センゴクの決意高らかな声に応えるように広場にあがる雄叫び。海兵たちの、正義を掲げる連中の大声の鬱陶しいこと。はうろんな目をそちらへ向けてから溜息を吐いた。残された時間はあと僅かだというのに、センゴクのいらなぬカミングアウトの所為で余計な手間が増えてしまった。面倒だと思いつつも、は胸を押える。

ロジャーとエースの繋がりで動揺した心は、やっと落ち着いていた。それと同時に、芽生えるサカズキへの不信感。それによる、想いの清算が行われているのは好都合だった。リリスは、だったころの記憶も想いも持っている。だからこそにのころでの事実は動揺させられるのだ。それと同じに、サカズキが長年、を欺いていたという事実はよい、決別の理由となった。

7年前、はサカズキの「共に死ぬ」という約束で心を救われた。だが、22年前に死んだはずの男が、もっと前に、との約束を果たしていたのだ。

ロジャーが約束を守った。の心を、守ってくれた。それならば、もう、サカズキとの約束は、守られることがないとわかり切っている約束は、を縛ることはできない。

ならば、と腕を振ろうとした刹那、がっくりと、の体が崩れた。背が、燃えるように熱い。背から胸にかけて、何か、刺さっていた。手でそっと触れれば、鋭利な刃。腰元が急に軽くなったのは、貰った、ミホークがに託した剣が、背後から奪われたからか。の夕日と同じ色の髪が揺れて、白い頬が地に重力で押し付けられる。耳の後ろで蛇姫の叫ぶ声が聞こえた。

「……ドフラミンゴ…そなた…!!!」







さぁ、目を見開いてご覧あれ!








「センゴク元帥!!報告します!!正義の門が誰の指示もなく開いています!!動力室とは連絡もつかず……!!」
「何だと!!?」

海兵たちの雄叫びの鳴りやまぬ中、通信兵が駆けこんできて知らせる。センゴクは目を見開き、正義の門を睨みつける。今日ばかりは視界が悪くならぬようにと、気流の調整もできる限り行ったが、それでも薄霞のようなものは防げぬ。ゆっくりと、響きを立てて正義の門が、5星のついた重々しい、海をもわける巨大な門が、開く。さらに、そこに立ちならんだ軍艦。

「来たぞ!!全員戦闘態勢!!!」

素早く下知を出して、海を凝視した。いつのまにか、突如として現れた海賊船の大艦隊。白髭の船は確認できなかった。確認を急げと声を張り上げるが、しかし、センゴクの目にもあの男の巨大な船の姿が見当たらぬ。だが、上がる旗はどれもこれも見覚えのあるものだった。そして、今のこの状況で見たいと欠片も思えぬものばかりだった。

遊騎士ドーマ、雷卿マクガイ、ディカルバン兄弟、大渦蜘蛛スクアード、錚々たる面々。いずれも新世界では名を高く轟かせる海賊船、船長である。

「総勢43隻、白ヒゲと隊長達の姿はありませんが…!!しかし、間違いなく白ヒゲ参加の海賊たちです!!!」

突如とした海賊らの登場に、海兵らの間にも驚愕が走った。センゴクは処刑台からそれを眺めて、白ヒゲの姿を待つ。まだ、いない。だが必ず近くにいる。自分だけ参加せぬなどけしてせぬ。そういう男だ。そして、ただの登場もすまい。

「攻撃しますか!?」
「まだ待て!何かを狙っているはずだ。海上に目を配れ……!!」

薄くかすむ遠方、並ぶ艦隊の壮観さ。センゴクはゴクリ、と喉を鳴らした。始まる。これから、戦争が始まるのだ。何もかもが、ひっくり返る。たくさんの命が、塵のように消えていく。その引き金を引いたのは、センゴクの傍らにいる若い男なのか、それとも、何が起こるかわかっていて、今日を決めたセンゴクか、それとも、何か別の悪意なのか。センゴクは、今は考えることを放棄した。



ふらりと、倒れたの体を抱きとめたのはハンコックだった。血色の好い、だが白く透き通るような肌を青ざめさせ、ドフラミンゴを睨みつける。先ほどまでを愛しそうに眺めていたドンキホーテ・ドフラミンゴが突如として何の前触れもなく、を刺したのだ。

「そなた……何を!!!を、傷つけるなど……!!」

ドフラミンゴからすばやくを奪い取り、蛇姫はの傷口を押える。剣はドフラミンゴの手のまま。ドクドクと流れ出る赤い血が蛇姫の服を汚したが、構うことはない。蛇姫は、のことが嫌いではなかった。美しいひとだとすら、思っていた。の存在を始めて知ったとき、蛇姫はただただ、弱弱しく、男の庇護を受けているを嫌悪した。だが、己と同じだと知ったときから、蛇姫はを嫌いではなくなった。

容姿の美しさを疎んだことが、蛇姫にはあった。ただの、見かけだというのに人は、そんなもものに惑わされる。誰も蛇姫の中身を見はせぬのだ。外見の麗しさが全て。宝のようだと、花のようだと褒め称える。なぜ?人など一皮向ければ中身はどこまでも醜いものだと、蛇姫は昔の経験で知っていた。それなのに、人はそれを重要だというものが多い。蛇姫がどこまでも傲慢に振舞っても、残酷なことをしても、何もかもが許される。そのたびに、蛇姫の心は孤独になった。

は、そんな蛇姫に「誰も、本当はキミを愛していない」と、そう言った。そして、「ぼくと、おんなじだね」とも言った。悪魔の飢餓の副作用で、誰もがを求める。それなのに、結局のところ本当に“”を見ているものなど誰もいないのだと、そう、は笑った。楽しそうに笑う彼女を見て、ハンコックの孤独が癒された。

なぜ、こんなことをするのか。蛇姫はドフラミンゴをにらみつける。男に対して絶対的な不信感を持っている蛇姫の目でさえ、ドフラミンゴのへの思いの丈は知っていた。ハンコックはドフラミンゴが大嫌いだった。人を売り買いすることを平然と行うこの男が大嫌いだったが、しかし、それでも、ドフラミンゴが必死にを愛しているということを、知っていた。がいくら信じていなくとも、見ていてこちらが呆れるほどに、ドフラミンゴが、この男がを思っていることは、解っていた。

それなのに、今、この男はを刺したのだ。それも、背後から。の腰についた剣、赤い宝石のついた、見事な装飾の剣で持って、背から胸にかけてを貫いた。

所詮、男など信用できぬ。美しい柳眉を怒らせて睨みつければ、ぺた、と、そのハンコックの頬をの白い手が触れた。一瞬は意識が遠のいていたらしいが、しかし、気づいたのか。ほっと息を吐くと、が申し訳なさそうな顔をする。それで、ゆっくりと上半身を起こした。まだ血は止まっておらず、ハンコックはを押しとどめる。

「へいき、いいの。蛇姫。ドフラミンゴは、悪くないよ」

言っては自分の傷口に手を押しあてた。ふわり、と薔薇の香りがしたと思えば、その傷跡がきれいに消える。だがむせかえるような血のにおいがゼロになったわけではない。薔薇の香りにほんのわずかに緩和されただけだ。蛇姫はの体であればすぐに回復するものとは思ったが、何か違和感を覚えた。それが何なのかをはっきりさせる前に、すっと、蛇姫とに影が下りる。

「…そなたなのか?」

すっと、鷹の目が進み出て、を見下ろしていた。そのまま片膝をつき、ハンコックからを受け取ろうとしたが、それを許す蛇姫ではない。男の手などにを委ねるか、とくに腹部を露出した中年は信用できない、とばかりの拒絶。ミホークは気にせず、の頬に手を触れた。はミホークの言葉には答えなかった。気持ちよさそうに目を細めてから、ゆっくりと蛇姫から離れ、己を刺した剣を持ったまま、立ちすくんでいるドフラミンゴに近づいて、その手から剣を奪った。

「ばかだね、君は」
「フ、フッフフフフ、もっと酷く罵倒されると思ったがな。フッフフフフ、なんだ、そりゃ」

ぽすん、とはドフラミンゴに頭を押しつけて、ぎゅっと、シャツを掴んだ。軽く息を詰まらせたのは、傷の痛みか、それとも別のものなのか、ドフラミンゴにはわからない。激しく面罵されることを予想したのだが、この反応。いぶかしんでいると、が顔を上げた。

「震えてるのに。怒れないよ」
「フフフッフフフフ…何の冗談だ」

震えているって?この俺が?バカを言うな、とばかりにドフラミンゴはいつもの笑いを浮かべたが、そういうの頬を撫でようとして、指先が、言うとおりにならぬ。カタカタと、小さく、震えていた。

これまで人を殺したことなど何度あるのか。容赦なく、老若男女、非道外道の極みをしてきたドフラミンゴだ。どんなことをしたって眉ひとつ動かさない。いや、そうではなくて豪快に笑い声を上げるだけだろう。それなのに、たった一人の、小さな少女を、背後から刺した。それだけで、ドフラミンゴの手が、震えている。胸を押しつぶすような、苦しみさえ感じていた。全身からどっと汗をかいていることに、暫く気付けなかった。そんな、自分の変化に内心の動揺。がじっと、ドフラミンゴを見上げる。

「君がぼくを刺すなんて、そんなのできっこないのに」
「でもしたぜ」

だが、できた。正面からなら無理だっただろう。顔を見ずに、やっと、できた。刺したのだって、腕の力というよりは、体の重みで刺しただけだ。力は、入れられなかった。剣を握るのがやっとだった。

の様子がおかしくなったことには、気づいた。ロジャーとエースの事実を突きつけられてから、ドフラミンゴの目の前にいる魔女の気配が揺れていた。のものになったり、また、そうではないものになったり、した。ドフラミンゴは、のことを、魔女のことを知っているわけではない。知りたいと何度も切望したが、明らかには出来なかった。だが、ロジャー、トム、ノーランド、サカズキの、この四人の何かの事実があれば、を取り戻せるのではないかと、そう、思案した。なりふり構わぬものだった。見っとも無いと、普段の己であれば思うだろう。

「ばかだね、君は」

はもう一度言って、ふわり、と笑った。ドフラミンゴはサングラスの奥の目を見開く。がインペルダウンから戻ってきてから見せた笑顔とは、まるで違う。雪でできた花が、冬の日差しでキラキラと輝きながら解けていくような、その解けた水が、小川に流れて春になるような、温かさのある、美しい笑顔だった。

言葉をなくすドフラミンゴに、が目を伏せて、小さく呟く。

「でも、ありがとう、バカ鳥」

そのままそっとノアの剣を受け取って、は自分の血の付いた剣を握りしめる。伏し目がちに歯を眺めて、ドフラミンゴに問うた。

「どうして、刺したの?自分が何をしたのか、わかってないよね」
「この剣が何かなら、お前をどうにかできると思った。お前が、しょうがなく消えちまうまえに何かしたかった。眠るだけなのか、どうなのか。寝ちまえば、いいと思った」
「ぼくが死んだら、どうするつもりだったの?」
「そのまま俺も死んでやる。何もしねぇで、ただお前で死ぬのを待つより、マシだと思った」

真剣な声だった。はぎゅぅっと胸を押し潰されるような思いを感じ、緩やかに首を振る。これこそが、後にドフラミンゴに頼もうとしたことだった。ノアの剣を用いての、の体への殺傷。記憶を取り戻す前までは、はこの剣がノアの、あの美しくも儚い混血児のものであるとは気付けなかった。

ミホークがどんな意図を持ってに託したのか、それはもう意味はないのだけれど、しかし、この剣で身を貫かれることを、は望んだ。自分で傷つけては意味がないのだ。誰か、必ずを心から愛しているものでなければならなかった。

ドフラミンゴしか、適任者はいなかった。だが、彼が自分の意思でできるとは思ってもいなかった。が頼み込んでなんとか、だと思っていた。そのために、お願い、を絶対に断れぬように抱かれたのだ。だが、ドフラミンゴは、の頼みがなくとも、してくれた。

自分が何をしたのか、わかっていないのだろう。その方がいい。はもう一度微笑んで、剣を鞘に収めた。それで、「結局、どうなったんだ?」という顔を向けているドフラミンゴに向かう。

「もう大丈夫だよ」
「フフフッフフフ、何がどうなったのか説明はなしかよ?」
「面倒くさいね」

説明するのは無理、ときっぱりすがすがしい笑顔で言えばドフラミンゴが笑った。先ほどまで小さく震えていた指先が、今度ははっきりとした動きを持っての頭を撫でる。

その掌の感触をじっくりと覚えながら、は表面の皮膚だけ塞いだ傷から、容赦なく身の内を傷つけ溢れる血液に激痛が走った。

もうは不老不死ではない。時が、流れている。それでも、ただの傷では意味がなかった。それでは、死ねないのだ。

仄暗い思いを抱えながら、はざわめく正義の門を振り返った。ざわめき、同様の緊張の充満するあたり。今の自分たちのいざこざなど、これから押し寄せるものに比べれば注目されることでもない。ドフラミンゴがこのタイミングでを刺したのは、まさに絶妙だと思える。これから先、あわただしくなる。ドフラミンゴは死ぬだろうか、とふとは考えた。

たくさん、たくさん人が死ぬだろう。
人が死ねば×××は喜ぶ。とても、とても高く声を上げて喜ぶ。それを、は止めようとは思っていた。だがもう、どうしようもないと、それはもう、解っていた。

「エドワードくんはどこから来るのかな?」
「さぁな。フ、フッフフフフフ、ゾクゾクしてきたぜ」

楽しそうにドフラミンゴが笑う。こういうときのドフラミンゴは、は嫌いではなかった。普段様々な策、知恵を駆使して世を渡る賢しい男よりも、ただ残忍、好戦的な海賊としての面を見せるドフラミンゴのほうが好きだった。そのほうが、単純明快。

「お前は死なねぇな?」

不意に、ドフラミンゴがを振り返って問う。はキョトン、と顔を幼くさせた。

「このぼくが死ぬわけないでしょ」

嘘がつけると、楽である。

事実を知ったらドフラミンゴは泣くのだろうと、わかったが、やはりは、ドフラミンゴが泣こうが喚こうが、傷つこうが苦しもうが、そんなこと、どうとも思えないのだ。どうも思えないことにたいしての同情は沸く。先ほども、そうだった。

は、ドフラミンゴが自分を好きだと思っていることを知っている。だが、信じてはいないのだ。にとって愛など鎖にしかならない。確実に相手を縛るための鎖。厄介なものだ。なら、切り捨てる。だが、時々、特に男は、そういうものをとても、切れないらしい。ドフラミンゴは、のためならなんだってする。は、わからなかった。リリスの記憶を取り戻してはいっそう、愛が何なのか、わからなくなった。

だから、ドフラミンゴを選んだ。

インペルダウンの牢で出会った時から、共犯者にするなら、この男しかいないと思った。


(これが、ぼくの死因になる)


胸中でだけ呟いて、はコポリコポリ、と泡の音が海面から浮き上がって聞こえることに気付いた。






Fin




あとがき
さんの一人称が「僕」から「ぼく」に戻りました。