「たとえばの話にしても、それは、ふふ、魔女の叡智に近いねぇ」

受け取った林檎を手の中で弄びながら、首を鎖でつながれた少女、青い目を歪に歪めて小首を傾げた。南の海のの小島。ロジャーの処刑から一年と少し、はグランドラインを離れて気候の落ち着いた小さな無人島に一人 “魔女の庭”を構えていた。時刻は夜であるが、この島は常に霧で覆われていて、その中は真昼の明るさが続いている。の魔法である。

太陽の明るい光が降り注ぐ、始終のその美しさ。夜などてんで縁がない。白夜の幕をうっすらと引くような、霧がかった空を眺めて、は訪問者を振り返った。

「どこでそんな話を?ガープくん」

唐突にこの海兵がここに来たことに、驚きはしなかった。モンキー・D・ガープ。Dの系譜だ。その系譜が魔女を本気で探せば、見つからないでいられる自信はにはない。
といって、別に捕えに来たわけではないとわかっていたから、は当然のように礼をして彼を迎え、“夏の庭”に模した己の住居へ彼を招き入れた。

手ぶらでくる無礼さはなかったらしいガープ、土産にとに赤いリンゴをひとつ渡した。貰ってからが顔を上げるなり、唐突なガープの問いかけ。

「教えてくれ、。十か月を過ぎても生まれずに女の腹にいる赤ん坊。死んでいるのか、それとも、まだ生まれてくる可能性があるのか」
「普通に考えれば、腹の中で死んでいる可能性だろうね」
「だが、まだ心臓は動いているとしたら」

やけに真剣な目をして言われ、はうっそうと遠ざかる己の記憶を辿った。

の知識の中で、そのような話は二度、聞いたことがある。

一度目は、リリスの日記の記載である。とて詳しく知っているわけではない。だがその、古びた日記帳には一章だけ「女の腹にひと月しか留まらなかった双子」の話があった。あれは何巻だったかとが思い出す前に、ガープが再度を呼んだ。

「そういうことは、ありえるものなのか」
「無理だよ」

即答した。解り切っていることだ。

「人間は必ず、十か月十日で生まれてくる。それが人間だ。十か月と少しで生まれてこないなら、それはもう、死んでいるのが道理だし、生まれてこようとしても、死ぬだろうね」

じっと、はガープを見つめた。ロジャーと何度も何度も殺し合いをした男。けれどはけしてこの男が嫌いではなかった。いずれこの男は海軍の英雄、となるだろう。それが、この数カ月に決定している。はそれを煩わしいとは思わなかったし、真実を吹聴する気もなかった。ロジャーが選んだのだ。己が言うことなどない。

ガープはこれまで、何か小難しいことを気にして考える男ではなかったようにには思える。いや、仮にも現在の地位にまで上り詰めたのは、何も強さだけだったわけではない。デスクワークもそこそここなす、あるいは、こなせる有能な人間がいて、采配をふるえるだけの能力があるのだろうけれど。しかし、ガープはこれまで、の知る限り世のどんな不思議なものと出会っても、「そうか、不思議だな!」の一笑で終わらせていたと思う。

と最初に出会った時も、この男は堂々と「なるほど!不思議な子供だな!」と笑っただけだった。

「君が女性の出産の事例について知りたがるとは思わなかったよ。それに、質問する相手を間違えてない?ぼくは魔女だよ」
「いいや、間違ってなどおらん。魔女とは本来、そういうものだ」

おやまぁ、とは久しく頂いていない評価を得て肩を竦めて見せた。

世に存在する魔女の伝説の多くは、ガープの言うとおり産婆である。魔女、仙女、それらは当時の人々よりもすぐれた知識、あるいは、当時は認められなかったことをする、女のことである。あるいは美しすぎる女などもあるのだが、それはこの場合関係ない。

産婆は堕胎などの知識もあるため、政府に「罪人」とされていたこともある。ここに百年で堕胎は認められているとはいえ、それでも今でも閉鎖的な島国では堕胎を手伝った女が火炙りにされるようなことも、あるらしい。

「たとえばの話だよね?」

念を押した。

「あぁ。たとえば、の話だ」

ふぅん、とは鼻を鳴らしてじっと、考える。腕を振って白いテーブルと椅子を出し、ガープに勧めてから自分も腰掛ける。パチンと指を慣らせば本格的なアフタヌーンティの用意ができた。指を振ってカップとポットを動かし琥珀色の液体を注ぎながら、は思案する。

「たとえば、母の胎内に、その生物が定められた期間よりもずっと長く留まっていて、それでも死なないものがあるとすれば、それは、その生き物、ではないということだね」

あるいは、そう長くとどまることで、そうではなくなる、ということだ。

「魔法の一つと言えば、簡単に説明できるかな」

はガープにキドニーパイの皿を押しやって、自分はカップに角砂糖を投げ込む。くるくると金のスプーンを回しながら、皺の増えた海兵を眺めた。

「長靴を履いた猫の話、知ってる?」
「あぁ、東の海の古い話だな」

頷いて思い出している様子。はにこり、と笑ってから、指を振った。空が暗くなって、夜になる。暗いのは好きではないが、しかし、あまりありえぬ太陽を人間が浴びるべきではない。

「長靴を履くまで猫はただの猫だったんだよ。まさか猫自身、あんなことができるなんて考えてもいなかった。ただ、殺されそうになったらなんとなく、長靴が履いて見たくなった。とくに理由なんかなくてもね。それで、履いてみたら、ものの見え方が随分変わる。猫は、長靴を履いて化け物になったのさ」
「つまり、どういうことになる?」
「わからない?」

おやまぁ、とは気の毒そうに眉を寄せはしたが、確かに今の説明は不親切だったかもしれないと思いなおす。魔女の言葉は、比喩が多すぎると以前ロジャーに笑われたことがある。レイリーはの良い話し相手だった。彼は叡智に長けている。ロジャーとレイリー、性格は二人まるで違うのに、親友だった、と思い、は心が重くなった。それに気づかぬように掌を握りしめ、再びガープを見つめる。

「道理以外の事象は、化け物、あるいは英雄の必須条件だ。つまり、女の腹に十か月以上いるっていうことだけで、その中の生き物は化け物、あるいは英雄になるっていうことだよ。言い換えれば、化け物・あるいは英雄なら、十か月以上いることができるし、それから生まれることもできる」

おとぎ話でよくあるネタである。

ドラゴンの血を引く子供が英雄になって国を作る。父の口に飲み込まれて二度生まれてくる神の王。からすれば下らぬ英雄論。英雄や化け物、あるいは大それたものはただ人間から生まれてくるのではない。何か「特別」である生い立ちや、理由があるのだと、そういう話。

「化け物だからそうなるのか、それとも、そうなったから化け物になるのか、なんて問答はするだけ無駄だけどね。それなら、可能だ。生き物の枠から外れれば、可能だよ。その腹の子供は死なないで、生まれてこれる」

言いながら「あとあるとすれば」と続けた。不意に思いついたこと。そういえば、あくまで、これはホントに過程であるけれど、可能なことがもう一つあった。

「母親の愛だね。ぼくには理解できないし、ある、なんて思ったことはないけれど」

バカらしい、おとぎ話にもならないことだけれと、と付け足してからは、少しだけ顔色の変ったガープを見つめる。

「どうしたの?ガープくん。顔色が悪いよ」
「いや、なんでもない。続けてくれ
「そう?もう一つあるとすれば、それは母親の愛情だよ。意地と言えるのかな。たとえば、まだ生まれてくるべき環境が整っていなかったり、まぁ、戦争中だとか、あれこれあるだろうけど、暴力を振るう夫に妊娠を悟られてはいけない時だったりに、母体というのは面白いくらい、変化が起きるものらしいよ」

は、腹が全く膨れることなく妊娠し、普通の子供を出産した女を知っている。職業柄、妊娠して体系が変われば死ぬこともあるという極限の状態がそうしたのだろうと後にその娘が語っていた。

子を護りたい、と願う母の心。そういうものが、この世界には存在しているという噂は聞いたことがある。だがは、そんなものの存在を信じてはいなかった。ならまだ、妖精が靴屋で真夜中にこっそりブーツを作っている話の方が信じられる。

「でも、まぁそれも持って15か月くらいだろうね」
「なぜだ?」
「それ以上は、確実に母体が死ぬからだよ」

あっさりとは告げた。魔女でもない限り、それ以上は不可能だ。鬼を孕めるのは魔女だけだという話があるが、それは、魔女なら腹が敗れようがなんだろうが死なぬからだ。それに、時間の止まった魔女の腹では子供の時すら、止めることができる。

でなければ、母体ですくすくと子供は育つ。15か月以上の大きさになったものは、女の腹には収まりきらない。

「そんなことをするほどの意地が、この世界にある?妥協、絶望、諦めは人間の人生だよ。自分が死んでまで、子供を胎に留める理由なんてそうそうあるものじゃない」
「だが、母親の強い意地があれば可能なのか。そういう、ものなのか」
「そうだね、でも、そこまでして隠されて生まれてきたものは、明らかな化け物だね。世界中から全身で拒絶される。そこまで母親に愛されていたなら、かわりに、世界中から憎まれるね」

言っては、まじめな顔をしたガープをじっと見つめた。

「もちろん、たとえばの話だよね?」




 

 

 

 

 


アーサー王

 

 

 

 

 






二年前のことである。センゴクは、この海で急速に名を上げる青年の存在を耳にした。海賊王の処刑から20年余り。世の大海賊時代、そんなことは別段珍しいわけではなかった。

だが、その名がセンゴクの頭には引っかかったのだ。

ポートガス・D・エース。

Dの名を持つ生き物。屈強な海賊か、あるいは有能な海兵になる運命でもあるかのように、世に名を連ねる系譜ではあった。だが、センゴクは20年前のことを忘れてはいなかった。

見つからなかった。そんなものは存在しなかったのかもしれない、が、しかし、ゼロ、ではなかった可能性。根絶やしには出来なかった、ひとつの後始末。

ポートガス。

センゴクはその時すでに元帥だったが、当時のことを忘れたことはなかった。いや、大海賊時代が続いているからこそ、それを忘れないでいた。大海賊時代を終わらせることができるかもしれない、可能性について。

南の海の小さな島にいた全ての女性の名を、センゴクは記憶していた。

ポートガス。

その性を名乗る青年が、卓抜した力と才能でグランドラインを駆け上がって行った。センゴクは、気づいたのだ。

20年。一人の赤ん坊が、大人になるには十分な時間である。

「ロジャーの血は絶えていなかった。我々は、ようやく気付いたのだ」

うなだれるエースの首に向かい、はっきりつ付きつける。もしもエースが海賊にならなければ、センゴクは今も彼を見つけ出せはしなかっただろう。あるいは、ガープの期待通りエースが海兵になっていれば、こんなことにはならなかっただろう。

だが、エースは海賊になった。法を守らぬ、海賊になった。

センゴクはロジャーの血が途絶えていなかったことに愕然としつつ、だが、同時に歓喜した。捕えそこねた子供の行方が判明したから、などという小さな理由ではない。悪の血を根絶やしにできるから、という理由からでもない。

「だが、我々と時を同じくしてそれに気づいた“白ヒゲ”はお前を次の海賊王に育てるべく、かつてのライバルの息子を自分の船に乗せた」
「違う!!おれがオヤジを海賊王にするためにあの船に……!!!」
「そう思っているのはお前だけだ」

反論するエースにぴしゃり、と言い捨ててセンゴクは一度目を伏せた。

白ヒゲは、ただの粗野な海賊ではない。それはセンゴクも認めている。あの男の名で、どれほどのものが守られているのか、知らぬわけではない。世界にとって、あの男は必要だった。

あの男は、途方もない男だった。

何もかもを、守れる力を持っている。センゴクはかつて殺し合った男を脳裏に描いた。昔から、そういう男だった。海賊には法を守る意識はない。だが白ヒゲは、世界政府の法ではなく、仁義を重んじた。それは、国境や種族を超えた道理である。元帥の身ではなかった頃、センゴクはその意識に共感さえ覚えたことがある。

「お前が白ヒゲのところにいれば、我々はウカツに手を出すことができなくなった。お前は、守られていた」

センゴクは、この世の正義の製造場所を知った時に、正義に絶望したことがある。海兵なら、必ず一度は経験しなければならないことだった。元帥の、いや、大将、中将、少将の身なれば、そんなことは何度もあり、そしてそれを踏み越えて徹底した「絶対的正義」を刻みこむ。

だが、それはあくまでシステムであった。世界の法、世界のその他大勢を守るためのもの。それがなければ、世界は混乱してしまう。だから必要なものであった。

センゴクは、それが正義という名称であり、しかし、規則であることを見止めている。だから、白ヒゲの掲げた仁義に、正義を見た。

それこそが、“正しい行い”なのだと、思ったことがあった。

だがしかし、それが世界のシステムにはなれない。それをすべてにしてしまえば、どうしようもないことになる。センゴクは、元帥になった。世界のその他大勢を、守る義務がある。

出会ったこともない人間、知らぬ場所、世界の隅から隅までを、守る義務があった。

白ヒゲのようにはなれない。

その決意が、今センゴクをこの場に立たせている。

「お前は必ず、海賊次世代の頂点に立つ資質を発揮し始める、だからこそ、今日ここでお前の首を取ることには意味がある」

有能な青年。大海賊時代が続く限り、海は荒れる。人の嘆きの声が強くなる。白ヒゲは、大海賊時代の幕開けにより、踏み荒らされた様々なものを、己の名で護ってきた。

だが、センゴクはそんなことはしなかった。

センゴクは、海軍本部元帥は、たとえ“世界政府の名”を使い魚人島や、何もかもを守ることができたとしても、そな手段は、選ばなかった。

(今日ここで、海賊王の息子の首を取る)

大海賊時代の幕開けは、海賊王の血によって始まった。
では、その幕は、海賊王の息子の血によって、しめられるのではないか。

20年以上前、必死になってセンゴクがロジャーの子供を探したのは、ただの悪の駆逐からだけではなかった。

大海賊時代を終わらせる、そのために。

 

 


「たとえ…白ヒゲとの全面戦争になろうともだ!!」


 

 

 

 

 

Fin