水の都、市長室の椅子に深く座り込み、アイスバーグは目の前に設置されたモニターに映る光景には目もくれず、ただ机の上に置かれた小さな木箱を見つめていた。
今後の世界の行く末にかかわるからと、現在海軍本部で起きている出来事が映像用の電伝虫によって、つたえられるよう手配されたのは、水の都の市長の立場を考えれば道理でもあった。政府御用達の看板は、エニエス崩壊後も何の問題もなく持続されている。その継続のためにあちこちをが駆けずり回っていたことを知らぬアイスバーグではなかったから、設計図が焼失した今でも、これまでと変わらぬよう仕事を続けていくつもりだった。

世界の今後を左右する、映像。それから目を放してじっと、アイスバーグが見つめるみすぼらしい木箱。アイスバーグはこの箱が何なのか知らなかったし、いったいどんな意味を持っているのかも、結局は聞かなかった。だが、彼は己の師から、この箱を受け継いだ。数年前。設計図と一緒に、受け継いだ。

その箱の存在。ガレーラ復興で少しの間頭から放していたが、しかし、なぜか、今日この日に唐突にアイスバーグには思い出された。それで、誰も部屋に入れぬようにして、机に出した。モニターでは世をひっくりかえすような事件が起ころうとしているのに、アイスバーグは、箱こそが「これからの世界の行く末を左右する」何かのように思えるのだ。

(……なんで、の顔がちらつく…)

古びた、何の変哲もない、木箱。少し力を入れればすぐに壊れてしまいそうで、けれど、どんな力を加えてもビクリともせず、どんな鋭利な刃を使っても傷一つ入れられない。箱。

プルトンの設計図をフランキーに渡したとき、アイスバーグはそれでも、この箱を預けることはできなかった。トムはただ「箱を隠し続けろ」とだけ言っていた。設計図とは何の関係もないものだが、だが、隠し続けろと、そう念を押していた。だが、ただの箱。中に何が入っているのかさえ、わからぬ。
ただひとつの手がかりは、箱の正面に付けられた、何かを嵌めこむだろう溝。

まぁるい、丸い、何か、手頃な石が嵌めこめるような、溝が一つある。

モニターに火拳のエースが映る度、箱の中で何かがぎょろっと、目を向けるような、そんな気配がした。






私はあなたを歌った







立ち並ぶ海賊たちを目前にして、センゴクは目を細める。こうも急接近されるとは、予定外だ。だが、どうにでも対応できぬようでは元帥になどなれぬもの。センゴクは頭の中で算段をつけながら、用心深く白ヒゲを見つめる。

堂々と、目の前に現れた白ヒゲが両足を踏ん張り、力を込めた。ドン、とその両腕を背後の何もないはずの場所に叩きつければ、壁に亀裂でも走るように、大気が軋む。ミシミシと歪み往く、奇妙な現象。ごくりと息をのみ、唇を噛み締めた。

「海震、だってね。ふ、ふふふ、ふふ。怖いね」

ぼこりっ、と海底の爆発がうなり海面に現れた。遠方で巨大な海水の塊が膨れ上がる。巨大帆船よりも巨大、建物よりも高い水面が本部を囲む両面から現れた。それにおののく暇も与えず、センゴクの耳に響いた、少女の笑い声。

はっとして振り返れば、夕日と同じ色をした髪の魔女がふわりと淡い笑みを唇に引いて弓片手にたたずんでいる。その姿、敵意は感じられないが、センゴクはなぜか、ぞっと寒気がした。

現れた、何を考えているのかわからぬ顔をし、目を細めてエースを見つめる。一瞬、まさかがエースを救いに来たのかと勘ぐるが、しかし、このすぐ近くに赤犬がいる以上、そんなことが起きたとしても、問題はない。

センゴクはじっとの動きを待った。だがは何も言わず、ただただエースを見下ろしていた。そのエース、の訪れには気づかぬのか、白ヒゲに向かい声を荒上げる。

「オヤジ……なんで、なんで見捨ててくれなかったんだよ!!!俺は皆の忠告を無視して飛び出したんだ!!身勝手でこうなっちまったのに、なんで……!!」

エースの悲痛な叫びが響く。エースは、この瞬間まで白ヒゲが、オヤジが来ないことをただ願っていた、もう何も願うことができないのだとしても、だが、奇跡のように、来ないことを、願っていた。そうはならぬと、わかっていたが、それでも。

あの日、サッチがティーチに殺されて、そして、逃げたとき。白ヒゲは今回のことだけは特例だと、そう決めた。誰もかれもが、エースを止めたのだ。妙な胸騒ぎがすると、そう言った。ティーチが黒ひげの元から逃げたことを聞きつけた魔女も「止めた方がいい」と忠告をしに来ていた。

だがエースは、その全ての声を聞き入れなかった。ティーチは彼の隊の部下だった。放っておかれたサッチの魂は、白ヒゲの顔に塗られた泥は、どうなるのだ。

エースは、白ヒゲに恩を、何よりの愛情を感じていた。かつての敵の子だと知っても、何度何度命を狙っても、それでも白ヒゲは、エースを拒まなかった。受け入れて、船に、自分の子と呼んでくれた。

ルフィはいたが、それでも、どこか孤独を抱えていたエースにとって、どれほど、その、差しのべられた手が温かかったか、うれしかったか。

親の名に傷を付けられて、黙ってなどいられない。エースは、白ヒゲの名のために、誇りのためにティーチを追う決意をしたのだ。自分の意地だけのためだったわけではない。自分を、エースを、息子と呼んでくれる、白ヒゲのために、決意したのだ。

それなのに、今、己の決意がこうなった。
自分の所為で、何もかもが、壊れていく。自分の所為で、戦争の引き金が引かれてしまう。

「俺の、俺の所為で……こうなったんだ!!!」

奥歯を噛み締めて、俯く。出来れば幻であってくれとすら、そんな妄想すら思う白ヒゲの姿から顔を背ける。処刑台に上がる前までは静かだった心。ロジャーとの血縁関係を暴露されて揺れた心、白ヒゲの登場で、一層、絶望が増した。全身の血の気が引きそうだ。白ヒゲの強さを信じていないわけではない。仲間が負ける、と思うわけではない。だが、戦争だ。世界を変える。何もかもを、帰る、戦争だ。

エースの身勝手さで、仲間が死ぬ。それだけは、耐えられないのだ。

「おれは、行けと言ったハズだぜ。息子よ」

全身を絶望に打ち震わせるエースの耳に、距離が遠くとも、はっきりと聞こえる白ヒゲの声。はっとして、目を見開き顔を上げる。見つめた“親”の顔。まだ、エースを「息子」とそう呼ぶ。その、静かな顔。

「バ…バカ言ってんじゃねェよ!!!!あんたがあの時、止めたのに俺は……!!!!!」
「おれは行けと言った。そうだろう、マルコ」
「あぁ、おれも聞いてたよい。とんだ苦労かけちまったなァ、エース」

必死に首を振るエースを無視して、白ヒゲが背後の一番隊隊長に問いかける。いつも死んだ魚のような眼をした男、相変わらずの瞼の重さだったが、それでもはっきりと「是」告げる。
それに応えるように、轟々と、船上から怒涛の声が上がった。

「この海じゃ誰でも知ってるはずだ!!俺達の仲間に手を出せばどうなるかってことをな!!!」
「お前を傷付けた奴ァ誰一人生かしちゃおかねぇぞエース!!!」
「待ってろ!!今助けるぞ!!!!!」
「覚悟しろ!!海軍本部!!!!」

唸るように響く、声、声、声、声。エースは今度こそ言葉を失くした。
それと同時に、あたりに地鳴りが渡る。たっていられぬほどの振動に、エースの近くにいたがちょこん、としゃがみ込んだ。それで、長い髪を板の上につけながら、きょとん、とした顔でセンゴクを見上げる。

「怖いね、ふ、ふふふ、グラグラの実の地震人間。海の震えは津波になってやってくる。あぁ、怖いね。始まるよ、戦争が、殺し合いが始まるね!ふ、ふふふ」

センゴクは歌うようなの言葉を無視して、海兵全員に聞こえるほどの大声を張り上げた。

「戦力で上回ろうが勝ちとタカをくくるな!!!最期を迎えるのは我々かもしれんのだ!!!!」

攻め入るは白ヒゲ率いる新世界47隻の海賊艦隊。迎え撃つは、政府2大勢力。海軍本部、王下七武海。誰が勝ち、誰が敗けても時代が変わる。

「あの男は…世界を滅ぼす力を持っているんだ!!!!」

叫びと同時に、襲い来る大津波。雄叫び高らかに、それをうけて敵も味方も誰もが武器を手に立ちあがる。声をあげ、覇気を出し、誰も彼もが、殺し合う。時代が変わる。世界が、変わる。

押し寄せる激流を見上げて、青い目を僅かに赤く染めながら、白ヒゲの本船を見つめた。

(また、殺気。ぼくに敵意を向けているのは、誰?)



 

Fin