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「痛いのは、へいき」

 

ゆっくりと確認するように一回一回、丁寧に呼吸をしながら、か細い声。薔薇のにおいが血に負けるほど、むせかえる。充満するその濃厚さ、赤々したイメージはドス黒い歪みに侵食されて一層の禍々しさを増し、たよう、多様、酔う。

 

医務室から持てる限りの包帯、薬をかき集めてきたドレークは意識のなかった彼女がそう口を開いたことで、ほっと表情を和らげた。両腕いっぱいにあふれた包帯が二、三個、ころん、と音を立てて転がる。それを拾うよりはまずテーブルの上に一度今ある分を置いてしまおうと、リノハのベッドに近づき、傍らのサイドテーブルに荷物を置いた。

 

白い枕に頭を預けてじっとこちらを見つめている青い目。その顔、左側は容赦ない力で殴られ潰れているし、目は腫れあがっている。左耳は焼け落ちたように爛れ妙な肉の跡をつけているだけのような有様。こうして布団から出ている顔だけでこうなのだ。その下が、見るも無残であることは、ここに運び込んだディエス・ドレークはよく知っている。

 

「上半身だけでも、起きられそうか」

「余計なことをしないで。ディエス少将。サカズキに歯向うなんて、君はバカかい?」

「まずは肩からだな。薬を塗ったら、氷袋を当てていろ。気安めにしかならないかもしれないが、しないよりはマシだろう」
「運良くクザンくんが通りかかったからよかったものの、命、いらないの?この場合は殉死じゃなくて反逆罪になるんじゃないの?」

 

互いの言葉が全くかみ合わぬ。しかしそれは常からのことと、ドレークは気にしなかった。てきぱきと、テーブルの上に道具を広げて、リノハの体を起こす。

 

抵抗するほどの気力も体力もあるがずのないリノハは、一度ドレークを強く睨みつけてはきたものの、それ以外の拒絶はなかった。布団をめくり、ドレークは顔を顰める。唇を噛み、眉を寄せた。怒りで体が震えるというのは、あまり経験があるはずがないのに、ここ最近は、そんなことばかりだった。右肩からそのまま腹部にかけてが壊死している。黒い、炭のような体だ。崩れ落ちてしまわないのが不思議なほど。ヒュウヒュウ、とリノハが呼吸をするたびに、胸部、肺があるだろう場所が上下する。妙な音がする。風が穴を通るような、嫌な音だ。

 

「火傷の薬は、ぼくより自分に使いなよ」

 

いつも(胃薬関係で)世話になっているドクターが「これなら魔女の身にも効くはずだ」とよこしてくれた、貝の入れ物に入った薬を指につけ、リノハの体に塗ろうとすると、リノハが緩やかに首を振った。露わになった背、首筋に掛る赤毛が揺れる。

 

ドレークははっとして、リノハの肩に置いた手を引っ込めた。赤犬からリノハを奪い取った時に、普段つけている手袋は燃えて消え、その手が今はひどい火傷を負っていることを、目ざとく気付かれたらしい。これなら包帯を巻いていればよかったと思いながら、リノハを案じるあまり、自分の怪我のことは眼中になかった己の焦燥の加減を知る。

 

「おれの身など案じるな。お前の方が重症なんだ」

 

「誰が君なんかのことを心配したよ。ざらついた手で触られるのが気持ち悪いだけだからね」

ふん、とリノハは鼻を鳴らして目を細める。傲慢な子供の振る舞い。だがドレークにはその態度を窘めるような感情が浮かばぬ。それ以上、どうすればいいのかも、わからぬのだ。それで、ただ黙って薬を塗っていく。丁寧に、処置の仕方はもう何度目になるかわからぬために、慣れていて他事を考えていてもできるような気がしたが、集中したかった。薬を塗り込んでも、何がかわるわけではない。相変わらず、乾いた炭のような体だ。

 

コツコツ、とドレークが入隊することになった前の晩、兄からもらった懐中時計の音だけが響く。金色の蓋に、金の鎖、蓋の裏側には赤いリンゴの絵が描かれている懐中時計にリノハは何度か視線を向けていた。それで暫く、ぽつり、と、リノハが口を開く。

 

「君は、どうして、なんで、こんなバカなことを繰り返すの」

 

今は弱り切っているために不可能だが、リノハのその体は、これくらいの怪我など、まるで窓についた汚れをふき取るようにあっさりと、治してしまう。何もかも、彼女には残すことができないという、事実の結果ではあるのだが、それを人は「奇跡」のように見るらしい。そのために繰り返された実験の日々を、今は赤犬が退けていること、当然ドレークは知っているし、赤犬が殴ることをやめれば、再びリノハが学者たちの実験に付き合わされることも、わかっている。

 

赤犬と、悪意の魔女のこと、放っておくのが一番なのだ、とドレークは以前おつるから言われた。

 

「ぼくは、へいき。君が気の毒に思うほど、ぼくは、何ともないんだよ。嫌だと思っていたら、こんなことはさせない。ぼくにはそうすることができるって、知ってるよね」

 

リノハが、悪意の魔女が本気で己の保身を願えば、それを叶えてやろうとする人間は多くいる。赤犬の手が届かぬほどの権力の所持者と、リノハは当然のように面識があった。たとえば、アーサー・バスカヴィル卿やジョージ・ペンウッド退役軍人などが一声かければ、リノハは安全な場所に保護されるだろう。しかしリノハは彼らの手を拒み、こうじてただ、赤犬のそばにいるのだ。だから、誰も口出しできない。

 

「……たとえ、何事もなかったように治るとしても」

「うん?」
「痛みは、あるだろう」

 

何を言うべきかドレークにはもうわからない。リノハと、赤犬と出会ってから、何度喉をからして叫んだことか、知れぬ。言葉を吐き続け、自分に疑問を投げかけ、数年。それで、言葉が枯れてしまったようだった。何も、できないのだ。この二人には、この二人にしか、解決できぬこと。しかしそれでも、何を言うべきなのかもわからぬのに、それでもドレークは、リノハを見捨てたくはなかった。

 

きょとん、とリノハが幼い顔をする。ぱちり、と、目を瞬かせて小首を傾げた。

 

「それが、なぁに?」
「……治っても、お前が、それで構わないと考えていても、それでも、痛みは、あるだろう」

 

何を言っているのだろうか。ドレークは言葉を止めようとしたが、唇からはとめどなく言葉が漏れる。むくりと、リノハが上半身を起こして、じっと、見つめてきた。青い目。

 

不思議そうにドレークを眺め、その青い目を、顔を、伏せた。普段であればそのまま互いに沈黙するのだが、なぜか、本当に、わからぬことに、ドレークは今日に限って、そのまま、ぐいっと、リノハの顎を掴み、自分の方に向けさせた。驚くリノハの目は珍しい。見開かれて、ヒュッ、と小さく喉が鳴った。

 

「このぼくに、この無礼なふるまい。今ならまだ忘れてあげるよ。その手をお放し、ディエス・ドレーク少将」

 

僅かな動揺は傲慢さに隠されて、驚きに見開かれた瞳はそのまま、尊大そうに細められる。こうしてすっぽりと仮面をかぶり切ってしまう、そうさせたのが己の動作であるとわかりつつも、ドレークは、リノハの顔を手で掴み、空いた手でその細い首を撫でた。火傷で無残になったその他の場所と違い、首筋だけは嘘のように白く、滑らかだった。

 

その左側に刻まれた薔薇の刺青を指で撫でると、びくり、と、小さくリノハの体が震える。この場所と、そして腹部の蜥蜴の刺青が彼女の身を永遠にし、赤犬に縛りつけている業であった。ドンキホーテ・ドフラミンゴなどはよく、この薔薇の刺青を、今にもえぐってしまいたような眼をしている。ドレークはゆっくりと薔薇を指でたどり、唇を噛み締めた。

 

「なぜだ」
「答えが欲しいの?」

 

何の意味を問うたのかドレークにはわからぬのに、それでも、質問の意図も、その答えすらも明確に承知しているようなリノハの声。先ほどの震えは、その掌を握りしめることで堪えている。じっとドレークを見つめるその瞳の、青さ。遥か昔の海の色。800年や900年、あるいは1000年よりもずっと前の、海の色をしているのだと、そう語ったのは海兵ではない。

 

「無駄なことはお止め。ディエス・ドレーク少将。君の手は短い、その腕に抱きこめるものは精々が一つか二つ。もう君は、何を持って、何を掲げてしまいたいのか、わかっているのだろう。“己の正義”を捨てられぬ、哀れな“正義の海兵”その中にぼくを含めてしまえば、抱えた全てがその腕から滑り落ちる」

「お前に何を言えばいいのか、俺がお前に何をできるのか、何もわからない。それでも、俺はお前が赤犬に殴られることが、嫌なんだ」

 

リノハの言葉を遮って、ドレークは言い、ぎゅっと、リノハの体を抱きしめた。苦しそうに一瞬リノハが喉を詰まらせる。ヒュウッ、と嫌な音がする。肺に空気が届くだろうか、そんなことを考えながら、ドレーク、カタカタと、リノハのその小さな体が震え始めたことを感じた。

 

「ぼくはね、痛いのは、平気。辛いのも、平気。苦しいのも、酷いのも、平気」

 

己の心を保つように、ドレークから離れようとリノハが身じろぐ。それを、ただの力で抑え込み、ドレークはリノハを抱きしめたまま、頭を撫でた。ぎゅっと、小さく唇を噛む音がする。リノハはドレークのシャツを掴み、言葉をつづけた。

 

「このぼくに同情なんてするものじゃあない。傷みがあるからなんだというのか。そんなものは、なんでもないんだ。そんなの、これっぽっちも、問題じゃあないんだよ。知っているだろう?少将ならね」

 

リノハの小さな手がそっと、ドレークの頬に触れた。ひやりと冷たさがある。体は火傷のせいで熱を持っているのに、その手が信じられぬほどに冷たい。遠い、遠い、先の果てを見るかのような眼をしながらリノハがドレークを見つめる。その青い目、の、禍々しさ。これが魔女の悪意であるのだと、どこかぼんやり感じた。人が、禍事を繰り返すのをただ黙って見ている。だがしかし、リノハは、ドレークに関しては、いつも、常に「忠告」を怠らなかった。ドレークが、真理に踏み込もうとするたびに、リノハはその身を顧みず、ドレークに忠告をし続けていたのだ。そうとは知らず、そうとは思えず、ドレークは手を伸ばし、そしていつのまにか、少将になっていた。リノハの声が遠くなり、顔色が、どんどん悪くなっていると、そう気づいたのは、本当に最近になってからだ。何も変わらぬ装いで、しかし確実に、身の内に孕んだ毒でのた打ち回っている。

 

「でもぼくは、怖いのは、イヤだ」

 

弱々しいリノハの手に自分の手を重ね、見つめる。勝気な目も、人を小バカにした口元も、今はすっかり身をひそめ、ただドレークの前にいるのは、何かに怯える幼子である。

 

リノハが怯え覚えるその何か、それが何なのか、その時まだドレークは知らなかった。

 

 

 

 




怖くて仕方がないだけなのに



 

 

 

 



 

押し付けられた腕の痛みに顔をしかめ、リノハはキッ、と赤犬を睨み付ける。この、男、今この状況で何を阿呆なことを言っているのかと一瞬呆れて反応が遅れてしまった。それがいけなかったのだろう。気づけばこうして、体をしっかり押さえつけられての乱暴な口付け。別段そこに感情があろうがなかろうが熟した体は反応するもの。

 

芯から熱のこみ上げる、しかしどう考えてもただの条件反射であると、リノハはわりきっていた。

 

今更、たかだか口付け一つでぼうっと頭がしびれるような、生娘を気取るつもりなどはない、と思いたいのだけれど、しかし、この男とはどうも相性が良いようで、焦らされずとも反応してしまいそう。それで、ぐいっと、乱暴に唇を拭い、すりきれるほどにこすれば、その手を取られた。

 

「血が出るぞ」
「余計なお世話だよ。ドフラミンゴ以外に口付けされるなんて、気持ちが悪いって意思表示。伝わってないなんて、勘違いはしないよ」

 

目を細めて言えば赤犬の面白そうな様子に腹が立つ。こちらがどう吠えたところで、この男には面白くてしたがないのかもしれない。この男、リノハがサカズキを愛してしまったという事実、承知しているのだ。気に入らぬ、とリノハは眉を寄せた。

 

しかし、それでも今の己に、その心が果たして関係あるだろうか?冷静に判じている己がいる。リノハはすぅっと息を吐いた。傲慢・尊大は己のもの、であると知らしめる。そうでなければ、ついリノハの心に流されそうな、そんな予感があった。今すぐにでもこの男の胸に顔をうずめて震えだしてしまいそう、そんなことは、したくはないけれど、ありえないけれど、しかし、それでも、痛む背からの弱弱しさ、恐怖がサカズキに縋ろうとする。

 

この浅ましさをリノハは嫌悪し、それで傲慢な笑みを引く。

 

「君はぼくが好きなのかい?海軍本部大将赤犬」
「くだらんことを聞くのは貴様の趣味か?夏の庭の魔女」

「ほぅら、そうして君はしっかりと、このぼくがどういう生き物なのかわかってしまっている。その上で、今君はどんなバカげたことをほざいたか、もう一度考えてみるがいいよ」

 

己は夢見る乙女、ではない。今の自分の心がどうなのか、もうわかっている。確かに、こうなったのは、リノハがサカズキを愛してしまったからだ。その心が、すべてのきっかけとなって、リノハに全てを思い出させてしまった。サカズキがリノハを愛し、リノハがサカズキを愛さなければ、いつまでもいつまでも、このままでいられたものを。ありとあっさりと、この男はリノハを愛してしまった。自覚があろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいのだ。今でさえ、この男は、そうとは認めないだろう。だが、その手や足や、腕や目がそう語っている。男の欲としてだけではなく、サカズキは、リノハを欲しているのだ。

 

冷静に考えて、どう見ても幼女の類だっただろうリノハに、悪魔の飢餓関係なしに劣情を抱いたあたりから、幼女趣味でもない限り「え、それって愛じゃないの」と誰か突っ込みを入れておくべきだっただろうとか、そんなことが頭をよぎるが、まぁ、それはそれ。

 

サカズキとは対照的に、今のこの己に、サカズキを愛する心、それがないことをリノハははっきりとわかっていた。いや、確かに愛したのだ。そうでなければ、今こうして立ってはいない。何もかもを思い出すことはできなかった。

 

リノハはじっと、サカズキを見上げる。もう二十年来、傍にいた。これほど長く時を共に過ごした人間はどれくらいぶりだっただろうか。二百年ほど前、リノハは小さな男の子(孤児だった)を拾い育てたことがあるが、あの少年は18の時に、母役であるリノハを愛してしまい、その傍を離れた。だからこうして、一か所の場で、誰かといたのは、もしかすると初めてかもしれない。

 

こちらを見下ろす深い目、帽子に隠れがちになって、あまり見えることがなかった、その深い色をじぃっと見つめ、その中に己が映る。この瞬間を、昔の己は焦がれていたのかもしれないのに、今はただ、煩わしさが募るばかりである。あぁ、そうだ。己は、この男を愛してはいない。

 

「瞼を閉じると、今も浮かんでくるあの人の姿。耳を澄ませると、聞こえてくるほどに愛しい、あの人の声。未来永劫、ぼくが愛するのは、あの人だけと決まり切っているんだよ。君を愛した、リノハの心は最初から存在していない。ただ、こうなるためへの、消えることが定められた愛情。わかって、いるんでしょう?サカズキ、君はバカではないものね」

 

リノハ”などというあどけなく、純粋で無垢な少女など本当はどこにもいなかった。ただ、誰もの夢の姿。誰も彼もが、夢見ていた少女の姿。そこに意味などないのだ。けれども「リノハはいた。いるんだ」と意味を求める殿方のくだらなさに、リノハはうんざりとしていた。そんなの、考えるだけ無駄なのに。

 

薄く微笑むリノハの頬を、サカズキは抑えつけた。乱暴なしぐさ、無粋な男、である。ぐいと、肌を革が擦る感触に眉を寄せたくなるが、そう感情をあからさまにするのは見苦しいように思われた。それで耐えていると、サカズキの赤い眼が細くなる。

 

「千年も前に死んだその男、貴様が今の今まで思い焦がれようと、そこに何の意味がある?悪いが、わしはまだ生きている、貴様を抱く腕がある。貴様はわしの嫁になるべきじゃァ」

 

……人の話をまるで聞かないのは、大将の特徴なのだろうか。

 

もぞっと体をよじり、リノハは小首を傾げた。

 

「君はぼくが好きなの?赤犬」
「好きか嫌いか、そんなことはどうでもいい」

 

よくないと思うのだが、言うだけ無駄なのだろう。リノハは黙って、まぁ別に、聞きたいわけでもないと肩をすくめた。というか、何でこの状態で、自分たちはこんな、男女の痴情のもつれのような展開をしていなければならないのだろうか。相変わらず、近くで人の殺し合う音がする。ひっきりなしに、憎悪・敵意が繰り広げられる。自分は、魔女はともかくとして、海兵が戦場におらず女を口説き落とそうとしているのはいいのだろうかと、ぼんやり突っ込みをいれたくなった。

 

そうして呆れていると、ぐいっと、サカズキが、リノハの前髪を掴んで自分の方に向けさせた。

 

「痛ッ」
「このわしが、愛などわかるか、阿呆」
「開き直るところはそこ!?」
「ならはっきりと言ってやる。わしが貴様を愛するなど、冗談ではない。ありえん。吐き気がする。だれが貴様のような性根の腐りきって発酵したような生き物を愛するものか」

 

事実なのだが、リノハは一瞬、サカズキの足、あるいは急所を蹴ってやりたくなった。何だ、このいい草。いや、自分も結構酷いことを先ほど言ったのだが、人に言われると腹が立つ。それで、ふつっと怒りがこみ上げていると、そのまま、サカズキに再度口づけられた。

 

「じゃが、」

 

なんで先ほどから、当然のように口付けの繰り返しなのだろうか。リノハはふるふると体を震わせて、今にも怒鳴ってやりたくなったが、しかし、条件反射、サカズキ、その堅苦しそうな(その上強面な)外見に似合わず、こういった行為の巧みさ。息をつく間を与えぬ激しさに、立っていられなくなってリノハはサカズキのシャツを掴む。やっと解放され、苦しげに息を吐き、呼吸を整えようとしていると、再度、顔を無理やり上に向けさせられた。目を合わせないと喋る気がないのか、と怒鳴りたい。

 

「貴様が泣いているのや、あの海の屑に縋っていること、わし以外に傷を付けられていること、何もかもが気に入らん。貴様を泣かせるのも、貴様が縋るのもわしだけでえぇ。その体に傷をつけるなど言語道断じゃァ」

「知るかそんなこと!!!」

 

これが以前の自分だったら、何かこう、この無自覚極まりないサカズキの愛の告白(?)に真赤になって目でも潤ませていたかもしれない。

 

だが今の自分は違う。千年分の記憶も想いも取り戻しているし、あの庭で合った出来事も何もかも、はっきりと意識しているこの己は、そうはならなかった。

 

というか……なんで“リノハ”はこんな外道・鬼畜ノリノリ俺様な男を好きになったのか。

 

人の心ってわからないね☆なんて突っ込みをする気力もない。堂々とのたまいやがった、大将閣下を見上げ、リノハは顔を引きつらせた。

 

「いいから、貴様はわしの嫁に来い」

 

ダメだ。完全に、このバカ犬…じゃなかった赤犬のペースになると、せっかくこれまで続いていたシリアスムードというか、いろんな人の葛藤やら何やらが、一切合財台無しになるんじゃないか。というか、何この状況でこの男は開き直っているのだろうか。

 

リノハの予想では、こうではなかった。長年、様々な感情を己の中で押し殺してきたサカズキのこと。きっと、今後リノハがどうなるのかも、わかっていて何もせぬだろうと、そう、判じていた。

 

いや、まさか開き直ってこんな堂々とした態度に出られるなんて、誰が想像しただろうか。なんというか、自分の死亡フラグまで叩きおられそうな勢いに、リノハはぞっと寒気を感じて、背中を押えてしまった。その手をサカズキが、それはもう、目ざとく気付いて掴む。

 

「その背の傷で死ぬ気か。力が弱まり続ければ、たとえこの後、貴様が意識を奪われたところで、時がたてばもろとも死ねる。そういう判断か?姉を殺すことよりも、あの化け物をどうにかするほうが重要じゃァ、いうことか」

 

さすがに、ぶちっと、リノハの中で何かがキレた。リノハはぐいっと、乱暴にサカズキの胸倉を掴み、顔を引きつらせながら怒鳴り散らす。

 

「こ、この……!!!馬鹿かい君は!!?君の言動一切、おとぎ話で言うところの、スタート三行でいきなり「この娘は魔法使いのお婆さんの力を借りてお城に行って、靴落として帰ってきますが、それを手がかりに王子さまに見付けられて玉の輿になる運命が待ってます」ってあらすじ言って、堂々と「さぁ、物語がはじまりますよ☆」なんてKY発言かますようなものなんだよ!!!」
「なんぞ問題があるのか」

 

問題はありまくりだが、いや、しかし、そういうことではない。フルフル、とリノハは怒りで体を震わせ、腕を振って弓を取りだした。このままこの男を射て殺してしまいたくなったが、さすがに、この状況でそんな暴挙には出れない。こんなドS・鬼畜・KY男でも、これでも大将である。

 

「ぼくはもう君なんかどうだっていいんだよ!!!わけ、わかんない!!ぼくは、姉さんじゃないんだよ!?君が、大将が、守らなければならない世界の敵は、姉さんだ。ぼくは、そうじゃない!!!わかってるのになんでそんなバカなこと言うの!!!!?」

 

だからせめての平手打ち、どうせよけられると判りつつも手を振り上げれば、サカズキは避けなかった。パシンと乾いた音。別段何かしらの力を込めたわけでもないのに、あっさりと殴られる、その有様。じん、とリノハの手が痺れた。

 

殴る動作をしたものの、けれど、殴る気が自分にはなかったのだと、突きつけられる。心に湧き出るのは、ひどいことをしてしまったという、妙な罪悪感。何をバカな。この男は殴られて当然だし、別に、今更、自分が、誰かを殴ったところで、どうだというのか。それなのに、心に、じんわりと湧き上がる、罪悪感。サカズキを、ぶってしまったと、悔いる心。はっとして、リノハは後ろに一歩、後ずさる。殴ったその手を押さえて、唇を振るわせた。

 

「な、んで、避けないの!?」

 

今のは、自分は悪くない。避けなかったサカズキが悪い。大将だ。大将なんだから、ただの、平手打ち、しかも自分のような少女のものを、避けられないはずがないのに。避けなかった、サカズキが悪いのだ。自分は悪くない、と、リノハは必死に頭を振る。

 

そんなリノハを眺めるだけの、サカズキが殴られた場所はそのまま、一度目を伏せる。ゆるやかな姿勢から、そのままゆっくりと眼を開けた。

 

「わしに、貴様を守らせろ。リノハ」

 

ひゅっ、と、リノハの喉が鳴った。眼を見開いて、唖然とサカズキを見上げる。先ほどまでの、どこかリノハの反応を楽しむ鬼畜じみた眼、ではない。きっぱりと、言い切り、それ以上のことのない様子。はっきりとした意思、その強さ。己の中の矛盾も不条理も何もかも承知、それでも怯まぬという覚悟の表れ。知っているのに、サカズキは、目の前にいる生き物がどんなものなのか、知っていて、それでもまだ「リノハ」とそう呼ぶ。躊躇わぬのだ。

 

開き直り、なんて言う口ではあるが、そんな単純なものではない。開き直ってどうなるか、と、それもわかっているのだ。何もかも、そのまた先のその末までもわかっていて、それで、そう、見つめてくる。リノハは、うろたえた。傲慢・尊大、自分勝手が己の心であるだろうと、いい含めなければ今にも崩れ落ちてしまいそうな、そんな、一瞬の油断があった。どうして、この男はこうなのだ。いつもいつも、荒々しくこの心を蹂躙し、それで優しく、頭を撫でてくるのだ。けして、それで何が救えるわけでもないのに。

 

「貴様は阿呆か。それとも馬鹿か。震えて泣きだしそうな顔をしおって。それで世界の道理を守るつもりか?貴様ごときが、おこがましい。貴様のようなチンケな命が一つ足掻いてどうなるもんでもなかろうに、必死になって、どうするんじゃァ」

「う、るさい!煩い!!うるさい!!!!ぼくは魔女だ!!ぼくは、ぼくは魔女なんだよ!!?君なんかより、ぼくは、ずっと、ずっと!!!」
「ずっと、なんじゃァ。貴様は弱い、そりゃあもう笑えるほどに弱いただのガキじゃろうに。大人しくわしに守られろ、それで万事解決じゃァ」

 

何が解決なのか。大声で突っ込みたい。本当に、本当に、なんなんだこの男……!!リノハは先ほどまでの罪悪感も何もかもキレイさっぱりなくなって、ただただ苛立った。それで何か反論しようとすると、その口を手でふさがれた。もがっ、と妙な音が出る、何だ、とにらみつければサカズキがリノハから視線をはずして、通り、戦場から離れた場所に顔を向けて顔を顰める。

 

「海軍の恥さらしが……」

「え?」

自分に向けられたものではないことはすぐにわかった。低い、不機嫌というよりは侮蔑を孕んだ声にリノハは「ヤバイ」と条件反射。こういう声を出すときのサカズキは、記憶にある限り、本当に容赦ないことをする。たとえば、ドレークが造反したときも、サカズキはこういう声を出していた。

 

何かしらおっかないことでもおきるんじゃないかと、何を見つけたのだろうかとリノハも興味を持ってそちらに顔を向けかけ、視線を合わせぬサカズキに抑えられた。

 

「貴様には関係ない」
「ちょ、え、見るくらいならいいでしょ」
「黙っちょれ」

 

ぐいぐいっと、頭を押さえつけられる。見えぬように胸に押し付けられる形になってリノハは反論しようとするのだが、まぁ、普通に無駄である。リノハは暗くなった視界で、何が起きているのかを探ろうと耳を済ませた。人の足音。走り方から判断するに、海兵だ。だがしかし足並みそろえた運び方、というには少々粗雑に響く。おや?とリノハが首を傾げたのと、サカズキが舌打ちしたのは同時だった。

 

「赤犬?」
「貴様はここにいろ」

 

言うなり、すっと、通りに出て行くその姿。ここで一目散にすたこらさっさと行ってしまおうかとリノハは思ったが。なんだか逃げているような気がして気に入らぬ。それに、すぐ近く、ではないが、遠くない場所に、見知った気配も感じた。

 

(おや、この気配は、確かコビーくんとヘルメッポくんと言ったかな?)

 

懐かしい、久しぶりの気配である。この、最近荒みまくった人間関係多く、嫌になっていた心には、なんとじんわりすることか、若い海兵、コビーとヘルメッポ。ルフィの友達だと、そう言っていた。あの懐かしい、水の都でリノハも会ったのだ。

 

その彼ら、どうしてかこの近くにいるらしい。おや、とリノハは、サカズキが出たとおりの、また少し先の建物の裏に彼らがいることに気付いた。自分でこうなのだから、サカズキも当然に気付いたのではないか。そんな疑問。ではサカズキの言う「恥さらし」というのは、彼らのことなのだろうか。ぎゅっと、リノハは弓を持つ手に力を込めた。

 

もし、サカズキがコビーたちに何かをしようというのなら、自分は、どうするのだろう。そんな、疑問。しているうちに、バタバタと足音がサカズキの元へ近づく。

 

 

銃を携えた海兵だ。正義のコートを着ているあたり、佐官クラスと知れるもの。必死の形相で走っていて、サカズキに気付かなかった様子。おや、まぁ、と、リノハは眼を細めた。

 

「戦場へ戻れ!!!」

 

立ちはだかったサカズキの、堂々とした声。とりあえずリノハは心の中で叫んだ。

 

 

お前も戻れよ!!!





Fin

・ギャグなのかシリアスなのかわからん話です。まぁ、組長いるからしゃーない←