死者への手向け
処刑台の男の顔、絶望と動揺、失意の底に叩きこまれた表情をしている。は魔女の目を持ってそれを一度眺めてから、湾岸を振り返った。
(まさか、こんな手を使ってくるなんてね)
思いつかなかったわけではない。とて、もしこの戦いに自分が白ヒゲ側で参加することになっていたら提案しただろう、手である。
勇む船全てをコーティングして海軍本部へ乗り込む。海底を進む。白髭は魚人島の保護者であるのだから、政府を嫌う魚人が海を偵察して告げ口をするようなこともないだろう。そう、思いいたるのだ。はすぅっと眼を細め、現れた、大海賊を見つめる。
海賊、白ヒゲ。「エドワードくん」と小さく呟き、その、堂々とした姿を瞼に焼きつける。最後に会った時は、その体は細い管で繋がれていた。延命、未練のあるようなタイプではないが、自分が死ねばどうなるのかを、彼は召致している。だから、十分「これでよい」と思える日まで、彼は死ぬつもりはなかった。それが、白ヒゲがロジャーよりも長く生きた理由なのか、それはにはわからなかった。けれど、おそらくは、今日、何もかもの判断がつくだろう。
現れたモビーディック号、他三隻の白ヒゲ海賊団の船。14人の隊長達も健在の様子。はきょとん、と首を傾げる。
(……なぁに、これ?)
どこかから、個人に向けて強い敵意、殺意が向けられているようだった。ビリビリ、との肌を突き刺す。憎悪、長い年月をかけて肥大していった悪意が、どこかから、に向けられている。その敵意を受けて、の背の傷が痛みを増す。
は白ヒゲを見上げた。彼、ではない。だが、白ヒゲ海賊団の、中から感じられる敵意だった。おや、と眼を細めながらも、わからぬものはわからぬものだ。
「俺の愛する息子は、無事なんだろうな」
湾岸に浮かぶ船の上、堂々と、敵地であろうとひるまず、揺るがぬ男が低く、声を放つ。その一言一言がビリビリと大気を震わせた。王座にもっとも近き者と言われる、エドワード。ドン、と構えて、豪快に笑い声さえ響かせた。
「ちょっと待ってな。エース」
その声に、己が敗北する、あるいは、己らが危機に面している、という色は一切含まれていない。エースを救出、できぬはずがないと、そのような、気構え。けして見くびっているわけではなくて、己らの信念を遂げぬことなどありえぬという、意思の強さゆえである。
は処刑台のエースを振り返った。白ヒゲの登場で、さらに絶望の色が濃くなっていく。
「オヤジッ!!!!」
喉を張り裂かんばかりに声をあげ、身を震わせた。恐怖、ではない。いや、恐怖か。己の所為で仲間を、己の親を失うやもしれぬという、恐怖か。はじぃっと見つめてから、僅かに、ほんのわずかに眉を上げた。それに目ざとく気付いたドフラミンゴがを振り返る。白ヒゲの登場で嬉々と、本当に楽しそうにしていた男だったが、から目を放しはしないらしい。
「どうした?」
「決まり切ってるなぁって」
「あん?」
はにこり、と笑みを浮かべてドフラミンゴを見上げる。
「だって、そうでしょう?ぼく、この戦争が嫌だったの。本当に、嫌だったんだ。でも、もう始まるよね。これ、もう止められないや。ふ、ふふふ」
海軍の戦力は今日この場に集中し、彼らが一か所に集まることで、世界の他の場所が手薄になった。それを、みすみす見逃すような優しさがない連中をは何人か知っている。今日、この場でどんな結果が来ようとも、これが、引き金、いや、違う、これが一つの、岐路になる。それは間違いがなかった。魔女の目覚めを齎しただけでは飽き足らぬ、この戦争、この、諍いは、これからどんどん、飛び散っていくのだ。
「たとえばこれで、海軍が勝ってもね。元通りには、ならないよね。またサカズキの執務室のソファで寝転がって、本を読んで、仕事が終わるまで、時々話したり、お茶を入れたり、そんなこと、もうできないよね」
ルフィたちと旅をして、いろんなことを経験して、は、それでも必ず「ハッピーエンド」を見てきた。アラバスタだって、死人はできたけど、悲劇はあったけど、でも、皆が皆幸せに、これからずっと幸せに暮らしましょう。ドラムだって、未来への希望キラキラと、ハッピーエンド。ガレーラだって、これから、がんばりましょうと、希望が持てた。しかし、今は、これからのいた場所は、そうはならない。それをはわかっていた。
エースはロジャーの子供。が慕った、船長の子供。とても大切だ。彼が大きくなれば、ロジャーと過ごしたような日々が来るのか。いや、だが、今のはそうだとしても、それでも、エースの死を願うことはできないとしても。
はゆっくりと息を吐いて、処刑台の上のエースを見つめる。熱のこもった目。思慕の情とてこれほど強くは抱けぬだろというほどの強い感情。エースの黒い目。ロジャーとおんなじだ。彼と同じ目が、絶望に染まって揺れる様、の溝檻のあたりが苦しくなるほどの感情があった。
ロジャーの子供。大事な、大事な子。ルフィくんは彼を助けるために必死だった。ロジャー、ぼくの認めた船長。ルフィくん、ぼくの認めた船長。エースを生かすために、必死になった。
絶望に染まる。エースの目。白ヒゲの登場で顔色は蒼白だった。うっとりと、は目を細める。
「ぼくはね、ドフラミンゴ。エースくんが苦しんで、苦しんで、苦しんで、泣き叫ぶ顔を見れれば胸がすっとすると思うよ。ロジャーの子だから、死んでほしいわけじゃないけど、でも、このぼくの、今の絶望と同じくらい、苦しんでほしいんだ。だって、そうじゃなきゃ、気に入らないよ」
言いながら、は自分が絶望していたことに気づいた。そうだ。もう、何もかもが変わってしまった。あれほど必死に今に縋りついていたのに、あっという間に全てが変化。の髪はもう長く、背も伸びた。あどけない少女の心は汚されて、あとはただ、死出の旅路に足を進める、醜い罪人がいるのみである。
「涙も枯れて、笑い声しか出ないの。エースくんの顔が、目が、全身が、もっともっと絶望を突きつけられて、潰れるくらいになったらやっと、ぼくはエースくんがかわいそうだって、思えて、ロジャーの子だから、助けてあげようって、思える」
「フッフフフフフ、フフ、フッフフフ!」
傲慢なことを言っている、とはは思わなかった。ドフラミンゴが心底、面白そうに笑う。自分の目は今、赤々しいのだろうか。それでも構わなかった。は、背の痛みを感じながら、この空の震えを感じながら、それでも、エースが苦しんでくれればいいと、思ったのだ。
がこの20年、大事にしていた世界が壊れる。あっさりと、消えてしまう。
どちらが勝っても、パンドラ・にも、王国の魔術師にも、海の魔女にも、関係はないのだ。けれど、しかし、は、サカズキをとても思っていたは、誰かに報復してやりたかった。
(だって、背中がすごく痛いの)
(だって、目がすごく痛いの)
(だって、心がすごく、苦しいの)
もう何もかもが、わかり切ってしまっている。それだから、そして、背の傷があるから、は、苦しむ。どうしようもないことだ。逃げだせばいい。でも、は逃げだせなかった。逃げて、何もかもなかったことには、してしまいたくなかった。矛盾した心、矛盾した行動は、誰かへの憎悪へと変わる。
そのぶつけどころがエースになった。ただ、それだけだ。
理不尽だとは思えている。エースだって被害者だ。だけれど、被害者が加害者であるのは世の道理。そして、理不尽な恨みを買うのも、道理ではないのか。そして、彼がロジャーの子で、白ヒゲがエースを助けようとしているのなら、こうなることがわかって、こうなってしまったのなら、その結果なら、自分がエースを憎んでも、いいような気がした。
はぎゅっと、手のひらを握りしめて腕を振った。現れる、リリスの弓。それを左手に持ちながら、はドフラミンゴに手を伸ばす。
「ぼくは、エースくんに報復するの。ぼくの“幸せ”を壊した報い、眼前に突きつけてやるんだよ」
にこりと微笑む、魔女の狂気。ドフラミンゴが笑いだした。それで、ぎゅっと、一度を抱きしめる。それがどんな意味なのか、考えるではなかった。ただ、ドフラミンゴの派手な色のコートに顔を埋めながら、左手に持つ弓、握りしめる指先がいささかも弱まらぬことに、ただただ、おかしさがこみ上げる。
(ぼくは、本当はもっと、もっと、そのままでいたかったんだね)
Fin
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