「うそつき、うそつき、うそつき、うそつき……!!!」

レイリーと最後の言葉を交わし終えたロジャーを待っていたのは、彼の魔女の馬頭だった。扉から出るなり、ロジャーに向かって突っかかり、ぽかぽかと胸を叩く。これでも病人、手加減をしてくれないのかと、笑いながら、ロジャーはの腕をつかんだ。

「何が嘘だって言うんだ、俺の魔女は」

乱暴だが、腕を掴んだまま顔をあげさせれば、青い目を涙で真っ赤にはらしたが、唇をかみしめてロジャーを睨みつけている。幼い顔だ。どこまでも、どこまでも、幼い顔。これから、自分が置いていかれることを知っている、子供の顔。しかしわがままゆえ、ではないのだ。恐れているのだ。恐怖でどうにかなってしまいそうなほどのものを耐えて、己への罵声に変えている。

ロジャーは目を伏せて、に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「相棒にも言ったがな。俺は死なねぇぜ?」
「うそつき。これから、自首しに行こうっていうバカが何を言うの」
「俺がお前に嘘を言ったことがあるか?

びくり、と、の体が震えた。ロジャーの言葉に、ではない。ロジャーが名前を呼ぶと、いつもは震えた。脅えているわけではないのでロジャーは気にしていないが、この状況で呼ぶのは少々、卑怯だったかもしれない。

「ロジャーは……ずるいよ。ぼくが、君のことだいすきだって知ってて、君の言葉を信じてしまうって、知ってて、嘘、つくんだ……!!」
「嘘なんかつくか。俺はお前を一人きりにゃしねぇさ」

再度言えば、がかすれる声でもう一度「うそつき」と呟き、ロジャーの首に腕を回した。その小さな体をぎゅっと抱きしめながら、ロジャーは目を伏せて遥か遠い南の海にいる、彼女を思い出す。

(受け継がれる意思、時代のうねり、人の夢、人々が自由の舞台を求める限り、それらはけしてとどまることをしない)

己は死ぬつもりはなかった。







君を奪い去る、その全てを









「お前の父親は、海賊王ゴールド・ロジャーだ!」

朗々と、センゴクの宣言した途端、あたりが闇に包まれた。時刻は正午。太陽は真上にあるのが道理、たとえそれはグランドラインであったとしても。だがしかし、夜の訪問。無遠慮に、光を奪いさる、が、しかし、完全な闇、ではない。雲が太陽を隠した、よりは暗い、がしかし、太陽が消えたわけではなかった。

エースがロジャーの実子であったということだけでも衝撃は大きい。しかし、それにたたみかけるような、異変に周囲のざわめきが一層強くなった。だがセンゴクはひるむことなく、落ち着かない様子のそばの海兵たちに告げる。

「慌てるな、ただの、魔女の疳癪だ」

短く言って、空を見上げる。

完全なる、闇、ではない。だが、月蝕だ。月が、魔女のいびつな月が、太陽を覆い隠し、食らおうとしている。暗黒の訪れ。だが、センゴクは動揺しなかった。が、そしてパンドラが、世界の敵が赤犬の呪縛を離れたことは知っている。そしてがドフラミンゴのもとへ身を寄せていることも、知っていた。

ティーチの裏切り、の移動、魔女の行動にはこれから一層目を光らせなければならないということに間違いはない、が、今現在、センゴクはを脅威とはみなしていなかった。白ヒゲ、そしてエースの処刑以外に考えることなどない。

遠く、最前線を見れば、暗闇の中、震えている小さな魔女が、こうべを垂れているのがわかった。センゴクは、眼下の赤犬の気配を探る。やはり、あの男も何の動揺もしていないようだった。







辺りに夜が来た。の仕業なのかとドフラミンゴには検討が付き、掴んでいたの腕を放す。がっくりと膝をつき、リリスは必死に頭を振った。動揺、している己、ではない、いや、己か。リリスの中のが、動揺している。リリスは、ではないし、もリリスではない、だが、リリスは完全にでないということではないのだ。身の内が、動揺している。そのバランスを崩した心が、夜を呼んだ。己の力である。だが、リリスの意思ではなかった。動揺が全身を駆け巡り、どうしようもない。のショックが、月蝕を起こしたのだ。リリスは必死に、光を戻そうと意識を集中させようとするのだが、歯がカタカタとなって力が出ない。頭の中をぐるぐると言葉が回る。

(エースはロジャーの子供)
(ロジャーの子供)
(エースが、ロジャーの、)

心を占めている感情は、ショックだけではなかった。いや、最初はただ、衝撃が走った。動揺し、夜を呼んだ。だが、その次にわき起こったのは、歓喜と、そして、困惑だった。

ロジャーは、嘘をついた。
死なないと言ったのに、を残して死んでしまった。自分から処刑台にあがった。海賊時代の幕開けが彼の言葉で起き、彼の意思を誰かが継ぐのだとしても、それでも、彼は死んでしまっていた。

はロジャーに裏切られた。そして、失望した。あれほど、自分が焦がれた相手は、結局はただの人間で、結局は、に嘘をついた。

はロジャーへの興味を失った。彼の処刑の日に、彼を、うそつき、くだらない人間だとそう、判じた。

そうすることで、心が安定を保てた。ロジャーは嘘をついた。だから自分は取り残されてしまった。ノーランドと一緒だった。に嘘をついて、処刑台で死んだ。

だからそれから22年間、はロジャーをあまり思い出さなかった。もう死んだ人間、そして自分を裏切った男。もう用はなかった。だから、もう、それでしまいだった。

それなのに。

「……ロジャー……」

小さく、呟く。その唇は震えていた。恐怖からではない。歓喜だ。

リリスの中で、が歓喜の声を上げる。彼は、彼は、嘘をつかなかった!ロジャーは、ぼくを一人きりにはしないでいてくれた!!彼は子供がいた。彼の子供が、いたのだ!!

たとえロジャー自身が死んでしまうとしても、しかし、子供を残すということは、何よりも尊い。何よりも、不死である。

リリスは舌打ちをした。どうして、どうして、どうして気付かなかったのだろう。黒髪、頑固そうな、目。それでいて礼儀正しい。ロジャーとおんなじ、賢い目をしていたではないか。確かに、ルフィにも似て吐いた。だが、エースはとても、ロジャーとそっくりだったではないか……!!

「海の、魔女……!!」

ジャキッ、と金属のこすれる音がした。リリスが顔を上げれば、歓喜に打ち震えるリリスの周りを、武器を持った海兵らが取り囲んでいる。もちろん、隣にいるドフラミンゴへ向けて、ではない。それぞれ、若干緊張した面持ちで、リリスを威嚇しているようだった。きょとん、とリリスはあっけにとられて目を丸くする。

「ま、魔女どの…!御身を拘束させていただく……!」
「この月蝕が貴方の仕業なら……!!」
「おいおい、お前ら。これがどういうことだか、わかってやってるのか?」

得体の知れぬ魔女の力を目の当たりにしての強い恐怖。いや、の捕獲を命じたのはおそらくセンゴクや大将以下の身分の者だろうが、彼ら、この異常事態を、をどうにかすれば正常に戻ると考えているらしかった。

このバカたちは、何を阿呆なことをしているのだろう。リリスが目を瞬かせていると、それを遮るようにドフラミンゴが前に出た。

「こいつは俺のものだ。この俺のものに、今この状況で手を出すんじゃねぇよ、フッフフフフ」

ドフラミンゴが海兵らを睨み飛ばす。ここは彼に任せておけばいいと、リリスは再度思考に沈んだ。が、必死に叫んでいる。エース、エース、ロジャーの子供。

きっと、ルフィは、エースが海賊王の子供だろうとなんだろうと関係ない、と言うのだろう。きっと、エースを想う人間は皆、そういうのだろう。それは愛だ。だが、はそうではなかった。

(エースが、ロジャーの子供なら。今ここで、彼の死を願わない)

ロジャーは、約束を守ってくれた。自分の死後も、がさびしくないように(たとえ、とエースが一生邂逅することがなかったとしても!)エースという、太陽を残した。のためだけだったわけではないだろう。それはにもわかっている。だが、ロジャーが、子供を残したということがには何よりも重要だった。

ぞくり、と、リリスの体が震えた。リリスの中に完全に沈みゆくはずだったの想いが、きらきらと輝きを増していく。リリスは呻いた。出会ったころの思いが、リリスに、エースの死を望まなくさせる。そして、同時に、リリスすら、ショックをうけた。

(……みんな、知ってたんだ)

センゴクは、知っていた。そして、ならば大将たちも、当然知っていたのではないか。現在、ざわめく周囲、だが大将三人は動揺した様子がない。相変わらず椅子に腰かけている。

(知ってたの?サカズキも、クザンくんも、ロジャーに子供がいたって。僕の船長が、僕を一人ぼっちにはしなかったって、知ってたの?)

ぐるぐると、脳を疑惑がめぐる。そして、なぜドフラミンゴは、センゴクの言葉が出るまで自分の腕を押えこんだのだ?リリスは疑惑と困惑の混じった目をドフラミンゴに向ける。

「フッフフフッフフフフ、そんな顔するんじゃねぇよ」
「君も、知ってたの?」
「驚いたさ」

今日知って、とは言わなかった。それが嘘なのか本当なのかわからなかった。ただ、目の前にいるのがいつも、に甘いだけの男ではないと気づく。好戦的でしたたかで、どうしようもない野心家の目だ。


この胸にあるのは、絶望だった。

誰に対して?

ロジャーへの疑惑は22年ぶりに晴れて、すがすがしい。かつて「ぼくの船長」と彼を慕った心がリリスの中にも蘇る。晴れやかで、心がどこまでもどこまでも解放されるようだった。

だが、同時に思う。

がこれまで親しくしてきた「正義の海兵」たちへの、絶望。失望。嘘をついていた。いや、黙っていた。がどれだけ、ロジャーを失って心を痛ませたのか知っていて、サカズキは、言わなかった。ロジャーに子供がいたと知れば、がその子を擁護すると思ったのか?だが、サカズキに薔薇の刻まれていたは無力だったではないか。エースの存在を知れば、尚更それが枷となったかもしれないのに。

サカズキに嘘をつかれた。

その事実がを打ちのめした。リリスはごほり、と、喉を鳴らした。気持ちが悪い。ここしばらくは何も食べてはいなかったのに。げほり、ごほり、と、リリスは嘔吐した。

出てきたのは、黒い泥だった。湿った泥。井戸の中に沈んだ泥。二人の赤ん坊の屍を吸い膨れた泥である。

ぎゅっと、手を握りしめる。時間がない。絶望している、時間はない。エースは、殺せない。エースを海軍に殺させたくはない。だが、エースから炎の悪魔を奪わなければ、バージルの記憶が手に入らない。そうしなければ、パンドラには勝てない。が、の思いがある限り、リリスはエースを殺せなかった。

リリスはげほげほと泥を吐きながら、口元を押えて、生理的に溢れた涙をぬぐった。立ち上がって、腕を振れば月蝕が終わる。周囲の動揺は若干薄れた。だが、明るくなれば、尚更、エースの実父への驚愕が押し寄せてくるらしい。ざわめきの音をぼんやりと聞きながら、リリスは、息を吐いた。

面倒だが、やらなければならないことが、増えたようだ。








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