは、この世に存在するどんな手段を使っても、ロジャーを救うことができないと、そういうことになるのだ。

それでもレイリーはあきらめなかった。己の親友、相棒、船長の命である。諦めることなど、できるはずもなかった。は、諦めることを、諦めないことができない。それはわかっている。だからレイリーは、その結論を出したを責めるつもりはなかった。だが、、最近戦闘のたびに、あえて怪我をする。そして温度を下げた部屋にこもり、己の怪我が即座に治療されぬように自制をかけていた。

「自分を罰するよりも、ロジャーに笑顔を向けてやれ」
「罰してるわけじゃないよ。レイリー、ぼくを放っておいて。構わないで」
「そうはいかない。君が怪我をするとシャンクスが心配する。もちろんバギーも。あの二人が同時に騒ぐといくら私でも、手に負えない」
「嘘つき」
「少しは本当だ。さぁ、出てきなさい。、怪我をしたってどうせ治る君だ。そんなことに意味はない。それなら、自分の悲しみを押し殺して、ロジャーに笑いかけてやるべきだ」
「止せよ、相棒。魔女に道理が通じるもんか」

低く笑う声がした。レイリーは振り返り、いつのまにか近づいていた友に向かい、肩をすくめて見せる。来たことには気づかなかったが、それはロジャーが気配を消していたためではない。魔女は気まぐれな生き物だ。そしてが泣いているのなら、何が起こるかわからない。レイリーはの気配に注意を向け、いつどんなことが起きても対応できるようにと神経をとがらせていたのだ。意識はにのみ向けられていた。だからロジャーの気配に気付けなかった。

「ロジャー、」
「シャンクスに聞いた。おい、魔女、お前また怪我したそうじゃねぇか」

びくり、と、扉の向こうでが動揺するのがわかった。レイリーは、己はここにいるべきかどうかと考えた。がロジャーを害することがないように、ロジャーがを害することはないだろう。だが、二人を、二人きりにすることはなぜかためらわれた。それにロジャーが目でレイリーに去るようには言わなかったので、レイリーはやはりここにいることにした。

「俺の魔女は、何がそんなに気に食わねぇんだ」

低く、くつくつと、ロジャーの笑い声が響いた。のことを、ロジャーは「俺の魔女」とそう呼ぶ。と名前で呼ぶこともあるが、好んで呼ぶときはそうだった。はいつもそれを「不遜だよ」と煩わしそうにしながら、しかし、ロジャーがに攻撃されたことは、出会った当時、一度きりしかなかった。そういうことなのだろう。

「別に、何も」
「嘘はよくねぇぞ」
「嘘はつかない」
「嘘じゃなくても、本当でもないことを言うのは、結局は同じだ」

堂々とを嘘付き呼ばわりし、ロジャーは笑う。

「俺様が死ぬと思っているのか。俺の魔女は」
「だって、そうでしょう」
「死ぬものか。この俺が、ゴール・D・ロジャーが、死ぬ?っは、そんな冗談は火にくべて燃やしちまえばいい」
「冗談は言わない。だって、ぼくは知っているよ。君はもうすぐ死ぬ、死んでしまう」
「魔女の予言か。この世で一番、どうでもいいことだ」

ロジャーが扉に背をつけて、目を閉じた。そのままずるずるとしゃがみ込み、懐に入れていたらしい瓶を出して蓋をあける。ふたつ目をレイリーにも差し出してきたが、レイリーは飲む気になれなかった。ロジャーはを恐れていない。それはレイリーとて同じだ。だが、ロジャーは、を顧みてはいないようにも、時々だが、レイリーには思えた。レイリーはを慈しんでいた。出会った時から、この、弱々しく、だが、気高い魂を持った生き物を、庇護することを望んだ。誰もが、そうなのだろう。その誰も、に、自分が入ったことをレイリーは別段、不快には思っていなかった。だが、ロジャーは違った。ロジャーは、知れば誰もが愛するだろうを、己の船の船員以上には見なかった。むしろ、海賊見習の小僧の方が、ロジャーは愛情を置いているように思えた。

レイリーはロジャーを相棒だと、己の無二の友だと、そう心から思っている。だが、ロジャーの、に対する態度だけは、どうしても容認しがたかった。

を「俺の魔女」と呼ぶのに、ロジャーはに優しさを見せはしない。いや、非道なわけではないが、しかし、信頼、親愛は感じられないのだ。がどれだけロジャーを想っても、慕っていても、レイリーの目から、あきらかに、がロジャーのことを考えているのが分かっても、しかし、ロジャーはけしてを振り返らないのだ。

「俺は死なねぇさ。俺の魔女、そんなくだらねぇ心配なんぞする暇があったら、上の宴を楽しめ。その怪我じゃ、暫く役に立たねぇな。まぁ、早く直して上がって来い」

低く響くように笑い、ロジャーが立ちあがる。そのままひらひらと手を振って階段を上がっていく姿を見送って、レイリーはもう一度溜息を吐いた。そして、ロジャーが置いて行った瓶を手に取り、扉を叩く。

「ロジャーは君が心配なんだ、。さぁ手当をさせてくれ」

この二人の所為で、自分は嘘を平気でつくようになったとレイリーはさめざめ思った。







今はいない子供のための子守唄







不意に、嫌なフラッシュバック。リリスは顔を顰めた。何も知らなかった頃のこと。ロジャーを、救えなかったことをは後悔していた。今の己ならどうだっただろうかと考えて、リリスは苦笑する。考えてもせんないことだ。たとえ、リリスの力があれば、どうにでもなっただろうという事実があるにしても。もしも、リリスがパンドラ・の影法師、海の魔女のでなければロジャーの船に乗ることなどしなかっただろう。

リリスはふと、もし、パンドラと己が何の狂いもせずにこの時代、二人で生きていたらどうだっただろうかと思う。庭の番人ではあり続けただろうが、それでも二人で時折、海に出ただろう。花を見て、空を見て、それは、とても楽しかっただろう。

(僕が、庭で血を流しさえしなければ、あっただろう未来)

掌を握りしめる。だが、もしもそうだったら、この世界は今のままではなかっただろう。悪が世に放たれることもなかったし、王国の生き残りもあり得なかった。悪魔の実による飢餓で苦しむものもいなかっただろうが、変りに、真実がますます遠ざかっていた。

何もかも、そうなるべき、だったのだ。己の所業も、ロジャーの死も、何もかも、必要なことだったのだろう。リリスはそう、享受できる。

リリスは先ほど感じたフラッシュバックを思い出す。厭な記憶だ。昔、まだサカズキと出会う前。ロジャーの船に自分はいた。ロジャーこそが、の太陽だった。はロジャーが好きだった。封印が解けることがなかったから、それは愛ではなかったが、けれど、本当に大好きだった。

ロジャーは死ぬとが言うたびに、ロジャーは「死なねぇよ」とせせら笑った。の言葉を一蹴にし、吹き飛ばした。最初こそ、はロジャーがそういうことが気に入らなかった。本当のことなのに、自分の言葉を嘘のように扱うロジャーが嫌だった。けれど、当たり前のようにそう言われていくにつれて、は、あぁ、今考えれば愚かにも、「そうかもしれない」と、そう、信じてしまっていたのだ。

ロジャーは死なない。
絶対に、死なない。

その言葉は甘かった。そんなことはあり得ないのに、そう、ロジャーが言うから、は、その言葉を飲み込んでしまった。あれほど、他人を信用しないつもりだったのに、ロジャーの、その、言葉を信じた。

(でも、結局彼は死んだんだよ)

処刑の日のことを、今でもよく覚えている。海の魔女がいることを気づかれてはならぬからと、遠目でひっそりと。ロジャーを助ける、という選択肢はにはなかった。どのみち、にロジャーは救えなかった。病で、もう彼は死んでいるはずだった。それでも生きていたのは、ロジャーが、処刑台で死ぬと決めたからに他ならなかった。

は、その瞬間彼を呪いたかった。嘘付きと、指をさして罵りたかった。それをしなかったのは、一緒にそれを見守ったシャンクスがの涙を拭ってくれたからだ。

そしてロジャーは死んだ。

その時のことを、なぜか、リリスは唐突に思いだした。

「……なんでだろ。別に、処刑なんて珍しくないのにね」

エースが処刑台にいる。後ろ手に縛られた光景は、確かにロジャーに似たものがある。だが、それだけだ。リリスはドラゴンがここにくるかどうか考えた。ドラゴンは息子たちに己が父であるとは名乗らないようだったが、しかし、ローグタウンでルフィを助けた。愛がないわけではないだろう。

トカゲのことを考える。インペルダウンに残してきた。彼女ならルフィを死なせない。リリスはエースには死んでもらうつもりだった。トカゲにもそのことを話している。トカゲの性格を考えれば、自分が消滅しないために、エースを助けようとするかもしれない。その可能性も考えはそれでも、ルフィさえ死ななければ構わなく思えたので、トカゲをインペルダウンに残した。

ざりと、周囲の気配が変わる。おや、とリリスは顔を上げた。

センゴクが、海軍本部の元帥殿が処刑台に立っている。エースの傍らまで近付き、何かをしているようだった。

「センゴクくん?」

この状況で元帥が何かする理由がリリスにはわからなかった。見れば、電伝虫を手に持っている。何か言葉をかけるのだろうか。

『諸君らに話しておくことがある』

キィン、と拡張された声が島全体に響いた。リリスは立ちあがって、ドフラミンゴの傍に往く。ニヤニヤとしたドフラミンゴは一度こちら顔を向け、その頬を撫でてきた。

「なぁに?」
「フッフフフフッフフフ、なんでもねぇさ」

この鳥がどんなつもりなのか、興味がないといえばない。それよりもセンゴクの言葉の方が気になった。サカズキを視界に入れぬように注意しながら、リリスは処刑台の上に意識を向ける。

『ポートガス・D・エース。この男が今日ここで死ぬことの大きな意味についてだ』

周囲にどよめきが広がった。何をいまさら?と言うような。エースは、白ヒゲ海賊団の二番隊隊長だ。白ヒゲ海賊団に、海軍本部が宣戦布告。絶対的正義を付きつけると、その意味ではないのか。リリスは小首をかしげ、話の続きを待った。

『エース、お前の父親の名を言ってみろ……!』

おや、とリリスはさらに困惑した。センゴクは、まぁ、ガープの上司なのだから、エースがドラゴンの息子であることを知っているのか。それをここで暴くことの重要性がそれほどあるようには思えなかった。白ヒゲの部下がドラゴンの息子であるということ、たしかにそれは大それたことである。けれど、犯罪者は犯罪者。むしろ、白ヒゲとドラゴンの双方に同時に喧嘩を吹っ掛けるだけだろう。

それは、更なる混乱を生むだけ。たとえば、ドラゴンにそのつもりがなくとも、ドラゴンの息子がエースであれば、革命家たちは、己らの象徴の子を救おうと決起を起こすかもしれない。たとえあと三時間で全てが終わり、革命家たちがエースを救えないにしても、だがしかし、その、救えなかった事実、ドラゴンの息子を殺された事実が、余計に騒動になるのではないか。

『おれの親父は、白ヒゲだ』
『違う!!』
『違わねェ!!白ヒゲだけだ!!!他にはいねぇ!!!』 

ビリビリと、空気が震えた。リリスはびくり、と体を震わせる。炎の悪魔の咆哮は魔女の身にはつらいもの。

『当時我々は目を皿にして必死に探したのだ。ある島にある男の子供がいるかもしれない』

エースの荒げる声に怯むことなく、淡々とセンゴクの言葉が続けられた。

『CPの僅かな情報とその可能性だけを頼りに、生まれたての子供、生まれてくる子供、そして母親たち。隈なく調べたが見つからない。それもそのはずだ』

センゴクが何の話をしようとしているのか見当がつかなかった。エースはガープの孫だ。生まれたその時に、ガープが出生届を提出しているはずである。はまだそのころ海軍にはいなかったので当時のことを知っているわけではないが。

『お前の出生には母親が命をかけた、母の意地とも言えるトリックがあった。それは我々の、いや、世界の目を欺いた』

なぜだかリリスは、とても嫌な予感がした。センゴクの話を聞いてはいけない。今この場で耳を塞いでしまうべきだと、そんな予感がした。なぜかはわからない。だが、そう思った。しかし耳をふさごうとしたその小さな手を、強く掴まれる。

「ドフラミンゴ?」

カタカタと、知らずに体が震える。なぜか、わからない。だが、全身に恐怖が突き抜けた。己の手を、力強く握り、離さぬドフラミンゴが、の顔を覗き込んだ。その口元は相変わらず、卑しく歪められている。これまでは一度とてドフラミンゴを恐ろしいとは思わなかった。だが、今、不意に、この男が自分に、とてもひどいことをしようとしていることがわかった。

『南の海にバテリラという島がある。母親の名はポートガス・D・ルージュ。女は我々の頭にある常識を遥かに越えて、子を想う一心で実に20か月もの間、子を腹に宿していたのだ』

冷静に、の頭が計算を始める。

ルージュ?
南の、海?
20ヶ月?
エースの年齢は?

『そして彼女はお前を生むと同時に力尽き、その場で命を落とした。父親の死から一年と三カ月を経て……世界最大の悪の血を引いて生まれてきた子供。それが、お前だ』

がたり、と、リリスの膝が崩れた。全身が震え、頭の中が真っ白になる。己の意識ではない、が、そのとたん、リリスの意識が混濁した。だったころのような、そのままの心のような、何も知らぬ、あどけなさゆえに、傷つく心が、現れる。それでもまだ、そうではないと、そうはあってくれるわけはないと、一縷の望みを託して処刑台を、睨むように見つめる。ドフラミンゴはまだリリスの腕を放さなかった。

朗々と、センゴクの声が響く。

『お前の父親は……!!!海賊王ゴールド・ロジャーだ!!!!』






Fin